小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

女子フィギアのテレビ放送はおかしい。スポーツは生が原則だ。

2009-12-28 17:39:26 | Weblog
 浅田真央が全日本選手権で優勝し、オリンピックの出場をやっと決めた。真央ちゃんフアンの私としても素直に喜びたいが、26,27の両日フジテレビが放送したのは録画だった。なぜ生放送しないのか極めて疑問が残る。
 日本で行われる2大女子フィギア競技は、グランプリ出場権がかかったNHK杯とオリンピック出場権がかかった全日本選手権である。女子フィギアの人気が急増したのは浅田真央が史上最年少でNHK杯で優勝してグランプリの出場権を獲得し、グランプリも史上最年少で優勝して以来である。それ以降浅田真央が出場する競技は、海外の競技も含めすべてのテレビ局がゴールデンタイムに放送するようになった。
 実はNHK杯もかつては土曜日のショートプログラム、日曜日のフリーの両競技を午後7時30分から録画中継していた。浅田真央が最年少優勝を飾ったときもそうだった。まず初日のショートプログラムの放送直前のニュースで、NHKのアナウンサーが浅田真央がトップで通過したことを報道してしまった。結果を放送の前に報道するスポーツ番組は、前書きで犯人と犯行の手口を明らかにした推理小説のようなもので、一体そんな推理小説をだれが読むか。私はNHKの視聴者センターに猛烈に抗議した。
 翌日曜日もラテ欄(業界用語でラジオ・テレビ欄のこと。昔はラジオ番組とテレビ番組が1ページに掲載されていたため、この業界用語が生まれ、現在も定着している)にフリー競技の放送が7時30分から予定されていたので、視聴者センターに電話をして「今日の放送も録画中継だったらニュースを録画して後で見ることにするから生か録画か教えてほしい」と聞いたところ「しばらくお待ちください」と少し待たされた後「今日は生です」と答えたので、私は安心して7時のニュースを見た。ところが、ニュースの冒頭でアナウンサーが「浅田真央が最年少でNHK杯に優勝しました」と報道した。
 私は烈火のごとく怒り、再度NHKの視聴者センターに電話をして、「お前たちは嘘をついてまで視聴率を稼ぎたいのか」と抗議した。電話に出た人は「しばらくお待ちください」と言ったあと「責任者に代わります」と、電話を回した。改めて電話口に出た人は「責任者の岡田です。お客様から昨日抗議の電話をいただいたこと、今日の昼間にお問い合わせがあり私どもの職員が今日の放送は生ですとお答えしたことを確認しました。まことに申し訳ありませんでした。しかもその職員が独断で生ですとお答えしたのでなく、番組制作担当者に確認を取ってお答えしたことまでわかりました。今後は2度とそういったことがないよう原因を徹底的に調査して改善を図っていきます」と誠意に満ちたご返事をいただいた。そこで私は「スポーツは生が原則です。オリンピックやワールドカップ、ゴルフの4大メジャー、NHKのBSが早朝に放送するアメリカのプロ野球やゴルフ番組もすべて生です。昼間働いている人は見ることができない大相撲や高校野球も生です。しかもフィギアのNHK杯は日本で行われている競技で、生放送が困難な時間帯に行われているはずがありません。しかも録画放送の直前のニュースの冒頭で結果を報道してしまうということは犯人と犯行の手口をあらかじめ前書きで公表した推理小説を読まされるようなもので、岡田さんだったらそんな推理小説を読みますか?」と主張した。岡田氏は「まことにごもっともなご意見で、今後NHK杯の放送の在り方について検討いたします」と約束してくれた。
 NHK杯の競技が昼間ではなく(男子は夕方)NHKの放送時間帯に行われるようになったのはその翌年からである。この女子フィギアを全日本スケート連盟がNHKに譲歩したのは主催者がNHKだからだとは思う。あるいはNHKがスケート連盟に助成金を上乗せしたのかもしれない。フジテレビの場合はスケート連盟に対する力関係がNHKほどではないのは十分理解できる。が、スポーツ放送は生、というのは絶対的な大原則である。
 NHKが録画中継していた時代、ネットをしながらフジテレビの全日本選手権を見ていた。するとネットで浅田真央がショートプログラムをトップで通過というニュースが流れた。私はすっかり生だと思っていたのでフジテレビの視聴者センターに電話をして番組担当者につないでもらった。私が番組担当者に聞いたのは「今放送中の女子フィギアは何時に行われたんですか」という質問だった。女性の担当者は「この放送は生ですよ」と、イケシャーシャーと答えた。そこで私は「ネットで浅田真央がトップで通過というニュースが流れているんだけど」と言った途端、「少々お待ちください」と言って2分ほど待たされた挙句別の男性の担当者(たぶん番組の責任者だと思う。ちなみにテレビ局の視聴者センターで電話に出た人が名前を名乗って視聴者に対応するのはNHKだけである。新聞の場合は私は読売と朝日しか知らないが責任者を除いて絶対に名前を名乗らない)が出て「申し訳ありません。彼女はちょっと混乱していたようで午後1時30分から競技は行われました」と録画中継であることを認めた。いまではフジテレビの視聴者センターは録画であることを隠そうとはしない。「それならラテ欄に録画と表示すべきだ」と主張しているが、いまだ実現できていない。なお女子フィギア以外の録画中継のスポーツ番組はすべて「録画」と表示するのが原則になっている。
 私はフジテレビに生中継させるためには方法は二つしかないと思っているが、この方法もなぜか不可能なようだ。その二つの方法を述べる。
 一つは読売や朝日などの新聞がラテ欄に「録画」と表示してしまうことだ。そのことを両紙の読者窓口に申し入れたが「担当者に伝えます」というだけで、なぜか実現できていない。
 もう一つはフジテレビを除くテレビ局各局が夕方のニュースで結果を報道してしまうことだ。特にNHKは自らスポーツ放送の姿勢を改めた経緯があるだけに、またニュース番組では午後7時からのニュースが視聴率も最も高いだけに、そのニュースの中で結果を報道してしまったら、間違いなくフジテレビは生放送に切り替えざるを得なくなる。
 3年ほど前だったと思うが、グランプリか全日本選手権だったか女子フィギアのビッグ競技が行われた日の7時のNHKニュースでサッカーかラクビーの天皇杯の準決勝の試合結果を報道しながら女子フィギアの結果を報道しなかったので視聴者センターに「おかしいのではないか」とクレームをつけたことがある。その時私の電話に出た男性職員は「私はサッカー(あるいはラクビー)の天皇杯準決勝のほうが大きいニュースだと思いますよ」と答えたので「責任者に代わってくれ」と申し入れ、再び岡田氏が出た。岡田氏は「本当に自分の意見を言ったのですか」とびっくりしたので、私は「自分の意見を言ってもいいが、天皇杯の準決勝(ちなみに当日NHKは生中継した)のほうが女子フィギアのビッグイベントの決勝よりスポーツニュースとして重要だという認識を持っていることのほうが問題だ。NHKは女子フィギアのNHK杯をゴールデンタイムに生放送している。そのNHK杯より格上のビッグ競技より天皇杯の準決勝のほうがビッグニュースだという認識はNHKが中継放送したからという理由から生じている。こういう認識の職員がいるとNHKはますます国民からの距離が遠くなる。自分の意見を言ってはいけないというのがマスコミの共通した姿勢だが、それよりNHKが放送したスポーツがすべてのスポーツよりビッグニュースだという感覚のほうが大問題だ」と述べ、岡田氏は「重大なご指摘です。視聴者目線でものを考えるよう視聴者センターの職員の再教育をします」と言ってくれた。それはそれで問題は解決したのだが、なぜ女子フィギアの結果をニュースで流さないのかという疑問をぶつけると、とたんに岡田氏の口調があいまいになった。
 いちおう岡田氏の弁解を紹介しておくと、他局が放映権を持っているスポーツについてはその局の放送が終わるまで報道できないということだった。「それはおかしい」と私は反論した。「他局が放映権を持ち、しかも中継中のプロ野球は全試合の途中経過を報道しているではないか。もちろん映像は放映権の侵害になるから流せないし、現にプロ野球の途中経過も映像は流していない。だから女子フィギアの場合も映像抜きで結果だけ報道すべきだ。そうすれば女子フィギアのビッグ競技はすべて生放送になる。それが視聴者目線に立ったスポーツ報道の在り方ではないか」と突っ込んだ。岡田氏も「そう言われれば、確かに女子フィギアについての報道はおかしいと思いますが、スケート連盟との間に何らかの約束事があるんでしょうかね。私もそこまではわかりません」といったやり取りが岡田氏と話し合った最後である。
 一体なぜ新聞社はラテ欄に「録画」と表示しないのか、またNHKをはじめテレビ各局はニュースの時間帯には結果が分かっている女子フィギアの結果を報道しないのか。いつまで視聴者を愚弄した放送状態が続くのか。もういい加減にしてほしいと私は思う。

政治家とジャーナリストには時効はない!

2009-12-25 20:43:31 | Weblog
 鳩山首相がついに母親からの政治資金贈与を認めた。が、鳩山首相が認めたのは時効になっていない約12億円の贈与だけで、納付する贈与誠(約6億円)も時効になっていない贈与分に対する贈与税だけだ。
 鳩山首相は当初「秘書がすべて処理していたので私は母親から贈与を受けていたことはまったく知らなかった」と責任回避の発言を繰り返していた。これはリクルート事件の構造と全く変わりがない。リクルートの江副社長からリクルートコスモスの未公開株を譲渡されていた政治家は、すべて鳩山首相と同様「秘書が、秘書が」を繰り返し責任逃れを図ったが、結局副総理兼大蔵大臣だった宮沢喜一がまず辞任に追い込まれ、首相の竹下登も辞任に追い込まれた。鳩山首相はその事実をもうお忘れになったのか。
 鳩山(もう首相という肩書はつけない)は、時効にかかっていない贈与についてだけ贈与税を納付するという。鳩山が本当に秘書任せにしていて母親からの贈与を知らなかったのだったら(そんなことはあり得ない。母親が自分の息子に内緒で赤の他人の秘書に大金を渡していたとしたら鳩山の母親は精神障害者としか考えられない)、鳩山はまず母親を「禁治産者」にすべきだ。そして本当に「禁治産者」の母親から巨額の贈与を秘書が鳩山に報告もせず処理していたとしたら、秘書は絶対にその贈与のかなりを私物化していたはずだ。少なくとも私が鳩山の秘書だったら、鳩山の母親からの贈与のかなりの部分を銀座での豪遊や女を囲ったりすることに使っている。もし鳩山の母親が精神障害者でなかったら、時効にかかっていない分だけでも12億円もの大金を鳩山に内緒で赤の他人の秘書に預けたりはしない。
 問題は鳩山が政治家としての倫理観を決定的に欠いているということだ。私がこのブログで政治家とジャーナリストには時効がないと主張したのは、政治家とジャーナリストには事項が有り得ないと思っているからだ。私は元ジャーナリストとして、数10年前に誤った主張をしたり、事実を誤認したりしたことについて、いまでも責任を感じている。また朝日や読売、NHKなどの大マスコミは「あの戦争(朝日は「アジア太平洋戦争」と言い、読売は「昭和戦争」と言っているが私は「あの戦争」という言い方しかできないと考えている)」について未だに検証作業を続けている。つまりジャーナリズムには時効がないということだ。
 同様に政治家、とくに日本の将来を左右する地位にある政治家にも時効はあり得ない。鳩山が本当に誠意を持って母親からの贈与問題を解決しようというなら、時効になった部分まで遡って母親から贈与された総額を調べ上げ、自ら重加算税を上乗せして国庫に納付すべきだ。政治家には時効がないということを自ら実践した時、初めて鳩山は国民の信頼をかすかに取り戻せる可能性がある。「時効になった贈与税は納付する必要がない」という感覚の政治家をだれが信頼するだろうか。

インターネット接続がさらに速くなった。

2009-12-24 19:42:04 | Weblog
 10月18日に「インターネット接続を最も速くする方法をお教えします」というタイトルでブログ記事を投稿した。その時点での私のパソコンのインターネット接続の状況を再度お知らせする。

 パソコンはDELLのVOSTRO200.OSはウィンドウズXP.当初のメモリーは2ギガ。インターネットはso-netの12メガADSLだった。
 私がインターネット接続を早くするためにとった方法はメモリーを2ギガ増設して、ソースネクストの驚速XPをインストールしただけだった。
 so-netに限らず12メガADSLの限界距離はNTTの基地局から4キロ以内とされていた。そして私の住居は基地局から4.3キロ離れている。現在のパソコンに替える前はメモリーが512キロだったため、インターネットも遅かったし、一番困ったのはIP電話がしばしばトラブルを起こすことだった。その事情をso-netに伝えたところ2度新しいモデムを送ってきた。が、状況は全く改善されなかった。結局so-netのテクニカルサポートがIP電話の状況を改善するためにとった手段は速度を8メガに落とすことだった。これでIP電話の問題は解決できたが、当然のことながらインターネットは遅くなった。
 マイクロソフトがVISTAを発売したとき、パソコンをVISTAに買い替えようかと思ったが、XPよりかえって重くなったという評判が生じ、DELLもVISTAより2ギガメモリー搭載のXPの販売に力点を移した。というわけで私は2ギガメモリー搭載のVOSTROに買い替えたのである。
 ちょうどそのころNTTが私が住んでいる集合住宅にも光回線を敷設し、ひかりフレッツの宣伝に躍起になっていた。で、私もNTTの営業マンに騙されひかりフレッツに加入した。しかしインターネットが速くなったという実感はまったくなかった。さらにひかり電話は欠陥だらけでナビダイヤルやNTTコミュニケーションズ以外の電話会社のフリーダイヤルには一切電話ができないのである。そのためひかり電話でかけられない相手に電話するため公衆電話を設置しているコンビニまで、その都度駆けつけなければならない状況だった。しかも従来の固定電話の基本料1700円より、ひかり電話の基本料はたったの500円という安さを大々的に宣伝して、顧客を騙した。実際にはひかり電話を使用するためには、製造原価はせいぜい2~3000円程度のちゃちなルーターを月々500円近い金額でレンタルしなければならない。結局事実上の光電話の基本料は1000円くらいになり、さらにプロバイダーには光回線の高額使用料を要求するため、フレッツひかりにしてからインターネット料金とひかり電話のセット料金は、それまでの12メガADSLとIP電話+固定電話の料金の倍以上かかることになった。
 そこで私はパソコンマニア集団のPCデポットの人に相談したり、いろいろ研究した結果、メモリーを2ギガ増設し(計4ギガ)、ソースネクストの驚速XPをインストールした結果、パソコン画面のインターエクスプローラをダブルクリックしてからネット接続ができるようになるまでにわずか4秒という、フレッツひかりでは絶対に不可能なインターネット環境をつくることに成功したのである。そのことを10月18日にブログ投稿したというわけだった。
 そのことを読売新聞の読者センターの方に伝えたところ、たまたま私の電話を取った方が技術部の出身で「私はパソコンについてはかなりうるさいですよ」と言ったあと、「パソコン接続が早いのはクッキーの作用が働いているからですよ。そんなことすら知らなかったんですか。またADSLは動画がコマ送り状態になりますよ。ひかりはテレビや映画を見るのと同じです」と無知丸出しのアドバイスをしてくれた。おそらくその方はインターネットのトップページをグーグルにしているのだと思う。グーグルのトップページは変更がまったくないためクッキーが働いてインターネット接続が一見速くなるが、インターネットに接続したあと別のサイトに接続するとき、私のパソコンのように瞬時にはならないはずだ。私のインターネット接続のトップページはヤフーであって、ヤフーは常時新しいニュースをトップ画面に入れているからクッキーは全く働かない。ただ私はしばしばウィキペディアを利用しているが、「お気に入り」からウィキペディアに接続するときは間違いなくクッキーが働いてくれているはずだ。でも別のサイトの飛ぶときも瞬時に接続できるからウィキペディアにクッキーが働いているという実感は感じない。
 それより最近ネット接続がさらに速くなった感じがしたので、先ほどストップウォッチで計ったら、インターネットエクスプローラのアイコンをダブルクリックしてヤフーの検索枠にカーソルが点滅するまでの時間を計ってみたらなんと3秒だった。私がパソコンを買い替えた時のエクスプローラのレベルは7だったが、最近レベル8をダウンロードした。それ以外にネット接続が速くなる理由が思い当たらないので、レベル8のダウンロードが可能なパソコンをお使いの方はみんなネットが速くなったはずだ。
 このブログを書いたのはNTTを告訴するための資料とすることが目的である。すでに10月18日のブログで書いたが、膨大な設備投資をして、そのつけをふふぇっつひかりの利用者に押し付けるといった馬鹿げた計画を即座に放棄し、日本中のインターネット人口が12メガADSLを利用できるよう無人の基地局(小型のサーバー程度で十分)を設置することが公益企業としてのNTTの責務と思うからだ。光ファイバーそのものの技術進歩(速度100メガが200メガにアップするなどという技術革新は理論上あり得ない。電電公社時代の1982年からスタートした光回線の伝送速度は27年後の今でも変わらない)は、せいぜいのところ光ファイバーの製造原価が安くなっただけである。それに対してコンピュータの技術革新は利用者が困惑するほどのスピードで進んでいる。インターネット時代の黎明期はウィンドウズ95だったが、その3年後のウィンドウズ98でインターネットは爆発的に広がっていった。
 その直前の97年9月に私が光文社から上梓した『ウィンテル神話の嘘』という本のあとがきで私はこう書いた。なお当時は日本ではインターネットの料金は電話料金がそのまま適用されていた、つまり3分で10円かかっていたのである。
 「アメリカは違う。マンハッタンとイリノイ州を除く大半の地域はフラットレート方式を採用している。基本料金は州や都市によって多少のばらつきはあるが、平均して月15ドル前後(日本円に換算して約1700円――注・当時の円相場)。この基本料金を払えば、市内電話は何回かけようと、何時間かけようと、原則として通話料はタダだ。(中略)このフラットレート方式はアメリカのみの特赦な料金体系で、ヨーロッパは日本と同様基本料金プラス通話料だが、大半の国の通話料は1回いくらで、時間は無制限である。(中略)そこで私は提案する。パソコンを持っていない家庭の通話料は今のままでもいいが(かといって世界一高い電話料金を容認するつもりはないが)、パソコンを持っていてパソコン通信やインターネットを利用する人とは特別契約を結び、1通話30~50円で時間無制限にせよ、と。そうしなければ、インターネットの時代に日本は完全に取り残されてしまう」
 私の主張に同意していただける方は私と一緒に巨大企業NTTと闘ってほしい。

日本にはなぜ終身刑がないのか?

2009-12-20 15:24:05 | Weblog
 『12人の怒れる男』というアメリカ映画をご存じだろうか? 1957年にアメリカで公開され、日本では2年後の1959年(昭和34年)に公開された。私が大学に入った年である。もちろんモノクロが主流だった時代で、この映画もモノクロで、しかも倒産寸前の映画会社がたった35万ドルの予算で制作し、もしヒットしなければ倒産を覚悟して作った映画だった。
 この映画は、父親殺しの罪に問われた少年の裁判で、ほとんどのシーンが12人の陪審員による密室の中での論議で占められている。単調と言えば単調だが、少年にとって圧倒的に不利な証拠や証言が法廷に提出された中で、たった一人の陪審員が「無罪」の票を投じたことから感動的なドラマが始まる。

 ここで一応アメリカの陪審員制度について簡単に触れておく(ウィキペディアおよびジョン・グリシャムの小説による)。まずアメリカには州法があり、たとえば死刑を廃止した州もあればひとつひとつの罪に対する量刑を加算して数百年の懲役刑を科す州もある。また陪審員の数も12人と決まっているわけではなく6人制の州もある。また陪審員を決めるにあたって20人ほどの候補者を選び、候補者全員に対して原告(検察官)と被告代理人(弁護士)が、陪審員として何らかの予断や偏見を持っていないか手厳しい質問を投げかける。そして検察と弁護士が忌避しなかった12人が陪審員として選ばれる。日本の裁判員制度と違って裁判官が陪審員の論議に参加することはないし、陪審員が量刑を決めることはない。陪審員が決めるのは被告が有罪か無罪かだけであって(それを「評決」という)、全員一致が大原則である。このことはアメリカの裁判映画を一度でも見た方はご存じのはずだが、こういう制度があるから検察も弁護士も裁判官に対して主張するより陪審員に対して主張することに力点を置く。そして密室に閉じこもって議論を尽くし陪審員全員が無罪か有罪かで一致したとき公判が再開され、裁判官が陪審員に向かって「評決が出ましたか?」と尋ね、陪審員の一人が「はい、出ました」と答え、書記官に評決書を手渡す。

 こうしたアメリカの裁判制度をご理解いただけないと『12人の怒れる男』が観客の大きな感動を呼び、裁判映画の最高峰とまで位置付けられてきた理由がお分かりいただけない。
 この映画の大半を占める陪審員会議のシーンでは、法廷に提出された多くの証拠や証言のひとつひとつをめぐって信じるに値するか否かの議論が行われ、ある程度議論を尽くした段階で全員が「有罪」か「無罪」と書いた無記名投票を行う。ほとんど全員が「有罪」で一致するだろうと思っていたが、たった一人が「無罪」の投票をした。
 そうなると再び議論が蒸し返される。映画の観客も誰が「無罪」の投票をしたのかわからないくらい巧みな演出で、「有罪」を投票した11人の陪審員も「無罪」投票をしたのがだれかわからない。そして再び無記名投票をした結果「無罪」票を2人が投じた。また証拠や証言の信ぴょう性について議論が再開され、3度目の投票では「無罪」票が3人に増えた。「無罪」票を投じた陪審員が誰だか分からないだけに全員が疑心暗鬼に陥る。陪審員たちのいらだちも観客に伝わってくる。
 こうして議論を何度も何度もやり直すたびに「無罪」票が一人二人と増え、最後に12人の陪審員全員が無記名で「無罪」票を投じる。その感動的なシーンは、アメリカ映画史上に刻まれたほどである。
 
 実はこの映画について私のブログ読者にお伝えしたかったのは昨日(12月19日)の読売新聞夕刊1面に掲載された「よみうり寸評」に考えさせられることがあったからである。「寸評」の要旨は「自殺は痛いから苦しまずに殺してもらうため、無差別殺人をした犯人に死刑判決が言い渡された。犯人の望み通りの判決だ。これで遺族の苦しみはいやされるのだろうか」という趣旨である。
 死刑制度を廃止している国もあるし、アメリカにも死刑制度を廃止している州もある。日本でも死刑制度に反対する人も少なくないし、私自身は廃止論者ではないが、廃止論者の主張にも理解できる部分もある。もともと刑法で定める量刑は犯人に犯した犯罪を償わせるという側面と、犯罪を未然に防ぐための抑止力という二つの要素を持っている。後者の側面が最も大きな効果を持ったのは飲酒運転による人身事故の量刑を大幅に引き上げたことだ。かつては重過失致死罪が適用され最大6年の懲役刑だったのが、危険運転致死罪が制定され最大20年の懲役が科せられるようになった。その結果飲酒運転が激減した。が一方、量刑の整合性が危険運転致死罪の法制化によって一気に崩れ、殺意のない飲酒運転による「殺人」が、殺意を持って人を殺した犯人に下される量刑より軽くなるというおかしな結果になった。かつては1人の殺人者は死刑にしないというのが量刑の原則だったが、残忍性や残酷さ、被害者に与えた恐怖感などを重視し、1人の殺人であっても死刑判決を下す裁判官が増えてきた。が、それを逆手に取って苦しまずに死にたいといった身勝手な殺人を行うケースが出てくるようだと、重罰化が必ずしも犯罪の抑止効果を持たないということになる。
 日本では死刑に次ぐ重い量刑は無期懲役だが、刑務所の中で病死するケースを除き、事実上20年くらいで仮釈放されている。私は死刑廃止論者の主張に一定の理解を持ちながら同意できないのは、死刑に次ぐ重罰の無期懲役が事実上「終身刑」ではないからだ。だから死刑廃止運動をされている方々にお願いしたいのは、同時に「仮釈放なしの終身刑」を設けるべきだと主張していただきたいという1点だ。そういう主張だったら多くの国民の支持を得られるだろうし、また被害者の肉親の多くも「死刑で簡単に死なせるより一生刑務所の中で罪を償ってほしい」と思うのではないだろうか。このブログ記事に対して多くの読者からのご意見を求めたい。

鳩山政府が迷走を始めた。野合連立を組んだ結果だ。

2009-12-16 06:21:02 | Weblog
 米軍の普天間基地の移設問題で鳩山政府が迷走している。前政権の自公連立政府がアメリカと公式に約束した名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ沿岸部への移設計画が白紙になった。その原因は連立離脱をほのめかして辺野古移設に反対した社民党の福島みずほ党首の恫喝に鳩山が屈したことによる。その結果、日米関係はかつてないほどの危機的状況に陥ってしまった。
 もともと鳩山首相や小沢一郎は自民党から離脱した政治家だ。離脱はしたが、日本を社会主義国家にするために離脱したわけではない。同一政権が長期にわたって日本を支配する時代が続くと政権は必ず腐敗する。事実自民党政権(自公連立政府も含めて)は国民の視点に立った政治を行ってこなかった。唯一「自民党をぶっ壊す」と過激な主張をして自民党員の圧倒的支持を得て首相になった小泉純一郎首相は国民の視点に立った政治を行おうとしたが、最初に手掛けた道路公団民営化は道路族議員や官僚の抵抗にあい、事実上骨抜き民営化に終わった。次いで小泉首相が政治生命をかけて取り組んだ郵政民営化も、衆院ではかろうじて法案を通せたが、参院では造反自民党議員が続出していったん破たんした。が、郵政民営化への執念に燃えていた小泉首相は衆院解散を強行し、国民の圧倒的支持を得て戦後初めて自民党議員が衆院で単独3分の2以上の議席を占め、郵政民営化を再可決した。
 しかし郵政族議員や官僚の抵抗にあって、民間業者が郵便事業に参入するハードルを極めて高くせざるを得なくなった。その結果、郵便事業に参入できる唯一の民間企業として期待されていたヤマト運輸は当社「郵便事業に参入するつもりはない」と公式に発表したほどだった。が、その後ヤマト運輸はとんでもない方法でこのハードル(全国に約1万個以上のポストを設置すること)をクリアして郵便事業に参入することにした。つまりコンビニ(セブンイレブン、スリーエフの全店舗、ファミリーマートの大部分の店舗)を郵便ポストの代用にし、これらのコンビニが近くにない過疎地にはヤマト運輸の宅急便配達を請け負っている人たちが無料で集荷するという方法で全国の集配業務を可能にしたのである。
 こうして郵便局と対等に競争できる民間企業が出現した以上、小泉郵政民営化が中途半端に終わった郵便局だけに与えられてきた特権的事業の書留や内容証明、配達証明、特別送達などの独占を廃止し、ヤマト運輸にもこれらのドル箱事業を扱えるようにするのが鳩山政権の国民の視点に立った政策であるべきだった。ところが何をトチ狂ったか、衆院議員わずか3人の国民新党の代表・亀井静香を郵政改革担当大臣に任命してしまった。亀井は郵政民営化に反対して自民党を除名された政治家である。小泉郵政民営化をさらに骨抜きにしようとすることは最初から鳩山首相には分かっていたはずだ。
 民主党はすでに衆院で過半数の議席を獲得していた。民主党が国民の視点に立った政治を行えば、来年夏の参院選でもおそらく圧勝し、参院でも過半数を制することはだれの目にも見えていた。現に今現在でも民主党の参院議員の総数は過半数を占めるにあと2人のところまで来ているのだ。なぜ絶対政権を確立するために国民新党や社民党と連立政府をつくる必要があったのか。そしてそのつけが普天間基地の移設問題をめぐって唯一の同盟国アメリカとぎくしゃくする関係を招いてしまったのである。
 米軍基地の9割は沖縄県に集中している。そうなった経緯はこういう事情による。日本があの戦争に負けて米軍の占領下に置かれたのは1945年だった。が、日本本土は7年後の52年、吉田茂内閣が日米講和条約を結んで独立を取り戻した。しかし米軍は沖縄だけは日本に返還せず、その後20年にわたって占領を続けた。この間に日本本土に置かれていた米軍基地の大部分を沖縄に移設し、その結果米軍基地の9割が沖縄に集中することになったのである。当然沖縄県民の苦しみは本土に住んでいる人には理解できないであろう。実際、私も残念ながら沖縄県民の苦しみを共有することができない。
 で、提案がある。沖縄にある米軍基地を可能な限り自衛隊基地に移設し、自衛隊基地を日米で共同使用することにしたらどうかという案である。その場合自衛隊基地を多少拡大する必要があるかもしれないが、米軍基地に勤務する米兵(家族も含む)は大半が広い庭付きの1戸建てである。それを中高層マンションを建ててそこに住んでもらうことにすれば自衛隊基地の拡大はそれほど大規模にしなくても済むはずだ。また自衛隊基地を米軍に共同利用させるだけでなく、本土の米軍基地内に自衛隊基地を設置することも大きな効果を生む。さらに定期的にそれらの基地内で日米合同の訓練をすれば、いざというときの日米の共同作戦は、現在のように別々に訓練しているはるかに効率的になるはずだ。
 日米間がぎくしゃくしている現状を打開するためにこのような提案を鳩山内閣がオバマ政府にしてみたらどうか。沖縄県民の負担や苦しみはかなり軽減できるはずだし、日米間の信頼関係はかつてないほど深くなる。さらに日本の安全保障は一段と強化されるはずだ。
 また国民の大多数が支持した郵政民営化をぶち壊そうとしている亀井静香郵政改革担当大臣は直ちに更迭し、中途半端に終わった小泉郵政民営化を国民の視点に立って一層大胆に推し進めることができる人を郵政改革担当大臣に任命すべきだ。
 国民新党や社民党との連立を解消し、国民的視点に立った政策を行い、日米の信頼関係をかつてないほど深いものにすれば、鳩山内閣の支持率低下に歯止めがかかり、支持率は急上昇することは間違いない。当然来年夏の参院選でも民主党は大勝し、両院で単独過半数を獲得できる。
 そういう結果を見れば、55年体制以来長期にわたって政権の座に胡坐をかき続けてきた(細川政権下で一時的に野党に転落したことはあったが)自民党も解体的反省をせざるを得ず、その時はおそらく明治維新を実現した長州藩や薩摩藩の若手藩士が藩の主導権を握って藩論を倒幕に統一したように、自民党改革の主導権を若手議員が握り、民主党と競って国民的視点に立った政党に変革することになるだろう。
 そうなったとき初めて本当の意味で政権交代可能な2大政党政治が日本に根付くことになる。

とうとう裁判官(横浜地裁川崎支部)を被告席に座らせる決定を

2009-12-03 16:52:37 | Weblog
 私が小田急を相手取って川崎簡易裁判所に訴訟を起こし、被告(小田急)が本訴を望んだため、裁判が横浜地裁川崎支部で行われ、極めてアンフェアな裁判官によって原告(私)が敗訴し、うつ病が悪化して控訴できる精神状態でなかったことと、精神科医の献身的努力とフィットネスクラブの友人たちの思いやりに支えられて、やっと精神的安定を取り戻したが、控訴期間がとっくに過ぎていたため、やむを得ずパスモ社を東京簡易裁判所に告訴すると同時に、アンフェアな裁判を行ったF裁判官を川崎簡易裁判所に告訴したが、約1ヵ月半もたなざらしにした挙句、川崎簡易裁判所の書記官から「当裁判所でこの事件を扱うのは相当ではないので横浜地裁に移送したい」と申し入れがあったので「横浜地裁で情を挟まずフェアな裁判ができると思わないので、移送するなら東京地裁にしてくれ」と申し入れたが、「裁判には管轄の問題があって東京地裁に移送できない」と言われ、やむを得ず横浜地裁への移送を認めた。が、横浜地裁が同僚の裁判官を被告席に座らせるか否か疑問に思っていたが、今日横浜地裁の担当書記官から「来年1月26日に口頭弁論を行います。時間は午前11時から12時までの1時間を予定しています」という連絡が入った。被告は3回口頭弁論を行ったが、1回の口頭弁論に要した時間は5~10分くらいで、原告と被告の論争を1回もやったことはなかった。それに対し今回は1時間を予定してくれた。かなりちゃんとした裁判をやってくれるのではないかと期待している。そして口頭弁論の期日が決まり次第、訴状を公開すると私のブログの読者にお約束してきたので、約束通り訴状を公開する。 

私は2008年3月20日、小田急・新百合ヶ丘の駅頭で、記名オートチャージPASMOと小田急電鉄が発行しているクレジットカードOPカードをセットにした予約キャンペーン活動を行っていた小田急エージェンシーの営業マンの説明に耳を傾けることにした。ただOPカードはクレジットカードではないので、万一紛失した時のリスクについて質問した。営業マンは「クレジットカードのOPカードからオートチャージされますから、記名オートチャージPASMOを紛失して不正使用されても当然OPカードのクレジット補償が適用されますから安全です。ただし紛失した時点でPASMOにチャージされていた残高は現金と同じ電子マネーとしてだれでも使用できますから、その不正使用は補償されません。それはJRのview Suicaも同じはずです」と、極めて理路整然と説明し、私はその説明を信じて予約した。
 ところが同年8月19日にPASMOを盗まれ、新百合が丘駅に届けた時、駅員から「直ちに自動改札機でのオートチャージはストップしましたが、明日にならないと不正に使用されたかどうかわかりません」との説明を受け、翌日再び新百合ヶ丘駅に出向いたとき、すでに3000円が不正にオートチャージされており、現在のチャージ残高は844円であること、さらにクレジット補償も適用されないことが判明した。
 やむを得ず私は小田急に対する少額訴訟を川崎簡易裁判所に提訴した。が、小田急が本訴を望んだため、訴訟は横浜地裁川崎支部に移り、担当した裁判官の被告は審議も全くせず、決定的な証拠を提出する機会さえ与えず、私の全面的敗訴の判決を下した。精神障害3級の認定を受けている私は言葉に表せないほどの精神的ショックを受け、上告するどころではなかった。その精神的苦痛に対する慰謝料を被告に要求する。

  私が小田急電鉄に対し、219,150円の損害賠償を川崎簡易裁判所に提訴したのは2009年3月13日である(甲第1号証)。
 訴訟に至るプロセスをできるだけ簡易に説明する。
 私は2008年8月19日、フィットネスクラブで財布を盗まれた。財布の中には記名オートチャージPASMOを入れていた。帰宅後、財布が盗まれたことに気付き、ただちに財布に入れていたクレジットカードの各社に電話をしてカードの使用停止処置を要請した。ところが小田急カード専用デスクにPASMOへのオートチャージを即座に停止することを要請したところ、専用デスクの女性から「私どもにはオートチャージを止めることができません。直ちに最寄りの小田急の駅に紛失届を出してください」と言われた。私はOPカードからオートチャージされるとの説明を受けていたので、なぜオートチャージがOPカードで停止できないのかと尋ねたところ、驚くべき返事が返ってきた。「実は当社のコンピュータとパスモ社のコンピュータがオンラインで結ばれていないんです。だから当社がPASMOへのオートチャージを止めることはできないんです」。
だがこの女性の説明には嘘がある。私の住居から徒歩5分もかからないところに東急バスの営業所があり、そこに届ければ不正使用は防げたかもしれず、不正使用されたとしても損害額はかなり少なくて済んだはずだ。だが専用デスクの女性は小田急の駅に行けと言った。そのため新百合ヶ丘駅に行くのに30分以上のタイムラグが生じ、私の損害もそれだけ拡大したことになる。それはともかく私は仕方なく新百合ヶ丘駅に行って紛失届を出し、オートチャージを停止してもらった。
だが駅員から、私のPASMOが不正使用されたかどうか、また不正使用された場合の損害額などは翌日の午前2時にならないとわからないとの説明を受け、私は「ではもし不正使用されていた場合の損害はクレジット補償されるのか」と聞いたところ、いともあっさり「PASMOはクレジットカードではないので補償はありません」と、これまたびっくり仰天する回答だった。つまり記名オートチャージPASMOとOPカードをセットで予約販売キャンペーンを行った小田急エージェンシーの営業マンは虚偽説明をしたのである。
 そのため私は小田急電鉄に対し、川崎簡易裁判所に少額訴訟を起こしたのだが、私は小田急エージェンシーの営業マンから虚偽説明を受けた時、録音もしていなかったし、メモもとっていなかったし、営業マンの名前さえ聞かなかったので、私の主張は証拠として採用されないだろうと思い、提訴した1週間後の3月20日、依然としてキャンペーン活動を行っていた小田急エージェンシーの営業マン(A氏)に改めてPASMOを紛失した場合のリスクについて説明してもらった。A氏は私が予約申し込みをした時の営業マンと全く同じ説明をし、私は「申し訳ないが、あなたが説明してくれたことをメモ書きでいいから書いてくれないか」と頼み、A氏は何の不審感も抱かず書いてくれた。つまり私は完ぺきな証拠を入手したのである。
 4月13日、川崎簡易裁判所で公判が行われた時、私はこの決定的証拠を持って出廷した。が、小田急の訴訟代理人弁護士が本訴で争いたいと主張したため肝心の証拠を同裁判所に提出することはできなかった。この公判で裁判官は「原告の主張はわかりやすく、論理的です。しかし被告に違法行為があったことを証明する必要があります。私は原告の主張は理解できますが、被告の違法性を立証しないと、原告の請求は却下せざるをえません。本訴で被告と争う場合、そのことをよくお考えください」と、おそらく異例のアドバイスをしていただいた。私は「証拠はここにあります」と言い、「ありがとうございました」と頭を下げた。
 ただし、少額訴訟に対し被告訴訟代理人は4月3日付で答弁書(甲第2号証)を提出し、私はそれに対する反論の準備書面(1)(甲第3号証)を4月13日付で提出しており、それらの文書は横浜地裁川崎支部に引き継がれた。
 私は本訴に移行するなら新たな訴訟を追加したいと思い、地裁書記官に申し入れた。書記官は被告裁判官に私の意向を伝え、被告裁判官が承諾したため、私は5月1日付で「訴えの追加的変更の申立書」(甲第4号証)を提出した。その追加的訴訟に対し小田急の訴訟代理人は5月15日付で準備書面(1)(甲第5号証)を提出し、さらに6月8日付で甲第3号証の一部に対する反論として準備書面(2)(甲第6号証)を提出した。
 なおここで明らかにしておくが、私が新百合ヶ丘駅頭で記名オートチャージPASMOとOPカードをセットで予約したのは3月20日であり、OPカードはすぐ送られてきたが、PASMOは予約が殺到し、予約の受付を一時停止したほどで、私の場合、PASMOが送られてきたのは予約してから1ヶ月ほど後だったと記憶している。小田急訴訟代理人は小田急のパンフレットと私の予約申込書のコピーを「乙第6号証の1」及び「乙第6号証の2」として地裁に提出した(甲第7号証)。このパンフの中で小田急訴訟代理人はPASMO再発行の際に必要な金額の個所を強調しているが、私は再発行を求めたわけでなく、こんなリスキーなオートチャージPASMOは使わないから、小田急エージェンシーの営業マンが説明したようにOPカードによるクレジット補償とチャージ残高の844円、また預け金のデポジット500円を返してくれと要求したのだ。再発行についての説明がなかったということなど私は訴訟で申し立てたことなどまったくない。
 さて小田急の不法行為だが、私はA氏のメモ書きを「甲の12」として、5月1日A氏の証人喚問を求め(「証拠申し出書」及び「尋問事項」と「甲の12」は証人の出廷日に開示する旨の文書(甲第8号証)を裁判所に提出していた。
 さらに私は6月15日付で地裁に提出した準備書面(2)(甲第9号証)において少額訴訟における小田急訴訟代理人が提出した答弁書(甲第2号証)への反論を追加し、同日付で上申書(甲第10号証)を提出し、答弁書に対して私が行った反論や証拠提出要求に小田急訴訟代理人が全く応じなかった(あるいは応じることができなかった)ことを明らかにして、まず少額訴訟に対する判決を求めた。
 しかし横浜地裁川崎支部で行われた3回の公判は、名目的には「口頭弁論」とされたが、いずれも5~10分で閉廷し、口頭弁論の機会は原告にも被告にも与えられなかった。そして2回目の公判(6月8日)で私は被告裁判官から「甲第12号証をまだ出さない理由は?」と訊かれ、「証人が小田急から何らかの圧力を受ける恐れがあるから」と答えた。
 そして3回目の公判(6月19日)でも被告裁判官は「甲第12号証はまだ出さないんですか」と私に聞き、私が「まだ出しません」と言った直後、「原告、被告とも追加したい主張はありませんか」と訊き、両者が「ありません」と言った途端、被告裁判官はすっと立って出口に向かいながら「これで結審します。判決言い渡しは7月17日に行います」と宣告して法廷から立ち去った。私は一瞬何の意味かわからず頭をひねりながら地裁を後にした。 
 翌日書記官に意味を尋ねたら、「これで口頭弁論は終わったということです」との返事だった。私が「では甲の12のメモを書いたA氏の証人喚問はどうなったのですか」と聞いたところ、「裁判官が証人喚問の必要がないと考えたからです」との返事だった。「それなら甲の12を郵送します」と言ったところ、書記官は「一応裁判官には渡しますが。結審していますから証拠として採用される可能性はほとんどありませんよ」と言われた。
 しかし私は一縷の望みを抱いて判決文が届くのを待った。しかし判決の主文は以下の通りであった。

1 原告の請求をいずれも却下する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。

 私はすでに書いたように言葉に尽くしがたいほどの精神的ショックを受けた。その時点では主文に続く事実および理由を読める精神状態ではなかった。もちろん裁判官は、私が京王線幡ヶ谷駅で飛び込み自殺を図ったことがあるほど強度のうつ病(うつ病は常に持続する病ではなく、しばしば正常な精神状態に戻ることもある。現にいま私は極めて安定した精神状態にある)にかかっており、精神障害3級の認定を受けていることを知っていたわけではない。しかし少なくともA氏のメモは判決を決定的に左右するほどの重大な証拠であり、証人喚問の前にA氏のメモを小田急訴訟代理人に渡したら、私に説明した小田急エージェンシーの営業マンだけがたまたま誤った説明をしたのではないことを完全に裏付けることになり、だから小田急がA氏に不当な圧力をかける恐れがあることを私は被告裁判官に伝え、なおかつ甲の12の開示は証人の出廷日に行う旨の文書も地裁に提出していた。もちろん証人喚問をするか否かは被告裁判官の裁量権に属するが、少なくとも結審した6月19日の口頭弁論の際、A氏の証人喚問は行わないことを私に伝え、「それでも甲第12号証を提出するつもりはないのか」と私に聞くべきであった。口頭弁論も名ばかりで3回の公判はすべて5~10分ほどで閉廷し、原告や被告の文字だけでは伝えきれない主張に耳を傾けようとすらしなかった。裁判員制度が始まったが、こんな被告裁判官が担当する事件に選ばれた裁判員は日本の裁判制度に絶望感を抱くはずだ。
 こうした経緯から私が被告裁判官から受けた精神的苦痛に対する慰謝料として20万円を要求するのは当然である。
 よって被告裁判官に対し、原告に20万円の慰謝料の支払いを命じるとの判決を求める。

 以上が訴状の全文である。ただし被告、書記官、A氏の氏名は伏せさせていただいた。^
 
   



  

『週刊金曜日』はやはり社畜企業だった。

2009-12-01 20:03:01 | Weblog
 半年ほど前、私はブログで『週刊金曜日』は社畜企業だという趣旨の主張を書いた。その後同誌の北村編集長と電話で話し合う機会があり、北村氏は私の主張を否定し、「自分は佐高信と同格であり、私の編集方針に佐高が口を挟んだことはない」と主張し、北村氏が同紙の編集権を事実上握っていると言い切った。そしてその証拠として佐高氏に対して痛烈な批判をしたにもかかわらず、私にメガバンクに対する批判を同誌で書いてほしいと依頼された。
 私のメガバンク批判は、私がメインバンクとしているメガバンクの支店長自身が私のブログを読んで「まったくご指摘の通りです。一言の弁解もできません」と言ったほどだった。そのブログ記事の要点は、政府から公的資金の援助を受けて経営改善を果たしただけでなく、規模の拡大競争に走り、その結果集めすぎた預貯金の運用先として、こともあろうに博打に大金をつぎ込んだ結果、大損失を出したことを批判し、政府の支援策に対しても「これはメガバンクの自己責任だ。メガバンクを救済すべきではない」と主張し、その元原稿(私はブログ記事の原稿をワードで書いている)をプリントして金融庁と内閣府に送った。その効果があったのかどうかはわからないが、結局政府はメガバンクへの支援を中止した。
 かくして糧道を絶たれたメガバンクは今年6月1日一斉に、赤字の穴埋めのため3000億円を上回る増資を行うことを発表した。この増資策に対する批判を書いてほしい、というのが北村氏からの原稿依頼だった。その原稿の核心部分を転記する。
 
 米国で通常の銀行の審査には通らない低所得者を相手に住宅ローンを貸し付け(これをサブプライムローンという)、担保に取った土地と建物を有価証券化して(日本でもバブル期に不動産を担保にした抵当証券が出回りヒット商品になったことがある)世界中の金融機関やヘッジファンド(投機集団)に売りまくったのである。これに飛びついたのが金余りで困っていた3大メガバンク。我先にと買い漁った。その結果、米国の土地バブルの恩恵を受けた昨年度の決算では史上最高益を計上できたが、バブルが崩壊した余波を受けた今年度の決算では一転して史上最大の赤字を計上するハメになった。(中略)
 「ノーリスク・ハイリターンの金融商品などあり得ない」という常識すら見失ったメガバンクの経営陣がいま取るべき責任は次の四つしかない。
① 経営陣はすべての私財を投げ売って赤字幅をできるだけ縮小すること。
② 二度と博打が打てないように、銀行が果たすべき社会的責任の範囲(将来性が見込める企業を金融面で支え日本経済の発展に寄与すること、融資基準を少し緩めて若い夫婦が住宅ローンを借りやすくすること、カードローンの審査基準も少し緩め多くの人が高利の消費者金融に頼らずに済むようにすること)以上の資金を集めないこと。
③ そのためにはこれまでのような規模の拡大競争に終止符を打ち、②の範囲を果たせる範囲に規模の大幅な縮小をすること。赤字を埋めるためではなく大リストラを行うために必要な資金であれば、増資によって調達してもよい。
④ ここまでが現経営陣の責任で、あとは総退陣し、若い人に信頼回復を任せるべきである。そこまでやらないと、メガバンクに対する国民の信頼は回復しない。

 以上がメガバンク批判の要旨だが、この原稿を掲載したために北村氏は佐高信氏の逆鱗を買ったようだ(これは私の推測)。その後北村氏は私の電話に一切でなくなった。こういう場合の手法は①外出中②会議中、である。もちろん私は①お帰りになったら②会議が終わったら電話してください、と電話に出られた人に伝えた。それだけでなくその都度私の電話番号も伝えた。が、一度も北村氏からの電話はかかってこなかった。で、9月18日北村氏に抗議のFAXを送った。その全文をパソコンに保存しておけばブログ記事に張り付け投稿できたのだが、保存していなかったため肝心の部分だけもう一度転記する。「週刊金曜日」が佐高信氏の社畜企業であることが明確になるはずだ。

 まず抗議をさせていただきます。私が書いた銀行批判は「投稿」ではありません。貴殿(北村氏)からの依頼原稿のはずでしたよね。ただし私は以前から原稿料はいらないと言ってきましたから、報酬が500円の図書券2枚だったことについて不満はありません。ただその後貴社の営業の方から「投稿ありがとうございました。私たちは広告を取っていませんから読者がスポンサーです。ぜひ購読をお願いします」と電話があったことには極めて不愉快になりました。
 そのことはともかく、貴殿は私に二つの約束をされました。一つは真のジャーナリストを育てるため「週刊金曜日ジャーナルというサイトを立ち上げネットでジャーナリストを目指す人にチャンスを与えよう」という私の提案に全面的に賛同され、「私(北村氏)、当社のプロコンピュータ技術者、小林さんの3人で相談しよう」と言われましたが、それはいつになるのですか? 私は現在の頭脳が健全である限り、日本で最高のジャーナリストだと思っています。現にブログや「週刊金曜日」に書いた論文を超える論評をできる人はいないはずです。(中略)
 さて北村氏にお尋ねしたい。一つは私以上にフェアで論理的整合性を最重要視するジャーナリストがいたのですか? 言っておきますが、私は、ジャーナリストは日本国憲法が保障した宗教・思想・主義主張の自由を放棄すべきだと考えています。そうでなければ自分の価値観を基準に主張することになるからです。私のジャーナリスト論は「自分の主張が本当にフェアか、論理的整合性があるか」を赤子のような素直さで常に自ら検証する訓練を積むことです。私以上にそれだけ厳しい自己管理ができるジャーナリストが今日本にいますか。いたとしたらだれですか。そういう人がいるのであれば、その人にマスコミ評論をお任せください。
 次に私と約束した「週刊金曜日ジャーナル」というサイトを立ち上げ、まだ色に染まっていない若いジャーナリストやジャーナリスト志望者を育てようという構想はどうなったのですか。あの約束は気まぐれだったのですか?
 以上の質問に文書でご返事を下さるか、それとも私に会いに来てください。

 当然のことだと思うが、いまだ北村氏からの返答はない。「私と佐高は同格」と豪語した北村氏は、私が最初に会ったとき「私は社会部の出身」と誇らしげに語った。マスコミで社会部の出身といえば、いかなる権力にも屈せず、汚染もされないというのが通説である。だから北村氏は「私は社会部の出身」と胸を張ったはずだ。が、所詮「私は佐高と同格」と誇らしげに語った北村氏は佐高信氏の社畜でしかなかったことを自らの私への対応で明らかにした。
 私はジャーナリズムは日本で最高の権力者だと思っている。「週刊金曜日」など掃いて捨てるほどの価値しかないジャーナリズムでしかないが、読売や朝日は政府や官公庁すら手を出せない絶対的な権力を持っている。政府や官僚が読売や朝日の主張に口を出そうものなら、たちまち「言論弾圧」と金きり声をあげる。私はしばしば両紙に「この主張はおかしい」と批判の電話をするが、読売の読者センターはちゃんと対応してくれ、必ず「担当者にお伝えします」と言ってくれるが、朝日はお客さまセンターの部長代理の小堺氏が「小林の意見は聞くな」という指令を出して以降、私が電話すると「小林さんの意見は受けつけないことになっています」といきなり電話を切ってしまう(小堺氏の指令が届いてない方もいて私の意見に耳を傾けてくれる人もいる)。
 朝日の傲慢さはマスコミ界では有名だが、マスコミ界と縁がない人には朝日の傲慢さはご存じないと思う。
 いずれにせよ、マスコミは購読料を払って読んでいる読者の批判すら一切受け付けない。現に読売も朝日も読者の投稿欄を設けているが、読売や朝日の主張に批判的な投稿を掲載したことは一度もない。読売の読者センターの方は私について「もっとも影響力がある読者」と言っては下さるが、私の意見や提案が紙面に反映されたことはない。
 そもそも読売や朝日は「あの戦争(私にはそういう言い方しかできない。なお読売は昭和戦争を統一用語としており、朝日はもともとは岩波用語だったアジア太平洋戦争を統一用語にしている)についての報道は権力(軍部)に屈した」という誤った歴史認識をしている。「権力に屈した」ことは結果論として事実だが、もし読売や朝日が権力に屈せず、日本の侵略戦争を批判していたら、権力の弾圧を受ける前に読者からそっぽを向かれ、新聞はまったく売れなくなっていたはずだ。なぜなら戦意高揚の世論を煽ってきたのが読売であり朝日であった。つまり日本の侵略戦争の片棒を担いできたのがマスコミであって、権力に屈したわけでなく読者に迎合してきたのが当時の読売であり朝日だったのだ。だから読者の反発を買うことが必至の「戦争反対論」など書けるわけがなかったのだ。これが「あの戦争」の時の読売や朝日のスタンスであった。自ら読者の戦意高揚を煽ってきた読売や朝日が、今頃になって「権力に屈した」などとしおらしいことを言っても、その主張自体が自ら侵略戦争の片棒を担いできたことを覆い隠すための「免罪符」でしかないのだ。
 言っておくが、私は共産主義者ではない。いずれブログで書くつもりだが、マルクスが『ゴータ綱領批判』で明らかにした「社会主義社会では労働に応じて受け取り、共産主義社会では必要に応じて受け取る」という生産と分配の法則が、かつてのソ連をはじめとする共産党政権の独裁と腐敗を生む原因だったことだけ、今は明らかにしておく。