“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

イラク戦争からのアメリカ撤退

2011年12月17日 15時00分00秒 | 臼蔵の呟き
2003年に開始されたイラク戦争がアメリカ軍の撤退で収束することになりました。2003年に戦争を開始し、2011年まで8年間の戦争です。開始した大統領はブッシュ、収束はオバマ大統領でした。この間にイラク人10万人超、アメリカ軍死者数4484人とのことです。こんな犠牲を払う必要があったのでしょうか?この8年間でアメリカは財政赤字、貿易収支赤字が続き、かつてのアメリカの1人勝ちはなくなりました。そして、アメリカは世界のどの国よりも嫌われています。これほど嫌われている国もないと思います。
イラク戦争を開始したブッシュ、小泉、ブレア政権はすべて交代、批判されて退陣しました。
2004年に山口二郎教授がイラク戦争開始とブッシュ政権を批判して書いた論文です。なかなか面白い指摘です。

<北海道大学 山口二郎教授の指摘>

まもなくアメリカによるイラク攻撃が始まっているかもしれない。株式市場はすでに戦争を懸念して、バブル崩壊以後の最安値をつけている。不安定な世界経済にとっては、イラクの大量破壊兵器よりも、遮二無二戦争を推し進めるブッシュ政権のほうが大きなリスクとなっている。そして、そのブッシュを支持する小泉政権も、日本の危機をわきまえていない。戦争が巨大なケインズ主義的有効需要創出策だったのは昔の話である。今イラクを攻撃すれば、石油の値上がりやテロの危険性の増加に伴う萎縮効果によって、世界経済はますます疲弊するに違いない。

 以前に本欄で書いたことでもあるが、英語における「民権的なるもの(civil)」の反対概念は、軍事的なもの(military)である。その理由は、古来戦争と重税は切っても切れない関係にあり、戦争が起これば国家権力が民の力をすべて動員し、民が官権に従属させられるからだと解釈できる。したがって、文民統制(civilian control)とは、民の代表が軍事力の行使について決定権を持つという原理を意味する。市民は軍事問題に関して素人であっても、市民がその常識に基づいて軍事問題を判断する体制を保持しておかなければ、軍事の専門家である職業軍人は往々にして暴走するという歴史的経験を踏まえて、この原理は確立された。

世論による政治とは何か

 ところが、今の世界では民を代表して軍を統制すべき文民政治家が、軍の指導者よりも軽率で無謀だという逆説が見られる。アメリカでは、パウエル、シュワルツコフなど湾岸戦争を実際に戦った軍の指導者がイラク攻撃について慎重であり、ブッシュ大統領やネオコンサーバティブと呼ばれる理論家が戦争に積極的である。国務長官を務めるパウエルの苦衷は、テレビを通しても伝わってくる。そして、日本でも映像を通してしか戦争を見ない安全地帯の政治家が戦争協力に熱心である。本来民主政治における政治家は、国民の感じる当然の疑問や常識を政策決定に反映させるところにその役割がある。しかし、ブッシュ大統領や小泉首相は、国民の常識を省みず、軍事専門家の猿真似をすることで自分が立派な指導者になったような錯覚に陥っている。今政治家に必要なものは、局地的な軍事知識や向こう見ずの血気ではなく、判断力と常識である。その際、政治家が依拠すべき国民の常識が世論である。

 小泉首相は国会答弁で、「世論に従って政治をすれば間違うこともある。それは歴史の事実が証明している」と述べた。これは、世論の子、小泉首相にとって致命的発言である。歴史上、世論が間違ったのは、かつての日本による中国大陸への侵略の時のように、国民が威勢のよい政治家や軍人にあおられて、前後の見境もなく対外強攻策に熱狂したときである。最近の例で言えば、拉致事件に激昂して、北朝鮮とはいかなる交渉にも応じるべきではないという強硬論が国民の支持を得たときなどがこれに当たる。小泉首相は、世論から距離を置いて冷静に国益を考えるべき時には、国民感情に棹さして強硬論の側に立ち、国民の声に耳を傾けるべき時には、国民感情に背を向けて戦争協力を進めようとしている。どちらの事例でもその根底に共通しているのは、小泉首相の判断力の欠如であり、思考停止状態である。

 発足から満二年を迎え、小泉政権と世論の関係も変化している。世論が小泉政権に大きな期待を寄せたことには理由があった。日本の政策形成を担ってきた官僚制が様々な面で失敗や破綻を来しており、大胆な政策転換をしなければ日本が沈没してしまうという危機感が国民に共有されている。罪は官僚にあるだけではない。長年与党の座にあった自民党も、官僚を使って個別的な利益誘導を行うことには長じているが、政策を転換することは不得手である。政治家も官僚も、このまま進めば氷山にぶつかることが分かっていても、舵を切ることができない状態のまま過去十年あまりを過ごしてきた。そのことに対する危機感が変人ともいわれた小泉首相への支持となって集まったのである。

 小泉首相の使命は、世論の望むことに全力を傾注することだったはずである。外務省の腐敗、公共事業をめぐるあっせん・口利き政治の横行など正すべき課題は単純、明瞭であった。しかし、いつしか小泉首相は世論を聞くことよりも、世論を操作し、自らの政権の延命を図ることに大きな関心を持つようになった。


抗議する人々

2011年12月17日 11時00分00秒 | 臼蔵の呟き
抗議する人々
この間、世界ではニューヨークの格差社会是正を求める座り込み集会、中東のアラブの春などが政治的に注目されています。中東ではエジプト、チェニジア、リビアで独裁政権が崩壊しました。中東での民主化、政治変革に大きな役割を発揮しました。アメリカでは抗議する人々がオバマ政権、次期大統領選挙に影響を与えるところまで拡大してきています。EUではギリシャ国債のデフォルト問題に端を発して、ギリシャ、イタリア、スペインなどで抗議活動が広がっています。日本は3.11震災以降で生活スタイル、考え方に大きな変化が生まれました。日本では放射能汚染で福島、東北地方の人々、首都圏の若い主婦層が抗議行動に立ち上がっています。日本においても徐々にですが、格差社会の拡大(非正規労働者の比率が40%)、貧困問題の本質、原子力発電所の安全神話のうそが分かり始めて、抗議行動に立ち上がる人々が増えています。


先進国といわれるアメリカ、EU、日本での政治経済への抗議活動は、これらの国がとってきた政治経済政策、方針が矛盾を引き起こし、解決できない行き詰まりを見せているのだと思います。また、中東における政治変革は先進国の経済支援、軍事支援を「てこ」にした政治の仕組みがつき詰まり、民衆の抗議行動で独裁政権が崩壊しているのだと思います。これらの動きは歓迎すべきものと思います。現在の先進国政治経済の矛盾を改善する方向性、仕組みをその抗議活動、混沌が生み出す契機となるからだと思います。また、その契機にしなくてはならないのだと思います。


日本の大手企業は国際競争力強化の名の下に、海外進出、円高対策、大手企業同士の合併、軍事物資の輸出自由化、法人税率の引き下げと消費税率の引き上げ、TPP交渉への参加などを求めています。日本には260万社の企業があるそうです。その7割が収支において赤字だそうです。そして、その多くは中小、零細企業です。

ところが国際競争力を叫ぶ大手企業はその上位100社あまりです。トヨタ、ホンダ、日産、パナソニック、ソニー、シャープ、キャノン、新日鉄、東芝、日立、三菱電機、三菱重工、商社(三井、三菱、住友、伊藤忠)などなどです。その大手企業、多国籍企業分を資金面で支える三菱、住友、みずほ銀行などの金融機関です。これらの100社あまりの大手企業経営者、グループが経済団体を通じて、政治を動かしています。特に、小泉構造改革以降の政権政党、政権と官僚、大手企業グループの癒着がひどくなっています。彼らの収益は海外からもたらせる比率が大きくなるにつれて、日本国内、地域社会の問題とは無関係な行動、政策提案を強めています。理由は、大手企業の売り上げ、利益確保が国内消費、国内需要に左右されないからです。したがって、自由貿易、際限のない輸出に傾斜しています。しかし、民主党政権は野田政権になり大手企業、多国籍企業の主張を丸呑みして、政策提起を行い始めています。世界の政治経済が行き詰まり、その打開策を模索している状況変化がまったく理解できない。2011年の特徴は矛盾が激化し、行き詰まりを見せることが明らかな政治経済政策を再検討すべきと警告を鳴らしているのだと思います。

漁師達は知事災害に負けない

2011年12月17日 06時00分23秒 | 蜂助の呟き
 こんにちは。蜂助です。今日は、宮城県南三陸町の牡蠣の話です。

 

 南三陸町志津川の海です。よく見ると、養殖のウキが点々と見ることが出来ます。



 ここの漁師さんたちに船に乗せていただき牡蠣の育ち具合を見に行きました。



 こんなに育っています。これは、今年6月に種付けしたもので、みごとな大きさになっています。これなら広島に牡蠣と同じような大きさです。

 すでに出荷できる状態になっています。しかし、牡蠣の処理場が津波で被災してしまったため出荷ができません。処理場を作り始めたのですが、土地が80cm位沈下しているために、かさ上げが必要です。ところが、かさ上げの土砂が無いのです。

 結局3月上旬にならないと処理場は完成しない見込みです。

 宮城県知事のひどい仕打ち、知事災害第一弾の水産復興特区構想、第二弾の被災した漁港を捨てる政策に負けずに、漁師さんたちは未来に向けて進んでいます。