小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

安倍政権はなぜ沖縄県民の民意を無視するのか? 司法の場で沖縄県が国に勝つ方法を考えた。

2019-03-25 02:14:34 | Weblog
 沖縄県と政府の対立がとうとう抜き差しならなくなった。22日、沖縄県が福岡高裁那覇支部に、名護市辺野古の埋め立て承認撤回の訴訟を起こしたからだ。
 沖縄県は2月24日、米軍基地拡張のための辺野古沖埋め立てについて県民の賛否を問う県民投票を実施した。投票率は52.48%に達し、「反対」票は40万を超え、投票総数の72.15%に達した。一方メディアは、この結果の評価を巡り完全に二分した。朝日と毎日は1面トップで投票結果を報じ、ともに「政府は沖縄県民の民意を尊重すべきだ」と論じた。一方、読売と産経は県民投票を軽んじることが目的だったのかどうかは知らないが、1面トップ記事で、読売は高齢者に対する投薬量問題を、産経は海上自衛隊が観艦式に韓国海軍を招待しないという記事を掲載した。
 1面トップの扱いだけでなく、解説記事でも両者の対応は際立った対立を見せた。1面トップでは扱わなかった日経も朝日、毎日と歩調を合わせた。
 朝日「反対の強い民意が示され、安倍政権の対応が問われる」
 毎日「埋め立てを強行する政府に強い民意を突き付ける形となった」
日経「辺野古移設に絞っても反対の民意が示された」
この3紙に対し読売、産経は沖縄県民が示した民意そのものを軽んじるかのような記事を掲載した。
読売「投票率が52%で広がりを欠いた。影響は限定的になりそうだ」
産経「反対は全有権者の5割どころか4割にも達しなかった」
確かに投票率52.48%は高いとは言えない。が、先の知事選の投票率は上回ったし、少なくとも有権者の5割以上が投票し、かつ有効投票数の72.15%という圧倒的な「反対」票が投じられたという事実が持つ重さは決して軽いものではない。また投票率がこの程度にとどまったのは自公の「自主投票」という県民投票対策の結果による要因を見逃すわけにはいかない。
もし自公が堂々と「辺野古埋め立て賛成」論で反対派と対峙していたら、反対票の割合は多少下がった可能性は否定することはできないだろうが、投票率はおそらく60%を超え、かつ反対票も有効投票総数の65~70%くらいには達していたと思われる。
県民投票の結果について安倍総理は「重く受け止める」としながらも、事実上沖縄県民の民意を踏みにじってきた。沖縄県の玉城知事は県民投票後、安倍総理と4回も面談して埋め立て工事の中止を訴えたが、安倍総理は一切聞く耳を持たず、玉城知事としてはやむを得ず司法の判断を仰ぐことにしたのだろう。現段階では司法がどういう判断を下すかもちろんわからないが、司法の場で玉城陣営はこう主張すべきだという点を整理しておく。

① 政府が主張する「世界一危険と言われている普天間基地の固定化につながる」というレトリックの欺瞞性を明らかにすること。このレトリックは「辺野古移設が唯一の選択肢だ」という非論理的な前提を認めなければ成り立たない議論である。「普天間の移設先」がなぜ辺野古しかないのか。現に橋本氏が大阪府知事だったか、大阪市市長の時だったかに、普天間の移設先として名乗りを上げたくらいだ。政府は最初から「辺野古ありき」で普天間基地移設を論じてきている。最初から辺野古が「唯一の選択肢」というスタンスを崩していないから、もともと沖縄県民の民意を考慮するつもりなどなかったことを法廷で明らかにすることが重要だ。

② 次に、確かに国全体あるいは全国民の利益と一つの県の利益が相反した場合、時にはやむを得ず国の方針を優先せざるを得ないケースもあることは私も否定はしない。が、普天間基地の辺野古移設が、このケースに当てはまるだろうか。当てはまりようがないのだ。政府は日本の安全保障上辺野古移設が必要だと主張するが、そういうだけで「日本の安全保障政策と辺野古移設の論理的必然性」について、国会で一度も全国民や沖縄県民に説明したことがない。政府は少なくとも「沖縄に米軍基地を集中することが、アメリカの覇権政策を支援するためではなく、日本の安全保障上欠かせないこと」また「他国によって沖縄が攻撃される可能性が極めて高く、日本の自衛隊の『実力』だけでは沖縄を防衛することが不可能だから」という政府の認識について、政府は明確かつ論理的な「国民への説明責任を果たす義務がある」ことを、法廷で明らかにしなければならない。

③ また尖閣諸島をめぐる中国との間に生じている領有権問題に対処するためだったら、サッサと尖閣諸島を実効支配するために自衛隊基地をつくればいい。あっ、尖閣諸島は安保条約第5条の対象になることをオバマ前大統領も、トランプ現大統領も明言してくれているのだから、普天間基地の移設先としては尖閣諸島が最適だ。尖閣諸島を守るために米軍が血を流してくれるというのなら、尖閣諸島の米軍基地を維持するための経費は全額日本が負担すればいい。日本国民のほとんどがこの費用負担を喜んで容認するだろう。なぜなら教科書にも記載されている「日本の領土」竹島は、いま韓国に実効支配されている。外務省アジア太平洋局韓国課の幹部によれば「日本は平和的な話し合いで領土問題を解決するという方針ですから、実力での奪還は考えていません」ということなので、尖閣諸島も我が国が誇る実力部隊でありながら、事実上「張り子のトラ」でしかない自衛隊が、実力で尖閣諸島を実効支配するなどということは考えられない。尖閣諸島が安保条約5条の対象だということも、オバマやトランプのリップ・サービスにすぎず、大統領が代わればいつ反故にされるか分かったものではない。だから日本の首相はアメリカの大統領が代わるたびに、頭を下げてオバマやトランプと同じリップ・サービスをお願いして日本国民をごまかし続けなければならない。何しろ正式な文書での約束ではないからね。だけど、いまとりあえず現職大統領が「尖閣諸島は安保条約第5条の対象だ」と言ってくれているのだから、その口約束が生きているうちに普天間基地を尖閣諸島に移設して尖閣諸島を守ってもらうのが最善の方法だろう。

④ このブログを書いているうちに、私も年のせいかだんだん頭に血が上ってきた。で、ことのついでに憲法問題にも触れてしまおう。安倍総理は憲法改正の目的について17年5月3日の憲法記念日に日本会議が主催した「公開憲法フォーラム」にビデオメッセージを寄せ、こう語った。「今日、災害救助を含め、命懸けで24時間、365日、領土、領海、領空、日本人の命を守り抜く、その任務を果たしている自衛隊の姿に対して、国民の信頼は9割を超えています。しかし多くの憲法学者や政党の中には、自衛隊を違憲とする議論が、いまなお存在しています。『自衛隊は違憲かもしれないけれども、何かあれば、命を張って守ってくれ』というのは、あまりにも無責任」だから、「違憲論争に終止符を打つために憲法9条に自衛隊を書き込む。しかし現行憲法9条は1字1句いじらず残す。だから自衛隊の活動には現行憲法の歯止めはかかり続ける」。
私は前回のブログで安倍さんの「重く受け止める」という発言の日本語 としての本来の意味が「軽視する」あるいは「無視する」ことを意味する表現だったことを初めて知り、「物書きのプロを自認していた私としては、恥じ入るばかりだ」と懺悔したが、また新たな日本語の使い方を安倍さんから教わることになったようだ。自衛隊に対する日本人の信頼は9割を超えているのに、憲法に自衛隊を書き込まないと無責任なのか? すでに9割以上の日本人が自衛隊に信頼を寄せているのに、しかも自衛隊の活動は全く変わらないのに、なぜ憲法に自衛隊を書き込む必要があるのか、私の幼稚な頭では全く理解できなかった。で、自民党本部と公明党本部に問い合わせた。「多くの憲法学者や政党のあいだで自衛隊を違憲とする議論が今なお存在しているのが事実なら、具体的に現在行われているはずの『違憲論争』の内容を知りたいので、具体的にどういうメディアや集会などで違憲論が活発に行われているのですか?」。 自民党本部の職員も公明党本部の職員は意外にフェアで、「私もそうした事実は確認していません」と返事をしてくれた。つまりどこにも存在していない「議論」を、権力者になったら小説のように、存在しているかのようにでっちあげる権利が生じるようなのだ。私はこれまで事実に基づいた主張しかしてこなかったジャーナリストとして、こういうこともありだということを初めて知った。いっぱしのジャーナリストを気取っていた私としては恥じ入るばかりだ。とにかく安部さんには教わることがありすぎて、私ごときにはとてもついていけない。

 最後の改憲議論はさておき、辺野古移設問題に関して法廷でここまで政府を追い詰めれば、政府の本音が出る。出さざるを得なくなる。
 では政府の本音とは何か。これが政府の、これまでひた隠しにしてきた本音だ。
 政府によれば日本の安全保障の基本は、アメリカの核の傘によって守られているという一点に尽きる。自国の領土であるはずの竹島を韓国に実効支配されていても、手も足も出せないのは、「自衛隊が実力で竹島を奪還する」と言い出せば、アメリカから「やるな」と命令されるからだ。いや、ひょっとしたら、すでに実力行使について日本政府はアメリカに水面下で打診したかもしれない。アメリカにとっては東南アジアの覇権を維持する要の柱は日米韓の同盟関係であり、そのためには日本の都合など知ったことではないのだ。日韓に軍事的緊張が生じれば、アメリカの覇権構想が根底から崩れかねない。日韓の衝突はアメリカにとって最悪の事態である。だから、尖閣諸島についてははリップ・サービスをしてくれても、竹島についてはリップ・サービスどころか、韓国に「竹島は日本の領土だから返してあげなさい」とも、絶対に言わない。日本はアメリカも頼りにできず、かといって自衛隊という実力組織を有していながら、その実力を行使することもできない。
 日本政府の最大のジレンマは、現行憲法によって自衛隊という、国連憲章51条が認めている個別的自衛権を有していながら、いざというときにその実力を行使できない点にある。しかし、これが日本政府の大きな勘違いの原因でもあるのだが、日本を取り巻く安全保障環境は、実は戦後最も安定しているのだ。ソ連邦の崩壊によって一応冷戦時代は終結した。いま経済力も軍事力もかなりの力をつけた中国が、東南アジア地域の覇権をめぐってアメリカと対峙し、新冷戦時代が始まったと言われている。しかしかつてのような大国による植民地主義(帝国主義とも)の時代は先の大戦の終結によって完全に終焉した。理由は簡単、戦争という資金・人的な膨大な犠牲を払っても、その犠牲に見合う経済的利益は得られないことが先の大戦の結果として大国もわかったからだ。
 実際、日本もアメリカを相手に戦争を始めるというばかげた行動は論外としても、満州国をでっちあげたり朝鮮を併合して、世界の孤児となりながらも結果的に経済的収支はどうだったのか。その検証を、戦後政府はもとよりいかなる政党も、また経済や外交の専門家も行っていない。いや、そもそもそういう検証が必要だという認識を持っている人すら誰もいない。私以外はだが…。
 もちろん戦争で犯した人道的犯罪についての検証と国際社会への謝罪は、被害を受けた国の人たちの心が癒えるまで続ける必要があるし、贖罪もしなければならないと思う。が、そうした人道上の責任を果たすだけでなく、日本は植民地経営の収支も明らかにすべきだ。満州国や朝鮮の経営と運営のためにどれだけ資金を投入し、どれだけ経済的利益を得たのか。
 戦争は宗教や民族間の対立と地域の覇権争いを除けば、経済的権益の拡大や衝突が最大の原因である。日本は海に囲まれ他民族の侵入による民族対立もなければ、日本の国教ともいえる仏教にもいろいろな宗派はあるが、キリスト教やイスラム教のような宗派間の血で血を洗うような覇権争いは経験していない。儒教もまた聖徳太子が定めたとされる17条憲法の第1条にある「和を以て貴しとなす」が日本人の精神的規範となってきたように、覇権争いを禁止してきた。神道は、勘違いしている人も多いようだが宗教ではない。いろいろなお祝い事や催事の儀式を定めたものにすぎず、だから神道には「戒律」がない。
 ということは、現在の日本が戦争に巻き込まれるリスクは天文学的に小さいことを意味する。自ら経済的権益の拡大を求めて再びばかげた戦争をおっぱじめない限りは…。
 もちろん、日本が戦争を始めなくても日本が他国から攻撃される可能性はゼロではない。が、その可能性は天文学的確率であり、限りなくゼロに近い。それでも他国による日本侵略の目的にどんなケースがありうるか考えてみる。
 日本には人的資源以外、国際競争力のある資源は海洋資源を除けば事実上ゼロと言っていい。しいて言えば世界的にも有数な良質な軟水(自然水)があるが、まさか水資源を略奪するために日本を攻撃するバカな国はないだろう。
 資源が目的でないとすれば、日本が占めている地政学的地位だ。これは非常に大きい。もし中国やロシアが日本を支配できれば、覇権を太平洋に展開できる大きな拠点になる。だが中国やロシアがそうした野望をあらわにすれば、日米安保条約がなくても世界中を敵に回すことになる。そんなリスクを冒せるほど中国やロシアの軍事力は大きくはない。
 それでもちょっかいくらい出す国が完全にないとは言い切れない。そうした時厄介なのは自衛隊だ。なにせ韓国に、我が国の領土と教科書にも明記している竹島を占領されていても、手も足も出せない「張り子のトラ」の実力組織でしかなく、仮に安部さんが夢にまで見る憲法9条への自衛隊明記が実現したとしても、現行憲法9条の1項、2項には手を付けず、自衛隊の行動は現行憲法の縛りを受けるというのだから、「張り子のトラ」状態は今後も続くと考えていいだろう。ま、それでもおもちゃのピストルでコンビニ強盗ができるくらいだから、他国からしたらやはり自衛隊の軍事力は脅威であり、おいそれと日本を攻撃しようなどとは考えないだろう。
 さらに付け加えるならば、日本の安全保障環境にとって今最大のリスク要因は、政府が安全保障のかなめと位置付けている日米安全保障条約である。日本政府もいまは覇権主義など毛頭も考えてもいないと思うが、世界一の軍事大国アメリカに反発する国は少なくない。当然極東に展開している米軍基地は、そうした国々にとっては脅威であり、いざという時に備えた軍事力を強化せざるを得ない。米中貿易摩擦で経済成長に陰りが見えだした中国だが、軍事予算だけは突出して拡大しているのもそのせいだし、北朝鮮が身の程も知らずに核やミサイル開発に狂奔するのもアメリカから敵視政策をとり続けられているからに他ならない。またロシアとの間でいったんは急速に進みだしていた融和関係に突如ブレーキがかかったのも、ロシアが歯舞・色丹の2島を日本に返還した場合、米軍基地がこれらの地域に展開されるのではないかという危惧をプーチン大統領が抱いたためだ。
 私は何もアメリカと敵対関係になれなどと言っているのではない。アメリカは経済的にも日本との関係は切っても切れない状況にあり、日本の国益から考えてもアメリカとは最大の友好関係を維持すべきだと考えている。が、安全保障の面からみると日本、とりわけ沖縄に展開されている過剰な米軍基地は中国やロシア、北朝鮮にとっては重大な脅威であり、もしこれらの国とアメリカが偶発的にでも軍事衝突に至ったら、真っ先に沖縄が火の海になる。
 私は現実には核戦争などありえないと思っているが、ある国が核を保有すれば、その国と何らかの問題を抱えている国は対抗上、核を開発せざるを得ない。現に中国と国境問題を抱えているインドが中国の核に対抗して核を持った途端、カシミール地方の帰属をめぐってインドと対立しているパキスタンは即座にインドの核に対抗して核を開発した。今後、パキスタンと何らかの紛争を生じる国が出たら、その国はパキスタンの核に対抗するため核を持たざるを得なくなる。「日本はアメリカの核の傘に守られているから安全」と信じ込んでいるノータリンが日本には多いが、これまで述べてきた理由からアメリカの核は、いまや日本にとって最大の安全保障上のリスク要因なのである。


【追記】司法の世界は本来、事実に対する冷静で客観的な判断と最高度に研ぎ澄まされた論理的思考力が発揮されなければならないはずだ。そのため司法が力(政治権力とは限らない。世論も力だ)から完全に独立した判断を示せる権限を与えられている。が、最近の司法の判断を見るとき、裁判官がそうした自覚を明確に持っているのか、疑問に思わざるを得ないケースがしばしば見受けられる。もともと「三権分立」の思想は、欠陥だらけの民主主義の政治システムをより理想に近づけるために人類が生み出した大きな知恵の一つだ。司法にだけ与えられた特別な権利を、司法が自ら放棄して力に屈することがあっていいのだろうか。繰り返す。力は政治権力だけではない。世論もまた大きな力だ。世論はしばしば感情によって左右される。メディアによって、あるいは政治権力によって誘導される。そうした力に屈せず、時には政治権力や世論を敵に回しても、民主主義を追い求めるのが司法の最大の責任だ。民主主義は、人類が2000年以上の歴史を経ても、なお追い続けなければならない「青い鳥」だ。あと1000年の歴史を経ても、人類は民主主義の政治システムが包含する宿命的欠陥を克服することは困難かもしれない。にもかかわらず、私たちは「青い鳥」を追い続けなければならない。それが人類が人類たるゆえんだと思うからだ。司法が、その闘いの先頭に立ってくれることを願うだけだ。

政治雑感 3題

2019-03-14 12:55:58 | Weblog
 ブログを更新するのは久しぶりになる。前回の投稿が2月18日だったから、約1か月近く更新しなかったことになる。インフルエンザが流行っている時期だが、私は毎年新年の恒例行事として髪の毛を3本抜くので、風邪にはかからない(このジョーク、若い人には通じないかも…)。
 前回のブログの閲覧者数がいつまでたっても減らず、ブログを更新する機会を逃してきたのが、長期にわたって新しいブログを書けなかった理由である。私のブログはメディアや政治団体の人たちから多く読まれているようで、閲覧者数が訪問者数の3倍くらいになる。そのせいか土日になると訪問者も閲覧者も激減するのだが、今回は状況が違った。土日になるとかえって閲覧者数が増えたのだ。ブログの文字数が1万2千字を超え長すぎたためか9,10日も多くの方に読んでいただいた。11日の月曜日も閲覧者は多かった。そうした傾向もあって次のブログの用意をまったくしていなかったのだ。
 かつては定期的にブログを更新しようと考えて新しいブログを用意していたのだが、閲覧者数が減らず更新できないうちに記事の内容が賞味期限を切れてしまって何度もボツにした経験がある。そうした事情もあって、今回は新しいブログの用意をまったくしていなかった。前回のブログの賞味期限はまだ当分続きそうだと思っていたのだが、12,13日と閲覧者が急減したため、急遽ブログを更新することにした。
 この間、NHKや朝日新聞には報道についていろいろ意見を申し上げてきたが、その内容も含めて今回は「政治雑感」として取りとめもなく書こうと思う。

●日本語は難しい
 2月24日、沖縄県が県民投票を行った。政府が着々と進めている辺野古基地建設について、県民の意思を問おうというのが目的の投票だ。「賛成」か「反対」かの二者択一方式に異議を唱えた5市町長の意向を組み、「どちらともいえない」(だったと思う)という回答を加えて全県で投票が実施された。結果は皆さんご承知の通り、「反対」派が圧倒的多数を占めた。
 投票結果を受けて安倍総理は記者会見で「重く受け止める」と述べた。通常の感覚では「重く受け止めた」場合、県民の意思を尊重して辺野古工事の中止を決断するのが政府の責任だろう。が、安部さんの受け止め方は違っていた。「沖縄の基地負担の軽減にこれからも取り組む」というすり替えだった。県民投票は一般論としての「基地負担の軽減」を求めたものではない。そんな抽象的な意思表明ではない。「辺野古に基地は作らないでほしい」という具体的な要求である。この安倍総理の「重く受け止めるが、辺野古基地はつくる」という日本語を、海外のメディアはどう報道したのだろうか。
 かつて日米貿易摩擦が激化していた時期、日本人が交渉の場での事実上否定的な意味で使う「検討します」という日本的表現が海外で問題になったことがある。外国の人の多くは「検討してくれるのだから、前向きに考えてくれるのだろう」と勘違いするようだ。が、日本社会の精神的規範として培われてきた「和の精神」によるものかどうかは知らないが、日本人社会では相手のメンツをつぶさずにやんわり拒否する方法として「検討します」という表現が一般的に使われてきた。本当に検討する場合は「前向きに検討します」というのだが、外国人にはそうした日本語の機微など理解できない。だから「検討します」と言えば、外国人は本当に検討してくれると思ってしまう。だが、日本社会では「検討します」は「お話の趣旨は分かりましたが、私どもにもいろいろ事情があり要望にはお答えしかねます」という拒否の表現なのだ。
 でも、さすがに私の無知のせいか「重く受け止める」が「言いたいことはわかったけど、方針は変えません」という事実上拒否の表現だったとは…。そういえば、子供がいじめで自殺に追い込まれた時も、遺族の追求に対して学校側や教育委員会が「重く受け止めます」と言いながら、実際にはおざなりの調査しかせず、「いじめとの因果関係は確認できなかった」と回答することが多い。なるほど、「重く受け止める」とは、実際には「軽視する」あるいは「無視する」という意味だったのか。安倍さんは、沖縄県民のメンツをおもんばかって、そういう言い方をしたのかな。そんなことも理解できずに、物書きのプロを自認してきた私としては恥じ入るばかりだ。

●沖縄に米軍基地は必要か
 トランプ大統領が突然、米軍が駐留するすべての国に駐留経費の1.5倍の支払いを求めること言い出したようだ。世界で最も米軍駐留経費の多くを負担している日本も例外ではない。「思いやり予算」と言われている在日米軍駐留経費の日本側負担は2019年度予算案で1987億円に上る。米軍駐留経費の同盟国負担増はトランプ氏の大統領選での公約でもあり、公約実現に向けて次々に手を打ってきたトランプ氏の次の一手のようだ。
 ま、日本が自国の安全保障の一部をアメリカに肩代わりしてもらっている以上、相応の負担はやむを得ないとは思うが、私は日本での米軍駐留は、日本の安全保障という観点に絞れば過剰ではないかと考えている。
 そもそも、第2次世界大戦以降、世界の安全保障環境はそれまでと大きく変化してきた。従来の植民地主義あるいは帝国主義は、いまでは死語となっている。そもそも、自国の領土を拡大したり植民地を増やしたりする目的は子供たちの遊び「陣取り合戦」のようなゲームではない。経済的権益の拡大が植民地主義あるいは帝国主義の最大の目的だった。が、戦争という膨大な犠牲を払って植民地を獲得したり、領土を拡大しても、その地域の統治のために費やす経費のほうがかえって高くつき、損得勘定だけを考えたらマイナスになることのほうが多いことに、軍事大国も気づき始めたようだ。だから、第2次世界大戦後、植民地獲得や領土拡大のための戦争は事実上皆無になった。
 そういう世界の安全保障環境の大きな変化を前提としたとき、果たして日本は安全保障上いかなる地政学的状況にあるかを考えてみた。現在日本は三つの国際問題を抱えている。三つの領土問題と言ってもいい。
 一つは韓国に実効支配されている竹島(韓国名「独島」)。安倍政権は教科書に竹島と尖閣諸島を「日本領土」と明記させるようにした。ついでに書いておくが、北方領土については教科書での「日本領土」という明記はない。
 竹島については韓国名で「独島」とあるように、かつて韓国が実効支配していた時期があったようだ。犯罪者の流刑島として利用していたらしい。が、自給自足できる島ではないため、水や食料品の運搬のため流刑島として維持することが難しくなり「領有権」(当時はそういった国際概念はなかった)を放棄したという経緯がある。一方日本も江戸時代には漁師が嵐などの避難場所として竹島を利用していたこともあったようだ。このように両国がかつて国際法上「領有権」が確定していなかった時代でのことを考えると、やはり国際司法裁判所で問題の解決を図るのが筋だろうとは思う。が、すでに竹島を実効支配している韓国が「領有権問題は存在しない」として国際司法裁判所での解決に同意しない(国際司法裁判所は当事国すべての同意がなければ裁判を行うことができない)。つまり竹島問題は平和的に解決できない状態になっている。が、日本の教科書には依然として竹島は「日本の領土」と明記されている。であれば、話し合いでは永遠にらちが明かない問題であるため、国連憲章51条に基づいて「個別的自衛権」を行使できる権利があるはずだ。なぜ安倍政権はアメリカのためには国連憲章が認めていない「他衛権」(安倍政権解釈によれば「集団的自衛権」)は行使できるとしながら、現に自国領土が不法に侵犯されているはずの竹島については「個別的自衛権」すら行使しようとしないのだろうか。
 あとの二つ、尖閣諸島問題と北方領土問題についてはまたの機会に書くことにする。
 領土問題を三つ抱えてはいるが、いずれも自国の安全保障が脅かされるような問題ではない。それに基本的には日本は植民地あるいは領土としての魅力が、他国にとってある国ではない。エネルギー資源や希少価値の高い天然資源(金やダイヤモンド、プラチナなどの貴金属類やレアメタル、レアアースなど)には縁遠い国だ。そんな日本を、莫大な費用と人的犠牲を払ってまで支配下に置こうという国はありえない。日本にとって建前上の「仮想敵国」になる可能性があるとされているロシア、中国、北朝鮮も、それだけの犠牲を払って日本を侵略しようなどとは絶対にしない。また日本には民族間対立もなければ宗教対立もない。共産党も、まさか今どき暴力革命など考えていないだろう。そう考えれば、日本は地政学的にも、またあらゆる紛争の可能性から考えても、世界で最も安全な国と言える。はっきり言えば日本に駐留している米軍は、日本を守るためではない。実際、米軍基地がなくても日本の安全が脅かされるようなことは現実的にあり得ない。
 とりわけ沖縄には米軍基地は、日本の安全保障上の必要性は、はっきり言って皆無だ。沖縄にも資源はないし、中国にとっては沖縄が手に入れば太平洋に進出するための巨大な軍事拠点を手に入れることができるだろうが、そこまでのリスクを冒してまで沖縄を占領しようとはしない。だいいち、国際社会がそんなことを許すわけがないし、もし万一中国がそんな野望を抱いたとしたら中国は世界の孤児になる。そういう意味では沖縄から米軍基地がなくなれば、東南アジア海域の軍事的緊張が縮小し、かえって平和な海の、沖縄はシンボルになりうる。そういう状況をつくることが、沖縄の発展にとっても最もいい道ではないだろうか。カジノ法案(IR法)が成立したが、横浜などの大都市には不要だ。どうしても作りたいのなら、沖縄とか福島に作ればいい。沖縄発展と震災復興に大いに役立つだろう。投資してくれる企業があればの話だが…。
 カジノはともかく、なぜ普天間基地の返還が辺野古移設とイコールになるのか。勝手に「唯一の選択肢」などとほざいているが、その理由を開示したことは一度もない。沖縄の米軍基地が日本の安全保障上どういう必要性を持っているのかの説明も一度も聞いたことがない。メディアもだらしがないのは、そういう重要なことを追及したことがないことだ。もう少し、なけなしの頭を使え。

●安倍4選はありうるのか
 自民党・二階幹事長が安倍4選を言及した。昨年、党則を改定して総裁3選への道を開き、9月には安倍総裁3選が実現した。まだその記憶が消えていないこの時期に、早々と党則再改定、安倍4選のアドパルーンを打ち上げる必要があるのか。二階氏は先に、民主党政権の中心人物の一人で、小池氏と組んで希望の党立ち上げに奔走し、自民党とは相いれないはずの細野氏を派閥に迎え入れることにした。また都議会では自民党都議団と対立している小池都知事の再選を支持することを独断で公表し、自民党都連の猛反発を食った。安倍3選に協力して安倍総理に恩を売ったことでのぼせ上っているのか。「余人をもって代えがたい場合は」との前提付きだが、自民党にはそんなに人材がいないのか。問題ばかり起こしている「魔の3回生」のような政治家しか、自民党にはいないのか。それなら、いっそ野に下り、野党に政権運営をさせてみたらどうか。
 嫌味はともかく安倍第2次政権は本来誕生すべきではなかった。第2次安倍政権が生まれるきっかけになった2012年9月の総裁選では5人が立候補した。第1回投票では安倍氏は議員票54、地方票87の計141票だった。一方石破氏は議員票34、地方票165で計199票と、安倍氏に58票もの大差をつけた。が、自民党総裁選の規定により石破氏と安倍氏の間で決選投票が行われ(この決選投票では地方選挙は行われていない、つまり国会議員だけでの選挙である)、安倍氏が逆転勝利を収めた。
 2015年の総裁選では安倍総裁が対抗馬つぶしに奔走し、無投票での再選となった。その後党則が改定され、総裁任期が3期9年に延ばされ、国会議員票と地方票の割合も変わった。自民党はメディアをどうごまかしたのかはわからないが、地方票を多くしたとメディアは報道したが、全くの嘘っぱちだ。12年総裁選の時のほうが地方票は国会議員票より多く割り当てられていた。
 昨2018年9月に行われた総裁選では、当時の国会議員票405票(議員一人に1票)、地方票も議員票と同数の405票で、安倍総裁に立ち向かって立候補した石破氏は、安倍陣営による厳しい締め付けに会いながらも地方票で45%を獲得したが、国会議員票の80%を固めた安倍氏が勝利して3選が実現した。
 このときの総裁選で、私は「地方票」という言い方はおかしい、「地方」という言葉は一般に「都市」に対立する言葉として使用されており、東京や大阪、横浜などの大都市と比べるときは「地方都市」という言い方もする。大都市には自民党員がいないのならいざ知らず、日本中の自民党員の票(都道府県知事や市町村長、地方議会議員も含めて)はすべて「地方票」とされ、地方票の総数は国会議員総数と同じ405票しかない。明らかな格差選挙だ。「地方票」という言い方はやめて「党員票」と呼ぶべきだ。
 この申し入れを私は総裁選の少し前NHKと朝日新聞に行った。NHKは用語を統一して「党員票」に一本化したが、朝日は社内での表記統一がうまくいかなかったのか、「党員票」という表記のほうが多くはなったが、しばしば「地方票」という表記も見られた。で、その都度、電話で表記統一の徹底を要請したが、混乱は収まらず、ついに私はこの混乱についてブログに書くと宣言し、9月17日に『朝日新聞が大混乱に陥っている』と題するブログを投稿した。その結果、朝日はどう対応したか。このブログに結果を【追記】でこう書いた。

 私がこのブログで朝日新聞の表記についての混乱を批判した途端、朝日は表記を統一することにしたようだ。今朝(21日)の朝刊は1面トップから解説記事、「時々刻々」「社説」に至るまで、ものの見事に党員や党友による票を「地方票」というおかしな表記に統一することにした。
 それはそれで、海のものとも山のものともつかない読者の批判になんか応じられるか、天下の大新聞の「沽券にかかわる」というどこかの総理顔負けの「権威」を守ることを最優先したのだろうから、これ以上私ごときが天下の大新聞に刃向かったところで、風車に槍1本で突進したドンキホーテほどの効果もないので、これ以上刃向かうのはやめる。

 朝日に対する嫌味はこの辺でやめるが、二階氏が安倍4選を言い出したことで、まだだいぶ先の自民党総裁選がメディアでも話題になりそうだ。で、新たに表記について新しい提案をしておきたい。自民党総裁選がいかに非民主的に行われているかを証明するためだ。
 いうまでもなく自民党総裁は自民党員の総裁である。例えば国会議員の選挙は選挙区の有権者が選ぶ。その時、立候補者が過半数の票を獲得できなかったら、その選挙区内の地方議会の議員だけで決選投票を行って国会議員を選んだりするのか。あるいは1回目の選挙であらかじめその選挙区の有権者と同数の票を地方議会の議員に割り当てて与えたりしているのか。実は自民党総裁選は、そういうやり方で総裁を決めているのだ。
 昨年9月に行われた総裁選では国会議員405人に各1票が与えられ、国会議員の票は405であった。一方、その時点で登録されている党員・党友は104万2647人。この党員・党友に与えられた票の総数は国会議員票と同数の405票。計算上、地方票の1票は2547人分ということになる。1票の重みに、国会議員と一般党員(そのなかには知事や市町村長、地方議会議員も含まれている)の差が2500倍以上あるということだ。肝心の党内で民主主義が全く機能していないのが自民党なのだ。
 で、メディアに提案する。次期総裁選に関する報道では、「党員選挙」と「国会議員選挙」という表記に統一して、自民党総裁は党員の代表ではなく、自民党所属の国会議員の代表であることを国民に知らしめるべきだと。

 なおこの4月には「統一地方選挙」がある。この言い方も変えたほうがいい。「統一地域選挙」と。これなら「都市」でも「地方」でも矛盾なく通用する。