小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

曲がりかとの日本経済――政治家や経済学者は未来図を描けるか?

2022-02-21 10:29:41 | Weblog
北京オリンピックが、欧米を中心とした「外交的ボイコット」やドーピング疑惑など、いろいろな問題を抱えながらも、2月20日、無事閉会式を終えた。日本勢は冬季オリンピックでは最大のメダル数を獲得して、ご同慶の至りだが、オリンピックは夏季も冬季も毎回、競技数が増えているから、日本選手が獲得するメダル数が減ることはまずあり得ない。それに競技大国のロシアがドーピング問題で、かなりの競技に参加できず、日本の獲得メダル数が増えたのは当然と言えなくもない。もちろん私を含め、多くの日本人が日本選手の活躍に感動したし、メダルを取った、取れなかったにかかわらず喜びや悲しみを選手たちと共にした。後味の悪ささえなければ、素晴らしい大会だった。

内閣府が15日、21年10~12月の実質GDP(物価変動要素を除いた国内総生産)が、前四半期(7~9月)に比し、年率換算で5.4%増加したことを発表した。が、前四半期は緊急事態宣言で消費が大きく落ち込んだし、年末はクリスマス商戦や正月のおせち需要、忘年会などで、例年消費が活性化する傾向があり、日本経済が持ち直したと楽観視することはできない。
欧米など他の先進国は原油などエネルギー資源の高騰もあって昨年後半から過度のインフレが進んでおり、各国中央銀行は軒並み政策金利を引き締めようとしつつある。が、日本は依然として消費者物価が低迷しており、日銀・黒田総裁が目標にしている2%上昇にはほど遠い状況が続いている。なぜか。

●インフレの3要因  ①需要が増えることが前提
総務省が公表している消費者物価の上昇率を見てみよう。
21年12月の前年同月比上昇率は、景気過熱が問題視されているアメリカが7.0%、イギリスが5.4%、ユーロ圏が5.0%(ドイツ5.3%、フランス2.8%)と高水準に達しているが、日本は0.8%と停滞したままだ。
が、エネルギー資源の大半を輸入に頼っている日本でも、円安とエネルギー資源高騰のダブル・パンチを受けて輸入物価指数(円ベース)は41.9%も上昇し、そのため企業物価指数は8.5%上昇している(12月の対前年同月比)。その結果、21年度の年間企業間売買価格も対前年比で4.8%増加し、輸入物価指数も22.7%上昇し、過去30年間で最も高い水準を記録した。
なのに、足元の消費者物価指数は一向に上昇しない。安倍元総理と日銀・黒田総裁がタッグを組んでの景気浮揚策「アベノミクス」は依然として空回りを続けているとしか見えない。
実は消費者物価を左右する要因は三つある。一つは需給関係、二つ目はコスト要因、最後に為替市場による通貨価値の変動だ。
コロナ禍が日本を襲った2年前、スーパーやドラックストアの店頭からマスクが一斉に姿を消した。いわゆる「転売ヤー」が買い占め、ヤフオクなどでオークション出品し、需給関係がひっ迫して価格が高騰したことがある。
通常なら1枚7~8円の不織布マスクがオークション市場では10倍、20倍の高値を付けた。消費者からのクレームが殺到したが、「転売ヤー」は「モノの値段は、資本主義社会では需要と供給の関係で決まる。こっちは高値を付けて売っているわけではなく、1円スタートで出品しており、欲しい人が買いあがった結果だ」とうそぶいていた。
必ずしも絶対的必需品でなければ、消費者が買い控えに走り、需給関係がひっ迫しても価格が極端に高騰することはないのだが、コロナ禍で医療機関だけでなく一般庶民も外出時のマスク着用が強く求められ(個人主義的傾向が強い欧米ではマスク着用を義務化したり、それに反発する騒ぎが生じて社会問題化したケースもあった)、日常生活にマスクは欠くことのできない必需品になったため、需給関係のひっ迫がもろに価格に反映した極端なケースでもあった。

1973年10月、第4次中東戦争を機にアラブ産油国が原油価格を一気に70%も引き上げ(第1次石油ショック)、日本ではスーパーの店頭からトイレットペーパーや洗剤が姿を消し、いわゆる「狂乱物価」状態を生じた。商社や卸問屋などが「買い占め・売り惜しみ」に走り、ゼネラル石油(現エネオス)が社内報に「石油危機は千載一遇のチャンス」と書いて社会的に問題化し、当時の社長が引責辞任したこともある。
石油ショックのときは企業のモラルが問われたが、コロナ禍での「転売ヤー」はネット・オークション市場が生まれたことで、だれでも「千載一遇のチャンス」にありつけることができるようになったことが原因だ。
逆に、面白いもので需給バランスが崩れることで品薄状態になり、結果として価格が暴落することもある。
たとえばサンマ漁。近年、サンマの不漁が続き、需給関係から卸値はいったん高騰するが、スーパーなどでの店頭価格が庶民の手に届かないほど高騰した結果、原価割れの販売を余儀なくされて価格が暴落するといったケースも生じた。サンマは生活必需品ではないからだ。
日本には昔から「豊作貧乏」という言葉があり、供給量が需要を上回ると市場価格が下落する。そのため豊作になるとあえて収穫物を廃棄して市場に出回る量を調整し、市中価格を維持する知恵を生産者は身に付けてしまった。
一方、不作不漁によって供給量が激減した場合、市場原理によって価格は高騰するはずだが、生活必需品でない場合、消費者が代替品を求めることで需要が激減し、かえって価格が下落する現象(不作貧乏)も生じるようになった。
「魚はサンマだけではないよ」というわけだ。
実は今の消費者物価が上昇しない理由の一つとして需要が減少しているという背景がある。そうした日本の状況についてはあとで詳述する。

●インフレの3要因  ②コストアップを製品価格に転嫁できるか
つぎにコストが物価に反映する要素だ。コストにはいろいろな要素があるが、人件費と製造原価(特に輸入原材料や部品の購入費)が2大コスト要因である。
たとえば、物流コスト。数年前から物流状況が大きく変化した。その背景には消費者の店頭離れもあげられる。とくに若い人たちのクルマ離れとネット社会の拡大によってアマゾンやヤフー、楽天などでのネット購入が増え、ヤマトや佐川など宅配業者の配送コストが急上昇した。
その背景にあるのが運転手不足による人件費高騰であり、運転手の需給関係が「売り手市場」になった。そのためスーパーや量販店などが、従来は3000円以上とか5000円以上の買い物客には無料配達のサービスをしていたのが、そのサービスを一斉にやめてしまった。私は70歳になったときに免許を返上していたので、ビールなど重いものの買い物は無料配達のサービスを利用していたが、それが不可能になりケース買いができなくなった。販売店に「宅配業者が値上げした分だけ有料化すればいいじゃないか」と文句を言ったことがある。「無理が通れば道理引っ込む」というが、宅配コストアップに乗じた便乗値上げの一種だ。ビールの恨みは大きい。
次に製造コストの上昇。原材料の高騰(原油価格や金属製品の高騰など)によるコスト増だ。これは需給ひっ迫によるケースと供給カルテルによる価格操作といった要因がある。
一方、製造プロセスのIT化によるコスト削減効果もあるが、このケースがコスト減として価格に反映されることはあまりない。企業の収益増に回ることが多く、市場での競争原理が機能しない。ただし、市場での競争が激しい製品については値下げ圧力が強く、製造原価の下落以上に価格が下がるケースもある。電気製品などがその典型。

こういうケースもあった。アメリカの前大統領、トランプが自国産業を防衛するため自動車や鉄鋼・アルミ製品の輸入に25%の高率関税をかけたことがある。が、アメリカ最大の自動車メーカーのGMが5工場を閉鎖してしまった。トランプは「輸入自動車に高率関税をかけて国内自動車メーカーの競争力を回復してやったのに、工場を閉鎖して従業員を解雇するとは何事か」と激怒したが、1工員からたたき上げでGM初の女性会長兼CEOになったメアリー・バーらは涼しい顔でこう反論した。
「確かに輸入自動車に対する競争力は回復したが、原材料など輸入部品の価格が高騰し、その分を販売価格に転嫁するとアメリカ国民の購買力を超えてしまう。売れる・売れないは単純に競争力の問題だけではない」と。
実際、私は1985年のプラザ合意でドル・円相場が2年間で240円台から120円台に高騰したとき、キヤノンのトップに取材したことがある。
「自動車や電気製品など、国際競争が激しい分野は為替相場を輸出価格にもろに反映できないが、カメラは日本製品がほぼ独占状態で、為替相場をダイレクトに反映しても競争力は落ちないと思うが、なぜ20~30%程度の値上げにとどめているのか」
キヤノンのトップはこう答えた。
「確かに、おっしゃる通りだが、もしカメラの輸出価格を2倍にあげたらアメリカ人の購買力を超えてしまう。彼らが買えるぎりぎりの値上げしかできない」
絶対的な生活必需品でない場合、製造コストの上昇を製品価格に反映できるとは限らない現実があるのだ。ただし、いま直面している原油や天然ガスの高等は電気やガスは生活必需品だから、コストアップ分をもろに末端価格に反映できるはずだが、政府の政策によって値上げは最小限に抑えられている。一方、ガソリン代などはもともと市中での競争が激しく、政府が備蓄原油を放出しても、ガソリンスタンドの経営がぎりぎりのため、価格に反映できずにいる。
コスト増が必ずしも末端価格の上昇につながるとは限らない理由が、こうした事情にある。

●インフレの3要因  ③「円安」政策は両刃の刀
最後に為替市場における通貨価値の変動が物価に反映するケースだ。為替市場を左右する要因もいくつかあるが、最大の要素は各国政府や中央銀行の金融政策とされている。が、実際に為替の動向を左右しているのは「為替市場」で資産運用しているヘッジ・ファンドの思惑による。たとえば毎月第1金曜日に発表されるアメリカの雇用統計(非農業分野の就業者数や失業率)の発表で為替が大きく変動すると言われているが、それが為替相場に大きく影響する合理的理由とは考えにくいので、おそらくヘッジ・ファンドが予想統計数字を根拠に大量にドルを売ったり買ったりしているからではないかと思われる。ま、丁半バクチみたいなことをヘッジ・ファンドが行っていると考えられ、必ずしも為替相場が各国経済の実態を反映しているわけではない。
為替市場ではビットコインなどの仮想通貨と違って各国法定通貨が売買の対象ではあるが、実際に現物の法定通貨を売買しているのではない。株式市場の信用売買を巨大化したイメージで考えていただければわかりやすいが、各国の法定通貨発行量の何十倍という単位で取引されている。つまり、金やプラチナなどの貴金属や大豆、小麦などの穀類を現物ではなく現物の数十倍の単位で売買している商品市場と同様、いわゆる「先物取引」である。
そういう意味では各国の法定通貨は、自国内での取引決済手段としての価値はそれほど極端に変動することはないが、為替市場では各国法定通貨が取引対象の「商品」として機能しており、その為替市場で決まるレートが実貿易の決済の基準になる。事実上、各国法定通貨の価値(外貨との交換価値)はバクチ打ち任せなのだ。
アベノミクスによる金融緩和政策は、政府が国債を大量に発行し、それを中央銀行(日銀)が買い入れるために法定通貨を大量に発行し、市中に「カネ余り」状況を作り出すことで通貨デフレを生じさせ、為替市場で「円安」状況を作り出すための政策である。円安になれば、円という日本の法定通貨の価値が下落するから輸出産業にとっては有利に働くが、輸入品は高騰する(トランプの高率関税政策と同じ効果による)。もし、日本の国内消費量に増減がなければ輸入品価格の上昇分は消費者物価が上昇する理屈になるが、消費マインドが冷え込んで消費量が減少すれば市場原理によって消費者物価は上がらないという結果になる。「笛吹けど踊らず」がアベノミクスの結果である。
黒田・日銀総裁が、何とか消費者物価を2%上昇させようと、「マイナス金利」(民間の金融機関が余剰資金を日銀に預けた場合、金利を付けるのではなく、逆に金利を取る)という「禁じ手」まで動員しての「黒田バズーカ砲」も、今やまったく効果がない。世界から黒田バズーカ砲は「オオカミ少年」と思われてしまっているからだ。
実は、先に述べたプラザ合意後の円高局面で、輸出産業の輸出価格が為替相場を必ずしも反映しなかったことは書いたが(その理由は日本の雇用形態によるが、それについては後述する)、実は高級輸入ブランド品(高級外車やバッグなど)もあまり値下がりしなかった。
私がその理由を輸入業者に取材したところ、「日本では価格が高くないと商品価値が下がる。だから輸入価格は下がっても販売価格は維持している」との、何とも人を食った答えが返ってきた。
私も取材などでアメリカに行ったときは、必ず現地でゴルフ用品などを買って帰った(土産ではなく自分用)。また現地で買い付けて日本で安値販売する並行輸入業者も現れ、ヨドバシカメラなどが日本製品を逆輸入して安値販売して話題になったこともある。
いま岸田総理はアベノミクスが「成長と分配の好循環」による景気浮揚策がうまくいかなかったことへの反省から、企業に対して賃金上昇による消費マインドの底上げを図ろうとしているが、企業は「どこ吹く風だ」を決め込んでいる。企業側は先行き不安を理由に挙げているが、理由はそれだけではない。安倍内閣時代の「同一労働同一賃金」規制にどう対応するかの方が重要課題としてのしかかっており、正規雇用の従業員の給与だけを底上げするわけにはいかないからだ。

●過去30年間、日本の従業員の平均賃金は本当に上昇しなかったか
最近、メディアが盛んに日本の平均賃金が過去30年間、ほとんど上昇していないことを報道することが多くなった。しかし、その根拠としているOECDによる平均賃金の国際比較はドル換算なので、円安の今は購買力平価を基準にした賃金ベースを必ずしも反映はしていない。
眞子さんが小室圭氏と結婚してニューヨークで新生活を送られているが、そうしたこともあってニューヨークの物価の高さをメディアが話題にしたことがある。日本のサラリーマンのランチ平均は500~700円くらいらしいが、ニューヨークでは円換算で1000円以上はしているという。ラーメンひとつとっても日本では700円前後のラーメンがニューヨークでは1300円くらいするようだ。もっと高いフランスでは1800円もするという。だから【賃金=購買力】と考えると、日本の平均賃金が他の先進国より低いとは、必ずしも言えないのだが…。
アベノミクスによる円安誘導で、円相場はどう変動したか。また、その結果、日本の平均賃金はドル換算でどういう数値になったか。
民主党政権末期の2012年秋には1ドル=80円台という歴史的な円高を記録した為替相場は、第2次安倍政権発足後の15年に一時1ドル=125円台まで下落、円安が定着したかに見えた。安倍晋三首相が就任直後に打ち出した大規模な金融緩和が要因で、産業界はその手腕を高く評価した。しかし、16年の春先から状況が一変。再び1ドル=100円をうかがうレベルに逆戻りした。その後、100~110円台でアップダウンを繰り返してきたが、コロナ禍に対する日本政府の対応が後手後手に回ったこともあり、現在は116円を挟んだ攻防になっている。「攻防」と書いたのは、為替市場でのヘッジ・ファンドの売り方・買い方のせめぎあいが為替相場を左右しているからだ。
OECDが公表した先進国の平均賃金推移の統計はあくまでドルベースでの統計だから、その数値だけを基準に日本の平均賃金は過去30年間、まったく上昇していないと主張するのは中学生レベルの思考力でしかない。ドル換算の日本人従業員の賃金が見かけ上、韓国人より低く見えても日本人の購買力が韓国人より低いというわけでもない。あまり見かけ上の数字に踊らされるのは頭がいいとは言えない。メディアや経済評論家の質だけは間違いなく低下していると言えるかもしれないが…。

●日本のサラリーマンの平均賃金は、やはり増えていなかった
OECDによるドルベースでの平均賃金比較は置いておいて、円ベースで日本のサラリーマン(フルタイムの従業員)の平均賃金推移を見てみる。
日本が高度経済成長の真っただ中にあった1971年、サラリーマンの平均年収は初めて100万円の大台を突破した(課税前所得)。2000年に500万円台の大台に乗ったが、翌01年の505万円をピークに以降、多少のアップダウンを繰り返しながらサラリーマンの平均年収は下降線をたどっている(厚労省賃金構造基本統計調査に基く)。実はサラリーマンの平均給与に大きな影響力がある大卒初任給が過去10年、ほとんど上がっていないのだ。
大卒初任給は景気のバロメータともいわれ、労働力の需給関係をもろに反映する。バブル景気がはじけた直後の初任給平均は18万6900円(現在の購買力価値に換算すると15万6200円)だったのが、20年後の2012年には20万1800円(現在の購買力価値と同じ)と購買力価値は4万5600円増えているが、その後は20万円前後で推移している(厚労省調査)。安倍第2次政権発足後、労働力の需給関係が全く改善されていないからだ。コロナ禍に入る前、サービス業などで人手不足が生じ、サービス業関連の人件費が事実上、最低賃金をかなり上回った時期があったが、その要因は主に外国人観光客の来日ブームや爆買いによる波及効果が大きく作用し、日本の消費を支えてきた。だから産業界は円安による景気回復がかなり進んだが、普通のサラリーマンには景気回復の実感に乏しいという世論調査結果が続いた。日本のサラリーマン所得が増えなかったからだ。
男女雇用機会均等法が施行されたのは1972年だが、14~64歳の女性の就業率は1970年代後半には50%だったのが、2000年代後半以降は65%台で推移している。その最大の理由は高度経済成長期を経て家庭生活にゆとりが生じ、女性の進学率がアップしたこと、また女性の価値観が「男が働き女は家庭を守る」といった古い考え方から大きく転換したことによる。また、それが少子化の原因でもあり、「子育て支援」の名のもとに保育園を増設すればするほど女性の社会活動の機会が増えて少子化が進行するのは当たり前である。
私自身は女性の社会活動の機会が増えることには賛成で、また先進国に共通した社会現象でもあり、だから前にもブログで何度も書いたが、先進国の合計特殊出生率(一人の女性が一生の間に産む子供の数)は低下の一途をたどって、今後、回復することはありえない。出生率が下がり続けるということは労働力=購買力の減少を意味し、需要の減少によって市場規模は縮小せざるを得なくなり、先進国が経済政策として「経済成長」を掲げることは将来、縮小する市場を武力によって争奪し合う状態を生じかねないと危惧している。ゆいつ人口拡大が見込まれるアフリカや南米の諸国・地域が先進国にとって有望な市場に育つにしても、おそらく100年くらいはかかるであろう。
ちょっと話が横道にそれたが、女性の労働人口の増加が平均賃金の低下を招いた要素は否定できない。男女雇用均等法が施行されて以降、大企業の多くは女性の採用に際し「専門職」と「総合職」に分けた。「専門職」とは仕事の中身が専門的(例えば研究者とか営業職とか)という意味ではなく、転勤の範囲を地域的に限定する意味。「総合職」は海外も含め男性社員と区別せず転勤を受け入れる意味。そのため総合職として採用した女性は男性と同じ待遇だが、専門職女性の賃金は低くした。その結果、女性がいったん総合職で入社しても、結婚すると専門職に変更して夫の転勤先についていくケースが多くなった。
また結婚・出産・子育てを終えた女性が職場復帰するケースも多くなった。当然、非正規社員という身分になるため正社員に比し、仕事内容は同じでも賃金は大幅に下がる。
そうした事情は高齢者の定年後の再雇用でも生じている。再雇用は勤務の連続性はあるのだが、60歳でいったん定年退職し(したがって退職金も支払われる)、65歳で年金が支給されるようになるまでの間の生活維持のために非正規で勤務を継続するケースだ。給与は退職前の半分貰えればいい方のようだ。そうした非正規社員の増加が平均賃金を押し下げているとも言える。

●「同一労働同一賃金」制度は日本に定着するか
いったい、非正規社員はどのくらい増えたのか。
バブルがはじける前は、フルタイムの従業員の場合、正規・非正規という差別はほとんどなかった。もちろんパートやアルバイト、季節労働者、日雇いなどの非正規職はあったが、正規社員と同じフルタイムの仕事をしながら身分や待遇に差をつけるという企業はほとんどなかったと言える。
ところがバブルがはじけて企業は新卒採用を激減させ、戦後初めてと言える「就職氷河期」が日本を襲った。派遣会社が雨後の筍のように生まれ、企業に正規採用されなかった場合、新社会人はやむを得ず雇用関係も身分も不安定な派遣会社に登録して、その会社から人材を必要とする企業に期限を限って派遣されるようになった。そういう労働者を「フリーター」という。
フリーターを含む非正規社員が全雇用者に占める割合は、バブル期までの約20%から徐々に増え、現在は40%強に達している。彼らの給与は、正規社員と同等の仕事をしても正規社員の半分以下に抑えられ(派遣会社によるピンハネもあって)、とくに男性の場合は結婚の機会も大きく奪われることになった。男性側の事情による少子化問題の背景でもある。
それはともかく、企業の全雇用者の4割以上を非正規社員が占め、正規社員との所得格差が社会問題になり始めた2014年4月22日、安倍内閣の経済財政諮問会議と産業競争力会議の合同会議で、「賃金を労働時間ベースではなく、成果ベースを基本にする」(成果主義賃金制度)への大転換の方針が打ち出された。この新しい賃金制度に対し、メディアの多くは「残業代ゼロ政策」と批判したが、私は同年5月21日から3回連続で『「残業代ゼロ」政策(成果主義賃金)は米欧型「同一労働同一賃金」の雇用形態に結び付けることができるか』と題するブログを書いて、年功序列型賃金制から「同一労働同一賃金」の賃金形態に転換しない限り、成果主義賃金制は空洞化すると批判した。
安倍内閣は2年後の16年、改めて「1億総活躍」「働き方改革」というキャッチフレーズを打ち出し、その実現のために初めて「同一労働同一賃金」を雇用原則にすることを表明した。
私自身が提唱したこともあって、「同一労働同一賃金」制への移行は賛成せざるをえないのだが、賃金形態の大転換は従来の年功序列型賃金制度を破壊しない限り不可能である。その場合、正規・非正規の差別をなくすだけでなく、年功だけで高い給与をもらっている中高年層の正規社員を悲劇が襲う。そういうことへの社会的コンセンサスを得るためには、相当の時間をかけて徐々に欧米型雇用形態に移行していく必要がある。
バブル退治で日本経済が「失われた30年」という閉塞状況に陥ったのは、瞬時にしてバブルを崩壊しようとしたためだ。それまで景気刺激のために金融緩和策をとり続けた日銀・澄田総裁からバトンを受け継いだ三重野総裁が一気に金融引き締めにかじを切り替え、かつ大蔵省(当時)が総量規制(金融機関の融資残高に占める不動産関連融資比率の上限を定めて融資先から資金の回収を始めさせたこと)というダブル・パンチを放ったためである。
同様に、同じ失敗を繰り返さないためにも「同一労働同一賃金」を雇用形態として定着させるには、それなりに時間をかけて軟着陸を図る必要がある。
まず最優先すべきことは正規・非正規の格差を3年くらいかけて解消すること。企業が非正規の賃金だけを正規並みに引き上げることは、全雇用者の4割以上を非正規が占めている今日、一気にとはいかない。企業が「カネのなる木」を持っているのなら別だが、人件費の総枠を増やさないとすると正規の賃金アップをできるだけ抑えつつ非正規の賃金を徐々に引き上げるという方法を取らざるを得ない。
そこで大問題が生じる。
企業への収益貢献度が高い若い有能な正規社員の賃金を抑制することは企業成長の足かせにもなるから、若い正規社員の待遇は改善する必要がある。そうなると必然的にしわ寄せが、年功序列で労働価値以上の給与をもらっている中高年に向かわざるを得ない。かといって、いきなり中高年の給与をダウンするという強硬手段もとるべきではない。だいいち、そんな荒業を使ったら労働組合が黙っていない。課長クラス以上は非組合員だが、いずれ年功序列で管理職になるつもりでいる組合員にとっては「いずれ我が身に降る火の粉」になるからだ。
そうなると、解決策はひとつしかない。もちろん有能な管理職は労働価値に見合った給与アップをすべきだが、労働価値以上の給与を支給されている中高年の給与アップは最低限に抑えることだ。もちろん年功型賃金の温床である定期昇給やベースアップは廃止する。そういう意味では雇用形態を「働き方改革」の原点である「成果主義賃金」制度に近づけていくことを意味する。
もう一つの日本型雇用形態の特徴である「終身雇用」。別に法律によって制度化されているわけではないが、成長産業は余裕で終身雇用制度を維持してきた。1970年代末、世界的なコンサルティング会社マッキンゼーのトム・ピーターズとロバート・ウォークマンが『エクセレント・カンパニー』という本を出版し、日本でも大ヒットしたことがある(日本語訳は大前研一氏)。同書はIBMやヒューレット・パッカード、マクドナルド、ジョンソン&ジョンソンなど好業績を上げている大企業を取り上げ、日本の大企業との共通点を指摘したが、著者が指摘した共通点の一つに「企業が社員を大切に扱うこと」を挙げた。
当時、日本の大企業の社員の会社へのロイヤリティの高さは世界でも有名で、それが日本人の資質によると考えられていた。そのロイヤリティの高さは実は日本人の資質によるものでは必ずしもなく、日本の終身雇用制度にあると分析、アメリカの業績好調な企業も社員を大切に扱うという点で共通していると指摘したのである。
実際、会社のために身を粉にして働けば、会社は一生面倒を見てくれるという暗黙の「契約」が、当時の日本では企業と従業員のあいだの相互信頼のベースとしてあった。だから、時にはいびつなロイヤリティが根付いた時期もある。
そのころ、私は住友銀行の磯田一郎頭取にインタビューしたことがある。住銀の「天皇」と呼ばれたほどの絶対的権力者で、関西の名門銀行だった住銀を収益力トップの銀行に育て、1982年には米金融誌から「バンク・オブ・ザ・イヤー」に選ばれたほどの人物だ。社員に対しては「向こう傷を恐れるな」と叱咤激励した利益至上主義者でもあり、自身、イトマン事件に深くかかわって引責辞任に追い込まれた。
私は「夕刊フジ」で、83年7月から84回に及ぶ『ザ・ライバル』と題するコラム記事を書いたが、その第1回目のライバル物語が「住友銀行VS野村證券」(3回連続)だった。住銀と野村の社員の活力の源泉を知るために住銀の磯田氏と野村の田淵節也社長にインタビューしたのだが、そのとき磯田氏に「『向こう傷は問わない』と言われるが、儲かりさえすれば何をしてもいいというわけではないでしょう。許される向こう傷の限度を教えてほしい」とずけずけ聞いたことがある。インタビューに立ち会った広報室長はびっくりしたようだったが、当たり障りのない答えだったので、記事にはしなかった。
野村も暴力団とつるんで東急電鉄の株価操作したり、利益さえ上げればかなり際どいことをしても、会社が一生面倒を見てくれるという暗黙の「信頼関係」が企業と従業員の間に培われていた時代でもあった。
日米貿易摩擦が激化するようになって以降、自動車メーカーを筆頭に有力な対米輸出メーカーの多くはアメリカなど海外に工場進出するようになった。私も何度か、海外での「日本型経営」の実態を取材してきたが、日本人経営者が一番頭を悩ますことは人事権問題である。日本企業は人事部が一括して採用や配属を決めるが、アメリカなどでは直属の上司が人事権を掌握しており、自分の地位を脅かしかねない有能な部下を難癖をつけて勝手に解雇してしまうというのだ。だからアメリカでは直属の上司のことを「ボス」と呼ぶ。
プロ野球の日ハムの新監督・新庄が就任会見で「監督ではなく、ビッグ・ボスと呼んでくれ」と挨拶して話題になったが、選手との信頼関係は「ボス中のボス」である自分にある、と言いたかったのだと思う。だから、日本企業の従業員のロイヤリティの対象は会社という共同体にあるが、アメリカ人のロイヤリティの対象は自分に対する生殺与奪の権を有している直属の上司なのだ。
そこで日本企業が大きな問題に直面したのは、「終身雇用」形態を維持することが困難になったことである。バブルがはじける以前のフルタイム従業員の採用はよほどのことがない限り【正規・非正規】などの差別はなかった。もちろんパートやアルバイト、季節労働者、日雇いなどの非正規雇用は昔からあったが、全雇用者に占める割合はすでに述べたようにせいぜい20%だった。
が、アメリカと違って日本は従業員採用が「終身雇用」を暗黙の前提としているため、会社の都合で工場を簡単に閉鎖したり、従業員を簡単にレイオフしたりできない。その問題を解決する手段として日本企業が生み出した方法が二つあった。
その一つが覇権会社から人材を調達するという「非正規雇用」であり、もう一つが中高年社員を対象とした「希望退職制度」(日本企業では退職金制度も自己都合と会社都合・定年退職の2本立てになっており、自己都合退職の支給基準は会社都合や定年退職の約半分になっている。希望退職を募った場合、自己都合扱いではなく、かなりの退職金を上乗せする優遇制度)である。
もともと終身雇用を前提としていないアメリカなどでは【正規・非正規】の差別はない。上司や会社の都合で、長期勤続者でも簡単にレイオフできるからだ。当然、「希望退職制度」など考えもしない。考える必要がないからだ。
いま日本では全雇用者の40%超が非正規だという。その非正規従業員のすべてが正規雇用と同様のフルタイム従業員というわけではないが、バブル崩壊前と同様、パートやアルバイトなどが20%を占めているとしても、正規社員と同じ仕事をしているフルタイムの非正規社員が20%超もいる計算になる。この非正規社員の存在が、ある意味終身雇用を維持するためのクッションの役割を果たしており、それでも間に合わない場合は「希望退職者の募集」という最終手段に出ざるを得ないのが紛れもない現実である。

●民主党政権時代の方が安倍政権時代より経済成長していた
本稿における私のテーマは「アベノミクス」や岸田総理の「新しい資本主義」が日本では「青い鳥」を追いかけるようなものであることを論理的に検証することと、日本経済の未来図をどう描くかである。
まず二人の経済政策に共通した要素は「経済成長至上主義」という認識である。そこで民主党政権時代に比して安倍内閣時代に実質GDPがどのくらい増えたのか、明確に検証してみた。実質GDPは物価変動の影響を除いた実質経済の実力を示す数字だ。この検証に文句は誰も付けられない。
民主党政権が誕生したのは2009年8月末。この年の実質GDP(以下GDPと記す)はは490兆円で08年より19兆円増加した。民主党政権はこの年の4か月だから、その3分の1として単純計算で6兆円超が民主党政権時代に増えたことになる。民主党政権が崩壊したのは2012年12月だが、この年のGDPは517兆円。民主党政権の3年4か月の間に増えたGDPは6+27=33兆円。
 安倍政権時代の、コロナ禍に襲われるまでのGDPの伸びはどうか?
2019年のGDPは554兆円だから、丸7年かけて37兆円の増。コロナ禍に襲われた20,21年のGDP減少をアベノミクスのせいにするのはいくらなんでも気の毒だから、実質的にアベノミクスが機能した7年間に絞って検証したが、なんと3年4か月の民主党政権時代よりわずか4兆円しかGDPは増えていない。いったい、これはどういうことか~
円安で自動車をはじめ輸出産業は増収増益を記録し続けたが、実はGDPの約6割は個人消費が占めているとされる。その個人消費を円安による輸入品の高騰が直撃した結果という検証結果になった。
なお、私は厚労省や国交省のバカ役人と違って、おかしな数字の操作は一切していない。
このことは何を意味するか。
経済成長至上主義が破綻したことを意味する。
当然である。先進国は人類の歴史上初めて人口自然減少時代に突入している。アダム・スミスもマルクスもケインズも、経済学者のだれもが予想もしなかった時代に私たちは直面しているのだ。日本を含め先進国は軒並み高齢化社会に突入しているから、まだ人口減少は表面的には衝撃的な数字になっていないが、おそらく20~30年後には人口減少問題に直面していることがだれの目にも明らかになる。
私はしばしばブログで、この問題を提起してきた。改めて検証すると、1人の女性が一生に産む子供の数を「合計特殊出生率」というが、ある国が人口を維持するために必要な出生率は2.1とされている。出産年齢に達する前に死亡することがあるので2.0ではない。主要国10か国の出生率を見てみよう。
1.フランス  1.9
2.アメリカ  1.7
3.中国    1.7
4.オーストラリア  1.7
5.イギリス  1.6
6.ドイツ   1.5
7.ロシア   1.5
8.カナダ   1.5
9.日本    1.4
10.韓国    0.9
人口が増え続けているのはアフリカや南米の未開発国・地域だけで、これらの国・地域が先進国の生産する高度工業製品を生活必需品とする市場に育つには、おそらく50~100年はかかるだろう。
最近、先進国が自由貿易圏結成を急いでいることは、読者の皆さん、ご承知だと思うが、例えば日本がいま主導的役割を担っているTPPにしても、参加国は輸入を増やしたいためではない。国内需要が頭打ちになってきたため、輸出によって経済成長を果たしたいという勝手な妄想に捕らわれているだけだ。だから実際にTPPがスタートして自由貿易圏ができたとしても、加盟国・地域はすべて輸入関税をセーフガードは設定できても、基本的に関税引き下げが求められているから、輸入が輸出を上回る国・地域は必ず出る。そのとき、自由貿易圏が崩壊するだけで終わるのか、あるいは市場争奪戦が激化して、「獲得した市場を防衛する」という口実を振り回して軍事的手段で既得権を守ろうとするか、予測は不可能だ。
かつての戦争は、そういう「防衛」を口実に行われてきたことは紛れもない歴史的事実であり、「歴史は繰り返す」のか。
それとも、もはや経済成長時代の夢は終了したと、人類が新しい価値観と生き方を追及するようになるのかは、経済学と哲学が目指すべき新しい世界の実現にかかっている。

●「パーパス経営」は会社と社員の新しい「在り方」をつくれるか
最近、「パーパス経営」に取り組もうとする大企業が現れ、新しい人材育成の効果的方法として注目を集めている。
戦後の1950年代に、ドラッガーが経営者の在り方を問うたのが経営学のはしりだが、その後、「従業員のやる気」を引き出す心理学的手法を説いた心理学者がアメリカで2人登場し、日本の企業経営手法にも大きな影響を与えた。
60年代以降、日本は高度経済成長時代を迎えたが、企業にとっては「従業員のやる気」をどう引き出し、企業収益の増大に結び付けるかといった課題に取り組もうとしていた時代でもあった。
一人目はアブラハム・マズローで、「自己実現」論を唱えた。マズローは、人間の欲求には5段階あり、①生理的欲求(生存・種族保存の本能を満たすための欲求――具体的には食・衣住・性欲など) ②安全の欲求 ③社会的欲求(金銭・地位など) ④承認(尊重)の欲求(名誉欲など) そして最後の⑤が「自己実現の欲求」という5段階で、「自己実現の欲求」が他のすべての欲求を超越した素晴らしい欲求で、人々はその欲求段階への到達を目指すべきだと説いた。経営者にとっては極めて都合がいい理論で、経営者自身は企業の収益拡大やシェア拡大といった低次の欲求段階に居座りながら、従業員には「待遇や地位を求めるのではなく、自分の能力開発に集中しろ」と要求することに利用された理論でもあった。
このマズローの欲求段階説をベースにしながら「X理論Y理論」を唱えたのがダグラス・マクレガーだった。マクレガーは、社員には2つのタイプがあり、「自主性がなく、強制されたり命令されなければ仕事をしない」Xタイプと、「自主性を持ち、強制されたり命令されなくても自ら課題を見つけて解決しようと努力する」Yタイプに分けられるという説だ。Xタイプの従業員に対しては「アメとムチ」で高い目標を設定し、がむしゃらに目標達成に向けて頑張らせる管理が必要で、Yタイプの従業員には「自己実現を目指した自主的努力」を要求すべきという、これまた経営者にとっては都合がいい理論だった。
経済成長時代においては、こうした従業員管理法が有効だったことは否定できない。が、企業にとってはいま、経営環境が劇的に変わりつつある。高度経済成長時代においては、「終身雇用・年功序列」といういわゆる日本型雇用関係は容易に維持できたが、いま日本の経営者にとってはいかに日本型雇用形態の終焉を軟着陸させるかが最大の課題となっている。
しかも世界的潮流としてSDGsへの取り組みを無視した企業経営は社会から駆逐されかねないという危機意識を持つ経営者も増えだした。そうした中で昨年5月ごろから一部の大企業経営者の間で注目を集め出したのが「パーパス経営」という新しい従業員管理手法なのだ。
日本では、一橋ビジネススクールの経営学者の名和高司氏が昨年5月に提唱し、SOMPOホールディングやソニーグループ、花王、味の素などの大企業が導入し始め、多くの企業の注目を集めている。
パーパスとは「存在意義」と一般には訳されているが、要するに「企業が存在する理由、存在できる理由、存在しなければならない理由」を根底から問い直し、社会から「存在が必要とされる企業」になっていくためには会社と社員の関係も根底から見直す必要があるという画期的な考えだ。
具体的手法としては、上司と部下が基本的に月1のペースで1対1の面談を行う。それも「上意下達」の指示指導ではなく、上司は部下が自主的に課題を見つけるよう面談をリードし、どうやって課題を解決していくかを一緒に考えるという取り組みである。面談でのポイントは「仕事の目標や進捗」についての話は絶対にしないこと。上司・部下という上下関係ではなく、先輩・後輩のような関係を構築し、信頼関係を深めることも狙いの一つという。だから、上司には高度なウンセリング能力が要求されるようになる。
従来の管理職像とは全く異なる資質・能力が管理職(主に課長クラス)には求められるようになり、パーパス経営を導入した企業には管理職に対するカウンセリング研修が必要となる。
このパーパス経営が成長至上主義経営からの脱却をスムーズに実現できるか、まだ大企業も手探りで始めたばかりなので不透明感はぬぐえないが、企業が生き残るためには従来の価値観の延長では不可能ということに気が付く企業が出現しだしたことの意味は大きい。
パーパス経営だけがベストというわけではないと思われるので、これからの社会が必要とする企業の在り方、経営者の在り方、社員の在り方について模索する時代がしばらく続くであろう。(了)