さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

加藤治郎選歌欄の成熟 毎日歌壇賞の2016年最優秀賞

2017年03月05日 | 現代短歌 文学 文化
 毎日歌壇賞の2016年最優秀賞が発表された。「毎日歌壇」の四人の撰者が、それぞれ自分の選歌欄で一首を推薦するものである。

炎上なう。炎上わず炎上うぃる 炎が上がる腫れた指から
  東京 川谷ふじの

「なう」は、英語の「now」の仮名表記だが、旧仮名だと「No」とも読めるし、「のう」は「寒いのはいやじゃのう」の詠嘆的な呼びかけの「のう」のようにもとれる。「わず」は「was」で過去、「うぃる」は「will」で未来。そうして、この歌は岡井隆の「しゅわはらむ」という造語が出てくる歌のことを思い起こさせる。相当に現代短歌に通じていないと作れない技巧を駆使した作品である。

何十年ものあいだ新聞歌壇というと、生活詠や境涯詠が中心を占めるイメージが確立して来たが、加藤選歌欄は当初からそこに言語による詩的な実験作を期待し、それを積極的に支援する姿勢を明確にして来た。あまりいい作品が集まっていなくて、何だこの詩のできそこないみいなものは、と顔をしかめさせる作品も多かったのだが、ここまで来ると、その試みも無駄ではなかったのだという事がわかる。平板な写生による生活詠・境涯詠の牙城に突撃を敢行してその一角を取り壊すことに成功したのである。

2月14日(火)の加藤選歌欄を見てみよう。

県詩人会の新人として生きてきて、バーッと噴火を起こしてしまう
      直方市 大石聡美

そうすると、この作者は詩人なのか。「噴火を起こして」、たぶん頭にきて、毎日歌壇にやってきてしまった。「新人」というのは、ちやほやされつつ下働きも求められる、という役どころだろうか。いつまでも「新人」なんていわれたくはないわ、という所。


ららららと雪ふる朝の国じゅうに苦痛にうめく俺がいるのか
      福島市  岩倉文也

雪は楽しそうに降っているけれど、故郷に帰れない被災者もいる。安い給料で苦しんで生活している、俺みたいなやつが国中にいる、というのだ。「俺」は一人ではない広がりを持つ。

何重も鍵がかかったロッカーよ わたしはわたしがまだわからない
      名古屋市 岩田あを

自分探しなんていう聞いたふうな言葉が流行した時期があった。そんな甘いものではない。「自分」が頑固な謎にしかみえないぐらいに、作者は自分のやらかすことに途方に暮れている。どうして、わたしって、こんなことをしてしまうのだろう。

一日の終りの「。」のように塗る薔薇の香りのハンドクリーム
      平塚市 風花 雫

薔薇の香りがいい。短歌のつぼをわきまえていると思わせる。自愛の時間。

予備校にまた通いだす日々からはスウスウスウスウ雪の匂いする
      横浜市 水野真由美

 発生器の酸素の気配。若者の声だ。いいなあ。若いって。