アルゼンチン・ブェノスアイレスで開かれていた主要20か国・地域の財務担当相・中央銀行総裁会議(G20 日本からは麻生財務相・黒田日銀総裁が出席)が終わった。いちおう発表された共同声明では「自由貿易の推進、保護主義との対決」といった従来方針を継承した。が、アメリカ発の世界貿易戦争に対する対策や、トランプ大統領のアメリカ・ファースト主義丸出しの関税政策への批判は封印されたようだ。しかし、ノー天気としか言いようがない麻生財務相は「(G20の成果について)きちんとした方向で落ち着いてきた」と高く評価した。日本にとっても貿易戦争は「対岸の火事」ではないはずだが…。
私が「貿易戦争」という言葉を初めて使用したのは7月9日にアップしたブログ『いま、日本が直面する四大危機…』である。その四大危機の一つとして「世界貿易戦争勃発か?」としてアメリカの身勝手さを告発した。
実はその数日前に朝日新聞には電話で「いま生じている事態はもはや(貿易)摩擦と言える域を超えた。もはや兵器を使用しない戦争だ」と申し上げた。私の記憶ではメディアが「貿易摩擦」から「貿易戦争」に言い換えだしたのは7月中旬以降だったと思う。トランプ大統領の通商政策は、鉄鋼・アルミ製品にかけるとした25%の関税(中国に対してはすでに発動)の口実「アメリカの安全保障のため」が「口実のための口実」に過ぎないことが、その後の関税政策でも明らかになった。日本やドイツからの輸入自動車がなぜ「アメリカの安全保障」を脅かしているのか。トランプ大統領も説明できまい。
中国やEUは真っ向からアメリカ発の貿易戦争を受けて立つ姿勢を示している(中国はすでに発動している)。ノー天気なのは、日本だけだ。世界から日本はどう見られているか。安倍さんはアメリカに追随することが「日本の安全保障は戦後最大の危機に直面している」ため最優先政策なのか。アメリカに頭を下げて「日本にだけは関税攻撃をやめてください」とお願いすれば貿易戦争を回避できると考えているのかもしれないが、そうした考え方そのものが世界からどう見られているか、安倍さんは考えたことがあるのだろうか。
第2次世界大戦が終結する約1年前の1,944年7月、米ニューハンプシャー州のブレトンウッズに連合国44か国の財務担当相が集まって戦後の世界経済正常化のための国際会議を行った。第2次世界大戦勃発の最大の要因が、列強を中心としたブロック経済圏同士の覇権争いにあったという反省から、金との兌換(交換)を保証していたアメリカの通貨・ドルを世界の基軸通貨として世界各国が認め、各国通貨の米ドルとの交換比率を一定に保つことが決められ、公平で平等な自由貿易体制を構築することになった。いわゆるブレトンウッズ体制の確立である。実はこの会議にはソ連も参加して協定に調印したのだが、最終的には国内で批准しなかった。
日本も戦後、この体制の下で1ドル=360円(±1%)と決められ、この固定相場制の下で戦後の経済復興を成し遂げてきた。戦後復興の大きな要因として朝鮮戦争特需や池田内閣による高度経済成長政策が取り上げられることが多いが、実は最大の要因は、この恵まれた固定為替によって日本製品の輸出競争力が格段に高まったことにある。戦争による痛手をほとんど受けることがなかったアメリカが、戦後世界経済発展のゆいつの牽引車になり、そのアメリカ向けの輸出拡大で日本経済は回復の足場を築いてきたからだ。日本の経済学者たちは、なぜかこの最大の経済回復要因をあまり重視していない。無能なせいかどうかは、私にはわからない。なお日本がGNP(国民総生産…現在は経済指標としてはGDP=国内総生産=が使われているが、実質的に同じである)で西ドイツを抜き世界第2位に躍進したのは1969年である。
いずれにせよ、このブレトンウッズ体制の下で日本経済が繁栄を謳歌できたのは四半世紀ほどだった。アメリカがあまりにもドルを世界にばらまきすぎたことやベトナム戦争での戦費がかさんだこともあって米経済の疲弊が進み、ドルとの兌換を保証してきた金の保有量とドルの流通量との格差が生じだしたのである。1971年8月15日、アメリカのニクソン大統領が前触れも一切なく、いきなりドルと金の兌換の停止を発表した。「ニクソン・ショック」である。
それでもその年12月18日にはワシントンDCのスミソニアン博物館に世界主要国10か国の蔵相が集まって金との兌換保証のない米ドルをいったん切り下げたうえで、米ドルを引き続き世界の基軸通貨として容認して固定相場制の存続を決め、各国通貨のドルとの交換比率を見直すことにした。その結果、西側ヨーロッパ諸国をはじめ、先進国の通貨は切り上げられることになり、日本の通貨も1ドル=308円に切り上げられたが、日本経済はそれほどの打撃は受けていない。変動相場制に移行するまでのこの時期は、いちおうスミソニアン体制と呼ばれているが、基本的には固定相場制の手直しであり、私はブレトンウッズ体制の崩壊とは考えていない(ブレトンウッズ制度なら別)。
実質的にブレトンウッズ体制(為替の固定相場制)が崩壊したのは1973年である。その前年72年6月にはイギリスがまず変動相場制に移行(米ドルが世界の基準通貨になったのは先に述べたように戦後であり、それまではイギリスの通貨ポンドが事実上最も信頼できる通貨とされており、ドルの信頼性低下に伴ってポンドの復権を期待したのかもしれない…私の偏見的見解)、73年3月までに日本を含め主要国が相次いで変動相場制に移行し、円高が進み出した。
この年10月、第4次中東戦争がぼっ発し、それを機にOPEC(石油輸出国機構)加盟国中ペルシャ湾岸に面する6か国が原油公示価格を一気に70%引き上げ、ついでOAPEC(アラブ石油輸出国機構)が原油生産の段階的削減を決定、石油資源のほとんどを中東に依存していた日本経済は大打撃を受ける。
変動相場制への移行による円高に加えての石油ショックにより、日本経済はハイパー・インフレ(悪性インフレ)の悪夢に襲われる。実際にはそこまでいかなかったが、それでも翌74年の消費者物価指数は27%も上昇、流通業界の「買いだめ売り惜しみ」もあって洗剤やトイレットペーパーなどの生活必需品は「狂乱物価」状態に陥り、消費者の家計を直撃した。GNPは-1.2%を記録、戦後初めてのマイナス成長を記録、高度経済成長時代はこの年をもって終焉した。
が、この危機的状況が、皮肉なことに日本産業界のカンフル剤になった。円高で輸出競争力が低下したうえに原油価格の高騰で生産コストが急増したことが、逆に日本産業界にとっては「神風」になったのだ。こういう認識を持っている経済学者は私が知る限り日本には一人もいない(海外については知らない)。
一方アメリカは、日本ほど影響を受けなかった。ドル安が進んでいたし、石油産出国でもあったからだ。日米産業界が置かれていたポジションとの違いが、その後の経済摩擦を生む最大の要因となった。ほとんど危機感を持たなかったアメリカに対し、日本産業界は重大な危機感を持った。日本産業界は従来の重厚長大型から、「省エネ省力」「軽薄短小」「メカトロニクス」など、今日ならいずれも流行語大賞を受賞してもおかしくないスローガンを掲げて産業構造の大転換を図る。そのためのキー・テクノロジーになったのが半導体技術である。
日本は国をあげて半導体技術の革新に取り組み出した。半導体研究の二つのプロジェクトをスタートさせたのだ。ひとつは電電公社(現NTT)武蔵野通研が中心になってNEC、富士通、日立が参加した次世代メモリの研究開発チーム。もう一つは通産省(現経産省)が音頭をとってNEC、富士通、日立、東芝、三菱などが参加して立ち上げた超LSI技術共同組合である。この研究開発費700億円のうち300億円を国が補助している。
当時世界の半導体市場のシェアの70%以上をアメリカ勢が握っていた。が、石油ショックで重大な危機感を抱いて国の総力をあげて研究開発に乗り出した日本勢が、一気にアメリカを追い抜き、わずか数年で形勢逆転に持ち込んだ。半導体産業でアメリカを追い抜いただけではない。世界のトップに躍り出た日本の半導体技術を活用したのが家電などのエレクトロニクス製品や自動車etc。雪崩を打つように日本製品がアメリカ市場に流れ込んだ。アメリカ産業界は一気に窮地に追い込まれた。
日本はこの時に、もう一つの神風を受けていた。西ドイツが日本と競争できなかったからである。なぜか。
半導体の生産には純水が必要だ。その純水がヨーロッパの水質では作れない。西ドイツに限らずヨーロッパの先進国で半導体産業が一つも生まれなかったのはそのためだ。西ドイツが水質に恵まれていたら、日本経済のその後の発展はなかったかもしれない。
一方、石油ショックでヨーロッパや日本の経済が疲弊した時期、その余波は当然アメリカも受けた。が、アメリカは日本と異なり、経済再活性化への道を国内消費の拡大に求めた。この手法はアメリカ政治の伝統的手法であり、何度失敗しても懲りない国でもある。
この時期もアメリカは金融緩和によって国内の消費を刺激した。インフレが進み、日本製品だけでなく、遅ればせながら日本から最先端のエレクトロニクス製品を購入してエレクトロニクス化を進めた西ドイツの工業製品もアメリカ市場に流れ込んでいった。
アメリカにとって気の毒な面もあった。東西冷戦が続いており、西側防衛のためのアメリカの軍事費は拡大の一途をたどっていた。とくに81年1月に発足したレーガン政権は「強いアメリカの再生」をスローガンに、対ソ軍拡競争を仕掛けていた。その結果、軍事費は膨らむ一方、インフレ克服のため急激な金融引き締め策をとらざるを得なくなった。レーガン政権発足1年後には市中金利が20%を超えるという事態になり、投機マネーがドル買いに集中する結果を招く。ドル高による深刻なデフレ不況がアメリカ経済を襲った。そのうえドル高で輸出競争力を失ったアメリカ工業界は生産拠点を海外に移し出した。アメリカの産業空洞化はこうして始まったのである。
こうした困難を回避するには再び金融緩和すればいいのだが、金融を緩和すればドル高は収まるが、財政赤字は膨らむ。アベノミクスが金融緩和によって財政赤字が膨らんだのと同じ理屈だ。赤字国債を大量に発行して通貨の供給量を増大させるのが金融緩和だから、当然と言えば当然だ。
国内の金融政策ではどうにもならなくなったレーガン大統領は、貿易赤字の元凶である日本と西ドイツに救済を要求した。それが85年9月にニューヨークのプラザホテルで開催したG5である。アメリカが他国に頭を下げて救済を頼んだのは、おそらくこのプラザ会議が最初で最後ではないかと思う。ま、アメリカは他国に頭を下げて頼んだなどとは絶対に認めないだろうが…。
G5の参加国は米・英・仏・西独・日本の5か国。日本からはのちに首相になる竹下登蔵相が出席した。レーガン大統領の狙いは日本と西ドイツの2か国だけだったが、イギリスとフランスも呼んだのは両国のメンツを考慮したためか、あるいは日本と西ドイツへのプレッシャー効果を高めるためだったのか。いずれにせよ、日本はアメリカの要請に応じてドル売り政策を発動、プラザ合意が行われた9月23日の1日だけで為替相場は1ドル=235円から一気に約20円もドル安円高になった。さらに1年後には150円台に、2年後には120円台へと急速にドル安円高が進んだ。
実はこの急速な為替変動が日本ではバブル景気の遠因になったという説もあるが、このブログではそこまでは立ち入らない。日本の工業界がどうやってこの時期の円高を乗り切ったのかの検証だけしておく。この時期の日本企業(円高の衝撃をもろに受けた輸出産業)のビヘイビア原理を解明すれば、アベノミクスの失敗原因が手に取るように理解できるはずだからだ。
アベノミクスが金融緩和によってデフレ不況脱却を目指したことはだれも分かっていると思う。それが、なぜ「絵に描いた餅」で終わったのか。
そもそも安倍政権が発足したときの経済状態は、確かに好況とは言えないまでも、それほど不況感が強く、経済活動が停滞していたと言えるだろうか。少なくともプラザ合意後の2年間での円高に比べれば、それほど大騒ぎするほどのことはなかったのではないか。
金融緩和の一番手っ取り早い方法は赤字国債を大量に発行して通貨の供給量を増やすことだ。通貨も商品だから供給量を増やせば通貨の価値は下がる。つまり円安になる。円安になればメーカーの国際競争力は強くなる。いままでより安い価格で輸出できることになるはずだ。
輸出価格が下がれば、海外での需要も増える(国内の需要は為替相場とは直接は連動しない)。需要が増えればメーカーは供給を増やすだろう。つまり生産力を増強するだろう。生産力を増強するためには設備投資をするだろうし、雇用も増やす。そういう歯車が回れば、日本経済は活性化する。これがアベノミクスの「絵に描いた餅」の正体だ。それ以上でも、それ以下でもない。
では、なぜそういう結果が生じなかったのか。その理由を説明するために。私はプラザ合意後のメーカーのビヘイビアを検証することにしよう。
実はプラザ合意で円高になった分、本来ならメーカーは輸出価格を値上げしなければならなかったはずだ。たとえばそれまで1万ドル(当時の円換算で240万円)で輸出していた商品があったとして、円が倍になったら輸出価格を2万ドル(円換算で480万円)に引き上げなければならないはずだ。もし、ドル建てで同じ価格(つまり1万ドル)で輸出しようとすれば(そうすれば輸出競争力は低下しない)輸出価格は円換算で120万円にせざるをえなくなる。実質的に半値で輸出することになる。これで採算が取れるだろうか。
ところが、それに近いことを日本のメーカーは当時していたのである。例えば自動車。プラザ合意以降、輸出価格はドル建てで多少は値上げしたが、せいぜい20%程度だった。アメリカから「ダンピングではないか」と追及されると「合理化努力によってコストダウンを図ったのだ」と居直った。実際、知人の都銀支店長から「左ハンドルでよければ、ものすごく安く入手できるよ」と言われたことがある。私は左ハンドルの運転に自信がなかったので、せっかくのチャンスを逃したことがある。
合理化努力によってコストダウンを図ったのだとしたら、日本国内での販売価格も同様に値下げしてもいいはずなのだが、国内価格は据え置いたままだった。なぜか。その背景には日本独特の雇用関係があったからだ。
トランプ大統領の関税攻撃に対してEUは「ハーレーのバイクにも25%の関税をかける」と対決姿勢をあらわにした。途端にハーレーは「EU向けの製品はアメリカ国外で生産する」と発表した。トランプ大統領は頭を抱えたが、実はハーレーが日本の会社だったらそういうことは不可能なのだ。アメリカをはじめほとんどの国は、いいか悪いかは別にして、会社の都合によるレイオフ(解雇)や工場閉鎖が自由にできるが、日本ではレイオフや工場閉鎖は会社の都合ではできない。従業員に対する雇用環境が世界一保護されているからだ。
日本もバブル景気が破たんして「失われた20年」を迎える以前は、いわゆる非正規社員という存在はほとんどなかった。もちろんアルバイトやパートといった雇用形態はあったが、勤務状態が正社員と同じでいながら非正規という雇用形態はほとんどなかったといってもいいだろう。
バブル崩壊以降、非正規という雇用形態が急増したのは、非正規ならばいつでも解雇できるからである。右肩上がりの成長は今後見込めないと考えられる業種ほど、当面必要な人材は非正規で採用したほうが雇用責任も発生しないからである。だから就職先として人気はあっても右肩下がりの出版業界など、正規社員として入社するのは極めて困難である。
だから「働き方改革」の一環で正規社員と非正規社員の格差是正が求められても、そのこと自体は会社にとってさほどきついことではない。正規社員であれば、年功序列で昇給や昇格をある程度保証しなければならないが、非正規であればつねに労働に見合った賃金を支払えばよく、また不必要になればいつでも解雇できるからだ。安倍さんは、鬼の首でも取ったように格差是正を誇っているが、非正規社員の雇用の不安定状態はまったく変わっていない。
プラザ合意後の急速な円高で、日本のメーカーが困ったのは、こうした日本特有の雇用関係が背景にあったからであある。円高と関税はもちろん別物だが、輸出産業にとっては同じ効果を持つ。アメリカのハーレーのように、「25%も関税をかけられるなら(為替が25%上がるのと同じ効果になる)海外で生産する」という経営判断が日本ではできないのだ。日本企業がある程度身勝手にならざるを得ないのは、そうした事情による。
つまり、こういうことだ。日本のメーカーにとっては工場を閉鎖したり、あるいは生産ラインの一部を止めたりして生産量を調整することは、たちまち生産コストの増加を意味する。従業員の給与は、日本ではランニング・コストではなく、固定経費だからだ。生産コストの増加を防ぐには、まず生産量を維持することを最優先しなければならない。生産量を維持するには輸出量も維持しなければならない。円高になっても輸出価格に反映できず、ドル建て輸出価格を極力下げないようにしなければならない。その結果輸出が赤字になっても、国内販売でカバーできればメーカーは最小限の利益は確保できる。
そのしわ寄せが、国内の消費者に回ったのもそのためである。実際、当時は逆輸入(いったんアメリカに輸出した商品をアメリカで買い付けて日本に持ち帰ること)のほうが安いというおかしな現象が生じ、私も仕事や遊びでアメリカに行ったときにはゴルフボールなどアメリカで買ったことがしばしばある。ご存じのようにゴルフボールは結構重い。それでも、その「苦役」に耐えるだけの価値があった。それほど日米の価格差が拡大した時期があった。アメリカがダンピング輸出だと怒り、日米経済摩擦が爆発したのも、そのせいだ。アメリカの自動車のメッカであるデトロイトで、日本車の輸入激増で職を奪われた労働者たちが日本車を叩き壊したり、火をつけてうっぷんを晴らしたことを、安倍さん、もう忘れたのかね。
なお、シャネルなどの一流ブランド品を海外で安く買い付けて日本に輸入するビジネスを「並行輸入」というが、これは日本では不当に高値で販売している正規代理店の、「日本人は値段が高くないと買わない」という信じがたい販売戦略に対する対抗ビジネスで、ダンピング輸出された日本商品をアメリカで安く買って持ち帰る逆輸入とは違う。
いずれにせよ、そうした日本メーカーが抱えている宿命的問題を安倍さんはまったく理解していなかった。だから金融緩和によって為替相場を円安誘導すれば 【日本メーカーの輸出競争力が回復→設備投資による生産力の拡大→雇用の増加→日本の労働者の総収入アップ→国内消費の回復→デフレ不況からの脱却】 という「絵に描いた餅」が食べられなかった理由はそこにあった。日本のメーカーにとっては少子化によって市場の拡大が期待できない以上、設備投資などすれば地獄を見ることになることが、100%確実だったからだ。とくに自動車などは大都市の公共交通手段の利便性増強もあって若い人たちのクルマ離れが激しく、国内市場は縮小の一途をたどっており、回復の見込みはない。
当然メーカーは円安になっても生産量を増やさず、輸出価格を据え置いて為替差益をがっぽり、内部留保だけ史上最高を記録(利益も史上最高)、という極めて論理的な果実を得ただけだった。そうした結果は、結果を見るまでもなく、プラザ合意後の円高の中で日本メーカーが示したビヘイビア原理を検証していれば、確実に予測できたはずである。頭の悪い人が経済政策を立てると、こういう結果になる。
結果が出てから内部留保に課税したらといった議論も政府で出たようだが、それは重複課税になるから(内部留保は課税後の利益だから)検討するまでもなく無理。「内部留保を賃金として従業員に渡せ」というもっともらしい主張もあるが、日本の大企業の場合、労働組合が単産(単位産業別)組織になっており、昔より自由度は高くはなったが依然として横並び意識が強く、例えば自動車メーカーで言えば勝ち頭のトヨタだけが突出して過大な賃上げをすることに抵抗が強い。
このブログもかなり長文になり、私も疲れたので、この辺で終わらせていただくが、アメリカがEUに対しても関税戦争を仕掛ければ、EUも直ちに報復手段に出る。そのときは間違いなくEUは中国と手を組む。
トランプ大統領は貿易戦争を仕掛けるに際して、当初、「同盟国は除外する」と言っていたが、日本は同盟国でありながら貿易戦争の標的にされていた。その時点ではEUは貿易戦争の対象から除外されるはずだったが、トランプ大統領の気が変わったのか、あるいは政権内で「そういうやり方はフェアでない」と批判が出て方針を変えたのか、メディアがだらしがないため事情がさっぱり分からない。
いずれにせよ、EUが中国と手を組んで本格的な世界貿易戦争に突入したとき、日本はどうする?
それでも「何とか話し合いで解決を」と、アメリカに頭を下げ続け、世界中からコケにされるつもりか?
安倍さんは総裁3選を狙って全国行脚中ということだが、それどころではないはずだ。こんな人を3期9年も総裁に抱くことに、自民党国会議員は恥ずかしいと思わないのだろうか?
ちなみに今年9月に行われる総裁選では国会議員票と党員票が1:1の比率になるという。自民党の国会議員総数は405人。一人一票を持つ。それに対して党員数は約107万人。107万人でやはり405票。国会議員は一般党員の2640倍もの権利があることになる。
いったい自民党総裁は党の代表なのか、それとも国会議員の代表なのか。国会議員の代表なら党員投票のような金だけかかることはやめたほうがいいし、党の代表なら国会議員の一票も一般党員の一票も同じ重みを持たなければならないはずだが…。もっともこうした代表選出方式は自民党だけではないが…。日本の政党には「民主主義」という言葉は禁句のようだ。
【追記】今日(10日)から日米通商交渉が始まる。この長文のブログはまだ読者が一向に減る気配がないが、来週月曜日【13日】には強行更新する。今日から原稿を書き始めるが、政治家やメディアの方たちは思い出してほしい。私は78歳になるが、私よりはるかに若い方たちが、私以上に認知症(健忘症?)になりながら大きな顔をして御託を並べている事態に我慢がならないからだ。
なぜ認知症になってしまうのか? 目先の情報に振り回されてしまっているからだ。
そういう方たちに重大なヒントだけ差し上げておく。
日本がバブル景気によっていた1989年9月、アメリカの要求によって日米構造協議が開始された。その時もアメリカは貿易赤字に苦しんでおり、日米貿易摩擦が火を噴いていた。アメリカ側は日本の行政スタンスをこう攻撃した。
「日本の行政やビジネス・ルールは消費者本位ではなく、生産者中心になっている」
「我々は日本の消費者の要求を代弁しているだけだ」
「最後の勝利者は、日本の消費者だ」
いまのトランプ大統領の保護主義的貿易政策は、この時のアメリカの日本に対する批判を、そのまま熨斗をつけて返上したらどうか。今回の日米通商交渉に際し、日本代表は、そのくらいのハード・ネゴシエーションを覚悟すべきだ。やたらトランプにおべっかを使って、少し負けてもらおうなどというさもしない態度だけは取ってほしくない。
私が「貿易戦争」という言葉を初めて使用したのは7月9日にアップしたブログ『いま、日本が直面する四大危機…』である。その四大危機の一つとして「世界貿易戦争勃発か?」としてアメリカの身勝手さを告発した。
実はその数日前に朝日新聞には電話で「いま生じている事態はもはや(貿易)摩擦と言える域を超えた。もはや兵器を使用しない戦争だ」と申し上げた。私の記憶ではメディアが「貿易摩擦」から「貿易戦争」に言い換えだしたのは7月中旬以降だったと思う。トランプ大統領の通商政策は、鉄鋼・アルミ製品にかけるとした25%の関税(中国に対してはすでに発動)の口実「アメリカの安全保障のため」が「口実のための口実」に過ぎないことが、その後の関税政策でも明らかになった。日本やドイツからの輸入自動車がなぜ「アメリカの安全保障」を脅かしているのか。トランプ大統領も説明できまい。
中国やEUは真っ向からアメリカ発の貿易戦争を受けて立つ姿勢を示している(中国はすでに発動している)。ノー天気なのは、日本だけだ。世界から日本はどう見られているか。安倍さんはアメリカに追随することが「日本の安全保障は戦後最大の危機に直面している」ため最優先政策なのか。アメリカに頭を下げて「日本にだけは関税攻撃をやめてください」とお願いすれば貿易戦争を回避できると考えているのかもしれないが、そうした考え方そのものが世界からどう見られているか、安倍さんは考えたことがあるのだろうか。
第2次世界大戦が終結する約1年前の1,944年7月、米ニューハンプシャー州のブレトンウッズに連合国44か国の財務担当相が集まって戦後の世界経済正常化のための国際会議を行った。第2次世界大戦勃発の最大の要因が、列強を中心としたブロック経済圏同士の覇権争いにあったという反省から、金との兌換(交換)を保証していたアメリカの通貨・ドルを世界の基軸通貨として世界各国が認め、各国通貨の米ドルとの交換比率を一定に保つことが決められ、公平で平等な自由貿易体制を構築することになった。いわゆるブレトンウッズ体制の確立である。実はこの会議にはソ連も参加して協定に調印したのだが、最終的には国内で批准しなかった。
日本も戦後、この体制の下で1ドル=360円(±1%)と決められ、この固定相場制の下で戦後の経済復興を成し遂げてきた。戦後復興の大きな要因として朝鮮戦争特需や池田内閣による高度経済成長政策が取り上げられることが多いが、実は最大の要因は、この恵まれた固定為替によって日本製品の輸出競争力が格段に高まったことにある。戦争による痛手をほとんど受けることがなかったアメリカが、戦後世界経済発展のゆいつの牽引車になり、そのアメリカ向けの輸出拡大で日本経済は回復の足場を築いてきたからだ。日本の経済学者たちは、なぜかこの最大の経済回復要因をあまり重視していない。無能なせいかどうかは、私にはわからない。なお日本がGNP(国民総生産…現在は経済指標としてはGDP=国内総生産=が使われているが、実質的に同じである)で西ドイツを抜き世界第2位に躍進したのは1969年である。
いずれにせよ、このブレトンウッズ体制の下で日本経済が繁栄を謳歌できたのは四半世紀ほどだった。アメリカがあまりにもドルを世界にばらまきすぎたことやベトナム戦争での戦費がかさんだこともあって米経済の疲弊が進み、ドルとの兌換を保証してきた金の保有量とドルの流通量との格差が生じだしたのである。1971年8月15日、アメリカのニクソン大統領が前触れも一切なく、いきなりドルと金の兌換の停止を発表した。「ニクソン・ショック」である。
それでもその年12月18日にはワシントンDCのスミソニアン博物館に世界主要国10か国の蔵相が集まって金との兌換保証のない米ドルをいったん切り下げたうえで、米ドルを引き続き世界の基軸通貨として容認して固定相場制の存続を決め、各国通貨のドルとの交換比率を見直すことにした。その結果、西側ヨーロッパ諸国をはじめ、先進国の通貨は切り上げられることになり、日本の通貨も1ドル=308円に切り上げられたが、日本経済はそれほどの打撃は受けていない。変動相場制に移行するまでのこの時期は、いちおうスミソニアン体制と呼ばれているが、基本的には固定相場制の手直しであり、私はブレトンウッズ体制の崩壊とは考えていない(ブレトンウッズ制度なら別)。
実質的にブレトンウッズ体制(為替の固定相場制)が崩壊したのは1973年である。その前年72年6月にはイギリスがまず変動相場制に移行(米ドルが世界の基準通貨になったのは先に述べたように戦後であり、それまではイギリスの通貨ポンドが事実上最も信頼できる通貨とされており、ドルの信頼性低下に伴ってポンドの復権を期待したのかもしれない…私の偏見的見解)、73年3月までに日本を含め主要国が相次いで変動相場制に移行し、円高が進み出した。
この年10月、第4次中東戦争がぼっ発し、それを機にOPEC(石油輸出国機構)加盟国中ペルシャ湾岸に面する6か国が原油公示価格を一気に70%引き上げ、ついでOAPEC(アラブ石油輸出国機構)が原油生産の段階的削減を決定、石油資源のほとんどを中東に依存していた日本経済は大打撃を受ける。
変動相場制への移行による円高に加えての石油ショックにより、日本経済はハイパー・インフレ(悪性インフレ)の悪夢に襲われる。実際にはそこまでいかなかったが、それでも翌74年の消費者物価指数は27%も上昇、流通業界の「買いだめ売り惜しみ」もあって洗剤やトイレットペーパーなどの生活必需品は「狂乱物価」状態に陥り、消費者の家計を直撃した。GNPは-1.2%を記録、戦後初めてのマイナス成長を記録、高度経済成長時代はこの年をもって終焉した。
が、この危機的状況が、皮肉なことに日本産業界のカンフル剤になった。円高で輸出競争力が低下したうえに原油価格の高騰で生産コストが急増したことが、逆に日本産業界にとっては「神風」になったのだ。こういう認識を持っている経済学者は私が知る限り日本には一人もいない(海外については知らない)。
一方アメリカは、日本ほど影響を受けなかった。ドル安が進んでいたし、石油産出国でもあったからだ。日米産業界が置かれていたポジションとの違いが、その後の経済摩擦を生む最大の要因となった。ほとんど危機感を持たなかったアメリカに対し、日本産業界は重大な危機感を持った。日本産業界は従来の重厚長大型から、「省エネ省力」「軽薄短小」「メカトロニクス」など、今日ならいずれも流行語大賞を受賞してもおかしくないスローガンを掲げて産業構造の大転換を図る。そのためのキー・テクノロジーになったのが半導体技術である。
日本は国をあげて半導体技術の革新に取り組み出した。半導体研究の二つのプロジェクトをスタートさせたのだ。ひとつは電電公社(現NTT)武蔵野通研が中心になってNEC、富士通、日立が参加した次世代メモリの研究開発チーム。もう一つは通産省(現経産省)が音頭をとってNEC、富士通、日立、東芝、三菱などが参加して立ち上げた超LSI技術共同組合である。この研究開発費700億円のうち300億円を国が補助している。
当時世界の半導体市場のシェアの70%以上をアメリカ勢が握っていた。が、石油ショックで重大な危機感を抱いて国の総力をあげて研究開発に乗り出した日本勢が、一気にアメリカを追い抜き、わずか数年で形勢逆転に持ち込んだ。半導体産業でアメリカを追い抜いただけではない。世界のトップに躍り出た日本の半導体技術を活用したのが家電などのエレクトロニクス製品や自動車etc。雪崩を打つように日本製品がアメリカ市場に流れ込んだ。アメリカ産業界は一気に窮地に追い込まれた。
日本はこの時に、もう一つの神風を受けていた。西ドイツが日本と競争できなかったからである。なぜか。
半導体の生産には純水が必要だ。その純水がヨーロッパの水質では作れない。西ドイツに限らずヨーロッパの先進国で半導体産業が一つも生まれなかったのはそのためだ。西ドイツが水質に恵まれていたら、日本経済のその後の発展はなかったかもしれない。
一方、石油ショックでヨーロッパや日本の経済が疲弊した時期、その余波は当然アメリカも受けた。が、アメリカは日本と異なり、経済再活性化への道を国内消費の拡大に求めた。この手法はアメリカ政治の伝統的手法であり、何度失敗しても懲りない国でもある。
この時期もアメリカは金融緩和によって国内の消費を刺激した。インフレが進み、日本製品だけでなく、遅ればせながら日本から最先端のエレクトロニクス製品を購入してエレクトロニクス化を進めた西ドイツの工業製品もアメリカ市場に流れ込んでいった。
アメリカにとって気の毒な面もあった。東西冷戦が続いており、西側防衛のためのアメリカの軍事費は拡大の一途をたどっていた。とくに81年1月に発足したレーガン政権は「強いアメリカの再生」をスローガンに、対ソ軍拡競争を仕掛けていた。その結果、軍事費は膨らむ一方、インフレ克服のため急激な金融引き締め策をとらざるを得なくなった。レーガン政権発足1年後には市中金利が20%を超えるという事態になり、投機マネーがドル買いに集中する結果を招く。ドル高による深刻なデフレ不況がアメリカ経済を襲った。そのうえドル高で輸出競争力を失ったアメリカ工業界は生産拠点を海外に移し出した。アメリカの産業空洞化はこうして始まったのである。
こうした困難を回避するには再び金融緩和すればいいのだが、金融を緩和すればドル高は収まるが、財政赤字は膨らむ。アベノミクスが金融緩和によって財政赤字が膨らんだのと同じ理屈だ。赤字国債を大量に発行して通貨の供給量を増大させるのが金融緩和だから、当然と言えば当然だ。
国内の金融政策ではどうにもならなくなったレーガン大統領は、貿易赤字の元凶である日本と西ドイツに救済を要求した。それが85年9月にニューヨークのプラザホテルで開催したG5である。アメリカが他国に頭を下げて救済を頼んだのは、おそらくこのプラザ会議が最初で最後ではないかと思う。ま、アメリカは他国に頭を下げて頼んだなどとは絶対に認めないだろうが…。
G5の参加国は米・英・仏・西独・日本の5か国。日本からはのちに首相になる竹下登蔵相が出席した。レーガン大統領の狙いは日本と西ドイツの2か国だけだったが、イギリスとフランスも呼んだのは両国のメンツを考慮したためか、あるいは日本と西ドイツへのプレッシャー効果を高めるためだったのか。いずれにせよ、日本はアメリカの要請に応じてドル売り政策を発動、プラザ合意が行われた9月23日の1日だけで為替相場は1ドル=235円から一気に約20円もドル安円高になった。さらに1年後には150円台に、2年後には120円台へと急速にドル安円高が進んだ。
実はこの急速な為替変動が日本ではバブル景気の遠因になったという説もあるが、このブログではそこまでは立ち入らない。日本の工業界がどうやってこの時期の円高を乗り切ったのかの検証だけしておく。この時期の日本企業(円高の衝撃をもろに受けた輸出産業)のビヘイビア原理を解明すれば、アベノミクスの失敗原因が手に取るように理解できるはずだからだ。
アベノミクスが金融緩和によってデフレ不況脱却を目指したことはだれも分かっていると思う。それが、なぜ「絵に描いた餅」で終わったのか。
そもそも安倍政権が発足したときの経済状態は、確かに好況とは言えないまでも、それほど不況感が強く、経済活動が停滞していたと言えるだろうか。少なくともプラザ合意後の2年間での円高に比べれば、それほど大騒ぎするほどのことはなかったのではないか。
金融緩和の一番手っ取り早い方法は赤字国債を大量に発行して通貨の供給量を増やすことだ。通貨も商品だから供給量を増やせば通貨の価値は下がる。つまり円安になる。円安になればメーカーの国際競争力は強くなる。いままでより安い価格で輸出できることになるはずだ。
輸出価格が下がれば、海外での需要も増える(国内の需要は為替相場とは直接は連動しない)。需要が増えればメーカーは供給を増やすだろう。つまり生産力を増強するだろう。生産力を増強するためには設備投資をするだろうし、雇用も増やす。そういう歯車が回れば、日本経済は活性化する。これがアベノミクスの「絵に描いた餅」の正体だ。それ以上でも、それ以下でもない。
では、なぜそういう結果が生じなかったのか。その理由を説明するために。私はプラザ合意後のメーカーのビヘイビアを検証することにしよう。
実はプラザ合意で円高になった分、本来ならメーカーは輸出価格を値上げしなければならなかったはずだ。たとえばそれまで1万ドル(当時の円換算で240万円)で輸出していた商品があったとして、円が倍になったら輸出価格を2万ドル(円換算で480万円)に引き上げなければならないはずだ。もし、ドル建てで同じ価格(つまり1万ドル)で輸出しようとすれば(そうすれば輸出競争力は低下しない)輸出価格は円換算で120万円にせざるをえなくなる。実質的に半値で輸出することになる。これで採算が取れるだろうか。
ところが、それに近いことを日本のメーカーは当時していたのである。例えば自動車。プラザ合意以降、輸出価格はドル建てで多少は値上げしたが、せいぜい20%程度だった。アメリカから「ダンピングではないか」と追及されると「合理化努力によってコストダウンを図ったのだ」と居直った。実際、知人の都銀支店長から「左ハンドルでよければ、ものすごく安く入手できるよ」と言われたことがある。私は左ハンドルの運転に自信がなかったので、せっかくのチャンスを逃したことがある。
合理化努力によってコストダウンを図ったのだとしたら、日本国内での販売価格も同様に値下げしてもいいはずなのだが、国内価格は据え置いたままだった。なぜか。その背景には日本独特の雇用関係があったからだ。
トランプ大統領の関税攻撃に対してEUは「ハーレーのバイクにも25%の関税をかける」と対決姿勢をあらわにした。途端にハーレーは「EU向けの製品はアメリカ国外で生産する」と発表した。トランプ大統領は頭を抱えたが、実はハーレーが日本の会社だったらそういうことは不可能なのだ。アメリカをはじめほとんどの国は、いいか悪いかは別にして、会社の都合によるレイオフ(解雇)や工場閉鎖が自由にできるが、日本ではレイオフや工場閉鎖は会社の都合ではできない。従業員に対する雇用環境が世界一保護されているからだ。
日本もバブル景気が破たんして「失われた20年」を迎える以前は、いわゆる非正規社員という存在はほとんどなかった。もちろんアルバイトやパートといった雇用形態はあったが、勤務状態が正社員と同じでいながら非正規という雇用形態はほとんどなかったといってもいいだろう。
バブル崩壊以降、非正規という雇用形態が急増したのは、非正規ならばいつでも解雇できるからである。右肩上がりの成長は今後見込めないと考えられる業種ほど、当面必要な人材は非正規で採用したほうが雇用責任も発生しないからである。だから就職先として人気はあっても右肩下がりの出版業界など、正規社員として入社するのは極めて困難である。
だから「働き方改革」の一環で正規社員と非正規社員の格差是正が求められても、そのこと自体は会社にとってさほどきついことではない。正規社員であれば、年功序列で昇給や昇格をある程度保証しなければならないが、非正規であればつねに労働に見合った賃金を支払えばよく、また不必要になればいつでも解雇できるからだ。安倍さんは、鬼の首でも取ったように格差是正を誇っているが、非正規社員の雇用の不安定状態はまったく変わっていない。
プラザ合意後の急速な円高で、日本のメーカーが困ったのは、こうした日本特有の雇用関係が背景にあったからであある。円高と関税はもちろん別物だが、輸出産業にとっては同じ効果を持つ。アメリカのハーレーのように、「25%も関税をかけられるなら(為替が25%上がるのと同じ効果になる)海外で生産する」という経営判断が日本ではできないのだ。日本企業がある程度身勝手にならざるを得ないのは、そうした事情による。
つまり、こういうことだ。日本のメーカーにとっては工場を閉鎖したり、あるいは生産ラインの一部を止めたりして生産量を調整することは、たちまち生産コストの増加を意味する。従業員の給与は、日本ではランニング・コストではなく、固定経費だからだ。生産コストの増加を防ぐには、まず生産量を維持することを最優先しなければならない。生産量を維持するには輸出量も維持しなければならない。円高になっても輸出価格に反映できず、ドル建て輸出価格を極力下げないようにしなければならない。その結果輸出が赤字になっても、国内販売でカバーできればメーカーは最小限の利益は確保できる。
そのしわ寄せが、国内の消費者に回ったのもそのためである。実際、当時は逆輸入(いったんアメリカに輸出した商品をアメリカで買い付けて日本に持ち帰ること)のほうが安いというおかしな現象が生じ、私も仕事や遊びでアメリカに行ったときにはゴルフボールなどアメリカで買ったことがしばしばある。ご存じのようにゴルフボールは結構重い。それでも、その「苦役」に耐えるだけの価値があった。それほど日米の価格差が拡大した時期があった。アメリカがダンピング輸出だと怒り、日米経済摩擦が爆発したのも、そのせいだ。アメリカの自動車のメッカであるデトロイトで、日本車の輸入激増で職を奪われた労働者たちが日本車を叩き壊したり、火をつけてうっぷんを晴らしたことを、安倍さん、もう忘れたのかね。
なお、シャネルなどの一流ブランド品を海外で安く買い付けて日本に輸入するビジネスを「並行輸入」というが、これは日本では不当に高値で販売している正規代理店の、「日本人は値段が高くないと買わない」という信じがたい販売戦略に対する対抗ビジネスで、ダンピング輸出された日本商品をアメリカで安く買って持ち帰る逆輸入とは違う。
いずれにせよ、そうした日本メーカーが抱えている宿命的問題を安倍さんはまったく理解していなかった。だから金融緩和によって為替相場を円安誘導すれば 【日本メーカーの輸出競争力が回復→設備投資による生産力の拡大→雇用の増加→日本の労働者の総収入アップ→国内消費の回復→デフレ不況からの脱却】 という「絵に描いた餅」が食べられなかった理由はそこにあった。日本のメーカーにとっては少子化によって市場の拡大が期待できない以上、設備投資などすれば地獄を見ることになることが、100%確実だったからだ。とくに自動車などは大都市の公共交通手段の利便性増強もあって若い人たちのクルマ離れが激しく、国内市場は縮小の一途をたどっており、回復の見込みはない。
当然メーカーは円安になっても生産量を増やさず、輸出価格を据え置いて為替差益をがっぽり、内部留保だけ史上最高を記録(利益も史上最高)、という極めて論理的な果実を得ただけだった。そうした結果は、結果を見るまでもなく、プラザ合意後の円高の中で日本メーカーが示したビヘイビア原理を検証していれば、確実に予測できたはずである。頭の悪い人が経済政策を立てると、こういう結果になる。
結果が出てから内部留保に課税したらといった議論も政府で出たようだが、それは重複課税になるから(内部留保は課税後の利益だから)検討するまでもなく無理。「内部留保を賃金として従業員に渡せ」というもっともらしい主張もあるが、日本の大企業の場合、労働組合が単産(単位産業別)組織になっており、昔より自由度は高くはなったが依然として横並び意識が強く、例えば自動車メーカーで言えば勝ち頭のトヨタだけが突出して過大な賃上げをすることに抵抗が強い。
このブログもかなり長文になり、私も疲れたので、この辺で終わらせていただくが、アメリカがEUに対しても関税戦争を仕掛ければ、EUも直ちに報復手段に出る。そのときは間違いなくEUは中国と手を組む。
トランプ大統領は貿易戦争を仕掛けるに際して、当初、「同盟国は除外する」と言っていたが、日本は同盟国でありながら貿易戦争の標的にされていた。その時点ではEUは貿易戦争の対象から除外されるはずだったが、トランプ大統領の気が変わったのか、あるいは政権内で「そういうやり方はフェアでない」と批判が出て方針を変えたのか、メディアがだらしがないため事情がさっぱり分からない。
いずれにせよ、EUが中国と手を組んで本格的な世界貿易戦争に突入したとき、日本はどうする?
それでも「何とか話し合いで解決を」と、アメリカに頭を下げ続け、世界中からコケにされるつもりか?
安倍さんは総裁3選を狙って全国行脚中ということだが、それどころではないはずだ。こんな人を3期9年も総裁に抱くことに、自民党国会議員は恥ずかしいと思わないのだろうか?
ちなみに今年9月に行われる総裁選では国会議員票と党員票が1:1の比率になるという。自民党の国会議員総数は405人。一人一票を持つ。それに対して党員数は約107万人。107万人でやはり405票。国会議員は一般党員の2640倍もの権利があることになる。
いったい自民党総裁は党の代表なのか、それとも国会議員の代表なのか。国会議員の代表なら党員投票のような金だけかかることはやめたほうがいいし、党の代表なら国会議員の一票も一般党員の一票も同じ重みを持たなければならないはずだが…。もっともこうした代表選出方式は自民党だけではないが…。日本の政党には「民主主義」という言葉は禁句のようだ。
【追記】今日(10日)から日米通商交渉が始まる。この長文のブログはまだ読者が一向に減る気配がないが、来週月曜日【13日】には強行更新する。今日から原稿を書き始めるが、政治家やメディアの方たちは思い出してほしい。私は78歳になるが、私よりはるかに若い方たちが、私以上に認知症(健忘症?)になりながら大きな顔をして御託を並べている事態に我慢がならないからだ。
なぜ認知症になってしまうのか? 目先の情報に振り回されてしまっているからだ。
そういう方たちに重大なヒントだけ差し上げておく。
日本がバブル景気によっていた1989年9月、アメリカの要求によって日米構造協議が開始された。その時もアメリカは貿易赤字に苦しんでおり、日米貿易摩擦が火を噴いていた。アメリカ側は日本の行政スタンスをこう攻撃した。
「日本の行政やビジネス・ルールは消費者本位ではなく、生産者中心になっている」
「我々は日本の消費者の要求を代弁しているだけだ」
「最後の勝利者は、日本の消費者だ」
いまのトランプ大統領の保護主義的貿易政策は、この時のアメリカの日本に対する批判を、そのまま熨斗をつけて返上したらどうか。今回の日米通商交渉に際し、日本代表は、そのくらいのハード・ネゴシエーションを覚悟すべきだ。やたらトランプにおべっかを使って、少し負けてもらおうなどというさもしない態度だけは取ってほしくない。