半分以上読み終わったところで『天窓紀行』という歌集のタイトルを見て、なるほど、コロナの日々をたとえて言うと、それは天窓から空をのぞくようなものかもしれないと、思ったのだ。それまで書名に目をやっていなかったのだから、うかつな話なのだが、仕事から帰宅して畳の上に寝そべりながら気軽に手に取って読む気分にさせられる本の造りから、おのずとそういう読み方に誘われたのでもある。
二月二十五日(火)
〈マスクしばらく入荷しません〉しばらくといふ時間のしんと載る棚があり
ほんとうにそうだったなあ、と思い出す。あの感じをことばでつかまえたら、こういうことだった。
四月二十日(月)
ハズレ馬券のやうなるマスク一億枚つめたい花びら散りくる散りくる
国の予算というものがあって、それを受注する会社というのがあって、それを下請けに丸投げしていくうちにどんどん税金が食べられて減っていく仕組みというものが、この何年かでけっこう国民全体の前にあらわになってしまった。マスクもそのひとつ。
四月二十三日(木)
Too Little Too Late,Too Little Too Late 鳥鳴きわたる
「政府の対応が遅い、とにかく遅い。普段無口な夫もしゃべり出し、通りすがりの犬も吠え、とうとうマンホールも愚痴をこぼすようになった。」
こういうイライラから気をそらすために成立した内閣がやっぱり馬脚をあらわした先日の事態ではある。当時は中国要人を迎えたいからだと、巷間もっぱらのうわさだった。
あとは、ここにも出てくるが、本の中に点描される自分と同世代らしい作者の夫の姿が、ほとんどわが事として読めるのが楽しい。こういう現役引退後の夫と妻の何気ないやりとりや、最近失くした母親のこと、それから病気の友や亡くなった友のことなどがうたわれる。それは、さながら読んでいる私自身の人生上の感慨と重なるところがある。そういうきわめて極私的な読み方を誘われる歌集の読み方をよしとしない、というのが私のポリシーではあったが、まあ、読んで退屈しないということにはじまって、これもありだよな、というところから久しぶりに何か書いてみる気にさせてくれたのだから、私としてはまず作者にお礼を申し上げたい。
ダイヤモンド・プリンセス号、というハイソで俗受けしそうな名前の船のことや、マスクの不足、パンデミックをこわごわ待っていた時期のことなどが、形状記憶として保存されたまま何となくかえってくるところが、短歌の長所を生かしたこの本の日録的な連作の強みになっている。あとはやはり季節の変化が時系列で自然にはいってくるところが、熊本県出身の作者の生理的な呼吸に即して感じられるのだ。この夏は作者の故郷では水害もあった。外出自粛の間にもさまざまな事件と出来事は続いて生起しており、帯には「人間はなんと激しい旅を続けていることだろう。」とある。単なる日録にとどまらず、国家社会から宇宙と人類の悠遠のかかわりにまで幅広い思念をめぐらせて歌を構想している構えの大きさのようなものに読者が示唆されるところは多いにちがいない。
八月十八日(火)
犬も笑ふと聞きたりひとり白昼に思ひだし笑ひする犬あらむ
表紙と扉にはアルマジロの絵がみえるが、この歌集には動物の歌がたくさんあって、それをさがして読む楽しみもある。八月十七日の「爆弾池に育つ海老ゐてかすかなる髭振りてゐき髭怒りゐき」もいいなあ。子供の頃に息をつめて見ていた海老の動きを思い出した。
二月二十五日(火)
〈マスクしばらく入荷しません〉しばらくといふ時間のしんと載る棚があり
ほんとうにそうだったなあ、と思い出す。あの感じをことばでつかまえたら、こういうことだった。
四月二十日(月)
ハズレ馬券のやうなるマスク一億枚つめたい花びら散りくる散りくる
国の予算というものがあって、それを受注する会社というのがあって、それを下請けに丸投げしていくうちにどんどん税金が食べられて減っていく仕組みというものが、この何年かでけっこう国民全体の前にあらわになってしまった。マスクもそのひとつ。
四月二十三日(木)
Too Little Too Late,Too Little Too Late 鳥鳴きわたる
「政府の対応が遅い、とにかく遅い。普段無口な夫もしゃべり出し、通りすがりの犬も吠え、とうとうマンホールも愚痴をこぼすようになった。」
こういうイライラから気をそらすために成立した内閣がやっぱり馬脚をあらわした先日の事態ではある。当時は中国要人を迎えたいからだと、巷間もっぱらのうわさだった。
あとは、ここにも出てくるが、本の中に点描される自分と同世代らしい作者の夫の姿が、ほとんどわが事として読めるのが楽しい。こういう現役引退後の夫と妻の何気ないやりとりや、最近失くした母親のこと、それから病気の友や亡くなった友のことなどがうたわれる。それは、さながら読んでいる私自身の人生上の感慨と重なるところがある。そういうきわめて極私的な読み方を誘われる歌集の読み方をよしとしない、というのが私のポリシーではあったが、まあ、読んで退屈しないということにはじまって、これもありだよな、というところから久しぶりに何か書いてみる気にさせてくれたのだから、私としてはまず作者にお礼を申し上げたい。
ダイヤモンド・プリンセス号、というハイソで俗受けしそうな名前の船のことや、マスクの不足、パンデミックをこわごわ待っていた時期のことなどが、形状記憶として保存されたまま何となくかえってくるところが、短歌の長所を生かしたこの本の日録的な連作の強みになっている。あとはやはり季節の変化が時系列で自然にはいってくるところが、熊本県出身の作者の生理的な呼吸に即して感じられるのだ。この夏は作者の故郷では水害もあった。外出自粛の間にもさまざまな事件と出来事は続いて生起しており、帯には「人間はなんと激しい旅を続けていることだろう。」とある。単なる日録にとどまらず、国家社会から宇宙と人類の悠遠のかかわりにまで幅広い思念をめぐらせて歌を構想している構えの大きさのようなものに読者が示唆されるところは多いにちがいない。
八月十八日(火)
犬も笑ふと聞きたりひとり白昼に思ひだし笑ひする犬あらむ
表紙と扉にはアルマジロの絵がみえるが、この歌集には動物の歌がたくさんあって、それをさがして読む楽しみもある。八月十七日の「爆弾池に育つ海老ゐてかすかなる髭振りてゐき髭怒りゐき」もいいなあ。子供の頃に息をつめて見ていた海老の動きを思い出した。
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