小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

総務省に物申す(Ⅲ) NHK解体新書ーNHKの受信料制度は憲法違反だ

2024-01-08 02:08:14 | Weblog
【緊急追記2】(3月30日) 10年前に紅麹の副作用について国も小林製薬も把握していた。

ちょうど10年前の2014年3月、内閣府に設置されている「食品安全委員会」は、「紅麹を由来とするサプリメントに注意(欧州で注意喚起)」と題する警告を行っていた。「食品安全委員会」が厚労省ではなく、なぜ内閣府に設置されたのかは疑問だが(ひょっとしたら、厚労省は製薬会社やサプリメント会社とのなれ合い体質に内閣府が不安を抱いたためかもしれない)、間違いなく内閣府のホームページで確認できたので、その警告文を張り付ける。

 「血中のコレステロール値を正常に保つ」としてヨーロッパや日本などで販売されている「紅麹で発酵させた米に由来するサプリメント」の摂取が原因と疑われる健康被害がヨーロッパで報告されています。EUは、一部の紅麹菌株が生産する有毒物質であるシトリニンのサプリメント中の基準値を設定しました。フランスは摂取前に医師に相談するように注意喚起しており、スイスでは紅麹を成分とする製品は、食品としても薬品としても売買は違法とされています。

なお、この情報は厚労省の紅麹問題窓口とNHKには今日伝えた。小林製薬が、この「注意喚起」を知らなかったとは考えにくく、また厚労省も知らなかったでは済まされない。縦割り行政の弊害がもろに現れたと言えるかもしれないが、どう考えても不自然なことがある。小林製薬が保健所や厚労省にも報告せずに、いきなり記者会見を開いてサプリメントの回収を公表したのが3月22日。その時点では、これほどの騒ぎになるとは私も思っていなかったが、それからわずか1週間のうちに紅麹に由来すると想定される死亡者がバタバタと5人も出た。そんなことが常識的に考えられるか。
いずれにせよ、小林製薬に対するペナルティは相当重くなると思う。

* なお昨4月2日、内閣府の食品安全委員会に直接電話をして確認した。その結果、紅麹について注意喚起を行ったのは事実だが、今回の騒動とは直接の因果関係はないと考えているとのことだった。
すでにメディアでは報道されているが、「機能性表示食品」が氾濫するようになったのは故・安倍元総理の成長戦略の一環として規制緩和を行い、それまでは消費者庁(内閣府の外庁)の審査が必要だったのを、メーカーが独自の実験や研究データの提出をするだけで「機能性表示食品」をうたってもいいことにしたことにあるようだ。その結果、テレビやネットでのサプリメントなど健康食品の広告が氾濫するようになり、いまやブーム的状況を呈している。食品安全委員会も、そうした事態を憂慮しているとのことだ。(3日)



【追記1】これまでは掲載中のブログ記事に関する新しい情報なり主張をブログの末尾に書いてきたが、これからはいま掲載中のブログ記事とは関係なく、本来ならブログ記事を更新すべきことを記事の冒頭に【追記】として重ね書きすることにした。今回の【追記】は、史上最高値を記録した日経平均は日本経済の回復の象徴か、また日銀・植田総裁の「日本経済はデフレを脱却してインフレ時代に入った」という評価が何を意味してのコメントなのかを明らかにしたい。
まず1980年代後半のバブル景気とは何だったのかの検証を簡単にしておきたい。実は戦後の焼け野原から日本経済が「奇跡」といわれた経済回復を遂げたきっかけは朝鮮戦争による特需だった。日本経済の復興に伴い、賃金も急上昇し外需(輸出増)と内需(国内消費増)のダブル需要の増加によって日本経済は奇跡的な回復を成し遂げた。
その日本経済を襲った事件が2つある。最初は1973年10月17日に発生した第1次石油ショックである。日本の戦後の経済政策は一貫して輸出重視だった。海外から安い原材料などを輸入し、それを高度な加工技術で高品質製品を作りアメリカをはじめとする先進国に輸出するというのが日本の経済政策の基本だった。が、石油ショックによって安い原材料の輸入が不可能になった(現在と同じ状況)。当然、国際輸出競争力は低下する。
が、日本経済にとってはこの石油ショックが結果的に神風になった(こういう認識をしている経済学者は皆無である。私だけが1980年代後半に主張し始めた)。アメリカは世界最大級のエネルギー産出国であり、ヨーロッパ諸国もイギリスの北海油田やロシアからの輸入で日本ほどの打撃を受けなかったからだ。
スポーツの世界ではよく「ピンチはチャンス」といわれるが、日本産業界は石油ショックを台風から神風に変えることに成功した。通産省(当時)が音頭をとって日本産業界は一斉に「軽薄短小」「省エネ省力」を合言葉に技術革新に乗り出した。そのための技術革新のキーになったのが半導体技術である。実は半導体の製造には絶対に欠かせない要素がある。それは半導体製造の様々な工程で必要となる洗浄のための純水を大量に安価で作れるかが大きなカギを握っている。アメリカの東海岸やヨーロッパで半導体が製造できないのはこれらの地域の地下水が軟水ではなく硬水だから。オーストラリアも硬水である。日本はほぼ全国の地下水が軟水であり、純水を大量に安価で作れた。その結果、日本は世界1の半導体大国になり、その半導体を組み込んだ「省エネ省力」の自動車や家電製品が世界を席巻することになった。
この日本産業界の輸出攻勢に悲鳴を上げたのがアメリカ。1976年、日本からのテレビ・自動車・鉄鋼などの対米輸出が集中豪雨的に増大し、アメリカの対米貿易赤字だけでアメリカの貿易収支赤字の大半を占めるという異常事態が生じたのである。
私はことさらにアメリカを敵視しているわけではないが、アメリカは実に身勝手なこともしばしばする。この時も石油ショックに有効な手段をとらず、ソ連つぶしのためのレーガノミクスによる結果だったのだが、いわれのないジャパン・バッシングをアメリカ挙げて始めた。確かにレーガンの対ソ軍事政策によってソ連は崩壊するのだが、そのため自動車や家電製品などの民需産業は国際競争力を喪失していったのだが、アメリカの身勝手さはいまも「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプへの支持が高いことにも象徴されている。
米民需産業の停滞を何とかしようとしたのが1985年9月のプラザ会議である。これが戦後の日本経済を襲った2番目の危機だった。具体的にはアベノミクスが見習った為替政策をレーガン政権が発動したのだ。当時ドル・円相場は240円台だった。レーガンは安倍晋三と同様、ドル安によって国内産業の輸出競争力を回復しようとしたのだ。で、ニューヨークの名門ホテル、プラザホテルに日・米・独・英・仏5か国の蔵相、中央銀行総裁を招集し、ドル安のための国際協調介入を要請したのだ。実際にはドル安誘導の標的は日本とドイツの2か国だったが、英・仏を巻き込むことによって日・独の反発を防いだのだ。
その結果、2年後の87年にはドル・円相場は240円台から120円台へとわずか2年で一気に円は2倍も高くなったのである。日本の輸出産業界はなぜこの時期を乗り切れたのか。
実は自動車や家電メーカーなどはドル建て輸出価格をほとんど上げなかった。国内需要がまだ活発だったから、円高による輸出価格の高騰分を国内販売価格に転嫁して生き延びるという選択をしたのだ。その結果、輸出先の海外から日本製品を逆輸入して日本国内で安く販売する「並行輸入業者」が乱立するほどだった。
こうしてバブル景気の下地が作られた。かつてのバブルと今の株価上昇との基本的相違についてメディアは論理的に検証すべきである。(2月25日)


このシリーズも最終回を迎える。NHKが私に降参するか、それとも私を告訴して司法の判断を仰ぐことにするか。
数年前、私はNHK党の立花党首と話をしたことがある(コロナ騒動の直前だったと記憶している)。立花氏の考えはこうだ。
「NHKの放送を見ない人、見たくない人の権利を守るためNHK放送のスクランブル化を求める」
立花氏からこう聞かれた。「小林さんはNHKの放送を見ているのか」と。
「ニュースなどの報道番組や日曜討論、クロ現、Nスぺ、ドキュメント番組などはしばしば見ている」
立花氏は「だったら受信料は支払うべきだ」と主張した。
私はこう反論した。
「法律(放送法64条)で定められているから契約はしているが、NHKの受信料制度は憲法に違反しているから、私が受信料を支払うことは憲法違反行為を認め、かつ違憲行為に加担することを意味するから受信料の支払いは拒否している」
 「どういうこと?」
 私が説明すると立花氏も「そういう考え方は初めて知った。面白い」と言った。NHKの「ふれあいセンター」は番組の視聴者窓口と受信料支払窓口の二つがある(電話番号は異なる)。NHKからはほぼ毎月,請求書が届くが、「ふれあいセンター」受信料支払窓口の責任者(スーパーバイザー)に電話をして支払い拒否の理由を言うと「勉強になりました」と納得してしまう。最高責任者から放送センター(東京・渋谷)の受信料担当部門の電話番号を教えてもらって電話したこともある。「この電話番号、どうしてお知りになったのか」と聞かれたので「ふれあいセンター」の責任者が「ご意見は私どもではどうにもならないので本部に直接言ってほしい」と電話番号を教えてくれた経緯を話した。私が支払い拒否の理由を話すと「うーん。初めてそういう考えを知りました。内部で共有して検討させていただきます」とのことだったが、その後も変化は全くない。
 実は前会長の前田時代に、NHKの改革について視聴者から意見募集をしたことがある(現会長も行っているが)。その時、受信料制度の改正を求めたが(ほかにもエンターテイメント番組が多すぎるといったクレームも書いた)、NHKは受信料制度を改正するつもりは全くないようだ。なぜか、理由がわからない。

 なお現在、NHKの受信料を支払っていない人、あるいは支払いたくはないけど、支払う義務があると思い込んで支払っている人にとっては、このブログは「バイブル」になるかもしれない。何らかの方法で保存しておかれることをお勧めする。

●NHKの看板番組『NHKスペシャル』スタート時の前宣に出ながら…
 昨年12月、毎度おなじみの「重要なお知らせ」がNHKから送られてきた。
 「お客様の放送受信料につきましては、これまでも払い込み用紙をお送りしておりますが、下記期間のお支払いの確認がとれておりません。つきましては、同封の払込用紙にて、至急お支払いください」
 放送内容に対する視聴者窓口の「ふれあいセンター」は川崎市武蔵小杉の1か所だけだが(なぜ東京・渋谷の放送センター内に設置しないのかは不明)、受信料支払窓口の「ふれあいセンターは全国各地に設けられている。
 私が責任者に、それでも受信料を支払えというなら、私を告訴してくれ、と申し入れたが、「できません」という。
 はっきり言う。このブログはNHK受信料制度改正の要求であり、かつNHKに対する挑戦状でもある。私が放送内容についての意見の電話をするのはNHKが最も多く、意見を述べる番組は『ニュース7』『ニュースウォッチ9』『日曜討論』『クロ現ダブルマイナス』(『クローズアップ現代プラス』の時は「クロ現マイナス」と言っていた)『映像の世紀』などがほとんどだ。『映像の世紀』は稀に見るいいドキュメント番組だと思っている。
 NHKの次にテレビ局に電話するケースが多いのはテレビ朝日の『羽鳥モーニングショー』『大下容子のワイドショー』、TBSの『報道特集』、読売テレビ(首都圏では系列の日本テレビが放映)の『ミヤネ屋』などである。テレビ視聴時間が最も多いのはテレビ朝日だと思う。
 実は私はNHKの看板番組『NHKスペシャル』がスタートするときの前宣
を頼まれたことがある。通常、新番組の前宣は番組の出演者か主要な関係者が行うが、『Nスぺ』の時はなぜか番組に一切関与する予定すらない私に前宣の依頼があった。
 別に拒否するほどの理由があるわけでもないので心よく引き受けたが、NHKのスタジオで収録するのかと思っていたら、我が家の自宅で収録したいという。びっくりしたのは仰々しく中継車まで来て、近所の人たちが何事が起きたのかと興味深そうに集まってきた。私のほうは、部屋の中での収録と思っていたので仕事場の書斎や応接間を小ぎれいにして待っていたのだが、家の中ではなく庭で収録したいという。
 プロジューサーだったかディレクターだったかは覚えていないが、要するに新番組の『Nスぺ』に対する視聴者からの期待をしゃべってもらいたかったようで、打ち合わせは応接間で行ったが、「ああだ、こうだ」と30分くらい話し合った結果、「タブーへの挑戦を目指せ」という内容の要求をすることになった。
 新番組それもそれまでの看板番組『NHK特集』の衣替えの新番組の前宣だから(私以外の『Nスぺ』の前宣はなかった)、番組の合間に何度も放映されたようだ。おかげで当時メンバーだったゴルフ場に行くとキャディたちが「見たよ」「見たよ」と大騒ぎ。
 そういう関係だったNHKの受信料の支払いを拒否するに至ったのは、娘が結婚して子供が生まれたのを機に、現住居に移り一人くらしを始めてから気がついたことがあったためである。
 よく「人の痛みは我が身が経験しないと分からない」と言われるが、それまでは矛盾を感じていなかったNHKの受信料制度(当然受信料は銀行引き落としで支払っていた)が、実は憲法に違反しているのではないかという疑問を抱くようになったのである。

 食事の時、おいしそうなものから箸をつけるタイプとおいしそうなものは最後に残すタイプがあるというが、私は出された料理の量によるが、ほぼ最初でもなければ最後まで残しておくこともしない。空腹時で全部平らげられそうなときはあまりおいしくなさそうなものから箸をつけ始めるが、量が多く食べきれそうもない時はおいしくなさそうなものには手を付けない。いずれにしてもころあい(だいたい食べる量の半分くらいの時が多いようだ)に、それまで残しておいたいちばんおいしそうな料理に箸をつけるようだ(特に意識しているわけではなく、なんとなくそういう習性になっているらしい)。
 が、このブログでは一番重要なポイント、つまりNHKの受信料制度がなぜ憲法違反なのかの検証は最後の最後に行う。

●NHKが主張する受信料支払い義務の根拠は…
 実は今回の請求書には「毎度おなじみ」の文面だけでなく、NHKが受信料請求の根拠を示した文面が含まれていた。
 従来の「重要なお知らせ」の文面は先に引用した受信料支払いの要求に続いて下記のような脅迫文が記載されていた。
 「このままお支払いがない場合には、貴殿に対し、やむを得ず、法的手続きを検討せざるをえませんので、この点をご賢察のうえ、ご対応ください」
 実は、今回の「重要なお知らせ」には、この文面がなくなった。その代わり裏面に「ここが知りたい 受信料Q&A」として3項目が記載されている。3項目目は支払い方法の説明なので無視するが、2つの項目はこうだ。

① Q 受信料の支払いは法律で決まっているの?
A ■放送法64条では、協会の放送を受信できる受信装置を設置したもの
   は協会と受信契約を締結しなければならない旨が定められています。
  ■また、日本放送協会放送受信規約第5条において、「放送受信契約者
   は、…(中略)…放送受信料を支払わなければならない」と定められ
   ています。
② Q ずっと払わないとどうなるの?
   ■「支払わなくても大丈夫」「見ていないのに支払う必要がない」そ
    うした方に受信料制度を理解していただくための活動を進めてい
    ます。
   ■それでもなお、ご理解が得られない場合、やむを得ず、裁判所を通
      じた法的手続きによりご契約・お支払いをいただく活動を進めて
      います。

 だったら、さっさと私を告訴してもらいたい。ま、私の勝訴はほぼ確実だが、たとえ私が敗訴しても私は「伝家の宝刀」を隠し持っている。
「重要なお知らせ」には宛先名が明記されているのだが、「お客様各位」あてに「放送受信料払込用紙の送付につきまして」と題した通知書が手元にあり、その通知書に重要な記載がある。
「さて、お客様の放送受信料につきまして、一部お支払いいただいていない期間がございますので、放送受信料払込用紙をお送りさせていただきます。ご都合のよろしい時に改めてお支払いいただきますようお願い申し上げます(以下略)」
 ということは、たとえ私が敗訴して支払い義務が生じたとしても、都合がつくまでは支払わなくてもいいのだ。ま、死ぬまで都合はつかないと思うけどね。

●NHKは、役所や政治家のような黒塗り証拠が通用すると思っているのか
 NHKが視聴者に受信料支払い義務があるとした証拠には黒塗りで隠している箇所がある。放送法64条には、たしかに「協会の放送を受信することのできる受信装置を設置したものは、協会と受信契約を締結しなければならない」旨の記述があるが、但し書きが付記されていて「協会の放送の受信を目的としない受信装置についてはその限りではない」との記述もある。その個所をNHKは黒塗り(隠ぺい)にしているのだ。
 なぜこの「但し書き」部分をNHKは黒塗りにする必要があるのか。実は、いまNHKは「公共放送」から「公共メディア」に業態転換をしようとしている。そのため、この「但し書き」箇所が業態転換の壁になっており、「但し書き」を黒塗りにする必要がどうしてもあるのだ。
 もう少し具体的に説明しよう。
 いまテレビを自宅に設置していない若者の多くはワンセグ付きのスマホでテレビ放送を見ている。スマホより大きな画面でテレビを見たい人はタブレットで見ている。確かにワンセグ付きのスマホやタブレットは協会(NHK)の放送を受信できる。が、スマホやタブレットの本来の目的はテレビ放送の受信ではない。テレビ放送の受信を主目的にするなら、スマホやタブレットより安価なテレビを買う。スマホやタブレットの主目的はインターネット(SNSを含む)やメール、ミュージック聴取、LINE、かけ放題電話が主目的だ。そのくらい若者たちのテレビ離れは急速に進んでいる。
 が、放送法64条の「但し書き」が大きな壁になって、スマホやタブレットには受信料を課金できない。で、NHKは業態を「公共放送」から「公共メディア」に転換することによって、メディア機器であるスマホやタブレットにも課金できるようにしたいというのが狙いなのだ。
 かといって、NHKが勝手に業態転換を図っても肝心の放送法をメディア法に法改正しない限り「犬の遠吠え」でしかない。そのことをNHKは理解しているのだろうか。NHKが勝手に「公共放送」から「公共メディア」に業態転換したからスマホやタブレットにも課金できるようになったと主張しても、世の中、それほど甘くはない。
 前回のブログで次回予告として最後に書いたようにNHKは生存本能が機能したのかどうかは知らないが、「値下げ詐欺」という手法で視聴者を騙している。かつて私はブログで指摘したことがあり、「ふれあいセンター」の視聴者窓口の責任者(スーパーバイザー)にも申し上げたことがあるが、いまのNHKは「公共放送」ですらなく、「NHK職員の、NHK職員による、NHK職員のための放送局」でしかない。
 国民すべてが娯楽に飢えていた戦後のある時期は、公共放送であるNHKがエンターテイメント番組を放送することには一定の社会的意義があったことは私も認めるにやぶさかではない。が、いまはテレビだけに限らずエンターテイメントはあふれるほどの状態になっている。そういう時代に「報道」という公共放送にとって最重要な機能を放棄してドラマやスポーツ、バラエティなどのエンターテイメントを最重要視しているのはどういうわけか。放送センター「魔の7階」と内部で指摘されていたジャニーズNHK事務所問題にも、いまのNHKの姿が象徴的に表れている。次の項目では、NHKは「公共放送」とは言えない状況を検証する。そのあと、最後にNHKの受信料制度が憲法違反の制度であることを検証する。

●NHKのエンターテイメント重視は民放よりひどい
 NHKが提供するエンターテイメント番組の放送時間は、おそらく民放も含めて日本最大ではないだろうか。新聞など活字メディアか放送評論家が検証してほしい。
 とりわけNHKが放送するドラマ本数は各放送局の中でも群を抜いている。私の飲み友達にドラマ制作会社の役員がいるが、民放に比してNHKのドラマ制作が一番儲かるそうだ。民放は制作費の予算が厳しいが、NHKの予算は青天井。もちろん制作費に金をかけられるだけ、大道具、小道具の製作にも手抜きはできないが、NHKのドラマ制作担当のプロジューサーなどに飲み食い接待すれば、大概の要求はのんでくれるらしい。
 ドラマの出演者も有名俳優を予算制限なしで起用できるし、全く無名でも有名俳優とセットで売り込むことも容易。実際、新人俳優でもNHKのドラマに出演したという実績だけで一気にスターダムのレールに乗れたケースは数えきれないほどあるという。いったいNHKは新人俳優の育成が「公共放送の使命」とでも考えているのだろうか。
 私の飲み友達は旧ャニーズ事務所とは関係ないらしいが、ジャニーズ事務所は有名タレントとセットで、これから売り出したい新人の起用をNHKに要求し、のませてきたようだ。民放でも多かれ少なかれ、旧ジャニーズ事務所のそうした理不尽な要求に従ってきたようだが、民放の場合は予算の制限があるから、その見返りに有名タレントの出演料を値切ったりして予算を抑える努力をしているが、NHKは視聴者から吸い上げる豊富な受信料で制作費を賄っているから、有名タレントの出演料を値切ることもなく有名タレントとの抱き合わせで新人のセット出演もOKだという。
 それだけでなくNHKのドラマ担当のプロジューサーは相当いい思いもしているようだ。芸能界は「村社会」でもあるから、大スキャンダルになりかねない、そうしたケースもなかなか表面化しないけど…。
 ドラマに次いで予算青天井なのは人気のあるスポーツ中継。とくにフィギアスケートのNHK杯をはじめ、NHKがなぜスポーツ競技の主催をするのか理由が全く不明。大相撲もNHKがすべての本場所を独占中継しているし、いまや日本の国技ではなくモンゴルの国技にすらなった感がある大相撲を独占中継して、本場所がない平日の午後5時からの定時ニュース報道(午後6時までの定時番組)をやめるほどの力の入れよう。大相撲中継をニュース報道より重視する放送が「公共放送」と言えるのか。いまやNHKにはそうした異常事態が継続されていることに疑問を抱く職員すらいないのか。それともNHKは日本相撲協会の子会社なのか。なら、国民から受信料などとるなと言いたい。いずれにせよ、ニュース報道より大相撲中継のほうがはるかに重要と考えている放送局が「公共事業体」と言えるのか。
 すくなくともNHKが日本相撲協会より上位にあるなら、午後5時までに取り組みを終了するよう日本相撲協会に強く申し入れ、日本相撲協会がNHKの要求をのまなかったらNHKは中継権を放棄して民放に譲ればいい。NHKという「公共事業体」の非公共性がこれほど明確になっていることに私は警鐘を鳴らしておく。
 いま歌謡番組が最も多いのもNHKの特徴だ。かつては民放でも歌謡番組にかなり力を入れていたし、「スター誕生」など新人歌手の発掘にも注力していた時代もあった。
 が、いま民放は一斉に歌謡番組から手を引き始めている。理由は私にはわからない。歌謡番組華やかだった時代、大みそかにはテレビ東京がまず「懐メロ」番組を生放送し、次いでTBSが「レコード大賞」をやはり生放送し、次いでNHKが「紅白」をやはり生放送していた。各番組はそれぞれ多少の時間差をおいて放送し、歌手によっては「懐メロ」→「レコ大」→「紅白」と掛け持ち出演したこともあったという。
 音楽事務所は自社の歌手に「レコ大」をとらせたり「紅白」に出場させるために番組担当者に対して相当な裏工作を行っていたことは周知の事実であり、現にやはり飲み友達のレコード会社の元社員から具体的ケースも聞いているが、私はスキャンダル・ジャーナリストではないから個々のケースについては書かない。が、NHKの「紅白」担当者は相当いい思いをしたらしいことだけは明らかにしておく。
 そういう意味では、昨年12月19日にNHK自身が『ニュース7』と『ニュースウォッチ9』で社会部記者の使い込み(取材費と称して7百数十万円を私的飲食に流用していたようだ)をかなり大々的に報道し、監督責任を問うて歴代の社会部部長3人に対してかなり重い懲戒処分を行ったが、最近のNHKに対する国民の風当たりの厳しさに対してNHKが浄化作業に力を入れているかのようなジェスチャーを示しただけで、記者が請求する取材費の1件1件についてチェックしている時間的余裕があるほど社会部部長は閑職なのか。
 NHKが社会部部長の管理責任を問うなら、社会部部長に対する管理を怠った報道局長や、報道局長に対する管理を怠った会長や経営委員会にも責任を取らせるべきだし、会長や経営委員を任命した政府に対しても責任を追及するのが筋だ。私に言わせれば、懲戒処分を受けた3人の歴代社会部部長はNHKが生き残るために行った「トカゲのしっぽ切り」でしかない。
 このブログの読者諸氏も、こうした実態からNHKが国民のための「公共放送局」ではもはやなく、「NHK職員の」「NHK職員による」「NHK職員のための」放送局でしかないことを十分にご理解いただけたと思う。

●NHKの受信料制度は憲法違反だ
 さて、いよいよ本丸に切り込む。NHKの経営の根幹を支えている受信料制度の問題点を明らかにする。私がこれかる主張する受信料制度の不法性は、私が話したNHK職員のほぼすべても納得してくれた。反論できないからだ。彼らはすべて「伝えます」と返事をした。
 ちょっと裏話をする。NHKだけではないが、新聞も含めてメディアの視聴者窓口や読者窓口に電話で放送番組や記事についての意見を述べた場合、担当者の対応は基本的に二つに分かれる。
 「(ご意見は)伺いました」か「(ご意見は)伝えます」の二つである。時に、電話口の相手が責任者の場合は反論したり、言い訳をしたり、たまに批判的意見に対しても明確に自らの同意を示すこともあるが、基本的に視聴者や読者の意見に対して担当部門の職員や社員が自分の考えを述べることは禁じられている。
 そして「伺いました」という対応の場合、担当者は「聞き流す」ことを意味し、要するに「右の耳から左の耳に抜けた」というわけだ。
 それに対して「伝えます」と答えた場合は、ちゃんと報告する。その場合も二通りあって、ただ「伝えます」という場合は伝える相手が不明である。上司に伝えるのか、担当部署に直接伝えるのかは分からない。中にははっきりと「担当に伝えます」と答えるケースもあり(NHKはほぼ、そういう対応をする)、メディア各社によって内部での情報伝達のルールがあるようだ。
 さてすでにNHKから送付されてきた受信料支払いの督促状の「支払い義務」の理由について、NHKがその根拠とした放送法64条の引用に黒塗り(隠ぺい)箇所があることはすでに書いた。ワンセグ機能のあるスマホやタブレットに課金するためには放送法64条を改正しなければ無理だということはすでに明らかにした。
 次に受信料支払い義務についてだが、これは放送法には64条に限らず一切記載がない。督促状に記載されているように、日本放送協会(NHKのこと)放送受信規約題5条でNHKが勝手に決めているだけだ。NHKは受信料徴収に法的強制力を持たせるために、これまでも何度も管轄省庁の総務省を通じて受信料制度の法制化を要求してきたが実現に至っていない。政府がなぜ法制化をためらっているのかは不明だ。ひょっとしたら、NHKの受信料制度が憲法に違反していることを承知している人がいるからかもしれない。
 ちなみにNHKの受信規約題5条の督促状への記載には「中略」の個所があり、ネットで受信規約全文を読んでみたが、特に黒塗り(隠ぺい)しなければならないような記述は見つからなかった。
 すでにこのブログでも書いたが、私はテレビを所有しているので放送法64条の規定に従い、NHKと受信契約はしている。が、法的にはこの契約は有効とは言えない可能性が強いと私は思っている。
 というのは、公的契約の場合、単に受信契約書に署名捺印するだけでは必ずしも有効とは言えないからだ。契約の場合、契約内容についての重要事項を記載した書面を相手に交付しなければならないはずだからだ。具体的にはNHKの場合、受信規約の書面だ。NHKと受信契約を結んでいる方で、NHKから受信規約書を交付され、全文ではなくても重要な事項についての説明を受けた人が一人でもいるだろうか。ましてこの度、NHKは受信料不払いの視聴者に対して追徴金を課すことにしたという。いうまでもないことだが、契約内容の変更については契約者の同意が必要だ。NHKは自分たちが勝手に決めたことは何でも自由にできるとでも思っているのか。内閣総理大臣でも、独断で何でもできるわけではない。
 ま、揚げ足取り的な受信制度の不備はこの辺でやめておく。これから決定的なことを書く。

 これは法体系にかかわる重要な指摘である。NHKは自分たちが勝手に決めた受信料制度の根拠を放送法64条に求めている。が、すでに書いたように放送法64条はテレビを設置した人に対してNHKとの契約義務があることしか記載していない。64条に限らず、放送法のどの条文にもNHKが勝手に決めている受信料制度に従って受信料を支払う義務があるとの記載は一切ない。そのことはNHK職員はすべて知っている。
 私に送付された督促状は、あたかもNHKの受信料制度は放送法64条に基づいているかのような記述をしているが、これは視聴者の錯覚を期待しての特殊詐欺の手口と同じだ。NHKは平日午後6時からの首都圏ニュースで「私たちは騙されない」というタイトルで特殊詐欺の手口をいろいろ紹介しているが、ぜひ受信料支払いの督促での特殊詐欺についても紹介してもらいたいものだと思っている。
 さて、NHK受信料制度の違憲性について書く。これまでに外堀は埋め尽くし、残るは本丸だけだ。その本丸が違憲なのだ。
 周知のように、NHKの受信制度は受信料を世帯単位にしている(事業者向けの受信料制度については、この際不問に付す)。
 あらゆる法体系は憲法が最上位にある。したがって、あらゆる法律も憲法が認める範囲に限られる。自民党が解釈改憲を重ねて、「自衛のための実力の保持(※「軍事力」と言えないのは憲法9条の規定に違反するため)は憲法も禁じていない」と言い張っているのも、またひっちゃきになって憲法9条を改正しようとしているのも、憲法による制約がそれだけ重いからだ。
 その憲法の14条にこういう規定がある。この規定に反するいかなる法律も、またいかなる制度も無効である「法の下での平等」の条文と言われている憲法14条はこうだ。

すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

 この条文が示していることは国民一人ひとりの権利であり義務が平等でなければならないという意味だ。すでに書いたが、私がNHKの受信料制度が憲法違反ではないかという疑問を抱いたきっかけは、一人住まいを始めたときだ。それまでは正直、私もNHKの世帯単位の受信料制度に違和感を持っていなかった。
 家族と一緒に暮らしていた時、すでに家族すべてが一人ひとりテレビを持っていたし、一緒にテレビを見るときは食卓を囲む時くらいだった。家族が別々にテレビを見ているのに、例えば4人家族の世帯が支払う受信料と、一人住まいの人が支払う受信料が同額というのは、国民一人ひとりが法の下で平等という憲法の原則から大きく逸脱しているのではないかという根本的疑問を抱くようになったのである。
 そのため、前田前会長が視聴者からNHK改革の意見募集をしたとき、以下のような提案をしたが、完全に無視された。全文を転載するのは長くなりすぎるので箇条書きで私の提案要旨を述べておく(提案後に思い付いた案も書くが、その場合は明記する)

① 受信料の支払いは世帯単位ではなく、視聴者一人ひとりにすること。そうすれば憲法14条にも抵触しなくなるし、受益者負担という基本原則にも合致する。
② 現実問題として、放送法が制定されたのは昭和25年(1950年)で、当時は庶民にとっては白黒テレビも高根の花だった。だから世帯単位の受信料制度も矛盾は生じなかったが、高度経済成長時代を経てカラーテレビも一家に1台から一人1台の時代に変化を遂げている。放送法自体には矛盾は生じていないが、NHKの受信料制度はすでに制度疲労を生じている。受益者負担の原則に基づき、受信料制度は世帯単位ではなく、視聴者単位にすべきだ。受信料制度をそう改正すれば支払い義務化の法制化も可能と思う。
③ 受信料支払い対象者は1歳以上からとする(1歳になれば赤ちゃんもテレビにかじりつくようになるから)。ただし、難視聴者は支払いを免除する。それ以外の障碍者(精神・身体)や生活保護者への免除は社会福祉政策であり国または地方自治体が負担すべきで、NHKが行うのはおこがましいから現行免除制度は廃止すること。
④ テレビの保有・非保有に限らず、またNHKの放送を見る見ないに限らず、受信料は国民の義務とする。たとえば、地方の公共インフラ(道路、水道、電気など)の整備コストは受益者の地方の住民の負担だけでは賄うことは不可能であり、事実上受益者ではない都市住民が支払う税金が投入されている。そうした事情を勘案すれば、テレビの保有・非保有に限らず国民のための公共放送にかかるコストは国民すべてが負担すべきであると思慮する。なお受信料支払い単位を世帯から個人に移行するに伴い事業所向けの受信料制度は廃止する。
⑤ ただし、受信料を税金化する場合、所得に応じた受信料にすることは選択肢の一つとして考慮することは可能と思う。(※新規の主張)
⑥ 事実上の最高意思決定者である会長職および経営委員は政府の任命によらず、公職とみなして公選制にする。NHKが放送する番組も芯に公共性が担保されたものに限定する。かつては民放に資金力がなく、NHKしか自前でドラマなどを制作できなかった時代から大きく社会は変貌している。「民にできることは民に」の原則を放送内容にも適用し、エンターテイメント番組はすべて廃止する。その場合、相当数のエンターテイメント番組担当の職員が必要なくなるので、民放や制作会社への転職の支援を行う必要がある。
(※余剰職員への転職支援は新規の主張)
⑦ 現在、各道府県に設置されている地方の放送局はブロック単位に再編する。具体的には北海道・東北・関東・中越・中部・関西・中国・四国・九州(沖縄はカバーできなければ沖縄も)に各地域放送局を設置すれば十分。(※新規の主張)

こうしてぜい肉をそぎ落とせば、国民が負担すべき受信料は現行の何分の1かに軽減できるはず。放送局を激減した場合、地方の取材に支障が生じるが、各道府県には放送局ではなく、道府県庁所在地に社会部記者とカメラマンだけ駐在させれば十分。また大半の都道府県には地域に密着した半官半民の放送局が存在するから(いわゆるローカル局)、各道府県のローカル局との連携を密にして地域の情報を集めるようにすればいい。もちろんそのための協力金はNHKが支払う必要があるが、そのことによってローカル局の経営にもゆとりが生じ、取材力も強化できる。まさに一石二鳥になるではないか。

以上で、3回にわたった『総務省に物申す』シリーズを終える。この最終稿を書き上げたのは昨年12月24日だが、昨年12月13日に胃および食道のがん(今のところ初期がんである可能性が大きく、転移の形跡は見られないようだ)を内視鏡手術で削り取って以降、天候がある程度落ち着いてきたせいもあると思うが、かえって元気になり、食欲も出てきた。
年齢的に、そう長い人生が残されているわけではないが、人は長生きすることが目的ではなく、何か自分にできること、したいこと(趣味とかボランティアとか、なんでもいい)を生きている間は続けるための手段である、と私は考えているので、生きる目的を喪失したら安楽死の権利を与えてもらいたいと願っている。

なお、最終稿のNHK改革提案に賛同していただける方で、訴訟によってNHK改革を実現したいと考えていただける方がおられたら、クラウドファンティングで訴訟費用を集め、社会派弁護団を組んで闘っていただければと思う。その場合、私もできる限りその活動に協力することを惜しまないつもりだ。

【追記】元旦早々、能登沖大地震が起きて東日本大震災以来の「大津波警報」が出された。やはり、こういう時にNHKなら対応できるという「公共放送必要性の錦の御旗」の神話が崩壊した。すべての民放が特別報道番組を組んだ。
NHK存続の最後の砦が崩れた瞬間である。
いまやNHKにしかできないことは青天井の予算でドラマや歌謡番組などのエンターテイメント番組を作ることしかない。


【追記2】このブログ記事は昨年12月に書き終えていた。『総務省に物申す』の最終回は今年の1月8日にアップした。
 このブログ記事とは関係ないが、今日(1月9日)NHKは「新経営計画」を発表した。ずうずうしくも、昨年10月から実施した受信料10%値下げを今後も維持するというのだ。こういうのを「値下げ詐欺」と私は断定している。
 改めて強調しておくが、値下げ後にNHKはBS放送を1波に削った。それまではNHKの放送は地上2波、BS2波の4波だった。つまり放送を25%削ったことになる。人件費も含め、放送にかかる費用は単純計算では25%削減されることになる。NHKは放送にかかる経費を公表していないので、単純計算通りに費用が25%軽減されたと断定はできないが、受信料10%値下げとの釣り合いがとれているのか疑問を持たない視聴者はいないはずだ。
 さらに、こんな主張は絶対に許せないこともあった。民主主義を守るための放送を原点にしていると、繰り返し何度も主張した。民主主義は政治のシステムであり、概念は人それぞれで違う。いちおう「国民主権」は共通した理念だと思うが、国民主権を政治に反映するのは選挙制度しかない。その選挙制度は国によって異なる。私は日本に限らず、民主主義はまだ発展途上にあると考えており、過去『民主主義とは何かが、いま問われている』という長期連載ブログを20回以上書いてきた。いったいNHKは予算青天井のドラマを「民主主義を守る」ために作ってきたのか、そして作り続けていくのか。
 さらに、これは初めてブログでは書くが、NHKはなぜ大相撲本場所をすべてに優先して放送し続けるのか。私自身はもう数十年間、大晦日の「紅白」は見ていないが、昨年の「紅白」はジャニタレをすべて排除したらしい。旧ジャニーズ事務所のスキャンダルが公になったことが原因のようだ。NHKはこの事件が公になる前は旧ジャニーズ事務所に無償で「性犯罪」用の特別室を提供していたようだ。NHKとは仲がいいイギリスのBBCが報道したことでメディアが急に旧ジャニーズ事務所問題を追求し始めたため、NHKも旧ジャニーズ事務所に対する特別待遇をやめたようだが、だったらNHKは大相撲の八百長問題をBBCが取り上げるまでは特別放送体制を続けるというのか。そういう放送体制をNHKは「民主主義を守る」行為だと考えているらしい。
 NHKの視聴者窓口の「ふれあいセンター」は他のメディアと違って3段階になっている。最初に電話口に出るのは「コミュニケーター」で、その直属の上司(普通の組織の上下関係ではないようだ)の「チーフ」(係長か課長クラス)、そして最上位が「スーパーバイザー」(次長か部長クラス)である。基本的に個人の意見は言ってはいけないことになってはいるが、スーパーバイザーの場合は視聴者の意見に個人的に対応することが認められている。
 が、「ふれあいセンター」の体制が著しく変わった。基本的に職員ではなく外部委託になったのだ。詳しくはわからないが、スーパーバイザーまで外部委託の人が担当するようになったようだ(私が「ふれあいセンター」に電話するときは単純な問い合わせのケースを除いて、報道に疑問を持った時には最初に電話口に出たコミュニケーターに用件だけ簡単に話してスーパーバイザーに代わってくれるよう依頼する。かつては私の存在はスーパーバイザーではかなり知られていて、シンパもいれば反発する人もいた。「ふれあいセンター」の場合は他のメディアと違って、コミュニケーターからスーパーバイザーに至るまですべて名前を名乗る。視聴者に対応する人の責任を重視しているためと思うが、私が「スーパーバイザーに変わってほしい」と頼んでも、必ずしもスーパーバイザーが電話に出るとは限らない(ようだ)。今日も電話を代わった相手は「責任者の○○です」と言って、私が「どう思います?」と聞いても「個人の意見は言えませんので」と言う。「担当者に伝えます」と言うので、「担当者って誰だ。会長に伝えろ」と言ったら、「会長に伝えます」と返答した。会長に直接話せるような立場の人ではないのに、平気でそういう対応をする。
 最後に書き加えるが、北朝鮮はおそらく世界で唯一国名に「民主主義」を標榜している国だ。北朝鮮を「民主主義国家」と思っている日本人は多分NHK会長以外に一人もいないと思う。(1月10日午前0時)


【追記3】いま、1月10日の午前0時40分。【追記3】を書き終えて、私のブログ編集ページを見たら、なんと昨日(9日)の「訪問者数」は14、「閲覧者数」は18だった。こんなことは私が長期入院中だった時でもありえなかったこと。
 私のブログ記事に対するNHKの対応がこれだ。私はNHKを敵視しているわけではない。そのことはブログでも明らかにしている。ただ、NHKの過剰反応に、とりあえず驚いているとだけ書く。

 

   
     

 

今年最後のブログ 「天下の特捜」が「勇み足」になりかねないキャッシュバック問題捜査に総力を挙げる理由

2023-12-30 06:07:55 | Weblog
今年最後のブログを書く。
実は今年は例年書いてきた『今年最後のブログ』は書くつもりはなかった。3回連載の『総務省に物申す』の最終回(「NHK解体新書」)を来年仕事始めの1月4日にアップする予定だったからだ(原稿自体はとっくに仕上がっている)。が、いまメディアやネットで炎上状態の自民党キックバック問題について以前から疑問を持っていることについて急遽、ブログを書くことにした。そのため、『総務省に物申す』の第3弾は年明けの1月8日にアップする。

●なぜ「天下の特捜」が組織を上げて捜査に乗り出したのか
実は東京痴漢特捜部(特別捜査部)が総力を挙げてこの問題を追求し始めたとき、私がまず疑問を抱いたのは「なぜ特捜が?」ということだった。
特捜は検察庁の花形部門で、過去の大規模事件は田中角栄総理(当時)が収賄罪に問われたロッキード事件や、多くの政治家が上場まじかの不動産業、リクルート・コスモスの未公開株をリクルートから安価で購入して大儲けした事件でリクルートの創業者、江副氏が贈賄罪で起訴され有罪(ただし執行猶予)になり、竹下内閣総辞職の要因になった(ただし大物政治家は全員不起訴)ケースが有名である。
この二つのケースに象徴されるように、特捜の仕事は政治家とくに国会議員の贈収賄事件の摘発が多い。ただし、いちおう特捜の捜査案件は公正取引委員会、証券取引監視委員会、国税庁などが告発した大規模な事件や汚職(汚職は公務員の収賄に限っての犯罪)・企業犯罪なども捜査対象になる。そうした特殊な性格のため、特捜部が設置されているのは東京・大阪・名古屋の3都市だけである。
また最近では、参院選広島選挙区で河井杏里の立候補に伴い地方議員への大規模な買収事件が生じ、広島地検特別刑事部が捜査を開始、東京地検特捜が買収の士気をとった事が明らかになって東京地検特捜部が河井夫妻を逮捕、河合克之衆院議員、杏里参院議員ともに議員を辞職したケースがある。
こういう特捜の役割を考えたとき、自民党各派閥の政治資金パーティで党員議員が割り当てノルマ以上のパーティ券を売りさばいた時、超過部分を当該議員に返金したことが(いわゆる「キャッシュバック」、特捜が乗り出すような事件なのかという疑問が生じたのだ。
とくにメディアの報道によればキャッシュバックそれ自体が犯罪行為に当たるわけではなく、キャッシュバックされた金を議員たちが政治資金収支報告書に不記載だったことが問われたためという。収支報告書に不記載だったため、キャッシュバックされたカネは事実上、表に出さなくても済む「裏カネ」という位置づけになる。が、キャッシュバックという行為は贈収賄に当たるわけではない。ではキャッシュバックがなぜ大問題に発展したのか。
まず政治資金報告書への不記載が規定を超えていたというケース。いちおう政治資金記載要件は1件20万円以上ということになっている。政治家の場合、カネの出入りが激しく、議員がすべての出入金を記載する時間的余裕がないという理由から、ある程度の目こぼしはやむを得ないと考えたようだ。が、政治資金の収支報告書作成を政治家自身が直接行ったりはしない。すべて会計責任者が行っており、会計責任者は正規の領収書もあり、政治資金として報告すべきことが分かり切っている場合はいちいち議員に記載の指示を仰いだりはしない。会計責任者たるもの、政治資金規正法は熟知しており、報告書への記載についての判断が困難なケースだけ、議員に処理方法の指示を仰ぐ。
もし、キャッシュバックの収入について会計責任者が議員の指示を仰がず、勝手に自分の判断で処理していたとしたら、当然クビになる。だからリクルート事件の時のように「秘書が」「妻が」と言った言い逃れは議員には不可能なはずだ。
取材に対して、「自分は知らなかった」と言い逃れをしようとする議員が後を絶たないが、そうした場合、当然メディアの記者は「では、会計責任者が独断で不記載にし、独断で裏カネの使途も隠してきたのか」と議員を追求すべきなのだが、国会議員以上にメディアの記者は頭が悪いようだ。
次に「裏カネ」と化した金の使途だ。表に出せない使途ということになると私的な飲食か選挙の際の票の買収費の二つのケースが考えられる。
私的な飲食に使った場合、政治資金報告書への不記載は置いておいても、そのカネは議員個人の収入ということになり、当然所得税や住民税の課税対象になる。議員個人の確定申告書にちゃんと所得として申告していれば問題ないが、おそらくそんなまともな議員は日本には一人もいない。
私事で恐縮だが、私の場合、著書の印税や講演料は出版社や講演の主催者から天引きされるから1円たりともごまかせない。ただ、そんなにしょっちゅうあるわけではないが、「ちょっと教えてもらいたいことがある」とか知人を通じて「一度お目にかかりたい」などといったケースでは、ご馳走になったり(この費用は金銭ではないから所得には該当しない)、時には帰る時「お車代」と称して封筒をいただくことがある。封筒の中身はせいぜい5万円程度だが、もしタクシーで帰宅したら当時、都心からは1万円くらいはかかったから、実質手取りは4万円程度だが、そういう収入を申告することはまずありえない。厳密に言えば脱税行為であることは認めるにやぶさかではない。
が、その程度の「脱税」だったら、税務署も目くじらをたてたりはしない。「お車代」をくれた相手が企業などの法人だったら間違いなく表カネから支出しているはずで、「使途不明金」として課税対象にしたりはしないが、お小遣い程度の申告漏れまで税務署も追いかけるほど暇ではない。だからキャッシュバックという「裏カネ」の使途も家族との年数回程度のレストランなどでの飲食まで「私的使用」として問題視することはまずありえない。
だから、これだけの大問題になっているのは、政治資金収支報告書の不記載が問題なのではなく、キャッシュバックによる「裏カネ」が選挙の時の票の買収資金に化けたのではないかという疑問を特捜は抱いているのだと思う。
そうだとしたら、自民党とくにキャッシュバックで「裏カネ」を所属派閥の国会議員にばらまいた目的は「票の買収資金に使えよ」という暗黙の指示が派閥上層部からあったためではないだろうか。そう考えたら、派閥上層部から、「収支報告書には記載するな」といった指示が出るのは当然だろう。
その場合は、組織ぐるみの大規模公職選挙法違反という選挙制度の公正を揺るがす大事件であり、特捜が組織を挙げて捜査に乗り出したことも頷ける。

●派閥内派閥が乱立している「安倍派」はどうなる?
いま特捜は安倍派だけでなく二階派のキャッシュバック問題にも手をつけているが、主目標は安倍派内の5派閥領袖であることは周知の事実。二階前幹事長は長期にわたって安倍政権を支えてきた「大功労者」でもあり、「安倍派だけをやり玉に挙げているわけではない」という特捜の状況証拠作りのためであることは見え見えと言ってもいい。
安倍派は安倍氏が存命だった時代は政策集団として大きなかたまりを作っていたように見えないこともなかったが、安倍氏なき今、「これがまとまった政策集団か」と目を疑いたくなるような状況になっている。
いま安倍派には5人衆と呼ばれる実力者がいて(松野元官房長官・萩生田元政調会長・西村元経済産業省大臣・世耕元参議院幹事長・高木元国会対策委員長)、それぞれが派閥内派閥の領袖として安倍派の後継会長の座を巡って競い合ってきた。その5人衆がすべて岸田内閣から更迭されたり、自民党の要職を辞任したりして表舞台から姿を消した。つまり後継会長の座から全員滑り落ちてしまったと言わざるを得ない。
キングメーカーとして依然として強い影響力を維持しているとみられることもなくはない森喜朗氏だが、本人はいま夫人と一緒に都心の高給老人ホームで生活している状態。86歳の高齢でもあり、東京オリンピックではかなりの味噌をつけたこともあって、森氏の院政復帰は世論が許さないだろうし、負のイメージがこびりついていなければキングメーカーとして事件のほとぼりが冷めたころ、森氏お気に入りと言われる萩生田氏を復活させて帝王学を授けることも可能だろうが、そんな力はもうないという見方が強い。
となると、安倍派はもう派閥を維持する力もなければ、派閥を維持する意味もなくなる。だいいち、安倍氏が凶弾に倒れてからかなりの時間が経過しているのに、いまだ次のリーダーを決められないくらいだから、仮に誰かがいち早く表舞台に復活しても派閥内5派閥をまとめる力はもう失われていると考えたほうがいい。
私の推測では、結局安倍派は来年中に解体分裂して小派閥が乱立するか、さもなければ安倍派議員は他派閥の草刈り場になる可能性がかなり大きいとみる。
安倍派の派閥解体が特捜の狙いだったら、そこまで安倍派解体まで追い込んだら目的達成でシャンシャンシャンということになるが、それで捜査打ち切りにでもしたら、「なんだ、特捜の真の狙いは安倍派に対する意趣返しだったのか」という批判を浴びかねない。
かといって多額のキャッシュバックを貰った5人衆を票集めのための地方議員買収資金に使った公職選挙法違反で立件するには、彼らの地元の検察や警察機構に指示して地方議員たちが「金を貰って票をまとめる活動をした」ことを立証する必要がある。
東京地検の特捜がいくら5人衆たちから事情聴取しても、彼らが「票の買収資金に使った」などとバカ正直に裏カネの使途を明らかにするわけがない。そうなるとマスコミを巻き込んでの大騒動の落としどころを特捜はどう考えているのか。
もしメディアの記者が地方議員たちから「選挙の時の票取りまとめ資金としてかなりのカネをもらった」といった証言をかなり集めれば、安倍派から公職選挙法違反容疑で逮捕者が続出するだろうし、金まみれ政治の浄化に大きな一石を投じることになって特捜の「勇み足」が一気にヒーロー視されることになるし、私自身はそうなることを願っているが、いまのところメディアは特捜のリークを報道するだけで、特捜に協力して特捜から事情聴取を受けている安倍派議員の選挙区でのキャッシュバック資金の使途の解明に全力をあげて取り組んでいるようには見えない(まだ報道するに至っていないだけで、水面下での取材活動は行っているのかもしれないが)。
が、もし特捜の捜査が「勇み足」(キャッシュバックの「裏カネ」の使途不明しか明らかにできなかった場合、このケースは税務当局の管轄の域を超えないことになる)という結果で終わったら、特捜の権威は地に落ちる。「大山鳴動して鼠一匹」という結果にならないことを私自身は心から願っているが…。

【追記】年の瀬も押し迫った30日、特捜は急遽、下村元政調会長の事情聴取に踏み切った。下村氏はこれまで特捜の捜査対象に名前が挙がっていなかった安倍は唯一の大物議員。 これまで事情聴取された大物議員は、いずれも安倍派内5派閥の領袖(いわゆる「5人衆」)だったから、下村氏は特捜のお目こぼしになっていたのか(それにしては「5人衆」以外にも事情聴取を受けた議員もいるけどね)、それとも「司法取引」ではないが、特捜の捜査に情報提供するなど協力することで折り合いをつけていたのか。 だとすれば、「5人衆」が表舞台から姿を消したことで下村氏は次期安倍派会長の有力候補に浮上するチャンスと考えて特捜の捜査に強力してきたのか。 が、下村氏だけ聴取対象から外れていることで政界雀がピーチクパーチク言い出したので、いちおう形式的に事情聴取することにしたのか。 それにしては下村氏も特捜もやり方がせこすぎる。(31日)

【追記2】大みそかの深夜『朝まで生テレビ』の政治討論番組をテレビ朝日が放送したようだ。私も昔はよく見ていたが、寄る年波には勝てず、最近は見ることはほとんどない(夜中にトイレで目が覚め、寝付けなかったときにたまさか見ることはあるが)。
 それでも、昔みたいに面白ければ録画して昼間にでも見るのだが、最近は田原氏のパワハラ番組のような感じがして見る気になれない。が、田原氏と田崎氏のやり取りがネットで炎上しているようなので、一言。なお、そのやり取りの内容は報知新聞から引用する。

 今年の政治課題について田崎氏は、自民党のパーティー券での「裏金事件」について「今、焦点は事件でどれぐらいの人が摘発されるか。それによって国民の意識がかなり高まってくる可能性があるんですね。それに政治がきちんと答えないといけない。まず初っぱなの課題だと思います」とコメントした。  
司会の田原総一朗氏に「政治家で逮捕されるのは出ると思う?」と聞かれた田崎氏は「逮捕はないでしょ」と即答した。これに田原氏は「なんでないんだ!」と声を荒らげたが田崎氏は「物理的な逮捕っていうのはないと思う」と示していた。  
その後、田原氏は「こんなスキャンダルが出て誰も逮捕されないのはおかしいよ!」と再び声を荒らげ訴えていた。

 はっきり申し上げるが、田原氏はもう相当ぼけてきた。むかし同じテレ朝で日曜日に生放送していた『サンデープロジェクト』のころの田原氏はゲストから本音を引き出す巧みな司会術で一時代を築いたが、最近は日曜午後6時からの『激論クロスファイアー』も含めて「何様のつもり?」と言いたくなるような司会が多い。私も田原氏の年に次第に近づいてきて、論理なき感情論で、司会者というより教育者のような振る舞いに陥らないよう、「他山の石」として反面教師にしたいと思っている。
さて今回のブログでもはっきり書いたが、いまの段階での国会議員逮捕はあり得ない。特捜の捜査で明らかにされてきたことは、現時点ではまだキャッシュバック(還流)されたパーティ券費が「政治資金収支報告書」に不記載で事実上「裏カネ」と化しているところまでだ。この段階で国会議員を逮捕でもしたら、特捜の横暴としっぺ返しが相当来る。
特捜が柿沢議員の逮捕に踏み切ったのは、柿沢氏が主張している東京都・江東区の区議への一人当たり20万円提供が「陣中見舞い」の域を超えた区長選挙での支援要請のための「買収資金」とみなすことが可能と踏んだからだ。
特捜が逮捕に踏み切る場合は起訴することが大前提である。収支報告書への不記載で起訴できるか、と問われたら特捜でなくても検察官すべてが「無理」と答えるに決まっている。
既にブログ本文で書いたが、国会議員を起訴して有罪に持ち込むためには「裏カネ」と化したキャッシュバックのカネが選挙で勝つための買収資金として使われたという証拠を固めなければ不可能である。その場合には柿沢氏のケースと同様、公職選挙う違反ということになり、裁判で有罪になれば議員を失職するだけでなく、公民権も相当の期間停止される。
その肝心な捜査がどこまで進んでいるのかが、いまの段階では全く不明である。田原氏のような暴論は、一般国民受けするかもしれないが、それならバラエティ番組でしゃべるようなレベルということになる。
田崎氏も別にキャッシュバックされた安倍派の大物議員たちをかばっているわけではなく、当たり前のことを発言しただけだ。
同じ番組で田原氏は安倍元総理との会談で安倍氏から「アベノミクスは失敗だったようだ。どうしたらいいか」と聞かれたと自慢げに話したようだが、田原氏が経済に詳しいとは誰も思っていない。安倍氏もまじめにアベノミクスの修正策を田原氏に聞くほどアホではあるまい。
テレ朝もそろそろ田原氏に引導を渡す時期に来たのではないか。(1月3日)





総務省に物申す(Ⅱ) 郵便料金値上げに敢えて反対するわけではないが…

2023-12-20 01:15:38 | Weblog
前回のブログに続いて総務省が抱える問題点を検証する。そのため記事のタイトルも【総務省に物申す Ⅱ】とした。
前回は6G対応の携帯電話共同基地局建設構想について注文を付けたが、今回は郵便事業に対する無能な行政について問題点を指摘する。
まずは直近のはがき・定形郵便物の料金値上げ問題についてから。

●小泉元総理は元祖「一強体制」の構築者だった
小泉元総理の功罪について、私はもう少し若かったら総検証したいのだが、日本人男性の平均寿命をすでに超えた今では正直、体力的に無理だ。が、なぜか私の論理的思考力だけはむしろ発展途上状態にあるようだ。
私事だが、今年9月熱中症で入院した病院で、1日ぽけっとテレビやスマホのネット記事を見ているだけでは刺激がなく、談話室においてあった「数独」パズルに初めて取り組んで、その面白さにはまった。
もちろん私が若かったころは「数独」パズルなどなかった。将棋や碁といった古くからある頭脳ゲーム以外に私が若いころ盛んだったのはオセロとルービックキューブくらい。いまはさまざまな脳トレ・パズルが開発され、私が通っているディサービス事業所にもいろいろな脳トレ・パズルが置いてあり、また事業所管理者が高齢者の脳力低下防止に熱心なこともあり、そうしたパズルにのめりこんだことも今の私の思考力に大きな影響を与えていると思う。
私事はさておいて、「思い込み」がいかに危険か、これ以上ない事例が小泉氏の「郵政民営化」だった。私は郵便局とりわけ地方の旧特定郵便局で生じた「かんぽ生保」の詐欺的商法を生んだのは小泉「郵政民営化」の「負の遺産」の一つであること、また「安倍一強体制」のルーツが「小泉一強体制」にあったことは、これまでもすでにこのブログで明らかにしてきたが、これからも私の思考力が衰えない限り「民主主義とは何か」や「官と民との健全な関係はどうあるべきか」をブログで論理的検証をしていきたいと思っている。

政府の郵政民営化への取り組みは1990年代に生じた。第1次橋本内閣がスタートさせた「行政改革会議」で行政改革の目玉になったのが郵政民営化だった。公共事業の民営化はすでに中曽根内閣の時代に国鉄や電電公社などの民営化で実現していたが、中曽根内閣では民営化し損ねた公共事業体が4つあった。その一つが郵政民営化であり、公共放送事業体のNHKである。なお日本高速道路公団と日本住宅供給公社はその後、民営化された。
小泉氏にとって郵政民営化は1979の大蔵政務次官就任時からの念願であり、宮沢内閣の郵政大臣時代、橋本内閣の厚生労働大臣時代にも強く主張し続けていた。ちなみに厚労省はいま責任能力を完全に喪失しつつあるが、これも小泉氏の「負の遺産」の一つである可能性が強いと思う。
2001年4月、総理に就任した小泉氏は、自らの政治生命を賭して郵政民営化に乗り出した。郵政民営化関連法案は2005年7月5日、わずか5票差で衆院を通過したが、8月8日には参院で否決された。両院とも自民党本部は議員に党議拘束をかけていたが、かなりの造反議員が続出したとみられている。衆院で可決した法案が参院で否決されても、衆院で再可決すれば、衆院優位の制度があるため法案は成立するのだが、参院で否決されたこの場合は衆院での再可決が困難と予想され、小泉氏は衆院を解散し「国民に信を問う」挙に出た。

●小泉元総理はこうして「一強体制」を築き、その手法を安倍氏が踏襲
特定郵便局の局長は地方では名士扱いされており(代々世襲が原則)、自民党議員にとっては有力な選挙基盤となっている。その利権にメスを入れる郵政民営化は地元に有力な地盤・看板・金バンに恵まれない議員たちにとっては、郵政民営化は自分の選挙にとっては死活を制しかねない重要問題になる。
労働政務次官など政府の要職を歴任した東京都・練馬区の小林興起衆院議員(当時)も、小泉「郵政民営化」に反旗を翻した一人。そうした反郵政民営化議員を小泉氏は「党議拘束違反」を名分に除名処分にして、造反議員の選挙区には刺客候補を落下傘擁立するという強硬手段に出た。私の名前と多少似ているので間違えられることが多い興起議員の選挙区には現東京都知事の小池百合子氏をぶつけた。
2005年9月11日に実施された総選挙では「郵政民営化」を支持した与党立候補者が衆院で3分の2を超える圧勝になった(ただし公明党は3議席減)。その結果、小泉氏は「一強体制」を確立、以降、小泉総理に歯向かう議員は影をひそめることになった。
この「小泉手法」を利用して「一強体制」を築くことに成功したのが安倍元総理だ。モリカケ問題で窮地に陥っていた安倍氏に、北朝鮮の金正恩がとんでもないプレゼントを(意図せずに)贈った。2011年9月、米韓合同軍事演習に抗議して、日本の襟裳岬上空をかすめるミサイルを発射したのだ。日本に対する敵視政策でもなければ、日本攻撃の意図も全くなかった北朝鮮のミサイル発射だったが、安倍氏にとっては「棚ボタ」的プレゼントになった。
安倍氏はすぐ反応し、「戦後日本の最大の危機」と国民の危機感をあおり、突如、解散に打って出たのだ。私に言わせれば「疑惑隠し解散」だが、安倍氏は「国難突破解散」とアドバルーンをぶち上げた。ただでさえ日本国民は拉致問題などをめぐって北朝鮮に好感情は持っていない。そうしたことも重なってこの年の総選挙で自民党は圧勝し、安倍氏は「一強体制」を築いたのだ。
大半のメディアは安倍氏を「一強体制の元祖」のように扱っているが、元祖「一強体制」の構築者は小泉氏であった。小泉氏の場合、比較的メディアから好感を持たれていたため、小泉氏が遺した「負の遺産」にはあまり関心を寄せないようだ。いま、岸田内閣の支持率が低下の一途をたどっているが、何か「棚ボタ」的プレゼントが舞い込んできて、岸田氏が解散総選挙に打って出て自民が圧勝でもすれば、岸田氏も小泉・安倍氏に次ぐ「三代目組長(間違えた、組長ではなく一強)になれるかもしれない。いまのところ、そうした「神頼み」は期待薄のようだが…。

●はがきは85円、定形郵便(現在84円と94円)が110円に
12月18日、総務省は通常郵便料金の大幅値上げを決めた。はがきは現行の63円を85円に、定形郵便物は現行84円(25グラム以下)と94円(50グラム以下)だったのを一本化して110円に値上げするというのだ。消費税部分を除けば本体の値上げは30年ぶりだという。
総務省は現状の郵便料金のままだと4年後には日本郵便の赤字が3000億円超に膨らむと見込んでいるようだが、毎日新聞によると値上げしても2026年には再び赤字体質になるという。
私は値上げそのものには必ずしも反対ではない。問題は郵政事業を民営化しながら経営の自由度をほとんど認めていない政府の郵政政策だ。
そもそも小泉「郵政民営化」の目的は、「民ができることは民に」という「官と民のすみわけ」による公共事業の効率化にあった。
その「建て前」だけは悪くない。実際、国鉄の民営化ではかなりの経営自由度をJR5社に認めたし、実際、JR各社は赤字路線をどんどん切り捨ててバス事業に転換したり、「どうしても残してほしい」という地元の要請が強い地域では「第3セクター」に移して地元にも鉄道を維持するための負担を求めてきた。赤字路線を合理化することで、黒字路線のサービスを充実させライバルの航空各社との競争でも有利に立っている。
電電公社も民営化して東西NTTや携帯電話のドコモ、フリーダイヤルやナビダイヤルなどNTTが提供するサービスとの競争関係を作り、またかけ放題携帯電話やIP電話に対抗して来年から市外電話料金体系を廃止して市内・市外の電話料金を一本化することで固定電話の競争力を回復しようとしている。
が、郵政民営化ではこうしたメリットが全く生じていない。小泉氏はヤマトに郵便事業参入の期待を寄せていたようだが、「信書」は扱えない、参入する条件として「全国規模で集配事業を行う」というユニバーサル・サービスを義務付けたため、ヤマトは参入を取りやめたことがある。
たまたま大和はセブン・イレブンと提携してメール便という新業態を開発し、一時は大成功を収めつつあった。が、配達でトラブルが続出した。ヤフオクなどのネット・オークションで商品券や株主優待券などの金券類をヤマトと契約した配達人がネコババするケースが頻発し(私も被害にあった)、メール便の信頼が喪失したためである。実際、私は地元の郵便局管理職の方から聞いたことがあるが、封筒をさすっただけで中身が金券類だとわかるようだ。
またメール便に限らず、配達先が過疎地の場合、ヤマトは(ヤマトに限ったことではないが)丸損承知で郵便局に丸投げしてしまうようだ。
そこで常に出てくるのが「弱者切り捨てでいいのか」という議論である。
答えにくい議論ではある。数学的に言えば「最大公約数」を重視するか「最小公倍数」を重視するのかという議論にならざるを得ないのだが、正解はない。
かつて所得倍増計画を強力に進めた故・池田隼人元総理は「貧乏人は米を食え」「中小企業の一つや二つ潰れても」と最大公約数的発言をして顰蹙を買ったことがあるが、国民全員が同じ付加価値を上げられる仕事をして、報酬も同じといった社会環境が仮に実現したとしても、居住環境もすべて平等などということは実現不可能だろう。
正論(社会的に大きな損失を伴うようなケースでは弱者切り捨てもやむを得ない)が堂々と言えない政治の世界。そして「一強体制」を構築しながらも、地盤・看板・金バンに弱い議員のために敢えて非効率なユニバーサル・サービスを日本郵便に押し続けてきた小泉「郵政改革」。その付けをわれわれ国民が負わされる時が来たのが郵便料金の大幅値上げだ。

●日本郵便にユニバーサル・サービスを押し付けるな
江戸時代と違って、日本国民はどこに住もうと国家権力にとやかく言われる筋合いはない。自然の恵みや住み慣れた土地に愛着して過疎地に住み続けるのも国民一人ひとりの自由だし権利でもある。ただし、そういう人たちは都市並みの生活利便性は期待できない。
携帯普及率が延べではとっくに100%を超えている日本。実際には持っていない人もいるが、複数台を使い分けている人がかなりいるので延べ普及率は100%超えになる。そういう時代にアナログのはがきや手紙の集配に、過疎地に住む住民にも都市部と同等の利便性を保証するというのが日本郵便に課せられたユニバーサル・サービスだ。そんな非効率で非合理なことをやっている国は、少なくとも先進国では日本だけだと思う。
経済に限らず、需要と供給のバランスをどうとるかで、その国の民主主義についての成熟度が試される。過疎地の住民にとって生活の利便性の面での最も優先事項は郵便物の集配だろうか。
郵便物の集配なんか、毎日ではなくてもいい。ある程度にぎやかな街に出ないと買い物に不自由だし、クルマを持っていて自ら交通の利便性を確保している人は別として、そうではない人たちにとっては最も利便性を高めてもらいたいと思っていることは買い物か交通の利便性(できれば両立)だろう。郵便物の集配なんか、週に1回で十分という地域が、いわゆる過疎地なのだ。
弱者切り捨てに反対というなら、社会的弱者が本当に必要としている利便性を何とか実現するのが本来の政治の仕事ではないか。

この稿の締めくくりに入る。
郵政民営化を実現している欧米先進国は郵便物の集配についてユニバーサル・サービスを郵便事業者に押し付けてはいない。それぞれの地域の人口に応じて集配間隔を決める自由度を有しており、大都市部は毎日、地方都市は週3回、人口が少ない地域は週1~2回と集配間隔に差をつけている。そのことによって大半の事業所が黒字になるように経営の自由度が担保されている。
そうなると郵政民営化はだれのための行政だったのか、そういう疑問をなぜメディアは持たないのか。
すでに述べたように、地方に多い旧特定郵便局の局長はその地域の名士であり、選挙の時の巨大な集票機関である。つまり国会議員の集票機関としてどうしても維持しなければならないのがユニバーサル・サービスなのだ。
郵便局に過度の重荷を背負わせたりしなければ、かんぽ生保の詐欺は生まれなかった。職員が自分の成績を上げるために自己責任で詐欺的行為に走るケースはかんぽ生保だけでなく、民間の保険会社や他の業界でもしばしばみられるが、大規模かつ組織的な詐欺行為が横行した背景には郵便局とりわけ地方の旧特定郵便局の負担増が背景にあることを総務省は明確に認識すべきだろう。

ここまででかなりの文字数になって、私も疲れた。NHKの問題については多分次回のブログに書く。
一つだけ書いておくが、NHKは受信料を10%下げた。経営努力によって値下げを実現したのかと思いきや、とんでもない詐欺値下げだった。というのは12月以降、BSは1波だけになった。地上波2波と合わせて現在NHKが放送しているのは3波である。つまり視聴者に対する公共放送サービスは4分の3に縮小した。職員数も4分の1を削減したというなら値下げ10%も経営努力として評価するにやぶさかではないが、職員数は維持しているようだ。

【追記】上記記事の原稿は18日午後2時半頃には完成していた。ブログへのアップは翌19日早朝に行う予定だったが、偶然にもその日の午後7時のニュースおよびニュースウォッチ9でNHK自から社会部職員が私的飲食費を取材と称して不正に着服していたことを報じた。
 私は個人のスキャンダルは現役時代も扱ってこなかったし、スキャンダル記事を売り物にするようなジャーナリストにはならないことを基本的スタンスとしてきた。ただし組織的スキャンダルは組織の体質に基づくケースが多く、そのようなケースはスキャンダルを生む組織的体質は検証記事を書いてきた。
 今回のNHK社会部の使い込みスキャンダルも、一種の奢り体質の内部腐食が進行しつつあるという懸念を持たざるを得ない。NHKという巨大組織を維持するためのなりふり構わぬ方策が今回の値下げ詐欺という新詐欺手法を生んだとも考えられる。午後6時台の『首都圏ニュース』の「私たちは騙されない」で、NHK自らが開発した「値下げ詐欺」という新手法の解明を求めたい。
 なおNHKの受信料問題をブログで書くのは初めてだが、実はNHKふれあいセンター(東京・渋谷の放送センターではなく川崎・武蔵小杉)の番組担当部門のスーパーバイザーや受信料担当部門の責任者、さらに東京・渋谷の放送センターの受信料部門の誰も私の主張には反論できなかった。
 【総務省に物申す Ⅲ】でNHK受信料制度の欺瞞性を明らかにする記事は新年早々にブログアップするつもりだが、この記事はNHKの経営を支えてきた受信料制度を根幹から揺るがす内容になる。乞うご期待。



携帯電話の共同基地局構想がようやく実現するかも~

2023-11-30 07:00:56 | Weblog
11月30日、日本経済新聞が携帯電話の共同基地局建設に乗り出すことを明らかにした。私に言わせれば「いまさら」の感がないではないが…。

●共同基地局建設がなぜ今まで実現しなかったのか
実は私は10年以上前から「共同基地局」建設をブログでも提案してきたし、総務省の携帯電話担当部署にも提案してきた。
きっかけは2011年3月11日に発生した東日本大震災である。この時はまだ楽天は携帯電話事業に進出しておらず、携帯電話市場はNTTドコモ、au、ソフトバンク(Yモバイルを含む)の3社が独占していた。とくにドコモが圧倒的なシェアを誇っていたが(ドコモ回線をまた借りした格安携帯各社も含む)、被災地でのドコモ回線がパンク状態になり、数少ない公衆電話の前に長蛇の列ができた。
大震災の後、ソフトバンクがテレビCMで「一番つながりやすかったのはソフトバンク」とPRした。
で、私はソフトバンクの広報室に電話をして「ソフトバンクが一番つながりやすかったというのは事実かもしれないが、それはたまたまソフトバンクに割り与えられた電波帯に余裕があったからに過ぎない。もしこのCMを見てソフトバンクの利用者が急増して電波帯域の利用範囲を超えた場合、責任がとれるのか。自社の電波帯域を勝手に増やすことができるか、さもなければ一定の利用者数に達したら新規加入を断るとでもいうのか」と抗議した。
その後、ソフトバンクはこのCMをやめた。

と同時に、総務省の携帯電話事業担当部署にも電話して共同基地局建設を提案した。私の提案の具体的内容はこうだ。
① 何でもかんでも「民のほうが効率的」とは限らない。共同基地局の運営は民に任せてもいいが、共同基地局計画は官が主導したほうがいい。
② 従来のような電波帯の割り当て方法は廃止して、「早い者勝ち」で携帯電話の電波帯を利用させるべきだ。そうすれば東日本大震災の時にドコモの携帯電話がパンク状態になり、ソフトバンクはつながりやすいといった使い勝手の悪さも改善できる。
③ さらに、携帯各社の資金力に関係なく、極めて効率的に日本全国の隅々まで加入携帯電話会社を問わず利用者が公平に携帯電話を利用できるようにすべきだ。

その後、2022年4月23日、知床沖観光船沈没事故が生じた。もちろん最大の責任はしけの中「お客さんがいるから」と遊覧船「カズワン」の出港を強行させた有限会社知床遊覧船にあるが、この時船長が持っていた携帯電話はau。が、遭難海域はauの電波が届く基地局の範囲外だった。船長は乗客からドコモの携帯電話を借りて海上保安庁などとの連絡を試みたようだが、すでにエンジンは停止、観光船は浸水しつつあった。結局、乗客24人、船長、甲板員1人の計26人の尊い命が犠牲になった。
この時共同基地局が設置されていたら、船の沈没は免れ得なかっただろうけど、何人かの命は救われた可能性は否定できない。

●共同基地局は電波の割り当てをしてはならない
東日本大震災、知床沖観光船沈没事故の教訓として、携帯各社への電波の割り当ては絶対にしてはならない。
日本経済新聞社の記事によれば、住友商事が建設予定の共同基地局建設構想は、まず25年開催の大阪万博の会場に、高速通信規格「5G」向けに携帯各社に割り当てられた周波数に対応した共同基地局を設置し、その後、全国展開するという。
実はこうした事業は「プラットホーム・ビジネス」として地上波のテレビ等や放送衛星(BS、CS)ですでに行われている。また小田急電鉄はJR東日本の特急電車の乗り入れをかなり前から行っており、この場合は小田急電鉄の線路がプラットホーム化していることになる。
ショッピングセンターやデパートも専門店に売り場の専用使用を進めており、これも一種のプラットホーム・ビジネスと言える。また最近人気が高いアウトレットは売り場のすべてを専門店に専用使用させており、プラットホーム・ビジネスに特化した小売業と言える。
これらのプラットホーム・ビジネスは、例えばテレビの場合、あらかじめテレビ局に電波帯域を割り当てる必要がある。そうしないとテレビ各局は番組編成ができなくなるからだ。
また小売業の場合も、専門店に売り場面積を専用使用させないと、専門店は出店できない。
このように従来のプラットホーム・ビジネスはあらかじめ利用各社に電波帯や専門店の売り場スペースを確保する必要があるが、携帯電話の場合は携帯各社に使用電波帯域を割り当てなければならない理由がない。そういうケースに交通ICカードがある。
交通ICカード(スイカやパスもなど)は利用電車やバスに利用範囲を割り当てたりしていない。カードごとに利用交通機関の利用範囲を割り当てたりしたら、交通ICカードは絶対に普及しなかった。
だから携帯電話も交通ICカードのように、携帯電話の利用度(回数及び使用時間)に応じて共同基地局の運営会社(今名乗りを上げているのは住友商事1社だが)に使用料を支払うようにすればいい。そうすれば格安電話会社もドコモなど大手の電波帯域を借りる必要がなくなるし、サービス競争が激化して、そのメリットは確実に利用者に還元されるようになる。
また従来のように携帯各社が基地局を個別に設置した場合、携帯各社は基地局の整備、メンテナンスなどの年数千億円を投じざるを得ない。資金力が最も豊富なドコモが有利になるのは当然で、現に全国の基地局数もドコモが圧倒的に多い。ドコモはほぼ日本全国をカバーしているのではないだろうか。
また共同基地局も、新たに建設する必要性はあまりないと思う。携帯各社がすでに建設している基地局を効率的に利用して、携帯電話用の電波帯をすべてカバーできるように改良すればコストは劇的に安くなる。
ドコモは反発するかもしれないが、競争条件をフェアにするためにも、総務省が住友商事の共同基地構想を指導して携帯電話各社が公平に共同基地局を利用できるようにしてもらいたい。
さらに言えば、共同基地局の整備、運営は独占事業になるため、住友商事1社にゆだねるのではなく、少なくとも数社が出資する新会社を作らせるべきだと思う。とくにこの新事業には絶対に日本郵政を参加させるべきだ。全国を網羅している郵便局が携帯電話の効率的な利用についての簡易基地局になりうるからだ、

TBSは死んだのか?

2023-10-11 20:57:48 | Weblog
10月7日のTBS [報道特集]のネット配信(Tver)が炎上している。
この日の特集はTBS社員のジャニーズ事務所とのかかわり方について、とりわけ芸能関係社員への徹底取材によってメディアがジャニーズ側の言いなりになってきた経緯の検証を行った。
私はこの番組を見て、ついにメディアが自己検証を始めたかと感動しながら見ていた。
TBSがそこまでやったら、他局も自己検証せざるを得ないだろうと思った。つまり他局にとっては迷惑千万の特集だったともいえる。
ところがTBSがこの番組をネット配信したとき、肝心の社員の証言をすべてカットしてしまったようなのだ(私自身はネット配信の映像は見ていない)。そのためSNSで「TBSは死んだ」と猛烈な炎上が生じた。
なぜTBSはネット配信の映像で社員の証言をすべてカットしてしまったのか。
理由は一つしか考えられない。
他局に対する忖度だ。TBSが赤裸々に内部事情を報道してしまったため他局も社内検証をせざるを得ない状況に追い込まれたのだ。その結果、TBSはネット配信では社員の証言をすべてカットしたというわけだ。
で、TBSは他局に忖度してネット配信では社員の証言をカットしたことを、また検証せざるをえなくなった。私はTBSにネット配信についての検証番組を作るよう強く要求した。
少なくとも私が「報道特集」のMCだったら、ネット配信の裏事情の検証をしないならば番組を降りると主張する。
常盤貴子がそこまでやるか。

「106万円の壁」「130万円の壁」の緩和はジェンダー差別の解消にはならない。むしろ少子化が進むだけだ。

2023-10-02 05:47:17 | Weblog
10月1日、NHK『日曜討論』は日本のジェンダー座別問題を、与野党女性国会議員たちが取り上げ討論した。NHKによれば世界145過去中、日本のジェンダー差別は125位に当たるらしい。
ジェンダー差別を何とかしようという試みはいいが、なぜか女性議員の感覚は現実と大きくずれている。
ジェンダー差別の国際比較は国会や地方議会に占める議員の男女比や企業の経営幹部に占める男女比で比較されているが、日本はいずれの分野でも女性の占める比率が低いようだ。
確かに日本ではまだ「男尊女卑」的感覚の持ち主は、特に高齢男性に多いことは確かだが、問題はそれだけではない。

●日本の女性は甘えの構造の中で能力発揮の機会を自らセーブしているのではないか
世界では扶養家族に対する支援をどのように行っているか、ネットで調べてみた。厚労省はほぼ全世界の制度を調べていると思うが(調べていなかったら怠慢と言わざるを得ない)、「子供手当」以外の扶養家族に対する手当を行っている国を見つけることはできなかった。
いろいろなキーワードでネット検索したが、「扶養家族手当 世界」で検索しても主な国で「扶養家族」の名目で妻に対する手当を支給している国は見つからなかった。ただ、このキーワードで調べた結果、「子供手当」は日本以外にもイギリス、フランス、ドイツなどがあったが、アメリカや韓国は「該当なし」である。
専業主婦や一定の収入以内の妻への扶養家族手当を支給している国は一つも見つけることができなかった。まして「第3号被保険者」という制度(企業規模によって妻の年収が106万円、130万円を超えると妻が「第3号被保険者」の資格を失い、自分自身で健康保険や厚生年金などの社会保険に加入しなければならなくなる制度)など、どの国にもない。
いま岸田内閣は、この「106万円の壁」「130万円の壁」が女性の働く意欲をそいでいると考え、「壁の拡大」を行おうとしているが、基本的に個人主義の欧米では結婚するもしないも個人の自由であり責任、だから結婚したからといって甘やかす制度を設けたりはしていない。
これは他の福祉制度でもそうだが、勤務地への交通手段も個人の自由であり責任という考えだから、通勤手当や住宅手当といったものはない。基本的に通勤費と住宅費は反比例の関係にあり、都心の勤務地に近い地域に住居を構えれば通勤費は安くてすむが住宅費は高くなる。
勤務地に近い場所に住居を構えれば、住宅費は高くなるが通勤疲労は少なくてすみ、会社への貢献度も大きくなる。が、住宅手当は定額で、通勤手当は実費(上限を設けている会社が多いようだが)というのは、いくら福祉厚生が目的とはいえ、結果的には逆効果になっている。

●第3号被保険者制度を廃止すればジェンダー差別は解消する。
いまの社会福祉制度は戦後の貧しい時代に結婚促進策として設けられ、それなりに日本の経済復興に大きな役割を果たしてきたことは間違いないが、日本が高度経済成長期を経て多くの家庭が豊かさを享受するようになり、また子供たちの高学歴化も急速に進んだ。
高度経済成長時代の初期、東北方面の中卒就業者は東京・鎌田の部品工場地域に、関西以西の中卒就業者は東大阪市のやはり部品工場地帯に、それぞれ「金の卵」として就職し、精密部品製造の熟練工として日本の先端工業力を支えた。
私が小学生だった時代、東京・世田谷区の有名校だったが、大学に進学した女性は全学年でせいぜい数%だった。実際、内閣府男女共同参画局の調査によれば、1960年の女性の大学・短大への進学率はともに5%未満だった。
が、75年の女性の高等教育校進学率は大学12.7%、短大32.9%と増え、現在では短大、専門学校も含めると女性の高等教育校進学率は男性より上回っているようだ。
こうした女性の高学歴化によって女性の価値観や幸福感、生き方も大きく変化し、かつてのような「良妻賢母」型生き方を目指す女性は激減している。前にも何度か書いたが、いまの女性は【結婚→妊娠→出産→子育て】【家庭を守り夫を支える】といった考え方はみじんも持っていない。自分自身の生き方や社会で自分の能力をいかに発揮できるかに関心の重点を移している。少子化もそうした女性を取り巻く社会環境の変化がもたらしており、OECD34か国中合計特殊出生率が人口を維持するのに必要とされる2.18を上回っているのはアラブ諸国と常に緊張状態にあるイスラエル(2.90)だけだ。
ちなみに多民族国家のフランスは4位で1.83、アメリカは9位で1.63である。なお日本は30位で1.26、最下位の韓国に至っては0.83と、国家の存亡そのものが危うい状態だ。
だから少子化対策は重要だが、世界中で共稼ぎ世帯に最も過保護とすらいえる「第3号被保険者制度」を働き手確保のために改悪することはさらに少子化を進める結果になることは間違いない。
いかなる政策もメリットもあるが副作用も伴う。薬と同じで、効果が大きければ大きいほど副作用も大きくなる。だから女性労働力の活用を拡大する政策を進めれば進めるほど、副作用として少子化も急速に進むことを覚悟しなければならない。
日本の政治家は、なぜ副作用のことを考えずに一面的な効果だけを重要視するのか。例えば女性の働く環境を改善して女性の労働力をもっと活用しながら少子化対策はしっかり行うというなら、たとえば妊娠適齢期を超えた女性や3人以上の子供を出産した女性に限って働きやすい環境整備を整えることだって可能なはずだ。
すべて全部一律にという硬直した考え方では、これからの日本はやっていけない。第3号被保険者制度という画一的な過保護福祉政策を廃止して、女性が働きやすい環境をフレキシブルに構築すれば、女性が社会で活躍できる機会は大きく増えるし、そうなればジェンダー差別も解消する。また女性も将来の不安なく結婚・出産・子育てができるようになる。

コロナの感染症5類格下げの目的は高齢者皆殺しのためか

2023-09-12 01:29:47 | Weblog
今年5月8日から新型コロナウイルス感染症の位置づけが2類から5類に「格下げ」された。明確な理由はいまだ不明である。ネットでいろいろ検索して調べてみたが、科学的根拠に基づいた説明は政府からも厚労省からも一切ない。
どうしてなのか。国民の命より経済回復のほうが重要と岸田政権は判断したのか。間違いなくそうだ、と私は確信を持った。
最初に私自身の経験や取材で分かったことは5類への格下げではなく、事実上、感染症の分類項目にない「6類」、つまり病気ではないと決めたというのが真実だ。

●感染症の分類とは~
主な感染症については医療行為等について「感染症法」という法律で定められている。感染症法とは、感染症の予防や患者の医療に関する法律であり、感染症法の対象となる感染症は、重症度や感染力によって「1類感染症」から「5類感染症」までに分類されている。
1類感染症はエボラ出血熱、ペスト、ラッサ熱等が対象で、「感染力および罹患した場合の重篤性から見た危険性が極めて高い感染症」である。
2類感染症は結核、SARS 、HERS、鳥インフルエンザ等が対象で、「感染力および罹患した場合の重篤性から見た危険性が高い感染症」(1類との違いは「極めて」が2類には省かれているだけ)とされている。新型コロナはこれまでは2類感染症に分類されていた。
3類感染症はコレラ、細菌性赤痢、腸チフス等で、「特定の職業等への就業によって感染症の集団発生を起こしうる感染症」である。
4類感染症は狂犬病、マラリア、テング熱等、「動物、飲食物等を介して人に感染する感染症」とされている。
新型コロナが格下げになった5類感染症の対象はインフルエンザ、性器クラミジア感染症等で、「国が感染症発生動向を調査し、その結果等に基づいて必要な情報を国民一派や医療関係者に提供、公開することによって発生・蔓延を防止すべき感染症」である。

私は5類の対象になっている性器クラジミアについては無知でネットで調べるつもりもないが、少なくともインフルエンザについては高熱が発生した場合、すべての内科クリニックで単なる風邪かインフルエンザかの検査は健康保険でしてくれるし、もし陽性反応が出た場合はタミフルのような特効薬をその場で処方してくれる。クリニックの医師が重症と判断した場合は救急車を手配までしてくれる。
実際、新型コロナの疑いがあった場合、内科クリニックの医師がインフルエンザのような対応をしてくれるのだろうか。私自身の体験と、不審に思って数か所の内科クリニックに電話で聞いたこと、さらにかかりつけ調剤薬局の薬剤師から聞いたことの結果として、新型コロナに対してはインフルエンザのような5類対応の医療はできない仕組みになっているようなのだ。

●新型コロナは感染症分類にない「6類」への格下げだった
私は8月下旬、原因不明の微熱が数日続いた。いちおうドラックストアなどで市販されている風邪薬は常備薬として持っており、それを飲めばいったん平熱に戻るのだが、すぐにまた微熱が再発する。こういう経験はあまりしたことがないので近所のかかりつけ内科クリニックで診てもらうことにした。
受付の窓口の女性に、その症状を伝えると一般待合室ではなくベットがある別室に連れていかれた。発熱はせいぜい37.5度前後までで、コロナの場合かなりの高熱が出ると聞いていたので、コロナの心配はまったくしていなかった。
クリニックの医師はすぐに診てくれて、「のどがちょっと赤くはれていますね」と言って、「とりあえず解熱剤と抗生物質を処方しますから、それを飲んでも微熱が続くようだったら薬局やドラッグストアでコロナの抗原検査キットを買って、もし陽性反応が出たら5日間は外出はしないで自宅で安静にしてください」と言われた。
はっきり言わせてもらえば、医療放棄である。
が、かかりつけ内科クリニックの医師の名誉のために付け加えるが、その医師の怠慢や責任放棄ではないのだ、実は~
幸い、医師が処方してくれた解熱剤と抗生物質が効いて微熱は完全に収まったので抗原検査をせずに済んだが、なぜ抗原検査をクリニックでできないのか。
たぶん、抗原キットの信頼性が低く、まだ健康保険対象の検査として承認されていないからのようだ。これは数か所の内科クリニックに電話をして確認した。
それだけでなく厚労省のコロナ・コールセンターにも電話で問い合わせた。なお厚労省のコロナ・コールセンターは厚労省の職員で構成されているわけではない。NTT系の電話コール会社が丸受けしている組織だ。おそらくそこに勤務しているのはNTTの社員ではなく派遣社員だと思う。しかし、スタッフはかなり勉強していて厚労省が公表していることについてはほぼ熟知している。が、なぜ内科クリニックで抗原検査を健康保険で受けられないのかを訊いても、担当者は一生懸命調べてくれたが、「その件については情報が全くありません」という返答しか返ってこなかった。
NHKにも問い合わせたが、東京都でもコロナ検査や治療についても重症者以外は健康保険の対象外のようですとのことだった。
政府がコロナ患者を見捨てるのであれば、と私は考えた。
私の場合、かかりつけ医が処方してくれた解熱剤と抗生物質で症状は回復したが、もし回復しなかった場合、コロナのリスクがかなり高いと考えざるをえなかった。検査も自費、治療もできない~ならば政府・厚労省に対する復讐としてコロナを蔓延してやろうかと。

●そんなバカげた復讐をする必要がなくてよかったとは思っているが…
すでに述べたように、感染症5類のインフルエンザは、ちょっとでも疑いがあれば、どの内科クリニックでもすぐ健康保険で検査をしてくれる。
検査の結果が出るまで15分くらいはかかるが、陽性反応が出たら直ちに特効薬のタミフルなどを処方してくれる。もちろん自費ではない。検査も薬も健康保険の対象だ。
が、コロナは違う。検査は自費、インフルエンザのタミフルのような特効薬がないから治療も自己責任。自費で抗原検査をして陽性反応が出ても治療法はない。5日間、隔離生活を自己責任でやれというのだ。
昨年、私が入院した日に病室でコロナ患者が出て、私も感染した。その時は隔離期間は10日間だった。入院費用はすべて公費で賄われた。
いま隔離期間は5日に短縮され、かつ公費では賄われない。
隔離期間が10日から5日に短縮された科学的根拠も明確ではない。個人差があるはずで、本来なら一人ひとりについて毎日抗体検査をして隔離解除すべきだと思うが、そんな体制すら作れていない。

まあ、考えようによっては、これは最高の「高齢化対策」かもしれない。高齢者は免疫力も弱まっているし、国家財政にとっては「金食い虫」の高齢者の寿命を縮めることは国策にかなうのかもしれない。
でも後期高齢者の私に言わせれば、私たちの世代が額に汗して日本経済を復興させたし、当時の高齢者の生活を私たち世代が支えてきた。私たちには、いまの現役世代に私たち高齢者の年金生活を支える義務や責任があり、私たちは若いころそういう義務を果たしてきたのだから、いま現役世代に年金生活を支えてもらう権利があるはずだ。
そうは言っても、現役世代の生活の苦しさもわかっているから、せいぜい自己責任でできることはしようと思っている。
だけど、いくらなんでもコロナを使って高齢者を皆殺しにしようというのはナチス以上の悪業と言わざるを得ない。それが私たち有権者が選んだ政治家の実態であることを後世に伝えようではないか。

再度、繰り返す。コロナと同じ5類感染症のインフルエンザには健康保険で検査も受けられるし、薬も健康保険で買える。
新型コロナの場合、検査も自費。治療薬もない。隔離生活も自費負担。
インフルエンザが5類なら、コロナは6類にすべきだろう。
なに、「6類はないってか」。だったら病気扱いしない感染症は高齢者退治のための6類を作ったらどうか。そんなことをして政府が持つのならだが…。

コロナを感染症2類から5類に移行させた本当の理由

2023-09-04 09:17:12 | Weblog
コロナが2類感染症から5類感染症に今年5月から移行されたことは皆さんご存じだろう。報道などで知る限り、5類感染症はインフルエンザ並みということのようだ。だからワクチンもインフルエンザ・ワクチンと同様、これからは有料で、打つか打たないかは個人の判断による。(コロナ・ワクチンもこれまでは無料だったが、強制ではない)
が、実際の医療現場はコロナは感染症5類に対応できていない。この稿で、医学的知識皆無の私が専門的知見に基づいた見識を述べることはできないので、とりあえず素人の私にはコロナは病気とはみなさないことに厚労省はしたようだとしか言えないことだけを立証しておきたい。

●私はいまコロナに感染しているかもしれないが…
最近、私は毎日微熱に悩まされていた。発熱以外、咳や痰など、とくに症状らしきものはないし、熱もせいぜい37.5度くらいの範囲にとどまっていた。
「平熱」の基準はいちおう36.5度とされているが、個人差があって私の場合は36.0度前後が平熱のようだ。実際、この稿を書いている今(午前6時過ぎ)の体温計では35.6度である。
私は若いころは低血圧症だったので、平熱体温も低かったのだと思うが、高齢になった今、平熱体温も多少上がっているようだ。が、それにしても体温計で測ると37度を超えるというのは、私にとっては穏やかな話ではない。私は常備薬として風邪薬や下痢止めの市販薬を持っているし、そのほかにサプリメントもかなり多くを毎日服用している。
風邪薬は解熱作用もあるので、それを飲めばいちおういったん熱は下がるのだが、すぐぶり返す。咳や痰は出ないので、素人知識では高熱(というほどのレベルではないが)ちょっと心配になってかかりつけの内科医に行った。
受付で、そういう事情を話すと{ちょっと、お待ちください}と言われ、他の患者を診察中の医師に報告したようで、普通の待合室ではなくベットがある別室に案内された。医師はすぐ診察してくれ、解熱剤と抗生物質の処方箋を出してくれたが、その時、「新型コロナに感染している可能性も否定できないので、薬局かドラッグストアで抗原キットを買って検査してください。それで陽性反応が出たら5日間は外出せず自宅で安静してください」と言われた。
私はすぐ反応した。
「いま先生に検査してはもらえないんですか?」と。
「抗原検査のキットは数種類出ていて、厚労省から健康保険対象としての検査キットはまだ承認されていないので、うちでは検査はできないんです」
私は帰宅後、ネットで調べた最寄りの内科クリニック10か所以上に電話をして「かかりつけの医者から抗原キットを買って自分で検査しろ」と言われたけど、健康保険の対象外の抗原キットを自費で買って自分で検査する気には到底なれない。お宅で検査してくれるのなら行きたいが」と尋ねたが、すべてNOだった。
しかも自費で買った検査キットで陽性反応が出たら「自宅で安静にしろ」。
私は独り身で面倒を見てくれる人はだれもいない。
インフルエンザと違って、新型コロナには治療薬がないことはだれでも知っている。

●政府・厚労省はコロナ治療を行わない方針を決めたのか
「新型コロナ感染の可能性がある」(かかりつけ医の判断)にもかかわらず、検査は自費で薬局やドラッグストアで買って、自分で検査しろ。
検査の結果、陽性反応が出たら「5日間の自宅安静しろ」~~これ、感染症5類の医療対応なのか。
政府・厚労省は、新型コロナをインフルエンザと同様の感染症5類に引き下げた。
が、インフルエンザの場合、内科クリニックですぐ健康保険で検査もしてくれるし、15分くらい待たされるが結果が出たら直ちにタミフルという特効薬の処方をしてくれる。
コロナの場合、検査もできないし、自費で薬局やドラッグストアで検査キットを買って、陽性反応が出ても医療対象にはならない。
もうかなり前になるが、飲み会でこういうことを言った女性がいた。エイズが流行って社会問題になっていたころだから、いまから40年くらい前になるだろうか。
「もし、私がエイズになったら、だれとでも片っ端から寝てエイズをうつしてやりたい」
その時私は「エイズにかかったとしたら、それはかなり自己責任の範囲だろう。それを何の関係もない第3者に意趣返しするのはお門違いもいいところだ」と注意した。
もちろん彼女の気持ちもわからないではない。が、いま私は彼女の「意趣返し」の感情が痛いほどわかる。
私はかかりつけ医師の勧告は無視する。保険適用で買えるのなら抗原キットを買ってもいい。が、仮にそのキットで陽性反応が出た場合、独り身の私に「5日間の自宅安静」なんかできるわけがない。
実は昨年の夏、体調不良で救急車を呼んだ。その年の4月、交通事故で左大腿骨頚部骨折で人工関節挿入の大手術を行い、リハビリを含めて2か月半の入院生活を余儀なくされた。
手術は成功したし、杖をついての平地歩行には問題がなかったが、坂が多い居住環境もあって、退院後2か月足らずで体調不良を生じて再び別の病院だったが入院することになった。そこの病院でコロナに院内感染した。同じ病室でコロナを発症した患者がいて、PCR検査の結果、感染したことが分かったのだ(ほかにも2人感染した)。直ちにその病室は隔離され10日間、病室から一歩も出ることはできなくなった。トイレにも行けず、ベットのそばに置かれた簡易トイレで用を足すしかなかった。病室に出入りするのはその日の担当看護士だけで、常に使い捨て用のビニールガウンをまとっていた。
10日後、ようやく「軟禁」状態から解放されたが、抗体検査すら一切しない。要するに10日間安静にしていれば、コロナは自然消滅しただろうという推測だけが軟禁状態からの解放の根拠なのだ。いまは、軟禁拘束の期間が5日に縮まったようだが、医学的根拠に基づいた理由ではない。
まだ安静期間中の5日間、至れり尽くせりの病院が受け入れてくれるのならいざ知らず、独り身の私がどうやって自宅で5日間の安静状態を維持できるのか。つまり、政府厚労省がコロナを感染症2類から5類に格下げしたのは、「もうコロナ治療は行わない」という宣言に等しいのだ。

●コロナ治療放棄は高齢化社会対策なのか防衛装備予算を確保するためか
確かにコロナ治療の決定打はいまだ見つかっていない。抗原検査とか、もっと精密なPCR検査など検査法はあるが、肝心の治療法がいまだ見つかっていない。ただひたすら安静にして、高熱・咳・痰などの症状が収まれば、人間に備わっている自然治癒力によってコロナは消滅したと、勝手に政府厚労省は決めているだけだ。
だとしたら、すでに報じられているコロナ後遺症はなぜ生じるのか。そのメカニズムすら未解明のままだ。
改めて書いておくが、コロナが移行された感染症第5類にはインフルエンザも入っている。今年の冬に流行するだろうインフルエンザの種類はいま冬の真っ最中の南半球で流行っているインフルエンザが主流になると考えてワクチン開発が急ピッチで進んでいる。「当たるも八卦、当たらぬも八卦」に近い、賭けのような開発姿勢だ。だからインフルエンザ・ワクチンが的外れになる可能性も低くはない。が、実際に流行期に入らなければ不可能な対策なのだから、あまり科学的とはいえなくても仕方ないとは思う。
ただインフルエンザの場合、かかったとしてもタミフルという絶対的特効薬がある。大人と同量のタミフルを子供が服用した場合、精神的錯乱状態に陥ったケースが頻発して大問題になった時期もあったが、投与量のさじ加減によってそうした副作用は解決したようだ。
問題はコロナの場合、タミフルのような絶対的効果がある治療薬がないことだ。治療法がないからと言ってコロナを感染症5類に入れたのはなぜか。しかも抗原検査すら健康保険対象外だという。抗原検査で陽性になっても医療機関は受け入れないらしい。抗原検査キットも薬局やドラッグストアで自費で買う必要がある。抗原検査で陽性反応が出たら、自宅で静養しろという。
厚労省コロナコールセンターに電話で聞いたら、いまはそういう対応を全国のクリニックに指示しているようだ。だから私のかかりつけ医が特別に冷淡なわけではない。
ならば私もそれなりの対応をすることにした。
抗原キットなど自費で買って検査などしない。
風邪薬や解熱剤で極力高熱化を防ぎながら、マスクもかけずに好きなようにさせていただく。
治療法がないから治療をしないというのが国の方針だから、コロナは病気ではないと私は考える。
病気ではないのだから、自宅で安静にしている必要もない。大災害に備えての非常食の用意もしていないから、5日間も自宅安静を余儀なくされたらコロナ死より早く餓死してしまうからだ。
高齢者がコロナでどんどん死んでいけば福祉予算を大幅に削れるし、その分防衛装備品購入予算に回せるだろうからね。

実質賃金が物価上昇率を上回っても景気は回復しない理由

2023-08-10 06:03:02 | Weblog
猛暑の夏、書きたいことはいっぱいあっても書く気になかなかなれないし、書き始めて途中でギブアップしたこともいくつかあった。
私のブログ記事が長文になることもそのせいだが、今回はできるだけ短く要点だけまとめて書くことにした。
毎月、総務省が公表している消費者物価指数と、厚労省が発表している賃金統計の数字で私たち庶民が感じる違和感についてどうしても書いておかなければならないと思ったからである。消費者物価指数はせいぜい3%程度の上昇だが、私たち庶民の生活費は3%程度の上昇では収まっていないと、生活実感としてだれもが感じているはずだからだ。

●アベノミクスはなぜ失敗したのか
アベノミクスは景気回復の目安として消費者物価指数の2%アップを目標にして、日銀・黒田総裁(前)は「黒田バズーカ砲」と言われる極端な円安誘導を進めてきた。
日銀は金融政策(政策金利=日本の場合公定歩合)と法定通貨(円)の発行権を持っている。通貨の発行量は、基本的には政府が発行する国債を日銀が買い入れる量で決まる。政府は日銀が買い入れた国債のカネで様々な公共事業など景気浮揚策を講じる。
また政策金利を大幅に引き下げる(金融緩和)ことによって企業や国民が金融機関からカネを低利で借り入れることが可能になり、その結果、企業の設備投資意欲や国民の消費意欲が高まることが理論上は期待できる。
が、安倍元総理が権力を握っていた8年間、消費者物価は一度も対前年比2%を上回ることがなかった。なぜか。
インフレとかデフレといった経済現象は単純に言ってしまえば、インフレは需要が供給を上回った時に生じ、デフレは供給が需要を上回った時に生じるが、実は需要が増えなくても供給が減少すればインフレになるし、需要が多少増えても供給が需要増を上回ればデフレになる。
また政策インフレは需要が増えないのに生産物価が上昇すれば理論上はインフレになる。生産原価が上昇すれば消費者価格に転嫁されるから量的には需要と供給のバランスがとれていてもインフレになる。
【インフレ=景気回復】と小学生並みの『経済理論』(?)で政策インフレを実現しようとして、物も見事に失敗したのがアベノミクスだった。

●消費者物価指数や賃金上昇率という数字の謎
毎月、消費者物価指数を発表しているのは総務省だが、現在は2020年の消費者物価指数を100として、それ以降の消費者物価の変動を表示している。今年6月の消費者物価指数は2020年の物価指数に対して105.2に上昇し、前年同月比では3.3%の上昇、前月比0.2%上昇ということになっているが、私たち生活者の実感では物価上昇はそんな程度ではない。
いま生活者の懐を直撃しているのは、食料品や光熱費(電気・ガス・ガソリンなど)。トイレットペーパーなどの生活必需品だが、実は総務省が消費者物価指数の対象としている商品からは食料品(酒類を除く生鮮食品、鶏卵、加工食品)及び光熱費は除かれているのだ。総務省が発表する消費者物価指数と生活者の実感が完全にずれているのはそのせいともいえる。もし消費者物価指数とは別に生活必需品物価指数を調べたら、おそらく2ケタ台の上昇になっているだろう。

一方厚労省は毎月従業員5人以上の事業所3万か所以上を対象に「毎月勤労統計調査」を行っており、今年6月の統計数値を発表した。それによると残業代も含めた手取り賃金総額は平均で46万2040円で、18か月連続プラス、前年同月比も2.3%増になった。
が、物価上昇分を反映した実質賃金は前年同月比で1.6%のマイナス、これまた15か月連続のマイナスを記録した。総務省の消費者物価指数の前年同月比上昇率は3.3%だから、総務省と厚労省が物価上昇を同じ対象基準で計算しているとすれば、【3.3-2.3=1.0%】になるはずだが、このギャップはどうして生じているのか。どのメディアも、この矛盾に気づいていないようだ。

●実質賃金が物価上昇を上回っても消費は回復しない理由
政府も現在の経済状況に手をこまねいているわけではない。消費が回復しないことには景気も回復しないからだ。そのため政府も必死になって経済団体に賃上げを要請している。また最低賃金も全国平均で時間当たり過去最高の41円アップを決めた。中小企業は人件費の高騰で困惑しているが、政府もなりふり構っていられない状況にあるからだ。
が、実質賃金が上昇して、物価上昇率を上回る事態になっても消費は絶対に回復しない。なぜか。
国民が増えた収入を消費に回さず、老後のための貯蓄に回してしまうからだ。その理由は二つある。

一つは戦後の日本の経済復興を支えた「三種の神器」(白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫)や「3C」(カラーテレビ、カー、クーラー)といった国民の需要を喚起するような魅力的な商品がないからだ。マニアはスマホをたびたび買い替えているようだが、金額的に景気浮揚になるような商品ではない。
NHKはテレビの4Kや8Kの普及に一生懸命だが、そもそも消費者の画質に対するニーズは音質に対するニーズほど高くはない。かつて録画はVTRだった時代、ドラマや映画を3倍録画して週末に楽しむというのがサラリーマンやOLにとって当たり前だった。だからせいぜいテレビを買い替えるときに「どうせなら」と高画質テレビを選ぶ程度の需要しか発生しない。しかもブラウン管テレビと違って液晶テレビは寿命が桁違いに長い。ブラウン管は故障すると一瞬で画面が真っ黒になってしまうが、液晶は素子が少しずつ壊れていっても気づかない。たまに量販店できれいな画質のテレビを見たら、「そろそろ買い替え時か」と思うくらいで、しかも量販店には何かを買う目的がなければ行かないから、そういう機会もめったにない。
かつては日本経済浮揚の原動力になった自動車に至っては、若者たちのクルマ離れは20年以上前から始まっており、クルマに対する絶対的需要は減少する一方だ。ハイブリッドカーや電気自動車など、クルマの技術革新はかつてないほど進んでいるが、少なくとも日本国内における自動車の量的需要は減る一方だ。

収入が増えても消費が伸びない、もう一つの理由は金融庁がとんでもない「老後生活設計」を公表したからだ。具体的には金融庁が描いた老後生活は、サラリーマンの夫が定年退職したとき貯えがいくら必要かという試算を公表したのである。夫は65歳で妻(60歳)は専業主婦、自宅は持ち家、収入は厚生年金だけ、夫の定年退職後の寿命は30年間という前提での計算だ。退職後の生活費は厚生年金だけでは賄えず、月に5.5万円不足するため【5.5×12×30=1980万円】の貯えが必要という試算を行ったのだ。これが、いわゆる「老後2000万円問題」の根拠になった。
確かに定年退職直後は現役時代の同僚や友人との付き合いもあるだろうし、「これまでご苦労様でした」と夫婦で旅行したり、おいしいものを食べに行ったりするだろうから、確かに年金収入だけでは月5.5万円くらい不足するかもしれない。が、歳をとるとともに付き合いの機会も減っていくし、遠出をするのもおっくうになってくる。私自身や私の友人たちにも聞いたが、だいたい75歳くらいで収支は逆転するようだ。つまり年金収入でお釣りが出るようになるということだ。
だから年金収入だけでは生活できないのは退職後せいぜい10年間くらいで、しかも10年間ずっと5.5万円ずつ不足するわけではない。つまり10年後には不足分が0円になるとして加重平均するとひと月の不足分は2.75万円ということになる。ということは不足分は総額で【2.75×12×10=330万円】で済む。が、金融庁がバカげた試算を公表したため、「老後生活2000万円」問題が社会的に生じてしまった。収入が増えても、国民が増えた分を消費に回さず貯蓄に回さざるをえなくなった理由だ。
現に、実質賃金は過去15年間マイナスを続けているのに、国民金融資産はこの間増え続けていることからも、収入が増えれば増えるほど消費は増えず貯蓄などの国民金融資産だけは増え続けるのだ。

●出生率が増えない限り消費は増えないのだが…
さらに日本だけでなく先進国では核家族化が急速に進行している。核家族化の進行には若い人たちの大都市集中が進んでいることが大きいが、その理由として女性の高学歴化が大きく作用している。
先の大戦後、世界はほぼ歴史上かつてなかったほどの平和を満喫してきた。日本に限らず電気製品や自動車などが世界経済の発展に大きく貢献してきた。人々の生活は豊かになり、若い人たちの大都市集中に伴って子供にかける費用も膨らんだ。結果、女性の高学歴化が急速に進んだ。
言っておくが、私は女性の高学歴化に反対しているわけではない。この現象は世界先進国共通の社会現象であり、いいとか悪いとかという問題ではない。その結果、社会も女性の労働力や能力を活用することにメリットを感じるようになった。かつては男性社員の補助的仕事しか与えられなかった女性が、社会の中で新しい生きがいを見出すようになった。かつての「良妻賢母」型を女性に求めることは、もはやアナクロニズムの時代になったのだ。
女性が一生のうちに産む子供の平均数を合計特殊出生率というが、国が人口を維持するためには出生率が2.08を下回らないことが条件である。が、いま日本の合計特殊出生率は1.36である。女性の価値観が「良妻賢母」型から、社会で生きがいを見つけること、自分の能力を発揮できることに大きく転換しているからだ。
人口が減少すれば、いくら収入が増えても消費は減る一方だ。カネをばらまけば女性が子供をたくさん産んでくれるだろうという発想そのものが女性蔑視を意味することに政治家は気づいていない。
むかしからの格言にあるではないか。「貧乏人の子沢山」
日本に限らず、世界の経済成長時代は終焉した。これからの社会は何を目指すべきか、新しい哲学や経済理論が求められている。



日本は朝鮮半島の緊張を緩和できるはずなのに~ なぜしないのか?

2023-07-20 02:09:43 | Weblog
 北朝鮮情勢が緊迫しつつある。北朝鮮が7月12日、液体燃料式より迅速に発射できる固体燃料式ICBM(大陸間弾道ミサイル)「火星18型」の発射実験を成功させた。19日未明にも弾道ミサイルを2発発射した。
固体燃料は推進力には優れているが制御が困難で、日本も宇宙ロケットには第1段目は固体燃料式、2段目以降は液体燃料式を使っている。北朝鮮は固体燃料式だけでかなり正確に飛行させるICBMの開発に成功したとすると、相当な技術力を身につけつつあると考えていいだろう。

●北朝鮮のミサイルは日本にとって脅威か?
北朝鮮と日本はいま国際関係において拉致問題を別にすると特に問題を生じているわけではない。安倍元総理がモリカケ問題で窮地に陥っていた時、北朝鮮が初めて日本の領空域(襟裳岬上空)を通過するミサイル発射をしたことがある。安倍氏にとっては「棚ボタ」的な北朝鮮からのプレゼントになったが、これ幸いと突然「国難突破」解散に打って出て選挙に大勝して1強体制を築くのに成功した。安倍元総理は北朝鮮方向には足を向けて寝ることはできなかったはずだ、たぶん。
北朝鮮はなぜあえて日本領空域を通過するミサイルを発射したかの説明をしていないので、私の推測だが、通常角度でミサイルを発射した場合の理論上の計算値を実質的に確認したかったのではないかと考えている。
北朝鮮がミサイル開発を初めて最初に発射実験を行ったとき、「人工衛星打ち上げのための宇宙ロケットの実験だ」と見え透いたウソ説明を行った。日本はすでに宇宙ロケットを実用化しているが、宇宙ロケットの開発技術はすぐにでもミサイル開発に転用できる。衛星を打ち上げるためだけだったら、アメリカやEU、中国の宇宙ロケットに打ち上げを頼んだほうがはるかに安くつく。現に日本人を宇宙船に送還するためのスペースシャトル・タイプのロケットなどを日本は開発する目的すら持っていない。使い捨て型の宇宙ロケットの開発や打ち上げ実験にのみ血道を上げているのは、その目的が軍事転用可能だからだ。
今回、北朝鮮が打ち上げた「火星18型」ICBMは最高速度6648.4キロまで上昇し、1001.2キロの距離を74分51秒かけて飛行したという。着弾地点はほぼ正確に目標地域だという。だとすれば、このミサイルを通常のミサイル軌道で発射した場合、アメリカ全土が射程範囲に入るらしい。ただ、これはあくまで理論上の計算値であって、実際に通常発射角度での実権を行うのはほぼ不可能だ。あえて通常角度での発射実験をするとしたら北極方面か南米大陸南端方向しかない。
が、北極に着弾するミサイルを発射したら国際的非難が集中するだろうし、南米大陸南端方向に発射する場合は日本の陸地上空やオセアニア諸島上空を通過するしかない。
仮に通常軌道でのミサイル発射実験に成功したとして、北朝鮮にとって残る課題は、このミサイルに搭載できる小型核弾頭の開発だけとなる。
なぜ、そこまでして、全面戦争になったら絶対に勝てっこないアメリカを標的にした核・ミサイル開発に北朝鮮は狂奔するのか。少なくとも日本を標的にするのであれば、そこまで飛距離にこだわる必要性はない。
実際、北朝鮮は日韓米3国の安全保障体制の構築に神経を尖らせており、今秋予定されている最大規模の米韓合同軍事演習に対する対抗手段、自衛行動だと明言している。日本政府はいたずらに北の脅威をがなり立てえるのではなく、それこそ米・韓・北の緊張をほぐすための「橋渡し」をすべきではないのか。

●北が挑発しているのではなく、米が北を挑発するから高まる緊張
そもそも北朝鮮のような非力な国をアメリカがきちがいのようになって挑発し始めたのは2002年1月29日、ジョージ・W・ブッシュ大統領が一般教書演説(日本の国会冒頭の首相の「施政方針演説」に相当)で、北朝鮮・イラン・イラクの3国を名指しで「ならず者国家」「悪の枢軸」「テロ支援国家」と非難を公にしたことがきっかけだ。
その前年01年9月11日にアメリカに激震が走った。同時多発テロである。が、このテロには3国は関与しておらず、アメリカはアフガニスタンを支配していたイスラム過激派のタリバンによると断定、タリバンを攻撃した。
さらにブッシュは03年3月19日にはフセイン・イラクが大量破壊兵器を保有していると勝手に思い込み、米英連合軍でイラクを攻撃、フセイン体制を崩壊した。この時日本の自衛隊もPKO活動以外の戦争に初めて参加した(戦闘行動は行っていない)。
が、戦後占領したイラク中を探し回ったが、イラクは大量破壊兵器など全く持っていなかった。フセイン後のイラクでは「イスラム国」(IS)と称する過激派イスラム教徒のテロが活発化し、多くの犠牲者や難民を生んだ。その責任をアメリカはとろうともしないし、まして謝罪もしていない。日本はそういう国の属国になることで安全保障を得ているのだ。
北朝鮮の国力からしたら、いくらもがいたところでアメリカと戦争して勝てる見込みなど毛頭ないことは百も承知のはず。にもかかわらず自国民の生活を犠牲にしてまで核・ミサイル開発に狂奔するのはなぜか。
独裁政権を維持する手段として「仮想敵国」の脅威を煽り立てて政権への求心力を高めるといったことは歴史上数限りなく行われてきた。その意図が北朝鮮の金正恩政権にないとは言えない。
が、米韓側から見ると北朝鮮への挑発を繰り返すことによって北朝鮮に「窮鼠、猫を噛む」暴走を起こさせようという意図も十分に考えられる。つまり北朝鮮を暴発させて、それを口実に朝鮮半島全域をアメリカの支配下におこうと考えている可能性も否定できない。
朝鮮戦争の時は日本を占領していた米軍が「国連軍」と称して韓国軍を支援した。太平洋戦争の勝者は連合国軍であったが、戦後に国連が設立されたことで日本を占領・支配していた連合国軍(実態は米軍)は朝鮮戦争に参加するに際して「国連軍」を詐称したに過ぎない。もし、米軍が正式に国連安保理で「国連として北朝鮮が起こした朝鮮内乱を軍事的に制圧するために国連軍を結成する」などと提案していたら、常任理事国であるソ連(当時)と中国が拒否権を行使していたはずだ。
が、米軍がどさくさに紛れて「国連軍」を詐称してしまったため、中国は表立って北朝鮮を支援するわけにはいかず、「義勇兵」が北朝鮮軍に加わり米韓軍とたたかった。この時期は中北関係は極めて良好であり、事実上の同盟関係にあった。とはいえ、日米、米韓のようなあからさまな従属的関係ではない。

●中国が北朝鮮を防衛しなくなった理由
朝鮮民族は過去、日本が併合するまでの長い歴史の中で他民族の支配を受けたことが一度もない(豊臣秀吉による朝鮮征伐はあったが、侵略されるには至らなかった)。日本も先の大戦で敗北して連合国(実質的にはアメリカ)に占領されていた期間を除いて他国の侵略を受けたことはなかった。
日本の場合は四方を海という自然の要塞に囲まれていたため、他国の侵略を容易には許さなかったという事情があったが、朝鮮の場合はユーラシア大陸の一部をなしており、常に大陸からの侵略の危機にさらされていた。そのため「風見鶏外交」で常に近隣の強国に対して従属的立場をとって侵略の危機を防いできた。時には漢民族、時には蒙古族、ロシアにさえ媚を売って独立を守り抜いてきた。
そういう北朝鮮にとって国家そのものが分裂しかねない時期が生じた。1956年、フルシチョフによるスターリン批判をきっかけに西側との平和協調路線を明確にしたソ連に毛沢東が猛反発。それまで一枚岩だった社会主義陣営が真っ二つに割れた。この時北朝鮮の金日成は従来のようなやり方で北朝鮮の生き残りを図った。具体的にはどちら側にもつかず、独自の社会主義思想「主体思想」を唱えて中ソと一定の距離感を保つことにした。その結果、北朝鮮の絶対的保護国だった中国が北に対して一定の距離感を持つようになった。
日本や韓国が、もし核戦争に巻き込まれたときにアメリカが大きなリスクを冒して日本や韓国を「核の傘」で守ってくれるかどうかは不明だが、北朝鮮の場合、リップサービスであっても「何かあったら我が国が核で守ってあげるよ」という国がない。
しかもブッシュ以降、アメリカは北朝鮮に対する敵視政策をとり続けている。トランプは北朝鮮についてブッシュの定義(ならず者国家・悪の枢軸・テロ支援国家)を明言したし、もし日本がアメリカの「核の傘」で守られず、中国やロシアから「ならず者国家」「悪の枢軸」「テロ支援国家」などとあからさまな敵視政策をとられたら、自国防衛のために核・ミサイル開発に日本も狂奔する。そういう意味で私は北朝鮮の核・ミサイル開発を擁護するつもりはないが、北の自衛権は認めざるをえない。

●日本は米・韓VS北の「橋渡し」ができるか
周知のように、日本は国連で採択された「核兵器禁止条約」への参加をかたくなに拒んでいる。その一方「核不拡散条約」からは離脱せず、「核保有国と非保有国の橋渡しをする」ことを世界から核をなくすための基本方針としている。が、事実上、日本がこれまで核保有国と非保有国の間で「橋渡し」をしたこともなければ、こころみすらしたことがない。
核不拡散条約は米・英・仏・ロ・中の5か国のみに核保有の権利を認め、それ以外の国の核開発・核兵器保有を禁じた国際条約だ。この5か国は言うまでもなく国連安保理で拒否権を有する常任理事国である。
しかも核不拡散条約の致命的な欠陥は条約成立時での保有核は認めるが、以降、新しい核兵器の開発・実験・行使を禁じていなかったことだ。
そのうえ、アメリカに近いイスラエルやインド、パキスタンの核に対しては一切制裁措置をとらず、同盟国のイスラエルや韓国と敵対関係にあるイランやイラク、北朝鮮にのみ制裁を科すという、だれが考えても公平・平等とは言えない政策をとっていることだ。
そういう状況下で朝鮮半島の緊張をほぐす役割を日本ができるとすれば、日本海や黄海の北朝鮮近海での共同軍事演習はやめるよう米韓両国に申し入れること。さらにいわば兄貴分の中国に対して軍事同盟を結んで北が攻撃を受けたら中国の核で守ってやるから、国民生活を犠牲にしてまでどのみちアメリカの核に対抗なんかできっこない核・ミサイルの開発などやめろと金正恩を説得するよう習近平に働きかけることだ。そうすれば朝鮮半島の緊張は一気に収まる。
「橋渡し」とはそういう外交手段を意味する言葉だ。アメリカの言いなりになったり、アメリカのために代弁をしたりすることではない。