さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

西村曜『コンビニに生まれかわってしまっても』

2018年08月15日 | 現代短歌
 タイトルや装丁や帯に、やや過剰な自己プロデュースの要素を感じて、初見の瞬間は少し引いたのだけれども、めくってみると、おもしろいじゃん、ということになった。でも、このタイトルは、どうしても村田沙耶香の芥川賞受賞作品『コンビニ人間』(二〇一六年七月刊)の、コンビニのおかげで自分の生きる意味が見出せたという、究極のマイナス型自己喪失≒肯定小説を読んだ時の奇異な感じを思い出してしまうところがある。それを織り込んだうえでのこのタイトルということになるわけだ。 

あなたのそのえくぼに小指入れられる仲になるためまずは働く

たいへんだ心の支えにした棒が心に深く突き刺さってる

はじめてのいのりのようにうまく手を組めないまんま二人歩いた

愛すれば花ふることもあるだろうこの曇天の四条大宮

 四首とも相聞歌として読んでいいと思うが、二首めはちがった読み方ができるかもしれない。これだけ自己対象化をきっちりやりながら、同時にけっこう濃い諧謔を込めたユーモアを滲ませることができるのだから、たいしたものだと思う。こういう短歌作者がぞろぞろと出て来ているのだから、それは現代短歌はおもしろいわけだ。

「欠席」を丸で囲むと消えていく明日のわたしの小さな椅子は

独り身のバイト帰りの自転車の俺を花火がどぱぱと笑う

求人の「三十歳まで」の文字がおのれの寿命のようにも読める

せいしゃいんとうようレモンはいつまでもカップに浮いてしぶくなっちゃう

一億総活躍社会のかたすみで二人静養生活しよう

 ただ社会システムにやられっばなしでいるだけではないのだ。これらの歌のように、言葉のところでは結構打ち返しているのである。現在の若者に強いられている日本の経済全体の低賃金システム、若年層労働力搾取システムを変えないと、どうにもならないのだけれども、本当に、当事者にしてみればたまったものではない。そういうことが、痛みとして、でも深刻にではなく、詩としてのウイットをこめて伝えられている。そこがとてもいい感じだ。


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