今年最後のブログになる。当初は2回目で「建設業界の談合体質など経済事犯問題」について、3回目で脱原発問題について書くつもりだったが、韓国政府が慰安婦問題に関する日韓合意を破棄するかの動きに出たため、予定していた二つの問題は先送りする。このブログでは、「一強体制」を回復した安倍政権の5年間の総括を行う。
ただ当初予定の経済事犯問題について、私が書きたかったことだけ簡潔に述べておきたい。日本は経済犯罪について甘すぎる。だから談合体質や贈収賄、脱税などの経済事犯がいつまでたっても絶えない。日本もアメリカ並みに経済事犯に対する罰則を厳しくすべきだ。司法取引制度については日本もアメリカで行われている司法取引を一部導入したため、リニア新幹線工事を巡る談合について大林組が「実は」と名乗り出たため明るみに出たが、日本は経済事犯が犯罪者にとって「割に合う商売」なのだ。アメリカでは、経済事犯に対しては厳しい罰則が待ち受けている(連邦裁判になった場合。小さな事犯は州法の対象になり、州の裁判所で裁かれるため甘い判決を出す州もある)。連邦裁の場合は原則、得た不正の利益あるいは得ようとした不正の利益の3倍の課徴金を課すのが原則である。たとえば1億円を脱税した場合、日本では重加算税を課せられても3000万円くらいは手元に残るが、アメリカでは課徴金が3億円課せられる。日本ははっきり言えば脱税天国であり、特に今年は財務省理財局長だった佐川氏が森友学園への国有地払い下げ疑惑に関して「記録はすべて破棄した」と安倍総理や昭恵夫人の関与を隠ぺいし続けた論功行賞として(と言われている)、国税庁長官に昇進したことへの国民の反発が大きく、脱税者が爆発的に増えるのではないかと予測されているが、私は脱税はお勧めしないが、税務署の調査に対しては「領収書などの記録はすべて破棄してしまったので、私の記憶に頼って申告した」と、調査を拒否することは大いにお勧めする。多少は胸のつかえが下りるかも…。
次に脱原発問題だが、政府が以前として原発を「ベースロード電源」と位置付けているのはいただけない。私は12月17日のNスぺ『激変する世界ビジネス“脱炭素革命”の衝撃』を見て、かなり衝撃を受けた。このテレビ番組を見るまで、私は日本の太陽光発電の技術が世界の最先端を走っていたと勝手に思い込んでいた。実際日本における太陽光発電パネルのパイオニアである旧三洋電機の機能材料研究所長だった桑野氏に何度も取材したことがあり、間違いなく日本が太陽光発電の実用化で世界をリードしていた時期があった。が、いまその地位が中国にとって代わられ、しかも世界的規模で推進されている太陽光発電の流れに日本は完全に「置いてきぼり」にされているというのだ。日本政府の産業政策は、常に既存の産業界の意向を重視してきたが、そのつけがこうした事態に象徴的に表れている。石油ショックのときはさすがに重厚長大重視から軽薄短小重視にかじを切ったが、それは産業界全体の意向でもあった。電力産業界が脱原発に背を向けている現在は、産業界の意向に逆らえないという日本政府の体たらくが原発政策に表れていると言えよう。
安倍政権5年の検証に戻る。
政策を検証する場合、通常は内政と外政の両面で行うが、今回は内政における最重要政策であったアベノミクスの検証と、内政・外政の両面にわたる安全保障政策について検証してみる。
まずアベノミクスだが、効果はまだ十分に表れていないというより、アベノミクスそのものがあらゆる面で中途半端だったため、一見すると株高・企業の収益回復・有効求人倍率・失業率改善などで成果を上げているように見えるが、その一方で従業員の実質賃金は低下し、消費は伸び悩み、株や不動産といった資産バブルの恩恵を受けた高額所得者など富裕層は別として、一般庶民は景気回復の実感を持てない状態が続いている。結果的に、持てる者と持たざる者の所得格差はかつてないほど拡大している。
ま、安倍さんが「そういう状態を目指したのがアベノミクスだよ」とおっしゃるなら、総理自ら自負するようにアベノミクスは順調と言ってもいいのだが、朝日新聞12月26日付朝刊の記事によれば、総理は衆院を解散して総選挙を目前にしたころ周辺に、「私がやっていることは、かなりリベラルなんだよ。国際標準でいけば」と語ったというから、だとすれば、そういう視点で私もアベノミクス5年間の検証を行うことにする。総理が私のブログにいちいち目を通していたとは思わないが、私がブログで提言したことを部分的にアベノミクスがパクってきたことを、この際明らかにしながら検証作業を進めていく。
その前に、一つだけお断りしておくことがある。私は野党勢力の一部と違って安倍さんを敵視しているわけではない。実際、安倍さんの政策のリベラルな要素はこれまでもブログできちんと評価してきた。たとえば安倍さんは労働組合の総代表であるかのように、経済界に対して毎年賃上げを要求してきた。今年の春闘に関しても、経済団体に3%以上の賃上げを要求している。最低賃金の底上げにも熱心に取り組み、その上昇率は正規社員のベースアップ率を毎年上回ってきた。かつて日本の最低賃金制は生活保護水準以下と酷評されていたが、そうしたアンバランスも解消された。そういう面は、安倍さんが胸を張るようにアベノミクスがリベラルな要素を含んでいることを、私も認めるにやぶさかではない。日本共産党が常にお経のように唱えている「自民党政権は大企業優先」では必ずしもないことも認める。が、アベノミクスと安全保障政策は、総理の「善意」とは裏腹に、皮肉な結果を生んでいるのだ。そのことを証明する。
私は第2次安倍政権誕生直後の2012年12月30日に『今年最後のブログ……新政権への期待と課題』と題するブログ記事を投稿した。その一部を転記する。別に先見の明を誇るわけではないが、いや内心では誇ってもいるが、この時点でこれだけの卓見を論じていたのは、私以外にいないと確信を持っている。
まず新政権の最大の課題は、国民の新政権に寄せる期待が最も大きかった経済再建だが、妙手ははっきり言ってない。安倍内閣が経済再建の手法として打ち出しているのは①金融緩和によるデフレ克服②公共工事による経済効果の2点である。
金融緩和だが、果たしてデフレ克服につながるか、私はかなり疑問に思わざるを得ない。日銀が金を貸す相手は一般国民ではなく、主に民間の金融機関である。では例えば銀行が二流、三流の中小企業や信用度の低い国民にじゃぶじゃぶ金を貸してくれるかというと、そんなことはありえない。優良企業が銀行から金を借りてくれなくなってからもう20年以上になる。いくら優良企業と言っても、銀行が融資をする場合は担保を要求する。そんな面倒くさいことをしなくても優良企業なら増資や社債の発行でいくらでも無担保で金を集めることが出来るからだ。
そもそもリーマン・ショックで日本のメガバンクが大打撃を受けた理由を考えてほしい。国内に優良な融資先がなく、金融緩和でだぶついて金の運用方法に困り、リーマン・ブラーズが発行した証券(日本にもバブル時代に流行った抵当証券のような有価証券)に大金をつぎ込み、リーマン・ブラザースが経営破たんしたあおりを食って大損失を蒙り、金融界の再編成に進んだことは皆さんも覚えておられるだろう。金融緩和で銀行に金がだぶついたら、また危険な投機商品に手を出しかねない。自公政権の金融緩和政策に世界の為替市場が敏感に反応して急速に円安に進み株も年初来の最高値を記録したが、そんなのは一過性な現象に過ぎない。とにかく市場に金が回るようにしなければ、景気は回復しないのは資本主義経済の大原則だ。
そのための具体的政策としては、まず税制改革を徹底的に進めることだ。まず贈与税と相続税の関係を見直し、現行のシステムを完全に逆転することを基本的方針にすべきだ。つまり相続税を大幅にアップし、逆に贈与税を大幅に軽減することだ。そうすれば金を使わない高齢の富裕層が貯め込んでいる金が子供や孫に贈与され、市場に出回ることになる。当然内需が拡大し、需要が増えればメーカーは増産体制に入り、若者層の就職難も一気に解消する。そうすればさらに内需が拡大し、メーカーはさらに増産体制に入り、若者層だけでなく定年制を65歳まで拡大し、年金受給までの空白の5年間を解消できる。ただし、このような税制改革を実現するには二つの条件がある。一つは相続税増税・贈与税減税を消費税増税の2段階に合わせて、やはり2段階に分け消費税増税と同時に行う必要がある。その理由は当然考えられることだが、消費税増税前の需要の急拡大と、増税後の需要の急激な冷え込みを防ぐためである。
その場合、贈与税の考え方そのものを一変させる必要がある。相続税は相続人にかかるが、贈与税は贈与人にかかる仕組みになっている。その基本的考え方を変えなければならない。相続税の負担は相続人が支払うのは当然だが(相続者はすでに死亡しているから課税できない)、贈与税に関しては贈与人が贈与税を支払うだけでなく、非贈与人は収入として確定申告を義務付けることである。その場合、総合課税にすると計算がややこしくなりサラリーマンなど通常は確定申告せずに済む人たちの利便性を考えて分離課税にして、しかも通常の課税システムのように贈与額に応じて納税額を変動させるのではなく、たとえば一律10%の分離課税にすることが大切である(税率は別に10%にこだわっているわけではないが、贈与する側にも贈与される側にもできるだけ負担が少なくして、頻繁に贈与が行えるような仕組みにすることがポイントになる。またこのシステムを導入することと同時に現在の非課税贈与制度を廃止し、消費税のように完全に一律課税制にすることも大きなポイントになることだけ付け加えておく)。いずれにせよ、相続税を軽く贈与税を重くしてきたのにはそれなりの時代背景があったと思うが、時代背景が変われば課税の在り方についての発想も転換する必要がある。税金に限らず専門家は従来の考え方からなかなか抜け出せないという致命的な欠陥をもっている。私たちはつねに従来の考え方(つまり常識)に疑問を持つ習性を身に付けるよう心がけたいものだ。そうでないと日本はこの困難な状況を脱することが出来ない。
また所得税制度も改革の必要がある。内閣府が「国民生活に関する世論調査」を始めたのは1958年(昭和33年)である。この年の調査では「中流」意識を持っていた国民は約7割だったが、60年代半ばには8割に達し、日本のGNP(国民総生産)が世界第2位になった68年を経て70年以降は約9割に達した。79年に内閣府が発表した『国民生活白書』では「国民の中流意識が定着した」と宣言している。
が、消費税が導入され、さらにバブルが崩壊して以降国民の「中流」意識の変化はどうなったか。実は内閣府はその調査を中止してしまったのである。理由は私が言うまでもなく賢明な皆さんはお分かりであろう。「中流階層」の年収レベルは明確ではないが(内閣府が行ってきた意識調査はあくまで個々人の意識であって、「中流階層」の年収を基準に調査したものではなかった)、少なくとも97年以降は年収299万円以下の層と1500万円以上の層が増加する一方で、300~1499万円の層は減少しており、現実には格差が拡大傾向にある。もっと厳しく、結婚して子供二人がいる4人家族の標準世帯で、30年の長期ローンを組んで(ということは少なくとも30歳代)小さくとも持ち家(マンションを含む)を買える条件として年収500~700万円を「中流階層」と定義したら、どの程度の国民が「中流階層」の範囲に入るだろうか。政府は怖くてそういう調査ができないことは明らかである。私の勘ではおそらく3割に満たないのではないか。おそらく4人家族の標準世帯で年収が500万以下の「下流階層」は5割を超えるのではないか。消費税増税はそういう世帯を直撃する。
しかし私は消費税増税はやむを得ないと考えている。ただ食料品などの生活必需品を非課税あるいは軽減税率にするのではなく、「聖域なき」一律課税にして、低所得層には生活保護対策として所得に応じて所得税を軽減すべきであろう。少なくとも4人家族の標準世帯の場合は所得税は非課税にする必要がある。その一方年収1000万円超の層は累進的に課税を重くし、年収2000万円以上の高額所得層の所得税率は50%に引き上げる必要がある(現行の最高税率は40%)。
なぜ生活必需品を非課税あるいは軽減課税にすべきではないかというと、 国産ブランド牛のひれ肉とオージービーフの切り落としが同じ生活必需品として非課税あるいは軽減税率の対象になることに国民が納得できるかという問題があるからだ。読売新聞のバカな論説委員は「新聞は文化的存在だから非課税あるいは軽減税率の適用」を社説で2回にわたって主張したが、アメリカでは『タイム』と並ぶ2大週刊誌の『ニューズウィーク』が紙の刊行をやめた。アメリカでも日本と同様活字離れが急速に進み、パソコンやモバイルで電子書籍を読む人が急速に増加している。日本でも朝日新聞が有料のデジタル版を出しているが、まだ購読料が高いためか(紙媒体と同時申し込めばプラス500円で済む)普及に至っていないが、全国の有力地方紙を買収し、地方の情報もデジタル端末で読めるようにすればいっきに電子版は普及するだろう。自分たちだけがぬくぬくと高給を取りながら終身雇用・企業年金制度を維持するために新聞だけを特別扱いせよなどとよくも恥ずかしげもなく言えたものだ。
税の問題はこの辺で終わるが、待ったなしの状況にあるのがTPP(環太平洋経済連携協定)交渉への参加問題である。自民党は選挙期間中「聖域なきTPP交渉には参加できない」と主張して、TPP交渉に参加する姿勢を打ち出していた野田民主党(選挙ではTPP交渉参加を主張しなかったが)に圧勝した。
私自身は、野合政党であり、連合と旧小沢チルドレンをバックにした輿石幹事長に足を引っ張られながら、最後の土壇場で自公の協力を取り付けて、少子高齢化に歯止めがかからない日本の将来のための布石を何とか打った野田前総理を政治家として高く評価している。野田前総理は、選挙で農民票を失うことを覚悟でTPP交渉参加の方針を打ち出していた。「民意」と言えば体裁はいいが、「民意」はそれぞれの職業や生活環境、時代背景によって異なる。先に述べたように国民の90%以上が「中流」意識を持っていた時代もあったが、いま「中流」意識をもてる国民がどれだけいるか、そのことを考えるだけでも「民意」なるもののいい加減さがわかろうというものだ。
このように、政権発足直後のアベノミクス(安倍政権の経済政策)の矢は2本だった。3本目の矢である「成長戦略」が接ぎ木されたのは13年春になってのことだ。それはそれで別にかまわないが、金が市場に回るようにしなければ消費は回復しないし、消費が回復しなければ経済も活性化しないことは、おそらく中学生レベルの理解力があればお分かりになるはずだ。
このブログを書いた時点では私も分からなかったが、消費税導入時に竹下内閣が「欧米先進国に比して日本の所得税率は高額所得者にとって過酷すぎる」と主張していたことのまやかしを、安倍政権が15年に改正した所得税法で「日本の高額給与所得者への給与所得控除は欧米先進国に比して甘すぎた」と、竹下内閣のウソを明らかにして(そのことにすら、メディアはいまだ気付いていないが)控除額の上限を引き下げた(実施は16年、17年と2回に及び、さらに今回の税制改革でも引き下げを拡大しようとしている)。安倍政権は今回の税制改革で法人税の引き下げも行おうとしているが、二度とメディアは騙されてはいけない。
一度詐欺に引っかかった人は、2度も3度も引っかかるらしく、そういう人の名簿が詐欺師の間で高額で取引されているようだが、メディアが2度、3度と騙されるようなら、もうメディアとしての資格がない。安倍内閣も竹下内閣と同様、都合のいい課税対象基準だけを欧米先進国と比較して税制改革を正当化しようとしているが、個人の所得税にしろ法人の所得税にしろ、日本は控除対象がかなり多いのではないかという気がする。私にはそこまで調べる手立てがないが、メディアは世界主要国に支局を設けており、主要国の税制を調べることは容易なはずだ。日本と違って「自己責任」意識が強い欧米では、日本のような至れり尽くせりの控除(法人の場合は引当金)は行われていないのではないかと思う。メディアはもう少し、メディアらしい仕事をしろ、と言いたくなる。
次に安倍政権の安全保障政策だが、結論から言えば日米同盟の深化によってかえって日本はリスクを多く負うことになった。
朝日新聞が12月22日から3回にわたって『(変わる安全保障)抑止力を問う』と題した記事を連載した。抑止力の在り方について根本的問題を追及するかと思ったが、そうではなかった。抑止力についての基本的概念が間違っているからだ。 連載が終わった後の29日、日本が取るべき安全保障政策について識者(3人)にインタビューしてそれぞれの意見を集約した記事を掲載した。問題はその締めくくりとして記載した「抑止力」の定義である。そのまま転記する。
「攻撃してくればダメージを与えるという姿勢を事前に示すことで、相手に攻撃を思いとどまらせるという軍事力の役割。相手に抑止を効かせつつ不測の事態を防ぐには、軍事的対応を実行する「意図」と「能力」を正確に認識させることが必要とされる」
抑止力は、相手に対抗できる軍事力だけではない。いや、それどころか軍事力に抑止効果を期待すること自体が、もはやアナクロニズム的発想だということに、リベラル志向が強いとされる朝日ですらわかっていない。
確かに冷戦時代は体制と体制が双方の「正義」を振りかざして対立していたから、「軍事力には軍事力で」といった抑止力が必要だった。体制による対立が氷解したいま、最大の抑止力は経済の相互依存関係に移っている。現に日本もアメリカも、相手に対する警戒感は捨ててはいないが、二国間の問題を軍事力によって解決しようとは、日本もアメリカも中国も考えていない。それは、「もし軍事衝突したらお互いに受ける打撃が大きいから」という理性が働いているからではない。経済的な相互依存関係が、軍事衝突によって壊れることによる大きなマイナスを理解しているからだ。
はっきり言えば、最大の抑止力は、リスクの大きい国との経済的依存関係を強めることだ。前にもブログで書いたが、北朝鮮との関係においては、拉致問題を先送りしても平和条約交渉と経済関係の構築を最優先すべきだ。そうすることが、北朝鮮にとっても日本にとっても最大の抑止力になる。北朝鮮も、日本との関係が良化すれば、意地を歯ってアメリカの核に対抗する必要がなくなり、民生のためにも経済力に力を入れるようになる。
抑止力を軍事力に頼るという発想から抜け出すことが、日本にとって最大の抑止効果を生む。その観点から日米同盟の在り方についても考え直すべき時に来ているのではないだろうか。
ただ当初予定の経済事犯問題について、私が書きたかったことだけ簡潔に述べておきたい。日本は経済犯罪について甘すぎる。だから談合体質や贈収賄、脱税などの経済事犯がいつまでたっても絶えない。日本もアメリカ並みに経済事犯に対する罰則を厳しくすべきだ。司法取引制度については日本もアメリカで行われている司法取引を一部導入したため、リニア新幹線工事を巡る談合について大林組が「実は」と名乗り出たため明るみに出たが、日本は経済事犯が犯罪者にとって「割に合う商売」なのだ。アメリカでは、経済事犯に対しては厳しい罰則が待ち受けている(連邦裁判になった場合。小さな事犯は州法の対象になり、州の裁判所で裁かれるため甘い判決を出す州もある)。連邦裁の場合は原則、得た不正の利益あるいは得ようとした不正の利益の3倍の課徴金を課すのが原則である。たとえば1億円を脱税した場合、日本では重加算税を課せられても3000万円くらいは手元に残るが、アメリカでは課徴金が3億円課せられる。日本ははっきり言えば脱税天国であり、特に今年は財務省理財局長だった佐川氏が森友学園への国有地払い下げ疑惑に関して「記録はすべて破棄した」と安倍総理や昭恵夫人の関与を隠ぺいし続けた論功行賞として(と言われている)、国税庁長官に昇進したことへの国民の反発が大きく、脱税者が爆発的に増えるのではないかと予測されているが、私は脱税はお勧めしないが、税務署の調査に対しては「領収書などの記録はすべて破棄してしまったので、私の記憶に頼って申告した」と、調査を拒否することは大いにお勧めする。多少は胸のつかえが下りるかも…。
次に脱原発問題だが、政府が以前として原発を「ベースロード電源」と位置付けているのはいただけない。私は12月17日のNスぺ『激変する世界ビジネス“脱炭素革命”の衝撃』を見て、かなり衝撃を受けた。このテレビ番組を見るまで、私は日本の太陽光発電の技術が世界の最先端を走っていたと勝手に思い込んでいた。実際日本における太陽光発電パネルのパイオニアである旧三洋電機の機能材料研究所長だった桑野氏に何度も取材したことがあり、間違いなく日本が太陽光発電の実用化で世界をリードしていた時期があった。が、いまその地位が中国にとって代わられ、しかも世界的規模で推進されている太陽光発電の流れに日本は完全に「置いてきぼり」にされているというのだ。日本政府の産業政策は、常に既存の産業界の意向を重視してきたが、そのつけがこうした事態に象徴的に表れている。石油ショックのときはさすがに重厚長大重視から軽薄短小重視にかじを切ったが、それは産業界全体の意向でもあった。電力産業界が脱原発に背を向けている現在は、産業界の意向に逆らえないという日本政府の体たらくが原発政策に表れていると言えよう。
安倍政権5年の検証に戻る。
政策を検証する場合、通常は内政と外政の両面で行うが、今回は内政における最重要政策であったアベノミクスの検証と、内政・外政の両面にわたる安全保障政策について検証してみる。
まずアベノミクスだが、効果はまだ十分に表れていないというより、アベノミクスそのものがあらゆる面で中途半端だったため、一見すると株高・企業の収益回復・有効求人倍率・失業率改善などで成果を上げているように見えるが、その一方で従業員の実質賃金は低下し、消費は伸び悩み、株や不動産といった資産バブルの恩恵を受けた高額所得者など富裕層は別として、一般庶民は景気回復の実感を持てない状態が続いている。結果的に、持てる者と持たざる者の所得格差はかつてないほど拡大している。
ま、安倍さんが「そういう状態を目指したのがアベノミクスだよ」とおっしゃるなら、総理自ら自負するようにアベノミクスは順調と言ってもいいのだが、朝日新聞12月26日付朝刊の記事によれば、総理は衆院を解散して総選挙を目前にしたころ周辺に、「私がやっていることは、かなりリベラルなんだよ。国際標準でいけば」と語ったというから、だとすれば、そういう視点で私もアベノミクス5年間の検証を行うことにする。総理が私のブログにいちいち目を通していたとは思わないが、私がブログで提言したことを部分的にアベノミクスがパクってきたことを、この際明らかにしながら検証作業を進めていく。
その前に、一つだけお断りしておくことがある。私は野党勢力の一部と違って安倍さんを敵視しているわけではない。実際、安倍さんの政策のリベラルな要素はこれまでもブログできちんと評価してきた。たとえば安倍さんは労働組合の総代表であるかのように、経済界に対して毎年賃上げを要求してきた。今年の春闘に関しても、経済団体に3%以上の賃上げを要求している。最低賃金の底上げにも熱心に取り組み、その上昇率は正規社員のベースアップ率を毎年上回ってきた。かつて日本の最低賃金制は生活保護水準以下と酷評されていたが、そうしたアンバランスも解消された。そういう面は、安倍さんが胸を張るようにアベノミクスがリベラルな要素を含んでいることを、私も認めるにやぶさかではない。日本共産党が常にお経のように唱えている「自民党政権は大企業優先」では必ずしもないことも認める。が、アベノミクスと安全保障政策は、総理の「善意」とは裏腹に、皮肉な結果を生んでいるのだ。そのことを証明する。
私は第2次安倍政権誕生直後の2012年12月30日に『今年最後のブログ……新政権への期待と課題』と題するブログ記事を投稿した。その一部を転記する。別に先見の明を誇るわけではないが、いや内心では誇ってもいるが、この時点でこれだけの卓見を論じていたのは、私以外にいないと確信を持っている。
まず新政権の最大の課題は、国民の新政権に寄せる期待が最も大きかった経済再建だが、妙手ははっきり言ってない。安倍内閣が経済再建の手法として打ち出しているのは①金融緩和によるデフレ克服②公共工事による経済効果の2点である。
金融緩和だが、果たしてデフレ克服につながるか、私はかなり疑問に思わざるを得ない。日銀が金を貸す相手は一般国民ではなく、主に民間の金融機関である。では例えば銀行が二流、三流の中小企業や信用度の低い国民にじゃぶじゃぶ金を貸してくれるかというと、そんなことはありえない。優良企業が銀行から金を借りてくれなくなってからもう20年以上になる。いくら優良企業と言っても、銀行が融資をする場合は担保を要求する。そんな面倒くさいことをしなくても優良企業なら増資や社債の発行でいくらでも無担保で金を集めることが出来るからだ。
そもそもリーマン・ショックで日本のメガバンクが大打撃を受けた理由を考えてほしい。国内に優良な融資先がなく、金融緩和でだぶついて金の運用方法に困り、リーマン・ブラーズが発行した証券(日本にもバブル時代に流行った抵当証券のような有価証券)に大金をつぎ込み、リーマン・ブラザースが経営破たんしたあおりを食って大損失を蒙り、金融界の再編成に進んだことは皆さんも覚えておられるだろう。金融緩和で銀行に金がだぶついたら、また危険な投機商品に手を出しかねない。自公政権の金融緩和政策に世界の為替市場が敏感に反応して急速に円安に進み株も年初来の最高値を記録したが、そんなのは一過性な現象に過ぎない。とにかく市場に金が回るようにしなければ、景気は回復しないのは資本主義経済の大原則だ。
そのための具体的政策としては、まず税制改革を徹底的に進めることだ。まず贈与税と相続税の関係を見直し、現行のシステムを完全に逆転することを基本的方針にすべきだ。つまり相続税を大幅にアップし、逆に贈与税を大幅に軽減することだ。そうすれば金を使わない高齢の富裕層が貯め込んでいる金が子供や孫に贈与され、市場に出回ることになる。当然内需が拡大し、需要が増えればメーカーは増産体制に入り、若者層の就職難も一気に解消する。そうすればさらに内需が拡大し、メーカーはさらに増産体制に入り、若者層だけでなく定年制を65歳まで拡大し、年金受給までの空白の5年間を解消できる。ただし、このような税制改革を実現するには二つの条件がある。一つは相続税増税・贈与税減税を消費税増税の2段階に合わせて、やはり2段階に分け消費税増税と同時に行う必要がある。その理由は当然考えられることだが、消費税増税前の需要の急拡大と、増税後の需要の急激な冷え込みを防ぐためである。
その場合、贈与税の考え方そのものを一変させる必要がある。相続税は相続人にかかるが、贈与税は贈与人にかかる仕組みになっている。その基本的考え方を変えなければならない。相続税の負担は相続人が支払うのは当然だが(相続者はすでに死亡しているから課税できない)、贈与税に関しては贈与人が贈与税を支払うだけでなく、非贈与人は収入として確定申告を義務付けることである。その場合、総合課税にすると計算がややこしくなりサラリーマンなど通常は確定申告せずに済む人たちの利便性を考えて分離課税にして、しかも通常の課税システムのように贈与額に応じて納税額を変動させるのではなく、たとえば一律10%の分離課税にすることが大切である(税率は別に10%にこだわっているわけではないが、贈与する側にも贈与される側にもできるだけ負担が少なくして、頻繁に贈与が行えるような仕組みにすることがポイントになる。またこのシステムを導入することと同時に現在の非課税贈与制度を廃止し、消費税のように完全に一律課税制にすることも大きなポイントになることだけ付け加えておく)。いずれにせよ、相続税を軽く贈与税を重くしてきたのにはそれなりの時代背景があったと思うが、時代背景が変われば課税の在り方についての発想も転換する必要がある。税金に限らず専門家は従来の考え方からなかなか抜け出せないという致命的な欠陥をもっている。私たちはつねに従来の考え方(つまり常識)に疑問を持つ習性を身に付けるよう心がけたいものだ。そうでないと日本はこの困難な状況を脱することが出来ない。
また所得税制度も改革の必要がある。内閣府が「国民生活に関する世論調査」を始めたのは1958年(昭和33年)である。この年の調査では「中流」意識を持っていた国民は約7割だったが、60年代半ばには8割に達し、日本のGNP(国民総生産)が世界第2位になった68年を経て70年以降は約9割に達した。79年に内閣府が発表した『国民生活白書』では「国民の中流意識が定着した」と宣言している。
が、消費税が導入され、さらにバブルが崩壊して以降国民の「中流」意識の変化はどうなったか。実は内閣府はその調査を中止してしまったのである。理由は私が言うまでもなく賢明な皆さんはお分かりであろう。「中流階層」の年収レベルは明確ではないが(内閣府が行ってきた意識調査はあくまで個々人の意識であって、「中流階層」の年収を基準に調査したものではなかった)、少なくとも97年以降は年収299万円以下の層と1500万円以上の層が増加する一方で、300~1499万円の層は減少しており、現実には格差が拡大傾向にある。もっと厳しく、結婚して子供二人がいる4人家族の標準世帯で、30年の長期ローンを組んで(ということは少なくとも30歳代)小さくとも持ち家(マンションを含む)を買える条件として年収500~700万円を「中流階層」と定義したら、どの程度の国民が「中流階層」の範囲に入るだろうか。政府は怖くてそういう調査ができないことは明らかである。私の勘ではおそらく3割に満たないのではないか。おそらく4人家族の標準世帯で年収が500万以下の「下流階層」は5割を超えるのではないか。消費税増税はそういう世帯を直撃する。
しかし私は消費税増税はやむを得ないと考えている。ただ食料品などの生活必需品を非課税あるいは軽減税率にするのではなく、「聖域なき」一律課税にして、低所得層には生活保護対策として所得に応じて所得税を軽減すべきであろう。少なくとも4人家族の標準世帯の場合は所得税は非課税にする必要がある。その一方年収1000万円超の層は累進的に課税を重くし、年収2000万円以上の高額所得層の所得税率は50%に引き上げる必要がある(現行の最高税率は40%)。
なぜ生活必需品を非課税あるいは軽減課税にすべきではないかというと、 国産ブランド牛のひれ肉とオージービーフの切り落としが同じ生活必需品として非課税あるいは軽減税率の対象になることに国民が納得できるかという問題があるからだ。読売新聞のバカな論説委員は「新聞は文化的存在だから非課税あるいは軽減税率の適用」を社説で2回にわたって主張したが、アメリカでは『タイム』と並ぶ2大週刊誌の『ニューズウィーク』が紙の刊行をやめた。アメリカでも日本と同様活字離れが急速に進み、パソコンやモバイルで電子書籍を読む人が急速に増加している。日本でも朝日新聞が有料のデジタル版を出しているが、まだ購読料が高いためか(紙媒体と同時申し込めばプラス500円で済む)普及に至っていないが、全国の有力地方紙を買収し、地方の情報もデジタル端末で読めるようにすればいっきに電子版は普及するだろう。自分たちだけがぬくぬくと高給を取りながら終身雇用・企業年金制度を維持するために新聞だけを特別扱いせよなどとよくも恥ずかしげもなく言えたものだ。
税の問題はこの辺で終わるが、待ったなしの状況にあるのがTPP(環太平洋経済連携協定)交渉への参加問題である。自民党は選挙期間中「聖域なきTPP交渉には参加できない」と主張して、TPP交渉に参加する姿勢を打ち出していた野田民主党(選挙ではTPP交渉参加を主張しなかったが)に圧勝した。
私自身は、野合政党であり、連合と旧小沢チルドレンをバックにした輿石幹事長に足を引っ張られながら、最後の土壇場で自公の協力を取り付けて、少子高齢化に歯止めがかからない日本の将来のための布石を何とか打った野田前総理を政治家として高く評価している。野田前総理は、選挙で農民票を失うことを覚悟でTPP交渉参加の方針を打ち出していた。「民意」と言えば体裁はいいが、「民意」はそれぞれの職業や生活環境、時代背景によって異なる。先に述べたように国民の90%以上が「中流」意識を持っていた時代もあったが、いま「中流」意識をもてる国民がどれだけいるか、そのことを考えるだけでも「民意」なるもののいい加減さがわかろうというものだ。
このように、政権発足直後のアベノミクス(安倍政権の経済政策)の矢は2本だった。3本目の矢である「成長戦略」が接ぎ木されたのは13年春になってのことだ。それはそれで別にかまわないが、金が市場に回るようにしなければ消費は回復しないし、消費が回復しなければ経済も活性化しないことは、おそらく中学生レベルの理解力があればお分かりになるはずだ。
このブログを書いた時点では私も分からなかったが、消費税導入時に竹下内閣が「欧米先進国に比して日本の所得税率は高額所得者にとって過酷すぎる」と主張していたことのまやかしを、安倍政権が15年に改正した所得税法で「日本の高額給与所得者への給与所得控除は欧米先進国に比して甘すぎた」と、竹下内閣のウソを明らかにして(そのことにすら、メディアはいまだ気付いていないが)控除額の上限を引き下げた(実施は16年、17年と2回に及び、さらに今回の税制改革でも引き下げを拡大しようとしている)。安倍政権は今回の税制改革で法人税の引き下げも行おうとしているが、二度とメディアは騙されてはいけない。
一度詐欺に引っかかった人は、2度も3度も引っかかるらしく、そういう人の名簿が詐欺師の間で高額で取引されているようだが、メディアが2度、3度と騙されるようなら、もうメディアとしての資格がない。安倍内閣も竹下内閣と同様、都合のいい課税対象基準だけを欧米先進国と比較して税制改革を正当化しようとしているが、個人の所得税にしろ法人の所得税にしろ、日本は控除対象がかなり多いのではないかという気がする。私にはそこまで調べる手立てがないが、メディアは世界主要国に支局を設けており、主要国の税制を調べることは容易なはずだ。日本と違って「自己責任」意識が強い欧米では、日本のような至れり尽くせりの控除(法人の場合は引当金)は行われていないのではないかと思う。メディアはもう少し、メディアらしい仕事をしろ、と言いたくなる。
次に安倍政権の安全保障政策だが、結論から言えば日米同盟の深化によってかえって日本はリスクを多く負うことになった。
朝日新聞が12月22日から3回にわたって『(変わる安全保障)抑止力を問う』と題した記事を連載した。抑止力の在り方について根本的問題を追及するかと思ったが、そうではなかった。抑止力についての基本的概念が間違っているからだ。 連載が終わった後の29日、日本が取るべき安全保障政策について識者(3人)にインタビューしてそれぞれの意見を集約した記事を掲載した。問題はその締めくくりとして記載した「抑止力」の定義である。そのまま転記する。
「攻撃してくればダメージを与えるという姿勢を事前に示すことで、相手に攻撃を思いとどまらせるという軍事力の役割。相手に抑止を効かせつつ不測の事態を防ぐには、軍事的対応を実行する「意図」と「能力」を正確に認識させることが必要とされる」
抑止力は、相手に対抗できる軍事力だけではない。いや、それどころか軍事力に抑止効果を期待すること自体が、もはやアナクロニズム的発想だということに、リベラル志向が強いとされる朝日ですらわかっていない。
確かに冷戦時代は体制と体制が双方の「正義」を振りかざして対立していたから、「軍事力には軍事力で」といった抑止力が必要だった。体制による対立が氷解したいま、最大の抑止力は経済の相互依存関係に移っている。現に日本もアメリカも、相手に対する警戒感は捨ててはいないが、二国間の問題を軍事力によって解決しようとは、日本もアメリカも中国も考えていない。それは、「もし軍事衝突したらお互いに受ける打撃が大きいから」という理性が働いているからではない。経済的な相互依存関係が、軍事衝突によって壊れることによる大きなマイナスを理解しているからだ。
はっきり言えば、最大の抑止力は、リスクの大きい国との経済的依存関係を強めることだ。前にもブログで書いたが、北朝鮮との関係においては、拉致問題を先送りしても平和条約交渉と経済関係の構築を最優先すべきだ。そうすることが、北朝鮮にとっても日本にとっても最大の抑止力になる。北朝鮮も、日本との関係が良化すれば、意地を歯ってアメリカの核に対抗する必要がなくなり、民生のためにも経済力に力を入れるようになる。
抑止力を軍事力に頼るという発想から抜け出すことが、日本にとって最大の抑止効果を生む。その観点から日米同盟の在り方についても考え直すべき時に来ているのではないだろうか。