北方領土問題が混とんとしてきた。1月22日、安倍総理はモスクワでプーチン大統領と第2次政権発足以降22回目の首脳会談に臨んだ。会談はこれまでで最も長い3時間に及んだが、メディアの報道によれば具体的な進展はなかったようだ。通常、首脳会談は事前に双方の担当官僚による水面下の交渉で、ある程度煮詰め、最終的に水面下での折り合いをトップ同士が確認し合うという儀式的要素が強い。だから未解決の問題を残したまま、トップ同士が3時間もかけて交渉しなければならなかったという事態そのものが異常といえよう。
早くも日本のメディアでは「ロシアは結局歯舞、色丹の2島すら返すつもりがないのではないか」という悲観論が強まっている。
会談後の記者会見では、安倍総理は領土問題には触れることもなく「交渉をさらに前進させるよう(河野外相に?)指示した」と述べるにとどまり、プーチン大統領も「双方が受け入れ可能な解決策を見出すための条件を形成するため、今後も長く綿密な作業(どんな?)が必要だ」と述べるにとどまった。
この問題を論じる際、まず前提として押さえておきたいことがいくつかある。箇条書き的に列挙しておく。
① 日本側は歯舞・色丹の2島「返還」だけで国後・択捉はあきらめるのか。それとも国後・択捉の領有権はとりあえず棚上げにするということか。だが、棚上げは、おそらくロシアが「うん」と言わない。「棚上げ」にこだわったら交渉を続けることは時間の無駄であり、「実力」で「奪還」しない限り、日本には1島も返ってこない(「返る」と書いたのは、とりあえず日本側の主張を前提にしたため)。
② 平和条約締結と領土問題解決は絶対にセットでなければならないのか? 平和条約締結は日本にとって安全保障上の最優先課題であり、日本がロシアと友好関係を強めれば中国や北朝鮮との関係も良好な方向に向かうと、私は思う。ただし、平和条約締結は必ずしも日本側のロシアに対する経済的支援を意味しない。経済的支援は領土問題解決交渉の際の、有力なカードとして使ったほうが交渉を有利に進めることができるのではないか?
③ 日本は「返還」と言い、ロシアは「引き渡す」(日本語訳)と言っているが、「引き渡す」とはロシア語でどういう行為を意味しているのか? 日本が「返還」という表現にこだわり続ける限り、歯舞・色丹だけでなく国後・択捉も本来、日本領土であるという従来の解釈を変更しないことを意味する。もし領土問題解決が「2島返還(±α)」で決着した場合、事実上、これまでの解釈を変更することになるが、政府は国民にそうした事態をどう説明するのか? 論理的帰結は、「北方4島は日本領土ではなかった。だから、歯舞・色丹はロシアの好意により貰うことになった。その見返りとして、日本はロシア領土の国後・択捉の経済発展のために協力することにした」という説明以外ありえない。果たしてそういう論理で、国民は納得するだろうか?
④ 政府は教科書に竹島・尖閣は日本の領土と明記させたが、北方領土については教科書に何の明記もない。なぜか? 日本が抱えている領土問題は、3つのケースがそれぞれ異質である。例えば北方領土以上に日本の領土であることを国際的に表明している竹島(教科書の明記がそのことを意味する)が、韓国が「不法占拠」しているのに、なぜ自衛権を発動して「奪還」しないのか? 実は私は外務省アジア太平洋局に何度も電話で「なぜ竹島を実力で奪還しないのか」と聞いた。答えはいつも同じで「日本は平和的解決を目指していますから」である。日本の領土が「不法占拠」されているのに、実力で排除せず話し合いで解決できると考えているのなら、自衛隊の存在意義が根本的に問われることになる。日本は憲法9条で「戦力の不保持」と「交戦権の否認」をうたっている。だから歴代政府は事実上の軍事組織である自衛隊を「実力組織」という意味不明な位置づけで国民をごまかしてきた。が、その「実力」すら行使できないのなら、自衛隊の軍事能力は「張り子のトラ」にすぎないことしか意味しない。外務省はそのことをわかっているのか。
⑤ 国際紛争を解決する手段は3つある。一つは言うまでもなく国連憲章51条で認められている「自衛権」の発動だ。具体的には竹島の場合、「不法占拠」している韓国人を実力で排除することだ。当然、自衛隊と韓国軍の間でドンパチが始まる。そこで二つ目の手段である国際司法裁判所に「日本と韓国のどちらに帰属するか」の判断を求めて提訴する。ただし国際司法裁判が開かれるには当事国が双方とも同意する必要があり、少なくとも今日まで韓国は国際司法裁判所での解決に応じていない。その場合、最後の三つ目の手段である国連安保理に竹島問題の解決をゆだねることだ。国連憲章51条が認めている「自衛権の行使」はあくまで「国連安保理が紛争を解決するまでの間」であり、国連安保理が竹島問題を解決してくれるまでの間、戦闘行為を中断(要するに休戦)する。なぜ日本はそういう普通の国だったら当然行うべき、また国連憲章が認めている権利を行使しないのか? あっ、そうか。日本はアメリカの「属国」だから、実はアメリカに「この3つの手段を行使していいか」とお伺いを立て、アメリカから「やめとけ」と言われたのでやらないのか。それなら納得。「そだね!」
これらの諸問題について政府はこれまで、一度も国民に説明責任を果たしていない。また野党もメディアもこれまで、これらの諸問題について政府を追及したことは、私が知る限り一度もない。
こうした前提に立って、北方領土問題についての私の考察を述べたい。そのためにも、とりあえず、北方領土に関する経緯を年表的にまとめておく。この年表に記載した事実はすべて確認済みであることを付け加えておく。
1939年8月 独ソ不可侵条約
1940年10月 日独伊三国同盟
1941年4月 日ソ中立条約(相互不可侵・第3国との紛争は相手国を支援しない ※独ソ不可侵条約と同じ) 期限5年
6月 独ソ戦開戦
1945年2月 ヤルタ会談(米英ソ首脳会談 ソ連に参戦を依頼)
4~6月 沖縄戦
4月 ソ連、日ソ中立条約不延長を日本に通告
5月 ドイツ降伏
6月 国連憲章成立(国際紛争の解決は安保理があらゆる権能を行使 ただし安保理が解決するまでの間、自衛権を容認) 国連発足は10月
7月 米英ソ首脳がポツダム宣言を作成(署名は蒋介石) 米英がソ連に国連憲章に基づいて対日参戦を要請
8月6日 広島に原爆投下
8月8日 ソ連、ポツダム宣言参加を宣言 連合国の対日参戦要請を受けて宣戦布告
8月14日 日本。ポツダム宣言受諾を連合国に通告 翌日、玉音放送
8月26日~9月5日(諸説あり) ソ連軍、アメリカの支援(艦船、武器、上陸訓練など)を受けて北方領土を占領
10月 国連発足 米・英・仏・中・ソの5か国が安保理の常任理事国に。
こうした経緯から考えて、日本がポツダム宣言を受諾を連合国側に通告した時点(8月14日)で、連合国軍総司令官のダグラス・マッカーサーは連合国軍を構成している各国に「撃ち方止め」の指示を出していなければならない。ましてソ連は8月8日にはポツダム宣言の宣言国に加わっており、その時点でポツダム宣言国は米・英・中・ソの4か国になっている。日本がポツダム宣言受諾を通告した後に、すでにポツダム宣言国として名を連ねていたソ連が「戦争継続中」として北方4島を侵略・占拠した根拠を、日本政府は厳しく追及すべでではなかったのか。
私は最近ある大手メディアにこういう提案をしたことがある。「メディア1社だけでは手に負えないだろうから、他のメディアにも呼び掛けて共同調査団を作り、アメリカ・イギリス・中国・ロシアなど関係国の公文書を調べるだけ調べ、ソ連がどういう経緯で日ソ中立条約を一方的に破棄し、対日参戦に至ったのかの経緯を明らかにしてほしい」と。とりわけロシアのラブロフ外相が河野外相との会談で、「交渉の前提として北方領土という呼称は使うな。歯舞・色丹・国後・択捉はロシア領であることをまず認めることだ」と、ちゃぶ台返しのようなことを言い出した意味と、その主張の「正当性」を関係各国の公文書で裏付けることを要求すべきだ。いたずらに日本の立場の主張を繰り返しても、議論は平行線をたどるばかりだ。
議論は、個人間であっても組織間であっても、また国際間であっても、自分の主張を繰り返すだけでは絶対に解決しない。相手の主張に疑問を抱いたら、その主張の論理的根拠を、けんか腰にではなく誠実に求めるべきだ。「俺はそうは思わない」だけでは議論は平行線どころか、互いの距離がどんどん開いていくばかりだ。日本もロシアも、子供のけんかのような言い合いに終始するのではなく、「平和条約締結は両国にとってどういう効果をもたらすのか」「領土問題の解決は両国にとって、とりわけ日ソ両国の経済的相互依存関係の構築に計り知れない効果がある」「両国の経済的相互依存関係が深まることは両国の安全保障にも計り知れない効果がある」ことを、冷静に考えて双方が交渉に臨んでほしいと、私は願っている。
なお昨日(27日)、『たけしのTVタックル』を見ていて感じたことがあり、テレビ朝日の視聴者センターに電話した。韓国の文大統領の大法院(日本の最高裁に相当)を受けての発言「日本は歴史についてもっと謙虚であるべきだ」についてである。前に私はブログで書いたが(昨年12月1日投稿の『徴用工問題――日韓どっちに分がある? 日本政府はかつて個人請求権を認めていた!』)で、1991年8月27日、外務省条約局長(当時)の柳井俊二氏(のち、安倍総理の私的懇談会の座長を務めて「集団的自衛権行使容認」の露払いをした人物)が、衆院予算委員会で「請求権協定は個人請求権に影響を及ぼさない」と答弁している。私はその事実を朝日新聞に伝え、朝日新聞は同月4日に「90年代には、韓国人の戦争被害者が日本で(賠償請求を)提訴し始めたが、政府は従来と矛盾する解釈は取れず、『個人請求権は消滅していない』との国会答弁を続け、訴訟でも『請求権協定で解決済み』とは抗弁しなかった」と報道した。
その後、私はNHKふれあいセンターのスーパーバイザーに電話でそのことを伝え、「たとえ、一時的に国益に反しても、歴史認識の根幹にかかわる問題だから、柳井氏に取材して氏の発言の真意を含めて報道してほしい」と要請した。が、NHKはいまのところ沈黙している。報道局長の小池某が許可しないからかもしれない。
私は現在、慰安婦にせよ徴用工にせよ、請求権協定で解決済みなのか、あるいは未解決なのかの判断はできない。私個人の調査能力を超えてしまっているからだ。あとはメディアの良心を待つしかないと思っている。
ただ、文大統領の「日本は歴史に謙虚であるべきだ」という発言が徴用工問題に限らず、日朝併合によって生じたあらゆる事例を意味しているなら、文大統領にこう提案したい。
「韓国の国会で日本を併合するという決議を採択せよ。そして決議が成立したなら、日本政府に対して『過去を償わせるため、日本を併合することにした。日本政府は国会でこの韓国国会の決議を容認せよ』と公式に日本に要求を突きつけてごらん」と。
言っておくが、日本が朝鮮を併合した経緯は、日本が朝鮮と戦争して軍事占領した結果ではなく、朝鮮の国会で「日本との併合」を決議した結果である。もちろん、私は朝鮮国民の自主的判断だとまで言いたいわけではない。日清・日露戦争の結果、朝鮮国内でそれまで従属関係にあった中国やロシアを当てにできないという事態から日本との併合を望む親日派が勢力を伸ばし、朝鮮側の求めに応じるかたち(あくまで「かたち」)で日本が朝鮮を併合することになったという経緯もある。実際、日本でも当時、朝鮮を併合することによって日本が被る負担の膨大さから併合に反対する勢力も少なからずあった(とくに経済界には反対派が多かったようだ)。が、朝鮮を足場にして大陸進出を目指していた軍部が反対派を押し切って併合容認に持ち込んだという経緯もある。
実は日清戦争時も、日露戦争時も、日本は朝鮮に自主独立を勧めていた。そうした日本側の姿勢から、朝鮮国内で親日派が勢力を伸ばしてきたという事実もあり、常に大国の保護を求めてきた朝鮮民族の負の歴史が日朝併合の底流にあったことは紛れもない事実である。
かといって、私は日朝併合は日本にとっても負の歴史であるという歴史認識は強く持っている。たとえ、時代がそういう時代だったとしても、やはり私たち日本は朝鮮の人々にぬぐい切れない屈辱を強い、彼らを虫けらのように扱ってきた事実は否定できないものがある。
歴史認識は、「勝てば官軍、負ければ賊軍」「敗軍の将、兵を語らず」を基準にすべきではない、と私は何度もブログで書いてきた。歴史に「たら・れば」は禁句、と言われるが、「たら・れば研究」こそが、二度と同じ過ちを犯さないための絶対必要条件だと私は考えている。未来志向の新しい歴史を築くためには、「たら・れば研究」は不可避である。そこから新しい「未来志向の歴史認識」を生み出したい、と私は考えている。
早くも日本のメディアでは「ロシアは結局歯舞、色丹の2島すら返すつもりがないのではないか」という悲観論が強まっている。
会談後の記者会見では、安倍総理は領土問題には触れることもなく「交渉をさらに前進させるよう(河野外相に?)指示した」と述べるにとどまり、プーチン大統領も「双方が受け入れ可能な解決策を見出すための条件を形成するため、今後も長く綿密な作業(どんな?)が必要だ」と述べるにとどまった。
この問題を論じる際、まず前提として押さえておきたいことがいくつかある。箇条書き的に列挙しておく。
① 日本側は歯舞・色丹の2島「返還」だけで国後・択捉はあきらめるのか。それとも国後・択捉の領有権はとりあえず棚上げにするということか。だが、棚上げは、おそらくロシアが「うん」と言わない。「棚上げ」にこだわったら交渉を続けることは時間の無駄であり、「実力」で「奪還」しない限り、日本には1島も返ってこない(「返る」と書いたのは、とりあえず日本側の主張を前提にしたため)。
② 平和条約締結と領土問題解決は絶対にセットでなければならないのか? 平和条約締結は日本にとって安全保障上の最優先課題であり、日本がロシアと友好関係を強めれば中国や北朝鮮との関係も良好な方向に向かうと、私は思う。ただし、平和条約締結は必ずしも日本側のロシアに対する経済的支援を意味しない。経済的支援は領土問題解決交渉の際の、有力なカードとして使ったほうが交渉を有利に進めることができるのではないか?
③ 日本は「返還」と言い、ロシアは「引き渡す」(日本語訳)と言っているが、「引き渡す」とはロシア語でどういう行為を意味しているのか? 日本が「返還」という表現にこだわり続ける限り、歯舞・色丹だけでなく国後・択捉も本来、日本領土であるという従来の解釈を変更しないことを意味する。もし領土問題解決が「2島返還(±α)」で決着した場合、事実上、これまでの解釈を変更することになるが、政府は国民にそうした事態をどう説明するのか? 論理的帰結は、「北方4島は日本領土ではなかった。だから、歯舞・色丹はロシアの好意により貰うことになった。その見返りとして、日本はロシア領土の国後・択捉の経済発展のために協力することにした」という説明以外ありえない。果たしてそういう論理で、国民は納得するだろうか?
④ 政府は教科書に竹島・尖閣は日本の領土と明記させたが、北方領土については教科書に何の明記もない。なぜか? 日本が抱えている領土問題は、3つのケースがそれぞれ異質である。例えば北方領土以上に日本の領土であることを国際的に表明している竹島(教科書の明記がそのことを意味する)が、韓国が「不法占拠」しているのに、なぜ自衛権を発動して「奪還」しないのか? 実は私は外務省アジア太平洋局に何度も電話で「なぜ竹島を実力で奪還しないのか」と聞いた。答えはいつも同じで「日本は平和的解決を目指していますから」である。日本の領土が「不法占拠」されているのに、実力で排除せず話し合いで解決できると考えているのなら、自衛隊の存在意義が根本的に問われることになる。日本は憲法9条で「戦力の不保持」と「交戦権の否認」をうたっている。だから歴代政府は事実上の軍事組織である自衛隊を「実力組織」という意味不明な位置づけで国民をごまかしてきた。が、その「実力」すら行使できないのなら、自衛隊の軍事能力は「張り子のトラ」にすぎないことしか意味しない。外務省はそのことをわかっているのか。
⑤ 国際紛争を解決する手段は3つある。一つは言うまでもなく国連憲章51条で認められている「自衛権」の発動だ。具体的には竹島の場合、「不法占拠」している韓国人を実力で排除することだ。当然、自衛隊と韓国軍の間でドンパチが始まる。そこで二つ目の手段である国際司法裁判所に「日本と韓国のどちらに帰属するか」の判断を求めて提訴する。ただし国際司法裁判が開かれるには当事国が双方とも同意する必要があり、少なくとも今日まで韓国は国際司法裁判所での解決に応じていない。その場合、最後の三つ目の手段である国連安保理に竹島問題の解決をゆだねることだ。国連憲章51条が認めている「自衛権の行使」はあくまで「国連安保理が紛争を解決するまでの間」であり、国連安保理が竹島問題を解決してくれるまでの間、戦闘行為を中断(要するに休戦)する。なぜ日本はそういう普通の国だったら当然行うべき、また国連憲章が認めている権利を行使しないのか? あっ、そうか。日本はアメリカの「属国」だから、実はアメリカに「この3つの手段を行使していいか」とお伺いを立て、アメリカから「やめとけ」と言われたのでやらないのか。それなら納得。「そだね!」
これらの諸問題について政府はこれまで、一度も国民に説明責任を果たしていない。また野党もメディアもこれまで、これらの諸問題について政府を追及したことは、私が知る限り一度もない。
こうした前提に立って、北方領土問題についての私の考察を述べたい。そのためにも、とりあえず、北方領土に関する経緯を年表的にまとめておく。この年表に記載した事実はすべて確認済みであることを付け加えておく。
1939年8月 独ソ不可侵条約
1940年10月 日独伊三国同盟
1941年4月 日ソ中立条約(相互不可侵・第3国との紛争は相手国を支援しない ※独ソ不可侵条約と同じ) 期限5年
6月 独ソ戦開戦
1945年2月 ヤルタ会談(米英ソ首脳会談 ソ連に参戦を依頼)
4~6月 沖縄戦
4月 ソ連、日ソ中立条約不延長を日本に通告
5月 ドイツ降伏
6月 国連憲章成立(国際紛争の解決は安保理があらゆる権能を行使 ただし安保理が解決するまでの間、自衛権を容認) 国連発足は10月
7月 米英ソ首脳がポツダム宣言を作成(署名は蒋介石) 米英がソ連に国連憲章に基づいて対日参戦を要請
8月6日 広島に原爆投下
8月8日 ソ連、ポツダム宣言参加を宣言 連合国の対日参戦要請を受けて宣戦布告
8月14日 日本。ポツダム宣言受諾を連合国に通告 翌日、玉音放送
8月26日~9月5日(諸説あり) ソ連軍、アメリカの支援(艦船、武器、上陸訓練など)を受けて北方領土を占領
10月 国連発足 米・英・仏・中・ソの5か国が安保理の常任理事国に。
こうした経緯から考えて、日本がポツダム宣言を受諾を連合国側に通告した時点(8月14日)で、連合国軍総司令官のダグラス・マッカーサーは連合国軍を構成している各国に「撃ち方止め」の指示を出していなければならない。ましてソ連は8月8日にはポツダム宣言の宣言国に加わっており、その時点でポツダム宣言国は米・英・中・ソの4か国になっている。日本がポツダム宣言受諾を通告した後に、すでにポツダム宣言国として名を連ねていたソ連が「戦争継続中」として北方4島を侵略・占拠した根拠を、日本政府は厳しく追及すべでではなかったのか。
私は最近ある大手メディアにこういう提案をしたことがある。「メディア1社だけでは手に負えないだろうから、他のメディアにも呼び掛けて共同調査団を作り、アメリカ・イギリス・中国・ロシアなど関係国の公文書を調べるだけ調べ、ソ連がどういう経緯で日ソ中立条約を一方的に破棄し、対日参戦に至ったのかの経緯を明らかにしてほしい」と。とりわけロシアのラブロフ外相が河野外相との会談で、「交渉の前提として北方領土という呼称は使うな。歯舞・色丹・国後・択捉はロシア領であることをまず認めることだ」と、ちゃぶ台返しのようなことを言い出した意味と、その主張の「正当性」を関係各国の公文書で裏付けることを要求すべきだ。いたずらに日本の立場の主張を繰り返しても、議論は平行線をたどるばかりだ。
議論は、個人間であっても組織間であっても、また国際間であっても、自分の主張を繰り返すだけでは絶対に解決しない。相手の主張に疑問を抱いたら、その主張の論理的根拠を、けんか腰にではなく誠実に求めるべきだ。「俺はそうは思わない」だけでは議論は平行線どころか、互いの距離がどんどん開いていくばかりだ。日本もロシアも、子供のけんかのような言い合いに終始するのではなく、「平和条約締結は両国にとってどういう効果をもたらすのか」「領土問題の解決は両国にとって、とりわけ日ソ両国の経済的相互依存関係の構築に計り知れない効果がある」「両国の経済的相互依存関係が深まることは両国の安全保障にも計り知れない効果がある」ことを、冷静に考えて双方が交渉に臨んでほしいと、私は願っている。
なお昨日(27日)、『たけしのTVタックル』を見ていて感じたことがあり、テレビ朝日の視聴者センターに電話した。韓国の文大統領の大法院(日本の最高裁に相当)を受けての発言「日本は歴史についてもっと謙虚であるべきだ」についてである。前に私はブログで書いたが(昨年12月1日投稿の『徴用工問題――日韓どっちに分がある? 日本政府はかつて個人請求権を認めていた!』)で、1991年8月27日、外務省条約局長(当時)の柳井俊二氏(のち、安倍総理の私的懇談会の座長を務めて「集団的自衛権行使容認」の露払いをした人物)が、衆院予算委員会で「請求権協定は個人請求権に影響を及ぼさない」と答弁している。私はその事実を朝日新聞に伝え、朝日新聞は同月4日に「90年代には、韓国人の戦争被害者が日本で(賠償請求を)提訴し始めたが、政府は従来と矛盾する解釈は取れず、『個人請求権は消滅していない』との国会答弁を続け、訴訟でも『請求権協定で解決済み』とは抗弁しなかった」と報道した。
その後、私はNHKふれあいセンターのスーパーバイザーに電話でそのことを伝え、「たとえ、一時的に国益に反しても、歴史認識の根幹にかかわる問題だから、柳井氏に取材して氏の発言の真意を含めて報道してほしい」と要請した。が、NHKはいまのところ沈黙している。報道局長の小池某が許可しないからかもしれない。
私は現在、慰安婦にせよ徴用工にせよ、請求権協定で解決済みなのか、あるいは未解決なのかの判断はできない。私個人の調査能力を超えてしまっているからだ。あとはメディアの良心を待つしかないと思っている。
ただ、文大統領の「日本は歴史に謙虚であるべきだ」という発言が徴用工問題に限らず、日朝併合によって生じたあらゆる事例を意味しているなら、文大統領にこう提案したい。
「韓国の国会で日本を併合するという決議を採択せよ。そして決議が成立したなら、日本政府に対して『過去を償わせるため、日本を併合することにした。日本政府は国会でこの韓国国会の決議を容認せよ』と公式に日本に要求を突きつけてごらん」と。
言っておくが、日本が朝鮮を併合した経緯は、日本が朝鮮と戦争して軍事占領した結果ではなく、朝鮮の国会で「日本との併合」を決議した結果である。もちろん、私は朝鮮国民の自主的判断だとまで言いたいわけではない。日清・日露戦争の結果、朝鮮国内でそれまで従属関係にあった中国やロシアを当てにできないという事態から日本との併合を望む親日派が勢力を伸ばし、朝鮮側の求めに応じるかたち(あくまで「かたち」)で日本が朝鮮を併合することになったという経緯もある。実際、日本でも当時、朝鮮を併合することによって日本が被る負担の膨大さから併合に反対する勢力も少なからずあった(とくに経済界には反対派が多かったようだ)。が、朝鮮を足場にして大陸進出を目指していた軍部が反対派を押し切って併合容認に持ち込んだという経緯もある。
実は日清戦争時も、日露戦争時も、日本は朝鮮に自主独立を勧めていた。そうした日本側の姿勢から、朝鮮国内で親日派が勢力を伸ばしてきたという事実もあり、常に大国の保護を求めてきた朝鮮民族の負の歴史が日朝併合の底流にあったことは紛れもない事実である。
かといって、私は日朝併合は日本にとっても負の歴史であるという歴史認識は強く持っている。たとえ、時代がそういう時代だったとしても、やはり私たち日本は朝鮮の人々にぬぐい切れない屈辱を強い、彼らを虫けらのように扱ってきた事実は否定できないものがある。
歴史認識は、「勝てば官軍、負ければ賊軍」「敗軍の将、兵を語らず」を基準にすべきではない、と私は何度もブログで書いてきた。歴史に「たら・れば」は禁句、と言われるが、「たら・れば研究」こそが、二度と同じ過ちを犯さないための絶対必要条件だと私は考えている。未来志向の新しい歴史を築くためには、「たら・れば研究」は不可避である。そこから新しい「未来志向の歴史認識」を生み出したい、と私は考えている。