春風駘蕩

いつの時代でもこうありたい

ゴッホ展を観る

2005年05月12日 | 日記
勤務時間が終わった午後5時過ぎ、東京・北の丸公園の東京国立近代美術館で開かれている「ゴッホ展」を観に行った。
永田町からタクシーに乗ったら運転手が「会場前は毎日、入場者の列が道路まであふれていますよ」という。混んでいたら
日を改めようと思いつつ現地に向かったが、会場前の混雑はそれほどでもなかった。

ゴッホは1853年オランダ南部のズンデルトに生まれた。祖父も父も牧師で彼も牧師を目指すが、その道は開けず、27歳の
とき画家になることを決意。オランダ国内を移り住みながら、貧しくても強く生きる人々の姿を描いた。やがてパリに移り、
ゴーギャン、シニャック、ベルナールなど、印象派に続く若い世代の画家たちと交流、また、この時期、浮世絵とも出会い、
日本への関心を深めていく。

1888年、「日本の浮世絵にあるような明るい光」を求めて南仏の町アルルに向かう。ここで芸術家の共同体づくりの拠点
となる「黄色い家」を借り、精力的に制作に取り組む。ゴーギャンとの破局、耳切り事件などあったが、
「夜のカフェテラス」(1888年)を頂点とする200点にものぼる作品群をここで生み出した。

芸術家の共同体づくりに敗れたゴッホは、精神状態を悪化させ、自らの意志でサン=レミ郊外の療養院に入院。ここで
ドラクロワやミレーの白黒の複製版画を自分の解釈で独自の色彩に置き換える模写を行っている。しかし、度重なる発作は
彼を容赦なく苦しめる。「糸杉と星の見える道」(1890年)は、こうした時期の作品である。

1890年、ゴッホは南仏を離れ、ドービニーやセザンヌが住んだことのあるパリ近郊オーヴェール=シュル=オワーズに移る。
ここで、自然と宗教とが葛藤するかのような風景を描きながら、自らの胸を撃ち、2日後に息を引き取った。享年37歳という
短い人生だった。

アルル時代のゴッホ最盛期の作品「夜のカフェテラス」の原画(1888、アルル、80.7×65.3㎝)を観ることが出来たのが
うれしい。