団地夫婦の日々

常盤平団地夫婦の54年、団地内で気付いた事を時々に、妻の料理、私の買い物等

戸山が原へ2 交番

2016-09-04 14:11:47 | 日記
戸山が原へ遊びに行こうとしたら、「そうだ、原っぱの手前に交番が在ったな・・」原の入り口(と言っても幾つも入り口らしき物、門とかでなく、木の柵が両脇に立ってる、原っぱのなかは勿論草っぱらで土の儘だから扉らしき物も無かった気がする・・交番とは駅の近くとか、繁華街の角とかが一般的なお巡りさんの立ち位置だが、戦前から在るこの小さな交番は戦後も在ったし今も有るのではないかと、きっと戸山が原が戦前は軍の訓練所在地、又奥には軍の怪しげな研究所も在ったようだから、その意味交番が原っぱの番人みたいな存在で有ったのかも知れない。でも線路わきにも、確か大久保寄りの出入り口、小滝橋の出入口にも無かったから、或いはここが戸山が原の正面口だったのかも・・
この交番には、苦い思い出が有る、戦後早稲田高校卒業後一年浪人中、新大久保の父の知り合いの立野精工と言う会社にアルバイトで働きに、その後早稲田大学の夜間部(当時は第二商学部が有った)へ四年間通ってたのだが、父が買って呉れた自転車は自転車屋さんがアチコチ部品を掻き集めてくれて作った、或いは唯一当時私だけの自転車で戸塚の家から毎朝大久保まで戸山が原を突っ切って通っていた或る朝の事・・
偶々雨が降っていたので、傘をさして何時もの通り大久保の工場へ行く途中、交番の所で、いきなり若い(当時は私より年上の筈)お巡りさんに「お待ちなさい?或いはストップ?」・・エッ何でなのである、お巡りさん「傘さして自転車に乗るのは違反だよ、片手運転になるから」当時は私には違反行為の認識は無かった・・「じゃ~どうして蕎麦屋さんが蕎麦を肩に担いで出前をしてるのは違反じゃないのですか?」お巡りむっとして(きっと)「アレはちゃんと届けてあるんだ」「ふーん?・・」会社に遅れては困る、渋々名前と住所を書かされて、雨の中傘も差さずに、猛スピードでその場を離れ去ったのである。それきり名前と住所を書いてきたから、もう此の一件終わりと思っていたら、暫らくして戸塚の家へ当の巡査が来たらしい、私の態度が悪かったらしく(確かに生意気であった)この件で巡査の話を聞いて兄(兄は尊敬してる私より頭は良いし、五人兄弟の長男だから)にきつく絞られた覚えが有る、兄曰く「巡査の話では前科一犯に値する、でも今回は始末書で穏便に済ます」だと・・「なんと大袈裟な」と思いながら、その時生まれて初めて始末書なるものを書いた私で有った。でも当時も今も、私は蕎麦屋の店員が蕎麦を担いでカッコよく走っているのが、ホントに許可制なのかと未だに疑問に思っているのである。その後四年間その交番前を傘さして通った記憶は無い。

戸山が原の事は、落合道人Ochiai-Dojinさんのブログで戸山が原と検索して下さるようお願いします

常盤平団地の51年106 終わり物?、初物、旬物、

2016-09-04 12:15:36 | 日記
三日いつもの床屋へ直行、整髪中二度鏡を私の後ろに翳して「如何でしょう?」折り畳みの四角い鏡は後頭部を私にモロにさらけ出す、何だか月毎に薄くなる頭髪、特に後頭部は私にとって鬼門である、何故なら毎朝家の鏡を見て、髪の毛は前だけ未だ頭皮が見えない程度に残っているから、8、2に分けても「ウン大丈夫」と自己満足してる。頭髪は前髪が後退してお凸が広くなるのが普通と信じtて止まない私だけに、毎月折り畳み四角の鏡に、ガッカリする自分です、同じくベランダ朝顔が終焉を迎えつつある(今年は特に早く葉っぱが枯れてきた)
変わって秋刀魚(変換したら矢張り秋である)西友にノンアルコール500ml缶買い行ったら氷の入った大きな容器に銀色に光る魚体、一匹127円(税別)サイズもまあまあと見て、早速ビニールの袋に一匹二匹三匹、今夜は秋刀魚と、自分で決めて買い求めた、勿論梅ッシュも。帰って妻にそっと叱られた、「月曜日まで生ごみ出せないのよ、お父さん・・」新物秋刀魚に飛びついた私、チョッと怯んだが冷蔵庫に保管前に写真をとウロウロしてたら、「ハイ、これに載せたら?」と笊一枚、夕食は私が2匹、妻一匹(私は残る一匹半身づつと考えて買って来た心算だったが)のノンアルコールウメッシュ(アルコール駄目な妻もこれだけは少々付き合える)で初物を戴いた次第、
今朝の豊水梨「梨の皮に疲労回復の効果が有るそうよ」何処から仕入れた効能か知らぬが、如何にも尤もらしいので信じて戴くとする「ウン皮も結構いけるね~」鎌ヶ谷の梨は大きいから旨い、火曜日から4日間取引先に大きい2個入り香り梨を配る予定、又ウイングロード車内が梨の香りで充満する当社秋の行事の始まり終わりである。




常盤平団地の51年106 老ウイングロード日立出張

2016-09-04 11:24:25 | 日記
月末青龍休業続く2日間、台風が北海道上陸予想のニュースの頃、日立の海岸へ、日立駅から海よりの出口で海岸へ降りていく、この辺り未だ津波の影響の見られる海岸は景勝地でもなんでもない、バイパスが太平洋一望の海岸線を走る日立市民の生活道路でもある。急な坂道と階段を下ると台風の影響か海は荒れていた。何時もは釣り人の姿も見られる夕方だけど今夕は人影も無し、寄せ来る荒波を太いコンクリート柱が支えているように見えた。北海道は大丈夫だろうか迷走台風が今度は直撃するとは、又年寄り、運転中の若者が被害者になるとは・・31日のの歩行数9038歩、坂道がきつい分一万歩越と自分で解釈、足腰弱り目の私であったから今日は効いたようだ。
先月末のバイパス夕景、逞しいコンクリート柱、レストラン日多地に置いて有った団扇の日立の社歌、敢えて批評せず、と私の好きなオムライス、でも量が並みでは無い、生ビール呑んだら、お腹いっぱいでプラスマイナス一万歩が帳消しに・・・