「原発事故を哲学的に、人類学的に考え、理解することこそ必要。フクシマで何が起きているのか、日本の人々がどう考えているのかを聞きたい」
東日本大震災後5年が過ぎ、鹿児島川内原発を稼働させ、福井県の関西電力原発が再稼働、裁判所の仮処分で稼働停止、―――福島第一原発事故の風化を狙うという点では日本政府、安倍、山口自公政権もまったく同じです。電力会社、原子力産業、御用学者がそろって福島原発事故の風化と、原発の再稼働は必要だとの主張、宣伝を行っています。電力が不足していない。国民と大半の企業は節電をすることを受け入れ、日常的に大規模停電を起こさないように社会的な合意が形成されています。それでも、原子力発電にしがみつく。その理由は、国民、地域の安全性、安心よりも電力会社、原子力産業の利益を最優先する経済論理にしがみついているからです。そして、2つ目には安倍、自民党中枢の核開発、核兵器製造能力を保持していたい。この2つが原子力発電所再稼働、廃炉否定の最大理由です。
この原発依存、核製造への願望を断ち切るためには、安倍、山口自公政権を打倒する以外に道はありません。彼らが理由とする2つの理由は、どちらも国民と圧倒的多くの普通の企業にとっては不必要、価値がありません。それどころか有害です。
エネルギー確保、発電のためであれば、再生可能エネルギーのほうがより大きな量確保ができることは誰でも知っていることです。安倍、自民党中枢も知っています。しかし、やる気がないだけです。原子力発電所の危険性、使用済み核燃料保管の困難さ、危険性を考えれば、まともな政治家であれば、発電のために原子力に頼るなどは狂っているとしか言えません。
<東京新聞>ベラルーシのノーベル賞作家が警告「科学技術進んでも原発事故は起き得る」
旧ソ連ウクライナ共和国で起きたチェルノブイリ原発事故から二十六日で三十年。最大の被害を受けた隣国ベラルーシ共和国の作家で、昨年ノーベル文学賞を受賞したスベトラーナ・アレクシエービッチさん(67)が共同通信のインタビューに応じ、「科学技術が進んでも原発事故はまた起こり得る」と、福島第一原発事故を念頭に警告した。
チェルノブイリ事故で被害に遭った人々の証言を集めたノンフィクション作品などで知られるアレクシエービッチさんは、ベラルーシの首都ミンスクの自宅で「原発事故とは何か。三十年たってもその本質を理解している人はいない。私たちは今もこの問題の蚊帳の外にいる」と述べた。
ベラルーシは事故で放出された放射性物質の約六割が降下したとされ、約二十万平方キロの国土の13%が今も汚染されている。汚染地域には人口の一割超の約百十万人が住んでいる。「政権はチェルノブイリという言葉を使うのを事実上禁止している。事故を克服するのではなく、風化させて無かったことにしようとしている」
一方で「私の本は、国内で出版できないが、ロシアから持ち込まれ少しずつでも読まれている。この流れは止めることはできない」とも。
同じ原子力災害の第一原発事故に思いをはせる時、忘れられない言葉が頭をよぎる。
二〇〇三年に講演で日本を訪れた時のことだ。日本の原発関係者から「チェルノブイリ事故は旧ソ連の人が怠惰だったから起きた。技術大国の日本ではあり得ない」と言われた。その八年後に第一原発事故が起きた。
「二つの事故で分かったのは科学技術が進んでいても、真摯(しんし)な態度で管理していても原発事故は起こり得るということ。むしろ技術が進むほど、大きな事故につながるのではないか。人間が自然に勝つことはできないのだから」
原発事故の被災国であるベラルーシでは今、初めての原発建設が進んでいる。建設中の二基のうち1号機は2018年に完成、稼働する計画だ。
国民は反対しないのか、と尋ねると「反原発運動も環境保護運動も禁止されていて、大統領の独断に国民は反対できない。それに、経済的に困窮した国民は原発問題よりも、明日の仕事のことを心配している」との答えが返ってきた。
第一原発事故に強い関心を持ち、年内にも福島を訪れたい、という。
「三十年たっても、私たちが原発事故について理解しているのは、薬や治療が必要だということだけ。原発事故を哲学的に、人類学的に考え、理解することこそ必要。フクシマで何が起きているのか、日本の人々がどう考えているのかを聞きたい」と話した。
<スベトラーナ・アレクシエービッチさん> 1948年5月、旧ソ連ウクライナ共和国生まれ。父はベラルーシ人、母はウクライナ人。ジャーナリスト、作家として活動し、多数の市民から聞き取った話を一人称の独白形式で表現する手法が特徴。邦訳された「チェルノブイリの祈り」は86年のチェルノブイリ原発事故の処理に当たった人や地元住民らの証言を記録。2015年、ノーベル文学賞受賞。