検証・大震災:トモダチ作戦③
米のアジア太平洋戦略、鮮明 ◆総力投入
◇「強圧的な組織」 日本の戸惑い
米軍は原発の異常事態が始まった3月11日夜には米エネルギー省の専門家が米ネバダ州ラスベガスを、放射線量測定器を携えて出発し、横田基地へと向かった。測定器は上空から地上の放射線量を測定することができる。しかし、在日米軍には放射線被ばくを想定したリスク管理の厳格なガイドラインは存在しなかった。フィールド司令官は放射性物質が人間や自然にどんな影響を与えるかについてほとんど知識がなかった。
「ここには輸送機もヘリもある。おそらく放射性物質がある未踏の場所へと飛んでもらうことになる。だれがやる?」。専門家らが基地到着後、フィールド司令官は基地のパイロットらにこう聞いた。あくまで志願制をとるしかなかったが、全員が「やります」と返事した。上空からの測定作業は14日に始まった。
米軍は生活支援に配慮を行った。
<ここには何人いますか?>
<必要なものはどんなものですか?>
米軍は孤立した地域にヘリで降り立って、事前に準備していた、日本語で書かれた質問票を見せる。回答を持ち帰り、大急ぎで英訳して、その地域で必要な物資を配る。ニーズを的確に把握し、その変化に即応できる態勢が整へていた。
米軍は、現場の指揮官に多くの日本勤務経験者を派遣、「日本のルール」に従う姿勢を通した。3日目以降は支援物資の搬送も頻繁になった。通常、米軍はヘリで上空から物資を投下し帰還する。しかし、東日本大震災では時間をかけて着陸し物資を手渡した。緊急食として出した「戦闘糧食(レーション)」の食べ方が分からないという被災者の声を聞いて、急きょ日本語の説明書を作成した。
海軍大将のウォルシュ司令官はフィールド司令官より格上で、米政府の総力を挙げた支援の意思を示すことになる。ウォルシュ司令官は3月下旬から約3週間にわたり、トモダチ作戦の指揮をとった。
米のアジア太平洋戦略、鮮明 ◆総力投入
◇「強圧的な組織」 日本の戸惑い
米軍は原発の異常事態が始まった3月11日夜には米エネルギー省の専門家が米ネバダ州ラスベガスを、放射線量測定器を携えて出発し、横田基地へと向かった。測定器は上空から地上の放射線量を測定することができる。しかし、在日米軍には放射線被ばくを想定したリスク管理の厳格なガイドラインは存在しなかった。フィールド司令官は放射性物質が人間や自然にどんな影響を与えるかについてほとんど知識がなかった。
「ここには輸送機もヘリもある。おそらく放射性物質がある未踏の場所へと飛んでもらうことになる。だれがやる?」。専門家らが基地到着後、フィールド司令官は基地のパイロットらにこう聞いた。あくまで志願制をとるしかなかったが、全員が「やります」と返事した。上空からの測定作業は14日に始まった。
米軍は生活支援に配慮を行った。
<ここには何人いますか?>
<必要なものはどんなものですか?>
米軍は孤立した地域にヘリで降り立って、事前に準備していた、日本語で書かれた質問票を見せる。回答を持ち帰り、大急ぎで英訳して、その地域で必要な物資を配る。ニーズを的確に把握し、その変化に即応できる態勢が整へていた。
米軍は、現場の指揮官に多くの日本勤務経験者を派遣、「日本のルール」に従う姿勢を通した。3日目以降は支援物資の搬送も頻繁になった。通常、米軍はヘリで上空から物資を投下し帰還する。しかし、東日本大震災では時間をかけて着陸し物資を手渡した。緊急食として出した「戦闘糧食(レーション)」の食べ方が分からないという被災者の声を聞いて、急きょ日本語の説明書を作成した。
海軍大将のウォルシュ司令官はフィールド司令官より格上で、米政府の総力を挙げた支援の意思を示すことになる。ウォルシュ司令官は3月下旬から約3週間にわたり、トモダチ作戦の指揮をとった。