ブログを開設してからこの5月で、
まる17年が経ちます。
内容と言えば、家族との日々の生活、
それに纏わる行事の、
写真が頼りのブログ。
そんな今日のブログは、
重くてとても長いお話しになリますが、
大切な友との別れの話しを綴ります。
以下
※1/20に一気に書き上げましたが、
その後読み返し、
勝手ではございますが
1/22、1/23に一部書き直し、書き加えた部分が
有ります事を伝えさせて頂きます。
昨年10月、11月と悲しい別れが続き、
書く元気、気力がなくなっていました。
そして今年に入り、
仲良し三人組の一人から年賀状が届きません…
もう一人の友人にも来なかったとの事…
ラインは元々苦手な彼女だったので、
三人のグループラインは昨年の2/1以降
既読は1のままになっていました。
もう一人の友人と、
「○○ちゃんどうしたのかしらね~?」
「ライン嫌いやし、忙しい○○ちゃんの事やから
又ひょっこり電話掛かって来て、
急に逢いましょうって言って来るん違う?」等と
そんなやり取りを、
二人で呑気にしていたのです。
そうこうしている間に
「ラインは兎も角、筆まめな○○ちゃんから
年賀状も来ないと言うのはおかしいね〜。」となり、
気持ちが急に焦り出し。
ご自宅に電話をしてみました。
すると
「おかけになった電話番号は現在使われておりません」
と、ガイダンスが虚しく流れてきます...
《これは何かあったかも知れない!》
頼みの綱は携帯です。
祈る想いで
携帯電話にかけました。
呼び出し音が鳴ったので
あっ!携帯が繋がった〜。
携帯は解約されてなかった〜と
ホッとしたのも束の間、
「もしもしどちら様ですか?」
電話口に出たのは男性でした!
動揺し慌てた私は
「もしもし」と言うだけで
名乗る事を忘れていました。
はっと我に返り、名前を告げ、
震える声で、
「この番号は○○さんの携帯ではありませんか?」
「あの〜○○さんは…居られますか?」
ドキドキしながら相手の言葉を待ちました。
「はい。あの〜〜母は五月に亡くなりました…。」
「えっ!!」
電話に出られたのは友の息子さんだったのです…。
(息子さんとは、
高校生の時以来会って無かったのですが、
彼女の話題の中にはいつも上がっていたので
さほど遠い存在と言う意識は無かったのですが。)
驚きと共に緊張しているので、
言われている意味が分かりません。
と言うか、理解したくないと言うのが
本心だったと思います。
「膵臓がんで三月に体調を崩し、」
「五月に亡くなりました…。」
「あっという間で」
「病院で検査して頂いた時には手の施しようが無く」
「入院することなく家で亡くなりました。」
私の頭の中は真っ白、体は震え、
その後何を聞いて、何を話して良いか
分かりませんでした。
私は
55年来の友を、
知らない間に失っていたのです。
もっともっと早く連絡すれば良かった!
あの時電話したら良かった~。
と頭の中がグルグル回ります。
仲良しのもう一人の友に
すぐ知らせました。
昨年の三月、四月、五月、
私は一体何をしていたのでしょう。
会う気になれば何時でも会えると、
思い上がっていました。
後悔先に立たず!!
敬虔なクリスチャンの彼女は、
知的でとても美しい人でした。
体に異変を感じてから僅か2か月で
天に召されたのです。
眠れない夜が続きました。
そして後日お花を持って
ご自宅をお訪ねしたのです。
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優しく美しい彼女のお写真が
私達を迎えてくれました。
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祭壇には遺影と共に、
若かりし頃の家族写真が
沢山飾られているのを見せて頂きました。
それでも信じがたい気持ちの方が強かったのですが、
小さくなった彼女のお骨を、
息子さんから私の手に渡して下さったのです。
そっと彼女を抱きしめました。
その時初めて、これは現実なのだと思い知らされ、
名前を呼びながらしっかり胸に抱きしめ直しました。
とても苦しく淋しく切ない時間でした。
その後息子さんは家の中を案内して下さいました。
元々彼女が元気な時、
引っ越しされた新しいお宅に、
二人で遊びに行く約束をしていたのが、
コロナの所為でのびのびになっていたのです。
350坪以上ある敷地内にはにプール、
建物はレンガ造りの英国風な大邸宅、
そこだけがまるで外国の様な佇まいです。
その建物を出て、
木々が立ち並ぶ小路を行った所に
(同じ敷地内)
彼女が普段生活していた、
素敵な平屋建てのお家が有りました。
その建物も英国風です。
「ここが母の好きな場所でした。」
キッチンとダイニング、
今にも彼女が「いらっしゃい」と
姿を見せてくれそうな気がしてきます。
そしてリビングには
木目調のアップライトピアノが有りました。
グランドピアノは大きなお宅に
置いて有ったので、
アップライトピアノは彼女の練習用ですね。
息子さんは「母の洋服や靴等、持ち物は
まだまだ整理する気になれなくて〜」
と独り言の様に話してくれます。
亡くなる前日まで
家族に支えられながら、
自分でトイレに行っていたそうてす。
この家の固定電話は解約していて、
お母さんの携帯電話を、
今は息子さんが持ち歩いている事も知りました。
結婚された娘さんもいらっしゃって、
女の子と男の子のお孫さんが二人がおられます。
最後は息子さんと娘さん家族に見守られて
安らかに天国に召されたそうです。
この広い邸宅に
今は息子さんお一人でお住まいです。
余談ですが、アメリカの大学を卒業されて、
大企業にお勤めされておられます。
最後に彼は
「母は生涯現役でした。」
「それが母の希望通りの人生だったので幸せだったと思います。」
「そして私を自由に育ててくれました。」
「感謝しかありません。」
と、明るく話されているのですが、
下を向いた時の彼の目に、
涙が光っているのが見えました。
お宅を案内して下さったり、
お暇するまでの間もずっと
「お母さんも一緒に行きましょう」と
彼女のお骨は息子さんの胸に抱かれていました。
お母さんが大好きだったんですね。
私の娘と同い年の息子さん。
子供は幾つになっても子供は子供なんですよね。
良い親子関係だったんだな~と思いました。
帰り際、
息子さんとライングループを作り、
友と息子さん、そしてお家族の思い出の写真を
そのラインアルバムに入れて下さいました。
又お訪ねさせて下さいね。
と言って、友と息子さんと
お別れして来ました。
納得出来た様な、出来ない様な
苦しい、苦しい別れでした。
✢
そして昨日、
残されたもう一人の友Mさんと二人で
お昼前から夕方6時過ぎまで、
彼女を偲び、
泣き笑いしながら語り合いました。
悲しみと苦しみ、そして恋しさは深まるばかり…
優しいMさんは、自分も同じ悲しみの中にいるのに、
来月2/1に77歳になるわたくしの喜寿のお祝いを
してくれたのです。
話を聞いていると、数年前から、
「一番年長の私が喜寿を迎えた時には
亡くなった友(おのちゃん)と二人で
私のお祝いをしましょうと
相談してくれていたそうなんです。」
それを覚えてくれてたなんて…
そんな話を聞くとたまりません。
益々堪えます(泣)
亡くなった友との二人分、
私を祝ってくれた優しい友Mさん、
宝の友を持った私は、
なんて幸せ者なのでしょう。
これからは残された友Mさんを、
亡くなった友、おのちゃんの分まで、
今迄以上に大切にしたいと思います。
連絡を取るのを面倒がっていてはいけませんね。
後悔と共に、生きて行く様を勉強させて貰いました。
拙い長文を最後まで読んで下さり
ありがとうございました。
✻ ✻ ✻
バラさん💖
温かくて優しいお言葉ありがとうございます。
そのお言葉に勇気を頂いて、
今の気持ちを載せる事ができました。
バラさんのコメントが無ければ、
この出来事は心の内にしまい込んで
ブログに載せる気力と勇気は無かったと思います。
有り難うございました。
改めて感謝申し上げます。
年齢と共に大きく険しく立ちはだかる山々、
残された我々は、先人の思いを胸に、
しっかり生きて行かねばなりません。
そして幾つになっても
人様から学ぶ事が多く有ると言う事も
学ばさせて頂いております。
『人事を尽くして天命を待つ』
✻ ✻ ✻
それでは少しの間お休みを頂き、
元気になって帰ってまいります。
宜しくお願い致します。
長く重く苦しいお話しを
読んで下さりありがとうございました。