さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

『子規から相良宏まで 大辻󠄀隆弘講演集』から

2017年03月29日 | 現代短歌
 例によって寝ころんでぱっとひろげたところから読み始めたら、おもしろいし、わかりやすい本だ。すぐれた近・現代短歌への入門書ともなっていると思う。著者の職業が教員という事もあって、なかなか痒いところに手が届いた説明が随所にありながら、それでいて叙述は簡潔で停滞する所がない。文章だと解説的な内容のものを入れようとすると、結構だらだらしたりしてしまって具合が悪いことが多いのだが、この講演という形式は、そこが自由で風通しがいい。字数制限のなかで書かれた文章を集めた著者のこれまでの論文集よりも、この方が一般の読者には読みやすいかもしれない。

 私がさっき感心したのは、「浅野梨郷と初期アララギ」という章である。これを読んで思ったのは、この語りの形式で大辻さんは近現代の短歌史をさらってみたらどうだろう、ということだ。五十代も半ばにさしかかってみると、たくさん資料をそろえて近現代の短歌史を書いてみたくても、どうも時間が足りない。まずやってもらいたいのは、「アララギ」通史のようなものかな。これを今から書こうとしても下手をしたら完成する前に死んでしまうだろう。でも、この講演形式にして七、八年から十年ぐらいで回を区切って分けてやれば、一通りのところの目鼻はつくのではないか。それがおわったら、「明星」「日光」の系譜で与謝野夫妻や白秋が死ぬまでのところをやる、とか…。補足も自由にできるし、テキストのかたちが柔構造になって、やりやすいのではないかと思う。

これは何人かでやるかたちもあるが、それでは本にまとめにくい。角川の過去の「短歌」のいい対談や討論の類がほとんど一冊も本になっていないことからも、それはわかる。だから、一人でやるべきだ。いい本を出してくれたお礼に、この企画を提案しておきたい。もしおやりになるなら、私も聴衆の一人になりたい。自分の好きな歌をどんどん掘り起こして、作品を中心に据えてやられるといいと思う。自分の身近にいる若い人たちを相手にしゃべるつもりで、その人たちが求めている視点を織り込みながら語るという事をなさってはどうか。大辻󠄀さんならできそうな気がする。

※ちなみに、角川「短歌」の過去のものは、電子化して販売してほしい。「現代詩手帖」などとセットで補助金を入れながら企画すれば、新しい日本語の詩学のための基礎資料を提供できるはずである。

『桂園一枝講義』口訳 76~83

2017年03月29日 | 桂園一枝講義口訳
76 燕来
語らはんともにもあらぬつばめすらとほく来たるはうれしかりけり
一二六 かたらはん友にもあらぬつばめすら遠く来たるはうれしかりけり  文化十年一二句目 山里ノトモニハあらぬ

□此歌、「論語」「朋有自遠方来亦悦」の意をふむなり。「論語開巻」三首の一なり。此うたで「論語」はたるなり。小論語といふべきなり、と仁齋はいへり。
人と人交り語ふなり。「かたらふ」は、大なる徳あることなり。さて「つばめ」はあたまをくるりくるりとまはして物がたりするやうざまの鳥なり。鳥は鳥どうしむつまじき容子あるなり。それを引きかけていふなり。此方とは「かたらはん友にもあらぬ」といふ處に意味ある所なり。初五に力あるなり。「つばめすら」は、燕はつばめだけなり。

○この歌は「論語」の「朋有自遠方来亦悦」の意を踏んでいる。「論語開巻」(の題の)三首の一つである。この歌で「論語」は足りるのである。(「学而篇」の冒頭は)「小論語と言うべきだ」と伊藤仁齋は言った。
人と人が交わり、語らうのである。「語らう」のは、大きな徳がある行いである。さてつばめは頭をくるりくるりと回して物語りする様態の鳥である。鳥は鳥同士でむつまじい様子があるのである。それを引きかけていうのである。こちらとは語らうような友でもないという所に意味がある所である。初句の五文字に力があるのだ。「つばめすら」は、燕はつばめだけ(ということで、むろん人事の方に重点があるの)である。
※ここも伊藤仁斎が引かれる。当時の都人の共通教養という雰囲気が伝わって来る。

77 苗代
小山田の苗代水はそこすみてひくしめなはのかげもみえつゝ
一二七 をやまだのなはしろ水は底すみてひくしめ縄のかげもみえつゝ

□此歌平易なり。二、三人の評にとりのけよといひたれども、苗代のうたなきゆゑ出せり。実景なり。静かなる山田のけしきなり。
○この歌は平易である。二、三人の批評で取りのけろと言ったけれども、苗代の歌がないので出した。実景である。静かな山田の景色だ。
※近代の写生の歌と言っても通用する。澄んだ水と、仕切りに引かれた縄の影をとらえながら、三、四句あたりの微細なひびきが魅力的である。

78 雨後苗代
春雨の日ごろふりつる小山田の苗代水はけふもにごれり
一二八 はるさめの日ごろふりつるをやまだの苗代水(なはしろみづ)はけふも濁れり
文化三年

□此れを或人、入れざるがよしといへり。「日ごろ」、日をかさねてなり。「今日もにごれり」、春雨のけしきなり。「日ごろふりつる」ににほはせり。此「しろ」といふ詞、はつきりせぬなり。月しろ、物のかはりのしろ、田の間数のいくしろ。「白」は、しろ網代…。久老いふ。場所をさして「しろ」と云り。久老は物を考へつけていふことは上手なり。うたも本居よりは上手なり。此の「しろ」のこと、余合点しかぬるゆゑ、申出して後考をまつなり。

○これをある人が入れない方がよいと言った。「日ごろ」は、日を重ねて、だ。「今日もにごれり」は、春雨の景色だ。「日ごろふりつる」に匂わせた。この「しろ」という詞は、はっきりしないのである。月しろ、物の代わりのしろ、田の間数の幾しろ。「白」は、しろ網代……。久老が言う。場所をさして「しろ」と言うと。久老は、物を考えついて言うことは上手である。歌も本居よりは上手だ。この「しろ」のこと、私は合点しかねるので、ここに申出して後考を待つのである。
※久老は、荒木田久老。「うたも本居よりは上手なり。」は聞くべき批評。

79 欵冬
山しろの井出のたま川(ママ※誤記か)くみにきてかげまでみつる山吹のはな
一二九 山しろの井出の玉水くみにきて影まで見つる山吹のはな  文化二年

□「山城の井出の玉水手にむすび」と前(さきつ)かたもよめり。「玉水」今は玉川といふところなり。「汲みにきて」、古へのこゝろになりて、よき玉水ゆゑにくみにくるなり。玉水は、すみて清らかなりし名か。「影までみつる」、力あるなり。さて玉水を玉川といひたるは、俊成卿か。「駒とめてなほ水かはん山吹の花の露そふ井出の玉川」とあり。「水かはん」の語より「川」になれり。古人も随分すきなことをいへり。俊成卿も規格を守るばかりでもなく、はづさるゝこともあるなり。

○「山城の井出の玉水手にむすび」と古代にも詠んでいる。「玉水」、今は玉川と言うところである。「汲みにきて」は、往古の心になって、よき玉水ゆえに汲みに来るのである。「玉水」は、澄んで清らかだった(ためについた)名か。「影までみつる」は、力があるのである。さて「玉水」を「玉川」と言ったのは、俊成卿か。「駒とめてなほ水かはん山吹の花の露そふ井出の玉川」とあり。「水かはん」の語から(玉「水」が)「川」になってしまった。古人も随分好きなことを言った。俊成卿も規格を守るばかりでもなく、外されたこともあるのだ。

※講義の内容からも、テキストの「玉川」は誤記。「桂園一枝 雪」でも「水」。
※「山城の井出の玉水手にむすびたのみしかひもなき世なりけり」『伊勢物語』百二十二段。「こまとめてなほ水かはむ欵冬の花の露そふゐ出の玉川」皇太宮太夫俊成『新古今和歌集』。

80 岩が根のなみをよきても咲きにけり吉野のたきの山吹のはな
一三〇 岩がねに浪をよきても咲にけりよしのゝ瀧の山ぶきのはな  寛政十二年 詠草 初句 岩カゲに

□「よしのゝたきの山吹の花」、手あらきなり。上の句でこゝがよくなるなり。「岩が根に」、なみをよけてさいたる貌あるなり。

○「よしのゝたきの山吹の花」は、手荒な(言葉のあっせんがある)句である。上の句でここがよくなるのだ。「岩が根に」、浪をよけて咲いたようすがあるのだ。

※「桂園一枝 雪」で「岩がねに」。詠草とあるのは短冊だろう。正宗文庫にありそうだ。

81 河欵冬
いかだおろす清瀧川のたきつせにちりて流るゝ山ぶきのはな
一三一 筏おろす清瀧河のたぎつ瀬に散てながるゝ山ぶきの花  享和元年

□五十年前の歌なり。萬葉風をしきりによみたる時の歌なり。「ちりて流るゝ山ざくらかな」、「村紅葉かな」とありてもよきやうなり。なれども、さにはあらず。山吹の歌となる調を見るべし。さて「筏おろす」は、たゞ清瀧川のさまなり。筏がゆきたるにはあらず。

 (以下本文二段下げ)資之曰、過しころ木村半六行納がいはく、景樹宗匠へ一番よき御歌を、と願ひしに、五、六十日もすぎて、筏おろす云々のうたをもらひたり。されば此うたが景樹もよきとおもはれたりと見えたり。此事をいうて中島廣足へも見せしに、廣足も此れが一番よきといへり、ときゝて、資之思ふに、左にあらず。行納等は此の道をしらず。ひたすら古へを好むゆゑ、其好意にしたがひてあたへられたるなり。廣足も行納も歌を知らぬからのまどひなり。但此歌をあしといふにはあらず。行納がいひしにつき、後人のまどはんことごとを思ふてかきおく。

○五十年前の歌だ。萬葉風(の歌)をしきりに詠んだ時の歌である。「ちりて流るる山ざくらかな」は、「村紅葉かな」とあってもよいようだ。であるけれども、そうではない。山吹の歌となる調べを見る必要がある。さて、「筏おろす」は、ただ清瀧川の様子(をさしているの)である。筏が(過ぎて)行ったのではない。

 (以下本文二段下げ) 資之がここに述べる。以前に木村半六行納がこう言った。「景樹宗匠へ一番よい御歌を(書いてください)」と願ったところ五、六十日も過ぎて(この)「筏おろす云々」の歌を貰った。だからこの歌が景樹もよいと思っておられたと見える。この事を言って中島廣足へも見せたが、廣足もこれが一番いいと言ったと聞いて、資之が思うに、そうではない。行納等は、この道を知らない。ひたすら古の道を好むので、その好む気持に従って与えられたのである。廣足も行納も歌を知らないからの惑い(思い違い)である。ただし、この歌をわるいと言うのではない。行納が言ったことについて、後の人が迷わされる事々を思って書き付けておく。

※二段下げの分は、弟子の松波資之の注記。おもしろいやり取りである。
※景樹が自ら万葉風をしきりに詠んだ時期があったと明言している貴重な一節である。だから、『桂園一枝』には掲出歌のような万葉調の歌もあるのだ。正岡子規の言った言葉を真にうけて、景樹と「古今集」を図式的に結び付けるのはまちがいである。

82 雨夜思藤花
よもすがら松のしづくのひまもなしうつりやすらんふぢ浪の花
一三二 よもすがら松のしづくのひまもなしうつりやすらむ藤浪の花 享和三年 初句 フルアメニ

□雨ともいはず、「雫のおとのひまもなし」を、「音も」ぬいてあるなり。雨とも雫ともいはずして其事にきこゆるなり。此歌、伊丹にて探題してよみたり。ことわりよりしらべをいたはるなり。「うつりやすらん」、藤は今夜でしまひか知らん、とをしむなり。

○雨とも言わず、「雫のおとのひまもなし」を「音」も抜いてあるのだ。雨とも雫とも言わないで、その事に聞こえるのだ。この歌は伊丹で題を探って詠んだ。ことわりより調べをいたわるのである。「うつりやすらん」というのは、藤は今夜でおしまいかしらん、と惜しむのである。

83 暮春
花はちりて春もかへるのちからなきこゑのみのこる夕ま (以下欠字)
一三三 花は散て春もかへるのちからなきこゑのみ残る夕まぐれかな

□「催馬楽」の「力なきかへる、骨なきみゝず」をとりて云ふなり。
ある人の発句に「春の別かへるほどなくものはなし」とあり。ことの外かへるなくなり。「かへるの力なきこゑ」とも云ひこなすなり。「まだとらぬ早苗の末葉なびくめりすだく蛙のこゑのひゞきに」。六百番たかのぶ、「行舟のよとむ(とよ、の誤植)ばかり」ともあり。蛙のこゑの甚だしきにいへり。今は風雅にしていろいろとしてよむなり。さて以前には、「花もちり春もかへるの」としたり。今は「花はちりて」と直して出せり。歌品数等まされり。「花もちり」といへば、句にはづみあるゆゑ、さわがしきなり。又しづかならぬなり。今は「花はちりて」とするについて、しらべ妙なり。「花もちりて」としては、春の「は」が上声になるなり。「花はちりて」とすれば春の「は」が去声になるなり。玄如節をつけてみたり。ふしの工合大に大事なり。一首一首ふしあるでもなけれども、これ又一の稽古なり。

○「催馬楽」の「力なきかへる 骨なきみゝず」の句をとって言うのである。
ある人の発句に「春の別かへるほどなくものはなし」とある。ずいぶんと蛙が鳴くのだ。(それを)「かへるの力なきこゑ」とも言いこなすのだ。「まだとらぬ早苗の末葉なびくめりすだく蛙のこゑのひびきに」。「六百番」隆信の歌に、「行舟のとよむばかり」ともある。蛙の声の甚だしい様子に言った。今は風雅にして、いろいろと(工夫)して詠むのである。さて、以前に(自分)は「花もちり春もかへるの」とした。今は「花はちりて」と直して出した。(これで)歌品が数等まさった。「花もちり」と言うと、句に弾みがあるのでさわがしいのである。又静かではないのである。今は「花はちりて」とするので、調べに妙味がある。「花もちりて」としては、春の「は」が上声になるのだ。「花はちりて」とすれば、春の「は」が去声になるのである。(これに)玄如が節をつけてみた。ふしの工合は、ひじょうに大事である。一首一首にふしがあるわけでもないけれども、これ又一つの稽古というものだ。

※「まだとらぬさなへの葉ずゑなびくなりすだくかはづのこゑのひびきに」「六百番歌合」一六四、信定。「こきすぐふねさへとよむ心地してほり江のかはづこゑしきるなり」同一六〇、中宮権太夫。ここでは、「六百番歌合」が当時の歌人の基本教養のひとつだったことがわかる。
※玄如(若林秋長)は、景樹の家僕の名。桂門十哲。言葉の続きによってアクセントが替わる。そこに敏感であれ、と景樹は説く。