いま28日の午後11時過ぎ。NHKニュース7と民放の選挙特集報道番組を立て続けに見た後、パソコンに向かうことにした。今日(28日)投稿したブログで、「希望の党」(以下、希望と略す)の代表・小池都知事の衆院選出馬について、私は「絶対にあり得ない」と書いた。その理由を、私はこう書いた。
もし、都知事職を辞したら都民の反発はおそらく想定以上のものになる。大票田の首都で、小池新党は惨敗する。頭のいい小池氏が、自殺行為に相当するバカげた選択をすることは考えられない。市場問題で二兎を追えなかったのと同様、都政と国政の二足のわらじをはくことも無理だ。選挙の顔だけで、小池氏の役割は終わる。
28日3時半過ぎからの記者会見で、小池氏は「衆院選への出馬は絶対にない」と断言した。「出馬は考えていない」という発言だったら、時機を見て出馬宣言をすることを意味する言い方だが(「現時点では」という含みを残した政治家特有の表現)、「絶対にない」と断言した以上、その発言を翻すことは政治家としての死を意味しかねないからだ。
したがって小池氏の希望へのかかわり方は、選挙の顔に留まるだろう。言うなら「人寄せパンダ」みたいなものだ。もっとも自民も民進も、知名度だよりの候補者選びをしているから、小池氏の「人寄せパンダ」作戦だけを批判するのは控える。ただ今回の選挙はひょっとすると、前回の衆院選で記録した「戦後最低の投票率」をすら更新するのではないかという危機感を強く抱いている。
前回の解散時、14年11月18日の朝に投稿したブログで、私はこう書いた。
今日安倍総理が解散を宣言するようだ。「早まった」と後悔しているかもしれないが、ここまで来た解散風を止めることは総理にも出来まい。「争点なき選挙」と言われてきた12月総選挙だが、アベノミクスの総括が最大の争点になることは必至だ。野党間の調整がうまくいけば大逆転もありうるが、野党が勝利しても所詮野合政権の再登場になるだけだ。「争点は生じたが、選択肢がなくなった総選挙」と私は定義する。
このブログを投稿した10時間ほどあと、安倍総理が解散を宣言した。「今回の選挙で自公が過半数を取れなければ、アベノミクスが国民から否定されたことを意味する。私は直ちに退陣する」と。
総選挙の公示日(12月2日)の翌日に投稿したブログでは、私はこう書いた。
いずれにせよ、今回の総選挙は憲政史上空前の低投票率を記録することだけは間違いない。結果として国民に選択肢がないため(野党が効果的な経済政策を打ち出せないため)、自公連立政権が継続されることも間違いないが、はっきりしていることは選挙の低投票率は、国民が突き付けたアベノミクスに対するNOであることだけは言っておく。昨日から選挙戦は本番に突入したが、「こんなに盛り上がらない選挙は、かつてあっただろうか」という有権者の反応の実態がもうすぐ見えてくる。
結果はどうだったか。投票率は52.66%。メディアによれば「戦後最低の投票率」だったようだ。私は憲政史上最低を予測したが、メディアは戦後の記録しか検証しなかったようだ。ただ、朝日新聞に問い合わせたところ、戦前・戦中の投票率はかなり高かったようだから、憲政史上最低と言っても間違いではないと思う、とのことだった。
私は予想屋ではないが、今回の総選挙の投票率は前回をさらに下回る可能性が高いとみている。争点隠しどころか、争点そのものが煙のように消えてしまったからだ。民進議員の大半を吸収することになるだろう希望が、急きょ「台風の目」として自公の対抗馬に躍り出て、表面的には「政権選択の選挙」という、衆院選挙の本来の選挙の意味が付与されたかに見えるが、結果的に有権者にとっては「選択肢」どころか、政治への信頼感が根本から揺らぐ選挙になってしまったからだ。なぜか。
まず希望は、小池氏によれば「寛容な改革保守」の政党ということで、憲法改正、安全保障政策(安保法制の容認)で自民と完全に軌道を同じくするという。自民との違いは「しがらみのない政治」ということだけで、維新の松井代表に言わせれば「私たちが6年間やってきたことと同じ」に過ぎない。
「権力は腐敗する」とは言い古された言葉だが、権力を握る期間が長くなればなるほど、有力支持者や多額の献金をしてくれる業者との癒着は必然的に生じ、次第に腐れ縁になっていく。たとえば関係が疑われる男女がホテルの1室で1夜を過ごせば「男女の関係はない」と言い張っても、そんな言い訳を「信じろ」というほうが無理なのと同様、大学留学以来の腹心の友で、最高権力者の目玉政策を利用して事業の拡大を図った業者が、年に10回近く超多忙の最高権力者とゴルフや飲食を共にしていながら、その事業計画を最高権力者が「全く知らなかった」などと主張しても、信じろというほうが無理だ、と国民の大多数が思うのは自然である。もし、最高権力者の腹心の友が、本当に最高権力者との関係を事業拡大に利用するつもりがなかったら「李下に冠を正さず」で、たとえ最高権力者からの誘いがあったとしてもゴルフや飲食を共にすることは避けるのが、腹心の友たるゆえんではないか。
しがらみのない政治は、新しい政党を作れば実現するほど甘くはなく、「権力は必ず腐敗する」のだから「もし希望が政権の座に就いた場合、腐敗する前に5年で政党を解散する」と宣言し、「5年の間にこれだけの政策を実現する」と公約でもすれば、都知事選・都議選と同様小池フィーバーが吹き荒れるかもしれないが、小池氏にとっては「しがらみのない政治」はただの有権者受けしそうなキャッチフレーズ域を脱しえない。要するに自民とは全く見分けがつかない新党が出現したにすぎず、「争点なき選挙」になってしまったのだ。
民進は衆議院については解散し、希望に「合流」することを28日の両院議員総会で決めた。前原代表のこの提案は、両院議員総会で満場一致で支持されたという。前原代表が「どうすればもう一度政権交代を起こせるかを考えた。名を捨てて実をとる決意を理解してほしい」と説得したことが功を奏したようだ。希望との「合流」を前提に、①衆院選での民進の公認内定は取り消す、②立候補予定者は離党したうえで希望に公認申請をする、③民進は候補を擁立せず、希望を全力で支援する、④参議院議員は衆院選後をめどに希望に加わる、という方針で合意した。反対意見が言えるような雰囲気ではなかったという。
選挙は「勝って何ぼの世界」ということくらいは、私も理解しているつもりだ。が、「名を捨てて実をとる」とはどういうことか。数学の世界には「最大公約数」と「最小公倍数」という概念がある。この概念を政党間の選挙協力の関係に応用すれば、「最大公約数」とは政党Aと政党Bが選挙協力する場合、AもBも5つずつのポリシーがあり、そのうち共有できるポリシーが3つあったら、その3つだけを選挙公約として共闘することを意味する。これに対し「最小公倍数」は、共有できる3つのポリシーにと、相反する2つずつのポリシーも含め合計7つの選挙公約で共闘することを意味する。もちろんこんなバカな選挙協力はあり得ない。が、前原・民進側の「合流」作戦は、「最小公倍数」的なことを期待しているようだ。
そんなことが可能なのか。小池氏は28日の記者会見で、民進の「合流」作戦を真っ向から否定した。「誰でも、とは考えていない。私どもは合流という考え方は持っていない」「安保法制に賛成できない方は(公認を)申し込んでこないのでは…」と、申請者について個別に判断することを明らかにした。
もともと昨日のブログでも書いたように、小池氏は希望の公認について「憲法改正」「安保法制容認」の2条件を受け入れることを踏み絵にしている。民進党は憲法に関しては「安倍政権下での改憲は認めない」としているだけで(ということは「安倍政権でなければ改憲に応じる」ことを意味する)、いちおうぎりぎりセーフと言えなくもないが、安保法制の採決のときは体を張って阻止しようとしてきた。
消費税の使い道のようなケースで安倍政権と衝突した程度のことだったら、最大公約数的考え方として自民との対立は不問に付してもそれほど重大な問題にはならないと思うが、安保法制を容認するということは憲法が定めた「日本という国の在り方」に関するポリシーを180度転換するということを意味し、そんなことが許されるなら国民の間に政治不信が沸騰することは間違いない。「名を捨てて実をとる」という範疇をはるかに超えた「転向」「変節」であり、選挙で当選するためなら悪魔とでも手を組む行為に等しい。
国民もバカではない。早晩、前原・民進党議員に対する愛想尽かしが急速に進むことは必至だ。また実際に、民進党議員が希望に公認要請した場合、「安保法制を容認するか」と踏み絵を突き付けられたとき、「はい、あの採決のときは党議拘束がかかっていたため、やむを得ず体を張って抵抗したけど、実は本意ではなかった」と胸を張って言える人がどれだけいるか。仮にいたとしても、地元の有権者にその変節をどう説明するのか。「実は本意ではなかった」などと言い訳をしたら、「この人は当選しても本意ではないことを平気でやる人だ」という烙印を押されてしまうこと必至だ。
前原・民進の「合流」方針は、国民の政治不信を極限まで高めるだろう。これは日本の政治に、取り返しのつかない傷跡を刻むことを意味する。
また連合はどうするのだろうか。小池・前原・神津の3者会談で神津氏(連合会長)は民進党の「合流」を支持したと報道されているが、旧社会党系議員(赤松グループ、辻元グループなど)の公認申請は、小池氏が拒否することは必至だ。もし連合が旧社会党系議員を見捨てて「保守」を公言している小池・希望の党を応援したら、おそらく連合は解体の危機に陥る。第一、連合系組合員が、希望公認候補の選挙運動には動かないだろう。
いまはメディアも「台風の目」扱いをしているが、こうした希望・民進・連合の関係を与党に追及され出したら、小池新党の前途は多難を極めるだろう。
ただ一つだけ、希望が勝つチャンスがある。ブログで何度も書いてきたが、アベノミクスは完全に破たんしている。そもそもアベノミクスを提案した総理の経済ブレーンだった浜田氏自身が「失敗」をいまでは認めている。が、総理や日銀・黒田総裁はいまさら失敗を認めるわけにはいかず(失敗を認めたら責任をとって二人とも職を辞さざるを得なくなる)、レールの上を走り続けている。アベノミクスに変わる経済政策を打ち出して、それを「争点」にできれば勝てる可能性があるが、小池氏は経済には関心がないようだ。小池氏ほどの有能な政治家でも、勝つためのポイントがわかっていないのかもしれない。
もし、都知事職を辞したら都民の反発はおそらく想定以上のものになる。大票田の首都で、小池新党は惨敗する。頭のいい小池氏が、自殺行為に相当するバカげた選択をすることは考えられない。市場問題で二兎を追えなかったのと同様、都政と国政の二足のわらじをはくことも無理だ。選挙の顔だけで、小池氏の役割は終わる。
28日3時半過ぎからの記者会見で、小池氏は「衆院選への出馬は絶対にない」と断言した。「出馬は考えていない」という発言だったら、時機を見て出馬宣言をすることを意味する言い方だが(「現時点では」という含みを残した政治家特有の表現)、「絶対にない」と断言した以上、その発言を翻すことは政治家としての死を意味しかねないからだ。
したがって小池氏の希望へのかかわり方は、選挙の顔に留まるだろう。言うなら「人寄せパンダ」みたいなものだ。もっとも自民も民進も、知名度だよりの候補者選びをしているから、小池氏の「人寄せパンダ」作戦だけを批判するのは控える。ただ今回の選挙はひょっとすると、前回の衆院選で記録した「戦後最低の投票率」をすら更新するのではないかという危機感を強く抱いている。
前回の解散時、14年11月18日の朝に投稿したブログで、私はこう書いた。
今日安倍総理が解散を宣言するようだ。「早まった」と後悔しているかもしれないが、ここまで来た解散風を止めることは総理にも出来まい。「争点なき選挙」と言われてきた12月総選挙だが、アベノミクスの総括が最大の争点になることは必至だ。野党間の調整がうまくいけば大逆転もありうるが、野党が勝利しても所詮野合政権の再登場になるだけだ。「争点は生じたが、選択肢がなくなった総選挙」と私は定義する。
このブログを投稿した10時間ほどあと、安倍総理が解散を宣言した。「今回の選挙で自公が過半数を取れなければ、アベノミクスが国民から否定されたことを意味する。私は直ちに退陣する」と。
総選挙の公示日(12月2日)の翌日に投稿したブログでは、私はこう書いた。
いずれにせよ、今回の総選挙は憲政史上空前の低投票率を記録することだけは間違いない。結果として国民に選択肢がないため(野党が効果的な経済政策を打ち出せないため)、自公連立政権が継続されることも間違いないが、はっきりしていることは選挙の低投票率は、国民が突き付けたアベノミクスに対するNOであることだけは言っておく。昨日から選挙戦は本番に突入したが、「こんなに盛り上がらない選挙は、かつてあっただろうか」という有権者の反応の実態がもうすぐ見えてくる。
結果はどうだったか。投票率は52.66%。メディアによれば「戦後最低の投票率」だったようだ。私は憲政史上最低を予測したが、メディアは戦後の記録しか検証しなかったようだ。ただ、朝日新聞に問い合わせたところ、戦前・戦中の投票率はかなり高かったようだから、憲政史上最低と言っても間違いではないと思う、とのことだった。
私は予想屋ではないが、今回の総選挙の投票率は前回をさらに下回る可能性が高いとみている。争点隠しどころか、争点そのものが煙のように消えてしまったからだ。民進議員の大半を吸収することになるだろう希望が、急きょ「台風の目」として自公の対抗馬に躍り出て、表面的には「政権選択の選挙」という、衆院選挙の本来の選挙の意味が付与されたかに見えるが、結果的に有権者にとっては「選択肢」どころか、政治への信頼感が根本から揺らぐ選挙になってしまったからだ。なぜか。
まず希望は、小池氏によれば「寛容な改革保守」の政党ということで、憲法改正、安全保障政策(安保法制の容認)で自民と完全に軌道を同じくするという。自民との違いは「しがらみのない政治」ということだけで、維新の松井代表に言わせれば「私たちが6年間やってきたことと同じ」に過ぎない。
「権力は腐敗する」とは言い古された言葉だが、権力を握る期間が長くなればなるほど、有力支持者や多額の献金をしてくれる業者との癒着は必然的に生じ、次第に腐れ縁になっていく。たとえば関係が疑われる男女がホテルの1室で1夜を過ごせば「男女の関係はない」と言い張っても、そんな言い訳を「信じろ」というほうが無理なのと同様、大学留学以来の腹心の友で、最高権力者の目玉政策を利用して事業の拡大を図った業者が、年に10回近く超多忙の最高権力者とゴルフや飲食を共にしていながら、その事業計画を最高権力者が「全く知らなかった」などと主張しても、信じろというほうが無理だ、と国民の大多数が思うのは自然である。もし、最高権力者の腹心の友が、本当に最高権力者との関係を事業拡大に利用するつもりがなかったら「李下に冠を正さず」で、たとえ最高権力者からの誘いがあったとしてもゴルフや飲食を共にすることは避けるのが、腹心の友たるゆえんではないか。
しがらみのない政治は、新しい政党を作れば実現するほど甘くはなく、「権力は必ず腐敗する」のだから「もし希望が政権の座に就いた場合、腐敗する前に5年で政党を解散する」と宣言し、「5年の間にこれだけの政策を実現する」と公約でもすれば、都知事選・都議選と同様小池フィーバーが吹き荒れるかもしれないが、小池氏にとっては「しがらみのない政治」はただの有権者受けしそうなキャッチフレーズ域を脱しえない。要するに自民とは全く見分けがつかない新党が出現したにすぎず、「争点なき選挙」になってしまったのだ。
民進は衆議院については解散し、希望に「合流」することを28日の両院議員総会で決めた。前原代表のこの提案は、両院議員総会で満場一致で支持されたという。前原代表が「どうすればもう一度政権交代を起こせるかを考えた。名を捨てて実をとる決意を理解してほしい」と説得したことが功を奏したようだ。希望との「合流」を前提に、①衆院選での民進の公認内定は取り消す、②立候補予定者は離党したうえで希望に公認申請をする、③民進は候補を擁立せず、希望を全力で支援する、④参議院議員は衆院選後をめどに希望に加わる、という方針で合意した。反対意見が言えるような雰囲気ではなかったという。
選挙は「勝って何ぼの世界」ということくらいは、私も理解しているつもりだ。が、「名を捨てて実をとる」とはどういうことか。数学の世界には「最大公約数」と「最小公倍数」という概念がある。この概念を政党間の選挙協力の関係に応用すれば、「最大公約数」とは政党Aと政党Bが選挙協力する場合、AもBも5つずつのポリシーがあり、そのうち共有できるポリシーが3つあったら、その3つだけを選挙公約として共闘することを意味する。これに対し「最小公倍数」は、共有できる3つのポリシーにと、相反する2つずつのポリシーも含め合計7つの選挙公約で共闘することを意味する。もちろんこんなバカな選挙協力はあり得ない。が、前原・民進側の「合流」作戦は、「最小公倍数」的なことを期待しているようだ。
そんなことが可能なのか。小池氏は28日の記者会見で、民進の「合流」作戦を真っ向から否定した。「誰でも、とは考えていない。私どもは合流という考え方は持っていない」「安保法制に賛成できない方は(公認を)申し込んでこないのでは…」と、申請者について個別に判断することを明らかにした。
もともと昨日のブログでも書いたように、小池氏は希望の公認について「憲法改正」「安保法制容認」の2条件を受け入れることを踏み絵にしている。民進党は憲法に関しては「安倍政権下での改憲は認めない」としているだけで(ということは「安倍政権でなければ改憲に応じる」ことを意味する)、いちおうぎりぎりセーフと言えなくもないが、安保法制の採決のときは体を張って阻止しようとしてきた。
消費税の使い道のようなケースで安倍政権と衝突した程度のことだったら、最大公約数的考え方として自民との対立は不問に付してもそれほど重大な問題にはならないと思うが、安保法制を容認するということは憲法が定めた「日本という国の在り方」に関するポリシーを180度転換するということを意味し、そんなことが許されるなら国民の間に政治不信が沸騰することは間違いない。「名を捨てて実をとる」という範疇をはるかに超えた「転向」「変節」であり、選挙で当選するためなら悪魔とでも手を組む行為に等しい。
国民もバカではない。早晩、前原・民進党議員に対する愛想尽かしが急速に進むことは必至だ。また実際に、民進党議員が希望に公認要請した場合、「安保法制を容認するか」と踏み絵を突き付けられたとき、「はい、あの採決のときは党議拘束がかかっていたため、やむを得ず体を張って抵抗したけど、実は本意ではなかった」と胸を張って言える人がどれだけいるか。仮にいたとしても、地元の有権者にその変節をどう説明するのか。「実は本意ではなかった」などと言い訳をしたら、「この人は当選しても本意ではないことを平気でやる人だ」という烙印を押されてしまうこと必至だ。
前原・民進の「合流」方針は、国民の政治不信を極限まで高めるだろう。これは日本の政治に、取り返しのつかない傷跡を刻むことを意味する。
また連合はどうするのだろうか。小池・前原・神津の3者会談で神津氏(連合会長)は民進党の「合流」を支持したと報道されているが、旧社会党系議員(赤松グループ、辻元グループなど)の公認申請は、小池氏が拒否することは必至だ。もし連合が旧社会党系議員を見捨てて「保守」を公言している小池・希望の党を応援したら、おそらく連合は解体の危機に陥る。第一、連合系組合員が、希望公認候補の選挙運動には動かないだろう。
いまはメディアも「台風の目」扱いをしているが、こうした希望・民進・連合の関係を与党に追及され出したら、小池新党の前途は多難を極めるだろう。
ただ一つだけ、希望が勝つチャンスがある。ブログで何度も書いてきたが、アベノミクスは完全に破たんしている。そもそもアベノミクスを提案した総理の経済ブレーンだった浜田氏自身が「失敗」をいまでは認めている。が、総理や日銀・黒田総裁はいまさら失敗を認めるわけにはいかず(失敗を認めたら責任をとって二人とも職を辞さざるを得なくなる)、レールの上を走り続けている。アベノミクスに変わる経済政策を打ち出して、それを「争点」にできれば勝てる可能性があるが、小池氏は経済には関心がないようだ。小池氏ほどの有能な政治家でも、勝つためのポイントがわかっていないのかもしれない。