一般的にはアベノミクスに対する評価はプラス・マイナス相半ばといった感じかもしれない。プラス面はコロナ禍に襲われるまでは雇用が大幅に増え失業率が改善したこと、民主党政権下では停滞していた日経平均が2万円台に回復したことが挙げられている。上場企業の利益がこの間、2.1倍に拡大したこともあげられよう。
いっぽうマイナス面は増えた雇用の大半は非正規社員であり、そのため従業員の平均給与はかえって減少し消費があまり増えなかったこと、東京一極集中が加速し地方経済の疲弊が進んでいること、などがあげられている。
そこでまずアベノミクスは何を目的にして、その実現のためにどういう経済政策をとったのか、という原点から検証しよう。
●アベノミクスの「3本の矢」とは…
安倍前総理が「リーマン・ショック今日の大問題が生じない限り」と、消費税10%への増税を1年前に行ったときは、だれもコロナ・パンデミック(世界的大流行)を予想していなかったし、「自然災害」みたいなものだから、それによる経済停滞をアベノミクスのせいには誰もしていない。が、コロナ・パンデミックがなかったとしても、アベノミクスは絶対に成功しえない経済政策だった。その理由は大きく分けて二つある。
そもそもアベノミクスとはどういう経済政策だったのか。「3本の矢」と言われているが、最初は①「日銀の金融緩和」(国債買い入れによる通貨発行量の増大+低金利政策)によって輸出企業の国際競争力強化+設備投資の活性化を図ること、②「大胆な財政出動」(国債発行で得た政府資金で公共事業を行う)によって建設業界とそのすそ野産業の活性化を図る、の2本だった。この二つの景気刺激策だけでは「失われた20年」と言われ冷え込んだ経済活動を活性化することは難しいということで、のちに3本目の「成長戦略」が付け加えられた。実際に日本経済に大きな影響を与えた第1の矢から検証していこう。
第1の矢についてアベノミクスが描いたスケッチは、【金融緩和→円安→輸出製品の国際競争力回復→輸出増大→設備投資活性化+雇用拡大+賃金上昇→給与所得層の可処分所得増加→需要拡大→デフレ脱却】である。さらに副次的効果として【金融緩和→円安→輸入製品価格の上昇→物価上昇(原材料の高騰による国内製造コストアップ+自動車やブランド輸入品の価格上昇)→消費者物価上昇→デフレ脱却】も期待された。つまりアベノミクスの第1の矢はモノレールのような1本軌道ではなく、電車のような2本軌道の経済政策だったのである。
確かに「黒田バズーカ砲」と呼ばれた金融緩和政策は当初、それなりに効果を発揮した。民主党政権下の円高基調が一変して円安基調になり、一時は円相場は120円台を回復、自動車や電機など輸出企業は軒並み国際競争力を回復した。が、その後はアベノミクスのシナリオ通りに事は進まなかった。
円安で輸出製品の国際競争力を回復させたのは、ドル建て輸出価格に為替相場を反映させ、メーカーが輸出量を増やす(つまり生産量を増やす)ことに本来の目的があった。自動車メーカーや電機メーカーが政府の期待通り輸出価格を引き下げて輸出を増大(当然、生産量も増大)していれば、アベノミクスは「絵に描いた餅」にはならずに済んだ。が、輸出メーカーはドル建て輸出価格を引き下げず、据え置いた。当然、国際競争力は回復しない。輸出量が増えないから設備投資も必要ないし、雇用の拡大も生じない。
その結果、輸出企業は輸出が増えないのに為替差益で内部留保だけは膨らんだ。そのうえ政府は企業の設備投資活性化を期待して法人税まで引き下げたが、肝心の企業は設備投資にそっぽを向き続けた。日本の特殊な事情が働いたためだが、いまはそのことに触れない。
厳密にいうと、メーカーは設備投資に完全に背を向けたわけではない。製品の品質向上やコストダウンのためのIT関連投資は積極的に行った。が、アベノミクスが期待した生産拡大のための設備投資にはそっぽを向き続けた。そのためいったんは円安に振れた為替相場も、再び円高基調に戻ってしまった。日銀は安倍総理のご機嫌取りのために何度も「黒田バズーカ砲」を撃ち続け、禁断のマイナス金利政策にまで踏み込んで金融機関を塗炭の苦しみに追い込んだが、すべて空振りに終わった。そしてもはや撃つ弾もなくなり、口先だけの「バズーカ砲」つまり空砲になってしまった。なぜか。
輸出企業がなぜ「笛を吹いても踊らなかったのか」。その理由は大きく二つある。一つは世界のマーケットがゼロ・サムどころかマイナス・サム状態に突入したからである。もう一つは「日本型資本主義」の特殊性にある。「アベノミクスが絶対成功しない経済政策」である二つの理由とは、このことを意味する。
●トランプ大統領が「世界貿易戦争」を始めた理由
最近「ゼロサム・ゲーム」というのがオンライン・ゲームでブームになっているようだが、アナログ・ゲームの麻雀がゼロサム・ゲームの典型である。ゼロサム・ゲームはゲームの参加者の勝ち側と負け側の得失点が同じゲームのことを指すらしいが、もともとは需要が伸びなくなり市場での競争がシェアの奪い合いになったことを「ゼロ・サム」と言い出したのが最初である。もっとはっきり言えばマーケットが飽和状態になり需要が伸びなくなると、その市場で1社の製品がヒットすれば、他社が割を食う状態のことである。
日本では自動車や家電製品、スマホやパソコンなどのIT商品は供給過多市場になっている。つまりゼロ・サムどころかマイナス・サム状態になっている。
だからメーカーは国際競争力が回復しても、リスクが大きい生産増強には踏み切れないのだ。アメリカでも、トランプが輸入自動車に高率関税をかけた自国の自動車産業の競争力を回復させたにもかかわらず、GMが北米の5工場を閉鎖したのはマイナス・サム世界での生き残りのためだった。
かつて日本がバブル景気に沸いていた1989年5月、日米構造協議が始まった。対日貿易赤字に苦しんでいたアメリカが対日輸出を増やすことを目的として、対日輸出を阻んでいる日本の関税・非関税障壁をなくすよう日本側に迫り、日米が(アメリカは商務省が、日本は通産省=当時)が真っ向から激突、1年余をかけた貿易交渉である。この協議でアメリカ側はおおよそ、以下のように主張した。
「消費者向け、産業用を問わずアメリカ製品は価格・品質の面で高い競争力を持っている。にもかかわらず先進国の中で日本だけはアメリカ製品の競争力が正当に発揮できない。それは日本の行政が消費者中心ではなく、かつ排他的だからだ。日本の市場が開かれたフェアなものになれば、米製品は日本市場で正当な競争力を発揮できるはずだ」
もちろん日本の通産省も黙っていない。
「日本の市場は決して閉鎖的ではない。現に自動車などドイツ車は日本でもかなり売れている。ドイツの自動車メーカーは日本向けに右ハンドル車を作っている。が、アメリカの自動車メーカーはアメリカ仕様の左ハンドル車を買えと言う。日本の自動車メーカーはアメリカ向けには左ハンドル車を輸出している。アメリカ・メーカーの努力不足だ」
「それにアメリカ企業は四半期決算で、目先のことしか考えていない。日本企業は長期的視野で投資している」
が、アメリカ側は日本市場の閉鎖性を事細かく突いてきた。なかでも公共事業への外国企業の参入規制、農畜産物の関税障壁、大店法による自由な販売競争の阻害などだ。
「日本の行政は生産者保護に重点を置いている。農畜産物の輸入規制を撤廃すれば、日本の消費者は毎週ステーキを食べることができるし、大店法を撤廃すれば、競争原理が働いて日本の消費者はもっと安くていいものが買えるようになる」と。
このアメリカ商務省のレトリックを日本のメディアが支持した。その結果、大店法は廃止され、ウルグアイ・ラウンドではコメの輸入(ミニマム・アクセス)が義務付けられることになる。
いま郊外の駅前商店街がどういう状態になっているかは、私がいまさら言うまでもないだろう。が、私が言いたいのは、その当時のアメリカのグローバリズムはそういう姿勢だったということだ。
トランプはアメリカの生産者を守るために世界中を相手に貿易戦争を始めた。当然、アメリカの消費者にとっては、高いアメリカ製品を買わされることになるから不利益を被る。つまり、日米構造協議の時と、アメリカの行政スタンスは真逆になっているのだ。そのことを、なぜ政府もメディアも言わないの?
安倍さんが、最も大切な「お友達」を失いたくない気持ちはわからないではない。とにかく日本のことよりアメリカを重視している人だから。だけどねぇ。
●日銀・黒田総裁の「バズーカ砲」が空砲になった理由
アベノミクスがなぜ「絵に描いた餅」にもならなかったのか。実は、過去に経験したデフレ不況だったら、アベノミクスは成功していたかもしれない。が、いま日本だけでなく世界の先進国は人類が初めて経験する「人口減少時代」に突入している。そうした時代における経済政策とはどうあるべきか、を発想の原点に据えるべきだった。が、古色蒼然たるケインズ理論の延長で景気浮揚を図ろうとしたことが、まず間違いのもとだった。
さらに、日本企業にとって足かせとなった「年功序列・終身雇用」制度が、安倍さんがいくら笛を吹いても大企業が踊れなかった理由である。そうした日本企業のビヘイビア原理は、実は1985年のプラザ合意以降の急速に進んだ円高を日本の輸出産業がどうやって乗り切ったかを論理的に検証していれば、アベノミクスの笛では輸出企業は踊らないことが自明だったのだが…。この日本独特の事情については次回のブログで明らかにする。
実はアベノミクスを支えている経済理論は「リフレ派」と称される経済学者たちの主張である。「自国通貨を発行している国は、ハイパーインフレになるまでは国債をじゃぶじゃぶ発行しても財政破綻しない」というめちゃくちゃな景気浮揚論(「新ケインズ理論」とも言われている)であるMMT(現代通貨理論)と同類の破綻的経済理論である。
リフレ派は「自分たちはインフレ目標を数値化(2%)としている。MMTには数値の裏付けがない」と差別化を図っているが、なぜ「2%の物価上昇率が健全な経済成長なのか」についての科学的裏付けはない。蓮舫氏ではないが、「なぜ3%ではダメなんですか。なぜ2%でなければいけないんですか」という数値目標の科学的根拠だ。むしろMMT派の方が「ハイパーインフレの気配が見えたら国債発行をストップすればいい」と柔軟である。
ただし、MMT派の決定的欠陥は、ハイパーインフレになる前に国債発行をストップすればいいというが、世界大恐慌の時も、バブル崩壊の時も、リーマン・ショックの時も、大地震のようにほとんど前触れなく突然襲ってくる。どの時点で国債発行をストップしてハイパー・インフレ化を防ぐかの方策がない。
一方、「MMTとは違う」と主張する日銀・黒田バズーカ空砲の、米FRB(アメリカの中央銀行)のゼロ金利政策に対抗して「いくらでも国債を買う」はMMT理論とどかが違うのか。
実は、リフレもMMTも通貨の意味をまったく理解していない机上の空論に過ぎない。自国通貨には、国内では商品購入のための決済手段としての顔と、為替市場では通貨自体が売買される投機商品の一つにすぎないという両面の顔を持っているという事実に、リフレ派と称する日銀は意図的に目をつむっているのか、あるいは気付いていないのかは知らないが、まったく無視していることにアベノミクス破綻の根拠があるのだ。
そのことを明らかにする前に、極めて基本的なことだが、資本主義と社会主義は経済政策としてどう違うのかを考えてみたい。というのは、かなり多くの人たちは、【資本主義=自由競争経済=民主主義政治】で、【社会主義=計画経済=共産党独裁政治】と思い込んでいるようだからだ。実は資本主義と社会主義は、アダム・スミスとカール・マルクスの考え方の違いを基準にする限り、現在は、ほとんどの国が実際には自由競争経済と計画経済の混合経済になっているのである。
たとえば中国は一応社会主義国とされているが、株式会社もたくさんあれば株式市場も存在しており、経済制度としてはかなり資本主義化が進んでいる。一方日本はどうかと言えば国鉄や電話、郵便などいまは民営化されているが国営時代もかなり長く続いていた。主食のコメについては戦後長く食管制度の下で減反政策が実施され、事実上の計画経済だった。減反政策が廃止されたのは2018年である。また零細小売業者を保護するための大店法や弱小金融機関を保護するための護送船団方式の行政もバブル崩壊後事実上廃止されたが、こうした制度は「需要と供給のバランスを行政が計画的に支える」という、かなりマルクス的計画経済政策と言える。トランプの輸入規制も国内の生産活動を保護しつつ、需要と供給のバランスを関税政策で支えようという、社会主義的計画経済である。この明確な事実から、近代経済学者たちは目を背けようとしている。
実はスミスの考え方は自由に競争させればデフレやインフレが生じてもシーソーの原理が働いて自然に需給バランスがとれるようになるというのが基本論理。一方、マルクスは自由競争に市場をまかせると大不況が生じかねないから、需要と供給を常にバランスがとれるように政府がコントロールしてデフレやインフレなどの経済混乱を事前に防ぐという論理。実際には両極端の経済制度はありえず、いまは資本主義国も社会主義国も、程度の差こそあれ自由な競争に任せる市場経済原理と政府がある程度コントロールする計画経済原理を混合した経済運営を行っている
実はマルクスの政治思想は「一人は万人のために、万人は一人のために」と
いう民主主義社会の理想ともいえる「個と全の関係」の構築を目指しており、「万人は一人(独裁者)のために」という中国や北朝鮮のような共産党1党独裁の政治体制を主張したりはしていない。だから日本共産党は、いまはかなりリベラルな政策を主張しているが、党名から共産主義を消さない限りは「赤ずきんちゃん」を装っているという疑念をどうしてもぬぐえない。だから党名を変更しない限り野党連合の仲間に入れてもらえないだろう。むしろ日本共産党の「一枚岩」状態は党員の思想の堅固さというより、新興宗教団体信者のようなイメージすら抱かせる。「しんぶん赤旗」の主張しか信用していないからだ。
いま世界の先進国は軒並み人口減少時代に突入している。一人の女性が一生出産む子供の数の平均値を合計特殊出生率というが、人口を維持するためには合計特殊出生率が2.08以上である必要があるそうだ(科学的根拠は不明)。先進国で最も少子化対策が進んでいると言われているフランスでも合計特殊出生率は1.9。日本に至っては1.43だ。そういう状況の中で経済成長を各国が追及しだしたら、第3次世界大戦を避けられないかも…。
いっぽうマイナス面は増えた雇用の大半は非正規社員であり、そのため従業員の平均給与はかえって減少し消費があまり増えなかったこと、東京一極集中が加速し地方経済の疲弊が進んでいること、などがあげられている。
そこでまずアベノミクスは何を目的にして、その実現のためにどういう経済政策をとったのか、という原点から検証しよう。
●アベノミクスの「3本の矢」とは…
安倍前総理が「リーマン・ショック今日の大問題が生じない限り」と、消費税10%への増税を1年前に行ったときは、だれもコロナ・パンデミック(世界的大流行)を予想していなかったし、「自然災害」みたいなものだから、それによる経済停滞をアベノミクスのせいには誰もしていない。が、コロナ・パンデミックがなかったとしても、アベノミクスは絶対に成功しえない経済政策だった。その理由は大きく分けて二つある。
そもそもアベノミクスとはどういう経済政策だったのか。「3本の矢」と言われているが、最初は①「日銀の金融緩和」(国債買い入れによる通貨発行量の増大+低金利政策)によって輸出企業の国際競争力強化+設備投資の活性化を図ること、②「大胆な財政出動」(国債発行で得た政府資金で公共事業を行う)によって建設業界とそのすそ野産業の活性化を図る、の2本だった。この二つの景気刺激策だけでは「失われた20年」と言われ冷え込んだ経済活動を活性化することは難しいということで、のちに3本目の「成長戦略」が付け加えられた。実際に日本経済に大きな影響を与えた第1の矢から検証していこう。
第1の矢についてアベノミクスが描いたスケッチは、【金融緩和→円安→輸出製品の国際競争力回復→輸出増大→設備投資活性化+雇用拡大+賃金上昇→給与所得層の可処分所得増加→需要拡大→デフレ脱却】である。さらに副次的効果として【金融緩和→円安→輸入製品価格の上昇→物価上昇(原材料の高騰による国内製造コストアップ+自動車やブランド輸入品の価格上昇)→消費者物価上昇→デフレ脱却】も期待された。つまりアベノミクスの第1の矢はモノレールのような1本軌道ではなく、電車のような2本軌道の経済政策だったのである。
確かに「黒田バズーカ砲」と呼ばれた金融緩和政策は当初、それなりに効果を発揮した。民主党政権下の円高基調が一変して円安基調になり、一時は円相場は120円台を回復、自動車や電機など輸出企業は軒並み国際競争力を回復した。が、その後はアベノミクスのシナリオ通りに事は進まなかった。
円安で輸出製品の国際競争力を回復させたのは、ドル建て輸出価格に為替相場を反映させ、メーカーが輸出量を増やす(つまり生産量を増やす)ことに本来の目的があった。自動車メーカーや電機メーカーが政府の期待通り輸出価格を引き下げて輸出を増大(当然、生産量も増大)していれば、アベノミクスは「絵に描いた餅」にはならずに済んだ。が、輸出メーカーはドル建て輸出価格を引き下げず、据え置いた。当然、国際競争力は回復しない。輸出量が増えないから設備投資も必要ないし、雇用の拡大も生じない。
その結果、輸出企業は輸出が増えないのに為替差益で内部留保だけは膨らんだ。そのうえ政府は企業の設備投資活性化を期待して法人税まで引き下げたが、肝心の企業は設備投資にそっぽを向き続けた。日本の特殊な事情が働いたためだが、いまはそのことに触れない。
厳密にいうと、メーカーは設備投資に完全に背を向けたわけではない。製品の品質向上やコストダウンのためのIT関連投資は積極的に行った。が、アベノミクスが期待した生産拡大のための設備投資にはそっぽを向き続けた。そのためいったんは円安に振れた為替相場も、再び円高基調に戻ってしまった。日銀は安倍総理のご機嫌取りのために何度も「黒田バズーカ砲」を撃ち続け、禁断のマイナス金利政策にまで踏み込んで金融機関を塗炭の苦しみに追い込んだが、すべて空振りに終わった。そしてもはや撃つ弾もなくなり、口先だけの「バズーカ砲」つまり空砲になってしまった。なぜか。
輸出企業がなぜ「笛を吹いても踊らなかったのか」。その理由は大きく二つある。一つは世界のマーケットがゼロ・サムどころかマイナス・サム状態に突入したからである。もう一つは「日本型資本主義」の特殊性にある。「アベノミクスが絶対成功しない経済政策」である二つの理由とは、このことを意味する。
●トランプ大統領が「世界貿易戦争」を始めた理由
最近「ゼロサム・ゲーム」というのがオンライン・ゲームでブームになっているようだが、アナログ・ゲームの麻雀がゼロサム・ゲームの典型である。ゼロサム・ゲームはゲームの参加者の勝ち側と負け側の得失点が同じゲームのことを指すらしいが、もともとは需要が伸びなくなり市場での競争がシェアの奪い合いになったことを「ゼロ・サム」と言い出したのが最初である。もっとはっきり言えばマーケットが飽和状態になり需要が伸びなくなると、その市場で1社の製品がヒットすれば、他社が割を食う状態のことである。
日本では自動車や家電製品、スマホやパソコンなどのIT商品は供給過多市場になっている。つまりゼロ・サムどころかマイナス・サム状態になっている。
だからメーカーは国際競争力が回復しても、リスクが大きい生産増強には踏み切れないのだ。アメリカでも、トランプが輸入自動車に高率関税をかけた自国の自動車産業の競争力を回復させたにもかかわらず、GMが北米の5工場を閉鎖したのはマイナス・サム世界での生き残りのためだった。
かつて日本がバブル景気に沸いていた1989年5月、日米構造協議が始まった。対日貿易赤字に苦しんでいたアメリカが対日輸出を増やすことを目的として、対日輸出を阻んでいる日本の関税・非関税障壁をなくすよう日本側に迫り、日米が(アメリカは商務省が、日本は通産省=当時)が真っ向から激突、1年余をかけた貿易交渉である。この協議でアメリカ側はおおよそ、以下のように主張した。
「消費者向け、産業用を問わずアメリカ製品は価格・品質の面で高い競争力を持っている。にもかかわらず先進国の中で日本だけはアメリカ製品の競争力が正当に発揮できない。それは日本の行政が消費者中心ではなく、かつ排他的だからだ。日本の市場が開かれたフェアなものになれば、米製品は日本市場で正当な競争力を発揮できるはずだ」
もちろん日本の通産省も黙っていない。
「日本の市場は決して閉鎖的ではない。現に自動車などドイツ車は日本でもかなり売れている。ドイツの自動車メーカーは日本向けに右ハンドル車を作っている。が、アメリカの自動車メーカーはアメリカ仕様の左ハンドル車を買えと言う。日本の自動車メーカーはアメリカ向けには左ハンドル車を輸出している。アメリカ・メーカーの努力不足だ」
「それにアメリカ企業は四半期決算で、目先のことしか考えていない。日本企業は長期的視野で投資している」
が、アメリカ側は日本市場の閉鎖性を事細かく突いてきた。なかでも公共事業への外国企業の参入規制、農畜産物の関税障壁、大店法による自由な販売競争の阻害などだ。
「日本の行政は生産者保護に重点を置いている。農畜産物の輸入規制を撤廃すれば、日本の消費者は毎週ステーキを食べることができるし、大店法を撤廃すれば、競争原理が働いて日本の消費者はもっと安くていいものが買えるようになる」と。
このアメリカ商務省のレトリックを日本のメディアが支持した。その結果、大店法は廃止され、ウルグアイ・ラウンドではコメの輸入(ミニマム・アクセス)が義務付けられることになる。
いま郊外の駅前商店街がどういう状態になっているかは、私がいまさら言うまでもないだろう。が、私が言いたいのは、その当時のアメリカのグローバリズムはそういう姿勢だったということだ。
トランプはアメリカの生産者を守るために世界中を相手に貿易戦争を始めた。当然、アメリカの消費者にとっては、高いアメリカ製品を買わされることになるから不利益を被る。つまり、日米構造協議の時と、アメリカの行政スタンスは真逆になっているのだ。そのことを、なぜ政府もメディアも言わないの?
安倍さんが、最も大切な「お友達」を失いたくない気持ちはわからないではない。とにかく日本のことよりアメリカを重視している人だから。だけどねぇ。
●日銀・黒田総裁の「バズーカ砲」が空砲になった理由
アベノミクスがなぜ「絵に描いた餅」にもならなかったのか。実は、過去に経験したデフレ不況だったら、アベノミクスは成功していたかもしれない。が、いま日本だけでなく世界の先進国は人類が初めて経験する「人口減少時代」に突入している。そうした時代における経済政策とはどうあるべきか、を発想の原点に据えるべきだった。が、古色蒼然たるケインズ理論の延長で景気浮揚を図ろうとしたことが、まず間違いのもとだった。
さらに、日本企業にとって足かせとなった「年功序列・終身雇用」制度が、安倍さんがいくら笛を吹いても大企業が踊れなかった理由である。そうした日本企業のビヘイビア原理は、実は1985年のプラザ合意以降の急速に進んだ円高を日本の輸出産業がどうやって乗り切ったかを論理的に検証していれば、アベノミクスの笛では輸出企業は踊らないことが自明だったのだが…。この日本独特の事情については次回のブログで明らかにする。
実はアベノミクスを支えている経済理論は「リフレ派」と称される経済学者たちの主張である。「自国通貨を発行している国は、ハイパーインフレになるまでは国債をじゃぶじゃぶ発行しても財政破綻しない」というめちゃくちゃな景気浮揚論(「新ケインズ理論」とも言われている)であるMMT(現代通貨理論)と同類の破綻的経済理論である。
リフレ派は「自分たちはインフレ目標を数値化(2%)としている。MMTには数値の裏付けがない」と差別化を図っているが、なぜ「2%の物価上昇率が健全な経済成長なのか」についての科学的裏付けはない。蓮舫氏ではないが、「なぜ3%ではダメなんですか。なぜ2%でなければいけないんですか」という数値目標の科学的根拠だ。むしろMMT派の方が「ハイパーインフレの気配が見えたら国債発行をストップすればいい」と柔軟である。
ただし、MMT派の決定的欠陥は、ハイパーインフレになる前に国債発行をストップすればいいというが、世界大恐慌の時も、バブル崩壊の時も、リーマン・ショックの時も、大地震のようにほとんど前触れなく突然襲ってくる。どの時点で国債発行をストップしてハイパー・インフレ化を防ぐかの方策がない。
一方、「MMTとは違う」と主張する日銀・黒田バズーカ空砲の、米FRB(アメリカの中央銀行)のゼロ金利政策に対抗して「いくらでも国債を買う」はMMT理論とどかが違うのか。
実は、リフレもMMTも通貨の意味をまったく理解していない机上の空論に過ぎない。自国通貨には、国内では商品購入のための決済手段としての顔と、為替市場では通貨自体が売買される投機商品の一つにすぎないという両面の顔を持っているという事実に、リフレ派と称する日銀は意図的に目をつむっているのか、あるいは気付いていないのかは知らないが、まったく無視していることにアベノミクス破綻の根拠があるのだ。
そのことを明らかにする前に、極めて基本的なことだが、資本主義と社会主義は経済政策としてどう違うのかを考えてみたい。というのは、かなり多くの人たちは、【資本主義=自由競争経済=民主主義政治】で、【社会主義=計画経済=共産党独裁政治】と思い込んでいるようだからだ。実は資本主義と社会主義は、アダム・スミスとカール・マルクスの考え方の違いを基準にする限り、現在は、ほとんどの国が実際には自由競争経済と計画経済の混合経済になっているのである。
たとえば中国は一応社会主義国とされているが、株式会社もたくさんあれば株式市場も存在しており、経済制度としてはかなり資本主義化が進んでいる。一方日本はどうかと言えば国鉄や電話、郵便などいまは民営化されているが国営時代もかなり長く続いていた。主食のコメについては戦後長く食管制度の下で減反政策が実施され、事実上の計画経済だった。減反政策が廃止されたのは2018年である。また零細小売業者を保護するための大店法や弱小金融機関を保護するための護送船団方式の行政もバブル崩壊後事実上廃止されたが、こうした制度は「需要と供給のバランスを行政が計画的に支える」という、かなりマルクス的計画経済政策と言える。トランプの輸入規制も国内の生産活動を保護しつつ、需要と供給のバランスを関税政策で支えようという、社会主義的計画経済である。この明確な事実から、近代経済学者たちは目を背けようとしている。
実はスミスの考え方は自由に競争させればデフレやインフレが生じてもシーソーの原理が働いて自然に需給バランスがとれるようになるというのが基本論理。一方、マルクスは自由競争に市場をまかせると大不況が生じかねないから、需要と供給を常にバランスがとれるように政府がコントロールしてデフレやインフレなどの経済混乱を事前に防ぐという論理。実際には両極端の経済制度はありえず、いまは資本主義国も社会主義国も、程度の差こそあれ自由な競争に任せる市場経済原理と政府がある程度コントロールする計画経済原理を混合した経済運営を行っている
実はマルクスの政治思想は「一人は万人のために、万人は一人のために」と
いう民主主義社会の理想ともいえる「個と全の関係」の構築を目指しており、「万人は一人(独裁者)のために」という中国や北朝鮮のような共産党1党独裁の政治体制を主張したりはしていない。だから日本共産党は、いまはかなりリベラルな政策を主張しているが、党名から共産主義を消さない限りは「赤ずきんちゃん」を装っているという疑念をどうしてもぬぐえない。だから党名を変更しない限り野党連合の仲間に入れてもらえないだろう。むしろ日本共産党の「一枚岩」状態は党員の思想の堅固さというより、新興宗教団体信者のようなイメージすら抱かせる。「しんぶん赤旗」の主張しか信用していないからだ。
いま世界の先進国は軒並み人口減少時代に突入している。一人の女性が一生出産む子供の数の平均値を合計特殊出生率というが、人口を維持するためには合計特殊出生率が2.08以上である必要があるそうだ(科学的根拠は不明)。先進国で最も少子化対策が進んでいると言われているフランスでも合計特殊出生率は1.9。日本に至っては1.43だ。そういう状況の中で経済成長を各国が追及しだしたら、第3次世界大戦を避けられないかも…。