日本の金融機関が悲鳴を上げている。新聞やテレビで最近大きなニュースになり話題を呼んでいるのが三菱UFJ銀行が預金者に発行している通帳を廃止するため、通帳廃止を申し出た預金者先着10万人に1000円をお小遣いとしてふるまう制度(申込期限は3月15日まで)をスタートさせたことだ。実は少し前に同行は通帳発行(新規および繰り越し)を有料化することも検討していたが、預金者の理解が得られないと判断し、通帳廃止に協力した預金者にささやかなお小遣いを上げるという方針に転換したようだ。預金の出し入れは従来通りATMで行うが、その記録は過去10年分までさかのぼってネットで検索できるという。通帳の作成費がいくらかかるかはわからないが、朝日新聞の記事(24日付朝刊)によれば通帳の場合、1口座につき年200円の印紙税がかかっており、その総額は年60億円に達しているという(同行の個人預金者総数は約3400万人)。個人預金者のうちパソコンやスマホでネット検索できる人がどの程度いるかは不明だが、印紙税だけで年60億円もかかっているというなら期限付きで先着10万人などとケチなことは言わずに、通帳不要の人にはすべてお小遣いをあげたほうが銀行にとっても有利になるはずだが…。
三菱UFJだけではない。みずほや三井住友などメガバンクは一斉に窓口での送金(振り込み)手数料を引き上げたり、コンビニATMの手数料を値上げあるいは手数料無料の月間回数を少なくしたり、経費削減に必死だ。一時は店舗の統廃合を進めて大幅な人員削減を行う計画も公表されていたが、どの程度合理化が進んでいるかはわからない。
前にもブログで書いたが、日本ほど人口当たりの金融機関支店数が多い国は、たぶん世界中探しても他にはないと思う(ネットでいろいろ検索したが、そういうデータはないようだ)。それにはそれなりの理由がある。まず明治維新で日本が欧米列強に追い付くため(富国強兵・殖産興業政策を行うため)には近代産業を興す必要があり、その資金を広く庶民から集める必要があった。二宮金次郎の銅像を全国の小学校に設置して勤勉・節約・貯蓄を奨励する必要があった。こうして全国各地に金融機関の支店網が整備されていった。
さらに戦後、荒廃した日本産業を立て直すためには、やはり膨大な資金が必要となった。とくに吉田内閣は戦後経済の復興計画の中心を鉄鋼産業と石炭産業の二つに絞り、国民から集めた資金をこの二大産業に注ぎ込み、生産した石炭を優先的に鉄鋼生産に配分した。と同時に戦前の金融大不況期に生じた取り付け騒ぎが二度と生じないように、「弱者救済横並び」政策の典型といえる護送船団方式で金融機関同士の過度な競争を防ぐため金融機関のすみわけ(長期融資銀行・都市銀行・地方銀行・信用金庫・郵貯・農協など)も行った。そのため株式を上場していた都市銀行などの金融機関の株価もすべて500円で横並び、配当も一律という、現在では信じられないような金融機関保護政策を大蔵省は取ってきた。そうした金融機関保護政策がアメリカから批判されて護送船団方式は廃止されたのだが、明治維新以降の日本経済の歩みをたどると、実はそこからアベノミクスの失敗の原因も見えてくる。
とりあえず明治維新以降の日本経済の歩みを経済学者とは別の視点で簡単に振り返っておく。まず明治維新以降の日本政府の経済政策は欧米列強に追い付くための産業近代化を行うことにあった。そのため資金を国民から集め、資金の有効活用のため財閥を育成してきた。その近代化政策が成功して、日本は短期間でアジアの最強国になり、まず日清戦争に勝利してアジア進出の橋頭保を築いた。日本がアジアに進出すれば当然ながら南下政策をとっていたロシアと衝突する。この時期の日本外交は見事で、イギリス、アメリカとの友好関係を深めたうえで日露戦争に突入し、当時世界最強と言われていたロシアのバルチック艦隊を日本海軍が破り(日本海海戦)、多大な犠牲を出しながらロシアが制圧していた旅順も攻略し、最高の状況下でアメリカに仲裁を頼み、ポーツマス講和に持ち込んだ(一応日本の勝利とされている)。ただ、このときに膨大な犠牲を払って旅順を攻略した乃木希典が英雄視されたことが、第二次世界大戦における日本陸軍の無謀というかアホというか、世界戦争史上例を見ないバカげた作戦を続行する精神的規範をつくることになった。またこの時期の経済成長は軍需産業の拡大によって成し遂げられ、国民生活は必ずしも豊かになったわけではない。むしろ膨大な戦費を回収できず(ロシアから戦争賠償金を獲得できなかったため)、戦争中、国の政策に協力してきた国民は憤慨して各地で暴動を起こしたほどである。ただし、軍需産業の中心を担った財閥は急成長し、財閥系企業のサラリーマンはそれなりに裕福な生活を謳歌できたようだ。
日露戦争そのものは一応日本の勝利という解釈になっているが、日本にとって最大の利点になったのはロシアとの講和条約(ポーツマス条約)によって、日本が欧米列強から同列視され、徳川幕府末期に列強と結ばされた不平等条約を改正できたことである。そして第一次世界大戦で日本は日英同盟を口実に参戦し、ほとんど無手勝流で中国のドイツ拠点を占領するなど漁夫の利を得て、ようやく日本国民にも豊かさを実感できる時代が訪れた。そうした中で国民の消費活動も活発化し、さらにデモクラシー運動が盛んになり藩閥政治が崩壊して政党政治が実現するなど、いわゆる大正デモクラシーを人々が謳歌できるようになった。が、大正デモクラシーの時代はわずか10年ほどでしかなく、陸軍を中心に日本は植民地戦争の時代に突入してい行く。そして経済政策の中心も再び財閥を中心とする軍需産業に置かれ、国民には消費より節約と貯蓄が奨励されるようになっていった。このときも、日本の金融機関は国民からの軍資金集めの機関として大きな役割を果たす。
ウォール街で株価が暴落し、世界恐慌が始まったのは1929年10月24日(木)である。ニューヨーク発の大恐慌はたちまち世界中に飛び火し、世界では比較的好調な経済を謳歌していた日本も大恐慌の波に呑み込まれていく。そうした中で日本では軍部がさらに勢力を強め、2・26事件を契機に日本の軍国主義化が一気に強まっていく。日本の軍国主義化の風潮をあおったのは当時のメディア(主に新聞)だった。
そして第二次世界大戦。戦後、GHQの政策によって日本は軍需産業が壊滅させられただけでなく、鍋や釜の生産すらおぼつかない状況になった。GHQの占領政策は日本を明治維新以前の農業国家に戻してしまおうというほど過酷で、実際、軍需品だけでなく生活品の生産設備も日本が占領した地域への賠償金代わりに取り上げてしまおうという計画までしていた(さすがにこの計画は米本国政府の「やりすぎだ」という批判で潰されたが)。そういう中で、すでに述べたように吉田内閣は戦後経済の復興の中心を鉄鋼と石炭に据えるという傾斜生産方式を採用、この二大産業が立ち直り始めたときに朝鮮動乱が始まった。日本に駐留していた米軍の大半が朝鮮に動員され、鉄鋼を大量に必要とする造船業界がまずその恩恵を被り、さらに関連産業分野に波及するようになって、いわゆる朝鮮戦争特需で日本産業界は復興への第1歩を踏み出す。
が、朝鮮特需はそう長くは続かなかった。アメリカは朝鮮有事の際、日本を防衛できなくなったという現実から日本の独立を急ぎだし、1951年9月4日、サンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約を締結、日本に再軍備を求めだす。なぜか、日本政府は日本が主権を回復した9月4日を国民の祝日にせず、例年、主権回復の行事も行っていない。そして朝鮮戦争が53年7月27日、休戦に至ると戦争特需に沸いていた日本経済は一気に不況に突入する。特需で復興への足掛かりをつかんだとはいえ、産業基盤はまだまだ脆弱で民間の資本蓄積も浅く、庶民の生活はまだまだ苦しい状態が続いていた。
が、この時期の日本政府の経済のかじ取りは見事だった。53年度の『経済白書』は「投資景気から消費景気へ」とうたい上げ、内需の拡大に経済政策の中心を切り替えたのだ。また戦争特需はなくなったが、この間に整備された日本の工業生産設備が輸出と内需を支え、56年度の『経済白書』は「もはや戦後ではない」と高らかに宣言した。ある意味では戦争ですべてを失ったことが、この時期の好景気(神武景気)を支え、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の「3種の神器」が内需拡大の最大の柱になったと言えなくもない。またこの時期の内需拡大を可能にしたのは戦後導入された高額所得層には過酷だった超累進課税(シャウプ税制)であり、所得格差が世界で最も少ない状況にあったことも、「3種の神器」が急速に一般家庭に広まった最大の理由である。この時期、日本は高度経済成長期に突入しており、岸内閣の後を継いだ池田内閣の「所得倍増計画」が日本の高度経済成長の引き金を引いたわけではない。経済学者よ、もっと勉強しろ‼
以降、日本政府の経済政策は基本的に輸出振興と内需拡大の双方を、バランスを取りながら推進していくという成長戦略をとってきた。そうした経済政策を一変させたのが竹下内閣による消費税導入と高額所得層に対する課税緩和だった。この時期まで日本は「世界で最も成功した社会主義国」(ソ連・ゴルバチョフ)と称され、また「日本は資本主義国ではなく人本主義国家だ」といった議論も巻き起こっていた。実際それまでの東証一部上場企業のトップと新入社員の給与格差はせいぜい数十倍くらいしかなく、竹下内閣は「高額所得者が仕事に対するやる気を失う」といった屁理屈をつけて1089年4月1日、累進税制の緩和と同時に消費税3%を導入したのである。その結果、富裕層の急増した余裕資産がバブル景気を招いたと言える(ピケティの格差拡大論が完全に証明された好例)。その後、橋本内閣による消費税5%と累進税制のさらなる緩和で、かつて「世界で最も成功した社会主義国」だったはずの日本の所得格差は急激に広がり、バブル崩壊と同時に内需も急激に冷え込み、「失われた20年」の時代に突入する。
行き過ぎたバブル経済は確かに修正する必要があったが、大蔵省の総量規制と日銀(三重野総裁)の急激な金融引き締めというダブルパンチによって、日本経済は壊滅的な打撃を受ける。なおこの時期、日銀・三重野総裁を「平成の鬼平」と持ち上げたバカな自称「経済評論家」がいたが、バブルをあおった長谷川慶太郎を神様扱いしたのがメディアなら、三重野総裁をヒーローに仕立てたバカ評論家をよいしょしたのも当時のメディア(主に民法)だった。身代わりの速さを得意とするメディアの真骨頂といえよう。
そうした状況とは無関係に、ケインズもマルクスも経済政策で想定していなかった事態が先進国で急速に進みだしていた。「少子化」と「高齢化社会」である。「少子高齢化」といわれるが、これは一緒くたにはできない現象である。たまたま同時期に進行しただけのことで、対策も別々に考えないとおかしくなる。まず少子化の原因だが、あえて誤解を恐れずに書くが、日本に限らず先進国で女性の高学歴化が急速に進んだことによる。実際、私のような高齢者の方は子供のころを思い出していただきたい。小学校や中学校の女子同級生で大学まで進学した女性が何人いたか。いま4大卒の男女比を見ると差は4%に縮まり、短大まで含めると女性の方が高学歴化しているのだ。女性も高い能力と知識を持って社会に出たら、子育てや家事より社会で活躍する機会を重視するのは当たり前である。「少子化対策」として保育園をつくることに反対するわけではないが、女性は社会に復帰したいから幼子を保育園に預けたいのである。確かに核家族化の進行によって2人、3人と子供を育てることは容易ではなくなったという事情もあるが、2人目、3人目の子供ができた女性の1人目、2人目の子供を優先的に預かるという入園制度にしないと、「少子化対策」とか「子育て支援」といった名目は、実際には「女性の社会復帰支援」でしかない。そういう女性の子供は排除しろというのではないが、社会復帰のために子供を保育園に預けたいという場合は料金も幼稚園並みにした方がいい、と私は考えている。
「高齢化社会」というのも、日本に限らず先進国の人口構成がピラミッド型ではなく、逆三角形に近い状態になっていることを意味する。私はこれまでも人口構成を地上2階、地下1階にたとえたブログを書いてきたが、地上1階の住民は現役世代(仕事をして収入がある高齢者も含む)、2階の住民は収入が年金だけの高齢者や生活保護を受けている人、地下の住民は赤ちゃんから学生まで1階の現役世代に扶養されている人。そう考えれば将来の日本がどういう状態に陥るか手に取るように見える。
少なくとも私たち、いま2階の住民は1階の住民だった現役世代、太い柱で2階の住民の生活を支えてきた。そういう意味では2階に上がった今、私たちの生活は1階の現役世代の方たちに支えてもらう権利があるはずだ。が、私たちが1階で2階の住民の生活を支えてきた時代には、2階を十分に支え切れるだけの太い柱を作ってきた。いま2階を支える柱がどんどん細くなっている。それでも私の年代は何とか持つだろうと思っているが、「団塊の世代」がすでに中2階まできている。彼らが2階に上がった時、果たして柱は2階を支えられるだろうか。もっと深刻なのは、いま1階で必死に2階の住民を支えている現役世代が2階に上がった時、当然地下の住民が1階に上がって現在の現役世代を支えることになるのだが、はっきり言って絶対に不可能である。政治はそういう事態と正面から向き合わなければならない。いま日本はそういう状態に直面していることを、国民に正直に伝え、明確な答えを出さなければならない。安倍総理はその任に応えているだろうか。
昨年アメリカ発のMMT(現代貨幣理論)が話題になった時期がある。MMT推奨者の第一人者であるニューヨーク州立大学のケルトン教授らの説によれば「独自通貨を発行している国は財政赤字を恐れる必要は全くない。現に巨額の財政赤字を抱えている日本はどんどん赤字国債を発行しているが、インフレにはならず金利も上昇していない。日本はMMTの成功例だ。万一ハイパーインフレになれば金融を引き締めれば解決できる」という理論だが、一応日本政府も「MMTには与しない」と否定的だが、「れいわ新撰組」代表の山本太郎氏がべたぼれするなど火種が完全に消えたわけではない。はっきり言えばアベノミクスはMMTの実践例であり、しかも成功例ではなく失敗例だ。異次元の金融緩和策と日銀・黒田総裁が自負した超金融緩和策でも内需は回復せず、この稿の冒頭で書いたように金融機関が大きなダメージを受けている。はたしてアベノミクスがMMTの成功例といえるだろうか。
もっとも日本の金融機関の役割は明治維新後の日本近代化のための資金集めや、第二次世界大戦後の復興資金集めの役割は終わり、預金が増えれば増えるほど経営が苦しくなる状態にある。これまでのように国民から広く預金を集め、その資金力で企業の成長を支えるための融資という金融機関本来の使命の必要性は今はほとんどない。いま金融機関にとって多少でも儲かるビジネスはサラ金と住宅ローンくらいしかない。いまは都心のタワービル・ラッシュで資金需要は増えているが、いつタワービル・バブルがはじけるか、金融機関はひやひやしている。外国人観光客もいまは増えているが、外国人の日本観光ブームもいつ終焉するか分かったものではない。ブームというのはいつかは必ず消滅するものであり(もちろんいつ消滅するかは神のみぞ知ることだが)、永遠に続くなどと考えて都市計画を考えたり、さらに外国人観光客を呼び込もうとカジノを含むIR計画を推進するなど、バカの骨頂といってもいい。
ちょっと話が横道にそれたが、アベノミクスは間違いなくMMTの実践である。際限なく赤字国債を発行して公共工事を増やすことで景気回復を図ろうとしているが、現役世代の賃金が上昇しないことには内需は増えない。デフレかインフレかは需要と供給のシーソーみたいなものだ。資本主義の理論的支柱であるアダム・スミスの「神の見えざる手」は競争原理によってシーソーが一方に傾きすぎたら振り子原理が働いて需給関係のバランスが自然に回復するという考えだが、必ずしも実証されたとは言えない。あるいはマルクスが主張したように経済政策によってシーソーのバランスをとるべきなのか(いわゆる計画経済)。ただ言えることは資本主義経済は何度もシーソーのバランスを崩した経験をしており、いまは資本主義国政府も完全自由競争主義ではなく、多少計画経済的要素も経済政策に取り入れざるを得なくなっていることは事実だ。が、マルクスが主張したように計画的に需給関係のバランスを取ろうとすると競争原理が働かなくなるため、あらゆる経済分野や技術開発分野などで進歩がストップする。中国が先端技術産業分野を中心に市場経済原理を取り入れたのは、競争原理を働かせないと中国企業は勝てないとわかったからだ。その結果、中国経済は社会主義でも資本主義でもなく、混合経済体制になっている。必然的に競争社会の厳しさにさらされない国営企業は弱体化し、共産党政府による支援がなければ存続が危うい状態になり、その点をトランプから攻撃されている。
日本に関して言えば、私自身はピケティが主張したように、格差社会を是正して最大の需要層である現役世代の所得を増やし、内需を拡大するためには、シャウプ税制ほど過酷ではなくても累進課税の強化や相続税の累進税化などによって、富の分配方法にもう少し社会主義的要素を入れないと、日本社会は崩壊しかねないのではないかと心配している。ピケティ理論については、累進課税を強化して高額所得層の課税率を高めたら、高額所得層が税率の安い他国に逃げ出すだろうという批判があるが、ではシャウプ税制時代、松下幸之助や本田宗一郎氏など日本の高度経済成長を創出した方たちが、税金の安い他国に逃げ出しただろうか。
ただし、富の再分配方法は所得税だけではない。私はかつて、安倍政権が成立した時に書いたブログで、相続税と贈与税の関係を逆転させるべきだと主張したことがある。相続税を高くして贈与税を安くすれば、豊富な資金を消費に回さず資産の拡大のためにしか使わない高齢者のかねが、子供や孫に移行すれば内需が回復すると書いたのだが、安倍内閣は孫の教育資金というしと限定で贈与税を免除することにした。そんなことをすれば富裕層の家族の子供とそうでない子供との間の教育格差が拡大するばかりで、漁夫の利を得るのは学習塾だけである。政策に哲学がなく、思い付き的に選挙の時の1票につながりそうなことばかりやっていると、日本社会はどうなる?
いずれにしても日本の金融機関は、その時々の政府の政策に振り回されてきた。世界に例をみないほど全国各地に金融機関の支店が乱立し、貯金獲得競争に明け暮れた時代はもう来ない。安倍内閣は昨年10月の消費税増税とタイミングを合わせて買い物の際のキャッシュレス化を進めようとしているが、なかなか思うようにはいっていない。ATMが至る所に設置され、クレジットカードや電子マネーカードを持ち歩くより現金決済の方が便利でリスクも少ないからだ。ま、政府の本音は消費者や外国人観光客の利便性向上ではなく、益税小売業者のあぶり出しにあると私は思っているが、零細小売業者の方もバカではない。日本では地域ごとに商店連合会があるが、キャッシュレス決済によるポイント還元を申し込むかどうかは個々の店舗ごとではなく、商店連合会で話し合い、横並びで決めているようだ。いいか悪いかは別にして横並び社会は戦後経済政策のレガシーの一つと言ってもいいかもしれない。そういう意味では今窮地に追い込まれている金融機関も、すでに横並び社会は崩壊しているのだから、本格的に店舗の統廃合を進めるべき時期に来ているのかもしれない。
三菱UFJだけではない。みずほや三井住友などメガバンクは一斉に窓口での送金(振り込み)手数料を引き上げたり、コンビニATMの手数料を値上げあるいは手数料無料の月間回数を少なくしたり、経費削減に必死だ。一時は店舗の統廃合を進めて大幅な人員削減を行う計画も公表されていたが、どの程度合理化が進んでいるかはわからない。
前にもブログで書いたが、日本ほど人口当たりの金融機関支店数が多い国は、たぶん世界中探しても他にはないと思う(ネットでいろいろ検索したが、そういうデータはないようだ)。それにはそれなりの理由がある。まず明治維新で日本が欧米列強に追い付くため(富国強兵・殖産興業政策を行うため)には近代産業を興す必要があり、その資金を広く庶民から集める必要があった。二宮金次郎の銅像を全国の小学校に設置して勤勉・節約・貯蓄を奨励する必要があった。こうして全国各地に金融機関の支店網が整備されていった。
さらに戦後、荒廃した日本産業を立て直すためには、やはり膨大な資金が必要となった。とくに吉田内閣は戦後経済の復興計画の中心を鉄鋼産業と石炭産業の二つに絞り、国民から集めた資金をこの二大産業に注ぎ込み、生産した石炭を優先的に鉄鋼生産に配分した。と同時に戦前の金融大不況期に生じた取り付け騒ぎが二度と生じないように、「弱者救済横並び」政策の典型といえる護送船団方式で金融機関同士の過度な競争を防ぐため金融機関のすみわけ(長期融資銀行・都市銀行・地方銀行・信用金庫・郵貯・農協など)も行った。そのため株式を上場していた都市銀行などの金融機関の株価もすべて500円で横並び、配当も一律という、現在では信じられないような金融機関保護政策を大蔵省は取ってきた。そうした金融機関保護政策がアメリカから批判されて護送船団方式は廃止されたのだが、明治維新以降の日本経済の歩みをたどると、実はそこからアベノミクスの失敗の原因も見えてくる。
とりあえず明治維新以降の日本経済の歩みを経済学者とは別の視点で簡単に振り返っておく。まず明治維新以降の日本政府の経済政策は欧米列強に追い付くための産業近代化を行うことにあった。そのため資金を国民から集め、資金の有効活用のため財閥を育成してきた。その近代化政策が成功して、日本は短期間でアジアの最強国になり、まず日清戦争に勝利してアジア進出の橋頭保を築いた。日本がアジアに進出すれば当然ながら南下政策をとっていたロシアと衝突する。この時期の日本外交は見事で、イギリス、アメリカとの友好関係を深めたうえで日露戦争に突入し、当時世界最強と言われていたロシアのバルチック艦隊を日本海軍が破り(日本海海戦)、多大な犠牲を出しながらロシアが制圧していた旅順も攻略し、最高の状況下でアメリカに仲裁を頼み、ポーツマス講和に持ち込んだ(一応日本の勝利とされている)。ただ、このときに膨大な犠牲を払って旅順を攻略した乃木希典が英雄視されたことが、第二次世界大戦における日本陸軍の無謀というかアホというか、世界戦争史上例を見ないバカげた作戦を続行する精神的規範をつくることになった。またこの時期の経済成長は軍需産業の拡大によって成し遂げられ、国民生活は必ずしも豊かになったわけではない。むしろ膨大な戦費を回収できず(ロシアから戦争賠償金を獲得できなかったため)、戦争中、国の政策に協力してきた国民は憤慨して各地で暴動を起こしたほどである。ただし、軍需産業の中心を担った財閥は急成長し、財閥系企業のサラリーマンはそれなりに裕福な生活を謳歌できたようだ。
日露戦争そのものは一応日本の勝利という解釈になっているが、日本にとって最大の利点になったのはロシアとの講和条約(ポーツマス条約)によって、日本が欧米列強から同列視され、徳川幕府末期に列強と結ばされた不平等条約を改正できたことである。そして第一次世界大戦で日本は日英同盟を口実に参戦し、ほとんど無手勝流で中国のドイツ拠点を占領するなど漁夫の利を得て、ようやく日本国民にも豊かさを実感できる時代が訪れた。そうした中で国民の消費活動も活発化し、さらにデモクラシー運動が盛んになり藩閥政治が崩壊して政党政治が実現するなど、いわゆる大正デモクラシーを人々が謳歌できるようになった。が、大正デモクラシーの時代はわずか10年ほどでしかなく、陸軍を中心に日本は植民地戦争の時代に突入してい行く。そして経済政策の中心も再び財閥を中心とする軍需産業に置かれ、国民には消費より節約と貯蓄が奨励されるようになっていった。このときも、日本の金融機関は国民からの軍資金集めの機関として大きな役割を果たす。
ウォール街で株価が暴落し、世界恐慌が始まったのは1929年10月24日(木)である。ニューヨーク発の大恐慌はたちまち世界中に飛び火し、世界では比較的好調な経済を謳歌していた日本も大恐慌の波に呑み込まれていく。そうした中で日本では軍部がさらに勢力を強め、2・26事件を契機に日本の軍国主義化が一気に強まっていく。日本の軍国主義化の風潮をあおったのは当時のメディア(主に新聞)だった。
そして第二次世界大戦。戦後、GHQの政策によって日本は軍需産業が壊滅させられただけでなく、鍋や釜の生産すらおぼつかない状況になった。GHQの占領政策は日本を明治維新以前の農業国家に戻してしまおうというほど過酷で、実際、軍需品だけでなく生活品の生産設備も日本が占領した地域への賠償金代わりに取り上げてしまおうという計画までしていた(さすがにこの計画は米本国政府の「やりすぎだ」という批判で潰されたが)。そういう中で、すでに述べたように吉田内閣は戦後経済の復興の中心を鉄鋼と石炭に据えるという傾斜生産方式を採用、この二大産業が立ち直り始めたときに朝鮮動乱が始まった。日本に駐留していた米軍の大半が朝鮮に動員され、鉄鋼を大量に必要とする造船業界がまずその恩恵を被り、さらに関連産業分野に波及するようになって、いわゆる朝鮮戦争特需で日本産業界は復興への第1歩を踏み出す。
が、朝鮮特需はそう長くは続かなかった。アメリカは朝鮮有事の際、日本を防衛できなくなったという現実から日本の独立を急ぎだし、1951年9月4日、サンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約を締結、日本に再軍備を求めだす。なぜか、日本政府は日本が主権を回復した9月4日を国民の祝日にせず、例年、主権回復の行事も行っていない。そして朝鮮戦争が53年7月27日、休戦に至ると戦争特需に沸いていた日本経済は一気に不況に突入する。特需で復興への足掛かりをつかんだとはいえ、産業基盤はまだまだ脆弱で民間の資本蓄積も浅く、庶民の生活はまだまだ苦しい状態が続いていた。
が、この時期の日本政府の経済のかじ取りは見事だった。53年度の『経済白書』は「投資景気から消費景気へ」とうたい上げ、内需の拡大に経済政策の中心を切り替えたのだ。また戦争特需はなくなったが、この間に整備された日本の工業生産設備が輸出と内需を支え、56年度の『経済白書』は「もはや戦後ではない」と高らかに宣言した。ある意味では戦争ですべてを失ったことが、この時期の好景気(神武景気)を支え、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の「3種の神器」が内需拡大の最大の柱になったと言えなくもない。またこの時期の内需拡大を可能にしたのは戦後導入された高額所得層には過酷だった超累進課税(シャウプ税制)であり、所得格差が世界で最も少ない状況にあったことも、「3種の神器」が急速に一般家庭に広まった最大の理由である。この時期、日本は高度経済成長期に突入しており、岸内閣の後を継いだ池田内閣の「所得倍増計画」が日本の高度経済成長の引き金を引いたわけではない。経済学者よ、もっと勉強しろ‼
以降、日本政府の経済政策は基本的に輸出振興と内需拡大の双方を、バランスを取りながら推進していくという成長戦略をとってきた。そうした経済政策を一変させたのが竹下内閣による消費税導入と高額所得層に対する課税緩和だった。この時期まで日本は「世界で最も成功した社会主義国」(ソ連・ゴルバチョフ)と称され、また「日本は資本主義国ではなく人本主義国家だ」といった議論も巻き起こっていた。実際それまでの東証一部上場企業のトップと新入社員の給与格差はせいぜい数十倍くらいしかなく、竹下内閣は「高額所得者が仕事に対するやる気を失う」といった屁理屈をつけて1089年4月1日、累進税制の緩和と同時に消費税3%を導入したのである。その結果、富裕層の急増した余裕資産がバブル景気を招いたと言える(ピケティの格差拡大論が完全に証明された好例)。その後、橋本内閣による消費税5%と累進税制のさらなる緩和で、かつて「世界で最も成功した社会主義国」だったはずの日本の所得格差は急激に広がり、バブル崩壊と同時に内需も急激に冷え込み、「失われた20年」の時代に突入する。
行き過ぎたバブル経済は確かに修正する必要があったが、大蔵省の総量規制と日銀(三重野総裁)の急激な金融引き締めというダブルパンチによって、日本経済は壊滅的な打撃を受ける。なおこの時期、日銀・三重野総裁を「平成の鬼平」と持ち上げたバカな自称「経済評論家」がいたが、バブルをあおった長谷川慶太郎を神様扱いしたのがメディアなら、三重野総裁をヒーローに仕立てたバカ評論家をよいしょしたのも当時のメディア(主に民法)だった。身代わりの速さを得意とするメディアの真骨頂といえよう。
そうした状況とは無関係に、ケインズもマルクスも経済政策で想定していなかった事態が先進国で急速に進みだしていた。「少子化」と「高齢化社会」である。「少子高齢化」といわれるが、これは一緒くたにはできない現象である。たまたま同時期に進行しただけのことで、対策も別々に考えないとおかしくなる。まず少子化の原因だが、あえて誤解を恐れずに書くが、日本に限らず先進国で女性の高学歴化が急速に進んだことによる。実際、私のような高齢者の方は子供のころを思い出していただきたい。小学校や中学校の女子同級生で大学まで進学した女性が何人いたか。いま4大卒の男女比を見ると差は4%に縮まり、短大まで含めると女性の方が高学歴化しているのだ。女性も高い能力と知識を持って社会に出たら、子育てや家事より社会で活躍する機会を重視するのは当たり前である。「少子化対策」として保育園をつくることに反対するわけではないが、女性は社会に復帰したいから幼子を保育園に預けたいのである。確かに核家族化の進行によって2人、3人と子供を育てることは容易ではなくなったという事情もあるが、2人目、3人目の子供ができた女性の1人目、2人目の子供を優先的に預かるという入園制度にしないと、「少子化対策」とか「子育て支援」といった名目は、実際には「女性の社会復帰支援」でしかない。そういう女性の子供は排除しろというのではないが、社会復帰のために子供を保育園に預けたいという場合は料金も幼稚園並みにした方がいい、と私は考えている。
「高齢化社会」というのも、日本に限らず先進国の人口構成がピラミッド型ではなく、逆三角形に近い状態になっていることを意味する。私はこれまでも人口構成を地上2階、地下1階にたとえたブログを書いてきたが、地上1階の住民は現役世代(仕事をして収入がある高齢者も含む)、2階の住民は収入が年金だけの高齢者や生活保護を受けている人、地下の住民は赤ちゃんから学生まで1階の現役世代に扶養されている人。そう考えれば将来の日本がどういう状態に陥るか手に取るように見える。
少なくとも私たち、いま2階の住民は1階の住民だった現役世代、太い柱で2階の住民の生活を支えてきた。そういう意味では2階に上がった今、私たちの生活は1階の現役世代の方たちに支えてもらう権利があるはずだ。が、私たちが1階で2階の住民の生活を支えてきた時代には、2階を十分に支え切れるだけの太い柱を作ってきた。いま2階を支える柱がどんどん細くなっている。それでも私の年代は何とか持つだろうと思っているが、「団塊の世代」がすでに中2階まできている。彼らが2階に上がった時、果たして柱は2階を支えられるだろうか。もっと深刻なのは、いま1階で必死に2階の住民を支えている現役世代が2階に上がった時、当然地下の住民が1階に上がって現在の現役世代を支えることになるのだが、はっきり言って絶対に不可能である。政治はそういう事態と正面から向き合わなければならない。いま日本はそういう状態に直面していることを、国民に正直に伝え、明確な答えを出さなければならない。安倍総理はその任に応えているだろうか。
昨年アメリカ発のMMT(現代貨幣理論)が話題になった時期がある。MMT推奨者の第一人者であるニューヨーク州立大学のケルトン教授らの説によれば「独自通貨を発行している国は財政赤字を恐れる必要は全くない。現に巨額の財政赤字を抱えている日本はどんどん赤字国債を発行しているが、インフレにはならず金利も上昇していない。日本はMMTの成功例だ。万一ハイパーインフレになれば金融を引き締めれば解決できる」という理論だが、一応日本政府も「MMTには与しない」と否定的だが、「れいわ新撰組」代表の山本太郎氏がべたぼれするなど火種が完全に消えたわけではない。はっきり言えばアベノミクスはMMTの実践例であり、しかも成功例ではなく失敗例だ。異次元の金融緩和策と日銀・黒田総裁が自負した超金融緩和策でも内需は回復せず、この稿の冒頭で書いたように金融機関が大きなダメージを受けている。はたしてアベノミクスがMMTの成功例といえるだろうか。
もっとも日本の金融機関の役割は明治維新後の日本近代化のための資金集めや、第二次世界大戦後の復興資金集めの役割は終わり、預金が増えれば増えるほど経営が苦しくなる状態にある。これまでのように国民から広く預金を集め、その資金力で企業の成長を支えるための融資という金融機関本来の使命の必要性は今はほとんどない。いま金融機関にとって多少でも儲かるビジネスはサラ金と住宅ローンくらいしかない。いまは都心のタワービル・ラッシュで資金需要は増えているが、いつタワービル・バブルがはじけるか、金融機関はひやひやしている。外国人観光客もいまは増えているが、外国人の日本観光ブームもいつ終焉するか分かったものではない。ブームというのはいつかは必ず消滅するものであり(もちろんいつ消滅するかは神のみぞ知ることだが)、永遠に続くなどと考えて都市計画を考えたり、さらに外国人観光客を呼び込もうとカジノを含むIR計画を推進するなど、バカの骨頂といってもいい。
ちょっと話が横道にそれたが、アベノミクスは間違いなくMMTの実践である。際限なく赤字国債を発行して公共工事を増やすことで景気回復を図ろうとしているが、現役世代の賃金が上昇しないことには内需は増えない。デフレかインフレかは需要と供給のシーソーみたいなものだ。資本主義の理論的支柱であるアダム・スミスの「神の見えざる手」は競争原理によってシーソーが一方に傾きすぎたら振り子原理が働いて需給関係のバランスが自然に回復するという考えだが、必ずしも実証されたとは言えない。あるいはマルクスが主張したように経済政策によってシーソーのバランスをとるべきなのか(いわゆる計画経済)。ただ言えることは資本主義経済は何度もシーソーのバランスを崩した経験をしており、いまは資本主義国政府も完全自由競争主義ではなく、多少計画経済的要素も経済政策に取り入れざるを得なくなっていることは事実だ。が、マルクスが主張したように計画的に需給関係のバランスを取ろうとすると競争原理が働かなくなるため、あらゆる経済分野や技術開発分野などで進歩がストップする。中国が先端技術産業分野を中心に市場経済原理を取り入れたのは、競争原理を働かせないと中国企業は勝てないとわかったからだ。その結果、中国経済は社会主義でも資本主義でもなく、混合経済体制になっている。必然的に競争社会の厳しさにさらされない国営企業は弱体化し、共産党政府による支援がなければ存続が危うい状態になり、その点をトランプから攻撃されている。
日本に関して言えば、私自身はピケティが主張したように、格差社会を是正して最大の需要層である現役世代の所得を増やし、内需を拡大するためには、シャウプ税制ほど過酷ではなくても累進課税の強化や相続税の累進税化などによって、富の分配方法にもう少し社会主義的要素を入れないと、日本社会は崩壊しかねないのではないかと心配している。ピケティ理論については、累進課税を強化して高額所得層の課税率を高めたら、高額所得層が税率の安い他国に逃げ出すだろうという批判があるが、ではシャウプ税制時代、松下幸之助や本田宗一郎氏など日本の高度経済成長を創出した方たちが、税金の安い他国に逃げ出しただろうか。
ただし、富の再分配方法は所得税だけではない。私はかつて、安倍政権が成立した時に書いたブログで、相続税と贈与税の関係を逆転させるべきだと主張したことがある。相続税を高くして贈与税を安くすれば、豊富な資金を消費に回さず資産の拡大のためにしか使わない高齢者のかねが、子供や孫に移行すれば内需が回復すると書いたのだが、安倍内閣は孫の教育資金というしと限定で贈与税を免除することにした。そんなことをすれば富裕層の家族の子供とそうでない子供との間の教育格差が拡大するばかりで、漁夫の利を得るのは学習塾だけである。政策に哲学がなく、思い付き的に選挙の時の1票につながりそうなことばかりやっていると、日本社会はどうなる?
いずれにしても日本の金融機関は、その時々の政府の政策に振り回されてきた。世界に例をみないほど全国各地に金融機関の支店が乱立し、貯金獲得競争に明け暮れた時代はもう来ない。安倍内閣は昨年10月の消費税増税とタイミングを合わせて買い物の際のキャッシュレス化を進めようとしているが、なかなか思うようにはいっていない。ATMが至る所に設置され、クレジットカードや電子マネーカードを持ち歩くより現金決済の方が便利でリスクも少ないからだ。ま、政府の本音は消費者や外国人観光客の利便性向上ではなく、益税小売業者のあぶり出しにあると私は思っているが、零細小売業者の方もバカではない。日本では地域ごとに商店連合会があるが、キャッシュレス決済によるポイント還元を申し込むかどうかは個々の店舗ごとではなく、商店連合会で話し合い、横並びで決めているようだ。いいか悪いかは別にして横並び社会は戦後経済政策のレガシーの一つと言ってもいいかもしれない。そういう意味では今窮地に追い込まれている金融機関も、すでに横並び社会は崩壊しているのだから、本格的に店舗の統廃合を進めるべき時期に来ているのかもしれない。