自然災害であり、こうすればうまくゆくというような災害対策はあまりないように思います。しまし、阪神大震災、新潟中越地震、東日本大震災などがこの20数年の間に連続して発生しました。日本は、地震災害が必ず起きることを前提した政治が必要です。防災減災・災害対策、地震研究などに国費を投入し、減災、防災に少しでも役立つ政治を行うことができているのかは検証されなければなりません。
災害時の避難場所が、いつも学校などでよいのか。そのために小中高校などの学生が教育を受けられなくなることを当然視してよいのか。考えなければなりません。
耐震性の高い公共施設と、災害時の拠点対策――トイレ、水、ガス、電気、入浴施設などが災害時でも使用できる拠点を作る。そして、その施設が一定の避難者を受け入れることができる。各自治体がそのような拠点を準備することも検討すべきと思います。
また、どこでどのような地震と被害が発生しても、最小化させる。その事前対策も必要です。その意味で原発が、活断層上にあるなどは政治的には怠慢そのものであると言えます。また、川内、伊方原発などは稼働停止、再稼働をさせないことなどは最低限度の政治の果たすべき責任です。
<信濃毎日社説>熊本地震 政府のなすべきことは
大きな災害の際、政府には何が求められるか。熊本地震は、国と地方の役割分担も考えさせる。「できることは全てやる」という安倍晋三首相の方針の下、政府は矢継ぎ早に対策を打ち出している。
震度7の地震が起きた14日に非常災害対策本部の会合を開き、15日には内閣府副大臣をトップとする現地対策本部を設けた。
16日に阪神大震災と同規模のマグニチュード(M)7・3の本震が起きると、非常食90万食や子ども用紙おむつなどを被災地に届けると表明した。自治体からの要請を待たずに政府が物資を輸送したのは今回が初めてだ。「プッシュ型支援」と呼ばれる。
政府が迅速に対処するのは当然である。問題は、被災した自治体や住民の要望に沿った対応がどこまでできているかだ。疑問や違和感が少なくない。プッシュ型支援には「どこに何が届くのか分からない」と地元に困惑もあった。政権の危機管理能力をアピールしようと、前のめりになってはいないか。
現地対策本部設置から1週間もたたないうちに本部長が交代したことにも首をかしげる。政府と県が対応を話し合うためのテレビ会議で自分たちへの食事の差し入れを求め、批判されていた。政府は更迭ではないとする。体力的な問題などが理由で、今後も定期的に交代させると説明している。現地本部のトップがころころ変わるのだとしたら、県との連携が心配になる。
災害の現場や被災者の状況に応じ、きめ細かく対処するためには地元の市町村が主体となり、小回りを利かせる必要がある。
現地からの情報を基に人員や予算の面で市町村を適切に支えることこそ、国や県の役目だろう。政府の対応は上からのトップダウンではなく、下からのボトムアップを基本にすべきだ。
首相は災地の視察をする。熊本県益城町などが中心になるとみられる。当初、16日に計画し、本震で中止した経緯がある。地震活動が続く中、受け入れる側に負担をかけないか。政治的なパフォーマンス以上の意味があるとは思えない。
もう一つ、指摘しておかなければならないことがある。米軍の輸送機オスプレイによる支援の受け入れだ。必要があったのか、国民の抵抗感を薄めるため災害時に役立つと印象付けたかったのではないか。受け入れた経緯を含め、詳しい説明を政府に求める。