最終回文庫◇◇雑然と積み上げた本の山の中から面白そうなものが出てきた時に、それにまつわる話を書いていきます◇◇

※2011年9月以前の旧サイトで掲載した記事では、画像が表示されないものがあります。ご容赦ください。

くまの子ウーフ

2022年09月28日 | 井上洋介

久しぶりの記事です。

本書のお二人の著者とは、一緒に絵本の仕事をしたことはありませんでしたが、いろいろとご厚誼をいただきました。

神沢さんとは、お母様の句集を私家版で出したいというご相談で、和装本を作るのに一緒に目打ちで穴をあけ、糸でかがって作り上げたことがありました。1924年のお生まれですから、今年98歳です。

井上洋介さんは2016年にすでに鬼籍に入られていますが、下町歩きに何度もご一緒させていただき、浅草界隈を主に歩いた思い出がたくさんあります。

 

ここで載せたことがある、おふたりの記事です。

私のコレクション 神沢利子『林檎の木のうた』(私家版 限定44部)

追悼 井上洋介さんとの思い出

追悼 井上洋介さんとの思い出 つづき

 

『くまの子ウーフ』は神沢利子さんのテキストに井上洋介さんが挿絵をつけた創作童話で、刊行からすでに50年以上が経つ、ロングセラー作品です。この本の初版を探していました。

児童書は、状態の良いものがなかなか見つからないものですが、ふと思い立ってネットで探したところ、非常に状態の良い初版が見つかりました。帯も付いていますが、その内容からすると、刊行後しばらくしてから付けられたものと思われます。初版発行時に別の帯が付いていたことも考えられます。

大切にしたいと思います。

 

 

 

 

 

 


展覧会のご案内 奇喜怪快 井上洋介の絵本展 ~会期終了~

2017年08月12日 | 井上洋介


      ~会期、終了しました~
井上洋介さんがこの世を去ったのは2016年の2月のことでした。
このたび、ちひろ美術館において「奇喜怪快 井上洋介の絵本展」が開かれます。
どうぞお運びください。

会期:2017年8月24日(木)~11月5日(日)
開館時間:10:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日:月曜日(祝日は開館、翌平日休館)8月28日は開館
入館料:大人800円/高校生以下無料
関連イベント:[対談「井上洋介を語る」]片山健×土井章史 
 9月24日(日)15:00~16:30 参加費1200円 要申込 8月24日(木)受付開始。




会期初日の閉館後にオープニング・レセプションが開かれるということで、ご招待をいただきました。ぜひ、行かなくては!  






【展覧会のご案内】井上洋介没後1周年 大誕生会 ~会期終了~

2017年03月03日 | 井上洋介


     ~会期は終了しました~




井上洋介さんが亡くなられてから、1年が過ぎました。

3月3日から12日まで、新宿大京町にあるアートコンプレックスセンターで
「井上洋介没後1周年 大誕生会」が開かれています。
6日月曜日は休み。入場料600円が必要です。 













追悼 井上洋介さんとの思い出 つづき

2016年04月29日 | 井上洋介






前記事で紹介したボールペン画と同じ封筒に入っていたので、同時期にプレゼントしていただいたものだと思います。

     
     この作品だけ、けっこうシミが出ているので、もっと前にいただいたものかもしれません。
     サインの中にS60とあるのは、制作年かもしれません。


     


     


     
     

     


     


朝顔市や羽子板市にも連れて行っていただきました。










追悼 井上洋介さんとの思い出

2016年04月28日 | 井上洋介








先日、4月7日に井上洋介さんを偲ぶ会「春の闇を喰べる会」が浅草の「釜めし春」で開かれ、それに参加する前、洋介さんによく連れて行ってもらった「捕鯨船」の前まで行ってみようと、確かこっちだったよなぁ…と思う場所のあたりを歩いても、どうしても見つけられませんでした。



捕鯨船のご主人は「春の闇を喰べる会」に参加されて、洋介さんの思い出を語ってくださいました。

調べてみると、「捕鯨船」は平成12年に浅草六区通りの今の場所に移転したんだそうです。……ということは、移転してからは行っていなかったということになります。……十数年、行っていなかったのかぁ……。


洋介さんといえば、飲まないのに何軒もハシゴして食べていたころの有名な豪傑話は「伝説」のように語られていましたが、私がご一緒させていただいたころからは、お腹がいっぱいで閉口しているのに次のお店に連れていかれたというような記憶はありません……食事後に浅草の甘味処の「梅園」で粟ぜんざいを食べたということはありましたが、そんな程度では「伝説」にもならないですからね。

晩年は、喫茶店「金龍」で待ち合わせて、原稿の受け渡しを終えると、浅草を歩いて食事場所に移動することが多かったです。
締めは喫茶店「ローヤル」でした。そういえば一度、皆が押しとどめようとしたのにホットサンドを注文したのには驚かされたことがあったっけ。(その時は、人数分の注文ではなかったのが幸いでした)「ローヤル」ではコーヒーか、コーヒーゼリーをいただくのが常でした。

記憶が時系列に並ばず、脈絡もない断片的な思い出になりますが……。

向島百花園にも何度か行きました。
……最初に行った時だったか、降りる駅を間違えたことがありました。降りてすぐに気づき、乗ってきた電車は後から来る特急電車の通過待ちでまだ停車中で、また乗れば良いだけだったのに、発車ベルもなっていないうちから「ドアが閉まって挟まれると危ないから」と、次の電車を待った”事件”もありました。

浅草で行ったお店は、「餃子の王さま」、メニューに「チャプスイ」があった洋食「リスボン」、喫茶店「ローヤル」、甘味処の「梅園」、「釜めし春」、天ぷらの「大黒屋」、京成浅草駅近くの……あれはなんていうお店だったか……グルメ地図を頼りに記憶をたどると名前が判明しました。「元祖やきかつ桃タロー」でした。喫茶店「金龍」の隣の中華「金龍」にも一度だけ入ったことがありました。ご自分で下見して、気に入ったお店に編集者を連れていったのでしょう。乙にすましていて気位が高い印象を受けるお店は、お眼鏡にかなわない店として失格だったのだと思います。同じお店に頻繁に行った時期もありましたが、行かなくなるとパッタリということも多かったように思うので、何かお気に召さないことでもあったのかもしれません。

20数年前は、浅草周辺をあちこち歩き回った時期もありました。今戸橋のたもとに今戸焼という焼き物が残っていることを教えてくれたのも洋介さんで、お店を訪ねて行ったことがありました。
会社近くから都電荒川線に乗って、終点の三ノ輪まで行ったことがあったなぁ。三ノ輪に着いた後はどうしたんだったか……。昔の手帳を引っ張り出してみたら、偶然にもその日がいつだったのかが判明しました。1988年3月28日のことでした。28年も前!!
三ノ輪から浅草に出て、「元祖やきかつ桃タロー」に行き、帰宅は終電と書いてありました。

集まった編集者が何人いても、浅草から千葉方面に帰るのは、たいてい洋介さんと私だけでした。都営浅草線から京成線へは、途中で乗り換えが必要でした。洋介さんが下車する駅は特急や急行が止まらないので、各駅停車を待ってということになり……来た電車が混んでいると、「混んでますね、次にしましょうか」となって、何本かに1本しか来ない各駅停車の電車を待つ……という具合で、遅くても10時前には散会しているはずなのが、洋介さんを見送った後、JRと接続する途中駅で乗り換えて、千葉駅から乗る電車は終電になるというのは、この日に限ったことではありませんでした。
話題に事欠いて、星新一の初版本を集めていることなどをこの時におしゃべりしたんだと思います。「もう持っているでしょうけど、古本屋で見つけたから」と、星新一の本を2度もいただいたことがありました。

「ヒルコノウシュウ」という漫画家について熱く語っていた時期もありました。変なペンネームの漫画家だと思っていたら、テレビによく登場するようになった蛭子能収(えびすよしかず)さんのことだと知ったのは、しばらく後でした。なるほど音読みすれば「ヒルコノウシュウ」ですね。

たくさんの思い出がある井上洋介さんですが、洋介さんがボールペンでサラサラと描いてくださった絵が手元にあります。
なぜその時にカラー墨流しで作ったマーブル模様の紙を持っていたのか、まったく記憶がありません。

     



     



同じ時期にいただいた木版画を次記事で紹介します。













「井上洋介油彩展 猫 ねこ ネコ…」 ~会期終了~

2016年04月24日 | 井上洋介





今年2月に画家井上洋介さんが亡くなられました。
4月7日に洋介さんが大好きだった浅草で偲ぶ会「春の闇を喰べる会 4.7」が開かれ、大勢の方が集まりました。


遺作展が開かれていますので、ご案内します。

ART SPACE 繭 (東京都中央区京橋37-10 ℡03-3561-8225)
 会期4月23日~30日(無休)11:00~19:00










どうぞお運びください。

     ~会期は終了しました~



私のコレクション 井上洋介(6) 『木版 東京百画府』

2014年11月23日 | 井上洋介





文庫本サイズの京都書院アーツコレクションの1冊として出版された『木版 東京百画府』は、井上洋介さんからお送りいただきました。この本が出版されたのは1998年1月15日で、京都書院が22億円の負債を抱えて倒産したのは翌年の1999年6月のことでした。


ジャケット。




この本のジャケット袖には100冊のアーツコレクションのラインナップが並んでいます。
井上洋介の「木版東京画府」ゲニウス・ロキの喜怒哀楽 と題した種村季弘さんの解説が載っています。




 ジャケットを取った表紙。




 この本には見返しがないので、本を開くといきなり標題紙で、署名する場所がありません。




 ジャケット袖の裏側に署名がありました。




郵送していただいた封筒に入ったまま保管してあり、封筒の消印は2000年6月27日。





私のコレクション 種村季弘著『晴浴雨浴日記』 谷川俊太郎/川原田徹『かぼちゃごよみ』

2014年11月20日 | 井上洋介





種村季弘さんの著書『晴浴雨浴日記』の装幀は井上洋介さん。



遡ることン十年、編集部に異動して最初の仕事は、前任者からの引継ぎで絵本を形にするものでした。すでに文と絵は依頼済みでしたが、どちらもまだ仕上がってはいませんでした。文は詩人の谷川俊太郎さん、絵は門司港にお住いの川原田徹さんでした。
谷川さんの肉筆原稿がいただけると楽しみにしていたら、谷川さんは早々とワープロを導入なさっていて、プリントアウトしたものがファクスで送られてきたのには、ちょっとガッカリした思いをしました。

テキストと絵が出来あがり、それを絵本の形にしようとした時、1枚の絵を見開きにするとノドにかかる部分の絵がどうしても見えにくくなります。そこで考えたのが合紙製本という製本方式でした。手製本を趣味にしていたので、子どもが描いた絵を1冊の本に製本するような場合、中表に半分に折ったものの裏側同士を糊付けして本に仕立てるというやり方がありました。そうすることで真ん中に折り目は付くものの、ページが全開できるのです。
その製本方式で見積もりを取ってもらい、会社からなんとかOKをもらうことが出来ました。

刊行後、制作課の担当者に、合紙製本は糊入れが手作業で手間がかかることおびただしいので、重版は勘弁してほしいと言われました。それが『かぼちゃごよみ』でした。重版はしましたが2刷どまりで、長いこと「品切れ・重版未定」という状態が続いていました。
昨年4月に復刊ドットコムで再刊され、現在も入手可能です。



『かぼちゃごよみ』が刊行された時に「打ち上げ」を青山のかぼちゃ料理のお店で開いたのですが、谷川さんは戦時中の食糧難の時のかぼちゃの思い出があって、あまりお好きではなかったようでした。

この本が小学館絵画賞を受賞し、1991年11月14日、横浜中華街でお祝いの会を開きました。その時に川原田さんのご友人の種村季弘さんも招待したのです。種村さんとはそれまで面識はありませんでしたが、手元にあった、この『晴浴雨浴日記』にご署名をいただきました。

井上洋介さんには、一緒に下町歩きをした時にご署名をいただき、おふたりの署名が向かい合う形で、イラストもいれていただきました。














私のコレクション 井上洋介(5) 『乙女風景』

2011年10月01日 | 井上洋介





 井上洋介版画集『乙女風景』。版元は村松書館。昭和53年2月10日初版発行。

 箱入り本。


 これは表紙。 


 この本は、すべてにオリジナルのゴム版画が一葉入っています。対向ページにサインをいただきました。


 サインページを大きく。


帯には、こんなふうに書いてあります。
「井上洋介初の画き下ろし連作版画集。収録作品数41点。オリジナル版画1点を口絵として添付
 (3種類のうちの1点、本によって版画は異なる)。井上洋介の世界が版画のなかで圧倒的に展開する。跋文は草森紳一「版画の〈自由〉」


 所蔵は2冊。違う絵柄の版画が入っていました。


 サインは版画挿入ページの折り返し部分にいただきました。



私のコレクション 井上洋介(3) 『井上洋介漫画集ナンセンス展』

2011年09月28日 | 井上洋介





『井上洋介漫画集ナンセンス展』刊行は1966年、思潮社から。45年も前ですから、本文用紙もかなりヤケてしまっています。

 その表紙。




 その目次。




 見返しページに、見開きにわたってサインをいただきました。


 定価900円は、当時としては高めの設定だったようです。