例によって寝ころんでぱっとひろげたところから読み始めたら、おもしろいし、わかりやすい本だ。すぐれた近・現代短歌への入門書ともなっていると思う。著者の職業が教員という事もあって、なかなか痒いところに手が届いた説明が随所にありながら、それでいて叙述は簡潔で停滞する所がない。文章だと解説的な内容のものを入れようとすると、結構だらだらしたりしてしまって具合が悪いことが多いのだが、この講演という形式は、そこが自由で風通しがいい。字数制限のなかで書かれた文章を集めた著者のこれまでの論文集よりも、この方が一般の読者には読みやすいかもしれない。
私がさっき感心したのは、「浅野梨郷と初期アララギ」という章である。これを読んで思ったのは、この語りの形式で大辻さんは近現代の短歌史をさらってみたらどうだろう、ということだ。五十代も半ばにさしかかってみると、たくさん資料をそろえて近現代の短歌史を書いてみたくても、どうも時間が足りない。まずやってもらいたいのは、「アララギ」通史のようなものかな。これを今から書こうとしても下手をしたら完成する前に死んでしまうだろう。でも、この講演形式にして七、八年から十年ぐらいで回を区切って分けてやれば、一通りのところの目鼻はつくのではないか。それがおわったら、「明星」「日光」の系譜で与謝野夫妻や白秋が死ぬまでのところをやる、とか…。補足も自由にできるし、テキストのかたちが柔構造になって、やりやすいのではないかと思う。
これは何人かでやるかたちもあるが、それでは本にまとめにくい。角川の過去の「短歌」のいい対談や討論の類がほとんど一冊も本になっていないことからも、それはわかる。だから、一人でやるべきだ。いい本を出してくれたお礼に、この企画を提案しておきたい。もしおやりになるなら、私も聴衆の一人になりたい。自分の好きな歌をどんどん掘り起こして、作品を中心に据えてやられるといいと思う。自分の身近にいる若い人たちを相手にしゃべるつもりで、その人たちが求めている視点を織り込みながら語るという事をなさってはどうか。大辻󠄀さんならできそうな気がする。
※ちなみに、角川「短歌」の過去のものは、電子化して販売してほしい。「現代詩手帖」などとセットで補助金を入れながら企画すれば、新しい日本語の詩学のための基礎資料を提供できるはずである。
私がさっき感心したのは、「浅野梨郷と初期アララギ」という章である。これを読んで思ったのは、この語りの形式で大辻さんは近現代の短歌史をさらってみたらどうだろう、ということだ。五十代も半ばにさしかかってみると、たくさん資料をそろえて近現代の短歌史を書いてみたくても、どうも時間が足りない。まずやってもらいたいのは、「アララギ」通史のようなものかな。これを今から書こうとしても下手をしたら完成する前に死んでしまうだろう。でも、この講演形式にして七、八年から十年ぐらいで回を区切って分けてやれば、一通りのところの目鼻はつくのではないか。それがおわったら、「明星」「日光」の系譜で与謝野夫妻や白秋が死ぬまでのところをやる、とか…。補足も自由にできるし、テキストのかたちが柔構造になって、やりやすいのではないかと思う。
これは何人かでやるかたちもあるが、それでは本にまとめにくい。角川の過去の「短歌」のいい対談や討論の類がほとんど一冊も本になっていないことからも、それはわかる。だから、一人でやるべきだ。いい本を出してくれたお礼に、この企画を提案しておきたい。もしおやりになるなら、私も聴衆の一人になりたい。自分の好きな歌をどんどん掘り起こして、作品を中心に据えてやられるといいと思う。自分の身近にいる若い人たちを相手にしゃべるつもりで、その人たちが求めている視点を織り込みながら語るという事をなさってはどうか。大辻󠄀さんならできそうな気がする。
※ちなみに、角川「短歌」の過去のものは、電子化して販売してほしい。「現代詩手帖」などとセットで補助金を入れながら企画すれば、新しい日本語の詩学のための基礎資料を提供できるはずである。