小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

自民総裁選は河野氏の圧勝か? ワクチン接種率が上がると、なぜコロナ感染が拡大するのか? 日経がその事実を明らかにした。

2021-08-30 07:43:25 | Weblog
【追記3】 自民党総裁選を明日に迎えて政局がにわかにあわただしくなった。メディアや政治評論家はどの派閥の意向はどうだとかこうだとか、地方票(党員・党友票)の動向はどうだとか、いろいろ騒いでいるが、かつての「小泉劇場」のようなドンデン返しはありえない。
 小泉劇場が生じたのは、公示後の選挙活動で小泉氏が「私が古い自民党をぶっ壊す」と強烈な爆弾を炸裂させ、さらに政界の異端児・田中真紀子氏が「女房気取り」で応援団長を買って出たことで地方票の流れが一気につくられ圧勝した。しかも、このときの総裁選では国会議員投票に先立って地方票の開票結果が開示されてしまったため、当初は絶対有利とみられていた橋本龍太郎氏が惨敗する結果になった。党員の意志を真っ向から否定するような投票行動には、さすがに国会議員もとれなかったのだろう。
 が、自民党は長老政治を維持するためかどうかは知らないが、地方票の開示は国会議員投票後に行うことにしている。そのうえ「派閥縛り」をなくすため(派閥縛りに対する若手中堅議員の反発が大きかったため)国会議員投票は無記名式にした。だから、事実上、国会議員は個人の自由意志で投票する。
 立候補するのは岸田・高市・河野・野田の4人になりそうだが、公示後誰かが「小泉劇場」のような威力のある爆弾を炸裂させるかだ。岸田氏はすでに長老政治の廃止や森友学園の説明責任という爆弾を投げてしまったから、同じことを繰り返してもさほどの威力はない。もともと高市・野田氏には爆弾を持っていそうにないから、ただひたすら「女の戦い」に徹するしかないだろう。
 そうなると、あとは河野氏ということになるが、地方票はトップが固そうだし、今の自民党議員の3分の2以上は若手中堅議員ということになると、とくに爆弾を用意しなくても国会議員票でもトップを取りそうだ。知ったかぶりをする評論家は自民党内の「石破アレルギー」が大きく、河野氏の支持に回った石破氏が河野氏の足を引っ張るのではないかという分析をしているが、そんなことは絶対ない。「石破アレルギー」を持っているのは長老たちにすぎず、若手中堅議員の間には特に「石破アレルギー」なんかない。むしろ党内きっての政策通としての評価が高い石破氏が、河野氏を全面的に支持するとなると「河野・石破劇場」が幕開けするという期待感の方が強くなると私は思っている。決選投票になるという見方もあるが、私は一発で決まるとみている。

 実は、そんなことはどうでもいい。今日16日、日本経済新聞がコロナ感染について重大な事実を報道した。そもそも8月30日にアップしたこのブログのタイトルは『ワクチン接種率が上がると、なぜコロナ感染者が拡大するのか?』というもので、なぜそうなるのかを論証することが目的だった。
 読者の皆さんは9月に入って感染者数が急激に減少しているではないかと思われていたかもしれない。また政府も元日本サッカー選手代表の内田篤人氏を起用したテレビCMを連日流してワクチン効果をうたっている。相当の回数流しているのでご覧になった方も多いと思うが、内田氏の独白(独り言)はこうだ。「ワクチンを打つ前はやっぱりちょっと怖かったです。たぶん多くの人と同じだと思う。打つ前と打った後、ボクの中で変わったことがある。それは大切な人と安心してすごせる、その気持ちは確かです。あなたとあなたの大切な人を守るためにも、ワクチン接種をご検討ください」
 私は何度も内閣府や厚労省に、このCMは国民に大きな誤解を与えかねないからやめるよう申し入れた。が、内閣府は何度電話しても担当者が席を外しているとか、不在とかの理由で電話をつないでくれない。厚労省は職員ではなく「ワクチンコールセンター」(NTT系の外部スタッフに委嘱)にしかつながない。コールセンターの方は私の主張を全面的に理解してくれるのだが、肝心の厚労省が聞く耳を持たない。
 私はコロナ・ワクチンの接種に反対なのではない。むしろ推進したい側だ。
 問題はワクチンの効果が「発症を抑える」「重症化を抑える」という点にある。もちろんある程度感染防止力もあるのだが、感染防止力は厚労省の承認基準にはなっていない。防止力が低いせいか、治験数が十分でないためかは厚労省が発表していないのでわからない。問題はワクチンを打てば「感染しても発症を抑える効果がある」という点だ。「発症しても重症化を抑える効果」についてはいくら強調しても強調しすぎることはない。が、「発症を抑える効果がある」ということになると、街に無症状感染者があふれることになる。そのリスクを私はこのブログで警告した。そして、実際、その裏付けとなる記事を日経が書いてくれた。一部を抜粋・引用する。

新型コロナウイルスの感染に気づかず、社会生活を送る「隠れ陽性」が増えている。東京都が繁華街などで行う無料検査で直近の数値が7月上旬の12倍まで上昇した。行政検査が追いつかず、民間検査の活用も進んでいないことが背景にある。ワクチン接種完了後に感染する「ブレークスルー感染」もあり、無症状者の把握は不可欠。経済の正常化に向け、検査体制の拡充とワクチン接種を両輪で進めることが求められる。

 むしろ、感染したら発症を抑えるのではなく、「すぐ発症するが重症化は防ぐ」ワクチンを開発してくれ、と私は言いたい。少なくとも内田氏のCMは直ちに中止すべきだ。ワクチンを打っても、「絶対に感染しないという保証はない」ことは多くの国民が知っているが、やはり「感染しても発症を抑える(つまり無症状感染者)」「発症しても重症化はしない」ということで多少気が緩む。9月に入って感染者数が減っているのは、無症状感染者が街にあふれていることを意味していた。日経の記事はその事実を明らかにしてくれた。
(9月16日)

【追記2】 菅総理の辞任表明で一気に政局があわただしくなった。所詮トップの器でなかったと言ってしまえばそれまでだが、メディアがトンチンカンな 解説ばかりしているので、ちょっと書いておく。
なぜガースーが官房長官として長期にわたって安倍政権を支え続けることができたのか。「人事の菅」と言われているが、それはトップにとって安心できる腹心だからだ。実はナンバー2はトップにとってつねに極めて危険な存在である。そのことは前にもブログで書いた記憶がある。
本来官房長官という地位はナンバー2ではない。官房長官の最大の仕事は政府のスポークスマンつまり報道官である。だから徹底的に総理を守り抜かなければならない。考えてみれば安倍前総理ほどスキャンダルにまみれた総理はいなかった。それでも病に倒れるまで総理でいられたのは、野党のだらしなさもあるが、菅が防波堤として安倍をトコトン守り抜いたからだ。その結果、安倍が長期政権を維持できたし、総理と一体であるべき官房長官の菅の政治を動かす力も巨大化していったに過ぎない。
官房長官としての立場を勘違いして政治生命を棒にふった人がいる。細川内閣の官房長官を務めた武村正義氏だ。細川氏も「お殿様」だなあと思ったが、消費税(当時5%)を廃止して社会福祉税7%創設を突然ぶち上げたときだ。今から思えば悪いアイデアではなかったと思うが、閣議にも諮らず唐突に発表したため、てんやわんやの大騒ぎになった。そのとき武村氏が記者会見で真っ向から「お殿様」のアイデアを否定してしまった。で、「お殿様」はすっかりやる気をなくして「俺、辞~めた」と総理の座を放り出してしまったことがある。
その点、菅氏は出すぎた真似は絶対しなかった。だから歴代最長の官房長官として確固たる地位を築いてきた。
安倍政権時代、次の総理総裁は岸田氏への禅譲が政界雀のあいだでは規定事実のように語られていた。が、安倍氏が持病の悪化で総理を辞任することになったとき、なぜか安倍氏は岸田氏への禅譲ではなく、菅氏を後任に選んだ。
岸田氏はもともと国民の人気は低かった。「物言えば唇寒し」と思っていたのかどうかはわからないが、ずけずけ物言う石破氏や進次郎氏に人気の面ではかなりの差を付けられていた。当然国民にとっては「何を考えているのかわからない」といった消化不良の印象ばかり強くなった。
安倍氏がなぜ菅氏を後継指名したのかはわからない。総裁選で石破・岸田の争いになった場合、岸田氏の勝ち目がないと思ったのかもしれない。その点、
安倍政権に絶対忠実だった菅氏なら無派閥だし、「何が何でも菅はダメ」という勢力が党内になかったことも岸田氏への禅譲をやめた理由かもしれない。そのあたりの事情は政界雀の田崎氏なら知っているかもしれない。
 いずれにせよ、安倍氏が総理を辞めるときは自分に禅譲されるだろうとすっかり思い込んでいた岸田氏は、はしごを外されたと恨み骨髄に達したに違いない。総裁選が近づくにつれ、立候補の意思は早くから表明したものの、やはり立候補の意思を明らかにしていた菅氏との闘いは明らかに不利だった。内閣支持率は危険水域とされる30%を切っていた菅政権だが、自民党内の基盤が揺らいでいたわけではない。
 岸田氏がだれも想像すらしなかった原爆級の攻撃を始めたのは8月29日。突然総裁選の公約として「総裁を除き党役員任期は1期1年で3期まで」と発表したのだ。事実上、該当するのは16年8月に幹事長に就任して丸5年を超えた二階氏であることは誰の目にも明らかだった。二階氏はいったん「失礼だ」と反発したが、いちおう菅氏に「進退は任せる」と下駄を預けたようだ。

 岸田氏の「二階外し」はおおむね好感された。が、私は朝日新聞には電話で「原爆級の威力があるが、時期が早すぎた。公示後に二階・菅陣営が身動き取れなくなった状況で炸裂させるべきだった。必ず巻き返しがある」と伝えた。
 私はこのとき想定していたのは、菅氏が「余人をもって代えがたし」と二階氏を擁護することだった。が、菅氏がとった方針は総裁選前の党人事と内閣改造だった。自分が総理総裁になれた大恩人の二階氏を切ることで自らの延命を図ろうとしたのである。これほど浅はかな人だとは私は思ってもいなかった。
 ただ、誤解されるといけないので断っておくが、私は二階氏を擁護しているわけではない。メディアが政局の論理的分析力を喪失しているので、この瞬間、菅氏の芽が完全につぶれた理由を明らかにしただけだ。
 はっきり言って二階氏は「食えない爺」だ。自分の進退について菅氏に下駄を預けると一応言ってみて、菅氏がどう反応するかを厳しく見た。浅はかな菅氏は、自分が党人事を掌握する権力を握っていると錯覚して、総裁選挙前の「二階切り」を表明してしまった。その後、二階氏がどう動いたのかはわからない。ただ、この瞬間から自民党内で一気に「菅おろし」の空気が醸成されたことだけは事実だ。
 菅氏が総裁選出馬の意思を最終的に表明した9月2日の翌日には出馬断念を表明せざるを得なくなったのは、自分の力を過信しすぎた結果としか言いようがない。二階氏はまだ菅氏をバックアップするつもりでいたはず。まさか、進退を預けるという口車を菅氏が真に受けて、自分を切ろうとするなどとは考えてもいなかったと思う。
 菅氏には、自分の政治信念がもともとないから、そういう姿勢は横浜市長選挙でも表れていた。
 カジノを含むIR構想は菅氏の肝いり政策だった。横浜前市長の林氏が公約(IR誘致は白紙)をひっくり返してIR誘致を決めたときも菅氏は強力に林氏をバックアップしていた。が、8月の市長選挙に菅内閣の枢軸である小此木国家公安委員長が衆院議員を辞職して横浜市長選挙に「IR阻止」を掲げて立候補したとき、菅氏は小此木氏の応援団長を買って出た。この一事だけで、菅氏には政治理念・信条が皆無であることが日本中に知れ渡ってしまった。
 最有力馬だったはずの菅氏が自ら出馬を取りやめたことで自民党総裁選の行方は混とんとしてきた。ただ、岸田氏が第2弾として「政府の森友学園説明責任」まで公言したことで、安倍前総理を完全に敵に回してしまった。岸田氏としては昨年の総裁選での安倍氏の「裏切り」がよほど腹に据えかねたせいだろうと思うが、当初、泡まつ候補にもなれないのではと思われていた高市氏を安倍氏が全面的にバックアップすることになった。いったんは出馬を断念していた河野氏が出馬を表明していっきにダークホースになった。石破氏もどう動くかわからない。
 私自身は政局にはあまり関心がない。誰が総理総裁になろうと、政策についてど真ん中のリベラルの立場で検証していくだけだ。ただ、岸田氏は原爆を早すぎて投下した結果、安倍氏のバックアップも期待できなくなった。もし公示後に原爆を投下していたら、岸田総理総裁が実現していた可能性はかなり高かったと思っている。(9月6日)



政治はしばしば誤りを犯す。
そのこと自体は仕方がない。権力者といえども人間だから、時には状況を見誤って間違った政策に走ることはある。
問題は状況を見誤っていても、そのことに気が付かないか、気が付いても権力の座を失いたくないために誤った政策を続ける権力者が少なくないことだ。
アメリカのバイデンはアフガニスタンの治安は収まったと思って米軍兵士を撤退させることにした。とたんにイスラム過激派のタリバンが武力で政権を奪取してしまった。
中国の習近平も東南アジアでの覇権を急ぐあまり、国際社会での孤立を招きつつある。一部、報道によれば、中国共産党の上層部で「習近平降ろし」の動きが始まっているようだ。それが事実とすれば、その先は「クーデター」が成功するか、あるいは「血の粛清」が待ち受けているか~。

●東京オリンピックが感染拡大を招いたというエビデンス
緊急事態宣言下でのオリンピック強行開催について、主催者側の小池都知事、菅総理、丸川五輪相、橋本組織委会長の4人は口をそろえて「オリンピックがコロナ感染の拡大を招いたことはない。テレビのオリンピック中継の視聴率は軒並み高かった。つまり人流がそれだけ減ったわけでオリンピックと感染拡大の因果関係はない」と「オリンピック開催成功論」をぶった。
では、なぜオリンピック開催中、コロナ感染は拡大を続けたのか。実はこの間、家庭内感染が爆発的に増えている。
オリンピックに限らず、スポーツの国際大会は家庭だんらんの大きな機会になる。たとえばサッカーやラクビーのワールドカップ。お茶の間が競技場の観覧席と化して歓声が飛ぶ。家族全員がいっぱしの「評論家」気取りになって口角泡を飛ばして「あのプレーはどうだった、こうだった」と盛り上がる。平常時なら、スポーツのテレビ中継は家族のきずなを固める最高の舞台になる。
が、家族の中に無症状の感染者が一人でもいたら、どうなる? コロナ・ウイルスにとって、こんなにおいしい場所はそうない。
オリンピックによって人流が減ってテレビ中継の視聴率が上がれば、コロナの家庭内感染が爆発的に増えるのは当たり前だ。政府は「オリンピック開催が感染拡大を招いてはいない」と強弁するなら、なぜオリンピック期間中に家庭内感染が急増したかの理由も論理的に説明すべきだ。おそらく「さざ波」論者の高橋洋一氏にも無理だろう。
おそらくアメリカをはじめスポーツが盛んな国では、オリンピック期間中、日本と同様家庭内感染が爆増していたはずだ。

●コロナ・ワクチンはワクチンとして承認されたわけではない
ファイザーにしろモデルナにしろアストラゼネカにしろ、いちおうワクチンと言われているが、実は日本に限らずどの国でもワクチンとして承認を受けたわけではない。このことは何度もブログで書いてきているので、覚えておられる読者も少なくないと思うが、ワクチンとして承認を受けるには感染予防効果が治験で確認される必要がある。予防効果のハードルはそんなに高いわけではなく、インフルエンザ・ワクチンの場合でも感染予防効果は60%程度と言われている。
新薬の承認には通常、最低でも4~5年はかかると言われている。まず動物実験で効果と安全性を確かめ、そのうえで臨床治験が行われる。
が、コロナの場合、ワクチン開発にそんな時間をかけている余裕がなかった。もちろんメーカーは感染予防薬として開発してきたのだが、感染予防効果が確認できないまま医薬品として承認せざるを得ない状況になった。そのこと自体は一種の非常事態措置だから、やむを得ないと思う。
では、コロナ・ワクチンと称する医薬品はどういう効果を基準に承認されたか。日本の厚労省の場合は、こうだ。
「感染しても発症を防ぐ効果があること」
「発症しても、重症化を抑える効果があること」
この二つの効果が、コロナ・ワクチンの承認基準になった。私は厚労省に電話で確認したが、「だとすれば、これはワクチンというより治療薬に近い感じがするが…」と聞いたところ、「そう言われれば、そうかもしれませんね」という答えが返ってきた。
そこで問題になるのは、コロナ・ウイルスの厄介な性質である。
感染しても、すぐ発症するとは限らない、つまり無症状患者を生み出すというわけだ。ワクチンを2回接種したら、だれでも多少気が緩む。私は2回目の接種を受けたとき、問診医に「どのくらいで通常生活に戻れるか」と聞いた。問診医の答えは冷たかった。
「コロナ禍が収まるまで通常生活には戻れません。ワクチン接種前と同様、感染防止対策を続けてください」
かといって、ワクチンに感染防止力がまったくないわけではない。ただ、ワクチン(ある程度の感染防止能力が治験によって確認された医薬品の総称)としても確認をとれるだけの治験を行っている時間的余裕が今回はなく、やむを得ず厚労省は「発症防止能力」「重症化防止能力」を奇人に医薬品として承認した。コロナ・ウイルスの感染力が強く、感染した場合、発症したら一気に重症化するケースが少なくないからだ。また、発症した場合、「自宅療養」が一番危険だ。同居家族に感染を拡大してしまうリスクも大きいし、自宅療養中に突然重症化して救急車を呼んでも入院できないというケースがしばしば報道されている。一人住まいの場合は、近所のスーパーやコンビニに飲食料品を買いに出かけてしまうケースも排除できず、こうしたケースも感染拡大リスクになる。

●若年層がワクチン接種に拒否反応を示す理由
私は医療の専門家ではないので、あくまで論理的に「こういう政策を採用したら、こういう結果が生じるはずだ」ということを基準に書いている。
8月27日、東京都は渋谷区の勤労福祉会館でファイザーのワクチンを16~39歳の若い人たち向けに無予約接種を行った(都内在住か在勤・在学者に限定)。接種予定数は300人だったが、深夜から並んだ人もいて午前7時ころには300人を超える行列ができ、都は急遽、整理券を配布して28日以降は抽選・予約制に切り替えることにしたという。抽選の場合、受付時間内に行けばいいのだが、若い番号の抽選券の方が当選確率が高いと思うのか、あるいは仕事や学校の授業の関係なのかは不明だが、ずっと早朝からの行列が続いているようだ。

東京都の見込みが狂ったのは、若年層に増えているワクチン接種拒否傾向だ。日本に限ったことでなく、欧米など先進国に共通にみられる傾向のようだ。
というのは、これまた先進国共通の接種優先順位だが、①医療従事者(日本の場合は医療機関に勤務するすべてを対象とした「医療従事者等」)②高齢者 ③基礎疾患のある人 ④その他一般、としている。こうした優先順位で接種をしてきた結果、高齢者の場合はあまり副反応(副作用と同義)は出ないが、若い人ほど副反応が強く現れ、かつ2回目の接種後の副反応が大きいということが分かってきたという事情がある。そのため若い人たちがワクチン接種をためらう傾向が先進国に生じ、比較的ワクチン接種が進んでいた国でも10~20代の接種率が低い。
そのうえ、どの国も失敗してきたのは、ある程度感染者数が下がってきた時点で、早く経済を回すようにしたいとロックダウンなどの規制を一気に解除してしまった。その結果、若い人たちを中心に再び一気に感染が爆発するという結果を招いてきた。
政治は過去から何を学ぶかが重要だ。今回のコロナ禍のようなケースに政治が直面したことはかつてなかったから、試行錯誤はある程度やむを得ない。だからある程度の失敗は仕方がないと思う。が、二度、三度と同じ失敗を繰り返すようだと、国民の政治への不信感が募るばかりだ。その前提で、政府のコロナ対策の問題点をあぶりだす。

●ワクチン接種率の上昇が、かえって感染拡大を招きかねない理由
私がいま一番問題に感じているのはワクチンの効果である。「感染しても、発症を抑える」という厄介極まりない効果である。
ワクチンを2回接種すれば、だれでもある程度は気が緩む。わたしが住んでいる地域では居酒屋やカラオケ・スナックがすべて休業してしまっているから、「巣ごもり生活」を余儀なくされているが、そのせいで運動機会がほとんどなくなり、いまは「支援1」の介護を受ける状態になってしまった。実際、高齢者の介護申請が急増しているという話も聞く。
それはともかく、ワクチンを接種した場合、私のような高齢者と異なり、若い人たちの気持ちが一気に緩んだら、どうなるか。そこで厄介なのは「感染しても発症を抑える」というワクチンの「効果」である。
すでに述べたように、コロナ・ワクチンに感染予防効果がまったくないというわけではない。ワクチン接種先進国のイスラエルでは保健省(日本の厚労省に相当)が感染防止効果を調査していて、デルタ株が話題になる以前は95%前後の高い防止効果を示していたが、デルタ株が広まるにつて防止効果は63%(7月)、39%(8月)と急降下している。
「ワクチン一本足打法」とメディアから揶揄されている菅総理は、こうした事情を知ってか知らずか、「明かりははっきりと見え始めている」と記者会見で発言、嘲笑を買った。時期的に、菅総理の目に見えた「明かり」は総裁選のことだろうか。
政府のコロナ対策がワクチン一辺倒のため、国民の間にワクチンへの異常な期待感が醸成されると、極めて危険な状況が生まれる。コロナに感染しても「発症抑止効果」があるため、感染していることを知らずに「自分はワクチンを2回接種したから安心」と思い込んで、若い人たちが通常生活に戻ろうと繁華街に繰り出して、それまでの閉塞感から一気に解放されてしまうと、感染大爆発の引き金になりかねない。
もちろん、かといってワクチン・リスクを声高に主張することで、若年層がワクチン接種をさらにためらうようになると、それもまたコロナの跳梁を許すことになるので、そこにメッセージの出し方のむずかしさがあるが、政府がいかなる政策を打ち出しても、国民が協力しないことには政策は空回りする。
はっきり言えば、コロナに対する絶対的な対策はまだない。イスラエルはブースター接種(3回根の接種)を始めたしアメリカも始める。日本の河野ワクチン担当相はブースター接種も視野に入れているというが、ブースター接種の副反応はまだ全く明らかになっていない。
これまで分かっていることは1回目接種の副反応より2回目接種の副反応の方がきついということだけだ。当然2回目接種の副反応よりブースター接種の副反応の方がかなり大きいことは覚悟していなければならない。そういうことを国民に正直に伝え、コロナを完全に壊滅するには国民自身がある程度の犠牲を払う必要があることを真摯に訴えてほしい。
政治が国民を信用しなかったら、国民も政治を信用しなくなる。「ワクチン一本足打法」でワクチン接種効果を誇大宣伝する政府を誰が信用するか。

●限定的ロックダウンに踏み切れ
欧米では早い段階から大都市のロックダウンを行ってきた。が、日本では安倍前総理が「憲法の制約により『私権の制限』につながるロックダウンは日本ではできない」として緊急事態宣言を発出した。
この1回目の緊急事態宣言は、予定より1か月延長はしたが、企業が可能な限りリモートワークに切り替えたり、またメディアによる海外のコロナ感染状況の報道もあって国民の間の危機感も強くなり、かなりの効果があったことは否定しない。
が、政治の失敗は、ある程度感染拡大が収まりかけた時点で、宣言中に停滞した経済を早く再活性化したいと、Go Toトラベル・キャンペーンを前倒しで始めてしまったことだ。その結果、コロナの第2波がすぐ日本を直撃し、人流が最も多くなる8月中旬に最初の感染ピークを迎えてしまった。
政府は直ちにGo Toトラベル・キャンペーンを停止すべきだったが、夏休みが終わるころにいったん感染が下降線をたどりだしたため、持病悪化で辞職した安倍総理の後継者になった菅総理が安倍総理時代の「コロナ対策と経済再生の両立」にしがみついてキャンペーンを続けた。その結果、秋の行楽シーズンの真っ最中の10月に第3波が日本を急襲し、しかも菅総理は馬鹿げたことに人流が激しくなる年末年始をわざわざ外して2回目の緊急事態宣言を発出した。
実は海外の先進国も同じ失敗をしている。ロックダウンで疲弊した経済を回復したいと、一気に規制を解除して、ロックダウン中の閉塞感から解放された人々がたちまちお祭り騒ぎに興じ、感染拡大を招いている。
日本はいま4回目の緊急事態宣言中だ。安倍総理が「憲法に抵触する」として「私権の制限」に踏み切らなかった政府だが、いま飲食業者を狙い撃ちするような「私権の制限」を行っている。いつから憲法は飲食業者を対象外にしたのか。少なくとも「憲法解釈の変更」について、国民に誠実に説明すべきだろう。国民を信用しない政府を、だれが信用するか。

私はもはや「限定的なロックダウン」以外にコロナとの闘いに勝つ方法はないと思っている。
具体的には感染が拡大しやすいオフイス中心街や大規模繁華街の人流を完全にストップ、つまりロックダウンに踏み切る以外に方法はない。
ロックダウンすべきは、東京でいえば新宿や渋谷、池袋、品川、銀座とかなり地域を限定する。道路封鎖と電車は最寄り駅の乗下車を禁止する。たとえば山手線の場合、新宿・渋谷・池袋・品川・新橋・有楽町は駅を完全封鎖してしまう。これらの駅のうちターミナル駅は他船への乗り換え以外に駅構内から外には出させない。極端に言えば、街を一時的に殺してしまう。
そのくらいのことをしなければ、感染拡大地域の人流を抑えることはできない。そして多少、感染が収まってきても、そこは我慢のしどころで、ロックダウンの一気解除はしない。段階的解除法については都市工学の専門家が知恵を絞ってほしい。
前にもブログで書いたが、これは「第3次世界大戦」である。世界中がコロナ退治のために協力しなければ、日本だけ頑張ってもコロナ禍はなくならない。そのくらいの覚悟で取り組まない限り、人類の未来はない。

【追記】 このブログ記事を投稿した直後にテレビ番組でワクチン接種を呼び掛ける政府のCMが流れた。若い男性が独り言を言うだけの何の変哲もないCMだが、その内容が大問題だった。男性の独り言は正確に記憶しているわけではないが、大体こういう内容だった(内容の正確性は内閣府に確認済み)。
「僕がワクチンを接種した理由――これから大切な人に会うのだけど、ワクチンを接種したから安心して会える」
このCMがいかに危険かはこのブログを読んでいただいた方には十分不ご理解いただけると思う。ワクチンの感染予防力はデルタ株の出現によってかなり低減している。ワクチンを接種したからといって安心して大切な人に無防備であったら、大切な人にコロナを感染させてしまうリスクが大きい。政府はいい加減な「フェイクCM」を流した責任をとれるのか。
内閣府には直ちにCMのストップを申し入れておいた。(30日)





コロナとの闘いは「第3次世界大戦」だ。

2021-08-19 09:08:39 | Weblog
政府は20日から緊急事態宣言の対象地域に、これまでの首都圏(東京・神奈川・埼玉・千葉)、愛知、大阪の6都府県に加え、茨木、栃木、群馬、静岡、京都、兵庫、福岡の7府県を追加することにした。また宣言に準じたまん延防止等重点措置についても10県を加え、16道県とした。期限はいずれも9月12日である、東京都に緊急事態宣言を発出したのが7月12日。ジャスト2か月という切りのいい期限にしたのか、7月12日は月曜日で9月12日は日曜日。月曜日から始まり日曜日を期限とする~などというくだらない理由ではないだろう。
メディアは「総裁選、解散・総選挙をにらんでの日程だろう」と憶測をたくましくしている。

●東京オリパラ「1年延期」の失敗責任は~~
安倍前総理が1回目の緊急事態宣言を発出したとき、なぜ海外のように非常事態宣言にしないのかという疑問が当然のようにメディアから出された。安倍氏は「非常事態宣言は個人の自由を制限するものであり、現行憲法のもとでは発出できない」と答えた。
私はそのときブログで、「コロナ感染拡大という非常時に、必要な政策を発動できないのは現行憲法の限界にある」と、憲法改正目的の本丸である9条ではなく、からめ手から憲法改正への足掛かりをつくるつもりではないかと書いた。
1回目の緊急事態宣言は「人と人との接触を可能な限り減らす」ことが目的で、とくに飲食業に対する厳しい規制をかけたりはせず、もっぱら「働き方改革」に沿う形でリモートワークを企業に求めるのが主眼だった。コロナという怪物を「多少悪質な風邪」ととらえていたからだろう。そういう意味では「大親友」の米トランプ前大統領と似たコロナ認識だったと言えなくもない。
宣言そのものはゴールデンウィーク前で終了する予定だったが、コロナ禍が収まらず、いったん5月末まで延長したものの、感染者数の減少を見て前倒しで解除、さらに8月1日から始める予定だったGo Toトラベル・キャンペーンも10日ほど前倒しでスタートさせた。
確かに当時、といっても1年と少し前に過ぎないが、日本の感染者は欧米に比べて少なく見えた。日本ではPCR検査についてはなぜか保健所が一手に権限を持っており、検査を受けること自体、きわめてハードルが高かった。とくにわたしが住んでいる横浜市は日本最大の都市であるにもかかわらず保健所が1か所(横浜市役所に設置)しかない。
私が昨年3月中旬、昼頃までは体調もおかしくなかったのが、午後急に発熱し、39.7度の高熱を発したことがある。とりあえず、かかりつけ医に電話したが、「コロナの疑いがあるので当院では対応していないので、市のコロナセンターに電話してください」と言われ、電話したところ体調とかは一切聞かれず、「最近渡航歴があるか」「肺に基礎疾患があるか」だけ聞かれ、いずれもないと答えたところ、「あなたの場合はPCR検査の対象にはならない。しばらく静養して様子を見てください」と涙が出るような嬉しい対応だった。横浜市のPCR検査のハードルの高さは、その後メディアもさんざん報道したこともあって、大学付属病院などに検査を依頼するようにしてハードルを下げたが、保健所にもコロナに対する危機感が完全に欠如していた。
こうした事情もあってノーベル賞学者の山中伸弥教授も「日本にコロナがまん延しない理由のファクターXを探せ」といった珍説を披露、マスク習慣とか遺伝子要素などを提唱したことがあるくらいだった。
私の場合はとりあえず常備薬の風邪薬を飲んで熱を下げ、10日ほど安静にしていて熱も平熱に下がったが、いまでもたぶんコロナにかかったのではないかと思っている。たまたま基礎免疫力が強かったのか、あるいはそれほど大量のコロナウイルスに侵されたわけではなかったのかもしれないと思っている。
余談だが、今年緊急事態宣言下で東京オリパラを強行するくらいだったら、昨年の同時期にはGo Toトラベル・キャンペーンを前倒しでやっていたくらいだったのだから、去年やっていれば無観客にする必要もなかったし、大赤字の興行にもならずに済んだはず。政治はあくまで結果責任を取ることが前提で為政者は権力を行使しているのだから、東京オリパラを1年延期して強行開催したことについての責任を取ってもらわないと困る。それとも失敗だったとは思っていないのかな?

●「両立」政策は「二兎を追うもの、一兎をも得ず」に等しい
東京オリパラ問題は置いておくとしても、政府のコロナ対策はつねに「経済活動との両立」を目指す範囲にとどまってきた。私は最初から「コロナ対策と経済活動の両立は不可能」と言い続けて来たし、政策の基本軸が「両立」に置かれる限り、実際にはコロナ対策は経済活動の足を引っ張らない範囲での対策にとどまらざるを得なくなる。これはコロナと経済活動との関係だけでなく、つねに政策を誤らせる「二兎を追うもの、一兎をも得ず」の結果になる。
前回のブログはあまりにも長すぎたので、日本の和平工作については触れなかったが、当時の日本政府も必ずしも一枚岩ではなく常に和平への道を模索していた人たちが政治家にも軍幹部にもいた。が、強硬派を説得するには、少なくともそれまでに獲得した権益を守ることを前提にせざるを得ず、したがって和平工作にも限界があった。メディアも当時の日本の和平工作の検証をまったく行っていない。残念ながら私一人の力では当時の和平工作の資料を探すだけでも不可能なので、結論として日本の和平工作がことごとく失敗したのは「二兎を追った」(つまり講和と権益の確保)結果だったことだけ指摘しておく。
で、政府のコロナ対策も、先の大戦と同様、二兎を追い続けた結果、どんどん追い詰められ、経済活動との両立を少しずつ捨てざるを得ない状況に追いつめられていった。たとえば緊急事態宣言やまん延防止等重点措置も、飲食店に酒類の提供時間制限を課したり、とうとう酒類の提供そのものを禁止したり、安倍前総理が「憲法に抵触するから」と個人の自由への制限を盛り込まない緊急事態宣言に、飲食店の営業の自由を制限するなど、安倍解釈によれば憲法に抵触する政策を強化せざるを得ない状況に追い込まれている。
菅総理も「会食は家族か4人以内」などという個人の自由を規制することを国民には要請しながら、政治家は平気で5人以上での会食もすれば、資金集めの「3密パーティー」も平気でやる。5人での会食がバレたら「黙食」だと居直る。「黙食するために集まった」などという話を誰が信じるか。
私はコロナとの闘いはもはや「第3次世界大戦」に相当するとさえ思っている。ワクチン接種が世界で最も先行したのはイギリスとイスラエルだということは周知の事実だが、イスラエルの保健省(日本の厚労省に相当)はワクチン接種の効果について追跡調査を続けており、6月末の時点では90%近い感染予防効果があるとしていたのが、7月中旬の調査結果では感染予防効果は64%に低下、さらに最近のデータでは39%まで低下している。
イスラエルはファイザー製のワクチンを使っており、接種した直後(約1週間後とされている)に生じる免疫力(抗体)は、個人差はあるにしても日々劣化するのは当然で、イスラエルの場合はかなり早い時期から摂取を始めていたことから免疫力が低下したのではないかと考えられ、日本はワクチン接種が遅れた分、ワクチンを接種した高齢者の免疫力はまだかなり高いとは思う。ただ、コロナワクチンの場合、感染予防効果がそう長くはないことは理解しておく必要がある。
考えてみれば当たり前の話で、インフルエンザ・ワクチンも免疫効果が生じるのは接種後1~2週間で、効力の持続期間は3か月前後とされているから、私は12月の初旬に接種するようにしている。そうすればインフルエンザの流行期をほぼカバーできるからだ。一方、コロナの場合は季節性のウイルスではないことはもはや明確になっており、人類がコロナを完全に克服するまでは感染予防はワクチンに頼るしかない。

●緊急事態宣言の効果が期待できない理由
実はコロナ禍が爆発的状態になった海外の大都市でロックダウンに踏み切ったのは非常事態宣言の発出ではないことがいまでは明らかになっている。安倍前総理は、「憲法の制約により非常事態宣言は発出できない」と主張したが、真っ赤なウソであることがいまでは明確になっている。
無知による判断だったのか、9条改正を目的にした憲法改正は困難と考えて、コロナ禍をきっかけに憲法改正の足掛かりを作ろうとしたのか、あるいは経済活動に大きな影響を与えかねない非常事態宣言を回避したいためにウソをついたのか、安倍さんが本当のことを言わない限り分からない。ただ、当初は無知による思い込みだったとしても、政治家にしても官僚にしても、それほど無知無能な連中ばかりではない。とっくに安部氏に「総理、日本でも法律の運用によって非常事態宣言を発出することはできます」とアドバイスした人はいたはずで、そうなると「確信犯」と言わざるを得ない。
それはともかく、菅総理は日本でも非常事態宣言の発出が可能なことくらいはわかっていたようで、にもかかわらず否定的な理由について記者会見で「非常事態宣言でもみんな失敗しているじゃないか。ワクチン、ワクチン、ワクチンだよ~」と発言している。私もワクチンが絶対だとは思っていないが、少なくとも感染拡大を防ぐ効果はかなりあると思っている。そういう意味では医療機関を総動員してワクチン接種のペースを上げることの必要性は認めている。
問題はエビデンスがまったくない対策をなぜ続けるのかということだ。非常事態宣言でもコロナを抑え込めなかったのは事実だが、非常事態宣言より効果がないことがはっきりしている緊急事態宣言やまん延防止等重点措置になぜこだわるのか、不思議でならない。何もしなかったわけではないというエビデンスづくりのためか。
海外で非常事態宣言が失敗したのは、宣言そのものに効果がなかったわけではなく、やはり「経済活動との両立」を重視してコロナを抑えきっていないのに宣言を解除してしまったことにある。やはり宣言中、「巣ごもり生活」を余儀なくされていた人たちが、宣言解除と同時に感染リスクが拡大するような行動に出るのは当たり前で、あらかじめそうした事態が発生しないように段階的解除に踏み切らなかった結果以外の何物でもない。
現に、緊急事態宣言も回数を重ねるごとに効果が薄れ、飲食店に対する営業規制をかけても、会食人数の制限を要請しても、もはや何の効果も持たなくなってきたことに、まだ政府は気づいていないのか。だいいち、緊急事態宣言も3回目までは発出直後の2~3週間くらいは多少効果があったものの、4回目では発出後かえって感染が拡大するという皮肉な結果になっている。私がコロナ軍だったら政府に対して「無駄な抵抗はやめなさい」と忠告していただろう。
それに、ここまで来ると「ノータリン」と言うしかないこともある。それはワクチン効果を中学生以下のエビデンスで過大に重視している点だ。菅総理は「高齢者の感染者が減っているのはワクチン接種のせいだ」というバカ丸出しの説明を続けていることだ。
菅総理が高齢者という場合、このケースではワクチンの優先接種対象になっている65歳以上を指している。この年代の高齢者の感染者は減っているのか。
少なくとも内閣府が公表しているデータによれば、まったく減っていないのである。ただ、全感染者数に占める高齢者感染者の割合は間違いなく減少している。数字でいえばつい最近まで3%を切っていた。
中学生に失礼だから、小学生並みの算数レベルで明らかにする。たとえば昨日感染者が全体で1000人、そのうち高齢感染者数は30人だったとしよう。高齢者比率は3%ということになる。今日感染者が全体で2000人に増えたとしよう。そのうち高齢者は50人だったとしよう。高齢者比率は2.5%である。確かに高齢者比率は昨日に比べて0.5%減っている。こういう事態をエビデンスとして菅は「ワクチン接種のせいで高齢者の感染数が減っている」と言い続けているのだ。実際には昨日より高齢感染者数は20人増えているのにだ。
実際、高齢者の感染数は増え続けている。しかも今週に入ってから爆発的に増えだしたというのだ。なぜか。
高齢者といっても生活様式は年代によってかなり違う(さらに個人差もある)。以前金融庁が馬鹿げたデータを出したことがある。すでにブログでいかに馬鹿げたデータかは書いたが、改めて簡単に書くと、夫65歳、妻60歳で年金20万円として2000万円の預貯金が必要という試算だ。この試算方法は定年退職直後の生活費が年金月20万円だけでは5~6万円不足する。死ぬまで5~6万円ずつ毎月不足するという前提で【不足額×残り人生平均月数】という単純計算だ。小学生では、この試算方法のおかしさは分からないと思うが、定年退職後しばらくは現役時代の付き合いもあるだろうし、旅行に行ったりゴルフをしたり、それなりに出費がかさむ生活様式が続く。が、歳を重ねるに従い、そうした出費は自然に減少していく。別に節約を心掛けなくても自然に減っていく。私自身の経験から言えば、70~75歳くらいで収支はトントンになり、それ以降は年金でお釣りが出るようになる。
そういうことを金融庁に指摘したら、「今後の参考にさせていただきます」と逃げた。「私たちが間違っていました」とは絶対に言わない。問題はバカな試算を発表した結果、どういう事態が生じたか。証券会社や銀行など金融機関が「千載一遇のチャンス」と高齢者を「バクチ」的金融商品の勧誘に走り出した。ま、そういう事態をつくるために金融庁はあえてしっちゃかめっちゃかな試算を発表して高齢者をバクチの世界に誘導したかったのかもしれないが~。

なぜ金融庁の話を持ち出したかというと、70代前半までの前期高齢者の場合は、さすがに「巣ごもり生活」に耐え切れず、感染リスクを覚悟で外出機会が増えた結果に過ぎない、というエビデンスを明らかにしたかったからだ。現に私のような後期高齢者は依然として「巣ごもり生活」に耐えているし、だから感染リスクもほとんどない。

●「経済活動との両立」ではなく、すべてをコロナ撲滅に
コロナとの闘いは、私は「第3次世界大戦」だと思っている。少なくとも、そのくらいの覚悟で取り組むべき問題だと思う。
これまでに人類がやってきたことはすべて失敗に帰してきた。失敗に帰した原因はひとえに「経済活動との両立」をしながらコロナと対峙しようとしてきたことにある。
インフルエンザもそうだが、ワクチンや治療薬の性能が向上すればするほど「敵」もワクチンや治療薬に勝とうと変異を遂げてきた。ただ、今回のコロナの場合は人類がいまだぶつかったことがないような強敵だ。ワクチンや治療薬に対抗して変異を遂げるのではなく、ワクチンや治療薬の開発に先んじて感染力や致死力を高めている。こういうAIをも超える能力を持ったウイルスに人類はこれまで直面したことがない。
これほどの強敵に人類が打ち勝つためには、人類自身が相当の覚悟を持って対峙する必要がある。コロナに打ち勝って人類が生き延びるためには、いったん経済が疲弊してもいいではないか。現に私たち日本人は敗戦による廃墟の中からわずか数十年で今日の文化的生活水準を取り戻すことに成功した。ヨーロッパの人たちも同様だ。
今や、世界がばらばらにコロナを克服しようなどと考える時期ではない。アメリカが言うように、もしWHOが偏見を持っているというなら、国連のもとでWHOを再編して全世界から有能な研究者・科学者を結集してコロナ変異の先回りをして変異自体を防ぐために全力を挙げること。もちろん現在のアルファ型とかデルタ型、ラムダ型といった変異種を絶滅させることが最優先ではあるが、変異のメカニズムを遺伝子レベルで徹底的に解明し、さらなる変異の芽を摘んでしまう。そのことに人類の未来はかかっている。

【追記】 「二兎を追うもの、一兎をも得ず」の意味を勘違いされると困る野で、私なりの考えを述べておく。ネットの『故事ことわざ辞典』によれば、その意味はこう書かれている。「欲を出して同時に二つのことをうまくやろうとすると、結局はどちらも失敗することのたとえ」。
その解釈は必ずしも間違いではないが、では正解は何か。「二兎を追うのではなくて、追うのは一兎だけにすべき」なのか。
コロナ禍に対する政策は、私は「コロナ禍克服後の経済再生の青写真を描きながら、いまはコロナ撲滅を最優先すべき」と考えている。つまり「一兎だけ追うのではなく、コロナと闘いながら、闘いの状況に応じてコロナ禍後の経済再生の青写真を修整し続ける」という意味だ。つまり追うのは一兎だけに絞って、残りの一途は見逃すという意味ではない。
私は釣りをしたことがないが、仮に2本の釣り竿に同時に魚がかかったとき、多分釣り師は2匹を一緒に吊り上げようとはしないはずだ。まず先に吊り上げる魚を選び、もう1本は放っておくと思う。ただ、選んだ魚を釣り上げながら、もう1本の状況を見ながら、時々竿を揺らしたりしてもう1匹の魚を逃がさないようにテクニックを弄するのではないか。
つまり経済再生を無視してコロナと闘えといっているのではなく、コロナ禍後の経済再生手段を常に考えながら、コロナとの闘いを最優先しろという意味だ。「戦後の焼け野原からの経済復興」のたとえを書いたので、勘違いされる向きがないとは言えないと思い、追記した次第だ。
戦時中の和平外交も、和平と既得権益の確保という相容れない二兎を追おうとした結果、二兎をともに失った。今も日本は米中の覇権争いの中で厳しい外交を迫られている。八方美人外交は許されず、かといってアメリカの属国的地位にとどまろうとすることは、場合によってはきわめてリスキーな立場に陥る。
日本外交にとって唯一の選択肢は米中の覇権争いが軍事衝突に至らないように、中国の海洋進出をけん制しながら、一方ではアメリカに対して軍事的挑発をしないようにアメリカに働きかけることだ。ある意味では「綱渡り」の外交になるが、考えようによっては、そういうことができる唯一の地政学的優位性を持っている国だ。これはあえて言えば、「二兎も追わず、さらに一兎も追わない」――その代わりもっと大きな三兎目を手に入れることができる方法だ。(19日)


【追記2】 医療崩壊を防ぐゆいつの方法
コロナ感染者の急増によって日本の医療体制の問題が問われている。コロナ患者用ベッドにまだ余裕があっても、患者に対応できる医療体制が整っていないため、新規患者を受け入れることができないというのだ。
現在、日本のベッド数は全国に約88万、1人当たりベッド数は世界でもダントツに多いという。が、そのうちコロナ患者用ベッドはわずか3万4,000床。全体の4%以下でしかない。その理由の一つは病院の8割が民間病院のためだという。民間病院の多くはベッド数200床以下の中小病院。病院そのものをコロナ専用病院にしてしまうならいざ知らず、一般病床の一部を割いて感染力が強いコロナ患者を入院治療させるのは物理的に難しい。
政府はコロナ患者を受け入れる病院に対して助成金を出すというが、コロナ患者とコロナ以外の患者を同じ病棟で治療するのは物理的に難しい。万一、クラスターが発生したら、たちまち病院閉鎖に追い込まれるからだ。
ゆいつの解決策は感染者が多発している都市部の国公立病院をコロナ専用病院にしてしまうことだ。病棟をいくつも擁している病院の場合は病院全部ではなくても、他の病棟と完全隔離できる病棟に限定して専用病棟にする。そして現在入院中のコロナ以外の患者は、コロナ患者を受け入れていない病院に転院していただく。そしてコロナ患者を受け入れていない病院の感染症専門医や呼吸器系専門医を可能な限りコロナ専門病院に一時的に勤務していただく。
実は、コロナ患者の看護、治療は重症者以外はそれほど手がかかることではない。せいぜい定期的に点滴を交換したり、体温や酸素、血圧の測定など、通常の患者対応と変わらない。一番厄介なのは、コロナ患者と接するたびに医師や看護師が医療衣をすべて交換しなければならず、その手間暇にかかる時間と労力の方が看護、治療にかかる労力よりはるかに多いことだ。が、病棟すべてがコロナ患者ということになれば、ほかの患者への感染防止策は必要なくなるから、医療業務も相当軽減できる。
重症者しか入院させないなどというバカげた方針で医療崩壊を防ごうとするより、はるかに合理的で実現可能な方法だと思う。(20日)




終戦76年――沖縄戦・原爆投下・黒い雨訴訟・北方領土・核廃絶の問題をトコトン論理的に考えてみた

2021-08-04 09:03:07 | Weblog
【特別追記】 追記であるにもかかわらず、本稿の後ではなく、最初に挿入することにした。私は本稿でアメリカの原爆投下は「人体実験である」と書いた。すでに読まれた方は、「まさか」とお感じになったかもしれないが、私は具体的な証拠を見つけて「人体実験である」と断定したのではない。あくまで、原爆投下も沖縄上陸作戦も、戦争の手段としてはまったく無意味だったころを論理的な結論として導き出した。そしてさまざまの状況証拠から、広島・長崎への原爆投下は「戦争手段ではなく、人体実験だった」という論理的結論を導き出したのだ。
 9日午後10時、NHKがアメリカの極秘文書を入手し、原爆投下の「真の目的」が、まさに「人体実験」にあったことを明らかにした。それも単に原爆の殺傷能力を試すだけでなく、生存被爆者の体内残留放射能が、人体に与える被爆後の影響を科学的に分析することまで、原爆投下の当初からの目的だったことが明らかになった。ナチスの「ホロコースト」以上の、人間ができることではない。
 実は、私はそこまで悪質な「人体実験」だとは思っていなかった。が、実際アメリカの放射能科学者は原爆投下後、被爆者の追跡研究を行っていたのだ。しかも、その研究には日本人科学者まで協力していたという。
 NHKは、よくぞ。この極秘文書を見つけ出しただけでなく、公開してくれたことに深い敬意と感謝を表する。
 と同時に、アメリカの「人体実験」の対象になった私たち日本の政府が、核兵器禁止条約への参加・批准という悲願を今でも踏みにじって、アメリカの「核抑止力」に日本の安全保障の基軸を置き続けていることに絶望感を抱かざるを得ない。この「特別追記」を読んで、本稿を読んでいただければ、私の論理的結論がより深くご理解いただけると思う。


1945年の8月6日、5歳になったばかりの私は兵庫県篠山市と福知山市の中間に位置する片田舎にいた。母方の実家に疎開していたのである。
その年の夏が来るまで、私たち一家(父・母・兄・私)は中国・北京近くの天津にいた。父の勤務先の製薬会社が天津に工場を作り、父が工場長として赴任したため、一家そろって東京から転居したためである。
天津は第2次アヘン戦争とも呼ばれるアロー戦争で英仏連合軍が清に圧勝し、天津に「租界」(治外法権の租借地)を設け、のちに日清戦争に勝利した日本も天津に租界を設けていた。そこに私が2歳のころ、転居したというわけ。
が、終戦の年の夏を迎えるころには日中戦争で関東軍の敗色も濃厚になり、工場の責任者だった父も召集されるに至り、天津租界の日本人家族に帰国命令が出た。天津租界に住んでいた日本人は当時「高級人種」扱いされており、優先的に帰国させてもらえたようだ。5歳になるかならないかの私には、そんな事情は知る由もなく、のちに母親から聞いた話だ。ただし、帰国に際して母は青酸カリを渡されたという。万が一の時は自殺せよとの指令があったようだ。

●日本が主権を回復した日が「国民の祝日」に、なぜならない?
疎開先の片田舎はのんびりしていた。空襲もなかったし、子供たちは天真爛漫に「戦争ごっこ」に明け暮れていた。広島、長崎に原爆が投下され、日本が戦争に負けたからと言って日常生活には何の変化もなかった。周囲の田んぼには稲穂が青々と育っていたし、田んぼでいなごやたにしを取って、それが煮物の食材として食卓に乗った。いま、いなごやたにしを食することも出来ない。
その田舎で小学校に入り、2年生のころ、父が帰還した。父の話では訓練中に戦争が終わり、戦場に出ることもなく中国軍(たぶん毛沢東軍)の捕虜となって、比較的早く解放されたようだ。その後、父は伊丹市の工場長になり、私たち家族も伊丹市に転居した。そのころからの記憶はかなり鮮明だが、天津での生活や疎開先での生活についての記憶は断片的でしかない。ただ、父が疎開先の母の実家に髭もじゃの軍服姿で帰ってきて、真っ先に玄関で出くわした私をいきなり抱き上げたとき、私はその人が父とは分からず怖くて大声で泣きだしたことは、今でも鮮明に覚えている。
父が本社に異動になって東京に戻ったのは私が小学校4年の秋。いったん父は単身で東京に赴任し、5年生になる前の春休みに東京の社宅に引っ越した。世田谷区深沢で、いまでこそ高級住宅街だが、当時は田んぼが一面に広がる疎開先の片田舎とあまり変わりがない生活環境。正月はその田んぼで凧揚げをして近所の子供たちと遊んだ記憶がある。社宅も家屋は決して広くはなかったが、敷地は200坪もあって、庭で三角ベースを遊んだことは覚えている。庭の一角にブランコを作ってもらって、近所の子供たちには公園のような存在だった。
たぶん小学生のころは原爆のことは知らなかったと思う。日本がサンフランシスコ平和条約に調印したのが1951年9月8日、条約が発効して日本が主権を回復してGHQが廃止されたのは52年4月28日。私が小学校を卒業する前後だから、小学校教育もGHQの支配下にあり、悲惨な原爆のことが隠ぺいされていたのも無理はない。もちろんメディアも、原爆に関する報道は厳しく統制されていたと思う。
それはともかく、日本が主権を回復した4月28日をなぜ政府は国民の祝日にしなかったのか。「新生ニッポンの門出」ではないか。それにふつう、条約調印から発効までの期間は6か月である。広く国民に周知させるために設けられた期間であり、現行憲法も成立から発効までちょうど6か月の周知期間を置いている。一般法律も施行まで6か月の周知期間が設けられている。そういう意味では、平和条約調印と発行の間が6か月ではなく、なぜ7か月と20日も擁したのか。もうこの歳では調べようという気力も体力もないが、問題提起だけしておく。ひょっとしたら、国民の祝日にできないような事情が、平和条約締結と主権回復までの期間にあったのかもしれない。

●閑話休題――私がマルクス思想から離れた理由
私が初めて「核」に関心を持つようになったのは54年3月1日、アメリカがビキニ環礁で行った水爆実験で、付近で操業していた日本の遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」が被爆し、死者が出るなど乗組員に大きな被害が出て、その事件が新聞で大きく報道されたことによる。
この事件を機に日本でも反原水爆運動が盛んになり、85年8月6日、第1回の原水爆禁止世界大会が広島で開催されたが、私はまだ15歳、記憶にはほとんど残っていない。
私自身は60年安保闘争で学生運動に加わり、60年8月6日の原水爆禁止世界大会以降、何度か広島に行った。当時はいまのようなきれいな平和記念公園はまだ整備されていず、広島の街中をデモった程度の記憶しかない。
学生運動に参加していた当時、私は「新左翼」と呼ばれる過激派に属していたが、左翼組織の閉鎖性を身をもって感じた。マルクスは「宗教は民衆のアヘンだ」と若いころの論文に書いているが、左翼組織も宗教のようなものではないかと感じた。宗教が民衆のアヘンか否かは別として、宗教団体も左翼組織も異端者は間違いなく排除されるからだ。だから宗教団体も左翼組織も「教祖様」のお言葉は絶対であり、「教祖様」の主張や考えをちょっとでも批判すると除名処分になる。
現に、中国で習近平をちょっとでも批判したら、最高級幹部でもどういう目に合うか、私たちはいま目の前でその現実を見ている。
なぜそうなってしまったか。マルクスは「宗教は民衆のアヘンだ」と決めつけながら、その一方、共産主義社会への過程をこう定義している。
① 社会主義への過渡期としてプロレタリアート独裁
② 社会主義社会では人々は能力に応じて働き、働きに応じて受け取る
③ 共産主義社会では人々は能力に応じて働き、必要に応じて受け取る
マルクスは資本主義から社会主義への過渡期としてプロレタリアート独裁を主張したが、プロレタリアート独裁の政治形態についての解明はしていない。レーニンもスターリンもトロツキーも、毛沢東、金日成、カストロ、ホーチミンらの革命家は一度も労働者であったことはない。革命を実現した後、彼らは政権を労働者階級に渡した事実はまったくない。彼ら革命家が作った政治形態はプロレタリアートの独裁ではなく、共産党の独裁国家である。
さらにマルクスは社会主義以降の「生産と分配」の関係については書いているが、政治形態については何も示唆していない。仮にマルクスが「プロレタリアート独裁=共産党独裁」を容認したとしても、その政治形態は資本主義社会から社会主義社会への過渡期として認めただけで、社会主義以降の共産党による独裁体制を容認しているわけではない。ということは、中国や北朝鮮、キューバ、ベトナムは共産党独裁を放棄しない以上、永遠に社会主義への段階に進めないことになる。つまり人類の進歩を絶対否定する概念をマルクス主義は本質的に包含しているといってよい。

さらに、「生産と分配」の関係についても、実はマルクスは自ら自分の思想を否定する定義をしている。
まず社会主義社会における「生産と分配」の関係について、マルクスは「人々は能力に応じて働き、働きに応じて受け取る」としているが、「労働者の能力」は誰が決め、「働きに応じて」というが労働の成果を誰が査定するのかという基本的な「生産と分配」の仕組みをマルクスはどう考えていたのか。安倍前総理がマルクスの著作を読んでいたとは思えないが、アベノミクスの第3の矢「成長戦略」の最初の柱として打ち出した「成果主義賃金制度」(「高度プロフェッショナル制度」の前身)と瓜二つの考えをマルクスは社会主義段階での「労働と賃金」の関係として考えていたようだ。少なくとも私には先進資本主義社会の方が、「能力・仕事・賃金」の関係で社会主義国よりはるかにマルクスの定義に近いように思える。

さらに、共産主義の段階になると、もっと訳が分からなくなる。「能力に応じて」は社会主義段階と同じだとして、「必要に応じて」という場合、個々の労働者が必要としているものを誰が何を基準に決めるのかという、これまた根本的な問題の解決法がまったく示されていない。

仮にAがBの能力を査定し、かつBの労働成果を査定したり、Bには何が必要かをやはりAが勝手に決められるとしたら、AとBの関係はどうなるか。BはAに対する絶対の服従と忠誠を誓わざるを得なくなる。マルクスの定義によれば、論理的には間違いなくそうならざるを得ない。これは民主主義を否定したプラトンやアリストテレスと同じ独裁思想に必然的につながる。
だいいち、一人ひとりの人間の持って生まれた能力は一律ではないし、また自分が持っている能力がどういう仕事に向いているのかは多分、誰も死んでも分からない。実際、私は別にジャーナリズムの世界にあこがれていたわけでもなく、そういう関係の仕事についたこともなく、ある日突然清水の舞台から飛び降りるように、この世界に入ることになってしまった。たまたまこの世界で飯が食えたから、そういう能力があったのかもしれないが、ひょっとしたら他の分野の方が向いていたかもしれない。
またどんな能力があるかないか、また向き不向きは別として「やりたいと思う仕事」に対して社会がどう対応する? 人間が持つ本質的な欲望に対して、どう社会が答えるべきか――マルクスの思想にはそうした視点が皆無なのだ。

●アメリカが原爆投下を「正当化」する二つの理由
ちょっと横道の話が長すぎた。76年前の8月6日、アメリカはなぜ広島に原爆を投下したのか。さらに3日後の9日には長崎にも原爆を投下した。日本との戦争に勝つために、そこまでやる必要があったのか。
これまでも何度もブログで検証してきたことだけど、改めて検証したい。新聞やテレビの恒例行事のようなものと思ってもらってもいい。
アメリカ人のおそらく90%以上は米政府が主張し続けてきた「原爆投下正当論」を信じている。具体的には「これ以上米軍兵士の犠牲を出さないため」「戦争を早期に終了させるため」という二つだ。事実はどうか。時系列で検証する。
日本軍の敗色が濃厚になった44年以降、米軍は圧倒的な戦力で日本が支配していた地域を奪還していく。
 44年2月1日  米軍、マーシャル群島に上陸
    6月15日 米軍、サイパン島上陸(7月7日、守備隊3万人全滅) 
      19日 マリアナ沖海戦、日本は空母の大半を失う
    7月21日 米軍、グアム島上陸(8月10日、守備隊1万8000人全滅)
   10月24日 レイテ沖海戦、日本は連合艦隊の主力を失う
   11月24日 米軍、東京初空襲
45年2月14日 近衛文麿、戦争終結を上奏 昭和天皇、拒否
     19日 米軍、硫黄島上陸(3月17日、守備隊2万3000人全滅)
   3月10日 東京大空襲(死者10万5000人) 以降3月だけで名古屋・大阪・神戸を大空襲(空襲による死者は40万人超)
   4月1日 米軍、沖縄本島上陸(6月23日、守備隊全滅、死者19万人)
この沖縄戦が米軍の最後の上陸作戦だった。この戦争で米軍も2万人の戦死者を出した。ヨーロッパ戦線を除けば対日戦争で米軍も最大の犠牲者を出している。
米軍は沖縄戦の一方、44年7月にサイパン島を攻略して以降、周辺の島々も含めて日本空襲のための飛行場の建設を進め、45年3月以降、日本本土の軍事拠点ではなく人口密集地域への空襲作戦を展開、空襲だから米軍の犠牲はほとんどない。日本を敗戦に追いやるためだけだったら、沖縄上陸作戦すら必要なかったのだ。まして「これ以上、米軍兵士の犠牲を出さないため」という口実が屁理屈にもなりえないことが明確になったと思う。

では、もう一つの口実「戦争の早期終結のため」という目的は、確かにあった。別に原爆を落とさなくても、日本の敗戦は時間の問題であり、昭和天皇が45年2月14日に戦争終結を訴えた近衛文麿の上奏を受け入れていれば、戦争を早期に終結させることが可能だった。
実際、米軍の沖縄上陸作戦開始後の5月14日、政府は最高戦争指導会議(首相・陸相・海相・外相・陸軍参謀総長・海軍軍令部総長の6名)を開き、終戦工作の開始を決定、中立条約を締結していたソ連に和平交渉の仲介を依頼する方針を決めた。
が、この時期、まだ本土決戦を主張する勢力もあり、すぐには対ソ工作を始めることができなかった。
ようやく政府が対ソ交渉の開始を決定したのは沖縄守備隊が全滅した後の7月10日、近衛文麿をソ連に派遣することにした。近衛は13日、ソ連に和平交渉の仲介を依頼したが、18日、ソ連は拒否を通告してきた。
実は7月17日には第2次世界大戦終結後の戦後処理と世界秩序についてベルリン郊外のポツダムに米トルーマン、英チャーチル、ソ連スターリンが集まって相談することになっていた(ポツダム会談)。

●ことのついでに北方領土問題について
ポツダム宣言に先立って米・英・ソ3か国首脳が45年2月4~11日にかけてソ連の保養地、ヤルタに集まってソ連に対日参戦を要請する秘密会議が行われた。このとき米・英がソ連に対日参戦の条件として提案したのが ①樺太南部のソ連への返還 ②千島列島のソ連への引き渡し という、スターリンにとってはよだれが出るようなおいしい餌だった。スターリンもドイツ降伏後、3か月以内に対日宣戦の布告を約束した。この会議で3首脳が他の連合国にも諮らず勝手に結んだ秘密協定が「ヤルタ協定」である。
ナチス・ドイツが連合国に無条件降伏したのは5月7日。もちろんソ連は即座に対日宣戦の準備に取り掛かれたわけではない。ドイツの東西分割や東欧諸国に共産主義政権を樹立、共産党の支配を確実な状態にしなければソ連軍の主力をヨーロッパ戦線から大移動させることはできなかったからだ。
ドイツ降伏後に開かれたポツダム会議は7月17日から8月2日にわたる断続的な長期会議になったが、米・英がヤルタ協定に基づいてスターリンに早期の対日戦争参加を促しても、ソ連側にはすぐに応じられる状況になかった。というのは、ヤルタ協定で「千島列島を分捕ってもいいよ」という米・英のお墨付きは貰ったものの、実は旧ロシア時代からソ連軍は海戦の経験こそあれ、敵国領土に上陸攻撃した経験が一度もない。陸地続き戦争の経験しかなく、千島列島に上陸攻撃する技術も方法も持ち合わせていなかった。
このころのアメリカは気が狂っていたとしか思えないのだが、なんとソ連に上陸用舟艇を提供したり、米軍がソ連軍兵士に上陸攻撃の訓練まで行って、ソ連軍による千島列島攻撃の手助けをしたのだ。なぜか、この事実はあまり公にはされていない。
もちろん、近衛文麿が戦争終結を昭和天皇に上奏した2月14日、近衛はソ連の対日宣戦を非常に憂慮しており、「日本共産化」の危険性を強く上奏していた。が、昭和天皇は耳を貸さず、「和平するにしても敵に一泡吹かせてから」と強気の姿勢を崩さなかった。

「無条件降伏」を含むポツダム宣言を連合国が日本に突き付けたのは7月26日。宣言は米・トルーマン。英・チャーチル、中・蒋介石の連名だった。蒋介石はポツダム会議には参加しておらず、ポツダム宣言作成に直接加わっていたスターリンの名前はない。まだ、日ソ中立条約は破棄されておらず、有効だったからだ。
米軍は8月6日、広島に1回目の原爆(ウラン分裂型)を投下、8日、ソ連は急遽ポツダム宣言への参加を表明、日ソ中立条約の破棄と対日宣戦を布告した(ソ連の中立条約破棄・宣戦布告は10日という説もあるが、真偽は不明)。時系列的に考えると、広島への原爆投下がソ連の対日宣戦布告を速めたことになる。トルーマンはガースー並みの支離滅裂な思考力しかなかったのだろう。
米軍は9日、長崎に2回目の原爆(プルトニューム分裂型)を投下。事ここに至って軍部強硬派も戦争続行を断念、9日深夜から10日にかけて御前会議を開いて国体維持を条件にポツダム宣言受諾を決定、連合国に通告した。が、この「降伏」は国民にも戦闘中の軍隊にも伝えられず、戦争状態は継続する。
ソ連軍も10日には南樺太、千島列島への進撃をはじめ、日本はにっちもさっちもいかなくなった。こうして14日、政府は改めて御前会議を開き、無条件降伏を求めるポツダム宣言を受諾することを決定、スイスとスウェーデンの日本公使館を経由して連合国に通告、翌15日正午に「玉音放送」で国民に通知した。

ここで北方領土問題について重要なキーとなるのは、ソ連は7月26日に宣告されたポツダム宣言には参加していなかったが、8月8日(10日の可能性もある)にはポツダム宣言に参加したという重要な事実である。仮に10日の条件付きポツダム宣言受諾通告が無効だったとしても、14日のポツダム宣言受諾は有効であり、「玉音放送」が行われた15日をもって日本と連合国との戦争状態は終結した(その情報が届かなかった末端の一部では小競り合い程度の衝突は多少あったようだが)。
このポツダム宣言受諾は、当然、8日にポツダム宣言に正式参加を表明したソ連にも有効であり、8月14日以降の日本侵攻によってソ連が占拠した日本領土の領有は国際法上、明らかに無効である。
旧ソ連(現ロシアも)は「ヤルタ協定によって」とか、日本が正式にミズーリ号で降伏文書に署名した9月2日までは戦争状態が継続しており、北方領土は戦争による戦果だ」と今でも主張している。
が、まずヤルタ協定は米・英・ソの3国が勝手に合意した秘密協定にすぎず、国際社会が認めたものではない(ただし米・英はソ連を対日戦争に巻き込むために勝手に約束した手前もあって、このロシアの主張を今も黙認している)。いまでも米・英にも文句が言えない日本は「主権国家」と言えるのか。
さらに、ミズーリ号での降伏調印式にはソ連は参加しておらず、降伏文書にも連合国としての署名もしていない。つまり日ロの戦争状態は今でも続いていることを意味し、だからプーチンも「平和条約」の締結にこだわっているのだ。

●「黒い雨」訴訟について思うこと
今年7月29日、いわゆる「黒い雨」訴訟についての広島高裁の判決が確定した。政府がこの日、最高裁への上告を断念したのだ。
「黒い雨」訴訟とは何か、私のブログの読者ならとっくにご存じだと思うが、念のため簡単に説明しておこう。
76年前の8月6日、広島に原爆が投下された後、放射能を浴びたほこりや塵を含んで黒ずんだ雨が降った。その雨を浴びた人や、雨によって放射能に汚染された水や野菜などを飲食した人たち全員(原告84人)を被爆者と認定し、「被爆者健康手帳」の交付を広島高裁が命じ、当初上告の構えを見せていた政府が、最高裁への上告を断念したのだ。
これまで政府は黒い雨が降ったと、当時の気象情報から認定した地域の住民で、放射能被害による疾病が生じたと医師が判断したケースに限って援護してきた。が、国も自治体も、原爆投下直後に黒い雨が降った地域を実際に測定したわけではなく、机上の想定で被害地域を認定した。「被爆者」から訴えられた国や自治体としてはできるだけ被爆者を限定的に絞り込もうという意識が働かなかったとは言い切れない。今となっては、黒い雨が実際に降った地域を正確に認定することは不可能だし、また疾病と被爆との因果関係を科学的に明らかにすることもほとんど不可能だ。
2017年の「長崎被爆者」についての最高裁判決は「科学的知見によれば爆心地から5キロ以内に存在しなかった者は放射能による健康被害が生じたとは認められない」として被爆範囲を線引きし、「被爆者」原告の訴えを退けた。最高裁が認定した「科学的知見」はいかなる科学的手法に基づいているのかは不明だが、常識的に考えられる相当程度の強風(例えば風速10~20メートル)が吹いても放射性物質(ちりやほこりを含む)の飛散範囲は5キロ以内と限定できるのだろうか。「科学的知見」と称するからには、その「知見」を得た科学的根拠も明確にすべきではないかと思う。
今回の広島高裁の判決後、原告だけでなく訴えられていた側の広島県や広島市も政府に対して上告断念を何度も要求した。が、当初厚労省や法務省は上告の構えをかなり強く示していた。確かに広島高裁の判決が厳密に科学的根拠に基づいているか否かと問われたら、証明は困難というより、いまとなっては不可能だろう。
が、4回目の緊急事態宣言下でのオリンピック強行開催や、むしろ緊急事態宣言がかえってコロナ・パンデミックの引き金を引く結果になったかのような爆発的な感染拡大が進む中で、菅内閣の支持率が急降下して危険水域に突入した中で、上告することの政治的影響を懸念する向きも政府内に強かったようだ。
結果、菅総理は29日の午後4時過ぎ、記者団に対し、判決には政府として受け入れがたい部分もあるとしながらも、熟慮に熟慮を重ねた結果として上告断念することにしたと表明した。

「黒い雨」裁判には、いろいろなことを考えさせられた。まず広島地裁・高裁の判決基準がかなり原告(「被害者」)寄りだったこと。通常「立証責任」は原告に求められる。
が、被爆とか公害とかが原因の健康被害となると、被害者が「原因と結果の因果関係」を科学的に立証することは極めて困難である。長崎被爆についても「爆心地から5キロ以内」という最高裁が示した「科学的知見」を科学的に反証することは極めて困難である。というより事実上、不可能だ。
が、今回の場合、広島地裁・高裁は被害範囲を科学的検証として可能な限り広く認定した。そういう意味で、私は画期的判決だったと考えている。

ただ、釈然としない要素もある。いったい、被爆者に対する加害責任は国や自治体にあるのか、という疑問である。広島・長崎に原爆を投下したのはアメリカである。直接的加害者はアメリカだ。
確かに通常の戦闘行為として生じた損傷に対する加害責任は直接的加害者にはないと、国際法上は慣習的に容認している。が、アメリカの広島・長崎への原爆投下は通常の戦闘行為の範疇をはるかに超えている。だから、私はこのブログでアメリカの原爆投下についての「正当化」理由では正当化はできないことを論理的に立証してきたつもりだ。
アメリカがいまだに原爆投下について謝罪しないのは、加害者責任を免れるため以外の何ものでもない。オバマ元大統領が、大統領として初めて広島を訪れ、被爆者をハグしてくれたからといって、それがアメリカにとって免罪符になるわけではない。

●なぜ国際社会はアメリカの原爆投下を非難しないのか?
アメリカによる広島・長崎への原爆投下以降、76年間にわたり核兵器はどの国も使用していない。東西冷戦時代、米ソによる核兵器開発競争と核実験は断続的に行われてはきたが、国際紛争を解決する手段として核兵器が使用されたことはない。朝鮮戦争やベトナム戦争においても、アメリカは相当の人的損害を出しながらも、核兵器の使用には最後まで踏み切らなかった。なぜか。
もし朝鮮戦争やベトナム戦争で原爆を戦闘手段として使用していたら、世界中から非難を浴びることが必至だったからだ。
では、なぜ広島・長崎への原爆投下は国際的非難を浴びていないのか。一つは原爆が与える被害の甚大さが分かっていなかったという側面があったのかもしれない。また日本軍の「悪魔のような所業」が「残虐神話」として世界中に流布され信じられており、そうした行為と相殺されてアメリカの原爆投下が容認されてしまったのかもしれない。「南京大虐殺」とか「百人斬り」とか、物理的にあり得ない事件が「創作」され、東京裁判でも日本軍の残虐行為の証明とされたことも世界の人々に歪んだ「日本人」観が刻み込まれた可能性もある。
が、広島だけならまだしも、広島原爆投下の直後にはトルーマンやチャーチルが切望していたソ連の対日宣戦が実現し、また米軍も沖縄戦で膨大な犠牲を出したこともあって、アメリカは日本本土上陸作戦は毛頭考えていなかった。
そもそも沖縄上陸作戦は日米双方に太平洋戦争で最大の犠牲を出したが、沖縄はもともと日本軍の基地としてそれほど重要な地位を占めていたわけではなかった。むしろ当時の日本軍は台湾防衛のほうを重要視しており、沖縄守備隊の半数を台湾防衛のために移動させていたくらいだった。だから、米軍の沖縄上陸参戦に対してにわか仕立ての民兵を総動員せざるを得ず、日米双方に甚大な被害をもたらす結果になった。
実際、44年7月にサイパンを占領して以降、米軍は空爆に作戦の主力を移していた。B29の航続距離は6000キロで、サイパン・東京間の距離は2400キロ。B29はほぼ日本全域を空爆できたし、現に沖縄上陸作戦を始める直前の45年3月には10万人以上の犠牲者を出した東京大空襲をはじめ名古屋、大阪、神戸と日本の大都市に対して40万人を超える犠牲者を出した大空中作戦を行い成功していた。つまり、沖縄上陸作戦自体ほとんど無意味な作戦だったと言える。
おそらく米軍も、陸・回・空軍がばらばらに戦果を競い合った挙句、陸軍が戦況にさしたる影響を与えない沖縄上陸作戦にこだわり、想定をはるかに超える2万人もの犠牲を出すことになり、その結果、九州や本土への上陸作戦を中止したと思われる。
 そういう意味ではアメリカにとっても沖縄上陸作戦は膨大な犠牲を払ったにしては、それに見合う戦果は得られず、人的被害の大きい上陸作戦はやめることにした。そして日本にとどめを刺す手段として最終兵器として原爆投下という手段を選択したと考えられる。
 実は原爆投下の目的地として京都や新潟も候補地に挙がっていたという説もあり、また長崎は当初の目的地は門司だったのが雲で視界が悪く変更したという説もある。でも、そんなことはどうでもいいことで、重要なのは広島原爆はウラン分裂型であり、長崎原爆はプルトニウム分裂型ということだ。広島で成功が確認されたウラン分裂型の原爆ではなく、長崎にはプルトニウム分裂型の原爆を使ったということ自体、原爆投下の目的が「人体実験」にあったことは否定できない。
 いずれにせよ、原爆がもたらす膨大な被害は世界が知ることになり、その結果、アメリカもソ連も事実上、原爆の実戦使用は不可能になった。ただ、被害を局地的にとどめることが可能な小型核兵器の開発には現在も米ロは余念がなく、実際、ウクライナ問題(クリミアのロシア編入)をめぐって一触即発になったとき、ロシアは小型核兵器の使用も辞さないと脅しをかけた事実もある。

●日本がしがみ付く「核不拡散条約」の欺瞞
 アメリカの核に対抗してソ連が1949年9月、原爆保有声明を発表、核の優位性を維持するためトルーマンは翌50年1月、水爆の製造を命令する。こうして米ソの核開発競争が始まるなかで、最初の核兵器反対運動が翌50年3月、スウェーデンのストックホルムで開かれた「平和擁護世界大会」でスタートを切った。この大会では、あらゆる核兵器禁止を訴えるアピールを採択、最初に原爆で無差別大量殺りくのために原爆を投下したアメリカを「人類に対する犯罪者とみなす」と厳しく断罪した。
 日本での反核運動は54年3月1日、アメリカがビキニ環礁で行った水爆実験で遠洋マグロ漁船の第五福竜丸が被爆し、死者まで出た事件をきっかけに東京・杉並区の主婦たちが始めたのが最初である。この運動はたちまち日本全国に飛び火し、翌55年8月6日、広島で第1回原水爆禁止世界大会が開かれ、9月1日には原水協(原水爆禁止日本協議会)が発足した。
当初、原水協は「あらゆる国の、あらゆる核に反対」という運動方針を打ち出していたが、61年にソ連が行った核実験に対するスタンスをめぐって「あらゆる国の核実験に反対」とする社会党系と、「ソ連の核は防衛が目的」「アメリカの核は汚い灰をまき散らすが、ソ連の核の灰はきれいだ」と非科学的な主張をした共産党系が正面から対立、原水協が分裂して社会党系は新たに原水禁(原水爆禁止国民会議)を発足させた。
一方、世界では英・仏・中国も次々に核を保有するに至り、1963年、国連で核不拡散条約(NPT)が採択され、70年3月に発行した。日本も参加したが、NTPは「67年2月1日の時点で核を保有している米・ソ・英・仏・中の5か国のみに核の保有・開発・製造・実験の自由を認め、それ以外の国の核保有等を認めない」という内容だったため、インド・パキスタンは「不平等だ」として参加を拒否、イスラエルは賛否を明らかにせず不参加、南スーダンも参加を拒否した。北朝鮮はいったん参加したが、アメリカの核の傘で守られている韓国に対し、中国からの同様の保護が確約されていないことから93年3月に脱退した。が、国連決議によって経済制裁を受けたことから、いったんNPTに復帰したが、アメリカの露骨な北朝鮮敵視政策を受けて再び脱退、核・ミサイル開発に狂奔するに至っている。

確かにNPTは不平等条約であるうえ、二重の欠陥を抱えている。一つは「核なき世界」へのスタート・ラインのはずなのに、核保有5か国はNPT発足時に保有していた核の保持だけでなく、新たな核兵器の開発・製造・実験も容認されており、核保有国と核非保有国との格差がますます広がっていくことを容認していること。さらに、もっと重大なことは核保有5か国は、核を保有する権利だけでなく、核使用の権利も禁止されていないことである。
こうした条約上の欠陥だけでなく、とくにアメリカにとって不都合な国の核の開発・保有に対しては国連決議で厳しい制裁が加えられるが、アメリカにとって都合がいい、あるいは少なくとも不都合ではない国の核開発・保有は黙認しているといった運用上の問題もある。
たとえば、アメリカの敵視政策に対して「自衛目的」という口実で核・ミサイル開発を続ける北朝鮮には国連決議で厳しい制裁を加えているが、事実上の核保有国と国際社会が認めているイスラエルには何の「お咎め」もない。一方、イスラエルの核に対抗して核を開発しているのではないかと疑惑を持たれたアラブ諸国には厳しい制裁が発動される。実際、核を含む大量破壊兵器を持っていると誤認されたフセイン・イラクは米・英軍によって破滅させられ、無政府状態に陥ったイラクでイスラム過激派のIS(「イスラム国」)が跋扈し、他のアラブ諸国にも飛び火して大量の難民がヨーロッパに移動、それがイギリスのEU離脱の要因にもなった。さらにイランも現在、核開発の「容疑」をかけられてアメリカから経済制裁の対象にされている。その一方、中国との間で国境紛争を生じているインドが中国の核に対抗して核を開発・実験したり、またインドとの間でカシミール地域の領有権紛争を生じているパキスタンの核実験に対しても、パキスタン国内に活動拠点を設けているイスラム過激派のタリバンに対する「脅し」になると考えてアメリカは「黙認」している。
こうした重大な欠陥を持っているNPTが、「核なき世界」への道とはまったく言えないにもかかわらず、なぜか日本はNPTを「核なき世界への道」に変える努力どころか、むしろNPTを支える太い柱になろうとしている。世界で唯一の被爆国であるにもかかわらずだ。

●日本が「核兵器禁止条約」(核禁条約)にソッポを向く理由
 日本はなぜ核兵器禁止条約に反対し続けるのか。核兵器が完全に廃絶されれば、アメリカの「核の傘」に安全保障を依存する必要もなくなる。主権国家としての尊厳も回復できるし、日本独自の「平和外交」も進めることができるようになる。日本にとってマイナスになる要素はまったくない、はずだ。
 
とりあえず核禁条約が国連で採択され、発効に至るプロセスを検証しておく。
1996年4月、核兵器廃絶を求める法律家、科学者、安全保障学者たちが核禁条約の草案を起草して世界に核兵器廃絶を訴えたのが嚆矢である。
この草案をベースに97年11月、コスタリカが国連に条約案を提出した。
2011年10月、ようやく条約案が国連軍縮会議にかけられ、賛成127か国で採択された。
16年10月、修正案が国連軍縮会議に提出され、賛成123か国、反対38か国、棄権16か国で採択された。この採決で反対に回ったのは、米・英・仏・露・日・独などだった。北朝鮮は賛成し、中国は棄権した。
が、翌17年から賛成各国の国会で批准されるようになり、20年10月24日にホンジュラスが批准して批准国50か国に達し、国連の規定により90日後の21年1月22日、核禁条約が発効することになった。
この核禁条約によって、核不拡散条約は自然消滅するのが法社会の最低の原則である。が、なぜか亡霊のように残っている。核問題について2つの相容れない条約が成立した状態が続いているのだ。
私は、他国は別としても日本は「法治国家」だと思い込んできた。国連で採択され発効した条約は、法治国家である日本は気に入ろうと気に入るまいと従うか、それともかつて国際連盟での決議(満州事変についての日本非難決議)に反発して日本の全権大使・松岡洋右が国際連盟から脱退した歴史に倣って、国連決議で発効した核禁条約に反対するなら、日本は国連から脱退すべきだ、と私は思う。日本政府にとって都合がいい条約には従って北朝鮮への制裁は行うけど、日本にとって都合が悪い条約には従わなくてもいいというのが国連決議の軽さだったら、日本が国連にとどまる意味がない。と、私は思うのだが、政府の考え方は違うようだ、核禁条約についての日本政府のスタンスを外務省のホームページから転載する。

日本は唯一の戦争被爆国であり、政府は、核兵器禁止条約が目指す核兵器廃絶という目標を共有しています。一方、北朝鮮の核・ミサイル開発は、日本及び国際社会の平和と安定に対するこれまでにない、重大かつ差し迫った脅威です。北朝鮮のように核兵器の使用をほのめかす相手に対しては通常兵器だけでは抑止を効かせることは困難であるため、日米同盟の下で核兵器を有する米国の抑止力を維持することが必要です。
核軍縮に取り組む上では、この人道と安全保障の二つの観点を考慮することが重要ですが、核兵器禁止条約では、安全保障の観点が踏まえられていません。核兵器を直ちに違法化する条約に参加すれば、米国による核抑止力の正当性を損ない、国民の生命・財産を危険に晒(さら)すことを容認することになりかねず、日本の安全保障にとっての問題を惹起(じゃっき)します。また、核兵器禁止条約は、現実に核兵器を保有する核兵器国のみならず、日本と同様に核の脅威に晒(さら)されている非核兵器国からも支持を得られておらず、核軍縮に取り組む国際社会に分断をもたらしている点も懸念されます。
日本政府としては、国民の生命と財産を守る責任を有する立場から、現実の安全保障上の脅威に適切に対処しながら、地道に、現実的な核軍縮を前進させる道筋を追求することが必要であり、核兵器保有国や核兵器禁止条約支持国を含む国際社会における橋渡し役を果たし、現実的かつ実践的な取組を粘り強く進めていく考えです。

これほど「人を食った」というか、詭弁も限度を超えていると言わざる核禁条約反対論は、多分AIに採点させれば0点間違いないだろう。
私はAIほどの思考力は持っていないが、とりあえず高校生レベルの思考力で、政府の反対論の矛盾を指摘しておく。読者が理解しやすいように箇条書きで政府主張の矛盾を指摘していこう。

①「日本は唯一の被爆国であり、政府は、核兵器禁止条約が目指す核兵器廃絶という目標を共有しています」――ウソ、つくな。はっきり言うが、アメリカが核廃絶を表明したら、すべての核保有国はアメリカに従って核を放棄する。いうまでもなくアメリカは世界最大の核大国である。そのアメリカから敵対視され、アメリカの核の脅威を受けざるを得ない国は、アメリカと「核戦争」になった場合、絶対に勝てないまでも、アメリカにも深刻な損害を与えることができる核軍事力で対抗する以外、アメリカの意のままになるしかない。日本はアメリカの意のままになる道を選ぶことによってアメリカの核の脅威から免れているに過ぎない。もし本当に核禁条約が目指す核兵器廃絶の目標を日本も共有しているならば、アメリカの核の脅威に対抗するため、やむを得ず核を保有せざるを得ない国に「日本のようにアメリカの属国的ポジションを取れ」という前に、アメリカに対して「核の力で他国を意のままにしようという驕りを捨てよ」と言うべきではないか。
②「北朝鮮の核・ミサイルは…(日本にとって)通常兵器だけでは抑止を効かせることは困難であるため…日米同盟の下で核兵器を有する米国の抑止力を維持することが必要です」――バカ言うな。日米安全保障条約は日本が敗戦で軍事的に丸裸になったとき、共産圏からの侵略を防ぐ目的で締結された。いま、たとえ核兵器を持っていようと、日本を侵略しようと考える国がどこにいる。第2次世界大戦以降、植民地支配を拡大しようという国も、軍事力で共産圏を拡大しようという国も、まったくない。現に、日本や韓国など、事実上アメリカとの従属関係を維持するためにアメリカが支払っている費用の負担にアメリカ自身が耐えかねて、「同盟国」(実質的には従属国)に対して応分の費用負担を要求するようになっているくらいだ。
今、現実問題として日本を敵視している国は韓国くらいだ。が、日本政府は韓国の軍事力を脅威とは全く感じていない。赤ん坊が駄々をこねているくらいにしか思っていない。公平に軍事力を比べれば、韓国が日本と戦って勝てるわけがないからだし、いちおうアメリカを媒介して日韓は間接的「同盟」関係にあるからだ。まして今北朝鮮はことさらに日本を敵視しているわけではない。日本に対してなにも要求していないし、むしろ日本とは友好関係を築いて日本の資本や技術を導入して経済成長を遂げたいと思っているくらいだ、その北朝鮮の核をなぜ日本は脅威に感じなければならないのか。確かに金正恩はアメリカと戦争になった場合、真っ先に火の海になるのは日本だと脅しをかけている。それは米軍基地が日本に集中しているからに他ならない。
そういう意味では日本国内の米軍基地は、日本にとって安全保障の砦であると同時に、日本の火薬庫でもある。はっきり言えば、在日米軍基地は抑止力になるとともに、爆弾を抱えているようなものなのだ。つまり、日本がアメリカの抑止力に依存すればするほど、リスクも増えていくことを意味する。高校生くらいの理解力があれば、この論理は理解できるはずだ。
③「核兵器禁止条約では、安全保障の観点が踏まえられていません。核兵器を直ちに違法化する条約に参加すれば、米国による核抑止力の正当性を損ない…日本の安全保障にとっての問題を惹起します」――寝ぼけたことを言うな。核禁条約はアメリカの核だけ廃絶しろとは言っていない。アメリカだけでなくロシアや中国、ことさらに脅威を煽っている北朝鮮の核もすべてが禁止対象だ。すべての核保有国が核兵器を廃棄すれば、日本はアメリカの核抑止力に依存する必要もなくなるではないか。だいいち、日本が核禁条約に参加してアメリカの「核の傘」から外れたら、どんなリスクが生じるというのか。それに、アメリカが実際に核兵器を廃棄するとしたら、そのときはすべての核保有国が核兵器を廃棄したことを確認したのちだ。アメリカが真っ先に核兵器を廃棄するような「お人好し」の国ではないことを、日本は身をもって体験しているではないか。なにせ、ウラン分裂型とプルトニウム分裂型の効力を日本で人体実験した国だからね。

最後に「日本政府は…地道に、現実的な核軍縮を前進させる道筋を追及することが必要であり、(核保有国と非保有国の)橋渡し役をはた(す)…取り組みを粘り強く進めていく考えです」――偉いもんだ。アメリカの核抑止力に依存しなければ日本は他国から侵略されてしまうほどの弱小国なのに、「地道に、現実的な核軍縮を前進させる道筋」を作り。核保有国と非保有国の「橋渡し」までできると考えているのだ。すさまじいほどの自家撞着といってもいいだろう。 
では米ソや米中の仲介役を買って出て、実際にどんな核軍縮の道筋をつけてきたのか明らかにしてもらいたい。北朝鮮の核に恐怖で震えている日本政府が、実際に北朝鮮がアメリカの核の脅威に対抗するために核・ミサイル開発に狂奔する前に、「日本がアメリカに対北朝鮮敵視政策を止めさせるから、核・ミサイル開発のようなバカなことはやめなさい。それでも核・ミサイル開発を続けるなら、国際社会で孤立して不利になるだけだ」と北朝鮮を説得したのかね。
日本にそのくらいの力があるなら、アメリカの「核の抑止力」なんかに日本の安全保障を依存する必要なんかまったくないはずだよ。


【追記】昨日(6日)広島で平和祈念式典が行われた。その式での菅総理のスピーチが、原稿の重要部分を読み飛ばしたということでネットで大騒ぎになった。
 SNSでの反応は「原稿をちゃんと読めないような人が総理を務まるか」といった趣旨の批判が大半だったが、実は違う。ガースーは百も承知で読まなかったのだ。私がSNSで発信した私の「読み」を転記する。

ヤフコメの皆さん、人が良すぎますよ。
あれは意図的に飛ばしたんです。
だって自民党は日本の安全保障の基本軸を「アメリカの核抑止力」に置いているでしょう。だから「北朝鮮の核挑戦」に対してアメリカさんに「もっと核抑止力を強化してください」と頼んでいる立場。
それなのに、「核のない世界のために」なんて言ったら、アメリカさん、「ふざけるな。それならお前の国はアメリカの核で守ってやらなくてもいいんだね」と言われてしまう。
で、おそらく原稿は直前に読んだんだと思う。いまさら官僚に「書き直せ」と命じる時間的余裕もなく、仕方がないので「核のない世界を目指して」という部分を飛ばしたのが真実。だからガースーは意外にバカではなく、頭がいいのかもしれない。
ただ、日本にとってはガースーの存在は悪夢だけどね~。(7日)