近年の同人誌をめぐる環境は、数十年前をふりかえると、製作費という点では劇的に改善していると言えるだろう。私が二十代の頃、同人誌を積極的に扱ってくださる印刷屋さんがあって、そこは藤沢の友湘堂印刷所という会社だった。兄弟でやっておられて、俳句誌の「波」の発行所の看板もあって、お兄さんは作家の阿部昭の地元の幼馴染として小説のなかにも登場していた。作品に描かれているとおりの温雅な風貌の人で、一九八〇年当時もそれなりの年齢だったから、すでに物故されていることとは思うが、価格が良心的で、零細な詩歌同人誌の作者には心強い味方だった。それでもいまインターネットで発注して作るものの価格にはかなわない。
しかし、これもなかなかむずかしいところがあって、私は地元の小印刷屋を滅ぼさないようなあり方も大事だと考えている。何でも効率優先ではない、対面のやりとりをしながら作る便宜というものもある。その一方で、地元で作ることにこだわったためにデザインや企画の面で首をかしげるようなものができあがってしまっているものも時に目にするから、そこは見極めが大事である。近頃多い固い紙の表紙にタイトルが印刷されただけの冷たい印象の表紙をみると、少しがっかりする。
三、四十年ぐらい前の詩の同人誌や、高価な書肆山田などで作った冊子をみると、仕上がりは雲泥の差という気がする。若い人は手作業のペーパーを別刷りで入れるとか、カラフルな絵や写真を後からはさみこむとか、もう少し手に取った時の楽しみを考えて作ったらいいのではないかと思う。伝説の池袋西武リブロの詩歌専門コーナーに行くと、吉増剛造さんの本には、しばしば本人手作りのコラージュ作品のような断片が扉にくっついていたりして、楽しいレアな感じがあふれていた。
さて、私は「美志」という同人誌を出している。前号は瀬戸夏子の『かわいい海とかわいくない海.end』を読む」という小特集を行った。私の文章だけは、このブログにアップされたほぼそのままであるが、ほかの二人の書いた文章もあるので、そちらを見たい人は詩歌文学館に一冊あるはず。
今度の号は、井上法子の歌集『永遠でないほうの火』を読むという特集で、四人の筆者が執筆している。これまでは、少部数しか作っていなかったので、知人や限られた詩歌人の手に渡ったらそれでおしまい、ということだったのだけれども、「ぜひ売りたい」とおっしゃってくれる所が出てきたので、今度の号は何部かをそこに託す予定である。 ※四月末になるようです。
しかし、これもなかなかむずかしいところがあって、私は地元の小印刷屋を滅ぼさないようなあり方も大事だと考えている。何でも効率優先ではない、対面のやりとりをしながら作る便宜というものもある。その一方で、地元で作ることにこだわったためにデザインや企画の面で首をかしげるようなものができあがってしまっているものも時に目にするから、そこは見極めが大事である。近頃多い固い紙の表紙にタイトルが印刷されただけの冷たい印象の表紙をみると、少しがっかりする。
三、四十年ぐらい前の詩の同人誌や、高価な書肆山田などで作った冊子をみると、仕上がりは雲泥の差という気がする。若い人は手作業のペーパーを別刷りで入れるとか、カラフルな絵や写真を後からはさみこむとか、もう少し手に取った時の楽しみを考えて作ったらいいのではないかと思う。伝説の池袋西武リブロの詩歌専門コーナーに行くと、吉増剛造さんの本には、しばしば本人手作りのコラージュ作品のような断片が扉にくっついていたりして、楽しいレアな感じがあふれていた。
さて、私は「美志」という同人誌を出している。前号は瀬戸夏子の『かわいい海とかわいくない海.end』を読む」という小特集を行った。私の文章だけは、このブログにアップされたほぼそのままであるが、ほかの二人の書いた文章もあるので、そちらを見たい人は詩歌文学館に一冊あるはず。
今度の号は、井上法子の歌集『永遠でないほうの火』を読むという特集で、四人の筆者が執筆している。これまでは、少部数しか作っていなかったので、知人や限られた詩歌人の手に渡ったらそれでおしまい、ということだったのだけれども、「ぜひ売りたい」とおっしゃってくれる所が出てきたので、今度の号は何部かをそこに託す予定である。 ※四月末になるようです。