団地夫婦の日々

常盤平団地夫婦の54年、団地内で気付いた事を時々に、妻の料理、私の買い物等

常盤平団地の53年189 北海道シシャモの思い出2

2018-09-15 18:18:00 | 日記

高校時代の恩師S先生は2011年6月88歳で亡くなられた。

教師と一生徒との中高6年の付き合いの中では、初めの内は学業で特に優秀でもなかった私とは、先生にすれば他の生徒と比較して印象が薄かったに違いない・・事実毎年都内のの料理屋に集まるクラス会でも、卒業後何年かはクラスの生徒と一緒に只ワイワイと語り飲み食いをして楽しく過ごす2時間余りだったのです・・・

高校を卒業して何回目かのクラス会の席でS先生と私の誕生日が同じ9月20日だった事がクラス仲間で知れてから先生の古希の祝いを、次は喜寿の祝いもと私に特別幹事のお鉢が回されて、都度引き受けて以後恩師S先生との個人的な交流が始まったのです。

定例の新年会はY君が卒業翌年から名幹事として毎回務めてくれていたので・・

祝いの会の打ち合わせで何回かあちこちでS先生と打ち合わせをしているうちにお互い食いしん坊と解って意気投合、以後食い物に関しては師弟の関係を離れて、会う時は楽しい二人の食いしん坊の食い物談義になりました・・

食べ友達になって戴いた先生には感謝しています・・本来なら生徒は先生の言う事をハイハイと聞かなければならないのに、事食い物の話になれば友達同士、話も「先生そりゃないよ・・」「お前、食い物なら何でも良く知ってるな~」

先生は普段は高級料理など食べてるようだけど、庶民的な食い物については余り口にしてないから、私の方が何でも食べて来たし、食えないと生きられないから食い物については貪欲になっていたのかも知れません。

な~に、私の食べ物知識は大半が妻の教えてくれたネタ話が多いのですが・・

独身の先生は井之頭公園脇のマンション一人暮らし、3度の食事を自分で作るから偉いとは思うが、戦後の飢餓に鍛えられた食いしん坊の私達とは些か内容が違うようで先生には私が食通に見えたらしい・・

「お前、マグロは何が旨い?」「先生、マグロは本マグロ、黒マグロが旨いですよ、今は殆どインド洋で取ってくるから・・吉祥寺の駅前アーケード街の魚屋で売ってるでしょう・・但しチョッとお高いけど・・」「そうか・・今度買って来るとするか・・」先生は自分ではケチだと言うが倹約家でお金持ちなのです・・いつかも母校の大学にポンと100万円寄付した感謝状とかも拝見した事があります。

後日「お前お言う通り、ヤッパリ黒マグロ旨かったぞ・・」「そうですか、でも高かったでしょう・・」私の返事に何の反応も有りませんでしたが・・矢張り学校の先生ですから定年退職してもタップリと年金が・・はゲスの勘繰り・・

こんな会話がその後も魚はヒラメ、イサキ、タコ、イカ、果物ではメロン、梨、桃と今この続きを書いていたら切りが有りません次第で・・・そして北海道鵡川大野商店のシシャモの話です。

何度か先生のマンションへ訪問していたのですが、都度私の妻が「S先生に・・」と持参した手作りの惣菜やらのお礼とかで「お前今度シシャモ送って上げるから・・」「それは有難うございます、シシャモ大好きですが・・高くてどうも・・」又悪い癖で「高いのは当り前・・」のセリフが口からつい出てしまう私です。

数日後北海道鵡川町大野商店のシシャモが我が家に届いたのです。

妻は中を覗いて立派なシシャモを確かめてから、直ぐに冷蔵庫へ仕舞い込みました。

先生にお礼の電話です。「シシャモ届きました、ありがとうございました・・」「届いたか・それで食べたか?未だ?直ぐに食べて見ろ直ぐ・・」「ハイ解りました・・が今冷蔵庫に入れたとこで・・」・・再度「直ぐ食べろ直ぐ・・旨いぞ~」仕方なく「そうですか・・ハイ直ぐ食べますハイ」・・

勿論ご自分の家にも大野商店のシシャモを送らしたので先生は一人ですから早速召し上がったのでしょう・・そして私にも鵡川のシシャモの美味しかった事を共有させたかったのだと思います。

S先生が存命なら今年95歳もうじき96歳の誕生日、私83歳もうじき84才です。

元気な内に美味しい旨い物を懐が破産しない程度に楽しみたいと願う私達老人夫婦です、ゴチソウサマ