私が前回のブログで、来年1月の通常国会冒頭で安倍総理が解散・総選挙に打って出る理由を述べた通りになることが明らかになった。(以下敬称略)
つまり安倍の解散・総選挙の最大の狙いは、それまでメディアが報じていた理由(プーチン訪日で日ロ外交の前進により自民有利の状況下での選挙・5月の
小選挙区区割り変更前に現議員を維持するための選挙)ではなく、自民党大会で党則を改定し、総裁任期を現在の連続3年2期から連続3年3期に延長することが真の目的だったことが明々白々となった。
(※このブログ原稿は27日までに書き上げたが、28日にプーチンが北方領土問題の解決はそんなに簡単ではないという趣旨の記者会見を行ったことが明らかになった。安倍外交の最大の成果と期待が大きかっただけに、日本側としてどう対応するのか、安倍に大きな難問がのしかかった。まさか手ぶらで来日するプーチンに大きなお土産を渡すようなことがあったら、安倍内閣は危機的状況に陥ることだけは間違いない)
実際、自民は10月26日、党・政治制度改革実行本部を開き、安倍の腰巾着・高村と麻生が音頭をとって、現在党則で定められている総裁任期を延長することを決めた(今週開かれる総務会での承認はいちおう必要)。そして総選挙後の3月の党大会で党則改悪を行おうというわけだ。
が、この実行本部は自民の衆参国会議員414人で構成されるが(つまり事実上の両院議員総会)、この重要な会議に出席したのはたった56人。約87%の自民国会議員がこの会議をボイコットしたのだ。安倍の足元が党内で揺らぎだしたと見てもいいかもしれない。
なぜ安倍は、そこまでして長期政権の座にしがみつこうとしているのか?
言うまでもなく自らの手で憲法改悪を成し遂げねばならないという「使命感」に駆られているからだ。安倍内閣が高い支持率を維持し、日本維新の会や日本のこころなどの改憲勢力が衆参両院で3分の2以上を占めている間に、何が何でも憲法を改悪しておかないと、「硬性憲法」とされている日本国憲法の改悪チャンスは当分の間訪れないと思っているからだ。
私自身は、憲法はいずれ改正すべきだと考えてはいる。が、安倍政権下での改定は改正ではなく改悪になることだけは疑う余地がない。
現行憲法は、しばしば「平和憲法」と呼ばれているように、日本の政権(国家権力)が二度と戦争をしてはならないと、国際紛争解決のための武力行使を禁じていることだけは未来永劫に守らなければならない、と私は考えている。
憲法と法律の関係を明らかにしておくと、憲法は権力を縛るものであり、法律は憲法が認める範囲で国民(在日外国人も含む)を縛るものである。そして憲法を決めるのは国民であり、法律を決めるのは立法府(国会)である。
ところが、現行憲法はいまだに日本国民の承認を得ていない。GHQに押し付けられたとか、日本政府の意見も憲法にかなり反映されているなどというばかばかしい議論を私はするつもりはない。決定的な事実は、日本が連合軍(実態は米軍)の占領下におかれ、主権をアメリカに奪われていた時代に、現行憲法は国民の承認も得ずして(国民の審判を受けずに)制定されたものだからだ。
日本を占領下においた連合軍総司令官マッカーサーは、単に農地解放や財閥解体、教育改革(日本人から愛国心を奪う教育)ことなど、一連の民主化政策を行っただけではない。日本の工業力(軍事産業だけでなく平和産業も含め)を徹底的に破壊し、日本を農業国家に先祖帰りさせることがマッカーサーの占領政策の目的だった。そのためマッカーサーはわずかに残った日本の平和産業の生産設備をも取り上げ、戦後賠償の名目でアジア諸国に移転させようとさえ考えていた。
が、この極端なマッカーサーの占領政策にNOを突きつけたのが、米本国政府(大統領はトルーマン)だった。マッカーサーの極端な占領政策によって日本が共産化しかねないことを米本国は恐れたのだ。実際日本がギブアップしてポツダム宣言を受け入れ無条件降伏した後も、ソ連は対日戦争を続け北方四島を奪った。ソ連は戦勝記念日をかってに9月2日にしたが、その日は米艦ミズリー号で日本が降伏文書に調印した日であり、日本はとっくに武装解除されており、ソ連との戦争状態には事実上なかった。さらにソ連はアメリカに北海道の分割支配を提案しており、日本占領の野望を捨てていなかった。
そういう状況下で現行憲法の草案作りが吉田内閣の手で進められたのである。また、当時は旧憲法(大日本帝国憲法)が停止されていなかったため、憲法改定作業は枢密院(天皇の諮問機関)の承認を経て衆議院議会、貴族院議会で承認されて45年11月3日に公布、翌46年5月3日より施行されたという経緯がある。当時は憲法の改定には国民の承認を必要としなかったのである。
私はこれまでも吉田内閣の大きな功罪を指摘してきたが(『日本が危ない』『忠臣蔵と西部劇』などの著書およびブログでの記事)、吉田は戦後「傾斜生産方式」という経済政策を行った。具体的には、当時の基幹産業であった鉄鋼産業と石炭産業を立て直すことを最重要視し、サンフランシスコ講和条約の締結(51年9月4日)で独立を回復したのちも日本の安全保障をアメリカに委ね(旧安保条約を締結)、国力のすべてを工業力の回復に注いだ。当時のアメリカの占領政策の最大の目的は日本の共産化を防ぐことにあり、ソ連の南下政策に対する防波堤として日本をソ連の侵攻から守ることが国益でもあった。
実際、この時期アジアには共産主義の嵐が吹きまくっていた。中国大陸では毛沢東率いる共産軍が49年10月1日、中国本土を制圧して政権を樹立し、朝鮮でも金日成の共産軍が勢いを増していた(50年6月25日、朝鮮戦争勃発)。アメリカは韓国軍を支援するため、在日米軍基地の兵力を根こそぎ朝鮮半島に送り込み、北朝鮮軍には中国の義勇軍が参戦し、この時期日本は丸裸になったのである。そういう状況下でマッカーサーは吉田内閣に再軍備を迫る。吉田はやむを得ず50年8月10日、自衛隊の前身である警察予備隊を結成した。現行憲法9条の解釈改憲による空洞化が始まったのはその瞬間である。
実は現行憲法草案を巡って国会での審議で、現行憲法草案に猛反対したのが社会党と共産党だった。46年6月28日には共産党の野坂参三議員が「戦争は侵略戦争と正しい戦争たる防衛戦争に区別できる。したがって戦争一般放棄という形ではなしに、侵略戦争放棄とするのが妥当だ」と主張した。
野坂の質問に対し吉田は「国家正当防衛権による戦争は正当なりとせられるようであるが、私はかくのごときことを認めることは有害であろうと思うのであります。近年の戦争は多くは国家防衛権の名において行われたることは顕著な事実であります」と答弁している。
また社会党の森三樹二議員も「戦争放棄の条文は、将来、国家の存立を危うくしないという保障の見通しがついて初めて設定されるべきものだ」と批判した。この主張に対しても吉田はこう答弁した(7月9日)。
「世界の平和を脅かす国があれば、それは世界の平和に対する冒犯者として、相当の制裁が加えられることになっております」
吉田の功罪を明らかにしておく。
「功」は言うまでもなく戦後の荒廃から日本経済立て直しの道筋を作ったこと。もし「傾斜生産方式」という経済政策をとっていなかったら日本は、いわゆる朝鮮特需にありつけなかったであろうと思われること。そして世界の奇跡とまで言われた高度経済成長時代を迎えることはなかったかもしれない。
「罪」は、日本が独立したのちもアメリカに日本の安全保障を委ね、結果的にアメリカの言いなりになる国にしてしまったこと。そして日本が独立した後もアメリカは沖縄を占領下に置き続け、沖縄返還の直前に日本本土の米軍基地の大半を沖縄に移設し、返還後も沖縄県民に苦痛を強いる遠因をつくったこと。そして独立に際して現行憲法について国民の審判を仰がず、その結果権力による際限のない解釈改憲の余地を与えてきたことだ。
では、現行憲法の平和主義の象徴とも言える9条が、安倍によってどう改悪されようとしているかを検証しよう。まず現行憲法はこうだ。
① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。
実は②の冒頭に挿入された「前項の目的を達するため」なる部分は民主党(当時)の芦田均議員が強く主張して追加されたものである。いわゆる「芦田修正」と呼ばれている但し書きだが、この文がその後、大きな誤解を生む原因になった。実際芦田は現行憲法が公布された46年11月に『新憲法解釈』を発表し、こう述べている。
「第9条の規定が、戦争と武力行使と武力による威嚇を放棄したことは、国際紛争の解決手段たる場合だけであって、これを実際の場合に適用すれば、侵略戦争ということになる。したがって自衛のための戦争と武力行使はこの条項によって放棄されたのではない。また侵略に対して制裁を加える場合の戦争もこの条文の適用以外である。これらの場合には戦争そのものが国際法上から適法と認められているのであって、1928年の不戦条約や国際連合憲章においても明白にこのことを規定している」
芦田自身はこう述べているが、この新解釈は明らかに吉田の国会答弁と矛盾している。国会で現行憲法が審議されたのはほんの数か月前である。吉田は共産党の野坂や社会党の森の質疑に対して明白に自衛権を否定している。仮に芦田の新解釈を認めるとしても②の末尾に記載されている「国の交戦権は、これを認めない」という明白な国家の意思表示と明らかに矛盾する。
戦争は侵略戦争であろうと自衛のための戦争であろうと、いずれも「国の交戦権」の行使である。「国の交戦権」を最終的に否定している以上、自衛権も放棄したと考えるのが素直な文理的解釈であろう。(※なお国の交戦権を否認したこの一文は自民の草案から削除されている)
実際、警察予備隊から保安隊、自衛隊と名称を変更し、際限のない解釈改憲をしてきた自民党政権や自公政権も自衛隊について、現行憲法で保持や行使が否定されている『武力』や『戦力』という表現が使えず、『実力』なる意味不明な表現を使わざるを得ないのが現実である。芦田が主張したように、現行憲法が自衛権を否定していないのであれば、自衛隊は「自衛軍」ないし「国防軍」(自民草案では「国防軍」と改称している)とすればいいのであって、「実力」などという意味不明な表現で自衛のための戦力を位置付ける必要などなかったのだ。
言っておくが、私は自衛権を否定しているわけではない。が、自衛権の行使は国の存亡が危うくなる場合のみ可能であり、そもそも、そうした事態に至らないようにするために、日本は自国の安全保障を戦争大好きなアメリカにのみ頼るのではなく、環アジア・太平洋の諸国との間に友好関係を築き、集団安全保障体制を構築すべきだと思っている。もちろんアメリカを排除すべきではないし、中国や北朝鮮、ロシアにも仲間に入ってもらう。そして、もし環アジア・太平洋の平和を乱す国が現れた時には、参加国の3分の2以上の多数の決議により、参加国が一致して平和の回復のためのあらゆる手段を行使できるようにする。もちろん拒否権はいかなる国にも与えない。それが、現行憲法の平和主義を守るための唯一の道だと私は考えている。
※ところでニューヨークで開催されていた国連総会(現地27日)で核に関する二つの決議が行われた(朝日新聞の報道は29日朝刊)。一つは核兵器禁止条約(提唱者はNGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」)で、もう一つは日本が提唱してきた核兵器廃絶の決議。
最初の決議は123か国の賛成多数で採択されたが、なぜか唯一の被爆国である日本はアメリカに同調して反対に回った。安倍政権が「日本にとって脅威」と位置付けている核保有国の北朝鮮すら賛成したのに…。
一方日本が1994年以降、毎年提出してきた核兵器廃絶を訴える決議にはアメリカも初めて同調して採択された。この決議に反対したのは4か国だけで、中国も反対した。中国が核兵器廃絶に反対した理由は「日本と歴史認識が違うから」だそうで(これは28日のテレビ報道)、もしそうなら日本にとっては北朝鮮の核より中国の核のほうがはるかに脅威ということになる。中国が歴史認識の違いで日本に核威嚇をしてくるのであれば、安倍は対抗上日本の核武装を真剣に考えるべきだろう。もし中国が実際に日本に核攻撃をした場合、アメリカが自国の核で日本を防衛してくれることはありえない。日本は「アメリカの核の傘で守られている」と思い込んでいるが、「アメリカの核の傘」は「絵に描いた餅」にすぎない。
私は、日本が核武装すべきだ、などと言いたいわけではない。あらゆる政治・経済の国内・国際の事象を論理的に分析する思考力を日本人は身に付けてほしいと願っているだけだ。
いつも私のブログは長すぎて、読者の方たちにご負担をかけすぎているため、今回のブログはこれで終えます。次回のブログで、安倍がもくろむ憲法改悪草案について「平和条項」を中心に検証します。
つまり安倍の解散・総選挙の最大の狙いは、それまでメディアが報じていた理由(プーチン訪日で日ロ外交の前進により自民有利の状況下での選挙・5月の
小選挙区区割り変更前に現議員を維持するための選挙)ではなく、自民党大会で党則を改定し、総裁任期を現在の連続3年2期から連続3年3期に延長することが真の目的だったことが明々白々となった。
(※このブログ原稿は27日までに書き上げたが、28日にプーチンが北方領土問題の解決はそんなに簡単ではないという趣旨の記者会見を行ったことが明らかになった。安倍外交の最大の成果と期待が大きかっただけに、日本側としてどう対応するのか、安倍に大きな難問がのしかかった。まさか手ぶらで来日するプーチンに大きなお土産を渡すようなことがあったら、安倍内閣は危機的状況に陥ることだけは間違いない)
実際、自民は10月26日、党・政治制度改革実行本部を開き、安倍の腰巾着・高村と麻生が音頭をとって、現在党則で定められている総裁任期を延長することを決めた(今週開かれる総務会での承認はいちおう必要)。そして総選挙後の3月の党大会で党則改悪を行おうというわけだ。
が、この実行本部は自民の衆参国会議員414人で構成されるが(つまり事実上の両院議員総会)、この重要な会議に出席したのはたった56人。約87%の自民国会議員がこの会議をボイコットしたのだ。安倍の足元が党内で揺らぎだしたと見てもいいかもしれない。
なぜ安倍は、そこまでして長期政権の座にしがみつこうとしているのか?
言うまでもなく自らの手で憲法改悪を成し遂げねばならないという「使命感」に駆られているからだ。安倍内閣が高い支持率を維持し、日本維新の会や日本のこころなどの改憲勢力が衆参両院で3分の2以上を占めている間に、何が何でも憲法を改悪しておかないと、「硬性憲法」とされている日本国憲法の改悪チャンスは当分の間訪れないと思っているからだ。
私自身は、憲法はいずれ改正すべきだと考えてはいる。が、安倍政権下での改定は改正ではなく改悪になることだけは疑う余地がない。
現行憲法は、しばしば「平和憲法」と呼ばれているように、日本の政権(国家権力)が二度と戦争をしてはならないと、国際紛争解決のための武力行使を禁じていることだけは未来永劫に守らなければならない、と私は考えている。
憲法と法律の関係を明らかにしておくと、憲法は権力を縛るものであり、法律は憲法が認める範囲で国民(在日外国人も含む)を縛るものである。そして憲法を決めるのは国民であり、法律を決めるのは立法府(国会)である。
ところが、現行憲法はいまだに日本国民の承認を得ていない。GHQに押し付けられたとか、日本政府の意見も憲法にかなり反映されているなどというばかばかしい議論を私はするつもりはない。決定的な事実は、日本が連合軍(実態は米軍)の占領下におかれ、主権をアメリカに奪われていた時代に、現行憲法は国民の承認も得ずして(国民の審判を受けずに)制定されたものだからだ。
日本を占領下においた連合軍総司令官マッカーサーは、単に農地解放や財閥解体、教育改革(日本人から愛国心を奪う教育)ことなど、一連の民主化政策を行っただけではない。日本の工業力(軍事産業だけでなく平和産業も含め)を徹底的に破壊し、日本を農業国家に先祖帰りさせることがマッカーサーの占領政策の目的だった。そのためマッカーサーはわずかに残った日本の平和産業の生産設備をも取り上げ、戦後賠償の名目でアジア諸国に移転させようとさえ考えていた。
が、この極端なマッカーサーの占領政策にNOを突きつけたのが、米本国政府(大統領はトルーマン)だった。マッカーサーの極端な占領政策によって日本が共産化しかねないことを米本国は恐れたのだ。実際日本がギブアップしてポツダム宣言を受け入れ無条件降伏した後も、ソ連は対日戦争を続け北方四島を奪った。ソ連は戦勝記念日をかってに9月2日にしたが、その日は米艦ミズリー号で日本が降伏文書に調印した日であり、日本はとっくに武装解除されており、ソ連との戦争状態には事実上なかった。さらにソ連はアメリカに北海道の分割支配を提案しており、日本占領の野望を捨てていなかった。
そういう状況下で現行憲法の草案作りが吉田内閣の手で進められたのである。また、当時は旧憲法(大日本帝国憲法)が停止されていなかったため、憲法改定作業は枢密院(天皇の諮問機関)の承認を経て衆議院議会、貴族院議会で承認されて45年11月3日に公布、翌46年5月3日より施行されたという経緯がある。当時は憲法の改定には国民の承認を必要としなかったのである。
私はこれまでも吉田内閣の大きな功罪を指摘してきたが(『日本が危ない』『忠臣蔵と西部劇』などの著書およびブログでの記事)、吉田は戦後「傾斜生産方式」という経済政策を行った。具体的には、当時の基幹産業であった鉄鋼産業と石炭産業を立て直すことを最重要視し、サンフランシスコ講和条約の締結(51年9月4日)で独立を回復したのちも日本の安全保障をアメリカに委ね(旧安保条約を締結)、国力のすべてを工業力の回復に注いだ。当時のアメリカの占領政策の最大の目的は日本の共産化を防ぐことにあり、ソ連の南下政策に対する防波堤として日本をソ連の侵攻から守ることが国益でもあった。
実際、この時期アジアには共産主義の嵐が吹きまくっていた。中国大陸では毛沢東率いる共産軍が49年10月1日、中国本土を制圧して政権を樹立し、朝鮮でも金日成の共産軍が勢いを増していた(50年6月25日、朝鮮戦争勃発)。アメリカは韓国軍を支援するため、在日米軍基地の兵力を根こそぎ朝鮮半島に送り込み、北朝鮮軍には中国の義勇軍が参戦し、この時期日本は丸裸になったのである。そういう状況下でマッカーサーは吉田内閣に再軍備を迫る。吉田はやむを得ず50年8月10日、自衛隊の前身である警察予備隊を結成した。現行憲法9条の解釈改憲による空洞化が始まったのはその瞬間である。
実は現行憲法草案を巡って国会での審議で、現行憲法草案に猛反対したのが社会党と共産党だった。46年6月28日には共産党の野坂参三議員が「戦争は侵略戦争と正しい戦争たる防衛戦争に区別できる。したがって戦争一般放棄という形ではなしに、侵略戦争放棄とするのが妥当だ」と主張した。
野坂の質問に対し吉田は「国家正当防衛権による戦争は正当なりとせられるようであるが、私はかくのごときことを認めることは有害であろうと思うのであります。近年の戦争は多くは国家防衛権の名において行われたることは顕著な事実であります」と答弁している。
また社会党の森三樹二議員も「戦争放棄の条文は、将来、国家の存立を危うくしないという保障の見通しがついて初めて設定されるべきものだ」と批判した。この主張に対しても吉田はこう答弁した(7月9日)。
「世界の平和を脅かす国があれば、それは世界の平和に対する冒犯者として、相当の制裁が加えられることになっております」
吉田の功罪を明らかにしておく。
「功」は言うまでもなく戦後の荒廃から日本経済立て直しの道筋を作ったこと。もし「傾斜生産方式」という経済政策をとっていなかったら日本は、いわゆる朝鮮特需にありつけなかったであろうと思われること。そして世界の奇跡とまで言われた高度経済成長時代を迎えることはなかったかもしれない。
「罪」は、日本が独立したのちもアメリカに日本の安全保障を委ね、結果的にアメリカの言いなりになる国にしてしまったこと。そして日本が独立した後もアメリカは沖縄を占領下に置き続け、沖縄返還の直前に日本本土の米軍基地の大半を沖縄に移設し、返還後も沖縄県民に苦痛を強いる遠因をつくったこと。そして独立に際して現行憲法について国民の審判を仰がず、その結果権力による際限のない解釈改憲の余地を与えてきたことだ。
では、現行憲法の平和主義の象徴とも言える9条が、安倍によってどう改悪されようとしているかを検証しよう。まず現行憲法はこうだ。
① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。
実は②の冒頭に挿入された「前項の目的を達するため」なる部分は民主党(当時)の芦田均議員が強く主張して追加されたものである。いわゆる「芦田修正」と呼ばれている但し書きだが、この文がその後、大きな誤解を生む原因になった。実際芦田は現行憲法が公布された46年11月に『新憲法解釈』を発表し、こう述べている。
「第9条の規定が、戦争と武力行使と武力による威嚇を放棄したことは、国際紛争の解決手段たる場合だけであって、これを実際の場合に適用すれば、侵略戦争ということになる。したがって自衛のための戦争と武力行使はこの条項によって放棄されたのではない。また侵略に対して制裁を加える場合の戦争もこの条文の適用以外である。これらの場合には戦争そのものが国際法上から適法と認められているのであって、1928年の不戦条約や国際連合憲章においても明白にこのことを規定している」
芦田自身はこう述べているが、この新解釈は明らかに吉田の国会答弁と矛盾している。国会で現行憲法が審議されたのはほんの数か月前である。吉田は共産党の野坂や社会党の森の質疑に対して明白に自衛権を否定している。仮に芦田の新解釈を認めるとしても②の末尾に記載されている「国の交戦権は、これを認めない」という明白な国家の意思表示と明らかに矛盾する。
戦争は侵略戦争であろうと自衛のための戦争であろうと、いずれも「国の交戦権」の行使である。「国の交戦権」を最終的に否定している以上、自衛権も放棄したと考えるのが素直な文理的解釈であろう。(※なお国の交戦権を否認したこの一文は自民の草案から削除されている)
実際、警察予備隊から保安隊、自衛隊と名称を変更し、際限のない解釈改憲をしてきた自民党政権や自公政権も自衛隊について、現行憲法で保持や行使が否定されている『武力』や『戦力』という表現が使えず、『実力』なる意味不明な表現を使わざるを得ないのが現実である。芦田が主張したように、現行憲法が自衛権を否定していないのであれば、自衛隊は「自衛軍」ないし「国防軍」(自民草案では「国防軍」と改称している)とすればいいのであって、「実力」などという意味不明な表現で自衛のための戦力を位置付ける必要などなかったのだ。
言っておくが、私は自衛権を否定しているわけではない。が、自衛権の行使は国の存亡が危うくなる場合のみ可能であり、そもそも、そうした事態に至らないようにするために、日本は自国の安全保障を戦争大好きなアメリカにのみ頼るのではなく、環アジア・太平洋の諸国との間に友好関係を築き、集団安全保障体制を構築すべきだと思っている。もちろんアメリカを排除すべきではないし、中国や北朝鮮、ロシアにも仲間に入ってもらう。そして、もし環アジア・太平洋の平和を乱す国が現れた時には、参加国の3分の2以上の多数の決議により、参加国が一致して平和の回復のためのあらゆる手段を行使できるようにする。もちろん拒否権はいかなる国にも与えない。それが、現行憲法の平和主義を守るための唯一の道だと私は考えている。
※ところでニューヨークで開催されていた国連総会(現地27日)で核に関する二つの決議が行われた(朝日新聞の報道は29日朝刊)。一つは核兵器禁止条約(提唱者はNGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」)で、もう一つは日本が提唱してきた核兵器廃絶の決議。
最初の決議は123か国の賛成多数で採択されたが、なぜか唯一の被爆国である日本はアメリカに同調して反対に回った。安倍政権が「日本にとって脅威」と位置付けている核保有国の北朝鮮すら賛成したのに…。
一方日本が1994年以降、毎年提出してきた核兵器廃絶を訴える決議にはアメリカも初めて同調して採択された。この決議に反対したのは4か国だけで、中国も反対した。中国が核兵器廃絶に反対した理由は「日本と歴史認識が違うから」だそうで(これは28日のテレビ報道)、もしそうなら日本にとっては北朝鮮の核より中国の核のほうがはるかに脅威ということになる。中国が歴史認識の違いで日本に核威嚇をしてくるのであれば、安倍は対抗上日本の核武装を真剣に考えるべきだろう。もし中国が実際に日本に核攻撃をした場合、アメリカが自国の核で日本を防衛してくれることはありえない。日本は「アメリカの核の傘で守られている」と思い込んでいるが、「アメリカの核の傘」は「絵に描いた餅」にすぎない。
私は、日本が核武装すべきだ、などと言いたいわけではない。あらゆる政治・経済の国内・国際の事象を論理的に分析する思考力を日本人は身に付けてほしいと願っているだけだ。
いつも私のブログは長すぎて、読者の方たちにご負担をかけすぎているため、今回のブログはこれで終えます。次回のブログで、安倍がもくろむ憲法改悪草案について「平和条項」を中心に検証します。