日産が揺れに揺れている。日産自動車は22日午後4時半から臨時取締役会を開き、金融商品取締法違反で逮捕されたカルロス・ゴーン代表取締役会長と同じく代表取締役のグレッグ・ケリー容疑者の代表権はく奪・解任を決議した。取締役会は4時間という異例の長さに及んだが、議論が白熱して紛糾したというわけではない。午後4時半という開始時間も異例だが、日産の筆頭株主であるルノー出身の非常勤取締役2人にも会議に参加させるためフランスとテレビ電話でつないだため、時差を考量して開始時間を設定したようだ。
取締役会では、ゴーン容疑者らの逮捕に関する社内調査の説明を含め、ゴーン容疑者の違法行為の数々が事細かに暴かれたという。通訳を介してルノー出身の役員にも事実関係が理解できるよう説明が丁寧に行われたため、4時間という長丁場の会議になったようだが、朝日新聞の報道(23日付朝刊「時々刻々」)によれば、「説明を終えた時には『全員が言葉を失っていた』(関係者)。不正の細かい事実関係を確認する質問はいくつか出たが、議論が紛糾することはなく、両容疑者を擁護するような発言も出なかったという」。
今のところ、ゴーン容疑者の不正行為の舞台は日産にとどまっているようだが、三菱やルノーでも不正行為がなかったか、今後両社の内部調査が本格化するだろうと思われる。三菱はすでにゴーン代表取締役の解任を決めているようだが、今のところ静観しているルノーも2人の日産取締役の報告を受けてゴーン会長兼CEOに対する厳しい処分に踏み切らざるを得ないと思われる(※朝日の論調とは異なる)。
実は私自身、個人的だが多少灌漑深いものがある。というのは1988年、青春出版社から『シーマ苦闘の700日 この男たちの大逆襲』という著書を上梓し、ある程度日産の企業体質に触れたことがあったからだ。
この年1月、日産はシーマという、ニュー・コンセプトの高級車を発売した。このクルマが爆発的にヒットして「シーマ現象」「社会現象」とまで言われた。社会現象という言い方は今でこそ広く流布されており、この言葉を知らない人はいないといってもいいだろうが、当時はは極めて異例だったと記憶している。それほどシーマは自動車業界のみならず社会全体に大きな衝撃をもたらしたクルマだった。
シーマをテーマに本を書くことになったのは、ひょんなことからだった。多分この年の7月頃だったと思うが、青春出版社の編集長と飲んでいて、シーマの爆発的人気が話題になり、編集長から「きこうさん、緊急出版したい。今すぐに取り掛かれないか」と誘いがかかったのがきっかけだった。編集長も前から温めていた企画だったわけでもなく、その場でどんな話になったのかは記憶にないが、編集長がなんとなく「小林に書かせれば、面白いドキュメントになるかもしれない」と、その場の雰囲気で思いついたのではないかと思う。なお、「きこう」といいうのは業界用語で、ある程度名が売れた著者は名前を音読みする習性があった。私の名前の紀興は「のりおき」というのが正式な読み方だが、音読みすると「きこう」となる。名前を音読みされるようになれば、出版業界では一応「一流人」の仲間入りをしたことを意味していた。
ちょうど、私も取り掛かっていたテーマがなかったこともあり、編集長の申し入れを快諾した。翌日、私は編集長とふたりで日産の広報室長と会い、取材を申し入れた。日産側も喜んで受け入れてくれたが、本の内容は私も取材に入る前には思ってもいなかったかなり手厳しいものになった。
当時日産の本社は銀座にあり、私は約1か月間、日産本社ビルから200メートルほどの場所にあった銀座東急ホテルに缶詰めになって取材と執筆を同時並行で進行するという、異例の態勢でこの仕事に取り掛かった。日産の広報も異例の態勢をとってくれ、例えば「今から30分後に石原さんの時間が取れる。来てくれるか」と電話が入り、私は書きかけの原稿を放り出して駆け付けるといったケーズもしばしばあった。広報が常時トップの動向をつかんでいるなどということはありえず、おそらく社長室なども含めて異例の体制をとってくれたのだと思う。
私はこの著書ではまえがきを書かなかった。32冊上梓してきた中で、まえがきを書かなかったのはこの本だけだったと思う。ただし、まえがきの代わりに本文の冒頭に短いリード文を書いた。
「驚くべきドラマが隠されていた。私はそのことを、取材して初めて知った。これほどの題材には、二度と巡り合えないかもしれない 小林紀興」
基本的にはシーマ開発のドキュメントである。が、単に日産がヒット商品を作ったというだけのストーリーにはならなかった。日産・広報にとっては想定外の厳しい内容になったと思う。のちに出版社が打ち上げとしてゴルフに招いてくれた時、一緒に招かれた日産・広報室長から「ある役員から、あんな本をなぜ出させたと怒られましたよ」と打ち明け話をしてくれたほどだった。
私は基本的にゲラを取材先にチェックしてもらうことにしている。取材先に気に入ってもらうことが目的ではなく、間違った情報をお金を出して買ってくれた読者に伝えることは読者に対して申し訳ないという思いからで、だからゲラをチェックしてもらう前提として「チェック内容は事実誤認の範囲だけです。私の主張が気に入らないからと言って書き換えてくれという要求は受け入れません」と念を押している。が、それでもゲラを見せることで、しばしば取材先ともめることがある。そうした場合、基本的に広報は中立的立場をとってくれるのだが、直接取材した相手からクレームがつくことはしばしばある。
前にもブログで書いたが、いま飛ぶ鳥を落とす勢いのソフトバンクの孫氏から呼び出しがかかったこともある。孫氏が「世界のメディア王」と呼ばれていたマードック氏と組んでCS放送事業に乗り出そうとしていた時だったが、当時はすでにBSでNHKとWOWWOWがアナログ衛星放送を行っており(地上波民放は未参入)、CSでもパーフェクTVとディレクTVが先行していた。そこにいくらマードックと組んでも、最後発のJスカイBが勝てるわけがないと私は考えていた。孫氏がゲラを読んで私に来てくれと呼び出し、「小林さん、僕はこの事業に命をかけているのだ。わかってほしい」と懇願してきた。私を説得できるだけの論理的説明に窮したために発した言葉である。私は「僕も命をかけて本を書いている。孫さんのためにではなく、読者のために命を張っている」と応じた。孫氏は最後に「それなら、賭けよう。JスカイBが成功したら、小林さん、10万円くれ。もし僕が負けたら30万円払う」と、捨て台詞に近い言葉を投げかけてきた。私は「いいですよ」と応じたが、その後CS3社は経営統合してスカパーになり、孫氏はCS事業から完全に手を引いた。
孫氏から30万円もらったか?…もらっていないよ。
話がちょっと横道にそれたが、シーマの開発ドキュメントを書いた著書で、私はまえがきは書かなかったが、16ページに及ぶあとがきを書いた。今そのあとがきを読み返してみて、結局、日産の体質は変わらなかったんだなという感慨を深くした。全文を転記するのは消耗だし、読者も退屈するだろうから末尾の文だけ転載する。あらかじめ言っておくが、日産の官僚主義的体質は、実はこの本を書いた前後、強力な権力を誇っていた塩路自動車労連会長(日産労組委員長)と闘った石原会長の遺産でもあった。
「歴史は繰り返す。
歴史を繰り返させるものは振り子の原理である。
かつて日産には、自由でのびのびした空気があった。たとえばシーマをデザインした若林昇は昭和42年に日産に入社しているが、『10年間ほどはすごく自由だったのが、そのあと急に官僚化していった』と証言している。
自由度があまりに進むと、個々の社員が勝手にバラバラ好きな方向に走り出してしまい、組織としての統一性、一貫性が失われていく。その結果、“組織性の確立”が叫ばれるようになり、空気は一転して官僚主義化していく。しかも組合の職場に対する影響力を排除するためには、ある程度、職制による組織的締め付けが避けられなかった。石原・日産の時代は、こうして振り子が触れすぎたのである。
経営が順調でありさえすれば、振り子がそう大きく振れすぎることもないのだが、国内販売政策の失敗や労使対立の激化が重なることで、組織の硬直化・官僚主義化が猛烈な勢いで進んでしまったのである。
社内の空気を一変させ、日産に新しい流れを作り出した久米・日産の時代がいつまで続くかは、もちろん予測の限りではないが、いずれ久米の鋼材も歴史によって検証される時が来るであろう。今のところ経営上のミスはほとんど無く、また日産を取り巻く環境がアゲインストからフォローに転じたことも考慮に入れると、当分は社内の自由化が次々といい結果を生み続けることは間違いないと思われる。だがそれも、経営環境が一変し、悪化しだすと、“部下が上司を上司とも思わない”“個々バラバラに走り出して統制が取れない”といった弊害の部分が一気に露呈してくる。そのとき再び歴史が繰り返さないという保証はどこにもない。日産ペレストロイカ(新しい流れ)の意義は、そのとき改めて問われなければならないのかもしれない」
日産は一応、ゴーン氏とケリー氏の追放には成功した。が、ある意味ではゴーン体制を支えてきた西川(さいかわ)体制は温存される。朝日などメディアの読みとは異なり、私はルノーでも早晩ゴーン体制は崩壊するとみている。強欲なゴーン氏が日産だけで不正を働き、三菱やルノーでは清廉潔白の経営をしてきたと信じろというほうが無理だろう。ルノーの経営陣にもゴーン氏の経営方針に反発していた人はおそらくいる。今までは沈黙を余儀なくされてきたが、彼らの不満が一気に爆発する日が間違いなく来る。
日産、三菱、ルノーが、どこまでゴーン色を一掃できるか。
ゴーン氏は確かに日産の窮地を救った。大胆なリストラと、徹底的な合理主義で赤字転落していた日産を再び優良企業に、いったんは回復させることに成功した。そのため一時的には日産の業績は回復したが、技術開発の流れには大きく後れを取ることになった。
かつては「技術の日産、販売のトヨタ」と言われた時期もあった。それほど日産の技術陣は技術力に自信を持っていた。そうした誇りは、いまの日産にはみじんも感じられない。むしろ世界の自動車技術の最先端をリードしているのは、かつて「販売の」と屈辱的な扱いを受けていたトヨタである。
目先の収益を優先する欧米企業の考え方が、いまの日本企業にも少しずつ浸透しつつあるような気がしてならない。少なくとも、西川氏をはじめ日産経営陣の多くは、そうしたゴーン流の経営を支えてきた人たちだ。確かに日本人経営者の手によっては、ゴーン氏がやったような「血も涙もない」厳しいリストラはできなかっただろう。シャープが立ち直ったのも、経営をホンハイにゆだねたからでもある。リストラされる従業員も、日本人経営者による合理化には反対できても、外国人経営者が矢面に立つと、「仕方がない」とあきらめが先に立つようだ。
これはたとえ話だが、定員が1000人の船に2000人を乗せたら、船を改造して2000人が乗っても沈まないようにするか、無理やり定員オーバーの1000人を放り出すかしないと、船は沈んでしまう。船に定員オーバーの2000人を乗船させた責任は船長(企業でいえば経営者)にあり、船を改造することに失敗した責任も船長にある。
ゴーン氏の片腕として今日の日産を作ってきた西川社長をはじめ、主だった経営陣はやはり責任の所在を明らかにする必要がある。代表権を持つ経営者が西川氏一人になった今、直ちに責任を取るというわけにはいかないだろうが、ゴーン氏らの取締役解任を決議するための臨時株主総会はともかく、定時株主総会では出処進退を明らかにする必要があろう。そうでなければ、単なる権力奪取のためのクーデターだったのか、というそしりを免れ得ない。
【追記】私がこの記事を書いたのは23日の午前中だった。記事を投稿した直後、日本テレビの視聴者センターに電話をした。当日の午後10時からBS日テレの『深層ニュース』が日産騒動をテーマにする予定だったので、「この問題は日産のガバナンスがめちゃくちゃだったということを意味する。西川社長をはじめ日産経営陣の責任は免れ得ない。臨時株主総会ではゴーンとケリーの解任しかやらないだろうが、決算後の定期株主総会では現経営陣の総退陣は必至だ。その視点を絶対入れてほしい」とアドバイスした。
実際『深層ニュース』では西川社長の責任問題も俎上に挙げた。が、コメンテーターが「西川氏は続投するつもりですよ。意気揚々としていますから」と述べていた。ゴーンとケリーを除く現経営陣がのほほんと暖かい椅子に座り続けるようだったら、日産のガバナンスは完全に崩壊していると考えざるを得ない。本文で書いたように、現経営陣によるクーデターと言われても仕方あるまい。それもかつて三越百貨店の「天皇」岡田社長を取締役会で突然解任したような社内クーデターではなく、公権力の手を借りなければ実現できなかったクーデターだったということになる。みっともないこと甚だしい。
今晩(25日)、『NHKスペシャル』が日産騒動をテーマにした。私はNHKのニュースでの日産騒動の報道や、今日の『日曜討論』での取り上げ方についても、NHKふれあいセンターのスーパーバイザーに日産のガバナンス問題を問う姿勢の欠如について批判した。にもかかわらず、『Nスぺ』も日産のガバナンス問題を不問にした。
殿様が絶対権力を保証されていた徳川幕府時代においても、殿様の悪行がひどすぎると家老をはじめ重臣たちが殿様を座敷牢に押し込めて、実力で政権交代を行った。つまりクーデターである。徳川時代には、もし家臣たちが公権力(幕府)に訴え出たら、お家取り潰しになる可能性があったから、公権力の手を借りることはできなかったと思うが、それに比べても「日産クーデター」は、何ともみっともない話ではないか。
捜査が司直の手にゆだねられることになった以上、ゴ-ンの不正に手を貸した、あるいは見て見ぬふりをしてきた経営陣の取締役義務違反も明らかにならざるを得ない。西川氏は「権力が一人に集中しすぎた」と悔いを口にはしたが、彼自身、ゴーンの片腕としてゴーンの不正に手を貸してきたのではないかという疑いはぬぐえない。少なくとも、清廉潔白ということは、代表取締役社長という立場上ありえない。権力の座を、ゴーンにとって代わろうなどと考えているようだと、また周囲がそれを許すようだと、日産の明日はない。
【さらに追記】すでに日付けは変わって26日になったが、いま深夜のニュースでゴーンが容疑を否認しているということを知った。どのような容疑を否認しているのかはニュースではわからないが、考えられるのは「不正な利益を得ていた」ということしかないだろう。自らの報酬について虚偽記載をケリーに命じていたことは明らかになっているし、ゴーンが主張できることは「虚偽記載を命じたのは、日本の給与慣習から不当な報酬しか得られないため、やむを得ず実質とは異なる報酬を記載させた」という「正当防衛論」の主張だろう。ケリーに決算報告書での報酬額の減額記載を指示していたことはすでにメールで確認されている(『Nスぺ』)。
だが、『Nスぺ』によれば、ゴーンは週に2,3日しか日産に出社していなかったという。激変する政治・経済状況にあって経営者に求められるのは的確な判断力である。もし、それが事実であったなら、西川が主張してきた「ゴーンには逆らえなかった」という自己弁護はうそになる。出社していないゴーンに経営判断を仰ぐということ自体が、代表取締役としての資格が問われるはずだ。
言っておくが、ゴーンの悪質さを弁護するつもりなど毛頭ない。私が重要視しているのは。ゴーンの不正行為をこれまで不問に付しながら、公権力の力を借りなければゴーン体制を覆せなかった日産のガバナンスである。ゴーンを追放さえすれば、日産は健全なガバナンスが回復すると勝手に思い込んでいる西川ら現経営陣の支援に回っているメディアの体質を私は問うている。
ゴーンが日産、ルノー、三菱の3社から得ていた実質的な報酬が正当であったかどうかは、私が判断できる立場にはない。問題は仮に正当であったとしても、なぜ報酬額を堂々と公表せず、決算報告書に虚偽記載までしなければならなかったのか。もし、ゴーンが決算報告書に虚偽記載した報酬額で税務申告せず。実質的に受けてっていた報酬を申告して納税していれば、ゴーンの主張にも一分の理がある。
別に会社に出社することだけが権力者の責務と言いたいわけではない。出社しなくても的確な経営判断ができる状況を作り、経営判断を誤ることがなければ経営者としての責務は十分果たしていると私は思う。今のところ、その問題にはメディアは触れていない。私にもわからない。
この問題で、あえて「働き方改革」を持ち出すつもりはなかったが、働き方を決めるのは経営者であろうと一従業員であろうと、働く側の権利にすべきだ。そのことはすでにブログで書いてきた(経営者の権利については書いていない)。
私が仮に現役で、全国紙の論説委員だったとしよう。私は毎日決められた時間に出社し、ただダラダラと時間をつぶして、記者が取材で集めてきた情報をもとに記事を書くより、自宅の書斎にこもって記者からはメールで情報を受け取りながら、インターネットで様々な情報を検索したり、ひとりで静かにさまざまな情報をどう分析・解析すべきかを考えるほうがはるかに有意義で効率的な仕事ができると思う。
「働き方改革」については、かなり前にブログで書いたが、「高度プロフェッショナル」制度を選択するか否かは、会社側の権利ではなく従業員側の権利にすべきだと主張してきた。「働き方改革」の原点は「成果主義賃金制度」の導入にあったはずで、労働時間や勤務場所にしばれることなく、労働者が提供する労働力の成果に応じて賃金を支払うべきだという考え方であるはずだった。
私はある全国紙を購読しているが、いろいろアドバイスすることもあるし、手厳しい批判をすることもある。その新聞の読者対応窓口が、いま平日は9:00~18:00.土曜日は9:00~17:00.祝日は窓口閉鎖である。テレビの視聴者窓口や新聞の読者窓口は、私に言わせればメディアのセカンド・オピニオンだ。メシアの側はそれを勘違いして、視聴者や読者に対するサービスだと思っているようだ。メディアの驕りとしか言いようがない。
その新聞社になぜ読者窓口時間を短縮したのか、聞いた。「経費削減のためか」という質問には、さすがに「そうです」とは言わなかった。「では、働き方改革か」と重ねて聞いたら「その側面はあります」と答えた後、付け足すように「18時以降の電話は少ないんです」と言い訳をした。
新聞社が「働き方改革」を誤認していたら、権力に対するチェック機能は全く果たせない。読者からの電話のすべてを担当社員が何も会社で受ける必要はない。新聞社で直接対応する社員は2~3人もいればよく、どの記事に対する違憲かを聞いて、対応できる自宅待機の社員に電話を転送すればいい。そうすれば、かなり遅い時間でも読者の意見をセカンド・オピニオンとして受け取ることができる。とくに子育て中の社員(男女を問わず)にとっては仕事と子育てを両立させることができるから歓迎されるだろう。まぁ。メディアは自分たちが一番偉いと思っているから、セカンド・オピニオンなど必要ないと考えているのかもしれないが…。
日産騒動の話からかなり横道にそれたが、安部さんの意図はどうであれ時間の問題で「働き方改革」は労働者の権利になる。いや、権利にしなければいけない。経済界はそうなることをかなり肯定している。労働者の権利にする以上、高額所得層に限定する必要もない。労働時間(実質、ブラブラしている時間があっても、勤務時間内のブラブラだったら給与の支給範囲に入る)に応じた給与制度はいずれ崩壊する。日本の労働者の生産性が先進国中最低ランクに甘んじているのは、ブラブラ時間が多すぎるためだ。
本文で書いた『シーマ苦闘700日』の本は、銀座東急ホテルで1か月缶詰めになり、その1か月で取材と執筆を完了した。取材と執筆を同時並行で進行し、書き上げた原稿はその都度編集者に渡していたから、脱稿後1週間足らずで出版になった。それでも。十分睡眠時間は取っていたし、毎晩ではなかったが、缶詰めになった場所が銀座だったこともあって、ちょくちょく飲みにも行った。
ただ、取材と執筆を1か月で完了するというのは、正直私もきつかった。幸い初版3万500部で、発行日に再販3万部になったので、苦労のし甲斐があったと、私は思っている。でも、さすがに疲労はかなりあり、その後の1か月は新規の仕事は受けなかった。自由業だから、そういう選択ができたが、勤務者であってもそういう自由度が認められれば、日本の労働生産性は相当向上すると思う。労働者側も、残業代で生活費を補うという考え方を捨ててほしい。もっと自分の能力と労働の成果に自信を持てる働き方を、働く側の権利として主張できるような働き方を模索してもらいたい。
「働き方改革」とは、そういう働き方が労働者の権利として認められる改革でなければならないと。私は思う。
【3度目の追記】今朝(26日) の朝日新聞の記事を見てびっくりした。これまでのメディアの報道ではゴーン氏が50億円に上る報酬を隠していたということだった。が、隠蔽されていたとされる50億円は、ゴーン氏が日産の役員を退任した時の退職金として日産が蓄えてきたという。記事にはこうある。
「関係者によると、ゴーン前会長の報酬は、実際には年約20億円だったのに、報告書(※有価証券報告書)への記載は約10億円にとどめる一方、差額の約10億円は別の名目で毎年蓄積し、退任後に受け取る仕組みになっていた。差額の10億円分については毎年、退任後の受領を明記した文書を作っていたという」
この報道が事実だとすると、ゴーン氏の不正の根拠が改めて問われざるを得ない。もちろん、ゴーン氏の私的流用の不正がこれで不問に付されるということではないが、最大の疑惑の根拠が崩れたとなると、果たして検察が起訴に持ち込めるか不透明になったと言わざるを得ない。
朝日の報道では不明な点がある。一般の従業員の退職金引き当ては商法上、経費として認められているはずだが、役員の場合、退任引当金として商法が認めているのかは、私は知らない。記事の「別の名目で毎年蓄積」とある「別の名目」とは、具体的にどういう名目だったのかは記事では不明だ。また「退任後の受領を明記した文書」は他の役員たちが承知していたのか。そのことも記事では不明だ。
もし西川氏ら役員が、退職金として積み立てることを承認していたとしたら、この「クーデター」の正当性が問われる。今後の捜査を見守るしかない。
取締役会では、ゴーン容疑者らの逮捕に関する社内調査の説明を含め、ゴーン容疑者の違法行為の数々が事細かに暴かれたという。通訳を介してルノー出身の役員にも事実関係が理解できるよう説明が丁寧に行われたため、4時間という長丁場の会議になったようだが、朝日新聞の報道(23日付朝刊「時々刻々」)によれば、「説明を終えた時には『全員が言葉を失っていた』(関係者)。不正の細かい事実関係を確認する質問はいくつか出たが、議論が紛糾することはなく、両容疑者を擁護するような発言も出なかったという」。
今のところ、ゴーン容疑者の不正行為の舞台は日産にとどまっているようだが、三菱やルノーでも不正行為がなかったか、今後両社の内部調査が本格化するだろうと思われる。三菱はすでにゴーン代表取締役の解任を決めているようだが、今のところ静観しているルノーも2人の日産取締役の報告を受けてゴーン会長兼CEOに対する厳しい処分に踏み切らざるを得ないと思われる(※朝日の論調とは異なる)。
実は私自身、個人的だが多少灌漑深いものがある。というのは1988年、青春出版社から『シーマ苦闘の700日 この男たちの大逆襲』という著書を上梓し、ある程度日産の企業体質に触れたことがあったからだ。
この年1月、日産はシーマという、ニュー・コンセプトの高級車を発売した。このクルマが爆発的にヒットして「シーマ現象」「社会現象」とまで言われた。社会現象という言い方は今でこそ広く流布されており、この言葉を知らない人はいないといってもいいだろうが、当時はは極めて異例だったと記憶している。それほどシーマは自動車業界のみならず社会全体に大きな衝撃をもたらしたクルマだった。
シーマをテーマに本を書くことになったのは、ひょんなことからだった。多分この年の7月頃だったと思うが、青春出版社の編集長と飲んでいて、シーマの爆発的人気が話題になり、編集長から「きこうさん、緊急出版したい。今すぐに取り掛かれないか」と誘いがかかったのがきっかけだった。編集長も前から温めていた企画だったわけでもなく、その場でどんな話になったのかは記憶にないが、編集長がなんとなく「小林に書かせれば、面白いドキュメントになるかもしれない」と、その場の雰囲気で思いついたのではないかと思う。なお、「きこう」といいうのは業界用語で、ある程度名が売れた著者は名前を音読みする習性があった。私の名前の紀興は「のりおき」というのが正式な読み方だが、音読みすると「きこう」となる。名前を音読みされるようになれば、出版業界では一応「一流人」の仲間入りをしたことを意味していた。
ちょうど、私も取り掛かっていたテーマがなかったこともあり、編集長の申し入れを快諾した。翌日、私は編集長とふたりで日産の広報室長と会い、取材を申し入れた。日産側も喜んで受け入れてくれたが、本の内容は私も取材に入る前には思ってもいなかったかなり手厳しいものになった。
当時日産の本社は銀座にあり、私は約1か月間、日産本社ビルから200メートルほどの場所にあった銀座東急ホテルに缶詰めになって取材と執筆を同時並行で進行するという、異例の態勢でこの仕事に取り掛かった。日産の広報も異例の態勢をとってくれ、例えば「今から30分後に石原さんの時間が取れる。来てくれるか」と電話が入り、私は書きかけの原稿を放り出して駆け付けるといったケーズもしばしばあった。広報が常時トップの動向をつかんでいるなどということはありえず、おそらく社長室なども含めて異例の体制をとってくれたのだと思う。
私はこの著書ではまえがきを書かなかった。32冊上梓してきた中で、まえがきを書かなかったのはこの本だけだったと思う。ただし、まえがきの代わりに本文の冒頭に短いリード文を書いた。
「驚くべきドラマが隠されていた。私はそのことを、取材して初めて知った。これほどの題材には、二度と巡り合えないかもしれない 小林紀興」
基本的にはシーマ開発のドキュメントである。が、単に日産がヒット商品を作ったというだけのストーリーにはならなかった。日産・広報にとっては想定外の厳しい内容になったと思う。のちに出版社が打ち上げとしてゴルフに招いてくれた時、一緒に招かれた日産・広報室長から「ある役員から、あんな本をなぜ出させたと怒られましたよ」と打ち明け話をしてくれたほどだった。
私は基本的にゲラを取材先にチェックしてもらうことにしている。取材先に気に入ってもらうことが目的ではなく、間違った情報をお金を出して買ってくれた読者に伝えることは読者に対して申し訳ないという思いからで、だからゲラをチェックしてもらう前提として「チェック内容は事実誤認の範囲だけです。私の主張が気に入らないからと言って書き換えてくれという要求は受け入れません」と念を押している。が、それでもゲラを見せることで、しばしば取材先ともめることがある。そうした場合、基本的に広報は中立的立場をとってくれるのだが、直接取材した相手からクレームがつくことはしばしばある。
前にもブログで書いたが、いま飛ぶ鳥を落とす勢いのソフトバンクの孫氏から呼び出しがかかったこともある。孫氏が「世界のメディア王」と呼ばれていたマードック氏と組んでCS放送事業に乗り出そうとしていた時だったが、当時はすでにBSでNHKとWOWWOWがアナログ衛星放送を行っており(地上波民放は未参入)、CSでもパーフェクTVとディレクTVが先行していた。そこにいくらマードックと組んでも、最後発のJスカイBが勝てるわけがないと私は考えていた。孫氏がゲラを読んで私に来てくれと呼び出し、「小林さん、僕はこの事業に命をかけているのだ。わかってほしい」と懇願してきた。私を説得できるだけの論理的説明に窮したために発した言葉である。私は「僕も命をかけて本を書いている。孫さんのためにではなく、読者のために命を張っている」と応じた。孫氏は最後に「それなら、賭けよう。JスカイBが成功したら、小林さん、10万円くれ。もし僕が負けたら30万円払う」と、捨て台詞に近い言葉を投げかけてきた。私は「いいですよ」と応じたが、その後CS3社は経営統合してスカパーになり、孫氏はCS事業から完全に手を引いた。
孫氏から30万円もらったか?…もらっていないよ。
話がちょっと横道にそれたが、シーマの開発ドキュメントを書いた著書で、私はまえがきは書かなかったが、16ページに及ぶあとがきを書いた。今そのあとがきを読み返してみて、結局、日産の体質は変わらなかったんだなという感慨を深くした。全文を転記するのは消耗だし、読者も退屈するだろうから末尾の文だけ転載する。あらかじめ言っておくが、日産の官僚主義的体質は、実はこの本を書いた前後、強力な権力を誇っていた塩路自動車労連会長(日産労組委員長)と闘った石原会長の遺産でもあった。
「歴史は繰り返す。
歴史を繰り返させるものは振り子の原理である。
かつて日産には、自由でのびのびした空気があった。たとえばシーマをデザインした若林昇は昭和42年に日産に入社しているが、『10年間ほどはすごく自由だったのが、そのあと急に官僚化していった』と証言している。
自由度があまりに進むと、個々の社員が勝手にバラバラ好きな方向に走り出してしまい、組織としての統一性、一貫性が失われていく。その結果、“組織性の確立”が叫ばれるようになり、空気は一転して官僚主義化していく。しかも組合の職場に対する影響力を排除するためには、ある程度、職制による組織的締め付けが避けられなかった。石原・日産の時代は、こうして振り子が触れすぎたのである。
経営が順調でありさえすれば、振り子がそう大きく振れすぎることもないのだが、国内販売政策の失敗や労使対立の激化が重なることで、組織の硬直化・官僚主義化が猛烈な勢いで進んでしまったのである。
社内の空気を一変させ、日産に新しい流れを作り出した久米・日産の時代がいつまで続くかは、もちろん予測の限りではないが、いずれ久米の鋼材も歴史によって検証される時が来るであろう。今のところ経営上のミスはほとんど無く、また日産を取り巻く環境がアゲインストからフォローに転じたことも考慮に入れると、当分は社内の自由化が次々といい結果を生み続けることは間違いないと思われる。だがそれも、経営環境が一変し、悪化しだすと、“部下が上司を上司とも思わない”“個々バラバラに走り出して統制が取れない”といった弊害の部分が一気に露呈してくる。そのとき再び歴史が繰り返さないという保証はどこにもない。日産ペレストロイカ(新しい流れ)の意義は、そのとき改めて問われなければならないのかもしれない」
日産は一応、ゴーン氏とケリー氏の追放には成功した。が、ある意味ではゴーン体制を支えてきた西川(さいかわ)体制は温存される。朝日などメディアの読みとは異なり、私はルノーでも早晩ゴーン体制は崩壊するとみている。強欲なゴーン氏が日産だけで不正を働き、三菱やルノーでは清廉潔白の経営をしてきたと信じろというほうが無理だろう。ルノーの経営陣にもゴーン氏の経営方針に反発していた人はおそらくいる。今までは沈黙を余儀なくされてきたが、彼らの不満が一気に爆発する日が間違いなく来る。
日産、三菱、ルノーが、どこまでゴーン色を一掃できるか。
ゴーン氏は確かに日産の窮地を救った。大胆なリストラと、徹底的な合理主義で赤字転落していた日産を再び優良企業に、いったんは回復させることに成功した。そのため一時的には日産の業績は回復したが、技術開発の流れには大きく後れを取ることになった。
かつては「技術の日産、販売のトヨタ」と言われた時期もあった。それほど日産の技術陣は技術力に自信を持っていた。そうした誇りは、いまの日産にはみじんも感じられない。むしろ世界の自動車技術の最先端をリードしているのは、かつて「販売の」と屈辱的な扱いを受けていたトヨタである。
目先の収益を優先する欧米企業の考え方が、いまの日本企業にも少しずつ浸透しつつあるような気がしてならない。少なくとも、西川氏をはじめ日産経営陣の多くは、そうしたゴーン流の経営を支えてきた人たちだ。確かに日本人経営者の手によっては、ゴーン氏がやったような「血も涙もない」厳しいリストラはできなかっただろう。シャープが立ち直ったのも、経営をホンハイにゆだねたからでもある。リストラされる従業員も、日本人経営者による合理化には反対できても、外国人経営者が矢面に立つと、「仕方がない」とあきらめが先に立つようだ。
これはたとえ話だが、定員が1000人の船に2000人を乗せたら、船を改造して2000人が乗っても沈まないようにするか、無理やり定員オーバーの1000人を放り出すかしないと、船は沈んでしまう。船に定員オーバーの2000人を乗船させた責任は船長(企業でいえば経営者)にあり、船を改造することに失敗した責任も船長にある。
ゴーン氏の片腕として今日の日産を作ってきた西川社長をはじめ、主だった経営陣はやはり責任の所在を明らかにする必要がある。代表権を持つ経営者が西川氏一人になった今、直ちに責任を取るというわけにはいかないだろうが、ゴーン氏らの取締役解任を決議するための臨時株主総会はともかく、定時株主総会では出処進退を明らかにする必要があろう。そうでなければ、単なる権力奪取のためのクーデターだったのか、というそしりを免れ得ない。
【追記】私がこの記事を書いたのは23日の午前中だった。記事を投稿した直後、日本テレビの視聴者センターに電話をした。当日の午後10時からBS日テレの『深層ニュース』が日産騒動をテーマにする予定だったので、「この問題は日産のガバナンスがめちゃくちゃだったということを意味する。西川社長をはじめ日産経営陣の責任は免れ得ない。臨時株主総会ではゴーンとケリーの解任しかやらないだろうが、決算後の定期株主総会では現経営陣の総退陣は必至だ。その視点を絶対入れてほしい」とアドバイスした。
実際『深層ニュース』では西川社長の責任問題も俎上に挙げた。が、コメンテーターが「西川氏は続投するつもりですよ。意気揚々としていますから」と述べていた。ゴーンとケリーを除く現経営陣がのほほんと暖かい椅子に座り続けるようだったら、日産のガバナンスは完全に崩壊していると考えざるを得ない。本文で書いたように、現経営陣によるクーデターと言われても仕方あるまい。それもかつて三越百貨店の「天皇」岡田社長を取締役会で突然解任したような社内クーデターではなく、公権力の手を借りなければ実現できなかったクーデターだったということになる。みっともないこと甚だしい。
今晩(25日)、『NHKスペシャル』が日産騒動をテーマにした。私はNHKのニュースでの日産騒動の報道や、今日の『日曜討論』での取り上げ方についても、NHKふれあいセンターのスーパーバイザーに日産のガバナンス問題を問う姿勢の欠如について批判した。にもかかわらず、『Nスぺ』も日産のガバナンス問題を不問にした。
殿様が絶対権力を保証されていた徳川幕府時代においても、殿様の悪行がひどすぎると家老をはじめ重臣たちが殿様を座敷牢に押し込めて、実力で政権交代を行った。つまりクーデターである。徳川時代には、もし家臣たちが公権力(幕府)に訴え出たら、お家取り潰しになる可能性があったから、公権力の手を借りることはできなかったと思うが、それに比べても「日産クーデター」は、何ともみっともない話ではないか。
捜査が司直の手にゆだねられることになった以上、ゴ-ンの不正に手を貸した、あるいは見て見ぬふりをしてきた経営陣の取締役義務違反も明らかにならざるを得ない。西川氏は「権力が一人に集中しすぎた」と悔いを口にはしたが、彼自身、ゴーンの片腕としてゴーンの不正に手を貸してきたのではないかという疑いはぬぐえない。少なくとも、清廉潔白ということは、代表取締役社長という立場上ありえない。権力の座を、ゴーンにとって代わろうなどと考えているようだと、また周囲がそれを許すようだと、日産の明日はない。
【さらに追記】すでに日付けは変わって26日になったが、いま深夜のニュースでゴーンが容疑を否認しているということを知った。どのような容疑を否認しているのかはニュースではわからないが、考えられるのは「不正な利益を得ていた」ということしかないだろう。自らの報酬について虚偽記載をケリーに命じていたことは明らかになっているし、ゴーンが主張できることは「虚偽記載を命じたのは、日本の給与慣習から不当な報酬しか得られないため、やむを得ず実質とは異なる報酬を記載させた」という「正当防衛論」の主張だろう。ケリーに決算報告書での報酬額の減額記載を指示していたことはすでにメールで確認されている(『Nスぺ』)。
だが、『Nスぺ』によれば、ゴーンは週に2,3日しか日産に出社していなかったという。激変する政治・経済状況にあって経営者に求められるのは的確な判断力である。もし、それが事実であったなら、西川が主張してきた「ゴーンには逆らえなかった」という自己弁護はうそになる。出社していないゴーンに経営判断を仰ぐということ自体が、代表取締役としての資格が問われるはずだ。
言っておくが、ゴーンの悪質さを弁護するつもりなど毛頭ない。私が重要視しているのは。ゴーンの不正行為をこれまで不問に付しながら、公権力の力を借りなければゴーン体制を覆せなかった日産のガバナンスである。ゴーンを追放さえすれば、日産は健全なガバナンスが回復すると勝手に思い込んでいる西川ら現経営陣の支援に回っているメディアの体質を私は問うている。
ゴーンが日産、ルノー、三菱の3社から得ていた実質的な報酬が正当であったかどうかは、私が判断できる立場にはない。問題は仮に正当であったとしても、なぜ報酬額を堂々と公表せず、決算報告書に虚偽記載までしなければならなかったのか。もし、ゴーンが決算報告書に虚偽記載した報酬額で税務申告せず。実質的に受けてっていた報酬を申告して納税していれば、ゴーンの主張にも一分の理がある。
別に会社に出社することだけが権力者の責務と言いたいわけではない。出社しなくても的確な経営判断ができる状況を作り、経営判断を誤ることがなければ経営者としての責務は十分果たしていると私は思う。今のところ、その問題にはメディアは触れていない。私にもわからない。
この問題で、あえて「働き方改革」を持ち出すつもりはなかったが、働き方を決めるのは経営者であろうと一従業員であろうと、働く側の権利にすべきだ。そのことはすでにブログで書いてきた(経営者の権利については書いていない)。
私が仮に現役で、全国紙の論説委員だったとしよう。私は毎日決められた時間に出社し、ただダラダラと時間をつぶして、記者が取材で集めてきた情報をもとに記事を書くより、自宅の書斎にこもって記者からはメールで情報を受け取りながら、インターネットで様々な情報を検索したり、ひとりで静かにさまざまな情報をどう分析・解析すべきかを考えるほうがはるかに有意義で効率的な仕事ができると思う。
「働き方改革」については、かなり前にブログで書いたが、「高度プロフェッショナル」制度を選択するか否かは、会社側の権利ではなく従業員側の権利にすべきだと主張してきた。「働き方改革」の原点は「成果主義賃金制度」の導入にあったはずで、労働時間や勤務場所にしばれることなく、労働者が提供する労働力の成果に応じて賃金を支払うべきだという考え方であるはずだった。
私はある全国紙を購読しているが、いろいろアドバイスすることもあるし、手厳しい批判をすることもある。その新聞の読者対応窓口が、いま平日は9:00~18:00.土曜日は9:00~17:00.祝日は窓口閉鎖である。テレビの視聴者窓口や新聞の読者窓口は、私に言わせればメディアのセカンド・オピニオンだ。メシアの側はそれを勘違いして、視聴者や読者に対するサービスだと思っているようだ。メディアの驕りとしか言いようがない。
その新聞社になぜ読者窓口時間を短縮したのか、聞いた。「経費削減のためか」という質問には、さすがに「そうです」とは言わなかった。「では、働き方改革か」と重ねて聞いたら「その側面はあります」と答えた後、付け足すように「18時以降の電話は少ないんです」と言い訳をした。
新聞社が「働き方改革」を誤認していたら、権力に対するチェック機能は全く果たせない。読者からの電話のすべてを担当社員が何も会社で受ける必要はない。新聞社で直接対応する社員は2~3人もいればよく、どの記事に対する違憲かを聞いて、対応できる自宅待機の社員に電話を転送すればいい。そうすれば、かなり遅い時間でも読者の意見をセカンド・オピニオンとして受け取ることができる。とくに子育て中の社員(男女を問わず)にとっては仕事と子育てを両立させることができるから歓迎されるだろう。まぁ。メディアは自分たちが一番偉いと思っているから、セカンド・オピニオンなど必要ないと考えているのかもしれないが…。
日産騒動の話からかなり横道にそれたが、安部さんの意図はどうであれ時間の問題で「働き方改革」は労働者の権利になる。いや、権利にしなければいけない。経済界はそうなることをかなり肯定している。労働者の権利にする以上、高額所得層に限定する必要もない。労働時間(実質、ブラブラしている時間があっても、勤務時間内のブラブラだったら給与の支給範囲に入る)に応じた給与制度はいずれ崩壊する。日本の労働者の生産性が先進国中最低ランクに甘んじているのは、ブラブラ時間が多すぎるためだ。
本文で書いた『シーマ苦闘700日』の本は、銀座東急ホテルで1か月缶詰めになり、その1か月で取材と執筆を完了した。取材と執筆を同時並行で進行し、書き上げた原稿はその都度編集者に渡していたから、脱稿後1週間足らずで出版になった。それでも。十分睡眠時間は取っていたし、毎晩ではなかったが、缶詰めになった場所が銀座だったこともあって、ちょくちょく飲みにも行った。
ただ、取材と執筆を1か月で完了するというのは、正直私もきつかった。幸い初版3万500部で、発行日に再販3万部になったので、苦労のし甲斐があったと、私は思っている。でも、さすがに疲労はかなりあり、その後の1か月は新規の仕事は受けなかった。自由業だから、そういう選択ができたが、勤務者であってもそういう自由度が認められれば、日本の労働生産性は相当向上すると思う。労働者側も、残業代で生活費を補うという考え方を捨ててほしい。もっと自分の能力と労働の成果に自信を持てる働き方を、働く側の権利として主張できるような働き方を模索してもらいたい。
「働き方改革」とは、そういう働き方が労働者の権利として認められる改革でなければならないと。私は思う。
【3度目の追記】今朝(26日) の朝日新聞の記事を見てびっくりした。これまでのメディアの報道ではゴーン氏が50億円に上る報酬を隠していたということだった。が、隠蔽されていたとされる50億円は、ゴーン氏が日産の役員を退任した時の退職金として日産が蓄えてきたという。記事にはこうある。
「関係者によると、ゴーン前会長の報酬は、実際には年約20億円だったのに、報告書(※有価証券報告書)への記載は約10億円にとどめる一方、差額の約10億円は別の名目で毎年蓄積し、退任後に受け取る仕組みになっていた。差額の10億円分については毎年、退任後の受領を明記した文書を作っていたという」
この報道が事実だとすると、ゴーン氏の不正の根拠が改めて問われざるを得ない。もちろん、ゴーン氏の私的流用の不正がこれで不問に付されるということではないが、最大の疑惑の根拠が崩れたとなると、果たして検察が起訴に持ち込めるか不透明になったと言わざるを得ない。
朝日の報道では不明な点がある。一般の従業員の退職金引き当ては商法上、経費として認められているはずだが、役員の場合、退任引当金として商法が認めているのかは、私は知らない。記事の「別の名目で毎年蓄積」とある「別の名目」とは、具体的にどういう名目だったのかは記事では不明だ。また「退任後の受領を明記した文書」は他の役員たちが承知していたのか。そのことも記事では不明だ。
もし西川氏ら役員が、退職金として積み立てることを承認していたとしたら、この「クーデター」の正当性が問われる。今後の捜査を見守るしかない。