朝日新聞の論説委員室はトチ狂ってしまったのか。
昨日(31日)、明日9月1日に行われる民進党代表選について、朝日は社説で「終盤論戦へ三つの注文」を付けた。朝日の論説委員室は、こうのたまうた。
「政権党に代わる『もう一つの受け皿』があってこそ、健全な民主主義は成り立つ。野党第1党には、それを形にする責任がある。
その意味で、気になるのは他の野党、とりわけ共産党との選挙での連携を巡る議論だ。前原氏は消極的、枝野氏は積極的だとされ、討論会で支援者同士が言い合う場面もあった。
見失ってはならない現実がある。小選挙区制を中心とする衆院選挙制度の下で、野党がバラバラでは、自民・公明の連立与党に対し、勝ち目は乏しい。
安倍政権の慢心を正し、暴走を防ぐためにも、野党勢力の結集が不可欠なのは明らかだ」
そう御託宣を垂れたうえで、「社会・経済政策」「原発政策」「政治や行政を透明にするための具体策」に三つについて「国民が足を止める、そんな議論を望む」と前原・枝野両候補に指導した。朝日の論説委員も、まぁたいそう偉くなったものだと感心したが、よくよく考えてみたら、この社説を書いた論説委員室の人たちは、「認知症」にかかったのかもしれない。
最大限、善意に解釈した場合、代表選について「候補者自身が『盛り上がっていない』と認めざるを得ない国民の関心の低さは、崖っぷちにある党の現状の反映だろう」という思いから、何とかしてやりたいと、エールを贈ったつもりだったのかもしれないが…。
そもそも朝日の論説委員室は民主主義というものの本質について何もご存じないようだ。昨年11月にアメリカで行われた大統領選挙。ロシアゲートと言われる疑惑の解明はこれからだが、少なくともはっきりしていることは得票数で負けたクリントン氏のほうが、勝ったトランプ氏よりかなり上回っていたことを、民主主義という政治システムを支える選挙制度についてどう考えたのか。
日本でも、先の衆院選の得票率と獲得議席率(総議席数に占める各党が獲得した議席数の割合)をみると、比例代表では各党の得票率と獲得議席率はほぼ誤差の許容範囲内に収まったが、小選挙区ではとんでもない結果が生じている。主な政党の得票率と獲得議席率(カッコ内)を見てみよう。
自民 48.1%(75.6%)
民主 22.5%(12.9%)
共産 13.3%(0.3%)
維新 8.2%(3.7%)
公明 1.5%(3.1%)
各党が小選挙区で獲得した議席数は、自民223.民主38、共産1、維新11、公明9である。
民主主義の成熟度は、政治に民意を反映させるための選挙制度の在り方で問われる。そして選挙制度は同じく「民主主義」を標榜している国でもさまざまである。たとえばアメリカの場合、下院の議員数は各州の有権者数によって比例配分されているが、上院は50の州に有権者数の多寡にかかわらず2人ずつ割り当てられている。しかも上院は下院より大きな権限を有しており、トランプ氏のような例外中の例外を除くと、大統領候補には有力州の上院議員か知事経験者がなるのが通例だ。
また先進国で政権交代可能な2大政党制が確立されているのはアメリカとイギリスだけで、他の先進国は多数政党が競い合っている。だからどの国も基本的に単独政党による政権獲得は困難で、連立政権が大半を占めている。
アメリカもイギリスも2大政党しか存在しないわけではなく、少数政党もかなりある。アメリカにも共産党はある。ただ、選挙制度によって結果的にアメリカとイギリスの場合は、2大政党体制が長い歴史の中で定着してきただけの話だ。だから、民主主義と一口に言っても、選挙制度によって、どの程度民意が政治に反映されるか、国によって異なるのだ。
日本で、政権交代可能な2大政党体制を築くには選挙制度を完全小選挙区制にするか(理想的には完全2人区制・比例代表なし)、連立の場合の政権運営について各党がもっともっと学び、成熟していく必要がある(ただし、2大政党制が民主主義の政治システムとして、最も民意を反映する選挙制度だという前提で考えた場合。必ずしも2大政党制がベターだとは言い切れない。なおベストな制度はあり得ない)。そのくらいの民主主義についての基本的なことは、朝日の論説委員ともあろう方たちはわきまえておいてもらいたい。
日本は55年体制の間は、それなりに自民党も社会党も、党内の融和を図ることの大切さを身に染みて体験し、政権交代こそなかったが双方が緊張感を持って対峙してきた。
私に言わせれば、社会党がもう少し政権に近づくことが出来ていれば、現実的な政策を打ち出し、有権者の支持を得ることが出来たかもしれない。が、長く東西冷戦が続く中で、あまりにも理念や思想にこだわりすぎて政権党になるにはどういう現実的政策で自民党と競うべきかという視点を失っていった。労働運動や平和運動などで、あまりにも共産党との勢力争いに精力を使いすぎたせいかもしれない。また自民党との戦いで負け犬根性が染み付いてしまった結果、さらに非現実的なラジカルな方向に行き過ぎたのかもしれない。
そうした状況が続く中で、ぬるま湯に浸ってきた自民党の中から危機感を持った政治家が現れ出した。最初の勇気あるチャレンジャーは河野洋平氏をリーダーとするリベラル集団の新自由クラブだったが、後に続くものがなく挫折に終わった。
次に自民党からの分裂は、2大保守党体制を目指していた金村信氏の薫陶を受けた小沢一郎氏が、政権交代可能な2大政党体制を目指して公明党の市川雄一氏とのいわゆる「一一ライン」を軸に、日本新党(細川護煕)や新党さきがけ(武村正義)らとともに連立政権を樹立、55年体制以降初めて非自民の連立政権が成立した(細川内閣)。8党が、政策合意も何もなく、ただ非自民というだけでくっついた野合政権にすぎず、内部の主導権争いに終始して短命で連立政権は崩壊した。
その後、自民は社会党との連立というウルトラC作戦で政権を奪還(村山富市内閣=自社さ政権)、総理の椅子を与えられた村山氏が日米安保を容認し、社会党は分裂した。ここに55年体制は完全に崩壊する。
再び四分五裂に陥った野党だが、小沢氏が中心になって野党再結集を実現、民主党が誕生した。すでに自民と連立していた公明は民主党に参加しなかったが、2009年9月の総選挙で民主党は戦後最大となる308議席を獲得、単独過半数の安定政権を確立した(鳩山由紀夫内閣)。
が、民主党政権も長くは続かなかった。野合政権だった細川内閣と違い、安定多数を占める単独政権だったが、肝心の政権党の民主党が野合政党だった。細川政権時代と同様、おいしい蜜の奪い合いが始まり、結局何も決められないまま政権を放り出す結果となった。
民主党政権時代の最後となった野田佳彦総理は、国会での自民党総裁・安倍晋三氏との間で、「社会保障と税の一体改革」をやるという口約束と引き換えに衆院の解散に踏み切り、民主党は野に下った。
よく考えてみれば、こんなバカげた解散はかつてなかった。野党のトップに自らの政権の構想の実現を約束してもらって解散するということは、戦わずして敗北宣言をするようなものだからだ。しかも野党・自民党に口約束させたのは消費税増税だけで、すべての税制の根本的見直しや、税制の見直しによって得た財源でどのような社会保障制度を構築するのかは、野党の自民党に丸投げするという、無責任極まりない解散だった。
この二度の政権交代の結果を見て、国民が「野合ではだめだ」と烙印を押してしまった。いまでも、様々なメディアが世論調査を行うと、自公に代わる「政権の受け皿」となりうる野党への期待は小さくない。実際、都議選で都民が示した投票行動が、新しい風への期待の大きさを物語っている。が、はっきり言って現在の民進党には、国民は新しい風を期待していない。308もの議席を与えられながら、内部の権力闘争と足の引っ張り合いで何も決められなかった民主党への国民の怒りが、現在の民進党への不信感につながっている。
アメリカは極端だが、日本もしばしば振り子原理が大きく働くことがある。大義があったとは言えない小泉総理の抜き打ち郵政解散、また一度も政権を担ったことのない民主党に308もの衆院議席を与えた2009年の総選挙、最近では国政選挙ではないが、政治経験ゼロの議員を大量に生み出してしまった直近の都議選などが、振り子原理が大きく働いた選挙だった。
ついでに素人議員を能力ある政治家に育てるには、政治家や知識人による講演会のようなことをいくらやっても無駄だ。政治とは直接関係のないテーマも含めて、数人ずつのグループに分けてディベートをさせ、ディベートの結果を踏まえた論文を書かせるといった方法を行うべきだと思う。そうすれば、彼らの論理的思考力も育つし、また知識だけに頼ることがいかに危険かということも身をもって理解できるようになる。
民進党は(前身の民主党も含めて)、考えようによっては不幸な船出をした政党だった。「なぜ政権交代可能な2大政党政治が望ましいのか」という国民的議論が熟していない状況の中で、自公連立政権と対峙することになったからだ。
私はこのブログで細川内閣は野合政権、民主党政権は野合政党政権、と書いた。野合政権、野合政党が悪いと言っているわけではない。自民党も右翼思想の持ち主からリベラルまで抱えた野合政党と言えなくもないし、「平和の党」を自負してきた公明党にも北側副代表のように安倍改憲を支持する人がいる。
朝日の論説委員室は、今回の民主党代表選について「社会・経済政策」「原発政策」「政治や行政を透明にするための具体策」についての議論を深めるべきだ、と注文を付けたが、それもちょっとピントが狂っている。いま国政で最も重要な問題として浮上しているのは「日本の安全保障についてどう考えるか」であり「憲法改正問題」だ。さらに次の衆院選の選挙対策として、共産党との協力関係をどうするかも、大きな争点だった。朝日の論説委員室は、自分たちの関心事を代表選に持ち込んだに過ぎない。民主主義を成熟させるということは、それほどたやすいことではない。
昨日、北朝鮮の金正恩委員長(朝鮮労働党)が、日本の襟裳岬上空を通過するミサイルを発射した目的について、グアムまで届くことを実証するためだけでなく「日本を驚愕させるためだった」と述べたとの報道があった。その報道が正確だったとしても、実際には金委員長は日本でこれほどの大騒ぎになるとは思っていなかったはずだ。
実は北朝鮮はミサイルの発射について、様々なリスクを想定して計画を立てていると思われる。というのは、北朝鮮の地政学的状況を考えればすぐにわかることだが、東西南北どの方向にミサイルを発射しても他国の領土・領海を侵犯しない発射実験を行うことは極めて困難である。そのため北朝鮮はこれまで(衛星打ち上げロケットと称したものも含めて)ミサイルの飛距離を高度によって実証すべく「ロフテッド軌道」(水平方向ではなくかなり垂直に近い角度)の発射を行ってきた。が、アメリカが「実際に水平方向の実証実験でなければ、北朝鮮のミサイルの能力は疑わしい」などと挑発してきたことが、そもそもグアム周辺海域にミサイルを発射するという計画を立てた理由であった。だから、この計画を発表した時は、「島根・広島・高知の上空を通過する」と予告していた(愛媛が抜けていたが)。
さらに、今回の直前に発射した3発の近距離ミサイルは東海岸から発射したが、これまで長距離ミサイルは中央部や西海岸付近から発射してきた。中央部や西海岸付近から発射することは、当然自国の領土を通過することを意味する。飛行機もそうだが、事故が発生するのは離着陸時が大半だと言われている。そのため日本の民間飛行場はほとんど海の近くに建設されており、内陸県の栃木や山梨には飛行場はない。衛星ロケットも、本土から遠く離れた種子島から打ち上げている。北朝鮮が民主国家だったら、国の中央付近や西海岸から東方向に向けてのミサイル発射は、国民が容認しないだろう。
そう考えると、北朝鮮が当初の計画通りグアム方向にミサイル発射計画を発表した時、日本政府が急きょ迎撃体制を整えたことから、グアム方向への発射を取りやめた時も日本をできるだけ刺激しない方向への水平発射を考えたと考えるのが合理的だ。もし本当に日本を驚愕させ、かつアメリカを刺激しない最も有効な方向にミサイルを発射するとしたら、日本のど真ん中つまり首都・東京上空を通過させたほうがはるかに効果的だ。
ギリギリの選択肢として襟裳岬をかすめる方向に発射したのは、日本をあまり刺激せず、かつ水平方向の発射実証実験を行うことが目的だったと思われる。が、日本政府やメディアが過剰反応を起こしたため、「日本を驚愕させることも目的だった」と結果論的発言をしたのだと思う。しかし、そういう発言をすると、かえって日本の世論を硬化させ、日本に対北敵視政策をとる口実を与えることになるとは考えなかったのだろうか。
今回も、長い記事になった。民進党代表選に絞って民主主義についての考察をするつもりだったが、金委員長の「日本を驚愕させることも目的だった」という報道があったので、ついその問題にも触れてしまい、長い記事になった。最後までお読みいただき感謝する。
昨日(31日)、明日9月1日に行われる民進党代表選について、朝日は社説で「終盤論戦へ三つの注文」を付けた。朝日の論説委員室は、こうのたまうた。
「政権党に代わる『もう一つの受け皿』があってこそ、健全な民主主義は成り立つ。野党第1党には、それを形にする責任がある。
その意味で、気になるのは他の野党、とりわけ共産党との選挙での連携を巡る議論だ。前原氏は消極的、枝野氏は積極的だとされ、討論会で支援者同士が言い合う場面もあった。
見失ってはならない現実がある。小選挙区制を中心とする衆院選挙制度の下で、野党がバラバラでは、自民・公明の連立与党に対し、勝ち目は乏しい。
安倍政権の慢心を正し、暴走を防ぐためにも、野党勢力の結集が不可欠なのは明らかだ」
そう御託宣を垂れたうえで、「社会・経済政策」「原発政策」「政治や行政を透明にするための具体策」に三つについて「国民が足を止める、そんな議論を望む」と前原・枝野両候補に指導した。朝日の論説委員も、まぁたいそう偉くなったものだと感心したが、よくよく考えてみたら、この社説を書いた論説委員室の人たちは、「認知症」にかかったのかもしれない。
最大限、善意に解釈した場合、代表選について「候補者自身が『盛り上がっていない』と認めざるを得ない国民の関心の低さは、崖っぷちにある党の現状の反映だろう」という思いから、何とかしてやりたいと、エールを贈ったつもりだったのかもしれないが…。
そもそも朝日の論説委員室は民主主義というものの本質について何もご存じないようだ。昨年11月にアメリカで行われた大統領選挙。ロシアゲートと言われる疑惑の解明はこれからだが、少なくともはっきりしていることは得票数で負けたクリントン氏のほうが、勝ったトランプ氏よりかなり上回っていたことを、民主主義という政治システムを支える選挙制度についてどう考えたのか。
日本でも、先の衆院選の得票率と獲得議席率(総議席数に占める各党が獲得した議席数の割合)をみると、比例代表では各党の得票率と獲得議席率はほぼ誤差の許容範囲内に収まったが、小選挙区ではとんでもない結果が生じている。主な政党の得票率と獲得議席率(カッコ内)を見てみよう。
自民 48.1%(75.6%)
民主 22.5%(12.9%)
共産 13.3%(0.3%)
維新 8.2%(3.7%)
公明 1.5%(3.1%)
各党が小選挙区で獲得した議席数は、自民223.民主38、共産1、維新11、公明9である。
民主主義の成熟度は、政治に民意を反映させるための選挙制度の在り方で問われる。そして選挙制度は同じく「民主主義」を標榜している国でもさまざまである。たとえばアメリカの場合、下院の議員数は各州の有権者数によって比例配分されているが、上院は50の州に有権者数の多寡にかかわらず2人ずつ割り当てられている。しかも上院は下院より大きな権限を有しており、トランプ氏のような例外中の例外を除くと、大統領候補には有力州の上院議員か知事経験者がなるのが通例だ。
また先進国で政権交代可能な2大政党制が確立されているのはアメリカとイギリスだけで、他の先進国は多数政党が競い合っている。だからどの国も基本的に単独政党による政権獲得は困難で、連立政権が大半を占めている。
アメリカもイギリスも2大政党しか存在しないわけではなく、少数政党もかなりある。アメリカにも共産党はある。ただ、選挙制度によって結果的にアメリカとイギリスの場合は、2大政党体制が長い歴史の中で定着してきただけの話だ。だから、民主主義と一口に言っても、選挙制度によって、どの程度民意が政治に反映されるか、国によって異なるのだ。
日本で、政権交代可能な2大政党体制を築くには選挙制度を完全小選挙区制にするか(理想的には完全2人区制・比例代表なし)、連立の場合の政権運営について各党がもっともっと学び、成熟していく必要がある(ただし、2大政党制が民主主義の政治システムとして、最も民意を反映する選挙制度だという前提で考えた場合。必ずしも2大政党制がベターだとは言い切れない。なおベストな制度はあり得ない)。そのくらいの民主主義についての基本的なことは、朝日の論説委員ともあろう方たちはわきまえておいてもらいたい。
日本は55年体制の間は、それなりに自民党も社会党も、党内の融和を図ることの大切さを身に染みて体験し、政権交代こそなかったが双方が緊張感を持って対峙してきた。
私に言わせれば、社会党がもう少し政権に近づくことが出来ていれば、現実的な政策を打ち出し、有権者の支持を得ることが出来たかもしれない。が、長く東西冷戦が続く中で、あまりにも理念や思想にこだわりすぎて政権党になるにはどういう現実的政策で自民党と競うべきかという視点を失っていった。労働運動や平和運動などで、あまりにも共産党との勢力争いに精力を使いすぎたせいかもしれない。また自民党との戦いで負け犬根性が染み付いてしまった結果、さらに非現実的なラジカルな方向に行き過ぎたのかもしれない。
そうした状況が続く中で、ぬるま湯に浸ってきた自民党の中から危機感を持った政治家が現れ出した。最初の勇気あるチャレンジャーは河野洋平氏をリーダーとするリベラル集団の新自由クラブだったが、後に続くものがなく挫折に終わった。
次に自民党からの分裂は、2大保守党体制を目指していた金村信氏の薫陶を受けた小沢一郎氏が、政権交代可能な2大政党体制を目指して公明党の市川雄一氏とのいわゆる「一一ライン」を軸に、日本新党(細川護煕)や新党さきがけ(武村正義)らとともに連立政権を樹立、55年体制以降初めて非自民の連立政権が成立した(細川内閣)。8党が、政策合意も何もなく、ただ非自民というだけでくっついた野合政権にすぎず、内部の主導権争いに終始して短命で連立政権は崩壊した。
その後、自民は社会党との連立というウルトラC作戦で政権を奪還(村山富市内閣=自社さ政権)、総理の椅子を与えられた村山氏が日米安保を容認し、社会党は分裂した。ここに55年体制は完全に崩壊する。
再び四分五裂に陥った野党だが、小沢氏が中心になって野党再結集を実現、民主党が誕生した。すでに自民と連立していた公明は民主党に参加しなかったが、2009年9月の総選挙で民主党は戦後最大となる308議席を獲得、単独過半数の安定政権を確立した(鳩山由紀夫内閣)。
が、民主党政権も長くは続かなかった。野合政権だった細川内閣と違い、安定多数を占める単独政権だったが、肝心の政権党の民主党が野合政党だった。細川政権時代と同様、おいしい蜜の奪い合いが始まり、結局何も決められないまま政権を放り出す結果となった。
民主党政権時代の最後となった野田佳彦総理は、国会での自民党総裁・安倍晋三氏との間で、「社会保障と税の一体改革」をやるという口約束と引き換えに衆院の解散に踏み切り、民主党は野に下った。
よく考えてみれば、こんなバカげた解散はかつてなかった。野党のトップに自らの政権の構想の実現を約束してもらって解散するということは、戦わずして敗北宣言をするようなものだからだ。しかも野党・自民党に口約束させたのは消費税増税だけで、すべての税制の根本的見直しや、税制の見直しによって得た財源でどのような社会保障制度を構築するのかは、野党の自民党に丸投げするという、無責任極まりない解散だった。
この二度の政権交代の結果を見て、国民が「野合ではだめだ」と烙印を押してしまった。いまでも、様々なメディアが世論調査を行うと、自公に代わる「政権の受け皿」となりうる野党への期待は小さくない。実際、都議選で都民が示した投票行動が、新しい風への期待の大きさを物語っている。が、はっきり言って現在の民進党には、国民は新しい風を期待していない。308もの議席を与えられながら、内部の権力闘争と足の引っ張り合いで何も決められなかった民主党への国民の怒りが、現在の民進党への不信感につながっている。
アメリカは極端だが、日本もしばしば振り子原理が大きく働くことがある。大義があったとは言えない小泉総理の抜き打ち郵政解散、また一度も政権を担ったことのない民主党に308もの衆院議席を与えた2009年の総選挙、最近では国政選挙ではないが、政治経験ゼロの議員を大量に生み出してしまった直近の都議選などが、振り子原理が大きく働いた選挙だった。
ついでに素人議員を能力ある政治家に育てるには、政治家や知識人による講演会のようなことをいくらやっても無駄だ。政治とは直接関係のないテーマも含めて、数人ずつのグループに分けてディベートをさせ、ディベートの結果を踏まえた論文を書かせるといった方法を行うべきだと思う。そうすれば、彼らの論理的思考力も育つし、また知識だけに頼ることがいかに危険かということも身をもって理解できるようになる。
民進党は(前身の民主党も含めて)、考えようによっては不幸な船出をした政党だった。「なぜ政権交代可能な2大政党政治が望ましいのか」という国民的議論が熟していない状況の中で、自公連立政権と対峙することになったからだ。
私はこのブログで細川内閣は野合政権、民主党政権は野合政党政権、と書いた。野合政権、野合政党が悪いと言っているわけではない。自民党も右翼思想の持ち主からリベラルまで抱えた野合政党と言えなくもないし、「平和の党」を自負してきた公明党にも北側副代表のように安倍改憲を支持する人がいる。
朝日の論説委員室は、今回の民主党代表選について「社会・経済政策」「原発政策」「政治や行政を透明にするための具体策」についての議論を深めるべきだ、と注文を付けたが、それもちょっとピントが狂っている。いま国政で最も重要な問題として浮上しているのは「日本の安全保障についてどう考えるか」であり「憲法改正問題」だ。さらに次の衆院選の選挙対策として、共産党との協力関係をどうするかも、大きな争点だった。朝日の論説委員室は、自分たちの関心事を代表選に持ち込んだに過ぎない。民主主義を成熟させるということは、それほどたやすいことではない。
昨日、北朝鮮の金正恩委員長(朝鮮労働党)が、日本の襟裳岬上空を通過するミサイルを発射した目的について、グアムまで届くことを実証するためだけでなく「日本を驚愕させるためだった」と述べたとの報道があった。その報道が正確だったとしても、実際には金委員長は日本でこれほどの大騒ぎになるとは思っていなかったはずだ。
実は北朝鮮はミサイルの発射について、様々なリスクを想定して計画を立てていると思われる。というのは、北朝鮮の地政学的状況を考えればすぐにわかることだが、東西南北どの方向にミサイルを発射しても他国の領土・領海を侵犯しない発射実験を行うことは極めて困難である。そのため北朝鮮はこれまで(衛星打ち上げロケットと称したものも含めて)ミサイルの飛距離を高度によって実証すべく「ロフテッド軌道」(水平方向ではなくかなり垂直に近い角度)の発射を行ってきた。が、アメリカが「実際に水平方向の実証実験でなければ、北朝鮮のミサイルの能力は疑わしい」などと挑発してきたことが、そもそもグアム周辺海域にミサイルを発射するという計画を立てた理由であった。だから、この計画を発表した時は、「島根・広島・高知の上空を通過する」と予告していた(愛媛が抜けていたが)。
さらに、今回の直前に発射した3発の近距離ミサイルは東海岸から発射したが、これまで長距離ミサイルは中央部や西海岸付近から発射してきた。中央部や西海岸付近から発射することは、当然自国の領土を通過することを意味する。飛行機もそうだが、事故が発生するのは離着陸時が大半だと言われている。そのため日本の民間飛行場はほとんど海の近くに建設されており、内陸県の栃木や山梨には飛行場はない。衛星ロケットも、本土から遠く離れた種子島から打ち上げている。北朝鮮が民主国家だったら、国の中央付近や西海岸から東方向に向けてのミサイル発射は、国民が容認しないだろう。
そう考えると、北朝鮮が当初の計画通りグアム方向にミサイル発射計画を発表した時、日本政府が急きょ迎撃体制を整えたことから、グアム方向への発射を取りやめた時も日本をできるだけ刺激しない方向への水平発射を考えたと考えるのが合理的だ。もし本当に日本を驚愕させ、かつアメリカを刺激しない最も有効な方向にミサイルを発射するとしたら、日本のど真ん中つまり首都・東京上空を通過させたほうがはるかに効果的だ。
ギリギリの選択肢として襟裳岬をかすめる方向に発射したのは、日本をあまり刺激せず、かつ水平方向の発射実証実験を行うことが目的だったと思われる。が、日本政府やメディアが過剰反応を起こしたため、「日本を驚愕させることも目的だった」と結果論的発言をしたのだと思う。しかし、そういう発言をすると、かえって日本の世論を硬化させ、日本に対北敵視政策をとる口実を与えることになるとは考えなかったのだろうか。
今回も、長い記事になった。民進党代表選に絞って民主主義についての考察をするつもりだったが、金委員長の「日本を驚愕させることも目的だった」という報道があったので、ついその問題にも触れてしまい、長い記事になった。最後までお読みいただき感謝する。