戸山が原へ遊びに行こうとしたら、「そうだ、原っぱの手前に交番が在ったな・・」原の入り口(と言っても幾つも入り口らしき物、門とかでなく、木の柵が両脇に立ってる、原っぱのなかは勿論草っぱらで土の儘だから扉らしき物も無かった気がする・・交番とは駅の近くとか、繁華街の角とかが一般的なお巡りさんの立ち位置だが、戦前から在るこの小さな交番は戦後も在ったし今も有るのではないかと、きっと戸山が原が戦前は軍の訓練所在地、又奥には軍の怪しげな研究所も在ったようだから、その意味交番が原っぱの番人みたいな存在で有ったのかも知れない。でも線路わきにも、確か大久保寄りの出入り口、小滝橋の出入口にも無かったから、或いはここが戸山が原の正面口だったのかも・・
この交番には、苦い思い出が有る、戦後早稲田高校卒業後一年浪人中、新大久保の父の知り合いの立野精工と言う会社にアルバイトで働きに、その後早稲田大学の夜間部(当時は第二商学部が有った)へ四年間通ってたのだが、父が買って呉れた自転車は自転車屋さんがアチコチ部品を掻き集めてくれて作った、或いは唯一当時私だけの自転車で戸塚の家から毎朝大久保まで戸山が原を突っ切って通っていた或る朝の事・・
偶々雨が降っていたので、傘をさして何時もの通り大久保の工場へ行く途中、交番の所で、いきなり若い(当時は私より年上の筈)お巡りさんに「お待ちなさい?或いはストップ?」・・エッ何でなのである、お巡りさん「傘さして自転車に乗るのは違反だよ、片手運転になるから」当時は私には違反行為の認識は無かった・・「じゃ~どうして蕎麦屋さんが蕎麦を肩に担いで出前をしてるのは違反じゃないのですか?」お巡りむっとして(きっと)「アレはちゃんと届けてあるんだ」「ふーん?・・」会社に遅れては困る、渋々名前と住所を書かされて、雨の中傘も差さずに、猛スピードでその場を離れ去ったのである。それきり名前と住所を書いてきたから、もう此の一件終わりと思っていたら、暫らくして戸塚の家へ当の巡査が来たらしい、私の態度が悪かったらしく(確かに生意気であった)この件で巡査の話を聞いて兄(兄は尊敬してる私より頭は良いし、五人兄弟の長男だから)にきつく絞られた覚えが有る、兄曰く「巡査の話では前科一犯に値する、でも今回は始末書で穏便に済ます」だと・・「なんと大袈裟な」と思いながら、その時生まれて初めて始末書なるものを書いた私で有った。でも当時も今も、私は蕎麦屋の店員が蕎麦を担いでカッコよく走っているのが、ホントに許可制なのかと未だに疑問に思っているのである。その後四年間その交番前を傘さして通った記憶は無い。
戸山が原の事は、落合道人Ochiai-Dojinさんのブログで戸山が原と検索して下さるようお願いします。
この交番には、苦い思い出が有る、戦後早稲田高校卒業後一年浪人中、新大久保の父の知り合いの立野精工と言う会社にアルバイトで働きに、その後早稲田大学の夜間部(当時は第二商学部が有った)へ四年間通ってたのだが、父が買って呉れた自転車は自転車屋さんがアチコチ部品を掻き集めてくれて作った、或いは唯一当時私だけの自転車で戸塚の家から毎朝大久保まで戸山が原を突っ切って通っていた或る朝の事・・
偶々雨が降っていたので、傘をさして何時もの通り大久保の工場へ行く途中、交番の所で、いきなり若い(当時は私より年上の筈)お巡りさんに「お待ちなさい?或いはストップ?」・・エッ何でなのである、お巡りさん「傘さして自転車に乗るのは違反だよ、片手運転になるから」当時は私には違反行為の認識は無かった・・「じゃ~どうして蕎麦屋さんが蕎麦を肩に担いで出前をしてるのは違反じゃないのですか?」お巡りむっとして(きっと)「アレはちゃんと届けてあるんだ」「ふーん?・・」会社に遅れては困る、渋々名前と住所を書かされて、雨の中傘も差さずに、猛スピードでその場を離れ去ったのである。それきり名前と住所を書いてきたから、もう此の一件終わりと思っていたら、暫らくして戸塚の家へ当の巡査が来たらしい、私の態度が悪かったらしく(確かに生意気であった)この件で巡査の話を聞いて兄(兄は尊敬してる私より頭は良いし、五人兄弟の長男だから)にきつく絞られた覚えが有る、兄曰く「巡査の話では前科一犯に値する、でも今回は始末書で穏便に済ます」だと・・「なんと大袈裟な」と思いながら、その時生まれて初めて始末書なるものを書いた私で有った。でも当時も今も、私は蕎麦屋の店員が蕎麦を担いでカッコよく走っているのが、ホントに許可制なのかと未だに疑問に思っているのである。その後四年間その交番前を傘さして通った記憶は無い。
戸山が原の事は、落合道人Ochiai-Dojinさんのブログで戸山が原と検索して下さるようお願いします。