小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

憲法審査会が再開されたが、自民党草案は「改正」か「改悪」か? ①

2016-10-31 08:14:15 | Weblog
 私が前回のブログで、来年1月の通常国会冒頭で安倍総理が解散・総選挙に打って出る理由を述べた通りになることが明らかになった。(以下敬称略)
 つまり安倍の解散・総選挙の最大の狙いは、それまでメディアが報じていた理由(プーチン訪日で日ロ外交の前進により自民有利の状況下での選挙・5月の
小選挙区区割り変更前に現議員を維持するための選挙)ではなく、自民党大会で党則を改定し、総裁任期を現在の連続3年2期から連続3年3期に延長することが真の目的だったことが明々白々となった。
(※このブログ原稿は27日までに書き上げたが、28日にプーチンが北方領土問題の解決はそんなに簡単ではないという趣旨の記者会見を行ったことが明らかになった。安倍外交の最大の成果と期待が大きかっただけに、日本側としてどう対応するのか、安倍に大きな難問がのしかかった。まさか手ぶらで来日するプーチンに大きなお土産を渡すようなことがあったら、安倍内閣は危機的状況に陥ることだけは間違いない)
 実際、自民は10月26日、党・政治制度改革実行本部を開き、安倍の腰巾着・高村と麻生が音頭をとって、現在党則で定められている総裁任期を延長することを決めた(今週開かれる総務会での承認はいちおう必要)。そして総選挙後の3月の党大会で党則改悪を行おうというわけだ。
 が、この実行本部は自民の衆参国会議員414人で構成されるが(つまり事実上の両院議員総会)、この重要な会議に出席したのはたった56人。約87%の自民国会議員がこの会議をボイコットしたのだ。安倍の足元が党内で揺らぎだしたと見てもいいかもしれない。

 なぜ安倍は、そこまでして長期政権の座にしがみつこうとしているのか?
 言うまでもなく自らの手で憲法改悪を成し遂げねばならないという「使命感」に駆られているからだ。安倍内閣が高い支持率を維持し、日本維新の会や日本のこころなどの改憲勢力が衆参両院で3分の2以上を占めている間に、何が何でも憲法を改悪しておかないと、「硬性憲法」とされている日本国憲法の改悪チャンスは当分の間訪れないと思っているからだ。
 私自身は、憲法はいずれ改正すべきだと考えてはいる。が、安倍政権下での改定は改正ではなく改悪になることだけは疑う余地がない。
 現行憲法は、しばしば「平和憲法」と呼ばれているように、日本の政権(国家権力)が二度と戦争をしてはならないと、国際紛争解決のための武力行使を禁じていることだけは未来永劫に守らなければならない、と私は考えている。
 憲法と法律の関係を明らかにしておくと、憲法は権力を縛るものであり、法律は憲法が認める範囲で国民(在日外国人も含む)を縛るものである。そして憲法を決めるのは国民であり、法律を決めるのは立法府(国会)である。
 ところが、現行憲法はいまだに日本国民の承認を得ていない。GHQに押し付けられたとか、日本政府の意見も憲法にかなり反映されているなどというばかばかしい議論を私はするつもりはない。決定的な事実は、日本が連合軍(実態は米軍)の占領下におかれ、主権をアメリカに奪われていた時代に、現行憲法は国民の承認も得ずして(国民の審判を受けずに)制定されたものだからだ。
 日本を占領下においた連合軍総司令官マッカーサーは、単に農地解放や財閥解体、教育改革(日本人から愛国心を奪う教育)ことなど、一連の民主化政策を行っただけではない。日本の工業力(軍事産業だけでなく平和産業も含め)を徹底的に破壊し、日本を農業国家に先祖帰りさせることがマッカーサーの占領政策の目的だった。そのためマッカーサーはわずかに残った日本の平和産業の生産設備をも取り上げ、戦後賠償の名目でアジア諸国に移転させようとさえ考えていた。
 が、この極端なマッカーサーの占領政策にNOを突きつけたのが、米本国政府(大統領はトルーマン)だった。マッカーサーの極端な占領政策によって日本が共産化しかねないことを米本国は恐れたのだ。実際日本がギブアップしてポツダム宣言を受け入れ無条件降伏した後も、ソ連は対日戦争を続け北方四島を奪った。ソ連は戦勝記念日をかってに9月2日にしたが、その日は米艦ミズリー号で日本が降伏文書に調印した日であり、日本はとっくに武装解除されており、ソ連との戦争状態には事実上なかった。さらにソ連はアメリカに北海道の分割支配を提案しており、日本占領の野望を捨てていなかった。
 そういう状況下で現行憲法の草案作りが吉田内閣の手で進められたのである。また、当時は旧憲法(大日本帝国憲法)が停止されていなかったため、憲法改定作業は枢密院(天皇の諮問機関)の承認を経て衆議院議会、貴族院議会で承認されて45年11月3日に公布、翌46年5月3日より施行されたという経緯がある。当時は憲法の改定には国民の承認を必要としなかったのである。

 私はこれまでも吉田内閣の大きな功罪を指摘してきたが(『日本が危ない』『忠臣蔵と西部劇』などの著書およびブログでの記事)、吉田は戦後「傾斜生産方式」という経済政策を行った。具体的には、当時の基幹産業であった鉄鋼産業と石炭産業を立て直すことを最重要視し、サンフランシスコ講和条約の締結(51年9月4日)で独立を回復したのちも日本の安全保障をアメリカに委ね(旧安保条約を締結)、国力のすべてを工業力の回復に注いだ。当時のアメリカの占領政策の最大の目的は日本の共産化を防ぐことにあり、ソ連の南下政策に対する防波堤として日本をソ連の侵攻から守ることが国益でもあった。
 実際、この時期アジアには共産主義の嵐が吹きまくっていた。中国大陸では毛沢東率いる共産軍が49年10月1日、中国本土を制圧して政権を樹立し、朝鮮でも金日成の共産軍が勢いを増していた(50年6月25日、朝鮮戦争勃発)。アメリカは韓国軍を支援するため、在日米軍基地の兵力を根こそぎ朝鮮半島に送り込み、北朝鮮軍には中国の義勇軍が参戦し、この時期日本は丸裸になったのである。そういう状況下でマッカーサーは吉田内閣に再軍備を迫る。吉田はやむを得ず50年8月10日、自衛隊の前身である警察予備隊を結成した。現行憲法9条の解釈改憲による空洞化が始まったのはその瞬間である。

 実は現行憲法草案を巡って国会での審議で、現行憲法草案に猛反対したのが社会党と共産党だった。46年6月28日には共産党の野坂参三議員が「戦争は侵略戦争と正しい戦争たる防衛戦争に区別できる。したがって戦争一般放棄という形ではなしに、侵略戦争放棄とするのが妥当だ」と主張した。
 野坂の質問に対し吉田は「国家正当防衛権による戦争は正当なりとせられるようであるが、私はかくのごときことを認めることは有害であろうと思うのであります。近年の戦争は多くは国家防衛権の名において行われたることは顕著な事実であります」と答弁している。
 また社会党の森三樹二議員も「戦争放棄の条文は、将来、国家の存立を危うくしないという保障の見通しがついて初めて設定されるべきものだ」と批判した。この主張に対しても吉田はこう答弁した(7月9日)。
「世界の平和を脅かす国があれば、それは世界の平和に対する冒犯者として、相当の制裁が加えられることになっております」

 吉田の功罪を明らかにしておく。
 「功」は言うまでもなく戦後の荒廃から日本経済立て直しの道筋を作ったこと。もし「傾斜生産方式」という経済政策をとっていなかったら日本は、いわゆる朝鮮特需にありつけなかったであろうと思われること。そして世界の奇跡とまで言われた高度経済成長時代を迎えることはなかったかもしれない。
 「罪」は、日本が独立したのちもアメリカに日本の安全保障を委ね、結果的にアメリカの言いなりになる国にしてしまったこと。そして日本が独立した後もアメリカは沖縄を占領下に置き続け、沖縄返還の直前に日本本土の米軍基地の大半を沖縄に移設し、返還後も沖縄県民に苦痛を強いる遠因をつくったこと。そして独立に際して現行憲法について国民の審判を仰がず、その結果権力による際限のない解釈改憲の余地を与えてきたことだ。

 では、現行憲法の平和主義の象徴とも言える9条が、安倍によってどう改悪されようとしているかを検証しよう。まず現行憲法はこうだ。

① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。

 実は②の冒頭に挿入された「前項の目的を達するため」なる部分は民主党(当時)の芦田均議員が強く主張して追加されたものである。いわゆる「芦田修正」と呼ばれている但し書きだが、この文がその後、大きな誤解を生む原因になった。実際芦田は現行憲法が公布された46年11月に『新憲法解釈』を発表し、こう述べている。
「第9条の規定が、戦争と武力行使と武力による威嚇を放棄したことは、国際紛争の解決手段たる場合だけであって、これを実際の場合に適用すれば、侵略戦争ということになる。したがって自衛のための戦争と武力行使はこの条項によって放棄されたのではない。また侵略に対して制裁を加える場合の戦争もこの条文の適用以外である。これらの場合には戦争そのものが国際法上から適法と認められているのであって、1928年の不戦条約や国際連合憲章においても明白にこのことを規定している」
 芦田自身はこう述べているが、この新解釈は明らかに吉田の国会答弁と矛盾している。国会で現行憲法が審議されたのはほんの数か月前である。吉田は共産党の野坂や社会党の森の質疑に対して明白に自衛権を否定している。仮に芦田の新解釈を認めるとしても②の末尾に記載されている「国の交戦権は、これを認めない」という明白な国家の意思表示と明らかに矛盾する。
 戦争は侵略戦争であろうと自衛のための戦争であろうと、いずれも「国の交戦権」の行使である。「国の交戦権」を最終的に否定している以上、自衛権も放棄したと考えるのが素直な文理的解釈であろう。(※なお国の交戦権を否認したこの一文は自民の草案から削除されている)
 実際、警察予備隊から保安隊、自衛隊と名称を変更し、際限のない解釈改憲をしてきた自民党政権や自公政権も自衛隊について、現行憲法で保持や行使が否定されている『武力』や『戦力』という表現が使えず、『実力』なる意味不明な表現を使わざるを得ないのが現実である。芦田が主張したように、現行憲法が自衛権を否定していないのであれば、自衛隊は「自衛軍」ないし「国防軍」(自民草案では「国防軍」と改称している)とすればいいのであって、「実力」などという意味不明な表現で自衛のための戦力を位置付ける必要などなかったのだ。
 言っておくが、私は自衛権を否定しているわけではない。が、自衛権の行使は国の存亡が危うくなる場合のみ可能であり、そもそも、そうした事態に至らないようにするために、日本は自国の安全保障を戦争大好きなアメリカにのみ頼るのではなく、環アジア・太平洋の諸国との間に友好関係を築き、集団安全保障体制を構築すべきだと思っている。もちろんアメリカを排除すべきではないし、中国や北朝鮮、ロシアにも仲間に入ってもらう。そして、もし環アジア・太平洋の平和を乱す国が現れた時には、参加国の3分の2以上の多数の決議により、参加国が一致して平和の回復のためのあらゆる手段を行使できるようにする。もちろん拒否権はいかなる国にも与えない。それが、現行憲法の平和主義を守るための唯一の道だと私は考えている。

※ところでニューヨークで開催されていた国連総会(現地27日)で核に関する二つの決議が行われた(朝日新聞の報道は29日朝刊)。一つは核兵器禁止条約(提唱者はNGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」)で、もう一つは日本が提唱してきた核兵器廃絶の決議。
 最初の決議は123か国の賛成多数で採択されたが、なぜか唯一の被爆国である日本はアメリカに同調して反対に回った。安倍政権が「日本にとって脅威」と位置付けている核保有国の北朝鮮すら賛成したのに…。
 一方日本が1994年以降、毎年提出してきた核兵器廃絶を訴える決議にはアメリカも初めて同調して採択された。この決議に反対したのは4か国だけで、中国も反対した。中国が核兵器廃絶に反対した理由は「日本と歴史認識が違うから」だそうで(これは28日のテレビ報道)、もしそうなら日本にとっては北朝鮮の核より中国の核のほうがはるかに脅威ということになる。中国が歴史認識の違いで日本に核威嚇をしてくるのであれば、安倍は対抗上日本の核武装を真剣に考えるべきだろう。もし中国が実際に日本に核攻撃をした場合、アメリカが自国の核で日本を防衛してくれることはありえない。日本は「アメリカの核の傘で守られている」と思い込んでいるが、「アメリカの核の傘」は「絵に描いた餅」にすぎない。
 私は、日本が核武装すべきだ、などと言いたいわけではない。あらゆる政治・経済の国内・国際の事象を論理的に分析する思考力を日本人は身に付けてほしいと願っているだけだ。

 いつも私のブログは長すぎて、読者の方たちにご負担をかけすぎているため、今回のブログはこれで終えます。次回のブログで、安倍がもくろむ憲法改悪草案について「平和条項」を中心に検証します。



なぜ永田町で解散風が吹き出したのか? 安倍総理の狙いが分かった。

2016-10-17 09:33:47 | Weblog
 働き方改革はまだ政府内で具体策が固まっていないので、とりあえず10月に入って永田町で唐突に吹き出した解散風の意味について考えてみたい。(文中、敬称略)
 通常、解散風が吹き出すのは、解散の1か月ほど前である。たとえば前回の衆院選(2014年12月2日公示、14日投開票)でも、安倍がAPEC首脳会議を皮切りにASEAN関連首脳会議、G20など海外の主要会議に連続して出席するため日本を離れている間(11月9~17日)に、永田町で唐突に吹き出した。出発当日、安倍はメディアの番記者の質問に「解散のことはまったく考えていない」と断言して日本を飛び立ったが、安倍の海外歴訪中に永田町で一気に解散風が強まり、帰国直後安倍は「アベノミクスの継続について国民の信を問う」という“大義名分”(?)で解散を決めた。
 そもそも安倍が自民党内で浮いている状況だったら、「鬼の居ぬ間に洗濯」といった類の反安倍勢力によるクーデター的解散風ならいざ知らず、同年9月の内閣改造で総裁選でのライバルだった石破茂を幹事長から外して地方創生相に追いやるなど、すでに安倍の強権体制は自民党内でほぼ確立しており、安倍の意向を無視して解散風が吹き出すわけがない。おそらく高村らの安倍に忠実な取り巻き執行部が、携帯電話やメールなどで海外にいる安倍の指示を受けながら計画的に解散風を強めていったと考えられる。今回の解散風も当時の状況と似た感じがするが、3か月以上も前から風が吹き出すのは異例中の異例だ。

 安倍は当初、先の解散・総選挙で民主党との争点を消費税再増税の延期問題にするつもりだった。民主党が3党合意に基づいて14年10月に再増税すべきだったと主張するだろうと考え、一気に民主党潰しを考えていたと思われるが、肝心の民主党が3党合意による消費税10%の延期にこだわっておらず、やむを得ず安倍は「アベノミクスの継続について国民の信を問う」という、争点になりようがない解散・総選挙に踏み切ったのだ。
 自慢話を書くつもりではないが、このときの公示日の翌日(12月3日)に投稿した『総選挙を考える④ アベノミクス・サイクルはなぜ空転したのか』と題したブログの末尾で、私はこう書いた。

 いずれにせよ、今回の総選挙は憲政史上空前の低投票率を記録することだけは間違いない。結果として国民に選択肢がないため(野党が効果的な経済政策を打ち出せないため)、自公連立政権は継続することも間違いないが、はっきりしていることは選挙の低投票率は、国民が突き付けたアベノミクスに対するNOであることだけは言っておく。私の周辺には「今回の選挙には投票に行かない」という人たちが大半である。昨日から選挙戦は本番に突入したが、「こんなに盛り上がらない選挙は、かつてあっただろうか」という有権者の反応の実態がもうすぐ見えてくる。

 実際、このときの投票率は戦後最低の52.66%だった。メディアが「戦後最低」と報じたので憲政史上最低だったかどうかは不明だが、おそらくメディアが正確に調べていれば戦前・戦中を含め明治維新以降の憲政史上で最低の投票率だったのではないかと私は思っている。
 それでもこのときの投票率は私の予想より高かった。投票日直前に各メディアが世論調査により「自民300を超える勢い」と報じたため、びっくりした無党派層が投票所に足を運んだ結果、私の予想を上回る投票率になり、その無党派層が消去法で共産党に票を投じた(比例代表区)と考えられる。その結果自民の当選者は300をかなり割り込み289人にとどまった。
 おそらく今予想されているように、来年1月の通常国会冒頭で安倍が衆院解散・総選挙に打って出れば、投票率は50%を切る可能性すらあると、私は考えている。ただ先の解散・総選挙のときのように、メディアが投票日直前になって自民大勝の世論調査結果を報道すれば、投票所に足を運ぶつもりがなかった無党派層が急きょ足を運ぶ可能性もある。その時までに新進党が実現可能な魅力的なマニフェストを打ち出せれば、無党派層の支持を受けることが出来るかもしれないが、それが不可能だった場合はやはり共産党が漁夫の利を得る可能性が高い。ただし先の参院選のように小選挙区で野党協力が機能すれば、民進党は小選挙区で当選者を増やす可能性はある。が、その場合でも比例代表区では新進党はかなり苦戦すると思われる。
 ただ野党共闘が実現するかは、まだ不明だ。民進党は小選挙区で共産党の力を借りたいだろうが、総選挙は国民に党の考えをアピールする最大の場である。これまで共産党は勝ち目がなくてもすべての選挙区で立候補者を立ててきた。共産党への支持率が少しずつでも上がってきたのは、そうした粘り強い戦いの結果でもある。先の参院選の1人区で共産党が立候補したのは香川県のみ。共産党が強い選挙区ではない。民進党にとっては形ばかりの借りを返したにすぎない。そうしたことへの不満が共産党員の中で渦巻きだしても不思議ではない。私は来年1月の総選挙の小選挙区で無条件で民進党議員を応援するとは思えない。もし野党共闘から共産党が外れたら、民進党は無残な結果になる。

 12月15日にはロシアのプーチン大統領が来日する。北方領土問題を巡って一定の進展が期待されてはいるが、外交はふたを開けるまでわからない。蓋が空いても、ひっくり返ることさえある。また外交の勝利で自民党の当選者が増えるという保証もない。過去の例を見ても、沖縄返還直後の総選挙では自民党は議席を増やしたが、日中国交回復直後の総選挙では自民党は議席を減らしている。来年1月の総選挙も、先の参院選のように野党協力が行われれば民進党は小選挙区でかなり議席を増やす可能性があり(比例代表区では減少するだろう)、一方共産党は無党派層の風を受けて比例代表区では議席を増やすことも考えられる。つまり、日ロ外交の成果が自民党にとって必ずしも有利な選挙状況をつくってくれるとは言えないのだ。

 ところで現在国会では、自民党の憲法改正草案を巡って、衆参で与野党の議論が盛んに行われているが、もし来年1月に解散・総選挙を強行すれば、安倍は何を選挙の争点にしようとするだろうか? 
 前回と同様、アベノミクスの継続を国民に問うのか。それとも憲法改正を無理やり争点にするつもりなのか。少なくとも「働き方改革」は争点にならない。
 すでに民進党は安倍の手のひらで踊らされている。民進党代表の蓮舫は自民党の憲法改正草案の一部について安倍に何度も噛みついている。たとえば家族の在り方も、蓮舫が主張するように憲法が国民に強いるような話ではないのは自明だ。そもそも大家族時代が崩壊して核家族時代に移行し、それに伴って少子化が急速に進んだのは先進国に共通した時代の流れであり、自民党草案はあたかも大家族時代への回帰を目的にしていると考えられないことはない。そんなことは、憲法でどんな家族論を打とうが不可能なことだ。
 憲法と法律の関係は、欧米を中心に議会制民主主義政治が世界各国に波及して以来、憲法は権力者(立法府)を縛るものであり、立法府(国会)で成立した法律は国民を縛るというのが大原則である。
 たとえば殺人罪についての刑の軽重は憲法で決めるべきことではなく、かつては自分の祖父母・両親・おじ・おばなど親等上、父母と同列以上にある血族(尊属)に対する殺人を、尊属以外への殺人より重罪としていた「尊属殺」は、憲法14条が定める「法の下の平等」に違反した法律だという判断が1973年4月、最高裁で下されて廃棄されたことすら憲法改正草案を作った自民党議員たちは忘れているようだ。
 さらに自民草案は「個人の自由」にも制限を盛り込もうとしている。つまり自由や権利には責任と義務が伴うというのだが、そんなことは民主主義社会では憲法に盛り込む必要のない自明の原理原則であって、法律は憲法で保障された自由に対しても憲法に抵触しない範囲での制限を設けている。憲法は基本的人権に基づいて個人の自由を認めているのであって、窃盗や殺人など犯罪の自由まで認めているわけではない。言論の自由にしても、現在の法律は無制限に認められているわけではなく、憲法で自由に制約をつくれば、それはもはや民主主義国家の憲法ではなく、共産主義国家の憲法と言わざるを得ない。
 安倍は蓮舫の自民草案批判に対し、「草案は谷垣総裁の時代につくられたものであり、私は関与していない。私は憲法改正のたたき台と位置付けている。民進党は自民草案を憲法改正のたたき台にしたくないのであれば、民進党の憲法草案を提出していただきたい。そのうえで、憲法審査会で大いに議論しようではないか」と余裕すら見せている。すでに安倍は、民進党が党として憲法改正草案などつくれっこないと読み切っているからだ。
 実際、蓮舫は代表選で勝利した後、「批判するだけでなく、提案・対案を出して国民に信を問う」と宣言したが、現実問題として野合政党に回帰した民進党で安全保障問題や憲法改正問題など、日本という国の在り方を巡っての民進党としての一致した政策を出そうとすれば、民進党は再び四分五裂しかねない。
 自民党もアベノミクスの崩壊によって経済政策や社会保障政策で行き詰ってはいるが、民進党も「では、どうすべきか」という対案が出せないままだ。選挙の際に各政党が掲げるマニフェストは、単に「絵に描いた餅」にすぎず、本当に食べられる餅にするにはどういう政策をとるべきかはどの政党も国民に語ろうとしない。が、政権の座に就いたら「実はマニフェストは絵に描いた餅でした」とは言えない。実際に食べられる餅にするための政策を提案し実行に移さなければ国民から見放される。実際、戦後衆院選で最大の308議席を獲得しながら、結局絵に描いた餅を食べられる餅に出来ず(つまり政策を提案し実行に移すことが出来ず)、国民から見放された旧民主党政権時代の反省抜きに再び野合政党に復帰した民進党への国民の信頼を回復するのはきわめて厳しいと言わざるを得ない。
 自民草案も、現行9条について現在の矛盾を解決しようと、自衛隊を「国防軍」と改め、自衛権を盛り込んでいるが、すでに現行9条は解釈改憲を何度も重ねてぼろぼろになっている。いまさら「国防軍」に名称変更しようが、自衛権を挿入しようが、事実上そういう状態に今の安全保障体制はなっている。ま、確かに「国防軍」に名称変更すれば、これまでのように「実力」などと外国人には理解できない位置付けを止めることが出来るようになるが…。
 
 現在自公だけでは参院では3分の2以上の議席に達していないが、日本維新の会や日本のこころなど改憲支持の野党との協力体制が確立すれば3分の2以上を占める。すでに衆院は自公だけで68%を占めており、現時点でも衆院では改憲の発議を行える状態にある。しかし総理の解散権は衆院にのみ認められており、いくら絶大な権力を誇る安倍でも参院を解散することは不可能だ。ではなぜ来年1月に衆院を解散する必要があるのか。安部にとって…。
 実は自民党の党大会は毎年1月の通常国会の前に行われている。その党大会を安倍は3月に延ばした。来年の党大会で重要なことを決めなければならないからだ。はっきり言おう。総裁任期についての党則を変更するには、総裁任期を2年しか残していない安倍にとって、再来年の党大会まで待てないからだ。
 つまり安倍の真実の狙いが、権力のさらなる強化を図り党則を改正すべく解散・総選挙をやるというのなら、安倍は小泉劇場の再現を目指しているのかもしれない。小泉は郵政民営化を実現するため、衆院ではかろうじて法案を通過させたものの、参院で過半数の支持を得ることが困難な状況で衆院を解散して総選挙を強行し、衆院で法案に反対票を投じた自民党議員(全員除名)の選挙区に落下傘部隊を投入し(例えば反対票を投じた小林興起の選挙区である東京10区では小池百合子を自民党公認候補として擁立し小林を落選させた)、衆院における小泉支持勢力を一気に拡大した(この選挙で当選した新人議員を小泉チルドレンという)。結果、参院では民営化に反対する自民党議員が一人も出ず、小泉は郵政民営化に成功した。
 安倍は小泉劇場の再現によって来年の党大会で党則を改正し、長期政権を図ろうとしているのだろう。論理的に考えると、そういう結論しかありえない。