週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
045-941-3541

3月のコラム

2015-03-22 15:36:51 | 法話のようなもの

今月のメリシャカのコラムを投稿しました。

春の寺報の表紙に書いた記事を文体を変えたうえ、少し書き加えたものとなっています。

相変わらず男らしい文章に仕上がっていますが(笑)、書いたのは私です。
寺報をご覧になられた方には、その記事と読み比べて、違いを楽しんでいただけたら嬉しいです。


  「それでもいい」

     http://merry-shaka.com/?eid=915


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これはオマケです。

〇〇を探せ!!

   

誰が隠れているでしょう?(笑)


こいのぼり

2014-04-25 20:05:12 | 法話のようなもの

今日は年長さんの保護者会に出席してきました。

4月に進級したばかりなのに、もう3月の卒園式後の謝恩会の打合せ。
仕切るママさんの手際の良さに圧倒しきりでした。

さて、その帰りにセンター南の駅前にあるスキップ広場を通ると、この時期の恒例となった鯉のぼりが空を泳いでいました。

 

これはセンター南の春まつりの催し物の一環とのこと。
GWの3日・4日にフリーマーケットやダンスなど、こちらの広場を中心にしたお祭りが開催されるそうです。

鯉のぼりというと、端午の節句ですね。

この節句では厄払いに菖蒲を用いるので「菖蒲の節句」とも言われ、「菖蒲」と「尚武」を引っかけて、男の子の立身出世や武運長久を願う風習が始まりとなります。

これは初参式でもお話するのですが、浄土真宗では厄払いをいたしません。
親が子供に辛いことや悲しいことが起きてほしくないと願うのは当たり前のことです。
でも、自分を振り返ってみたとき、辛いことも悲しいこともない人生を歩んでこれたでしょうか?
いつでも幸せな人生を歩んでこれたでしょうか?

きっと違うと思います。

私の親も、幸せな人生を歩んでほしいと望んでいたことでしょう。
しかし、どんなに親が願おうとも、その通りに歩めないのが人生です。

だからこそ、厄と思えることに出会おうとも、それを受け止め、受け入れる心を育てていくことが大切だと思うのです。

その時には難しくとも、ゆっくりでも受け入れていけたなら、厄であろうとそれは人生の糧に変わります。
厄を払い忌避していくのではなく、柔軟な心を育てていくこと。
そこにある様々なご縁に気づき、感謝の心を育てていくこと。

それが浄土真宗の子育てであり、親育てだと思っています。


でも、鯉のぼりは綺麗!







4月のコラム

2014-04-22 19:50:57 | 法話のようなもの

メリシャカ!のコラムを投稿しました。

今月は昨年12月に開催させていただいたメリシャカ!LIVE2013にて配ったアンケート用紙に記入されていた質問に、メンバーが回答していくというテーマになっています。

相変わらず、ひねくれたことを書いています。(笑)
相変わらず、男らしい文章です。(笑)
でも、若坊守が書いています。(ドヤァ)

それでも読んでみたいという心の広い方は、下のURLをクリックしてみてくださいませ。

  http://merry-shaka.com/?eid=893


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今日の写真は墓地の水屋手前の右手にあるチャンチンの木です。

若芽は赤褐色で、日に当たるとピンク色に見えて可愛らしい葉の色が見られます。
茎・葉・花に独特の匂いがあるらしいのですが、この木は10メートル級の高木なので、春に匂いを嗅ぐのは難しそうですね。
(ちなみにこの写真は2階のベランダから見上げて撮っています)

この木に似た木でチャンチンモドキがあるのですが、こちらは絶滅危惧種とのこと。
こちらはウルシ科で、チャンチンはセンダン科なので、まったくの別種です。

うーん、もう少し綺麗な写真が取れたら再掲しましょう。

 


3月のコラム

2014-03-28 21:21:00 | 法話のようなもの

メリシャカ!で今月のコラムを投稿しました。

こちらは、以前お経の会でお話しした法話をアレンジしたものです。
よろしければご覧ください。


 『春の読書感想文』

 http://ryogwanji.jugem.jp/?eid=886

 

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さて、2月の大雪で本堂の屋根の一部が壊れてしまいました。
その修復が先日おこなわれ、業者さんが足場を作って高所の作業をされていました。

    

両側の鬼瓦の部分がめくれるように破損していたらしく、これは取り外している様子です。

ちなみに破損に気が付いたのは住職です。
私は全く気づきませんでした。(汗)

修復は1日で終わり足場も撤去済なので、どうぞご安心してお参りくださいませ。


2013-09-08 22:59:05 | 法話のようなもの

    


見上げると、空には大きな雲ばかり。
入道雲みたいな大きさなのに、とても速いスピードで流れていきます。

一緒に見上げていた龍くんは、「みんな(家族)一緒に乗りたいね」と言っていました。
あの雲が『ドラゴンボール』に出てくる筋斗雲なら、龍くん以外は乗れないなと思ったりしました。

なぜなら、主人公の孫悟空が乗る筋斗雲は、心が清らかでないと乗ることができないから。
でも、私はいつから自分は乗れないと思うようになったのでしょう。


浄土真宗のとある和上は、

「自分が罪深い」と思うことが偉いのではない。
「罪深い」と思うことが信心なのではない。
自分で「罪深い」と思うことは、どこまで行っても自分の行いでしかない。

そうおっしゃって、自分の罪深いのは頭の中から捨ててしまって、すべてを阿弥陀如来におまかせしてと続けられました。

『わが身の罪のふかきことをばうちすて、仏にかませまゐらせて、一念の信心定まらん輩は、十人は十人ながら百人は百人ながら、みな浄土に往生すべきこと、さらに疑なし。』 (御文章五条四通)


阿弥陀さまのみ教えに出遇うことは、我が身の愚かさに気づかされることでもあります。
その数々が、筋斗雲に乗ることなど到底できないと、私に自覚を促しているようにも思います。

けれど、その気づきは大切ですが、余分な愚かさを自分に思い込ませてはいないだろうかとも感じました。
そして、愚かさに気づいている自分のほうが、周りの人より多くの物事が見えていると胸を張ってはいないかとも感じました。

「愚かなつもり」「罪深いつもり」

でなければ、自分以外の筋斗雲に乗れる可能性を一刀両断したりしないでしょう。

「おまかせしているつもり」

それが一番怖いものです。