小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

今年最後のブログ……新政権への期待と課題

2012-12-30 09:05:12 | Weblog
 これが今年最後のブログになる。毎回長文のブログを読んでくださった方たちに改めてお礼を申し上げたい。 
 8月上旬の与野党の攻防以来12月16日の総選挙に至るまで、毎日政局を追いかけてきて(ブログ投稿はその間19回。ただし政局問題だけでなく、オスプレイ問題、女性宮家問題なども書いてきた)、私のブログは1回平均1万字、400字原稿用紙に換算すると25枚になる。従って19回のブログを400字原稿用紙に換算すると475枚ということになる。単行本1冊の平均原稿量が私の場合、約300枚だから、1冊半を超えるブログ記事をこの短期間に書いてきたことになる。特に12月16日の総選挙日には開票速報が始まった7時30分からテレビを見ながらパソコンに向かい続け、途中3時間ほどの仮眠を含めて翌17日6時過ぎに最後の当選者が決まってから記事の仕上げをはじめ10時ごろに1万3000字ほどの記事を一気に投稿した。夏に入ってからようやく2年半に及ぶ闘病生活から脱したとはいえ、毎日3~4時間ほどフィットネスクラブで汗を流しながら、これだけのブログをよくも書いてきたものだと我ながら感心してしまう。正直、疲れ果ててしばらく休養を取らせてもらった。
 今年最後のブログでは政権の座に返り咲いた自公連立政権への期待と課題について述べたいと思う。
 まず新政権の最大の課題は、国民の新政権に寄せる期待が最も大きかった経済再建だが、妙手ははっきり言ってない。安倍内閣が経済再建の手法として打ち出しているのは①金融緩和によるデフレ克服②公共工事による経済効果の2点である。
 金融緩和だが、果たしてデフレ克服につながるか、私はかなり疑問に思わざるを得ない。日銀が金を貸す相手は一般国民ではなく、主に民間の金融機関である。では例えば銀行が二流、三流の中小企業や信用度の低い国民にじゃぶじゃぶ金を貸してくれるかというと、そんなことはありえない。優良企業が銀行から金を借りてくれなくなってからもう20年以上になる。いくら優良企業と言っても、銀行が融資をする場合は担保を要求する。そんな面倒くさいことをしなくても優良企業なら増資や社債の発行でいくらでも無担保で金を集めることが出来るからだ。
 そもそもリーマン・ショックで日本のメガバンクが大打撃を受けた理由を考えてほしい。国内に優良な融資先がなく、金融緩和でだぶついて金の運用方法に困り、リーマン・ブラーズが発行した証券(日本にもバブル時代に流行った抵当証券のような有価証券)に大金をつぎ込み、リーマン・ブラザースが経営破たんしたあおりを食って大損失を蒙り、金融界の再編成に進んだことは皆さんも覚えておられるだろう。金融緩和で銀行に金がだぶついたら、また危険な投機商品に手を出しかねない。自公政権の金融緩和政策に世界の為替市場が敏感に反応して急速に円安に進み株も年初来の最高値を記録したが、そんなのは一過性な現象に過ぎない。とにかく市場に金が回るようにしなければ、景気は回復しないのは資本主義経済の大原則だ。
 そのための具体的政策としては、まず税制改革を徹底的に進めることだ。まず贈与税と相続税の関係を見直し、現行のシステムを完全に逆転することを基本的方針にすべきだ。つまり相続税を大幅にアップし、逆に贈与税を大幅に軽減することだ。そうすれば金を使わない高齢の富裕層が貯め込んでいる金が子供や孫に贈与され、市場に出回ることになる。当然内需が拡大し、需要が増えればメーカーは増産体制に入り、若者層の就職難も一気に解消する。そうすればさらに内需が拡大し、メーカーはさらに増産体制に入り、若者層だけでなく定年制を65歳まで拡大し、年金受給までの空白の5年間を解消できる。ただし、このような税制改革を実現するには二つの条件がある。一つは相続税増税・贈与税減税を消費税増税の2段階に合わせて、やはり2段階に分け消費税増税と同時に行う必要がある。その理由は当然考えられることだが、消費税増税前の需要の急拡大と、増税後の需要の急激な冷え込みを防ぐためである。
 その場合、贈与税の考え方そのものを一変させる必要がある。相続税は相続人にかかるが、贈与税は贈与人にかかる仕組みになっている。その基本的考え方を変えなければならない。相続税の負担は相続人が支払うのは当然だが(相続者はすでに死亡しているから課税できない)、贈与税に関しては贈与人が贈与税を支払うだけでなく、非贈与人は収入として確定申告を義務付けることである。その場合、総合課税にすると計算がややこしくなりサラリーマンなど通常は確定申告せずに済む人たちの利便性を考えて分離課税にして、しかも通常の課税システムのように贈与額に応じて納税額を変動させるのではなく、たとえば一律10%の分離課税にすることが大切である(税率は別に10%にこだわっているわけではないが、贈与する側にも贈与される側にもできるだけ負担が少なくして、頻繁に贈与が行えるような仕組みにすることがポイントになる。またこのシステムを導入することと同時に現在の非課税贈与制度を廃止し、消費税のように完全に一律課税制にすることも大きなポイントになることだけ付け加えておく)。いずれにせよ、相続税を軽く贈与税を重くしてきたのにはそれなりの時代背景があったと思うが、時代背景が変われば課税の在り方についての発想も転換する必要がある。税金に限らず専門家は従来の考え方からなかなか抜け出せないという致命的な欠陥をもっている。私たちはつねに従来の考え方(つまり常識)に疑問を持つ習性を身に付けるよう心がけたいものだ。そうでないと日本はこの困難な状況を脱することが出来ない。
 また所得税制度も改革の必要がある。内閣府が「国民生活に関する世論調査」を始めたのは1958年(昭和33年)である。この年の調査では「中流」意識を持っていた国民は約7割だったが、60年代半ばには8割に達し、日本のGNP(国民総生産)が世界第2位になった68年を経て70年以降は約9割に達した。79年に内閣府が発表した『国民生活白書』では「国民の中流意識が定着した」と宣言している。
 が、消費税が導入され、さらにバブルが崩壊して以降国民の「中流」意識の変化はどうなったか。実は内閣府はその調査を中止してしまったのである。理由は私が言うまでもなく賢明な皆さんはお分かりであろう。「中流階層」の年収レベルは明確ではないが(内閣府が行ってきた意識調査はあくまで個々人の意識であって、「中流階層」の年収を基準に調査したものではなかった)、少なくとも97年以降は年収299万円以下の層と1500万円以上の層が増加する一方で、300~1499万円の層は減少しており、現実には格差が拡大傾向にある。もっと厳しく、結婚して子供二人がいる4人家族の標準世帯で、30年の長期ローンを組んで(ということは少なくとも30歳代)小さくとも持ち家(マンションを含む)を買える条件として年収500~700万円を「中流階層」と定義したら、どの程度の国民が「中流階層」の範囲に入るだろうか。政府は怖くてそういう調査ができないことは明らかである。私の勘ではおそらく3割に満たないのではないか。おそらく4人家族の標準世帯で年収が500万以下の「下流階層」は5割を超えるのではないか。消費税増税はそういう世帯を直撃する。
 しかし私は消費税増税はやむを得ないと考えている。ただ食料品などの生活必需品を非課税あるいは軽減税率にするのではなく、「聖域なき」一律課税にして、低所得層には生活保護対策として所得に応じて所得税を軽減すべきであろう。少なくとも4人家族の標準世帯の場合は所得税は非課税にする必要がある。その一方年収1000万円超の層は累進的に課税を重くし、年収2000万円以上の高額所得層の所得税率は50%に引き上げる必要がある(現行の最高税率は40%)。
 なぜ生活必需品を非課税あるいは軽減課税にすべきではないかというと、 国産ブランド牛のひれ肉とオージービーフの切り落としが同じ生活必需品として非課税あるいは軽減税率の対象になることに国民が納得できるかという問題があるからだ。読売新聞のバカな論説委員は「新聞は文化的存在だから非課税あるいは軽減税率の適用」を社説で2回にわたって主張したが、アメリカでは『タイム』と並ぶ2大週刊誌の『ニューズウィーク』が紙の刊行をやめた。アメリカでも日本と同様活字離れが急速に進み、パソコンやモバイルで電子書籍を読む人が急速に増加している。日本でも朝日新聞が有料のデジタル版を出しているが、まだ購読料が高いためか(紙媒体と同時申し込めばプラス500円で済む)普及に至っていないが、全国の有力地方紙を買収し、地方の情報もデジタル端末で読めるようにすればいっきに電子版は普及するだろう。自分たちだけがぬくぬくと高給を取りながら終身雇用・企業年金制度を維持するために新聞だけを特別扱いせよなどとよくも恥ずかしげもなく言えたものだ。
 税の問題はこの辺で終わるが、待ったなしの状況にあるのがTPP(環太平洋経済連携協定)交渉への参加問題である。自民党は選挙期間中「聖域なきTPP交渉には参加できない」と主張して、TPP交渉に参加する姿勢を打ち出していた野田民主党(選挙ではTPP交渉参加を主張しなかったが)に圧勝した。
 私自身は、野合政党であり、連合と旧小沢チルドレンをバックにした輿石幹事長に足を引っ張られながら、最後の土壇場で自公の協力を取り付けて、少子高齢化に歯止めがかからない日本の将来のための布石を何とか打った野田前総理を政治家として高く評価している。野田前総理は、選挙で農民票を失うことを覚悟でTPP交渉参加の方針を打ち出していた。「民意」と言えば体裁はいいが、「民意」はそれぞれの職業や生活環境、時代背景によって異なる。先に述べたように国民の90%以上が「中流」意識を持っていた時代もあったが、いま「中流」意識をもてる国民がどれだけいるか、そのことを考えるだけでも「民意」なるもののいい加減さがわかろうというものだ。
 確かに選挙には勝たなければならないが、日本の将来を危うくするような公約(マニフェスト)を並べ立てて票の獲得を目指すような政治家に日本の将来を任せるわけにはいかない。その最たるものが日本の農業保護政策だ。資本主義社会の基本原則は自由競争である。もちろん今すぐ何でもかんでも自由競争にしろなどとは言わない。自由競争社会で勝ち残れるような手段を構築することと、その構築が完成するまでの一定の猶予期間を設ける必要はある。だが、どうやっても勝ち残れない場合は別の救済手段を設けるべきだ。その典型がコメ農業である。実際、今すぐに自由化しても生き残れる国産米の生産量は50%以上あるそうだ。ただしその50%以上の国産米を生産している農家(農業法人も含め)は全体の5%以下だそうだ。つまり農家(兼業農家も含む)の95%はどうやっても自由競争に生き残れない農家だ。そういう農家は減反奨励金などの保護策ではなく、生活保護の対象として救済すべきだ。つまり全資産を処分してもらって、憲法が定めている最低の文化的生活水準を維持できる生活保護をすべきである。95%の大半は兼業農家だから、生活保護の対象にする必要はない。ほんの一握りの零細専業農家への生活保護費など、現在の農業保護をやめれば、おつりが出ることは間違いない。
 そういうと「食糧安保」を喚き散らす連中がいる。それなら言わせてもらうが、彼らは「エネルギー安保」を考えたことが一度でもあるか。日本のエネルギー自給率はたったの3%しかない。食料自給率を高めるためTPP交渉にそっぽを向いて、日本が自由競争世界の中で孤立化し、エネルギー源(石油・石炭・天然ガス・ウラン)の輸入がままならなくなってもいいのか。そういうエゴを「民意」と認定するような政治家には政治家の資格がない。
 はっきり言う。日本は直ちに「聖域なきTPP交渉」への参加を表明すべきだ。TPP交渉に参加したからと言って、今すぐ直ちにすべての関税をゼロにしなければならないというわけではない。一定の猶予期間は認められる。その猶予期間のうちに競争社会で生き残れるコメ農業を育てるための努力は政府は農業団体と協力してやるべきである。それでも競争に勝てない農家は気の毒だが、生活保護受給者になっていただく。
 日本が、自らそういう血を流す覚悟を世界に向けて発信すれば、国際社会における日本の発言力は格段の重みをもつようになる。
 来年は、そういう日本になるための第一歩の年になってほしい。その期待を込めて、今年のブログの最後とする。
 読者の皆さん。良いお年を。

総選挙で大勝した自民党がつくらなければならない国のかたち

2012-12-17 10:04:10 | Weblog
 やはり「小泉劇場」は再現した。自民党の圧勝で今次総選挙は幕を閉じた。
自民と連立を組む公明も大躍進した。私が予想した通り、第三極では維新がそれなりの健闘を示したのに対し、未来は泡沫政党に転落した。小沢一郎はさすがに地元の岩手4区で当選を果たしたが、小沢とともに民主を離党し、小沢と一緒に未来に合流した小沢チルドレンは全滅状態に終わった。一方無残としか言いようのない民主の惨敗は、野合政党が必然的にたどった運命だったと言えよう。
 かつて細川政権は、政府として何もできないままに短期間で崩壊した。自民党が総選挙で過半数を割った時、「政権交代可能な二大政党政治」を標榜して自民から離脱した小沢が画策し、共産党を除く全野党を集めてでっち上げたのが細川野合政権だった。その時政権内で最大の勢力を誇っていた政党は小沢率いる新政党だったが、新生党を核にした野合政権をつくることは不可能だったため、細川護煕が立ち上げた日本新党を核にした野合政権をでっち上げたというわけだった。しかし日本新党は政権内での主導的地位を築くことが出来なかった。小沢が細川を担いだのは毒にも薬にもならない「お殿様」だったからで、細川がつくった日本新党の政治理念を尊重しようという考えは毛頭なかった。というより日本新党は設立理念の「「既成の政治・政党を打破して日本に新しい政治体制をつくりあげる」という空疎なスローガンだけで、具体的な政策は何も提示していなかった。その点、いちおう政策を掲げて新党を立ち上げたい深夜未来とは雲泥の差があり、「細川商店」と揶揄されたこともある。
 が、55年体制にうんざりしていた国民は日本国民の大きな期待を集める。政策皆無の政党が支持を得ると言うこと自体、今から考えると信じがたい思いがするが、ともかく55年体制の存続に嫌気がさしていた国民にとってはやむを得ざる選択として日本新党に期待を寄せたのであろう。でも、国民にとっては目新しく思えた制度は創った。いまではどの政党もやっているが議員立候補者を公募したのは日本新党が最初である。また「クオータ制」と称して党役員のうち女性が20%を下回らないことも決めた。そのため女性を対象とする政治スクールを開設するなど、それなりに斬新な仕組みをつくりあげた。
 結局細川政権は1993年8月9日に誕生したが、翌年94年4月28日には内閣総辞職し、1年にも満たない政権に終わった。「野合」はやはり「野合」でしかなかった。具体的な政策を実現しようとすると、たちまち政権を構成していた各政党の考えや選挙基盤の事情によって政権内部がまとまらず、何もできないという結果になることが明らかになった。それはそれで「野合」の脆さを証明したという意味では、それなりの歴史的意義のある「実験」ではあったと私は思っている。
 だが、「のど元過ぎれば熱さ忘れる」という日本人の特性が、再び大きな過ちを引き起こす結果となったのが、今次総選挙で洗礼を受けた「野合政党」民主党の事実上の崩壊であった。この選挙で民主が獲得した議員の数は公示前の3分の1にも達しない57議席でしかなかった。しかも民主党が「国民に消費税増税という大きな負担をお願いする以上、自らも血を流す必要がある」として大幅減を主張していた比例代表制が温存されたため、小選挙区では自民立候補者に負けながら比例区で復活当選した議員が大半を占めるという皮肉な結果を生んだ。
 この歴史的大敗で、野田・民主党代表は責任をとって辞意を明らかにしたが、最大の「戦犯」である輿石幹事長は依然として責任の取り方について言及を避けている。輿石氏は選挙結果を受けて党が自民に近いグループと連合系グループ(旧社会党系)に分裂するか、分裂しないまでも党運営の主導権をどのグループが握ることになるか、体制を見極めるための時間稼ぎをしているのであろう。そして幹事長ポストは手放さざるを得ないまでも、党内の影響力を残すために、党新体制のキャスティングボードを握り続けようと画策するつもりなのだろう。
 一方自民は294議席という歴史的大勝を勝ち取り、公明の31議席を加えると衆議院議員総数480の3分の2を超えた。すでに参院では自公が過半数を握っており、いわゆる「ねじれ」現象は解消した。
 ただ今次総選挙は、本来争点になりえない「脱(卒)原発」問題と「消費税増税」問題を巡って争われた。しかし、それはそれで、全く無意味な選挙だったとは私は思わない。日本人の民度の高さが改めて証明された選挙だったからだ。自民はあえて反自民の未来を代表とする「脱(卒)原発」「消費税増税反対」の主張に取り合わず、「安定した政治」「景気対策」に絞り込んで選挙活動を行ってきた結果でもあった。
 この自民の選挙活動に対し、民主は「再びハコモノ公共工事の失敗を繰り返すのか」と主張したが、国民への説得力に欠いたようだ。だが、「ハコモノ公共工事」が景気浮揚につながらなくなったという事実と、その理由を国民に理解できるように説明できなかったことが、自民との差別化を図れなかった最大の原因だったと思う。
 ハコモノ公共工事が世界恐慌脱出の大きな効果を上げたニューディール政策のことは皆さんもご存じだろう。ニューディール政策はケインズ経済理論に基づいて行われたが、ケインズ経済理論の大きな柱は不況対策として「失業の原因は労働力需要の減少によるという仮定に立ち、労働力需要を増大するための大規模公共工事を行えば失業者が減り、購買力が回復して内需が増大し、その効果があらゆる産業分野に波及して不況から脱することが出来る」という考え方に基づき、1930年代の世界大恐慌を克服するためにルーズベルト米大統領が行った一連の経済政策がニューディール政策だった。
 確かにケインズ経済理論は労働者に占める肉体労働者に比率が圧倒的に高かった時代には大きな効果を発揮したことは疑いを容れない。しかし今の日本のデフレ不況の原因は肉体労働者の失業によるものではない。デフレ不況の要因がケインズの時代と異なって相当複雑化しているのである。最大の要因は、来年の大卒者の就職内定率がまだ60%台にとどまるなど、若手インテリ層の就職難をどう解決するかのほうが重要な問題である。そういう時代にハコモノ公共工事を増やしてもデフレ不況の打開策にはならないのだ。問題は、なぜ若手インテリ層の就職難が生じたのかを分析し、彼らの就職難を解決する方策を講じることである。
 そういう視点に立って考えれば答えは簡単に出てくる。日本のハイテク産業がどんどん海外に出て国内産業の空洞化に歯止めがかからない状況が若手インテリ層の就職難の最大の要因になっていることがわかるはずだ。だとすれば、そるべき対策は二つに絞られる。一つは国内産業の海外進出に歯止めをかけるための何らかの対策を講じることだ(たとえば海外事業に対する課税制度をつくって海外進出のメリットを失くしてしまうことも考えられるし、海外進出する企業に一定の割合で日本人を海外事業に従事させることを制度化し、それに応じた企業にはそれなりの補助金を給付することも考えてよいのではないかと思う)。
 また貧富の差の拡大が内需の減少をもたらしていることに配慮し、税体系を抜本的に改革して富裕層がため込んでいる金の流動化を図ることも大切である。具体的にはシャウプ税制まで戻せとまでは言わないが、最高税率(国税と地方税の合算)を現在の50%から65~70%くらいに累進制を強化し、一方低所得層の課税率を大幅に軽減することで内需を拡大することである。もう一つは金を使う機会が減少している高齢者がため込んでいる金をどうやって市場に流通させるようにするかということだ。そのためには相続税を重くし、贈与税の軽減化を図れば、高齢者がため込んでいる金が若い子供や孫に移り、間違いなく内需の拡大につながる。内需が拡大すれば企業は供給を増大させる必要が生じ、先に述べたように海外進出に対する規制を強化すれば国内産業が息を吹き返して若年インテリ層の失業率も低下に向かうだろう。
 こうした不況対策であれば事実上の赤字国債になることが必至の建設国債を無制限に発行する必要もなくなるし、少子高齢化に歯止めをかけることが出来る可能性が生じる。
 政権に返り咲いた自民党は、公明との連立を維持することは構わないが、単独で62%もの議席を獲得できたのだから、公明との関係を最優先すべきではなく、政策によっては公明の反対を押し切っても維新やみんな、民主の一部との政策協定を結んで、日本という国のかたちづくりに巨歩を踏み出すべきである。
 中でも今次総選挙の最大の争点になるべきだったTPP(環太平洋経済連携協定)交渉への参加問題や、中国や北朝鮮の軍事的脅威が現実化しつつある現在、日本の安全を守るための対策の再構築を考えるべきである。日米安保条約は今のところ日本にとって最大の抑止効果を持っているが、アメリカは日本のために日米安保条約を結んでいるわけではなく、アメリカが極東の軍事的支配力を維持するために日本を核の傘で守る必要を感じているからであって、その必要性がなくなったら1年の予告期間を経ていつでも安保条約を廃棄できる権利を持っている。そんな紙切れ1枚に日本の安全を託するのは危険極まりない。少なくとも、アメリカ人に、日本を守るために血を流してもらうためには、日本人もアメリカの安全のために血を流す用意があることを国としてアメリカに約束する必要がある。そういう新安保条約をアメリカと締結するための第一歩を安倍内閣は踏み出す必要がある。その場合、護憲を党是としている公明があくまで反対するなら、維新などと部分政策協定を結んで日本という国のかたちをつくっていく必要があるだろう。
 

「原発・消費税増税」問題だけが争点になったままで明日の投票日を迎えていいのか

2012-12-15 12:11:47 | Weblog
 今次総選挙での最大の争点になるべきは「原発問題」でもなければ「消費税増税問題」でもない。もちろんこの二つは明日(16日)の投票の結果によって成立する新しい政権の枠組みの中で、今後も十分な時間をかけて議論を尽くすべき問題ではある。私もそのことを否定しているわけではない。
 しかし、総選挙は今後最大4年間の間に、日本という国のかたちをどうつくるかという喫緊の問題に対する国民の民意(「民意」というのは「全国民の共通した意志」という意味ではない。国民の価値観が多様化している現在、「大多数の同意」を得ることすら難しい状況にある。そういう状況においては「国民の民意」とは最低限「国民の過半数の同意」を持って「民意」と認めざるを得ないのが民主主義の大原則である。
 そういう意味で考えれば「原発」問題や「消費税」問題は確かに「国民の民意」を問うべき課題であることは間違いない。だが、総選挙の争点になるべきもっと重要な喫緊の問題に日本は直面している。それはTPP(太平洋経済連携協定)交渉に参加すべきか否かという問題と、中国や北朝鮮の軍事的脅威が無視できない状況になりつつある現在、日本の安全保障の枠組みをどう再構築するべきかという二つの問題である。が、この二つのテーマが総選挙の争点にならなかったのはなぜか。各政党がこの二つのテーマは票に結びつかないと考えたからにほかならない。で、とりあえず、投票が明日に迫った中で、原発問題と消費税問題について最後のブログを書くことにする。
 
 歴史的には日本は戦前から原子力の研究を密かに行っていた。もちろん平和利用のためではなく原子爆弾の開発のためだった。が、敗戦によって日本の原子力研究はいったん全面的に禁止される。が、1952年4月、サンフランシスコ講和条約が発効すると同時に日本の原子力研究も解禁された。それを受けて日本の「原子力の父」とのちに言われる正力松太郎(読売新聞のオーナーであり、読売巨人軍の父でもある)が、親交のあった中曽根康弘(当時は改進党に属して「青年将校」と呼ばれ、若いながら政界に強力な人脈を形成していた)に働きかけ、中曽根が稲葉修、斎藤健三らを語らって54年3月、国会に原子力研究開発予算を提示し、戦後の原子力研究開発が承認されたのが原子力平和利用研究の嚆矢とされている。それを受けて55年12月19日に国会で原子力基本法が成立し「民主・自主・公開」の「原子力3原則」がいちおう確立された。「いちおう」と書いたのは、この3原則が政界・通産省(当時)・電力会社・原発メーカー・原子力研究の専門家(主に大学教授。ただしすべてではない)の間で癒着が定着いく過程で有名無実化していったからである。
 日本で最初の原子力発電がおこなわれたのは63年10月26日で、東海村の動力試験炉(日本原子力研究所、いわゆる「原研」が開発)が初めて原子力発電に成功した。この日10月26日が政府により「原子力の日」と制定された。
 当時はまだ日本の発電は石炭・石油による火力発電に頼っていたが、日本のエネルギー対策が大きく転換するきっかけとなったのは2度にわたる石油ショックだった。
 第1次石油ショックは73年10月に勃発した第4次中東戦争を契機にOPEC(石油輸出国機構)加盟のペルシャ湾岸6か国が原油公示価格を一気に70%引き上げることを一方的に発表し、石油輸入国を中心に先進工業国の経済は大混乱に陥った。この時期、エネルギー源だけではなく化学産業も原料を石油精製の過程の産物であるナフサを重要な原料としており、この石油ショックで生活必需品が大幅に値上がりし、74年には我が国の消費者物価は一気に23%も上昇、「狂乱物価」という流行語が生まれたほどである。この年日本の経済は戦後初めてマイナス成長(-1.2%)を記録し、高度経済成長時代は終焉した。ちなみに堺屋太一氏が通産官僚時代に書いた処女作『油断』は石油ショックによる日本経済の大混乱を予測した近未来小説とされているが、『油断』が刊行されたのは75年であり、「検証小説」と言うべきだろう。ただ78年末には再びOPECが翌79年から4回に分けて原油公示価格を14.5%に値上げすることを決定した直後の79年にはイラン革命が勃発してイランの石油生産が中断し、イランから大量の原油を購入していた日本の産業界は再び大混乱に陥った。そうした事情もあって堺屋の『油断』が石油ショックを予測した近未来小説と高い評価を受ける要因になったと思われる。
 なお、「結果論」と言われてしまえばそれまでだが、この2度の石油ショックのおかげで日本の技術力は一躍世界のトップに躍り出ることになる。私はこの2度にわたる石油ショックは日本産業界にとって「神風」のようなものだったと考えている。第2次石油ショックの直後から日本のエレクトロニクス産業が急速に成長し、世界をリードしていたアメリカを追い抜いて世界のトップに劣り出た事情について92年11月に上梓した『忠臣蔵と西部劇』(日本の経済活動の歩みを独自の視点で解明した私の代表作)で私はこう書いた。

 半導体を中心とするエレクトロニクス技術の急速な進展は、我が国技術革新の流れを決定し、三つの流行語を生みだした。
 省エネ省力。
 軽薄短小。
 メカトロニクス。
 読者は意外に思われるかもしれないが、メカトロニクスという言葉は外来語ではない。もともとは、九州の安川電機がPRのためのキャッチフレーズとしてつくり、商標登録もしていたが、あまりにも急速に一般化してしまったため、商標権を放棄したといういきさつがある。
(※中略:この三つの合言葉で日本の半導体産業、自動車産業、鉄鋼産業、工作機械産業がどうやってアメリカを追い抜いて一躍世界をリードする技術革新を成し遂げたかのエピソードを書いた)
 戦後もしばらくの間は石炭は、鉄とともに日本の二大基幹産業であった。実際、石炭産業はかつて、東大や京大など天下の秀才をより選り取り見取りで集めていた。
 だが60年ごろ、石油との競争に敗れ、見る影もなくなってしまう。天下の秀才の頭脳は、この時何の役にも立たなかったのである。
 石炭が石油との競争に敗れたのは、エネルギー分野だけではない。化学の分野でも、石炭化学から石油化学へのドラスチックな転換が行われ、石炭化学の担い手は何らなすすべもなく、自らの拠って立つ基盤が崩壊するのを眺めていたのである。
 戦後日本経済の復興を支えた花形産業ですら、新しい技術革新の流れの前にはまったく無力でしかなかったことを、すべての産業人が知った。
 この学習効果があったからこそ、石油ショックという未曽有の危機に対して、日本企業は必至のサバイバルに挑んだと言えよう。
 一方、アメリカは石油ショックによって抱いた危機感が、日本企業に比べてはるかに希薄だった。石油消費量の99.7%を輸入に依存していた日本と異なり、万一のときには何とか国産の石油で国内需要はまかなえるという事情が(※現在は不可能である)、アメリカ産業界の危機対応力を鈍感にした。
 エネルギー対策でも日本は石油ショック後、原子力や天然ガスへの多様化を図り、またサンシャイン計画など新エネルギー開発に力を入れ、石油産業自身がサバイバルのためにこれらの計画に積極的に参加したし、石油化学も石炭を原料とするC1化学の研究開発に力を入れた。

 日本が原子力をエネルギー源の主軸に移行していったのはこの二つの石油ショック以降である。石油の備蓄にも力を入れたが、石油備蓄施設をいくら増やしても何十年分もの石油を備蓄するような場所が第一ない。現在日本の備蓄量は、民間が国内消費量の83日分、国が94日分で、合計しても177日分、つまり半年分にしか満たないのである。しかも石油基地建設を行おうとした場合、常に地元住民の反対運動にさらされ、これ以上備蓄基地を増設することは事実上不可能である。
 「未来」などが原発の代替エネルギーとして太陽光などの再生可能な新エネルギーを有力視しているが、これらの新エネルギー開発計画はすでに石油ショック以後すぐに始まっていた。政府は74年7月には「サンシャイン計画」を発足、新エネルギー開発に取り組んできた。その時すでに太陽光発電は石油に代わる新エネルギーの柱として位置づけられている。さらにその4年後には「ムーンライト計画」を発足、サンシャイン計画を実現させるための補助的技術開発の目標として省エネ技術・燃料電池発電技術・ヒートポンプ技術・超伝導応用の蓄電池開発など4項目の開発目標も定めた。またサンシャイン計画の終了とともに93年には「ニューサンシャイン計画」を発足、新エネルギー・省エネ・地球環境保全(温暖化防止)の3分野に絞り込んで研究開発を進めてきた。11年3月11日の東日本大震災を受けて、同年5月、当時の管総理が20年までに太陽光発電のコストを現在の1/3に、30年までに1/6に低減化し、20年までに太陽光パネルを全世帯の50%に設置、30年までに100%設置の目標とした「サンライズ計画」を打ち出している。
 しかしこれらの政権与党が作成した計画は所詮ある種の政治的目的をもった「机上の計画」に過ぎない。目標は高く設定されているが、その裏付けとなる科学的根拠は全く示されていない。まだ霞が関の官僚が作成する「予算案」の方がいちおう「根拠」となる数字(必ずしも合理的とは言えないが)を示している。実際この手の「夢物語」で実現したためしは一度もない。あったら教えてほしい。つまり、将来のことをちゃんと考えていますよ、という政権与党のアリバイ作りのための「計画」以外の何物でもないのだ。
 しかし「夢物語」が結果的に実現したケースが一度だけあった。60年安保騒動の責任をとって退陣した岸内閣を踏襲して総理になった池田勇人氏が就任直後にぶち上げた「所得倍増」計画である。この「所得倍増」なる言葉はのちに大宅壮一ノンフィクション賞など数々の賞を受けたノンフィクション作家・小説家の沢木耕太郎氏が「戦後最大のコピー」と評したほどだった。そしてまたこの言葉は戦後世界の奇跡とまで言われた日本の高度経済成長時代を象徴するキャッチフレーズでもあった。
 池田氏は歴代総理の中で最もエピソードが多い政治家の一人としても有名である。東大を卒業した後大蔵省に入ったものの、若くして奇病にかかって5年間の闘病生活を送った。2年間の休職期間を過ぎていたため本人は民間企業への転身を考えていたが、格別の計らいで大蔵省に「新規採用」された。その後は病気明けということもあって比較的楽な税制調査などの楽な仕事を与えられたが、それを奇貨として池田は諸外国の税制を猛勉強、大蔵省髄一の税の専門家として名を馳せた。こうして「失われた5年間」を取り戻すや出世街道の一躍トップに躍り出て、主税局長から主計局長を経ず事務次官に「二階級特進」、1948年(昭和23年)に大蔵省を定年で退官、政治家への転身を図る。翌49年の総選挙で初当選、第3次吉田内閣のもとでいきなり大蔵大臣に起用されて周囲を驚かせたが、大臣就任の2年目(50年)に歴史的に有名となった二つの「失言」(語録)を残している。
 ひとつは、金融引き締め政策の断行に当たり3月、国会の答弁で「中小企業の一部倒産もやむを得ない」(新聞は「中小企業の一つや二つ倒産しても構わない」と報じた)との発言が物議をかもした。二つ目は12月にマスコミが池田氏の発言として「貧乏人は麦を食え」と喧伝した発言だが、これは池田氏の発言を限度を超えて短絡化したもので、実際には衆院予算委員会で社会党議員の質問に対し、「所得の少ない人は麦を多く食う。所得の多い人は米を食う」という、所得に応じた当たり前の生活格差を説明したに過ぎない内容だった。一般常識とはかけ離れた永田町の論理には、1年生議員の大蔵大臣が付いていけなかったと言うしかない。
 さて沢木氏が「戦後最大のコピー」と絶賛した「所得倍増」計画だが、沢木氏の意図が伝わっていないので、「絶妙なジョーク」なのか、本気でそう思ったのかはわからないが、いずれにせよ池田総理は国民の所得を倍増させるための具体的政策は何も提起していない。池田氏が提唱したのは「60年度のGNP(国民総生産)13兆6000億円を10年で26兆円に増大させる」という、言うなら民主党が2009年の総選挙のマニフェストで「霞が関埋蔵金の活用で年4.3兆円の財源を生み出す」とホラを吹いたのと同類だった。
 ただ民主党が政権をとって調べてみたら、そんな霞が関埋蔵金などは全くなかったが、池田氏の掲げた所得倍増計画は結果的には計画より早く達成してしまった。ただ大蔵省官僚のトップの職にあった池田氏が、GNPの倍増を「国民所得の倍増」とすり替えたのは、まだGNPという概念が国民に理解されていなかった時代とはいえ、限りなく「詐欺」っぽい言い方だったと言えよう。だから私は沢木氏の「戦後最大のコピー」は皮肉を込めた「絶妙なジョーク」だったのではないかと思う。結果的に池田内閣の「所得倍増計画」は、GNPは6年で、国民所得は7年で倍増し、余裕をもって達成できたし、それはそれなりの理由があったのだが(このブログで「なぜ所得倍増計画が実現できたのか」を解明することはしない。知りたい人は『忠臣蔵と西部劇』を読んでいただきたい)、池田内閣の所得倍増計画があったから実現できたことではない。
 似たような話に共産党や社会党などが主張している「憲法9条があったから日本は戦後平和だった」という、全く根拠のない主張と、池田内閣の所得倍増計画は同類だということだけご理解いただければ十分である。つまり、全く関連性はなかったが、結果的にはそうなったというだけの話である。
 なぜこの話を持ち出したかというと、いったい「脱(卒)原発」は本当に可能なのか、という問題を論理的に皆さんに考えていただきたいというのが、回りくどい話を書いてきた理由であった。
 すでに書いたように太陽光発電はコスト的に従来の発電(火力・水力・原子力)に到底太刀打ちできない。しかし原発2基で今年の猛暑の夏を国民は乗り切った。国民も工場も、スーパーもそれぞれ工夫して節電対策を行った。原発がなくてもみんなが努力すれば何とかやっていけるという貴重な学習を我々日本人はした。
「原発の電力コストが安い、という政府の説明はウソだ」という反原発派のこれまでの主張の方がウソだったことは、原発なしで電気を供給してきた電力会社が、軒並み10%前後電気料金の値上げに踏み切らざるを得なかったことで明らかになった。しかも電力会社は人件費を20%以上カットしたうえでの値上げだったことを考慮に入れると、いかに原発のコストが火力に比べて安かったかを証明している。電力会社の社員の給料が世間常識をはるかに超えた水準だったことも、この間の一連の騒動で明らかになったが、電力会社が原発コストを正確に計上すると利益が出すぎるため、意図的に原発コストをかさ上げする目的で社員の人件費を世間並み以上に高くしてコストアップの要因にしてきたのではないかと思う。そうでなければ人件費を20%カットしても電力料金を10%前後値上げしないと経営的にやっていけないという理由の説明がつかない。
 そのようなもろもろの要素を考慮に入れると、一番現実的な解決策は原子力規制委員会がほぼ安全であることを確認した原発を除き、残りの原発は即廃炉にすることである。原発も工業製品である以上100%安全ということはありえない。「ほば」ということは危険性がまだ残っているということを意味する。だからどういう場合に危険性が現実化するかの検証を徹底的に行って、限りなく「ほぼ」を100%に近づける努力が必要となる。素人発想だが、万一に備えて原子炉や配管を現在最強の金属であるチタン合金で被覆するのも一つの方法かもしれない。
 少なくとも太陽光発電を全量固定価格で電力会社に買い取らせるなどという方法は、まったく愚かな政策だったことは「脱原発」の先進国だったドイツが早々と太陽光発電の固定価格買取制を中止したことからも明らかである。大きな痛手をこうむる前に「ごめんなさい」と頭を下げて固定価格買い取り制を廃止すべきである。
 第一原発を1基も稼働しなかった東電が、今年の猛暑の夏を「計画停電」を一度も行わずに乗り切れたこと自体が、もし太陽光発電の全量を固定価格で買い取って電気料金が高くなったら、産業界も国民も今年の夏以上の節電に取り組み、電力が余ることになることは目に見えている。そうなったら電力会社は太陽光発電の固定価格での買い取りを拒否するか、拒否できない場合は損失補てんを国に要求する権利が生じる。電力会社が国を相手取って裁判を起こしたら、間違いなく国は負ける。
 もちろん太陽光発電の発電効率の向上の研究開発には官民挙げて今後も取り組む必要がある。環境にやさしく、危険性もゼロの理想的なエネルギーだからである。そして人類の英知が、いつの日か太陽光発電が従来のすべてのエネルギーコストを下回る時が来ることに期待しようではないか。私たちの世代はもちろん、次の世代でも無理だろうが、次の次の世代には再生可能な自然エネルギーで電力のすべてをまかなえるよう、気が遠くなるくらいの長期的視点で研究開発に取り組もうではないか。

 次に消費税問題について考えてみよう。
 日本人の民度の高さは、消費税増税問題に対する反応にも表れている。1989年の参院選では日本社会党が議席を大幅に増大して、非改選組を含めても自民を過半数割れに追い込んだことがある。自民党の消費税導入に反発した国民が政局を大きく動かした選挙で、当時の日本社会党・土井たか子党首は開票速報番組の中で「山が動いた」と発言、流行語になったほどであった。実際、その直後の参議院で消費税廃案を決議、衆議院で否決されたが、消費税導入に対する国民の怒りはこの時だけではなかった。
 そもそも消費税導入は自民党にとって悲願ともいえる税制改革だった。歴史的に消費税に関する主な状況を振り返ってみよう。
① 78年、大平内閣が一般消費税導入を計画したが、総選挙の結果を受け撤回。
② 86年、中曽根内閣時に売上税構想。マスコミは反発。
③ 88年、竹下内閣が3%の消費税導入を決定、翌89年4月1日消費税法施行。
④ 89年、参院選で日本社会党が大躍進、参議院で消費税法廃案を決議。
⑤ 94年、細川総理が独断で消費税を廃止し国民福祉税(7%)導入構想を発表
  したが、政府内で反対され即日撤回。
⑥ 97年4月1日、橋本内閣が消費税を5%に増税実施。翌98年の参院選挙で
  自民議席大幅減。
⑦ 03年、消費税課税業者の免税点が売り上げ3000万円から1000万円に引き
  下げられた。
⑧ 課税表示の「税込表示」が義務付けられた。
⑨ 野田内閣により社会福祉制度目的のための消費税増税法案が成立(14年4
  月に8%へ、15年10月に10%へ引き上げ予定)
 過去の歴史が示すように消費税増税は政権党にとってタブーであった。小泉総理が長期政権を維持できたのも小泉氏が「私の総理在任中は消費税を増税しない」と公約して国民の信任を受けてきたからでもあった。そういう意味では今次総選挙で野田総理が「選挙のことを考えれば消費税増税はすべきでなかったかもしれないが、日本の将来のことを考えると消費税増税に踏み切らざるを得なかった」と述べた胸中は察するに余りあると言えよう。実際消費税増税に反発した民主党議員から多くの離脱者が出たことは、「消費税増税に反対した方が自分の選挙にとって有利だ」という、手前勝手が見え見えの行為であったと言えよう。
 しかし今回の消費税増税はこれまでの消費税導入・増税とは意味が全く違う。竹下内閣の消費税導入は高額所得者への最高課税率(所得税・地方税を合算)85%を60%に引き下げるための税税収不足分を消費税で補うための税制であり、橋本内閣時の増税は高額所得者への最高課税率を50%に引き下げることによる税収不足分を補うためのものであった。だが、今回の消費税増税は少子高齢化に歯止めがかからず、社会保障制度が崩壊しかねない状況の中でのやむを得ざる増税であり、年々増加を続ける生活保護者や就職難にあえぐ若者たちが増大の一途を続ける中での増税であるにもかかわらず、国民の30%近くが消費税増税に賛成を表明しており(NHKによる世論調査)、自分たちの生活を直撃する消費税増税にこれほど多くの国民の理解が得られていることは、日本国民の民度が非常に高くなりつつあることを示していると、私は日本人であることにこれほど誇りを持てたことはかつてない。
 そのことを考えると、日本最大の発行部数を誇る読売新聞の論説委員たちの感覚の非常識さを憂いざるを得ない。読売新聞は2度にわたって社説で「新聞は非課税あるいは低率課税にすべきだ」と主張した。新聞が不要だとまでは私も言わないが、読売新聞が消費税増税を容認し、「国民に負担を強いる以上まず自らが血を流すべきだ」と主張してきたことを、自らがまず実践すべきではないか。消費税が増税されようがされまいが、国民とくに若年層の活字離れは少子高齢化が社会問題になる以前から生じていた現象であり、そこに消費税増税が追い打ちとなれば、新聞社にとっては大きな逆風になることは間違いない。かといって新聞購読料を値上げすれば国民の新聞離れはますます進行する。そういう時代を生き残るためには読売新聞社の人件費をまず大幅に削減すること(社員の給与カット、企業年金の廃止など)で自ら血を流し、それでも経営が困難になった場合は金融業界が生き残りのために行ったように大リストラを伴う新聞社間の統廃合で徹底的な合理化を行うことだ。それでも経営が成り立たないということになったら、新聞が果たしてきた社会的使命は終わりを告げた、と潔く解散すればよい。新聞だけが特別扱いすべきだと、非課税か低率課税を主張するのはあまりにも身勝手すぎるのではないか。そういう新聞社がほかの件でいくら「正論」を述べてもだれも支持しないことを肝に銘じた方がいい。
 読売新聞の手前勝手な「懇願」はさておき、NHKが12月10日のニュース7で発表した政党支持率の世論調査の結果を見れば日本国民の民度の高さと政治家の政治感覚のレベルの低さがよくわかる。NHKが発表した順番ではなく、支持率の高い順から各政党の支持率を見てみよう。
① 自 民   26.6%
② 民 主   16.1%
③ 維 新    4.7%
④ 公 明    4.1%
⑤ 共 産    2.7%
⑥ みんな    2.1%
⑦ 未 来    1.6%
⑧ 社 民    0.7% (他党はすべて0.1%)
⑨ とくになし 33.5% 
 このうち消費税増税法案を成立させた3党の合計支持率は 46.8%に達する。無党派層の33.5%を単純比例配分すると約15.7%が3党支持率に上乗せできることになる。つまり62.5%が3党のいずれかに投票する可能性が高いことを意味している。消費税増税は3党合意で成立したのだから、今さら消費税増税反対をいくら叫んでも廃案にすることは不可能なのだ。
 そもそも選挙における公約(マニフェスト、みんなの党は「アジェンダ」と称している)は、政権与党を現実的に目指しうる政党と、どう転んでも政権与党になりえない政党とでは、公約の持つ意味合いがまったく違う。政権与党を目指しうる政党は自民、自民と連立を組んでいる公明、自民との連立(あるいは政策協定)の可能性がある民主、維新の4党は公約に責任をもたざるを得ない。絶対に政権の座に就けない党は徹底的に票集めのための実現不可能な政策を並べても「公約違反」を選挙民から問われる心配がないから、好き勝手な公約を並べ立てることが出来る。その違いを、有権者はきちんと見極める必要がある。
 政権を取る可能性が現にある政党が、実際に政権の座についたら公約の実現のために死に物狂いで政策の実現のために努力しなければならない。民主党が甘かったのは、ありもしなかった埋蔵金をあてにして社会保障制度を充実させようとしたことだった。その場合、何を根拠に埋蔵金なるものをあてにしてしまったのかの説明をきちんと国民に説明すべきだった。ただ「読みが甘かった」という謝罪だけでは国民は納得しない。なぜ読みを誤ったのかの徹底的な検証をしない限り、今後も「読みを誤る」ことを重ねることは疑いを容れない。
 
 昨日ここまで書いて、今朝(14日)朝日新聞の朝刊を見たら、1面トップで総選挙中盤の情勢調査の結果が発表された。前回の調査{6日発表)では257~272~285だった自民当選者予想が、今回は270~285~297とさらに伸び、連立相手の公明の25~30~34(前回は27~31~35)を加えると、すでに300議席を突破する勢いだった。一方民主当選者予想は前回の68~81~95だったのが、今回の調査では63~76~88とさらに低下した。公示前議席数の民主230からみると、凋落が際立っている。また第三極として政局の焦点になっていた維新は前回の42~49~57から38~46~55とやや減少、未来に至っては9~14~20から5~10~15と激減した。前回11~18~23と公示前議席を倍増する勢いをほぼ維持した。8日に投稿したブログ『総選挙序盤線「自民大勝」の世論調査は自民に不利に働く可能性も !?』で私は、アナウンス効果には別々の二つの側面があり、バッドワゴン効果(勝ち馬効果)とアンダードッグ効果(負け犬効果)があり、中盤での世論がどちらに傾くかはふたを開けるまで分からないと書いたが、どうやらバッドワゴン効果が流れになったようだ。朝日新聞の調査によると、まだ小選挙区で5割弱、比例区で4割がまだ投票態度を明確にしていないようだが、勝負はほぼついたと言っていいだろう。バッドワゴン効果の典型的なケースは小泉劇場だが、今次総選挙の自民の勢いを見ると小泉劇場の再現と言えるかもしれない。
 
 さて今次総選挙の本来の争点はTPP(環太平洋経済連携協定)交渉に参加するか否か、また中国や北朝鮮の軍事的脅威が増す中で日本の安全保障の枠組みをどう再構築すべきかの二つだ、と私は一貫してブログで書いてきた。だが、ほとんどの政党がこの問題に対する態度をあいまいにしてきた結果のつけ、どの政党が政権を握ろうと、新政府の肩に重くのしかかることは間違いない。この二つの政治課題こそ今後の日本の国のかたちを選ぶ争点であるべきだったのに、世論に大きな影響を与える大新聞社は、この「2大争点」を置いてきぼりにしてしまった。
 今次総選挙で原発問題と消費税増税問題が事実上最大の争点になってしまった状況に対して警告を発するべきなのに、逆に朝日新聞はこの仮想二大争点を容認した上で。朝日新聞は15日付朝刊の1面トップで「国のかたち 選ぶ」という大見出しをつけ、この仮想二大争点が投票の選択肢になったことを無批判的に書いている。この記事のリードで朝日新聞はこう主張した。

 衆院総選挙の投票が16日に迫った。東日本大震災が起きて初の本格的な国政選挙になる。とりわけ「原発」「税と社会保障」は震災後の日本をどうつくっていくかを決める大切な争点だ。選挙結果によってはその流れが大きく変わっていく。

 私ならこういうリードを書く。

 総選挙の投票が明日に迫った。今日1日しか立候補者は自らの声を有権者に伝える日は残っていない。立候補者は、最後の1日で有権者に何を訴えるべきか。従来のように立候補者名の連呼だけで終わらせていい選挙ではない。今次総選挙はとりわけ、いくつもの大きな政治的テーマについて民意を問うべき選挙だった。確かに福島原発事故後の最初の本格的な国政選挙であり、今後のエネルギー問題に日本はどう取り組むべきか、また少子高齢化に歯止めがかからない中で社会保障システムをどう構築して行くか、とりあえずそのための財源の一部は消費税増税で確保できたが、消費税率を2倍にしたからといって消費税収入が2倍に増えるわけではない。国民は生活費の節約に走るからだ。肝心の社会保障制度のかたちづくりを後回しにして消費税だけを先行増税したことへの国民が下す審判に総選挙で政権の座に就く政党はどう応えるかも問われる選挙だ。しかしこの二つが総選挙の二大争点になってしまったことも残念である。待ったなしの、それこそ国のかたちを選ばざるを得ない二つの大きな政治的テーマが争点にならなかったのはなぜか。ひとつはTPP(環太平洋経済連携協定)交渉に参加すべきか否かであり、その選択結果によっては日本は環太平洋地域で経済的に孤立化する可能性が生じる。もう一つは中国や北朝鮮の軍事的脅威が増す中で、日本の安全保障体制は現状維持でいいのか、それとも新たな安全保障の枠組みを模索すべきなのか。本来なら、待ったなしのこの二大問題を争点から各政党が意図的に外したのは、ポピュリズム(大衆迎合主義)選挙に終始したかったからと評されても仕方あるまい。そういう選挙のかたちは、この総選挙で最後にしてもらいたい。
 
 リードとしては長すぎる、と言われるかもしれない。私もそう思う。しかし文章の長短はさておいて、読者は朝日新聞のリードに軍配を上げられるか、それとも私のリードに軍配を上げてくださるか、忌憚のないご意見を頂ければと思う。

 
 
 

 

朝日新聞記者も読売新聞記者と同様アホだった ! !

2012-12-12 22:24:48 | Weblog
 12日の朝日新聞朝刊を読んで「インド人もびっくり」(これは差別用語だと思います。ごめんなさい)だった。記事は1面トップを飾っただけでなく、3面では「専門家の見方」を、さらに35面でも「親の関心影響」の記事を掲載した。それほど大騒ぎするほどの大問題なのか、と思ったが、朝日新聞の記者たちがアホだから大きく取り上げただけの、3行記事に相当する程度のくだらない記事だった。
 とにかく1面トップ記事の見出しが大げさだった。大見出しが「小4算数・理科過去最高点」、サブ見出しが「脱ゆとりの成果」とあるから、私もつい「脱ゆとり教育の効果が出て、子供たちの学力が大幅に向上したのか」とぬか喜びしたくらいである。この大げさな記事のリードで朝日新聞は「2011年の国際数学・理科教育動向調査{TIMSS}で、日本の小学4年の得点が過去最高だったことがわかった。文部科学省は『脱ゆとり』への転換が要因と見ている(後略)」と書いた。本当かいな。
 このリードを一切の予断を入れず素直に読めば、日本の小4の成績がTIMSSのそれまでの最高点を上回る、言うなら世界新記録に相当するほどのものだったと読める。朝日新聞によれば、文科省は「08年度に学習指導要領を改訂し、学習内容や授業時数を増やしたこと、07年度からの全国学力調査の取り組みが成果を上げてきた」としているという。本当にそうか ?
 朝日新聞は文科省が誇った「成果」に続く記事で「一方で、勉強への意欲・関心の低下も目立った。『算数・数学の勉強が好き』は小4で66%だが、中2では39%。理科では、小4で83%なのに、中2では53%。中2の割合は数学・理科ともに国際平均より20ポイント以上低かった」としている。
 あれ……なんか、おかしいな。どういうことかいな ?
 過去最高点を記録した日本の子供たちの勉強への意欲・関心が低下している ? これはどう解釈したらいいのか。私は老いぼれ頭脳をフル回転して、このおかしな現象を検証してみることにした。その結果、私は「朝日新聞の記者がアホだった」という結論に達したというわけだ。
 そういう結論に達したカギは、この一文にあった。
「国・地域別の順位は、小4算数が5位、中2理科が4位で前回より1位ずつ落ちた。小4理科は4位、中2数学は5位で、前回と同じだった。これまでの最高は、95年の小4理科の2位、最低は03年の中2理科の6位だった」
 ちょっと待てよ。過去最高点を出したはずの小4の国・地域別順位が算数で5位と前回(4年前)の4位から下がっている ? 理科のほうは前回と同じ4位。これで、なぜ「国際学力調査」で小4の算数・理科が過去最高点になったのか ?
 理由はすぐにわかった。国際教育到達度評価学会「アムステルダム)が1995年以降4年ごとに実施している小4と中2の学力テストで、たまたま11年に行われたテストで、小4の子供たち(11年のテストには約8800人が受験)の平均点が過去最高だったというだけのことだった。ちなみに過去の平均点と国・地域別の順位(カッコ内はテストに参加した国・地域の数)はこうだった。

 1995年(20) 算数 567点 3位  理科 553点 2位 
 1999年       実施せず       
 2003年(25)    565点 3位     543点 3位
 2007年(36)    568点 4位     548点 4位
 2011年(50)    585点 5位     559点 4位

 これが朝日新聞や文科省が「脱ゆとりの成果」と大喜びした本当の中身であった。この推移を見て、やっぱり日本の子供たちの学力は「脱ゆとり」効果で上がっているではないか、とお考えの方がいたら、お気の毒だが、朝日新聞の記者や文科省の役人と同様なアホである。
 そういうアホな方のために(私のブログの読者にはそんなアホはいないと思うが)、きわめてわかりやすい例で説明しよう。
 日本で最大の難関校とされている東京大学の入学試験に挑戦した高校生・浪人の平均点は常に同一だろうか。そんなことはありえないよね。たまたま今年の受験生の平均点が過去最高だったら、東大サイドは「今年の受験生の学力は過去最高だ」と喜ぶだろうか。そんなこともありえないよね。東大に限らず、定員をオーバーする受験者が殺到する大学では、合格ラインを決めていず、高得点をとった順から定員数に達するまでを合格者にする。つまりテストで取った点は絶対評価の対象ではなく、相対評価の基準に過ぎないのだ。
 しかし合格者の定員を決めていない試験も沢山ある。最大の難関とされている司法試験の場合は、あらかじめ合格ラインが決められているため、年によって合格者の数が増減する。だから司法試験の問題をつくる側は、受験者数と合格者数の比率をできるだけ一定にする(つまり合格率を一定に保つ)ために試験問題の難易度にものすごく神経を使う。
 同じ国家試験でも司法試験や医師試験のようにランクがない国家資格を取るための試験以外にも、ランクがあって試験の難易度が異なる国家試験もある。たとえば建築士の場合の1級、2級に分かれているし、税務関係では公認会計士と税理士の試験にはかなりの難易度差がある。たまたま試験問題が難しかった場合は合格者が少なくなり、受験者にとっては不運な年と諦めるしかない。だが、その翌年はその反動で試験問題が易しくなる傾向は、問題をつくるのがコンピュータではなく人間である以上避けられないことだ。
 要するに小4のこともたちが過去最高点をとったのは「脱ゆとり」効果によって学力が向上したという結論を出すのはあまりにも短絡した思考法だということである。ひょっとしたらたまたま問題が易しすぎたせいかもしれないではないか。
 論理的に物事を考えるということは、このケースの場合、平均点という絶対評価を基準に考えるのではなく、相対評価で見るという視点に立つことがまず一番大切なことである。
 ではどうしたら相対評価で日本の子供たちの学力を見ることが出来るか。国際学力テスト4回の参加国・地域が一定であれば単純に順位で上がったか下がったかで相対評価を見ることが出来る。しかし実際には調査のたびに参加国・地域が増えているため相対評価をすることは多少難しい。数学者なら高度な相対評価の計算をするだろうが、私の数学力はせいぜいのところ小学高校学年くらいだと思う。その程度の算数の方法でとりあえず相対評価をしてみよう。とりあえず算数についてのみしてみる。理科は同じ方法で皆さんがやってほしい。

1995年の相対評価指数  3÷20=0.15
2003年         3÷25=0.12
2007年         4÷36=0.11
2011年         5÷50=0.1

 この相対評価指数は小さくなればなるほど学力が向上していると推測できる可能性は確かにある。ただしその前提として参加国・地域数が増えても全体の学力レベルが同じだという前提に立たないと、この相対評価指数で学力が向上したか否かを判断することはできない。私が数学者の力を借りないと正確な相対評価指数の計算はできないと書いたのはそういう理由である。
 しかしとりあえずこの単純な相対評価指数を見ても日本の子供たちの学力は文科省が胸を張るような08年の「脱ゆとり教育」に転換する前から日本の子供たちの学力は年々向上しており、「脱ゆとり教育」に転換しても相対評価指数はたった0.01しか伸びていない。この伸び率は「脱ゆとり」以前と比べてまったく変わっていない。2011年の国際学力調査で「小4算数・理科過去最高点」は逆立ちしても「脱ゆとりの成果」などと胸を張れることではなく、むしろ失敗に終わったことの証明になったというのが私の論理的結論である。明日(13日)の社説で国際学力調査の結果をぬか喜びして恥を天下にさらすようなことはしてほしくない。



総選挙序盤戦「自民大勝」の世論調査は自民に不利に働く可能性も !?

2012-12-08 05:49:36 | Weblog
 12月4日に公示され、16日に投票が行われる総選挙の結果予測を朝日新聞をはじめ全国紙が6日朝刊で報道した。朝日新聞の情勢調査によると、自民は全480議席のうち257~272~285を獲得、最小当選予測数257議席でも単独過半数に達する勢いだ。一方政権与党の民主党の獲得議席は68~81~95と、最大でも公示前の議席数230の約40%にしか達せず、全議席数の20%未満しか獲得できないようだ。 
 一方、直近の「次の総理は誰が望ましいか」というNHKの世論調査では1位の安倍・自民総裁の25%に対し、野田・民主代表は20%と健闘しており、国民の野田総理への好感度が復活傾向にあることを示していた。このギャップはどこから生じたのだろうか。このギャップが生じたのは、やはり民主が野合政党でしかなく、連合と旧小沢チルドレンを背景に総理を総理とも思わないような振る舞いに出て、事実上民主の実権を掌握してきた輿石体制を、最後の最後の土壇場でひっくり返し、ようやく野田体制を確立した野田氏への信頼感が反映された一方、野合政党に過ぎなかった民主が、いやというほど輿石幹事長に振り回されてきた実態が丸見えになったことへの国民が下した判決でもあった、と解釈するのが妥当であろう。
 またいわゆる「第三極」では、政局を左右する勢力になるのではないかと予想されていた「維新」が当選者予測数42~49~57と伸び悩む結果が出た。石原新党と合流した結果、橋下が掲げた「維新八策」の公約があいまいになってしまったのが最大の要因ではないだろうか。それでも公示前議席の11を大幅に更新したのは国民が、やはり「第三極」の主軸を「維新」に期待していることを表したという見方もできよう。
 一方「未来」は案の定、現有勢力の61議席を大幅に下回る9~14~20と大きく後退した。代表の嘉田は「卒原発」のいい加減な(つまり科学的根拠が全くない)「工程表」をつくって10年で原発をゼロにするという非現実的な主張を展開し、「この指とまれ」で「脱原発」グループの大同団結を目指した。かつては原発推進のリーダー的存在だった小沢が民主を飛び出して作った新党「小沢の声が第一」を解党してまで未来に合流したものの、すでに政治家としては「死に体」になっていた小沢に対して国民がNOを突き付けたのが最大の要因だったと言えよう。
 これらの4大勢力と朝日新聞が見なしていた戦前予想を完全に覆したのは公明党と「みんな」の躍進だった。公明は公示前議席の21を大きく上回る27~31~35と議席を獲得しそうだし、「みんな」も公示前議席の8を大幅に上回る11~18~23議席の獲得が予測された。まず公明が大きく議席数を増やしそうなのは、選挙の行方を大きく左右する「支持政党なし」の大半を占める若者の間で、公明の支持母体である創価学会を選挙活動であまり表面に出さないという作戦が効を奏し、その結果「公明=創価学会」というこれまで定着してきた図式が薄らいできたためと思われる。また「みんな」は「第三極」の2大勢力と朝日新聞が勝手にみなしてきた「維新」と「未来」からの執拗な誘いを受けながら、「基本的政策で一致しない合流は野合だ」と政治の王道を貫き通した「ぶれない」姿勢が国民から大きく評価された結果と思われる。
 実はここまでは6日の夜に書いた。朝日新聞が発表した情勢調査についての詳しい分析は7日付朝刊に掲載するというので、この先は朝日新聞の分析を読んでから書くことにしていったん筆を置く。

 朝日新聞は今日(7日)付朝刊2面で調査結果の分析を掲載した。「序盤情勢 各党に衝撃」という大見出しは、その通りであるから、論評の対象にならない。この大見出しに次ぐ3本の黒べた白抜きの見出しが朝日新聞の調査結果分析の柱である。
① 民主幹部「解散時期を間違えた」
② 嘆く橋下氏、自民批判強める
③ 安倍氏が檄文「踊らされるな」
 この3本の見出しの中でまともなのは③だけである。まだ私は「見出し」だけしか読んでいない。これから朝日新聞の分析の中身を精査してみよう。
 で、まず朝日新聞による民主の「敗北」の原因分析を検証してみよう。私は「えっ」とびっくりした。こういう記事を朝日新聞は「分析」と考えているのかと唖然とした。私は前夜(6日)調査結果の各政党の議席獲得予想の数字だけを見て、どうしてそういう数字が調査結果として出たのかの分析をした。私の分析と朝日新聞の分析を比べ、どちらが論理的整合性を満たした分析をしたか、私の分析に私自身がこだわらず、客観的に評価してみたかった。私は8月9日に投稿したブログ『明日にも成立する一体改革法案に国民は納得できるか?』で、野田総理は遅くても8月中に解散するだろうとの予測記事を書いた。その時点では輿石幹事長の力を多少見くびっていた。結果、野田総理の「近いうち国民の信を問う」という解散約束が反故にされ、その後の政局の推移を検証したうえで8月28日『私はなぜ政局を読み誤ったのか? 反省に代えて』と題するブログを投稿し、その反省に踏まえて9月24日には『輿石幹事長は「既定」の人事—今度は私の読みが当たった』と題するブログを投稿した。それ以降私の政局分析はことごとく当たってきた。
 なぜか。最初に「読み」が外れた理由をきちんと分析したからである。朝日新聞に限ったことではないが、明らかな誤報以外は主張や分析の検証作業を全くしないのがマスコミだからだ。「失敗は成功のもと」と言うが、それは失敗の原因をきちんと分析究明したケースのみについて言えることで、「犬棒」ではないが、何度も失敗を繰り返せばいつか成功するなどということは絶対にありえない。その反省・分析・原因究明をまったく怠り、ただ「反権力」を錦の御旗にしかしなくなったのが朝日新聞であり、そういう方向性を定着させてしまったのが船橋洋一主筆である。船橋「ジャーナリズム論」批判は終戦記念日前後に公開するつもりだが(船橋氏が主筆になった当時は私はブログ活動をまだしておらず、かなり長文の批判を朝日新聞に送っている)。
 それはともかく、朝日新聞の「分析」なるものは野田総理の「政治改革、定数削減は、民主党が勢力を失ったらできなくなる。危機感を持っています」という街頭演説を始め、民主党幹部の嘆き節を羅列しただけだ。たとえばこういうくだりがある。
「党内には低支持率の中で衆院解散に踏み切った首相への恨み節が消えない。党幹部の一人は(※なぜ「輿石幹事長」と特定しないのか)『解散時期を間違えた。来年度予算を組むべきだった。お粗末極まりない』。中部地方の前職は『予想を上回るひどさ。大変な目に合っている。野田さんは戦犯だ』と憤る」
 こういう恨み節の羅列は、分析とは言わない。単なるインタビュー報道だ。
 「未来」がずっこけたのは当然だが、第三極の柱として期待が大きかっただけに「維新」の橋下氏も落胆の色を隠せないようだ。朝日新聞によれば「今日の新聞報道を読んで嫌になっちゃいました。自公で過半数を取れるというんですね」と街頭演説で嘆いたという。朝日新聞によれば、こういうことだそうだ。
「橋下氏はこれまで日本未来の党の批判を繰り返してきた。未来の『卒原発』に疑問を呈し、第三極内での違いを見せようと懸命だった。だが、この日の演説では原発政策はほとんど語らず、自民党批判を続けた。自民党の国土強靭化政策も『経済を立て直すのにまた公共工事をやる。そんなんで日本が成長しますかね』。(中略)維新内には自公が過半数に届かなければ、選挙後の自民党との連携に前向きな声が根強い。それだけに、ある候補者は『自民党が勝ちすぎれば、維新と組む必要がなくなるのでは』と指摘した」
 朝日新聞は「未来」の嘉田氏の声も乗せているが、私はすでに前回のブログで「未来」は泡沫政党でしかないことを書いているので、朝日新聞や嘉田氏が「未来」の停滞を予想外と思ったこと自体が、全く見当違いであることだけを指摘しておく。
 一方自民については朝日新聞は安倍総裁の檄文「自民党優勢報道に踊らされ、惑わされ、票固めもせず投票日を迎えれば、勝利を手にすることはできない」を紹介して、党幹部が早くも党内の引き締めにかかっていることを報じた。
 ま、要するに朝日新聞の調査結果分析なるものは、この程度の代物でしかなかったということが明確になった。朝日新聞の記者は「分析」と「インタビューや街頭演説などの報道」との違いすらご存じないようだ。はっきり言えば、朝日新聞が7日朝刊2面に掲載した「調査結果分析」なるものは、単なる「数字の説明」に過ぎないということだ。もちろんそれ自体としては無味乾燥な数字の説明は必要だが、数字に表れた国民の総意を解明することを「分析」という。そのくらいのことは新聞記者なら心得ておいてほしい。
 また朝日新聞の「分析」は公明や「みんな」の躍進について全く触れていない。朝日新聞は公明や「みんな」を泡沫政党と考えているのだろうか。お粗末な「分析」としか言いようがない。
 ではこの調査結果について社説ではどう主張しているかが気になる。社説は「分析」でも「報道」でもなく、新聞社としての主張であり、今回の選挙の意味付けをする場でもある。社説では「まだまだ流動的な要素は多いが、驚きの数字である」という書き出しで、こう分析(※カギカッコは必要ない)している。
「本紙の調査では、投票態度を明らかにしていない人が小選挙区で半数、比例区で4割に上る。(中略)どの政党を、どの候補を選べば政治は良くなるのか。悩み、迷っている有権者の姿が浮かび上がる」「(政治に対する無関心層の増加の)最大の責任が、3年前、あれだけの巨大議席を与えられながら、今の政治の閉塞を招いた民主党にあるのは明らかだ」 
 それはその通りだが、野合政権がたどった道はすでに細川内閣のときに経験している。政権党の民主党自体が15ものグループ(あえて言えば小政党のようなもの)を抱えた野合政党だった。国会議員数からいえば小沢グループが最大だったが、民主党の最大の支持母体である連合をバックにし、しかも小沢氏が離党した後民主党に残った旧小沢チルドレンをまとめた輿石幹事長が民主党の事実上の実権を握り、肝心の野田総理が身動き取れない状況に陥ったことが政治の混迷を招いた最大の要因であったことを指摘すべきだった。
 いま政局を左右するのは無党派層だと言われる。その無党派層が前回の総選挙で民主党を支持したものの、結果的に期待が裏切られ「行き場を失った有権者の消極的な支持」(社説)が自民党に向かわざるを得なかったという分析はその通りだと思う。
「有権者が今、政治に望んでいるものは何だろう」「調査では、日本の政治に求められているのは『政治の仕組みを大きく変えること』か、『今より政治を安定させること』かも聞いた」「36%が前者を選び、54%が後者を選んだ」
 なぜか。その解明をしてほしかった。
 55年体制を崩壊させたのは無党派層である。彼らは政治の変革を求めた。その結果誕生したのが野合政権の細川内閣だった。初めて政権の座から滑り落ちた自民党は55年体制の対立軸だった社会党と連立して村山内閣をつくり、なりふり構わぬ「禁じ手」で政権の座に返り咲いた。結果的にはこの時の自社連立政権の成立が日本社会党の分裂を招いた。村山が、日本社会党の反自民の最大級のアイデンティティだった日米安保条約をあっさり認めてしまったからだ。
 その後自公連立政権が長期にわたって続いた。同じ政権が長期にわたって継続すると、政権内部から腐食が生じ、加速度的に進行していくことは世界の歴史が証明している。無党派層は、そういう状況に敏感に反応する特性がある。それが再び頂点に達したのが前回の総選挙だった。
 細川内閣の誕生は、ある意味では偶然の産物だった。たまたま自民党が単独過半数を割った結果、急ごしらえで作られた寄合所帯の政権だった。細川が設立した日本新党は、この寄合所帯の中では相対的多数派でもなかった。「毒にも薬にもならない」お殿様の細川なら何とかまとまるだろうと考えた小沢の画策で誕生した内閣だった。だが、寄り合い所帯の政権を運営すべきノウハウは長期にわたって55年体制が続いた日本には蓄積されていなかった。結局細川は「消費税を廃止し、国民福祉税を創設する」という思い付き的政策を根回しもせずに発表し、それが総理の女房役ともいうべき武村官房長官から一言のもとに拒絶され、それに嫌気がさしたのか政権をさっさと放り出してしまう。
 その後は、自社政権を経て自公連立政権が誕生したが、やはり長期化すれば内部から腐食が進行していくことに反発した無党派層がやはり寄り合い所帯の民主党政権を誕生させたということだ。が、先に述べたように民主党そのものが寄り合い所帯に過ぎず、総理も3年間で鳩山→管→野田と短期間で交代し、政策もころころ変わるような政権に無党派層がそっぽを向いたというのが総選挙序盤戦での「自民優勢」という結果に現れたのだろう。
 無党派層の無党派層たるゆえんは、この世論調査の結果を見て、自民を大勝させるのもどうか、と態度をコロッと変えかねないことである。あまり早くに「自民優勢」の風が吹くと、自民にとってはかえって逆風にひっくり返りかねないことも計算しておく必要があるだろう。
「アナウンス効果」という言葉がある。様々な社会現象に見られることで、例えば「いじめ自殺」が大きく報道されると、我も我もと「いじめ自殺」者が出たり、一時「流行った」ネットで自殺願望者を募り、見知らぬ人同士が練炭自殺をした事件もアナウンス効果の一つである。
 このアナウンス効果が最も影響するのが選挙である。先に述べた2例は同調者が続出するケースだが、選挙においては相反する二つのアナウンス効果があるとされている。
 ひとつはある候補者が当落線上で苦戦していることが大きく報道されると、同情票や激励票が集まるケースでアンダードッグ効果(負け犬効果)という。今回のように自民圧勝という調査結果が報道で発表されると、「勝ちすぎは良くない」という心理が国民の間に働いて、無党派層の支持が対立軸の政党に流れるケースもアンダードッグ効果である。
 もう一つは小泉郵政解散に現れたように「郵政民営化」派が優勢と伝えられると、雪崩現象的に郵政民営化支持の自民党候補者に票が集中するといった現象で、バンドワゴン効果(勝ち馬効果)という。
 今回の調査結果について「みんな」が予想外の大健闘をしていることが大きく報じられ、その理由が第三極として位置づけられてきた「維新」や「未来」から執拗に合流を誘われても、「基本的政策の一致がなければ野合になる」と、あくまで政治の王道を歩んでぶれることがなかったことが大健闘の理由として分析され報道されると、いっきに「みんな」フィーバーが生じる可能性もある。
 実は、しばしばみられるのはアンダードッグ効果とバンドワゴン効果が交互に現れる現象である。アメリカ大統領選でも現職のオバマ大統領と対抗者のロムニー候補の優劣はテレビでの公開討論で二転三転したことは皆さんもご存じだろう。数度にわたったテレビ討論の直後に行われた世論調査では最後の最後まで接戦が予想されたが、結果はオバマの大勝で決着した。これはアンダードッグ効果とバンドワゴン効果が交互に作用した典型的なケースである。
 今回の総選挙での序盤の世論調査では自民大勝の予測結果が出たが、朝日新聞論説委員が社説で分析したように「行き場を失った有権者(※無党派層)の消極的支持」だったとすれば、次回(中盤)の世論調査では一転自民支持層のかなりが反自民層に変わる可能性はかなり高いと思われる。つまりアンダードッグ効果が働くわけで、この作用が大きすぎると今度は自民にとって有利なアンダードッグ効果が生じる。序盤戦での自民優勢のアナウンス効果が、アンダードッグ効果を生むか、それとも自民に追い風のバンドワゴン効果が作用するかは、ふたを開けてみなければわからない。
 
 なお前回のブログでお約束したTPP問題は次回に書く。ご容赦願いたい。

「脱(卒)原発」がなぜ総選挙の最大の争点になるのか !?

2012-12-06 04:48:18 | Weblog
 12月4日公示、16日投票の総選挙で「原発問題」が最大の争点になっている。朝日新聞の調査・分析によれば、11月22~28日の1週間に総選挙関係のつぶやき(ツイッタ-)約84万件のうち原発関係のつぶやきが11万件余と圧倒的に多く、TPP関連、憲法関連、経済政策関係、消費税問題、日中・日韓問題などを3倍以上上回ったという(11月30日付朝刊1面)。いま政治が解決しなければならない課題は山ほどある。なのに、なぜ原発だけがクローズアップされるのか ?
 はっきり言えば、自民が優勢な状況下において、反自民の合言葉になるのが「脱{卒}原発」しかないと自民以外の政党(10を数える)が考えているからだ。
 自民支持者も原発がなくても日本国民の生活や産業界の国際競争力に影響がないというなら「脱原発」を支持するだろうが、次期政権与党がほぼ確実視されている自民としては無責任な「脱原発」を公約にするわけにはいかないのは当然である。
 問題なのは現政権党の民主である。前回の総選挙でバラ色の夢をばらまいて自公連立政治にうんざりしていた国民の支持を集めて政権の座についたが、マニフェストのほとんどが「絵に書いた餅」に過ぎなかったことを「見通しが甘かった」と国民に謝っていながら、選挙になったら手の平を返すように30年代には原発ゼロにするといった、再び「絵に描いた餅」をマニフェストで謳うのはどういうことか。
 日本列島を取り巻く海底は複数のプレートが複雑に絡み合って、いつ東日本大震災のような大地震が起きるかわからないことも事実だし、火山大国で日本列島には活断層が縦横に存在するわが国は、原発立地としてはきわめて不適な環境であることは私も否定はしない。
 そういう意味では私も1日も早く原発を必要としない国になることを望んではいる。だが、現状では、原発をゼロにするということは、国の形を変えること以外に方法がないのも事実である。
 現在の日本という国の形は、諸外国に比べ相対的に高いエネルギーコストに苦しみながら、世界の最先端を行く省エネ・省力の技術力でかろうじて「ハイテク立国」を維持しているのが偽らざる実態である。その「国の形」を変えるということは、電力消費が大きいハイテク工業立国への歩みをやめて、ほかに活路を見出すしかないということを意味する。他の活路としていちおう考えられるのは第三次産業立国(情報通信・金融・運輸・小売り・サービス・観光など非物質的生産業)への転換だが、この分野では日本は現在でも世界の先進国にかなり後れを取っており、それに失敗すると第1次産業国、つまり農業・水産業・林業などを中心とする「発展途上国」に後退するしかなくなる。そうなれば日本のGDPも大きく下がり、食糧自給も可能になれば、時間当たり労働賃金も「発展途上国並み」に下がり、高度な技術的基盤はあるのだからエネルギー消費の少ない工業分野では世界の工場として、ある程度の経済復興も可能になる。そういう「国の形」を国民が総意として選ぶのであれば、それはそれでもいいと私は思っている。
 日本という国がそういう状況にあることを前提にして、仮に現時点で原発の稼働をすべてストップしたらどうなるか、を考えてみよう。
 ちょっと データは古いが、2008年の発電エネルギー源構成と、同年度版の経産省『エネルギー白書』によれば、1kwh当たりの発電コストは以下のとおりである(ただし、この構成比と1kwh当たりコストは全電力会社11社の平均値)。
① 石 油  12.9%   10.0~17.3円 (単純平均単価:13.65円)
② 石 炭  26.8%    5.0~ 6.5円 (同:5.75円)
③ LNG  26.3%    5.8~ 7.1円 (同:6.45円)
④ 原子力  24.0%    4.8~ 6.2円 (同:5.5円)
⑤ 水 力   3.0%    8.2~13.3円 (同:10.75円)
⑥ その他   7.0% 
この発電エネルギー源構成とそれぞれの単純平均コストを前提に、日本の発電所の平均発電コストを計算してみよう。ただし、四季が明確にある日本の場合、発電量は季節によって大幅に異なる。そこで1kwhの発電量の平均を基準にして計算してみる。
① 石 油  13.65×0.129=1.76円
② 石 炭   5.75×0.268=1.54円
③ LNG   6.45×0.263=1.70円
④ 原子力   5.5× 0.24 =1.32円
⑤ 水 力  10.75×0.03= 0.3円
 ⑥の「その他」の計算はやや面倒だが、根気よくやれば小学生でも単純平均コストの計算はできる(なぜか一流大学を卒業している大新聞社の記者にはこの計算ができない)。
 「その他」には11も発電方式があるが、それぞれの発電シェアは不明なので、すべてを合計しても全発電量の7%しか占めていないため、それらの発電コストの単純平均を基に計算することにする。ただし太陽光発電は最低でも11の発電方式の約50%は占めていると想定できるので、それを加味して単純平均コストを計算する。
では、その他(主に再生可能な新エネルギー)のそれぞれの発電単価(1kwh当たり)はどうなっているのか。
① 太陽光  46円
② 風力  10~14円(単純平均12円)
③ ソーラーシステム  6~7円(同6.5円)
④ 太陽熱温水器  4~5円(同4.5円)
⑤ コージェネレーション産業用  9~10円(同9.5円)
⑥ コージェネレーション民生用  15~20円(同17.5円)
⑦ 産業廃棄物発電  9~15円(同10.5円)
⑧ 産業物熱利用  8~12円(同10円)
⑨ 温度差エネルギー  8~12円(同10円)
⑩ 地熱  21円
⑪ 燃料電池  28円
 「その他」の中で太陽光は0.5kwh当たり23円を占める。太陽光以外の発電方式のコストは、
(12+6.5+4.5+9.5+17.5+10.5+10+10+21+28)÷10=12.95円。
したがって0.5kwh当たりのコストは12.95÷5≒2.6となり、これと太陽光の発電コストを加えると 2.6+23=24.6円 というのがほぼほぼ正確に近いコストとみていいだろう。
 つまりたった7%の発電をするのに「その他」の発電コストは24.6円もかかるのだ。「脱(あるいは卒)原発」を実現するには原発発電をすべて「その他」の再生可能な自然エネルギーで補う場合、1kwh当たりの発電コストは
 原発コストの  5.5×0.24=1.32円 が、 
 「その他」コスト  24.6×0.24=5.88円 に膨れ上がってしまう。
 その差はなんと 5.88-1.32=4.56円 にもなるのだ。
たかが4.56円と言うなかれ、これはたった1kwhの発電コストの増大料金なのである。このデータは経産省が発表している2008年度のものだが、高野雅夫・名大准教授によれば2009年の10電力会社(原発を持っていない沖縄電力を除く)の年間総発電量は957Twhで、うち原子力発電量は278Twhだったという(データは電気事業連合会が発表したものによる)。1Twhは10億kwhだから、この原子力発電量を太陽光など他のエネルギー源(石油・石炭・LNG・水力を除く基本的には再生可能な自然エネルギー)で代替するとすれば、発電コストはなんとなんと 4.56×2780=1兆2676億8000万円 余計にかかることになる。
 国勢調査によれば2010年10月1日現在の日本総人口(日本在住の外国籍の人も含む)は約1億2800万人だから、一人あたりの負担増は年に 12676.8÷1.28≒9900円 も増えることになる。4人家族だと 3万9600円 の負担増になる。
 「脱{卒}原発」を公約(あるいはマニフェスト)で謳っている政党はこうした小学生でもできる計算をしたうえで主張されているのでしょうかね ?
 すでに述べたように私自身原発のない日本を望んでいる。それは私だけでなく、原発建設や建設後のメンテナンス工事で潤う原子力ムラの大企業の経営者を除けば、電力会社の人たち(経営者以下全社員を含め)ですら、おそらく望んでいることだろう。だが、これだけの負担増に日本国民や産業界が耐えられるかどうか。日本の場合、電気料金体系は家庭用は国の認可が必要だが、産業用は原則自由化されている。しかしネットで得られる情報には限度があり、建前として家庭向けの電気料金は低めに抑えられているようだが、産業用のエネルギーコストの増加分は結局商品価格に転嫁されるわけだから、家庭用、産業用と料金体系が分けられていても、原発を廃止した場合、最終的に日本に住む人の負担増は以上のような結果になる。
 再生可能な自然エネルギーの大本命と期待されている太陽光発電の問題はコストだけではない。「寿命」と「経年劣化」「性能(発電効率)の向上」が、歴史が浅いだけにまったく不明なのだ。まったく無名のベンチャー企業が長期保証を宣伝しているが、大企業ならともかく、吹けば飛ぶような規模のベンチャー企業の保証など安易に鵜呑みにするわけにはいかない。大企業だったら逃げ出すわけにはいかないが、いざとなったらベンチャー企業など儲けるだけ儲けたら、長期保証が単なる紙切れに過ぎなかったことが判明した途端、さっさと逃げ出してしまうのは目に見えている。公取委が、こうした詐欺まがいの宣伝を放置しているのが解せない。「長期保証できる、データに基づいた科学的根拠の提示」を求めるべきだ。もっとも、そんな根拠などありっこないのだ。あったら、大企業がとっくに情報開示している。
 わかりやすいケースで説明しよう。ガソリンエンジンというと、まず思いつくのは自動車である。ガソリンエンジンを使用する機器はほかにもいろいろあるが、自動車に使われなければ技術の進歩は遅々として進まなかったであろう。
 実は最初の自動車は1769年にフランス人のニコラ・ジョセフ・キュニョーが発明した蒸気自動車である。皆さんもご存じのように蒸気機関は産業革命の立役者だった。列車の歴史も蒸気列車から始まっている。キュニョーが蒸気自動車を発明して約100年後の1870年にユダヤ系オーストリア人のジークフリート・マルクスが世界で初めてガソリン車を発明した。以来142年間にわたりガソリン車はさまざまな技術革新が行われてきたが、実はこれほどの年月をかけても燃費の向上は遅々として進んでいないのが現実である。
 「熱勘定」という言葉がある。燃料が燃焼する際の熱を100%とした場合、その熱がどのように使われるかを示す言葉のことだ。ウィキペディアからガソリンエンジンの熱勘定の一例を引用する(実際にはエンジンの性能差や動作環境によりこの割合は異なる)。
① 燃焼時の全エネルギー   100%
② そのうちの有効仕事    20~30%
③ 機械的損失        5~10%
④ 放射損失         1~5%
⑤ 排気損失         30~35%
⑥ 冷却損失         30~45%
 エンジンでガソリンを燃焼させた場合、③~⑥の損失が生じるため、燃焼時の全エネルギーの20~30%しか有効に使われていないのである。140年以上かけてもガソリンエンジンの有効活用率はこの程度なのだ。そのことを考えると、太陽光発電に原発の代替を期待するのはほとんど不可能と言ってもいいだろう。現に、先進国の中でいち早く「脱原発」政策を世界に向かって宣言し、太陽光エネルギーに依存する体制をいったん確立したドイツは、完全に太陽光エネルギー依存政策が破たんした。「脱{卒}原発」を主張している政党はその事実を知りながら、国民に知らせず「脱{卒}原発」を選挙運動の看板に掲げている。そんな政党に、ドイツの政策破たんを知っている国民は貴重な1票を果たして投じるだろうか。
 ドイツの失敗をご存じない方のために、なぜドイツが失敗したのかお知らせしておこう。ドイツのGDP(国内総生産)は、アメリカ、中国、日本に次ぐ第4位。EU加盟国では最大の経済力を有する。第1次産業である農業・林業・鉱業の生産高はGDPのわずか1%前後に過ぎない(国土の大半が海に面していないため水産業はほとんどない)。食料自給率は90%と極めて高いが、農業従事者の大半は旧東ドイツ人で、旧西ドイツの高度な農業生産技術を導入した結果生産性は極めて高く、全産業に占める農業人口比率は2%を切っている。
 ドイツ経済の主要産業は工業で、主な分野は自動車・化学・機械・金属・電気製品などである。日本と同様、特に科学技術力に優れ、ガソリンエンジンやディーゼルエンジンを発明したのはドイツ人、現在宇宙ロケットの主流である液体ロケット{スペースシャトル・ソユーズ・アリアン・H‐ⅡA}は戦時中にナチスが開発したロケット技術が基礎となっている。当然エネルギー消費量も多く、世界で5番目、しかもその2/3は輸入に頼っている。
 日本が食料自給率を高めるのに必死になっているのと同様、ドイツはエネルギー自給率の向上に力を注いできた。その結果「脱原発」の手段として力を入れたのが太陽光発電だった。ドイツは太陽光発電産業を育成するため全量固定価格買い取り制度を設けたが、その結果電力料金が高騰し、またドイツ最大の太陽光発電メーカーが中国製品との価格競争に負けて倒産、産業育成政策が失敗に終わったため太陽光発電の買い取りは、結局中止に追い込まれた。
 日本もドイツの失敗の経験から経産省が09年2月には1kwhあたり48円の固定価格買い取り制度を見直し、初期投資の回収年数を10年程度に短縮することを決め、さらに発電効率の向上を見込み(ただし机上の計算。つまり科学的根拠は全くない、単なる期待)、11年度に新たに設置した太陽光発電の買い取り価格を42円程度に大幅ダウンすることにしている。だが、ガソリンエンジンの有効活用率が140年以上かけてもやっとガソリン燃料の有効活用率が20~30%にとどまっていることを考えると、太陽光の全エネルギーをどれだけ電力に有効変換できるか、見通しは決して明るくないと言わざるを得ない。結局、太陽光発電の全量買い取り制度の廃止に追い込まれるのは、ドイツの例から見ても時間の問題である。「国が全量買い取りを約束しているから安心」などという太陽光発電装置の販売に総力を挙げている量販店の営業マンの口説き文句を間に受けていると痛い目にあうのは消費者である。
 冒頭で述べたように、安易に「脱(卒)原発」を公約(マニフェスト)に謳うことは、日本の将来に対して無責任極まりない主張なのである。概して公約(マニフェスト)は、政権の座から遠い政党ほど非現実的な夢物語を語り、国民に「約束」して1票でも増やそうとする傾向が強くなる。総選挙で一躍「争点」になってしまった原発問題について11党首討論会(11月30日)での主な政党代表者の主張(要旨。したがって発言内容が事実と異なっていた場合の全責任は朝日新聞にある)を12月1日付朝日新聞朝刊から転載する。

自民党・安倍総裁 昨年の原発事故を我々は真摯に受け止めた。安全神話に寄りかかってきたことについては、反省しなければならないし、私たちに責任がある。その一方で、なぜ我々は原発を選択したのか、1973年の石油ショックで、自前のエネルギーを持っていないという、命にもかかわる経験をした。以来安くて安定したエネルギーとして原発を推進した。中国なども原発稼働を続ける中、日本だけが原発を止め、もし事故が起こった時、大丈夫なのか(※この発言にある「もし事故が起こった時」とは何を意味するのか、意味不明。朝日新聞の記者の発言要旨のまとめ方に問題があると思われる)。使用済み核燃料の最終処分という世界的課題もある。この課題にも日本は貢献するため、技術者の確保・育成をする必要がある。未開発の再生可能エネルギーにすべて依存するわけにはいかない。だが、そのためのイノベーションが起こるべく、我々はこの3年間、国家資本を集中投入していく(この発言要旨には問題がある。その点は後述)。
民主党・野田総理 民主党は2030年代に原発ゼロを目指し、そのためにあらゆる政策資源を総動員する。この方向性は閣議決定しており、これを着々と進めたい。(自民党が公約に掲げる)今後10年間立ち止まって考えるというのは、「続原発」だ。昨年の原発事故を受け、今の国民の皆さんの声と覚悟は「原発は将来ゼロにする。稼働させない」ということだ。これを受け止め、現実的な施策を推進していかなければならない。廃炉に当たっては、逆に技術や人材も必要だ。国が責任をもってその努力をしていかなければならない。
日本維新の会・石原代表 電力を食う、基幹産業の利益が減る可能性も想定する必要がある。エネルギーをどう配分するかも考えずに原発を全廃すると言っても一種の願望だ。(「原発を2030年代までにフェードアウト」とした維新の公約で)日本が核保有オプションを失うことは困る。(※副代表で実質的に維新を立ち上げた橋下副代表との温度差が明確化した発言。維新が野合政党であることの明白な証拠) 
日本未来の党・嘉田代表 原子力安全神話の中で、国、経済界、電力事業者の三位一体で「原子力ムラ」の構造をつくったことが、今回の原発事故の遠因となった。手塩にかけて育てた牛を手放し、ふるさとを追われ、命の不安におびえる福島の人たちに、自民党はいかに謝罪し、どう責任をとるのか。私たちが示す「卒原発」プログラムは、エネルギーのベストミックスをどうつくるか、ということだ。一つは(エネルギーの)総量を節約することだ。それから同じ生産品をつくるのでも効率化を進めること。そして原子力以外の代替エネルギー、効率的なエネルギーの仕組みを提案していきたい。

 この4党の中で、最も現実的な政策を述べているのは、やはり次期政権が事実上約束されている自民・安倍氏だ。原発依存度を低めていくため再生可能エネルギー開発に3年間、国家資本を集中投下していく、と表明している。「3年間」と期限を区切っているのは多少気になるが、3年間は国の総力を挙げて再生可能エネルギーの事実上の実用化の可能性の見通しを探る期間という意味ではないか。つまりコスト的に許容できるレベルまでの期間と投下資本の見通しを付けることができれば、4年目以降も実用化レベルに達するまで国家資本を集中投下する、と解釈するのが妥当だろう。
 維新・石原氏も参議院議員1期、衆議院議員8期(その間、環境庁長官、運輸大臣を歴任)、東京都知事を3期(4期目半ばで国政に復帰すべく新党・太陽の党を立ち上げたのち維新に合流)という輝かしい政歴と責任ある立場についてきただけあって、やはり現実的な主張を展開している。ただ「基幹産業の利益が減る」と言う発言は一般国民の反感を買いかねない。そこは「基幹産業がどんどんエネルギーコストの安い海外に逃げ出し、産業の空洞化と技術開発力の喪失、失業率の増大につながる」と主張すべきだったと思う。この人はプロの物書きでありながら、文章を書く時の言葉の使い方の慎重さが、発言の場になると失われる傾向がしばしばみられる。こうした「失言」で国民の反感を買ったら、せっかくの正論が却ってあだになる。気をつけていただきたい。
 民主・野田氏は、短期間ではあったが総理を務め、連合系の輿石幹事長と党の主導権争いを演じ、最後の最後の土壇場で主導権を輿石氏から奪い取っただけあって、それなりに見識ある主張をされたと思う。ただ2030年代に原発ゼロを目指すというのは、脱原発グループの中では多少現実性を帯びるかに見えるが、その根拠が定かでない。2030年代までは最大でも26年間の余裕しかない。太陽光発電の技術開発が飛躍的に進んで事実上の実用化レベルの発電コスト(原発並みとまではいかなくても最低火力発電並み)に達した途端、需要は一気に世界中に広まる。世界の各国が日本だけを特別扱いしてくれるわけもなく、また第一26年間で実用化レベルの発電コストに到達するかどうかも不明だ。太陽光発電の実用化にはブレークスルーしなければならない大きな課題がいくつかあって(後述する)、ただ一見「現実」そうに見える期限の設定は詐欺師のやることだ。
 未来・嘉田氏の主張については馬鹿馬鹿しくて論評のしようがない。ただひたすら小学生並みの作文に相当する愚劣極まる「工程表」なるものを、何の科学的根拠もなくでっち上げただけのものでしかない。こんな「工程表」を一体だれが信じると言うのか。ま、「死に体」になった「小沢の声が第一」なる政党(これはジョークではない)をでっち上げた小沢一郎くらいなものだろう。総選挙での未来の当選者が二桁に乗ったら「奇跡」である。と同時に私は日本国民の民度に対する見方を大きく変えなければならなくなる。

 太陽発電システムの研究開発をコツコツ始め、黎明期の第一人者として一時マスコミからもてはやされたのは三洋電機・機能材料研究室長(当時)の桑野幸徳氏である。のち同社代表取締役を経て太陽光発電技術研究組合理事長に就任する。桑野氏が太陽光発電の研究に取り組みだしたのは80年代に入ってから。機能材料の研究を任され、海のものとも山のものとも分からない太陽光電池の研究に取り組み、世界で初めて集積型アモルファスシリコン太陽電池の工業化に成功し、科学技術庁長官賞などを受賞している。桑野氏は三洋電機で一貫してアモルファス(非結晶)半導体の研究だった。が、電機メーカーだったということもあり、当初は電子デバイスへの応用しか考えていなかったという。とうとう壁にぶつかり、「研究対象を変えたい」と当時の研究室長・山野大氏に相談に行ったところ、「研究目的をエネルギー素材に変えて見ろ」というアドバイスを受け、それが彼の発明につながったという。(このエピソードはウィキペディアを隅から隅まで調べても載ってまへんでぇ)
 一方、太陽光発電装置に欠かせないのが小型大容量の蓄電池である。その大本命と目されているのが(現時点では)リチウムイオン電池である。これも実は日本人が発明している。発明者は現在旭化成フェローの吉野彰氏。吉野氏は1981年にノーベル化学賞を受賞した白川英樹氏(筑波大名誉教授)が発見した導電性高分子ポリアセチレンの応用研究の過程で、この物質が2次電池のマイナス電極として使えることを発見、その後ポリアセチレンの代わりに炭素材料を使用し、プラス電極にはリチウムイオン含有金属酸化物を用いて発明したのがリチウムイオン電池である。現在私たちの身近な製品としては携帯電話(スマホを含む)やモバイル、電動アシスト自転車等のバッテリーとして広く利用されている。充電タイプの蓄電池としては現在もっとも性能面で優れているが、経年劣化が激しく(たとえば電動アシスト自転車の場合、通常5年が寿命とされている)、また太陽光発電用の蓄電池としては最低でも寿命を20年くらいに延ばすこと、また小型化、大容量化が普及のための大きな開発課題になっている。
 以上述べたように太陽光発電が原発に代替できるようになるにはかなりのブレークスルーが必要で、安易に再生可能な自然エネルギーに頼るというのは政党として無責任すぎる。「脱原発」を主張している政党で、ゆいつ再生可能な自然エネルギーへの幻想を振りまいていないのは「みんなの党」だが、「みんな」が公約で謳っている代替エネルギーのLNGは、なぜか日本は欧米に比べ輸入価格がべらぼうに高く、「脱原発」の主役と位置付けた途端、足もとに付け込まれ、さらに輸入価格が高騰する可能性も否定できない。またLNGを原料とする場合、当然発電方法は火力発電ということになり、排ガス対策が重要になる。自動車関係の排ガス対策は法規制の強化もあって技術的にもかなり進んできたが、火力発電の排ガス対策はまだ全く手を付けていない。というより、手の付けようがない、というのが現実である。京都議定書の提唱国としては90%以上の発電方法を火力に頼るというのはいかがなものか、という感じがする。

 以上述べてきたように、原発問題はこの総選挙では本来争点になりえない問題である。もっと喫緊の課題で「日本という国の形」を決めなければならない、待ったなしの大きな問題がある。TPP(環太平洋経済連携協定)交渉に参加すべきか否か、参加する場合、例外なき関税障壁の撤廃を認めるか、あるいは条件付きでとりあえず交渉に参加するか、それこそ、今直ちに国民の総意を問うべき問題が、全く争点になっていないのはどういうわけか。
 TPP問題は次のブログで書く予定だが、なぜ原発問題が最大の争点になってしまったのか、の分析をして今回のブログを終えたい。自民党を除いて他のすべての政党が多少の温度差はあれ「脱(卒)原発」を公約で謳い、しかも最大の争点にしたのには、当然それなりの理由がある(自民と連立している公明党すら「脱原発」を公約で謳っている)。
 最大の理由は、自民との対立軸にするのに最もわかりやすいという点である。原発を国策としてきた自民に対し攻勢に出ることができるのは、福島原発の大事故が、票をかき集めるためには最も手軽な方法だったというだけのことだ。本気で「脱(卒)原発」を実現しようと言うのであれば、ドイツの脱原発政策が事実上破たんした原因を徹底的に分析し、ドイツの二の舞を踏まない工程表を作成しなければいけない。「工程表]らしきものをいちおう明らかにしたのは「未来」だけだが、エネルギー問題についての籐四郎(とうしろう。素人のこと)が科学的根拠を一切示さず(示しようがない、というのが真実)、砂の上に楼閣を築くがごとき手法ででっち上げたものでしかない。
 二つ目の理由は、国民の最大の関心事になってしまったという点がある。他党がいくら自民との差別化を図ろうと頭をひねっても、肝心の国民が関心を持たない問題で差別化を図っても空振りに終わってしまう。このブログの冒頭で述べたように原発問題が総選挙での国民の最大の関心事になったということは、自民以外の政党にとってはもっけの幸いというわけだった。自民以外の政党が「脱(卒)原発」を総選挙の最大の争点にできたのはそういう面もあった。こういうのを「ポピュリズム(大衆迎合)政策」という。
 最後にデフレ不況脱出策として各政党が足並みをそろえて主張しているのは(不況脱出策を謳っていない政党もあるが)、相も変わらずケインズ経済理論である「公共工事と金融緩和によるインフレ政策」である。ケインズがこの不況脱出策を唱えたのは、まだ一国経済が主流(もちろん輸出入は多少あったが)だった時代で、現代のように大国家、大経済圏の不況がたちまち全世界に波及する時代においてはケインズ政策はほとんど効力を発揮しえない。日本の現状において金融緩和と無意味な公共工事に不況脱出策を頼ると、残るのは膨大な財政赤字だけで、その結果悪性インフレが発生することは目に見えている。ここは国内経済政策でデフレ不況を退治しようなどと考えるべきではなく、EUの経済危機をアメリカや中国など比較的堅調な経済運営を保っている諸国と共同でEUにてこ入れすることを最優先すべきである。EUが立ち直れば、自然に日本のデフレ不況も脱失に向かう。政治家は経済学者である必要はないが、金科玉条のようにケインズ理論に寄りすがるのはもうやめた方がいい。そのくらいの見識は持っていただかないと、今の政治家に日本の未来を託すことはできない。
 

11月30日投稿のブログ記事について

2012-12-02 09:31:53 | Weblog
 11月30日に以下のタイトルのブログを登校しました。
  
  橋下「日本維新の会」が初心を捨てて石原新党と合流した理由

 このブログは前編・後編の2部構成になっています。私のブログをお読みいただくと、まず前編が出てきます。実は後編は先に投稿していました(同じ30日)。
 そのことを前編の末尾に注意書きすべきだったのですが、忘れてしまいました。
 前編・後編の順に投稿しますと、まずあらわれるのは「後編」のほうです。いったい「前編」はいつ投稿したのかと戸惑われる方が多いのではないかと勝手に思い込み、先に「後編」を投稿し、続いて「前編」を投稿するようにしています。
 今後同じテーマについて複数のブログを同時投稿する場合、投稿の順序を逆にしていることを必ず末尾に書くようにします。
 今回はご迷惑をおかけしました。お許しください。