水の中にぽとん、ぽとんと大きな石や小さな石を放り込んでいって、そのつど拡がってゆく波紋を見つめているような、そんなふうに心の内側に起きて来る反応を確かめながら読むのがふさわしい作品集だ。顕(た)ち上がって来るイメージの廻(めぐ)りには、沈黙と、明暗の度合を変化させる暗がりがあって、作者はずっとそれを意識している。その暗がりと対話している。そこが、異様にスリリングである。生きることは同時に死ぬことだと喝破した中世の文学者のように、<死>に触れ続ける経験のなかに生の喜びが浮かび上がる瞬間を捉える手腕が、言いようもなくすばらしい。
あらためて言うまでもなく、人は孤独な存在だ。これまで作者は、己の孤心を見つめながら、常に他者に向かって短歌が詩としてはたらきかけるための工夫を凝らして来た。一閃する詩の輝きに賭ける志向・試行の強さにおいて、今度の歌集でも作者は退いていない。と同時に、圧倒的な強さで襲って来る虚無感や徒労感、生の空しさの感覚に浸されながら、それを修辞の技で形象化してみせるほかはない位置(クローズ・トゥー・ザ・エッジ)に立ち抜く受容の姿勢が、黒雲に覆われた空の下に立つ生命の木のような力を一方で感じさせる。
感情の最後の小屋が燃えてるつて(大きな声で言つたか 君は)
傾いていくつてとてもいいことだ小川もやがて緋の激流へ
眼前に肌くらみゆく銀杏居て(可笑しいよなあ)吾も暗みゆく
※「吾」に「あ」と振り仮名。
『神の仕事場』以後、見慣れたとは言いながら、この口語と丸括弧の使い方の技法の切れ味の良さは、やはり尋常ではない。
悲歌である。読んでいると、あとからあとからこちらの感情が動きだしてやまない。詩を読む経験の一回性が、生き生きと血の通った魂の経験としてもたらされる。
掲出歌の一首目は、自分の中にいる見えない他者との対話。三首目は、自問自答。内言を括弧で示し、対話的であると同時に異化効果もはたらかせている。丸括弧を用いたポリフォニーの効果は、作品の意味を一義的に規定しない。そういう生の切片に触れるよろこびをもたらしてくれる言葉が、読み手の中で反響する。それでよい。
あらためて言うまでもなく、人は孤独な存在だ。これまで作者は、己の孤心を見つめながら、常に他者に向かって短歌が詩としてはたらきかけるための工夫を凝らして来た。一閃する詩の輝きに賭ける志向・試行の強さにおいて、今度の歌集でも作者は退いていない。と同時に、圧倒的な強さで襲って来る虚無感や徒労感、生の空しさの感覚に浸されながら、それを修辞の技で形象化してみせるほかはない位置(クローズ・トゥー・ザ・エッジ)に立ち抜く受容の姿勢が、黒雲に覆われた空の下に立つ生命の木のような力を一方で感じさせる。
感情の最後の小屋が燃えてるつて(大きな声で言つたか 君は)
傾いていくつてとてもいいことだ小川もやがて緋の激流へ
眼前に肌くらみゆく銀杏居て(可笑しいよなあ)吾も暗みゆく
※「吾」に「あ」と振り仮名。
『神の仕事場』以後、見慣れたとは言いながら、この口語と丸括弧の使い方の技法の切れ味の良さは、やはり尋常ではない。
悲歌である。読んでいると、あとからあとからこちらの感情が動きだしてやまない。詩を読む経験の一回性が、生き生きと血の通った魂の経験としてもたらされる。
掲出歌の一首目は、自分の中にいる見えない他者との対話。三首目は、自問自答。内言を括弧で示し、対話的であると同時に異化効果もはたらかせている。丸括弧を用いたポリフォニーの効果は、作品の意味を一義的に規定しない。そういう生の切片に触れるよろこびをもたらしてくれる言葉が、読み手の中で反響する。それでよい。
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