あさしひんぶん。あさししんぶん。あさひひんぶん。
さて、どれが正しいでしょうか。
お気付きの方がいらっしゃるかもしれませんが、
そう、この中に正解はないのです。
この固有名詞は紛らわしいですね。
もっと簡潔にできなかったんでしょうかね。
てなカンジが、最近のメディア。
わざと焦点をぼかして、遠まわしに商売敵をバッシングして、
大切なものを遠ざけて、肝心なことを視聴者や読者に伝えない。
と、Mは見ている。
しかも、Mが想像していたことって、後から「やっぱりね。」ということが多くて、
わかりやすい集団だな……と、呆れるばかり。
だから、テレビも新聞も愛想つかされるのよさ。
現場にいる人は、毎日の繰り返しが当たり前になっちゃって気付かない。
テレビは今流行りのものばかりに固執する。
ただケーハクでミーハーなだけ。
面白くもなんともない。
見ているこっちはクスりとも笑っていないのに、
画面の中からバカ笑いだけが聞こえてくる。
ったく、見ているこっちの身にもなってよ。
しらけるぜ~~。
民放夕方のニュースショーは、見るに耐えない。
これはここで何度も書いているけど、いまだに同じことをしているので、
何度も書くし。
昔、ワイドショーっていったものを、ニュース仕立てにしてるだけ。
だいたい、事件や事故を扱っておいて、
地名も何も言わず、衝撃的な映像を流して「この男性に何があったのでしょう?」と
放り投げてCMを挟むあざといやり方って、なに??
これが一番ウンザリ。
しかも、この手法ってどの局のニュースショーでもやるからビックリ。
視聴者を繋ぎとめておきたいんだろうけど、これってストレス溜まるよ~。
ニュースが知りたくて見ているのに、なんでいきなりクイズ番組になるの?
それでCMに入ると、ものすごぉ~~~いストレス!
Mなんて絶対見ない。チャンネル替えちゃうもん。
と言うカンジで、TVはちっとも視聴者の心理がわかっちゃいない。
だから新聞もきっと同じなんだろうなぁ……と想像する。
Mは、新聞をとってないのでよくわからないから新聞の話はしない。
そして、よくわからないのが歴史。
自分で見たわけでもないのに、人はまるで見てきたように語るのが歴史。
自分が本当に見たものは「こうでした」と言えるけど、
言い伝えられてきたものを、断言するってのは危険じゃね? って思ってた。
私情が挟まれたり、勝手に創作されたりってことが無いわけじゃないと思うから、
Mは学生の頃、歴史の勉強をしなかった。
……ってのは詭弁デあった。 てへっ。
勉強が嫌いなだけのバカ娘だったのよさ。
今考えたら、勉強できる時期にしなかったのは勿体なかったなぁ……と、
後悔先に立たずってヤツだわ。
やらないよりやったほうがいい。
あ、でも、
昔、歴史で習った「当たり前」だったことが、覆されることって多いんで、
年配の人は、学校で習った知識を披露しないほうがいいのかも。
時代によって、なぜか歴史がかわっていたりする。
考えてみたらすごいことよね。
歴史って過去の事柄、もうオワッタはずの事柄が変わるなんてさ。
まぁ、それはそれとして……
まだ「歴史」になるほど遠くなっていないことでさえ、
思い込みやら何やらで、方向性を間違えた朝日新聞。
やらかしちゃったね。
てか、Mが思っていたことを図らずも証明しちゃったってことさ。
メディアなんてマルっと信じちゃいけない。
なんちゃらの自由ってよく言うけど、特にテレビやラジオなんかは、
国の許可がないと放送さえできないんだから、そんな自由があるかどうかさえ
アヤシイものだ。
Mはテレビっこ。……いや、テレビおばさんだからテレビはよく見る。
でも、面白いから見ているわけじゃない。
面白いことやってないかな? と探してザッピングするけれど、
なんだかなぁ……っていう番組ばかり。
毎度のことだけど、
そんな視聴者の本意などおかまいなしで、
朝日新聞以外のメディアは、更にオレ様状態でやっていくんだろうね。
ま、喉元過ぎればナンチャラってカンジで、朝日もどうなることやら。
Mは前から言ってるけど、
その中にいる限り実態は見えないし、言えない。
しがみついちゃダメ。