季節の中で

**My Slow Life**

趣味と家族の写真日記

雨の郡上八幡城

2017-10-16 | 城跡めぐり



昨日
10/15
リンク先
カテゴリ
「信州八ヶ岳方面」
の【行き先変更】に続き

今日は
郡上八幡城へ
行ってきました。

苔むす石垣


雨に洗われた
木々の緑が
美しい












戦国時代末期永禄2年
(1559)、
初代城主の遠藤盛数によって
砦が築かれたのが
郡上八幡城の
はじまりだそうです。








大河ドラマ
『功名が辻』で有名な、
山内一豊の妻、
千代が生まれたお城だそうです。


お城から見える城下町は
魚の形をしておりました。



雨の郡上八幡城は
情緒があり
素敵でしたが
次に来る時は
名水の町郡上八幡の
市街地をゆっくり
見て回りたいです。

Hideくんmeg
kodai
今回もゲラゲラ笑う
愉快な1泊2日でした🎶
ありがとう♥


篠山城跡 大書院

2017-09-22 | 城跡めぐり
 


篠山城は
豊臣氏を包囲する城のひとつとして
徳川家康によって築かれた
お城です。




天守を建てるための基壇
「天守台」は現存していますが、
この天守台には
実際に天守がそびえたことは
一度もなかったそうです。

立派な石垣が残っています。












大書院


一般市民が趣味で作った
甲冑






大書院は慶長14年(1609年)の
篠山城築城と同時に
建てられましたが
昭和19年(1944年)
1月6日夜
焼失してしまいました。

その後篠山市民の熱い願いと
尊い寄付によって
平成12年(2000年)
3月に再建されました。

<大書院の特徴>
 大書院は木造住宅建築としては非常に規模が大きく、
京都二条城の二の丸御殿遠侍に
匹敵する建物です。

篠山城跡
車で近くを走った事は
何度かありましたが
中に入ったのは今日が初めて
近場でも
まだまだ知らない場所が多い
と実感しました。


竹田城

2017-04-27 | 城跡めぐり

2010/4/29

2013/5/11


3度目の竹田城跡へ♪

東にある山、
立雲峡から観た
雲海に浮かぶ竹田城
写真はお借りしました。



木々の若葉の濃淡と
山桜の薄紅色
この季節ならではの
美しいグラデーション
その山々に癒されながら
竹田城の麓
山城の郷までドライブです。




三年程前の竹田城は
人気もピーク
余りの混雑振りに
行先を犬山城に
変えた事がありました。

その人気も
少し落ち着いたのでしょうか?
人はまばらです。

山城の郷
城跡に一番近い
お土産店、お食事処


さぁ城跡まで
出発しましょう
昔は山門まで
車で乗り入れる事が
できましたが
今は山城の郷から
天空バスで
山門まで行きます。

気温は山道を歩くには
丁度良く
のんびり城跡まで行く事が
できそうです。

中腹から見上げた竹田城跡


《山門》
ここからは歩きです。
2010/4月に(丁度7年前)に
登った林道は
今は通行止めになり
歩けなくなっていました。












竹田城
関ケ原の戦いの後に廃城となり、
天守も破却されました。

石垣の積み方は
安土城と同じ技術だそうです。
石材は現地のほか山麓付近から
集めたものと考えられ、
最大のものは
5トンと推測されています。
400年を経た今も、
しっかりとその姿を
とどめています。










城跡までの道なりに
咲く
ウワミズザクラ




優しい色の八重桜




紫の花(名前が分かりません)
後日、アケビと判明💡


ヤマツツジ


八重桜




たらの芽
たらの芽の天ぷら
大好き(笑)




帰りはバスに乗らず
脇道に咲く花を愛でながら
山城の郷まで
てくてく歩きました。

運動不足の割に
不思議と楽に歩けたので、
少し自信が持てました。

竹田城跡
天空からの景色は
やはり最高でした。
きっと又
来る事でしょう。

長浜へ

2016-11-22 | 城跡めぐり

数えきれないほど琵琶湖周辺に
来てるのに
長浜城にはさほど興味が沸かず
素通りしていましたが
今日は長浜城見参です(笑)

長浜城は、天正2年(1574)から
翌年にかけて、
羽柴(豊臣)秀吉公が築いた城です。

その後、山内一豊公など
4人の城主が入りましたが、
元和元年(1615)には
廃城となっています。
このように長浜城の歴史は
約40年に過ぎません

現在の天守は1983年に
犬山城や伏見城をモデルにし
模擬復元されたもので、
市立長浜城歴史博物館として
運営されています。






入った時からお城のイメージは
全く無く
ここはどこ?って感じでした。
3階までエレベーターに乗り
(勿論階段もありですが)
お城と言うより普通のビルですね。

少しガッカリしましたが
天守から見た
琵琶湖はとても綺麗でした。






有名な羽柴秀吉の兜と黒田長政の兜


羽柴秀吉と浅井長政とお市の方の肖像画


そして黒壁スクエアへ






近江牛のすき焼きを賞味


今日は11月22日(良い夫婦の日)
最近紅葉に誘われ
出かける機会が増えています。

犬山城

2016-08-13 | 城跡めぐり


三泊四日の旅行も
いよいよ最終日になりました。




今日も楽しみましょうね!


国宝犬山城へ


この日は特に暑くて
みんな汗ダラダラかきながら
天守閣へ





天守閣の内には
石垣の部屋があり
よく見ると形も不揃い
隙間を埋めるように
加工された
いろんな形の石が
見られます。


丸岡城ほどではありませんが
階段の勾配が急です。

帰り関ヶ原に寄り道をして
夕方6時過ぎに帰ってきました。

大阪➡福井県➡石川県➡福井県➡岐阜県
そして大阪へ
往復1000㎞

ず~と運転してくれたHくん
本当にお疲れ様でした。
充実した楽しい四日間でした。
ありがとうございました。


石川県七尾城跡

2016-08-11 | 城跡めぐり

さぁ~次は
Takaoくんが誕生した
当時の疎開先七尾へ!
2時間かけて移動します。

3歳までしかいなかった
takaoくんには
周辺の面影を思い出す事は
出来なかったようでしたが
70年前、幼いtakaoくんは
確かにここに存在していたのです。
感慨深かったでしょうね。

そんな想いを胸に
車を走らせていると
七尾城という目印が、
目に留まりました。

大河ドラマ天地人でも登場した。
日本100名城のひとつである
七尾城。

今は石垣しか残っていない
山城ですが
ここまで来る機会は
もう無いだろうと、
登ってみる事にしました。

標高約300mの山頂部に所在し、
綺麗な七尾湾が一望できます。


七尾城跡は、
能登国の守護・畠山氏(1408-1577)が
16世紀前半(戦国時代)に築いた城館跡で、
全国でも屈指の規模を有します。
石動山系に築かれた城域は南北約2.5km、
東西約0.8km、面積は約200haにおよび、
一帯は「城山」と呼び親しまれています。


立派な石垣が残っていました。

上杉謙信の死後、
能登は織田信長によって制圧され、
七尾城には信長の部将
前田利家が入城した。
しかし山城は
時代にそぐわなくなっていたため、
間もなく小丸山城(七尾市)に居城を移した。
その後、七尾城には利家の子の
前田利政が入城したが、
1589年(天正17)に廃城となったそうです。

へ~そうなんや~!


ボランティアの方が
丁寧に説明して下さいました。
ありがとうございました。
勉強になりました!







3時50分
今から
今晩の宿泊地
石川県小松へ戻ります。
小松市は
勧進帳
安宅の関(あたかのせき)
で有名な地です。

6時20分ホテル着



舞鶴から福知山城へ

2016-08-08 | 城跡めぐり

舞鶴港
とれとれセンター
あわびにホタテ
いくらにイカ刺等

新鮮なお魚を食べたくて
来たのに
何故かすぐにお腹一杯に
なってしまい
なぜか不完全燃焼


帰り道
福知山城へ寄りました。

お城への通路として
大きくて立派な
太鼓橋が架かっています。


福知山城は、
天正8年(1580)ごろ、
丹波平定に成功した
明智光秀が丹波の拠点として
新たに城を築いたのが始まりと
されています。
以来、戦乱の時代、
城主が交代する中、
順次整備が進められ、
慶長5年(1600)ごろに
完成したようです。


明治時代のはじめに
廃城令で取り壊され、
石垣と銅門(あかがねもん)番所だけが
残されていましたが、
市民の瓦1枚運動などの熱意によって、
3層4階の天守閣が、
昭和61年(1986)11月に再建されました。





石おとし

とても綺麗なお城だと思いました。

佐和山城跡

2016-06-02 | 城跡めぐり
行って来ました佐和山城跡
(ご存じ石田三成の居城)
今日は爽やかな良いお天気
風が少しヒンヤリするほどです。

我が家から車で2時間

麓から佐和山城跡まで
歩いて30分ほど
汗もかかずに
最高のハイキングが
できそうです。




佐和山城跡までの道程

龍潭寺(りょうたんじ)
石田三成の菩提寺

昊天禅師の作庭による枯山水と
池泉式庭園。
後背の佐和山、龍潭寺が全山を
所有してるそうで入園無料です。

門をくぐってすぐ
その庭に石田三成の像がありました。


苔むして風情あるお庭です。



山門をくぐると両脇に
時代を感じる墓標が
並んでいます。


そこをぬけると山道です。






山頂の佐和山城本丸跡から
琵琶湖と彦根城が
見渡せます。

ところがわたくし
山頂まで登ったものの
お腹が痛くなり
おまけに気持ちまで
悪くなる有り様
周りの景色をゆっくり
観るどころではありません
登ってきたばかりの山道を
急いで下山!
細くて悪い下り道を
滑ったり転んだりしながら
駐車場まで
やっとの思いで
帰ってまいりました。

佐和山城
関ヶ原の合戦(1600年)で、
西軍を率いた石田三成の居城。
標高233m、比高148mで、
麓から30分もあれば本丸があった
山頂まで登ることができます。
建造物は残されていませんが
佐和山城は板張りに荒壁と、
質素な城であったとされています。
質素倹約に努め関ヶ原の合戦で敗れ
“大一大万大吉”の理想まで
あと一歩届きませんでした。
代わってこの地の領主となった
井伊家は、
佐和山城を破城しました。
この際、石垣や建材の一部は
彦根城へと運ばれました。

三成の菩提寺龍潭寺の隣りに
清凉寺というお寺がありますが、
ここが三成の家臣島左近の
屋敷跡といわれている場所です。
ここへも寄りたかったのになぁ~


出掛ける時は
体調良かったけど
登る寸前に飲んだ
カフェオレが
合わなかった?

歴史に想いを
馳せることもできず
残念でした。

乞うリベンジ

岐阜城から関ヶ原

2016-05-05 | 城跡めぐり
ホテルでゆっくり朝食を採り
ホテル内のお庭を散策



ホテルから真ん前
川を挟んで金華山山頂に
岐阜城が見えます。


城下に駐車場が少ないので
車はホテルに置いて
タクシーで岐阜城へ

ゴールデンウィーク中なので
当たり前ですが
人が多く山頂までの
ロープウェイに乗るのに
相当並びました。


小さな天守閣(コンクリート造り)
の中も人でごった返し
疲れました!
織田信長、斎藤道三と
歴史的に期待していただけに
少し期待外れ

別な話ですが
天下統一目前に倒れた
織田信長が築いた
安土城跡
未だ復元されないまま(復元は無理?)
城下町跡も無く
偉大な武将なだけに
複雑ですね。


さて岐阜城は、
かつて稲葉山城と称し、
戦国時代には、
斎藤道三公の居城でもあったところです。
特に岐阜城の名を天下に示したのは、
永禄10年(1567年)
(一説に永禄7年)8月、
不世出の英傑織田信長公がこの城を攻略し、
この地方一帯を平定するとともに、
地名も「井の口」を「岐阜」と改称し、
天下統一の本拠地としてからでした。 
現在の城は昭和31年7月、
岐阜城再建期成同盟によって
復興されたものです。
城内は史料展示室、
楼上は展望台として
多くの人に親しまれています。
また、
金華山一帯は平成23年(2011年)に
「岐阜城跡」として
国史跡に指定されています。


お昼を過ぎたので
岐阜を後にしました。
途中関ヶ原に寄り道して
昨年遭遇した
「戦国武将に又会えたら良いにね~」
と思いながら
車を走らせていましたら

岐阜県不破郡関ケ原町
いました!いました!

石田三成の陣営のある
笹尾山

毎年10月に戦国武将祭りが
あるらしいのですが
それらに参加する
武将好きな人達です。

早速一緒に写真を
写させて貰いました。


近くに貸し出しの
甲冑もあるというので
Kちゃん衣装変え(笑)





Kちゃん格好いい(婆ばか)








いやいやむちゃくちゃ
今回の旅も
楽しかったですよ
大雑把な予定で
予定変更ありありの旅ですが
盛り沢山で充実していた
二泊三日でした。
こんな旅大好きです

大阪城

2016-02-21 | 城跡めぐり

今日はM家に誘われて
朝早くから大阪城へ行ってきました。
コンクリート作りではありますが
華やかな立派な天守閣です。


※羽柴(豊臣)秀吉が
天正11年(1583)に築城開始
(1615)大坂夏の陣により落城

※徳川2代将軍秀忠の命により
元和6年(1620)から
10年の歳月をかけて再築
寛文5年(1665)
天守を落雷により失う

※昭和6年(1931)
市民の熱意によって現在の
天守閣が復興されました。
現在の天守閣は3代目となります。


Koudaiは真田幸村の兜や
陣羽織を着てへ~ん身

園庭は良いけど駐車場所で
Jボーは危ないよ

外国人の方達をウォッチング(笑)
マナーをきちんと守られていたのが
とても良い感じでした。

中学の修学旅行以来の
天守閣の中
人が多過ぎて
ゆっくり見られなかったのが
残念でした。


そして夕方から
映画「オデッセイ」を鑑賞
凄く面白かったです。

彦根城

2016-02-11 | 城跡めぐり

近江八幡から足を延ばして
国宝彦根城へ行ってきました。
9年振りです。


天守閣までの道程
そして天守閣への階段等が
年を取ると全て堪えます。

福井の丸岡城の天守閣は
ロープを頼りに昇るので
もっと怖くて大変でした。



彦根城の天守閣から
豊臣秀吉の奉行
石田三成が居城とした
佐和山城跡が見えます。
そして遠くには琵琶湖に浮かぶ竹生島


彦根城博物館を見学
井伊の軍装は朱で統一した
「井伊の赤備え」


江戸時代(約200年前)に建てられた
彦根城表御殿能舞台が現存します。
能衣装「唐織」




江戸時代さながらに再現した
藩主の居間や茶室・庭園





可愛いひこにゃんにも会えました。

お城や城跡巡りをしていると
歴史に詳しくない私でも
その時代時代の息吹を感じます。
暖かくなったら、
次は佐和山城跡に行ってみましょう

姫路城

2014-10-07 | 城跡めぐり

世界遺産≪姫路城≫に
行ってきました。

現在
大天主保存改修工事中
でしたが
秋晴れで気持ちの良い日
大勢の観光客が
訪れていました。

白く甦った天守閣は
白鷺城の名に相応しく
とても美しかったです(*^^*)

多少白すぎる印象はありますが
刻を経て行く内に
益々美しくなってくると思われます。


















姫路城で生まれ、
キリシタン大名だった黒田官兵衛
陣羽織と鎧兜
陣羽織の背中には大きな十字架が
あしらわれています。



今回は改修中で
天守閣に登れませんでしたが
改修後にもう一度訪れたいと
思います♪

福井県へ(o^O^o)

2014-04-25 | 城跡めぐり

琵琶湖に行く予定で車に乗り込み
気持ちが良いのでつい
うとうとしてしまった私( ̄q ̄)zzz

『おぉ~い起きろよ~』
の呼び掛けに回りを見渡たすと!!
着いた所がなんと福井の丸岡町
(@_@)もうビックリ、ビックリ?・!!

何時間寝てたの私??
つぅか!?
えらい遠くまできたもんです(笑)

Takao曰く
高速の木ノ本に着いても
私はグーグー寝てるし
『どうするか!?』
と思っていると
以前私が
『もう一度丸岡城に行きたい』
と言っていたのを思い出したのと、
自分も又丸岡城の天守閣を
見たいとの思いで、
福井へと車を走らせたそうです(*''*)
やりますなぁ~Takaoくん

この丸岡城の天守閣には
ロープを頼りに昇るのですが
凄い急勾配で
おまけに階段の巾が狭い!
今までで一番怖い階段でした。

丸岡城から東尋坊へとまわり
思いがけない遠出!
楽しいドライブになりました。

そして福井と言えば
ソースカツ丼
帰り道に賞味しました。
美味しかったですよ(*´∀`)


立雲峡から望む竹田城

2014-04-23 | 城跡めぐり

兵庫県朝来市にある
立雲峡に登ってきました。
ここは天空の城『竹田城』の
真向かいにある山、
皆さんご存知の
『雲海に浮かぶ竹田城』の写真は
立雲峡から写した物だそうです。

雲海(明け方から午前8時頃)を見るには
適さない時間なので、
幻想的な竹田城を
観ることは出来ませんが
遠くからゆっくり
城跡を眺めるのも良いものです。










数年前に行った時の竹田城

2013年5月


人気過熱!!

2013-05-11 | 城跡めぐり

竹田城!!

昨年11月、近くまで行ったものの
駐車場が満車で諦めた竹田城跡

半年ぶりに行ってきました
未だ人気は衰えるどころか
増すばかり。
その為城跡が傷んできてるようで、
竹田城跡、訪れる我々も
反省しなければいけない面が
多いようです。

 

  



登城ル-トが変わったり、
工事のための
立ち入り禁止の日ができたり、
付近まで車の乗り入れが
できなくなったりと、
いろんな変化点が出てきていますが
お城好きの一人として
これからも竹田城跡、
マナーを守って
訪れたいと思っています。