小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

アベノミクス(MMTの失敗)で窮地に陥った金融機関はどうする?

2020-01-27 01:51:50 | Weblog
 日本の金融機関が悲鳴を上げている。新聞やテレビで最近大きなニュースになり話題を呼んでいるのが三菱UFJ銀行が預金者に発行している通帳を廃止するため、通帳廃止を申し出た預金者先着10万人に1000円をお小遣いとしてふるまう制度(申込期限は3月15日まで)をスタートさせたことだ。実は少し前に同行は通帳発行(新規および繰り越し)を有料化することも検討していたが、預金者の理解が得られないと判断し、通帳廃止に協力した預金者にささやかなお小遣いを上げるという方針に転換したようだ。預金の出し入れは従来通りATMで行うが、その記録は過去10年分までさかのぼってネットで検索できるという。通帳の作成費がいくらかかるかはわからないが、朝日新聞の記事(24日付朝刊)によれば通帳の場合、1口座につき年200円の印紙税がかかっており、その総額は年60億円に達しているという(同行の個人預金者総数は約3400万人)。個人預金者のうちパソコンやスマホでネット検索できる人がどの程度いるかは不明だが、印紙税だけで年60億円もかかっているというなら期限付きで先着10万人などとケチなことは言わずに、通帳不要の人にはすべてお小遣いをあげたほうが銀行にとっても有利になるはずだが…。
 三菱UFJだけではない。みずほや三井住友などメガバンクは一斉に窓口での送金(振り込み)手数料を引き上げたり、コンビニATMの手数料を値上げあるいは手数料無料の月間回数を少なくしたり、経費削減に必死だ。一時は店舗の統廃合を進めて大幅な人員削減を行う計画も公表されていたが、どの程度合理化が進んでいるかはわからない。
 前にもブログで書いたが、日本ほど人口当たりの金融機関支店数が多い国は、たぶん世界中探しても他にはないと思う(ネットでいろいろ検索したが、そういうデータはないようだ)。それにはそれなりの理由がある。まず明治維新で日本が欧米列強に追い付くため(富国強兵・殖産興業政策を行うため)には近代産業を興す必要があり、その資金を広く庶民から集める必要があった。二宮金次郎の銅像を全国の小学校に設置して勤勉・節約・貯蓄を奨励する必要があった。こうして全国各地に金融機関の支店網が整備されていった。
 さらに戦後、荒廃した日本産業を立て直すためには、やはり膨大な資金が必要となった。とくに吉田内閣は戦後経済の復興計画の中心を鉄鋼産業と石炭産業の二つに絞り、国民から集めた資金をこの二大産業に注ぎ込み、生産した石炭を優先的に鉄鋼生産に配分した。と同時に戦前の金融大不況期に生じた取り付け騒ぎが二度と生じないように、「弱者救済横並び」政策の典型といえる護送船団方式で金融機関同士の過度な競争を防ぐため金融機関のすみわけ(長期融資銀行・都市銀行・地方銀行・信用金庫・郵貯・農協など)も行った。そのため株式を上場していた都市銀行などの金融機関の株価もすべて500円で横並び、配当も一律という、現在では信じられないような金融機関保護政策を大蔵省は取ってきた。そうした金融機関保護政策がアメリカから批判されて護送船団方式は廃止されたのだが、明治維新以降の日本経済の歩みをたどると、実はそこからアベノミクスの失敗の原因も見えてくる。
 とりあえず明治維新以降の日本経済の歩みを経済学者とは別の視点で簡単に振り返っておく。まず明治維新以降の日本政府の経済政策は欧米列強に追い付くための産業近代化を行うことにあった。そのため資金を国民から集め、資金の有効活用のため財閥を育成してきた。その近代化政策が成功して、日本は短期間でアジアの最強国になり、まず日清戦争に勝利してアジア進出の橋頭保を築いた。日本がアジアに進出すれば当然ながら南下政策をとっていたロシアと衝突する。この時期の日本外交は見事で、イギリス、アメリカとの友好関係を深めたうえで日露戦争に突入し、当時世界最強と言われていたロシアのバルチック艦隊を日本海軍が破り(日本海海戦)、多大な犠牲を出しながらロシアが制圧していた旅順も攻略し、最高の状況下でアメリカに仲裁を頼み、ポーツマス講和に持ち込んだ(一応日本の勝利とされている)。ただ、このときに膨大な犠牲を払って旅順を攻略した乃木希典が英雄視されたことが、第二次世界大戦における日本陸軍の無謀というかアホというか、世界戦争史上例を見ないバカげた作戦を続行する精神的規範をつくることになった。またこの時期の経済成長は軍需産業の拡大によって成し遂げられ、国民生活は必ずしも豊かになったわけではない。むしろ膨大な戦費を回収できず(ロシアから戦争賠償金を獲得できなかったため)、戦争中、国の政策に協力してきた国民は憤慨して各地で暴動を起こしたほどである。ただし、軍需産業の中心を担った財閥は急成長し、財閥系企業のサラリーマンはそれなりに裕福な生活を謳歌できたようだ。
 日露戦争そのものは一応日本の勝利という解釈になっているが、日本にとって最大の利点になったのはロシアとの講和条約(ポーツマス条約)によって、日本が欧米列強から同列視され、徳川幕府末期に列強と結ばされた不平等条約を改正できたことである。そして第一次世界大戦で日本は日英同盟を口実に参戦し、ほとんど無手勝流で中国のドイツ拠点を占領するなど漁夫の利を得て、ようやく日本国民にも豊かさを実感できる時代が訪れた。そうした中で国民の消費活動も活発化し、さらにデモクラシー運動が盛んになり藩閥政治が崩壊して政党政治が実現するなど、いわゆる大正デモクラシーを人々が謳歌できるようになった。が、大正デモクラシーの時代はわずか10年ほどでしかなく、陸軍を中心に日本は植民地戦争の時代に突入してい行く。そして経済政策の中心も再び財閥を中心とする軍需産業に置かれ、国民には消費より節約と貯蓄が奨励されるようになっていった。このときも、日本の金融機関は国民からの軍資金集めの機関として大きな役割を果たす。
 ウォール街で株価が暴落し、世界恐慌が始まったのは1929年10月24日(木)である。ニューヨーク発の大恐慌はたちまち世界中に飛び火し、世界では比較的好調な経済を謳歌していた日本も大恐慌の波に呑み込まれていく。そうした中で日本では軍部がさらに勢力を強め、2・26事件を契機に日本の軍国主義化が一気に強まっていく。日本の軍国主義化の風潮をあおったのは当時のメディア(主に新聞)だった。
そして第二次世界大戦。戦後、GHQの政策によって日本は軍需産業が壊滅させられただけでなく、鍋や釜の生産すらおぼつかない状況になった。GHQの占領政策は日本を明治維新以前の農業国家に戻してしまおうというほど過酷で、実際、軍需品だけでなく生活品の生産設備も日本が占領した地域への賠償金代わりに取り上げてしまおうという計画までしていた(さすがにこの計画は米本国政府の「やりすぎだ」という批判で潰されたが)。そういう中で、すでに述べたように吉田内閣は戦後経済の復興の中心を鉄鋼と石炭に据えるという傾斜生産方式を採用、この二大産業が立ち直り始めたときに朝鮮動乱が始まった。日本に駐留していた米軍の大半が朝鮮に動員され、鉄鋼を大量に必要とする造船業界がまずその恩恵を被り、さらに関連産業分野に波及するようになって、いわゆる朝鮮戦争特需で日本産業界は復興への第1歩を踏み出す。
が、朝鮮特需はそう長くは続かなかった。アメリカは朝鮮有事の際、日本を防衛できなくなったという現実から日本の独立を急ぎだし、1951年9月4日、サンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約を締結、日本に再軍備を求めだす。なぜか、日本政府は日本が主権を回復した9月4日を国民の祝日にせず、例年、主権回復の行事も行っていない。そして朝鮮戦争が53年7月27日、休戦に至ると戦争特需に沸いていた日本経済は一気に不況に突入する。特需で復興への足掛かりをつかんだとはいえ、産業基盤はまだまだ脆弱で民間の資本蓄積も浅く、庶民の生活はまだまだ苦しい状態が続いていた。
 が、この時期の日本政府の経済のかじ取りは見事だった。53年度の『経済白書』は「投資景気から消費景気へ」とうたい上げ、内需の拡大に経済政策の中心を切り替えたのだ。また戦争特需はなくなったが、この間に整備された日本の工業生産設備が輸出と内需を支え、56年度の『経済白書』は「もはや戦後ではない」と高らかに宣言した。ある意味では戦争ですべてを失ったことが、この時期の好景気(神武景気)を支え、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の「3種の神器」が内需拡大の最大の柱になったと言えなくもない。またこの時期の内需拡大を可能にしたのは戦後導入された高額所得層には過酷だった超累進課税(シャウプ税制)であり、所得格差が世界で最も少ない状況にあったことも、「3種の神器」が急速に一般家庭に広まった最大の理由である。この時期、日本は高度経済成長期に突入しており、岸内閣の後を継いだ池田内閣の「所得倍増計画」が日本の高度経済成長の引き金を引いたわけではない。経済学者よ、もっと勉強しろ‼
 以降、日本政府の経済政策は基本的に輸出振興と内需拡大の双方を、バランスを取りながら推進していくという成長戦略をとってきた。そうした経済政策を一変させたのが竹下内閣による消費税導入と高額所得層に対する課税緩和だった。この時期まで日本は「世界で最も成功した社会主義国」(ソ連・ゴルバチョフ)と称され、また「日本は資本主義国ではなく人本主義国家だ」といった議論も巻き起こっていた。実際それまでの東証一部上場企業のトップと新入社員の給与格差はせいぜい数十倍くらいしかなく、竹下内閣は「高額所得者が仕事に対するやる気を失う」といった屁理屈をつけて1089年4月1日、累進税制の緩和と同時に消費税3%を導入したのである。その結果、富裕層の急増した余裕資産がバブル景気を招いたと言える(ピケティの格差拡大論が完全に証明された好例)。その後、橋本内閣による消費税5%と累進税制のさらなる緩和で、かつて「世界で最も成功した社会主義国」だったはずの日本の所得格差は急激に広がり、バブル崩壊と同時に内需も急激に冷え込み、「失われた20年」の時代に突入する。
 行き過ぎたバブル経済は確かに修正する必要があったが、大蔵省の総量規制と日銀(三重野総裁)の急激な金融引き締めというダブルパンチによって、日本経済は壊滅的な打撃を受ける。なおこの時期、日銀・三重野総裁を「平成の鬼平」と持ち上げたバカな自称「経済評論家」がいたが、バブルをあおった長谷川慶太郎を神様扱いしたのがメディアなら、三重野総裁をヒーローに仕立てたバカ評論家をよいしょしたのも当時のメディア(主に民法)だった。身代わりの速さを得意とするメディアの真骨頂といえよう。
 そうした状況とは無関係に、ケインズもマルクスも経済政策で想定していなかった事態が先進国で急速に進みだしていた。「少子化」と「高齢化社会」である。「少子高齢化」といわれるが、これは一緒くたにはできない現象である。たまたま同時期に進行しただけのことで、対策も別々に考えないとおかしくなる。まず少子化の原因だが、あえて誤解を恐れずに書くが、日本に限らず先進国で女性の高学歴化が急速に進んだことによる。実際、私のような高齢者の方は子供のころを思い出していただきたい。小学校や中学校の女子同級生で大学まで進学した女性が何人いたか。いま4大卒の男女比を見ると差は4%に縮まり、短大まで含めると女性の方が高学歴化しているのだ。女性も高い能力と知識を持って社会に出たら、子育てや家事より社会で活躍する機会を重視するのは当たり前である。「少子化対策」として保育園をつくることに反対するわけではないが、女性は社会に復帰したいから幼子を保育園に預けたいのである。確かに核家族化の進行によって2人、3人と子供を育てることは容易ではなくなったという事情もあるが、2人目、3人目の子供ができた女性の1人目、2人目の子供を優先的に預かるという入園制度にしないと、「少子化対策」とか「子育て支援」といった名目は、実際には「女性の社会復帰支援」でしかない。そういう女性の子供は排除しろというのではないが、社会復帰のために子供を保育園に預けたいという場合は料金も幼稚園並みにした方がいい、と私は考えている。
「高齢化社会」というのも、日本に限らず先進国の人口構成がピラミッド型ではなく、逆三角形に近い状態になっていることを意味する。私はこれまでも人口構成を地上2階、地下1階にたとえたブログを書いてきたが、地上1階の住民は現役世代(仕事をして収入がある高齢者も含む)、2階の住民は収入が年金だけの高齢者や生活保護を受けている人、地下の住民は赤ちゃんから学生まで1階の現役世代に扶養されている人。そう考えれば将来の日本がどういう状態に陥るか手に取るように見える。
 少なくとも私たち、いま2階の住民は1階の住民だった現役世代、太い柱で2階の住民の生活を支えてきた。そういう意味では2階に上がった今、私たちの生活は1階の現役世代の方たちに支えてもらう権利があるはずだ。が、私たちが1階で2階の住民の生活を支えてきた時代には、2階を十分に支え切れるだけの太い柱を作ってきた。いま2階を支える柱がどんどん細くなっている。それでも私の年代は何とか持つだろうと思っているが、「団塊の世代」がすでに中2階まできている。彼らが2階に上がった時、果たして柱は2階を支えられるだろうか。もっと深刻なのは、いま1階で必死に2階の住民を支えている現役世代が2階に上がった時、当然地下の住民が1階に上がって現在の現役世代を支えることになるのだが、はっきり言って絶対に不可能である。政治はそういう事態と正面から向き合わなければならない。いま日本はそういう状態に直面していることを、国民に正直に伝え、明確な答えを出さなければならない。安倍総理はその任に応えているだろうか。

 昨年アメリカ発のMMT(現代貨幣理論)が話題になった時期がある。MMT推奨者の第一人者であるニューヨーク州立大学のケルトン教授らの説によれば「独自通貨を発行している国は財政赤字を恐れる必要は全くない。現に巨額の財政赤字を抱えている日本はどんどん赤字国債を発行しているが、インフレにはならず金利も上昇していない。日本はMMTの成功例だ。万一ハイパーインフレになれば金融を引き締めれば解決できる」という理論だが、一応日本政府も「MMTには与しない」と否定的だが、「れいわ新撰組」代表の山本太郎氏がべたぼれするなど火種が完全に消えたわけではない。はっきり言えばアベノミクスはMMTの実践例であり、しかも成功例ではなく失敗例だ。異次元の金融緩和策と日銀・黒田総裁が自負した超金融緩和策でも内需は回復せず、この稿の冒頭で書いたように金融機関が大きなダメージを受けている。はたしてアベノミクスがMMTの成功例といえるだろうか。
 もっとも日本の金融機関の役割は明治維新後の日本近代化のための資金集めや、第二次世界大戦後の復興資金集めの役割は終わり、預金が増えれば増えるほど経営が苦しくなる状態にある。これまでのように国民から広く預金を集め、その資金力で企業の成長を支えるための融資という金融機関本来の使命の必要性は今はほとんどない。いま金融機関にとって多少でも儲かるビジネスはサラ金と住宅ローンくらいしかない。いまは都心のタワービル・ラッシュで資金需要は増えているが、いつタワービル・バブルがはじけるか、金融機関はひやひやしている。外国人観光客もいまは増えているが、外国人の日本観光ブームもいつ終焉するか分かったものではない。ブームというのはいつかは必ず消滅するものであり(もちろんいつ消滅するかは神のみぞ知ることだが)、永遠に続くなどと考えて都市計画を考えたり、さらに外国人観光客を呼び込もうとカジノを含むIR計画を推進するなど、バカの骨頂といってもいい。
 ちょっと話が横道にそれたが、アベノミクスは間違いなくMMTの実践である。際限なく赤字国債を発行して公共工事を増やすことで景気回復を図ろうとしているが、現役世代の賃金が上昇しないことには内需は増えない。デフレかインフレかは需要と供給のシーソーみたいなものだ。資本主義の理論的支柱であるアダム・スミスの「神の見えざる手」は競争原理によってシーソーが一方に傾きすぎたら振り子原理が働いて需給関係のバランスが自然に回復するという考えだが、必ずしも実証されたとは言えない。あるいはマルクスが主張したように経済政策によってシーソーのバランスをとるべきなのか(いわゆる計画経済)。ただ言えることは資本主義経済は何度もシーソーのバランスを崩した経験をしており、いまは資本主義国政府も完全自由競争主義ではなく、多少計画経済的要素も経済政策に取り入れざるを得なくなっていることは事実だ。が、マルクスが主張したように計画的に需給関係のバランスを取ろうとすると競争原理が働かなくなるため、あらゆる経済分野や技術開発分野などで進歩がストップする。中国が先端技術産業分野を中心に市場経済原理を取り入れたのは、競争原理を働かせないと中国企業は勝てないとわかったからだ。その結果、中国経済は社会主義でも資本主義でもなく、混合経済体制になっている。必然的に競争社会の厳しさにさらされない国営企業は弱体化し、共産党政府による支援がなければ存続が危うい状態になり、その点をトランプから攻撃されている。
日本に関して言えば、私自身はピケティが主張したように、格差社会を是正して最大の需要層である現役世代の所得を増やし、内需を拡大するためには、シャウプ税制ほど過酷ではなくても累進課税の強化や相続税の累進税化などによって、富の分配方法にもう少し社会主義的要素を入れないと、日本社会は崩壊しかねないのではないかと心配している。ピケティ理論については、累進課税を強化して高額所得層の課税率を高めたら、高額所得層が税率の安い他国に逃げ出すだろうという批判があるが、ではシャウプ税制時代、松下幸之助や本田宗一郎氏など日本の高度経済成長を創出した方たちが、税金の安い他国に逃げ出しただろうか。
ただし、富の再分配方法は所得税だけではない。私はかつて、安倍政権が成立した時に書いたブログで、相続税と贈与税の関係を逆転させるべきだと主張したことがある。相続税を高くして贈与税を安くすれば、豊富な資金を消費に回さず資産の拡大のためにしか使わない高齢者のかねが、子供や孫に移行すれば内需が回復すると書いたのだが、安倍内閣は孫の教育資金というしと限定で贈与税を免除することにした。そんなことをすれば富裕層の家族の子供とそうでない子供との間の教育格差が拡大するばかりで、漁夫の利を得るのは学習塾だけである。政策に哲学がなく、思い付き的に選挙の時の1票につながりそうなことばかりやっていると、日本社会はどうなる?
いずれにしても日本の金融機関は、その時々の政府の政策に振り回されてきた。世界に例をみないほど全国各地に金融機関の支店が乱立し、貯金獲得競争に明け暮れた時代はもう来ない。安倍内閣は昨年10月の消費税増税とタイミングを合わせて買い物の際のキャッシュレス化を進めようとしているが、なかなか思うようにはいっていない。ATMが至る所に設置され、クレジットカードや電子マネーカードを持ち歩くより現金決済の方が便利でリスクも少ないからだ。ま、政府の本音は消費者や外国人観光客の利便性向上ではなく、益税小売業者のあぶり出しにあると私は思っているが、零細小売業者の方もバカではない。日本では地域ごとに商店連合会があるが、キャッシュレス決済によるポイント還元を申し込むかどうかは個々の店舗ごとではなく、商店連合会で話し合い、横並びで決めているようだ。いいか悪いかは別にして横並び社会は戦後経済政策のレガシーの一つと言ってもいいかもしれない。そういう意味では今窮地に追い込まれている金融機関も、すでに横並び社会は崩壊しているのだから、本格的に店舗の統廃合を進めるべき時期に来ているのかもしれない。
 
 

安保改定60年の節目を再改定のチャンスにできるか。

2020-01-19 07:19:23 | Weblog
 60年前の今日(1月19日)、当時の岸総理と米アイゼンハワー大統領の間で新日米安保条約が調印され、同年5月20日衆院で強行採決された。学生や労働者をはじめ多くの一般市民が猛反対する中で参院では審議すら行えず、調印6か月後の6月19日に新安保条約が発効した。
 今年1月7日、安倍総理は自民党本部の仕事始めのあいさつで意味深な発言をした。なぜか翌8日の朝日新聞はこの重大発言には全く触れず、その後に続けた「桃栗3年、柿8年…」といった箇所だけ報道した。朝日がねぐった安倍総理の重大発言はこうだ。

今年は庚(かのえ ※十二支の最初で当たるねずみ年を指す)の年にあたります。庚の年は新しい芽が出てのびる年と言われており、大切なものを継承し改革を進めていこうという意味が込められています。そして60年前の庚の年には日米安保条約が改定されました。日米新時代が始まり、同時に外交安保の礎が築かれた年です。あれから60年たち、今年は戦後外交の総決算に挑戦し、新たな外交の地平を切り開いていきたいと思っています。

この発言の後、憲法改正への強い意欲を示すのだが、なぜ安倍総理は年頭のあいさつの冒頭で安保改定60年目の節目をことさらに強調したのか。もちろん安倍総理の頭の中を解剖して覗き見ることは不可能だが、ひょっとして安保再改定が頭の中を去来しているのかな、と私は感じた。
もともと旧安保条約は朝鮮戦争のさなか、それまで日本を占領していた国連軍(実態は米軍)が根こそぎ朝鮮半島に動員され、敗戦によって武装解除された日本が丸裸状態になった時期、急遽、日本に再軍備させるため、アメリカが主導してサンフランシスコ講和条約を締結(1951年9月8日)、同時に吉田総理が署名して発効した。が、徳川幕府末期の日米修好通商条約と同様、日本にとってはまったく不利な条約だった。で、岸総理がアイゼンハワー大統領と交渉して旧安保条約を多少改善したのが現在の安保条約である。最大の改善点は、旧安保には明記されていなかった日本防衛の義務を米軍が負うことを明記させたことになっているが、が、その防衛義務に関して明記された第5条が、実は解釈次第で実効性が疑問視されているのだ。5条の全文はこうだ。

第五条 各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。
 前記の武力攻撃及びその結果として執つたすべての措置は、国際連合憲章第五十一条の規定に従つて直ちに国際連合安全保障理事会に報告しなければならない。その措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全を回復し及び維持するために必要な措置を執つたときは、終止しなければならない。

この条文の問題は「自国の憲法上の規定及び手続に従って」という部分で、アメリカ国民がNOという意思を明確に示せば米軍は手も足も出せない。そしてトランプ大統領は、安倍総理が憲法違反の疑いが濃厚な安保法制を成立させて集団的自衛権行使を可能にしても、「日本が攻撃されたらアメリカ人は血を流して日本を守らなければならないのに、アメリカが攻撃されても日本人はソニーのテレビを見ているだけだ」と日米安保条約の不公平さをあおり、実際そのたびアメリカではトランプの支持率が上がっている。アメリカ国民の大半がトランプと同様の対日感情を抱いているからだ。現に3年ほど前、アメリカでアメリカにとっての同盟国・友好国について行った世論調査では、日本はベスト10にも入らなかったという結果が出ている。こうした状況の中で、万が一、日本が他国から攻撃を受けたとして米軍がどの程度、本気で日本防衛のために自衛隊に協力してくれるか、日本の軍事専門家の大半は疑問に思っているようだ。
たとえば尖閣諸島。安倍総理はオバマ大統領からもトランプ大統領からも「尖閣諸島は安保条約5条の範囲だ」との言質を取っている。安保条約5条には日本領土についてのさだめは明記されていない。ということはアメリカの大統領が代われば「尖閣諸島は安保条約5条の対象外だ」となりうることを意味している。だったら、現在の米大統領が「尖閣諸島は安保条約5条の範囲だ」と明言してくれている今のうちに、なぜ日本は尖閣諸島の実効支配に踏み切らないのか。実は日本が実効支配することを最も嫌がっているのが、当のアメリカなのだ。日本が尖閣諸島の実効支配に踏み切った場合、中国との軍事衝突が生じるかどうかは、わからない。わからないが、その可能性はゼロではない。もし万一、軍事衝突になった場合、オバマやトランプが大統領の時代であれば米軍は自衛隊を支援しなければならなくなる。場合によっては米中の軍事衝突になりかねない。アメリカにとっては何の得にもならないのにだ。だから、日本の尖閣諸島実効支配を絶対に阻止したいのがアメリカの本音である。つまりオバマやトランプの言質は所詮「絵に描いた餅」に過ぎない。そのことを日米当局は百も承知で、オバマやトランプは安倍総理にリップ・サービスをしているのである。おそらく日本でも軍事専門家の多くはわかっていると思うが、なぜかメディアは理解していない。
日本のジャーナリストの多くは「外交の安倍」と安倍外交を評価している。が、私は前のブログで書いたように、安倍外交でまずまずといえるのは対中外交だけだ。それもたまたま米中貿易戦争で中国が多少日本に歩み寄ってくれた結果で、安倍さんが中国との関係改善で何らかの努力をしたかというと、そうした形跡は見えない。それでも日本が中国との関係を改善すれば、アメリカや韓国、北朝鮮との関係でもかなりのキャスティング・ボードを握れるはずなのだが、そういう計算は安倍さんの頭にはないようだ。実際、尖閣諸島を日本が実効支配するための、こんなチャンスは二度と訪れない。いまなら中国も日本と軍事衝突は避けるだろうし、アメリカも黙認する。一種の賭けには違いないが、外交はどのみちある程度のリスクを伴う賭けの要素がある。この時期を逃せば、尖閣諸島を日本が実効支配できるチャンスは二度と訪れない。
対中以外の安倍外交はすべて失敗である。たとえば対米。トランプとゴルフを楽しむのは大いに結構だが、安倍内閣は1969年2月19日の内閣法制局による「集団的自衛権行使は違憲」という憲法解釈を屁理屈で変更して「合憲化」する安保法制を成立させた。これでトランプが喜んでくれると安倍さんは勘違いしたが、逆にトランプはかさにかかってきた。日米安保は不平等・不公平であり、日本は駐留米軍の経費を全額負担すべきだと言い出している。さらにロシアとの交渉についても平和条約締結の条件として北方領土問題解決をセットにして譲らず、結局、決裂状態になっている。平和条約締結は日本の安全保障問題であり、北方領土問題は経済問題である。平和条約締結を優先すれば、日本は安全保障にとって図りきれないメリットがあるだけでなく、ロシアとの友好関係が強化されればおのずと北方領土問題解決への道も開けるし、ロシアの軍事力は中国や北朝鮮に対しても計り知れない安全保障力になる。また安倍さんはアメリカと敵対している北朝鮮の核・ミサイル開発を、ことさら日本にとっての脅威ととらえて北朝鮮に対する敵視政策を強め、かえって北朝鮮リスクを拡大している。イラン問題はまだ先が読める状態にないが、アメリカの顔色をうかがいながらイランとの友好関係を維持しようという「二兎を追う」作戦が成功するか? トランプの計算次第だが、場合によっては日本の対イ外交に対してトランプが激怒する可能性もあり、そのとき安倍さんの八方美人外交が瀬戸際に追いつめられることになる。
外交の要諦は経済面では相手国との間にいかに互恵関係を構築するかであり、安全保障面では相手国との間にいかに友好関係を構築するかにある。その場合、他国の軍事力の脅威に対抗して「自衛のため」と称しての軍事力の強化は、即他国にとっては脅威になる。現に米中や米ロの軍拡競争は戦争リスクをかえって高めている。各国は「相手国の軍事的脅威に対抗するための自衛手段」と主張しているが、自国にとっての自衛力の強化は他国にとっては即軍事的脅威を意味するのだ。日本がことさらに北朝鮮の核・ミサイル開発の「脅威」に対抗して「自衛力」を強化したり、経済制裁を強めれば、北朝鮮の反発を買うだけだ。現に、金委員長は「もしアメリカと軍事的に衝突することになれば、真っ先に火の海になるのは日本だ」と恫喝してきている。
北朝鮮だけではない。アメリカとしばしば衝突している中国やロシアにとっては、日本の自衛隊の軍事力など脅威の対象にはならないだろうが、日本に駐留している米軍の軍事力は間違いなく脅威である。日本防衛が目的のはずの米軍基地が、実は日本にとって最大のリスク要因なのだ。
実は第2次世界大戦以降、領土や植民地拡大のための戦争は湾岸戦争の発端となったイラクのクウェート侵攻だけである。このケースもイラク側にはそれなりの理由があり、もともとはイラクとクウェートは同じ民族で一体だったのを、ヨーロッパ列強が勝手に分割支配したからというのが言い分だった。ウィキペディアによれば、第2次世界大戦での犠牲者(民間人を含む)は5000万人~8000万人とされ、8500万人という統計もあるという。日本人の戦没者は政府の閣議決定(1963年5月14日)によれば310万人に上ったという(厚労省は240万人としている)。それだけの人的犠牲を払って領土や植民地を拡大して得た経済的利益は間尺に合ったのか。たとえば日本が朝鮮を併合した38年間、朝鮮を支配し、朝鮮でも日本と同様近代産業を興すために行った投資(産業インフラや教育投資など)の最終的損益は、はっきり言って大赤字である。領土や植民地の拡大は、かえって経済的負担の方が大きいという現実を世界の大国が学んだことによって第2次世界大戦以降、いわゆる帝国主義戦争(あるいは植民地戦争)は皆無になったのだ。
そう考えると、現在の日本は他国から侵略を受ける可能性はどの程度あるのだろうか。たとえ駐留米軍がすべて日本から引き上げたとしても、日本の自衛隊の戦力は相当なレベルに達しており、他国が日本を攻撃した場合、莫大な犠牲を払うことを覚悟しなければならない。しかも幸か不幸か、日本には他国がよだれを流すような資源が何もない(日本近海の海底資源はかなりあるようだが、少なくとも現時点では採掘しても採算が取れない)。まして日本を核攻撃したら、日本の土地は使い物にならなくなる。日本が他国にとって「脅威」にならなければ、アメリカの庇護がなくても日本は世界有数の安全国だ。むしろ日本の地政学的環境を考慮すると、近隣諸国にとっては日本と友好関係を構築することが最高の安全保障政策になる。そういう「地の利」を最大限に活用することが、日本にとっても最高の安全保障政策になり、かつ経済的メリットも計り知れないほど大きいはずだ。
安倍さんが、安保改定60年目の節目と今年をとらえ、新しい外交の地平を開くというなら、現行安保条約の根本的見直しからやってもらいたい。まず日本の地政学的環境から考えて日本が他国から攻撃される可能性は極めて低いことをトランプに伝え、米軍基地の大幅縮小を要求すること。米軍が日本からいなくなれば、日本の安全保障環境はかえって増大することを主張してほしい。
さらにトランプが安保条約は不平等・不公平だというなら、「日本も、アメリカが攻撃されたとき血を流してアメリカを防衛してあげるから、アメリカに自衛隊基地を作らせてもらう」といえばいい。その場合、もちろん「思いやり予算」も米軍基地のために日本が負担している程度は出してもらうし、地位協定も結ばせてもらう。それでアメリカとの関係は完全にイーブンになるから、アメリカも二度と「日米安保は不公平だ」といえなくなる。ただし、日本駐留の米軍は日本が他国から攻撃された場合のみ日本防衛の義務を負うことになっており、日本が勝手に始めた戦争には協力しないことになっている。だからアメリカ駐留の自衛隊も、アメリカが他国から攻撃された場合のみアメリカ防衛の義務を負うだけでよく、アメリカの都合で始めた戦争に協力する必要はない。
その場合、憲法上の問題が生じる可能性があるが、すでに安倍内閣は集団的自衛権行使を容認すべく憲法解釈を変更しており、アメリカ本土が攻撃されるような事態が生じた場合、最大の同盟国である(と勝手に思い込んでいる)日本にとって国家存亡の危機という解釈をすれば、憲法上の問題は生じないと考えるべきである。安保条約の再改定…これでめでたし、めでたし。

日本郵政グループは新体制で小泉郵政民営化の「負のレガシー」を根絶できるか?

2020-01-12 06:49:20 | Weblog
 総務省が郵政改革に本腰を入れだしたようだ。「トカゲの尻尾切り」ではなく、郵政グループ3社(日本郵政・かんぽ生命・日本郵便)のトップを総入れ替えするという荒療治に踏み切ったからだ。とくに高市総務大臣は郵政グループの総元締である日本郵政のトップに増田寛也氏(元総務相)を据えた。増田氏は岩手県知事としても地方行政改革に手腕を発揮した。どこまで郵政改革に辣腕を振るうか大いに期待したいが、ことはそう簡単ではない。小泉純一郎元総理が政治生命をかけて断行した郵政民営化の「負のレカシー」に切り込まない限り、かんぽ生保の詐欺まがい商法の根は絶てないからだ。
 小泉元総理が郵政民営化を実現したのは2007年10月。実は民営化法案は2005年に国会に上程されたのだが、衆院では5票差でかろうじて通過したものの参院では否決され、小泉総理が衆院を解散して国民に信を問うという手法に出た。反対派議員を除名したり、立候補しても自民党としては公認せずに「刺客」候補を落下傘的に擁立するという挙に出た。この時メディアは一斉に郵政民営化を支持し、選挙では小泉チルドレンが大量に当選し、小泉派が圧勝した。実は「一強体制」は安倍総理が作ったものではなく、このとき小泉氏が前例を作った。実際、この選挙以降、自民党内に小泉氏に反旗を翻す政治家は皆無になった。私はそろそろ「小選挙区比例代表並立制」という衆院選挙制度そのものも見直すべき時期に来ていると思っている。
 私がブログを書き始めたのは2008年4月。アップルのiPhoneが登場してツイッターやフェイスブックなどのSNSが普及するようになったのは2010年以降である。こういうきわどい時期に郵政民営化がスタートしたのである。「スマホが誕生して、まだ10年しかたっていないの?」とびっくりする人が多いと思うが、そのくらい、この10年でITの世界は劇的に社会のあらゆる仕組みを変えてきた。小泉氏が郵政民営化に血道をあげていた頃、たった10年でSNSが日本の郵便事業を壊滅的な状況に追い込むとは、だれも想像できなかっただろうし、そのことで小泉氏を批判するつもりは私は毛頭ない。が、結果的にはSNSが郵便局員によるかんぽ生保商品の詐欺まがい商法をはびこらせることになった。そのことを私は昨年8月5日にアップしたブログ『日本郵政グループの組織的詐欺事件はなぜ生じたのか? 昨年(※2018年)にNHKが報じていたことを「知らなかった」では済まされない』で検証している。
 NHKは2018年4月24日、郵便局員な内部告発や被害者からの通報を根拠に『クローズアップ現代』で郵便局員によるかんぽ商品の詐欺まがい商法を告発する番組を放送した。クロ現のスタッフはさらに続編の制作を企画して新たに情報提供をネットで広く呼び掛けたようだ(私自身は見ていない)。
 が、それで困ったのは日本郵政。というのは郵政グループの持ち株会社である日本郵政は翌年(2019年)春に大量(全持ち株89%の4分の1)のかんぽ生保株を放出する予定だった(実際、日本郵政はかんぽ生保株が上場以来最高値を付けていた19年4月に放出している)。そのため株を放出する前に詐欺まがい商法が公になるとかんぽ株が暴落して放出できなくなることを恐れた日本郵政が、NHKの経営委委員長を通じてNHKに圧力をかけたと私は推測している。だから、このときかんぽ生保株を高値で買わされた人たちが日本郵政を証取法違反で告訴していないようなのが、私には不思議でならない。実際、私は昨年8月のブログで「おそらくかんぽ生保株を購入した株主からは損害賠償請求の集団訴訟が起こされることは間違いない」と書いた。
 かんぽ生保問題の根っこには日本郵便がそこまでやらないと、郵政民営化の時に義務付けられたユニバーサル・サービスを維持できなくなるという事情があった(そのことも私は昨年8月のブログで書いている)。実際SNSの急速な発達によって郵便事業の柱である郵便物の集配が完全に採算割れになっているはずだからだ。たとえば郵便事業の収益を支えてきた年賀状が、今年は昨年の1割減になったという。ネットニュースの「ニュースィィチ」によれば年賀状の配達数は年々減少し、2008年度は約29億通だったのが18年度は約19億通と、10年で34%も減少したという。年賀状だけではない。普通のはがきや手紙の取扱量はSNSに押されて、もっと減少しているのではないか。そういう状況の中で日本郵便が収益の柱を郵便物の取り扱い以外に求めざるを得なくなった事情がこうして生じた。
 日本郵便の郵便物(ゆうパックなども含め)以外の事業には郵貯とかんぽ生命保険がある。が、郵貯事業はいま日本郵便にとって重荷になりつつある。郵政が民営化される前は郵貯で集めた金は政府が公共事業投資に運用してくれていたからおいしい分野だったが、いまは融資にもリスクが伴うようになったし、アベノミクスの金融緩和政策で民間の銀行と同様、金融事業でのうまみはほとんどなくなった。必然的に儲かる事業はかんぽ生保に頼らざるを得なくなった。郵便局員にのしかかったノルマの厳しさとか、詐欺まがい商法が横行した背景にはそういう事情があった。
 日本郵便にとっては、残された唯一の儲かるビジネスだったかんぽ事業が、いまストップされている。いつ再開できるかの見通しも立たない状況だ。また再開できたとしても、これまでのような不正な販売は不可能になったし、消費者の信頼が根底から崩れてしまった現状を考えると、再開できるようになったとしても営業活動は相当苦しい状況が続くと考えられる。
 郵便事業は欠くことができない重要な通信インフラでもある。同様に重要な通信インフラとして電話がある。NTTがひかり事業に踏み切ったのは電電公社時代の35年ほど前だが、そのときは個々の家庭にまでひかり回線を引く計画はなかった。が、その後、なぜかNTTは個々の家庭にまでひかり回線を引き出した。それがいまNTTにとっては重荷になりつつある。若い人たちが「スマホで十分」と、電話回線を使わなくなったからだ。NTTはいま4Kテレビはひかりで、といったCMに力を入れているが、テレビを見るためだけにひかり回線使用料を支払おうという消費者がどれだけいるか? スマホが登場してからわずか10年の間に、あらゆる通信インフラの在り方が問われるようになっている。
 まだ固定電話の場合はIP電話を除いて通話相手と場所によって料金が変わる仕組みになっているが、手紙やはがきはそういうわけにはいかない。そういう中でかんぽ事業に頼らず郵便事業を維持できるようにするには方法は二つしかない。一つははがき・手紙などの郵便物の料金を、採算がとれるように大幅アップすることだ。もう一つはすでにヨーロッパで行われているように郵便物の集配回数を大幅に減少することだ。そのためには速達を廃止する必要があるが、集配回数を週に1回か2回に減らせば、地方の小さな赤字郵便局は廃止することができる。どうしても廃止できない過疎地の郵便局は多目的局としてコンビニや農協などと統合したらいい。どうやったら小泉郵政改革の「負のレガシー」を根絶できるか、これからが郵政改革の道筋が問われる。

日韓関係をここまで悪化させた張本人はだれか?

2020-01-06 01:59:25 | Weblog
 どうにも訳が分からないことがある。戦後最悪と言われる日韓関係の原因だ。メディアなどで報じられている限り、1965年に両国の間で締結された日韓基本条約と同時に結ばれた日韓請求権協定をめぐる行き違いがあるようだ。
 日韓請求権協定の解釈については日本政府(安倍内閣)は「この協定によって個人請求権も含めて終局的に解決された」と主張しているが、ではなぜ安倍内閣は2015年に韓国・朴大統領との間で韓国人従軍慰安婦に日本が10億円の基金を支払い、「最終的不可逆的に解決した」という合意を結んだのか。
 従軍慰安婦に対して「解決金」(事実上の補償金)を支払っていながら、徴用工が大法院(最高裁判所)で勝訴した日本企業に対する賠償金請求に対しては「日韓請求権協定に基づき解決済み」と拒否するのは、私には二枚舌に思えるのだが…。そもそも賠償金の支払いを請求したのは元徴用工であり、しかも請求先は日本政府ではなく徴用工を雇用した在韓日本企業だ。元徴用工が起こした訴訟に対して韓国の大法院が日本企業に賠償を認めた判決理由はどうだったのか。日本語訳の判決文(ネットで調べることができる)の要旨を見てみる。

 新日鉄など日本企業は日本政府が1938年に制定した国家総動員法の下で朝鮮労働者に対して「日本で技術を学ぶチャンスを与える」と勧誘し、応募した朝鮮労働者を日本で奴隷のように扱い過酷な労働を強いた。その非人道的行為に対して朝鮮人労働者を徴用した日本企業は損害賠償金を支払え。

 日本側企業は時効を理由に反論したが、大法廷では時効は認められなかった。戦後70年以上もたって、なぜ徴用工問題でこれほどまでに日韓関係が悪化するようになったのか。実は朝鮮人元徴用工は当初、韓国ではなく日本で損害賠償請求訴訟を起こした。が、日本の最高裁は日韓請求権協定により、日本における韓国民の財産請求権は消滅しているとの判決を下したため、元徴用工は韓国で訴訟を起こしたという経緯がある。そこで問題になるのは個人が受けた損害は請求権協定によって消滅したのか否か法的解釈に委ねられることになった。
 このことは慰安婦問題にも通用することだが、1993年8月4日、河野洋平官房長官が朝鮮人慰安婦募集に関して「軍の関与・強制があった」と認めて謝罪したことがある。この河野談話そのものの信頼性について、のちに多くのメディアによって再検証が行われ、その信頼性に疑問が持たれているが、少なくとも河野談話が発表された時点では政府は談話を容認してしまった。のちに安倍第2次内閣が「河野談話の作成過程の再検証」を行おうとしたが、アメリカから「やめとけ」と言われ、アメリカの51番目の州知事にすぎない安倍総理はあっさり再検証を止めてしまった。いまさら慰安婦問題を私もぶり返すつもりはないが、こうした日本政府の姿勢が徴用工問題の根本にもあった。
 というのは、河野談話の2年前の1991年8月27日、当時外務省条約局長だった柳井俊二氏(のち外務省事務次官、安保法制懇座長)が参院予算員会で日韓請求権について「いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたものではない。日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることができないという意味だ」と答弁している。韓国の元慰安婦や元徴用工が個人請求権の行使として訴訟を起こすようになったのは、この柳井発言がきっかけとされている。
 このような経緯を見ると、慰安婦に対しては補償し、徴用工については解決済みとする解釈は、果たして国際的に通用するのだろうか。私はすでにNHKや朝日に対しては国際司法裁判所(オランダ・ハーグ)で決着をつけるしかないよと言っているが、あまりにもその時まかせの日本政府の姿勢が今日の混乱を招いていることだけは疑いを入れない。ただ、韓国も一応民主主義国家だ。たとえ大法院の判決が安倍さんの気に食わなかったとしても、文大統領が政治力で大法院の判決をひっくり返すことなどできようがない。それとも安倍さんは、日本では総理大臣だったら最高裁判決をひっくり返す権力があるとでも思っているのかな。だとすれば民主主義制度の根幹でもある三権分立を否定することを意味する。あまりアホなことは言わんほうがええよ。
「外交の安倍」を自負し、確かに世界中を飛び回ってはいるが、対中関係を除いて外交的成果は何を挙げた?