昨日、久しぶりにお酒を飲みました。
考えてみると、最後に飲んだのは結婚するずっと前なので、4年半以上ぶりになります。
もともとお酒に強くはない上に、ビールも日本酒も焼酎も洋酒も、変な味がする液体にしか感じない味覚の持ち主なので、飲めるのはジュースのように甘いお酒だけ。
というわけで、飲んだのはコレ ↓
『さらりとした梅酒』 微炭酸で美味でした。
鹿児島出身の副住職は当然強く、住職(父)も飲める口、坊守(母)も量は飲みませんがビールは美味しいと言っています。
残念ながら、私だけはその美味しさが分からず仕舞いです。
さて、お酒というと五戒という戒律にあった不飲酒戒について書いたことがありました。
なので、今回は違う戒について書くことにしましょう。
アメリカの諺に、「嘘は常備薬、真実は劇薬」というものがあるそうです。
人は、いくつもいくつも小さな嘘を重ねて生きています。
例えば、心にもないお世辞や社交辞令も嘘の一つです。
こんなふうに、きっと本人も気づかないうちに、嘘をついているのでしょう。
それは人間関係の潤滑剤のようなもので、本当のことは、時に人を傷つけ、時に自分も傷つくことを知っているからかもしれません。
「他人を非難したり攻撃したりするとき、うそが混じっている間はまだ安全である。
その人の真実の欠点を指摘するとき、それは致命傷になる。」 (『心の処方箋』)
本当のことは、痛かったり、恐かったり、辛かったり、見たくなかったり、本当にいろいろです。
五戒の中の「不妄語戒」という戒は、簡単にいえば嘘をついてはダメっていうこと。
悪意のある嘘なら、戒められても文句は言えませんが、実際にはできそうで、できないものです。
なぜなら人は、無意識に嘘をつくから・・・。
お釈迦さまは嘘をつかないために、語らないという手段をとることもあったといいます。
けれど、私にはできません。
それは自分が傷つきたくないからでもあるし、相手を傷つけたくないからでもあるけれど、本当は真実が恐いから・・・なのかもしれません。
だからといって、開き直るのは筋違い。
嘘をつかずにいられない自分自身と向き合うことが、不妄語戒を守れない者へのせめてもの戒めです。
その上で、不実さえ覆い尽す大きな真実があることに気づけたらいい。
誰にでも、嘘や真実という相対を離れた世界(浄土)があるのだと気づけたらいい。
私はそう思っています。
けれど、嘘にもいろいろあって、つきすぎれば信用されない人間に思われ、本当のことも状況を間違えれば信頼関係を木っ端微塵に粉砕することを忘れてはいけません。
常備薬も毒薬も、薬であることには変わりはない。
用法用量を守り、正しく使いましょう。
ちなみに、お酒を飲んだことは、副住職は知りません。
しかも、私がお酒を飲んでいるところも、見たことがないはずです。
これは嘘ではないのですが、副住職に内緒にしているのは、真っ赤な顔を見られたくないという乙女心からでしょうか・・・これこそ悪い冗談に聞こえてしまいますね(笑)