団地夫婦の日々

常盤平団地夫婦の54年、団地内で気付いた事を時々に、妻の料理、私の買い物等

戸山が原へ 1

2016-09-03 17:34:55 | 日記
間もなく私も82歳になる、生まれたのは上野下谷神社の向かって左隣、此の辺りだけ戦災でも焼け残って20年も前に懐かしくて行ってみたら、未だ家は残っていて誰かが住んでいる、それとなく近所で訊いてみたが、私が三才頃の事、父は一人で町工場、母が家の脇でせんべいを焼いていた事など、流石に誰も当時を知る人はいなかった。私が確か4歳の時、二つ上の兄(現在同所に在住83歳)と三つ下の弟を背中にして母が上野からタクシー(昔は円タク)で戸塚3丁目(現在新宿区高田馬場4丁目)に引っ越してきたらしい(記憶が定かで無いのはその後も母は私達を連れて買い物だろうが上野の松坂屋百貨店へ円タクを利用してたので、引っ越しの円タクが特定出来ないのだ、只、今でも覚えているのは、お昼に松坂屋の大食堂でホットケーキ(2枚重なっていて大きいのだ、子供の口だから大きく感じたのかも)が食べられたので、今でもホットケーキは大好物である。
戸山が原は戸塚3丁目の家から500m程歩いた場所に在る。そこは私達が幼年、少年時代を思い切り遊んだ場所である。バスの停留所が在った大通りは商店が軒並み並んでいて(勿論今の飲食店が並んでいるのとは違うが)賑やかだったが、一歩横町に入ると、それでも、米屋、染物屋(落合を流れる神田川沿いの為か)呉服屋、風呂屋(銭湯)床屋(理容店)そして我が家は外様の機械や(町工場)その間にしもた屋(普通の家、大家サンも在った、この辺りの地主さんで中村姓の家が多かった)車は滅多に入って来ない、この路地は子供が沢山いて、カクレンボ、石蹴り、鬼ごっこ、男の子はベーゴマ、ビー玉遊びが流行ったり、自分だけの宝物はシンショウと言ったっけ、沢山いるから遊ぶことに飽きることも無かったようだ。そう何時勉強したんだろう、全く覚えていない・・・
戸山が原の事は、この方がブログで詳しく書いて居られるのでブログは全くの素人?の私がご紹介させていただくのも気が引けるのだが・・
落合道人・ochiai-Dojin さんのブログをクリックして下さい。
此の年で、最近は物覚えが悪くブログを書くことで、僅かにボケを免れているらしい私、此れからボツボツ戸山が原で私達が如何に遊んだか、思い出しながら書いていこうと思っています。