来年10月1日から消費税が10%に増税されることが決まった。ただし、与党の一角を占める公明党の強い要望によって8%に据え置かれる商品もある。飲食料品の大半と週2回以上発行される定期購読の刊行物(新聞)だ。いまメディアとくに民放テレビ局は、8%に据え置かれる飲食料品のイートイン問題について連日、バカみたいに、かつ大真面目に報道している。
しかし、この軽減税率制ほど国民を愚弄した税制はない。
いかに愚弄しているか。そのことを明らかにする前に、私自身の消費税増税に対する基本的スタンスを明らかにしておく。
私は消費税増税に基本的には反対ではない。多少消費は下向くだろうが、少子高齢化に歯止めがかけられない中で社会保障費が突出して増大していくことは避けられず、何らかの税増収を図るか、歳出を削減するかの工夫をしなければ、日本財政はいずれ間違いなく破たんする。
だが、本来は税体系全体の見直しと、歳出の見直しの中で消費税をどう位置付けるかの「税哲学」の確立がまず必要なはずだ。だが、本来は政府の政策を社会的弱者の立場からチェックすべきメディアが、肝心の牙を政府の優遇処置によって完全に抜かれてしまっており、その結果、飲食料品の扱いだけにメディアの関心が向かっている。メディアもまた国民を愚弄する側に入ってしまったと言える。戦中の、あの暗黒の時代を想起せざるを得ない。
いかなる政策も、メリットだけではない。必ずデメリットも伴う。たとえばリスクを伴う金融商品の販売については、メリットの強調だけでなくデメリット(リスク)の開示が義務付けられている。義務付けたのは、もちろん政府だ。
なのに政府は、国会に法案を提出するに際して、メリットしか言わない。デメリットに関しては、野党が国会審議の場で追及すればいいと考えているのか。
それはそれで一つの考え方ではあると思う。しかし、政府は法案の策定過程において与党内でさんざん議論し、メリット・デメリットを洗い出したうえで最終的に法案として策定して国会に提出する。重要法案についてはメディアが作成プロセスの一部を報道することもあるが、それは法案に疑問を持つ与党議員からのリーク情報に基づくことが多く、問題点の一部でしかない。
ちょっと本筋から離れるが、橋本内閣が消費税を3%から5%に増税したとき内税方式の価格表示を義務付けた。が、安倍内閣が8%に増税したとき、その縛りを外した。そのため零細商店は別にして、多くの大手小売業者(デパート、スーパー、コンビニ、チェーンレストラン、量販店など)は本体価格(税抜き価格)と税込み価格を両方表示することにした。で、おかしなことが生じているのだが、だれも指摘していない(私はブログでかなり前に指摘したのだが、主要メディアはなぜか無視している)。
買い物をする場合、ほとんどの消費者(99.999…%と言ってもいいだろう)は自分が支払う金は個々の商品の税込み価格の合計だと思っているが、実は違う。本体価格の合計に消費税率をかけているのだ。計算方法によって結果にどういう違いが出るか、簡単なケースで証明する。
本体価格が1個98円の商品を例にとる。その商品の価格は【本体98円(税込105円)】と表示されている(1円未満は切り捨てのため)。が、その商品を2個買うとレジが計算する消費者の支払価格は【105×2=210円】ではない。【98×2×1.08=211円(1円未満切り捨て)】である。私は別に小売店に嫌がらせをしたいわけではないが、たまたま1円玉がないときは「別々に支払う」ということがある。そうすると税込105円の商品を別々に支払うのだから、私は合計で210円支払えばいい。しかも買い物袋不要の場合、1円か2円分のサービスする店もあるから(ポイント付与)、別々に会計するとレジ袋不要のサービス・ポイントも2倍になる。ウソだと思ったらスーパーなどで試してみたらわかる(ただし、私がそうした「矛盾」を指摘した某スーパーは税込み価格を「約」と表示し、しかも1円未満切り上げで表示するようにした)。ただし某大手スーパーでは個々の商品の税込価格の合計を支払えばいい。法律で義務付けられた消費税計算方式には違反だが、差額はそのスーパーが負担して国庫に納めている。
細かいと言えば細かい話だが、この消費税計算方式は竹下内閣が消費税を導入した時に決められており、橋本内閣が5%に増税したときに内税方式にしたため、政府自ら法律を破ったことになる。そのことを野党もメディアも不問に付してきた。「恥も外聞も知らない」とはこのことか。
本筋に戻る。自民党税調と財務省・国税庁は「連立維持」を税体系の整合性より優先した結果、公明党の要求に屈して10%増税時には軽減税率の導入を決めた。公明党は、なぜ軽減税率にこだわったのか。
私は公明党が党の主要政策として軽減税率導入を位置付けた時、公明党本部に電話で聞いたことがある。そのとき本部事務局の職員は「最近、軽減税率導入はおかしいという声が多く寄せられるようになっています。そういう声はちゃんと政策意思決定部門にお伝えしますが、私の意見は言えませんのでご容赦ください」という。私は「あなた個人の意見を求めているのではなく、党の政策についての説明を聞いているのだ」と、重ねて問いかけたが、「申し訳ありませんが、私はお答えする立場にはありまんので…」の繰り返しで、「他にも電話がいっぱいかかっていますので、これで切らせていただきます」と、一方的に電話を切られた。公明党の本部事務局職員が答えられないのなら、私が代わりに公明党の軽減税率政策についての公式説明を明らかにしよう。以下に引用するのは15年12月20日付の公明新聞の記事である。この時点では消費税増税は17年4月に行われる予定だった。
買い物のたびに消費税の負担を重く感じ、財布のひもを固く締めてしまう―。そうした「痛税感」を少しでも和らげるため、軽減税率を導入します。特に低所得者ほど消費税の負担が重くなる「逆進性」の緩和が求められます。
こうしたことを踏まえ、軽減税率の対象は、生活に不可欠な食品全般(酒類・外食を除く)に加え、定期購読される新聞(週2回以上発行)になりました。これらは消費税率が10%に引き上げられた後も、8%のまま据え置かれます。
加工食品を含む幅広い食品が対象となったことで、「生きていくのに必要な食品は据え置かれる」という安心感が生まれます。また、国民に幅広い情報を伝える新聞も、活字文化や民主主義を担う重要な社会基盤であるという観点から、公明党が適用を求めていたものです。
消費税増税が決定したいま、公明党はどう考えているのか。公明新聞(今月12日付)は、こう主張して自画自賛した。
家計の負担を和らげるため、飲食料品などの税率を8%に据え置く軽減税率は、公明党の粘り強い主張で、消費税率が10%になるのと同時に実施される。
消費税の逆進性(低所得層には負担が重く、高所得層には有利に働くこと)は、政府や財務省・国税庁も否定はしない。が、飲食料品に軽減税率が導入されたら、逆進性がさらに増幅するではないかというのが私の主張であり、しばしばブログで書いてきた。最近公明党に電話をした時、「低所得層ほどエンゲル係数が高くならざるを得ない。高所得層がデパートで買うグラム3000円もするA5国産ブランド牛肉と、低所得層がスーパーで買うグラム100円程度のオージービーフの消費税率が同じ軽減恩恵を受けるということについての説明が聞きたい。高所得層は喜ぶだろうが、そういう方式で国民が納得するだろうか。私は8%増税時に行ったような低所得層への給付金の復活と、給付金制度の恒久化のほうが望ましいと思うが…」と主張した。このときは公明党職員も私の主張を認め、執行部に伝えると言ってくれたが、すでに時遅しだったのだろう。
日本の税制は戦前から直接税が中心だった。そして意外なことに戦前の累進課税制度のほうが、戦後導入されたシャウプ税制より富裕層には過酷だったようだ。戦後、日本の民主化に取り組んだアメリカは1949年、かなり社会主義的思想を持っていたシャウプ教授をはじめコロンビア大学の教授グループが中心の税制改革スタッフを日本に送り込み、派遣団は翌50年、日本政府に累進課税制度の見直しをはじめ所得税と間接税の体系を整備する勧告を行い、政府は翌51年税制改革を行った、とされている(吉田内閣)。
シャウプ税制は、戦前ほどではなかったが、やはり高所得層には過酷な累進課税を直接税(所得税)の体系としていた。戦前・戦時中は産業分野と軍事力分野で欧米列強に肩を並べるための財政強化が目的だったが、戦後の税体系は敗戦で荒廃した日本産業を民生分野を中心に復興させるための財政強化が目的とされた。
世界の奇跡とも言われた戦後の日本の高度経済成長がどういうプロセスを経て可能になったのかの検証は私が92年に上梓した『忠臣蔵と西部劇――日米経済摩擦を解決するカギ』(祥伝社刊)に譲るが、極端に要約すると、生産力の回復と消費購買力の増大がパーフェクトなまでにシナジー効果を生んだということに尽きる。その結果、国内では中流意識階層をが世界に例を見ないほど膨れ上がり、「3種の神器」「新3種の神器(3C)」に代表される購買ニーズの拡大によって日本の産業界は一気に回復・成長の波に乗った。
さらに世界を襲った石油ショックは、日本にとっては神風となり、ほとんど資源を持たない日本は産業界をあげて「軽薄短小」を合言葉に省エネ省力技術の開発に取り組み、「物まね」と世界中から揶揄(やゆ)されていた日本がたちまち技術力で世界をリードするまでになった。
その一方で、それまで高額所得層に対する厳しい累進課税の重圧に耐えてきた経済界の要請を受けて、自民党政府がシャウプ税制の緩和に乗り出し、累進課税の緩和によって生じた国税収入減を補うために導入した間接税が消費税(間接税先進国のヨーロッパ諸国は「付加価値税」)である。
この時期、日本の政府(自民党)は驚くべきでたらめ政策を行っていた。このことは経済学者もまったく指摘していないので、おそらく私が初めてだと思う。異論のある方はどしどしコメントを寄せていただきたい。まともな批判は、私は一切排除しない。時系列で検証しよう。
石油ショックが世界経済を直撃したのは1973年10月。日本も高度経済成長時代の終焉を迎えた。当時の田中内閣は高度経済成長政策の転換を余儀なくされ、11月には新幹線計画や高速道路網計画を延期(事実上の中止)、戦後世界経済の超優等生だった日本は「狂乱物価」によるハイパーインフレに突入した。不況下におけるインフレを意味する「スタグフレーション」という言葉がメディアで飛び交ったのもこの時代である。
結果的に日本産業界は総力を挙げて省エネ省力の技術開発に取り組み、危機を脱出することができた。皮肉なことに、日本は資源がなかったため石油ショックという危機を「神風」に変えることが出来たのだ。
しかし危機を脱出した日本産業界はさらに前途多難な時代を迎える。資源国であり、石油ショックの打撃をあまり受けなかったアメリカが、日本やドイツとのハイテク技術競争に敗れ、戦後初めてと言える景気後退期に入っていた。ドイツとの摩擦は自動車だけだったが、日本との摩擦は自動車、エレクトロニクス分野、鉄鋼などあらゆるハイテク分野にまたがっていた。
歴史的な出来事が、こうした状況を背景に生まれた。85年9月22日、アメリカが国際競争力の回復を求めて日独にドル安(つまり円高、マルク 高)に移行すべくニューヨークの名門ホテル、プラザホテルに日独英仏の蔵相・中央銀行総裁を集めて国際協調為替介入を要請し、やむをえず各国も同意して「プラザ合意」が結ばれた。はっきり言えば、英仏が呼ばれたのは彼らのメンツをアメリカが配慮しただけで、それ以上でもそれ以下でもなかった。アメリカが戦後、他国に頭を下げて頼んだゆいつのケースである。
その後、円高が怒涛のように進み出す。日銀総裁に澄田氏が就任したのが、こうした困難な時期に直面していた84年。プラザ会議は、その翌年だ。
日銀は当時、金融引き締め政策をとっていた。石油ショック後のスタグフレーション時代に急速に進んだインフレを退治するため金融引き締め策をとったのだが、その後、OPECがあまりにも極端な原油の生産調整は世界経済を麻痺させ、結局は自分たちの首を絞めることになることに気付き、原油価格も急落して日本経済も安定期に入っていたのだが、澄田総裁は引き締め策を継続したため、日本経済は超インフレからは脱却したものの経済活動は停滞したままだった。が、プラザ合意を受けて円高が急速に進み出したため、政府・大蔵省の強い圧力を受けた澄田総裁はプラザ会議の翌年の86年に金融政策を一気に転換、大胆な金融緩和策にかじを切り替えた。
一般には経済学者たちは、この金融緩和政策がバブル経済を招来し、澄田氏をその元凶として位置づけているが、実は違う。いまのミニバブルと共通した要素があり、そのことに経済学者たちは気付いていない。
87年11月に総理大臣に就任した竹下氏が、自民党にとって念願であり、歴代総理が何度も挑戦しては敗れてきた消費税導入だったが、88年にようやく消費税法を成立させ、翌89年4月から実施した。それも、所得税法「改悪」による税収減の穴埋めとして導入され、メディアは一斉に評価した。「高額所得者の税負担はあまりにも過酷で、働く意欲をそぐ」という竹下内閣の論法は、当時高給取りが多かったメディア関係者にとっては「たなぼた」的プレゼントでもあったからだ。
すでに述べたように消費税は逆進税制であり、高額所得者には恩恵だが、低所得者には大きな打撃となった。当時日本人の大半は中流階層意識に浸っており、テレビは一家に1台から一人1台の時代になっており、かつては「新3種の神器(3C)」として庶民の夢だったクルマも、だれにでも手が届くようになっていた。ゴルフブームは絶頂期を迎え、庶民の夢はクルマからそこそこのゴルフ場のメンバーになることに移っていった。
しかも、金融機関にとっての社会的使命も時代とともに失われていく。金融機関の本来の使命は、国民から少しずつ預金を集め、産業界の設備投資資金や運転資金のニーズにこたえることにある。が、すでに日本の産業界は金融機関の支援を必要としないほどの体力をつけており、金融機関にとっての優良な融資先は急速に減少していた。
しかも日本の金融機関は伝統的に担保主義である。日本はしばしば資本主義ではなく「地本主義(土地本位主義)」と揶揄的に言われることがあるが、土地神話(土地は増やせないから土地の価値は下がらない)が長く根付いてきたことによる。金融機関が重視したのも担保価値として確実な(?)不動産であり、優良な融資先に困っていた金融機関が飛びついたのは土地の価値をさらに高めるだろうデベロッパーや、担保価値の高い不動産所有者だった。こうしてバブル景気は、まず不動産関連から始まった。
さらに、東京の地価急騰をもたらしたのは、日本政府の「東京をアジアの金融センターにする」という未来構想(本当にそういう構想を政府が持っていたのかは不明)であり、「都心のオフイスが不足している」という根も葉もないうわさを流した長谷川慶太郎なるエセ評論家に踊らされたデベロッパーや地上げ業者だった。当時、すでに都心のビルの空室率は危険水域というほどではないにしても、オフイスの需要は十分に満たしていた。そうした事情は金融機関は百も承知だったはずだが、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の心理が働いたせいか、あるいは土地価格が高騰していたためか、金融機関は不動産関連融資に「特攻隊」のように脇目も振らずに突っ込んでいった。
これが、バブル景気を招来した発端である。さらにバブルを推進したのが、消費税導入によって余裕資金が増大した高額所得層であった。高額所得層は土地という、金融機関にとっては美味しい担保を持っており、金融機関は彼らを対象にカードローンというニュー・ビジネスを始めた。バブル期のカードローンは、現在金融機関が盛んに行っていて危険視されているカードローンとは異なり、不動産を担保に融資限度額を設定、その範囲まで出し入れ自由という富裕層限定の融資事業である。「ローン」とは名ばかりで、実際には借り入れも返済も「あるとき払いの催促なし」という融資制度であった。
そのうえ金融機関は、富裕層に対してマネーゲームの「露払い」にまで変貌していく。当時住友銀行のドンだった磯田頭取などは営業担当の社員に対して「向う傷は問わない」とまで、失敗を恐れず積極的な融資先開拓を命じていたほどである。有名な保養地や観光地のマンションをはじめ、ゴルフ場会員権の売買斡旋まで金融機関の営業社員が血眼になってやっていたのだから、目を覆いたくなるような状況だった。大規模デベロップ事業となると、銀行の支店長が富裕層顧客を接待、現地案内役まで買って出ていたほどである。普段「床の間を背にする」言われていた金融機関の支店長がこのありさまだから、資産バブルの対象が不動産関連から株、ゴルフ会員権、絵画へと限りなく広がっていったのは、当然と言えば当然だったかもしれない。
このように、当時のバブルはたまたまさまざまな要因が複合して生じた経済現象だった。確かに澄田日銀総裁の金融政策の誤りという要因は小さくはないが、「たられば」の話を前提に考えると、日銀の金融緩和政策だけがバブル経済を招いたと考えるのは短絡的すぎる。
「もし石油ショックがなかったら」
「もしプラザ合意が成立していなかったら」
「もし竹下内閣が消費税を導入していなかったら」
「もし金融機関がシェア競争に奔走せず、金融機関本来の社会的使命から逸脱した融資に狂奔していなかったら」
「もし東京をアジアの金融センターにするという政府の未来構想の真偽をメディアが確認する取材を行っていたら」
「もし長谷川慶太郎などというエセ評論家をメディアが無視していたら」
「もし都心のオフイスが不足しているというなどというデマをメディアが暴いていたら」
「もしゴルフブームは一過性で終わるかも、という疑問をメディアが抱いていたら」……
その「たられば」の一つでも欠けていたら、バブル景気は生まれなかったかもしれない。
私が「検証」という論理的作業を、様々な主張をするとき最重要視するのは、「人間は歴史を忘れることができる才能を有している唯一の動物だ」という認識に立っているからである。
人間以外の動物は、自分が痛い目にあった経験を絶対忘れないという。だから、危険な目にあった場所には二度と近づかないと言われている。だが、人間という特異な動物は、チャレンジ精神が旺盛なのかどうかは知らないが、同じ過ちを二度三度と繰り返す勇気と度胸を持っているようだ。だから格言にもあるではないか。「歴史は二度繰り返す」と。あるいは「のど元過ぎれば熱さ忘れる」とも。
安倍内閣の税制改革の検証作業を、まだまだ続ける必要がある。連立の片棒を担いでいる公明党の問題は軽減税率問題だけではない。年収800万円以上の給与所得者の給与所得控除を引き下げようとしていた財務省と自民党税調に逆らって、年収850万円以上にさせた。私がネットで日本人の世代別平均年収を調べたところ、20代が346万円、30代455万円、40代541万円、50代661万円である。公明党は「中間所得層の年収を考慮して引下げ基準を年収850万円に上方修正させたようだが、公明党の感覚はあまりにも世の中の実態とかけ離れすぎていると言わざるを得ない。「年収800万円以上はまだ高給取りを優遇しすぎている。年収500万円まで控除基準を引き下げるべきだ」と主張するならわかる。いまの公明党は、自民党以上に富裕層に支持基盤を持っているのだろうか。
公明新聞は昨年12月15日付で、公明党の所得税改正についての方針を明らかにした。すでにメディアで明らかにされているが、自民税調と財務省は現在の給与所得控除の上限を年収1000万円以上の給与所得者にしていたのを年収800万円まで引き下げる予定だった。まだ最終案が固まっていなかった昨年12月1日のブログ『近頃、ちょっと腹が立つ話』でも触れたが、そもそも政府や税務当局(大蔵省→財務省)の姑息なやり方に、私は腹を据えかねている。
すでに書いたが、竹下内閣が消費税を導入したとき、政府は「日本の所得税法は高額所得者に過酷すぎる。欧米先進国並みに税率を引き下げたい」と税制改革の必要性を主張していた。
確かにシャウプ税制は高額所得者にとって過酷な累進税制だった。が、安倍内閣が所得税制を始めて改正したとき、安倍総理は驚くべき事実を明らかにした。私は天地がひっくり返るほどびっくりした。
「日本の高額給与所得者の給与所得控除額は、欧米先進国に比べて高すぎるから、段階的に控除額を引き下げる」と所得税法改正の必要性を打ち出したのだ。
おいおい、ちょっと待ってくれよ。確か、竹下内閣の消費税導入、橋本内閣の消費税増額時の説明は、「日本の所得税制は、高額所得者は欧米先進国に比べて過酷すぎる。これでは高額所得者の働く意欲をそぐ」ということだったはずだ。いまさら、「日本の所得税法は高額所得者に甘すぎた」はないだろう。
あの時は白く見えたけど、よく見るとクロだった、で済む話ではない。日本の政治に対する信頼感を、根底から覆す話だ。竹下も橋本もいまはこの世にいないが、当時国会議員だった自民党議員は全員頭を丸めて辞職してもらいたい。
さらに問題なのは、メディアや野党が自民党政府のこの詐欺性を厳しく追及しなかったことだ。若い記者の責任までは問えないが、少なくとも竹下内閣時、橋本内閣時に政治記者だった連中も、頭を丸めて自己都合退職してもらいたい。「都合の悪いことはさっさと忘れること」「のど元過ぎれば熱さ忘れろ」…これって、日本人の美徳だったっけ?
そういえば、重度の認知症の政治家やジャーナリストがうようよいますな。いまの日本には…。
とにかく、欧米先進国と比較して云々と、政策を変えたり法律を変えたりするときは、政治家が都合の悪いことは伏せて、変えるために都合がいいことだけを「変えなければならない理由」として並べ立てるのは仕方ないとしても、メディアが政治家の主張をうのみにしていたら、ジャーナリズムと言えるのか。
実は安倍総理が給与所得控除について、事実上、過去の竹下内閣や橋本内閣の欧米との対比がウソで固められてきたことを知った私は、主要メディアに「各国の税制を調べて、日本国民が政治家のウソを見抜けるよう報道してほしい」と要請したが、どのメディアもやってくれない。高収入を得ている自分たちにとって都合が悪いからなのかな?
とりわけ個人の所得税にせよ法人税にせよ、いろいろな名目の控除した後の表面上の税率だけを比較するのは詐欺と同じだということだけは、はっきりしておきたい。個人の課税対象になる所得は、年収から社会保険控除、生命保険や火災・地震保険の一定額、配偶者控除、扶養家族控除、寄付金控除、基礎控除、給与所得控除などが引かれた額である。法人税の場合も、収益から貸倒引当金など多くの名目の引当金が控除された額にかかる税率だ。至れり尽くせりの日本の控除型税制と、基本的に自己責任の考え方に基づいて設計されている欧米の税制を、表面上の税率だけを都合よく比較解釈して制度設計に結び付けるようなやり方を、二度と政府に許してはならない。
そうした前提で公明党の税制についての考え方を検証する。自民税調と財務省に丸呑みさせた最大のポイントは給与所得控除を一定額で打ち切る線引きだが、自民税調と財務省が決めていた下限800万円を850万円に引き上げさせたことだ。その理由について斉藤党税調会長は公明新聞の昨年12月15日付でこう述べている。
働き方の違いによる課税の不公平を解消するため、誰でも受けられる基礎控除を拡大し、会社員向けの給与所得控除を縮小しました。自営業やフリーランスで働く人などは減税となります。一方、所得税の控除見直しで増税となる会社員の給与水準は、当初、年間給与収入が800万円超の世帯と示されていましたが、公明党が中間層に配慮するよう強く求めた結果、850円超に見直されました。ただし、850万円超でも22歳以下の子供や介護が必要な家族がいる約200万人の会社員は増税になりません。これも公明党が勝ち取った大きな成果です。
斉藤氏が、そう胸を張るのは勝手だが、私は「中間層に配慮」した公明党の感覚を疑う。すでに明らかにしたが、日本の平均年収は20代が346万円、30代455万円、40代541万円、50代でも661万円である。60代は公表されていないが、65歳の定年以降は無収入になるから(年金支給は70歳以降)、50代より平均年収が多いとは考えにくい。公明党が勝手に決めた「中間層」は何を基準にどういう物差しで測ったのか。
あっ、ひょっとしたら公明党本部に勤務する職員の平均給与が850万円ほどだからか。だとしたら公明党本部の職員募集には求職者が殺到するだろうな。ただ、少なくとも創価学会信者のふりをする必要はあるだろうが…。
内閣府は1958年以降、毎年「国民生活に関する世論調査」を行っている。最初の調査で回答者の7割以上が「中流意識」を持っていることがわかった。その後、60年代半ばまでに「中流意識階層」は8割を超え、70年以降は9割に達した。79年の『国民生活白書』は国民の中流意識が定着したと評価、メディアも大々的に取り上げ大きな話題になったことがある。この時代、日本は貧富の格差が少ない国と見られており、ネット検索では見つけることが出来なかったが私の記憶によると、先進国で新入社員と社長の年収の差を調べたメディアがあり、日本が一番格差の少ない国だったことを覚えている。実際、アメリカの経済学者が「日本は世界で最も成功した社会主義国だ」と指摘したほどだった。
が、先ほど明らかにした世代別平均年収を基準にすると「中間層」の年収が850万円に届くとは到底思えない。やはり公明党の「中間層」認識が世間の常識とはかなりずれていると思わざるを得ない。
政治が社会の変化に追い付かず、様々な行政分野で制度疲労を生じていることは認める。そうした制度疲労の一つに税制も含まれることも、私は認める。だが、社会の変化のスピードは速く、対症療法的手直しでは根本的解決はできない。給与所得控除の見直しにとどまらず、現在の控除方式税制の抜本的改正が必要ではないかと考えている。選挙のための税制改革だけはやってほしくない。後世に誇れるような税制改革に、政府は野党とともに取り組んでほしいと願っている。
朝日新聞の報道(18日)によれば、政府税調は相続税と贈与税の見直す検討を始めたという。贈与税より相続税のほうが税負担が軽い現状を改め、子育てなどで出費が増える若い世代への生前贈与を促すことが目的だという。
はっきり言って、取り組むのが遅い。「遅すぎた」とまで書くと「遅きに失した」と取られかねないので、とにかく早急に進めるべきだ。少なくとも私は安倍第二次政権が発足した直後のブログ『今年最後のブログ……新政権への期待と課題』(12年12月30日投稿)でこう提案している。
(金融緩和によるデフレ克服策ではなく、景気回復のために市場に金が出回るようにするには)まず税制改革を徹底的に進めることだ。まず贈与税と相続税の関係を見直し、現行のシステムを完全に逆転することを基本方針にすべきだ。つまり相続税を大幅にアップし、逆に贈与税を大幅に軽減することだ。そうすれば金を使わない高齢の富裕層が貯め込んでいる金が子供や孫に贈与され、市場に出回ることになる。当然内需が拡大し、需要が増えればメーカーは増産体制に入り、若者層の就職難も一気に解消する。そうすればさらに需要が拡大し、メーカーはさらに増産体制に入り、若者層だけでなく定年制を65歳まで拡大し、年金受給までの空白の5年間を解消できる。ただし、このような税制改革を実現するには二つの条件がある。一つは相続税増税・贈与税減税を消費税増税の2段階に合わせて、やはり2段階に分け消費税増税と同時に行う必要がある。その理由は当然考えられることだが、消費税増税前の需要の急拡大と、増税後の需要の急激な冷え込みを防ぐためである。(中略)
また所得税制度も改革の必要がある。(消費税増税に際しては)食料品などの生活必需品を非課税あるいは軽減税率にするのではなく、「聖域なき」一律課税にして、低所得層には生活保護対策として所得に応じて所得税を軽減すべきであろう。少なくとも4人家族の標準世帯(※年収500万円以下)の場合は所得税は非課税にする必要がある。その一方年収1000万円超の層は累進的に課税を重くし、年収2000万円以上の高額所得層の所得税率は50%に引き上げる必要がある(現行の最高税率は40%)。
なぜ生活必需品を非課税あるいは軽減税率にすべきではないかというと、国産ブランド牛のひれ肉とオージービーフの切り落としが同じ生活必需品として非課税あるいは軽減税率の対象になることに国民が納得できるかという問題があるからだ。読売新聞のバカな論説委員は「新聞は文化的存在だから非課税あるいは軽減税率の適用」を社説で2回にわたって主張したが、アメリカでは「タイム」と並ぶ2台週刊誌の「ニューズウィーク」が紙の刊行をやめた。(※当時はまだ新聞のデジタル配信はあまり進んでいなかったが、全国紙大手が)全国の有力地方紙を買収し、地方の情報もデジタル端末で読めるようにすれば一気に電子版は普及するだろう。自分たちだけがぬくぬくと高給を取りながら終身雇用・企業年金制度を維持するために新聞だけを特別扱いせよなどとよくも恥ずかしげもなく言えたものだ。
実は安倍内閣はひそかに私の提案やアイディアをいいとこどりしている。朝日新聞が報道した相続税と贈与税の関係見直しも、7年近く前に私が提案したことを今頃になっていいとこどりしようとしている。高額給与所得層に対する課税強化もこのブログですでに提案しているし、「働き方改革」で導入されることになった「同一労働同一賃金制」も、実は私のブログからのパクリである。もう引用はしないが、「高度プロフェッショナル制度」の原型である「成果主義賃金制」に関しても、私は14年5月21日から3回にわたって連載したブログ『「残業代ゼロ」政策(成果主義賃金)は米欧型「同一労働同一賃金」の雇用形態に結び付けることが出来るか』で、日本の伝統的雇用形態である「終身雇用年功序列」からの脱皮を促したものがパクられた。
それで日本が良くなるのなら、いくらパクられても私は一向構わないが、パクリが中途半端だから、かえって事態を悪化させることになる。高度プロフェッショナルにせよ成果主義にせよ、賃金に見合う成果をあげれば「働き方は働き手の原則自由」にしなければ、かえって過重労働を惹起する。同一労働同一賃金とはそういうことを意味する言葉だ。働き場所や長時間労働を義務付けて、時間外賃金(残業代)だけゼロというのはないぜ。
高プロ導入に伴う長時間労働のリスクを回避するためには、仕事の内容によっては難しいケースもあるが、基本的に高プロ対象者の働き方は働き手の自由を保証することが重要だ。また、長時間残業を防止するには、現在の割増賃金基準を一気に倍にする必要がある。つまり現行25%は50%に、50%は100%に――そうすれば経営側は高額な残業代を払うより、高齢者の通常雇用のほうを選択する。サービス残業に対しては、ブラック企業に対する罰則を強化し、脱税行為(サービス残業による未払い賃金は所得隠しに相当する)として刑事罰と重加算税を科すことにする。安倍総理は周辺に「自分はリベラルなんだよ」と言っているくらいだから、経済界に賃上げを要請するだけでなく、ブラック企業から労働者を守るためにも、そのくらい厳しい残業規制をやってもらいたいものだが、ないものねだりか。
今回のブログは、実は昨年末に書きあげていた原稿に加筆した。今日まで「冷凍保存」させていたが、来年10月1日の消費税導入が確定したために「解凍」することにしたというわけだ。
ただ、新聞が軽減税率の対象になったため、今回の消費税増税の問題を追及できず、民放テレビも新聞との資本関係があって批判も及び腰なので、いくつか重要な問題点だけ指摘しておく。
まず民放テレビがひっちゃきになって取り上げているイートインの問題だ。実は軽減税率導入先進国のヨーロッパではマクドナルドが困っている。とくに付加価値税(日本の消費税に相当)が20%と高く、持ち帰り食料品は税率ゼロのイギリスでは、課税の公平性を保つため持ち帰り用は作り置きした冷たい商品を提供するようにしているらしい。
日本の場合はたかだか2%の差だから、店員から聞かれれば正直に「ここで食べます」と答える客が多いとは思うが、コンビニやスーパーのイートインはどうするか。弁当だけなら客に聞くことが出来るだろうが、いろいろな買い物に弁当などが混じっている場合、いちいち個々の買い物について聞くことが出来るだろうか。私は実際にいくつかの店で聞いたが、どの店も「そこまでは対応できません」という答えが返ってきた。もっと問題なのはデパートで、イートイン用ではないが、食料品売り場ではない待ち合わせなどのための休憩所で食べたらどうなる? このスペースはイートイン用に設けられてはいないが、事実上イートインと同様になる。私は財務省にざる法になることが見え見えのバカげた(外食)扱いはやめろと言っておいたが…。
ヨーロッパで付加価値税が導入された当時は、おそらく外食はぜいたくな食事法だったのだろう。だから軽減税率の対象から外したのだと思うが、いまの日本では必ずしも贅沢な食事法とは言えない。サラリーマンが会社近くの安い定食屋やファミレスで食事するのが贅沢といえるだろうか。
だから、外食については飲食に伴うサービスが行われているか否かを基準にすればいいのではないかと私は考えている。つまりセルフサービスの外食はコンビニやスーパーに限らず軽減税率の対象にすべきだと思う。誰だって時間に余裕があれば、自宅に持って帰ってゆっくり食事をしたい。そんな余裕がないから、やむを得ずイートインや安い定食屋で食事をすることになる。そういう人たちの食事法は、ぜいたくだと本気で財務省は考えているのか。アホとちゃうか。
セルフサービスの外食をすべて軽減税率対象にすれば、多くの価格競争をしているレストランが一斉にセルフサービスに切り替えることも考えられる。とくに朝定食やランチメニューを採用している店は、朝食やランチに限ってセルフサービスに業態を転換する可能性が高い。人材の有効活用にもつながるし、飲食業界に多いブラック企業の淘汰も期待できる。税制の運用方法次第で、日本が抱えている様々な問題を解決できる可能性だってある。どうして官僚は複眼的な思考をしないのか…。
また酒類はなぜ軽減対象から外されたか。嗜好品だからというなら、コーヒーやお菓子もアイスクリームやキャンディも嗜好品だ。タバコは食料品ではないが、おなかの中に入らないという意味ではチューインガムも同じだよ。チューインガムはなぜ軽減対象になるの?
さらに国民が納得するかという問題では、すでに書いたが国産ブランド牛のひれ肉とオージービーフの切り落としが同じ軽減対象になることだ。「食料品を軽減税率にすることによって低所得層の痛税感を緩和するため」という説が有力だが、消費税という、政府も認めている逆進性をさらに増幅することになるではないか。民放テレビはイートイン問題には熱心だが、こうした本質的な矛盾にはソッポを向いている。それとも頭が悪いから気が付かなかったのか。
さらに最大の問題は新聞が軽減対象になっていることだ。そのこと自体を、おそらく国民の90%以上がご存じないと思う。少なくとも昨日までに私が訪ねた友人たち20人ほどの全員が知らなかった。
また、数少ない「知っている」人も、これから書くことは多分誰も知らないと思う。実は軽減にはこういう限定条件が付いている。
「週2回以上発行されている定期刊行物の定期購読」
この限定の意味がパッと分かる人は、まず皆無だと思う。
私は最初、自民党か公明党の機関紙が日刊ではないのからなのかと思った。で、ネットで検索してみたが、両方とも日刊だった。では、なぜ?
読売新聞は「文化的存在」だからという。公明党は「活字文化や民主主義を担う重要な社会的基盤」だからという。新聞だけがそういう存在と言えるのか。週刊誌や月刊誌は除外されるが、日刊のスポーツ紙や夕刊紙は軽減対象だ。読売新聞や公明党は週刊誌や月刊誌、あるいは単行本のほうがスポーツ紙や夕刊紙より社会的存在価値が引くと考えているのだろうか。
実は、この限定条件に「なぜ?」という秘密が隠されている。
「定期購読」という条件だ。スポーツ紙や夕刊紙を定期購読する人はほとんどいない。駅の売店かコンビニで買うケースが圧倒的だ。そういう意味では、自宅や会社で定期購読するのではなく、駅の売店やコンビニで買う読売新聞も軽減対象外になる。
若い人たちの活字離れとも無関係ではないが、定期購読している高齢者も、その大半が習慣的に新聞をとっているだけという人たちが多いのだ。消費税増税は、新聞購読をやめるきっかけになる可能性がかなりある。実際、たばこも値上げのたびに、それをきっかけに禁煙者の仲間に入る人が多いという。
はっきり言おう。政府はスムースに消費税増税を実現したい。そのために世論形成で障害になりかねない新聞を沈黙させることは、野党を黙らせるより効果がある。そして新聞は沈黙することにした。新聞と資本関係にある民放メディアも国民の関心をイートインに絞り込むことで政府に協力することにした。これが今回の消費税増税劇の舞台裏の真相である。
私の友人たちは大半が高齢者である。私自身が高齢者なのだから仕方がない。
彼らに「なぜ定期購読の新聞だけが軽減対象になったのか」を説明すると、みんな怒った。消費税が増税された時点で、定期購読を打辞めると意思表示した人たちが大半を占めた。
ひょっとしたら、「定期購読」の新聞を軽減対象にしたことで、新聞社はかえって自分の首を絞めることになるかもしれない。
しかし、この軽減税率制ほど国民を愚弄した税制はない。
いかに愚弄しているか。そのことを明らかにする前に、私自身の消費税増税に対する基本的スタンスを明らかにしておく。
私は消費税増税に基本的には反対ではない。多少消費は下向くだろうが、少子高齢化に歯止めがかけられない中で社会保障費が突出して増大していくことは避けられず、何らかの税増収を図るか、歳出を削減するかの工夫をしなければ、日本財政はいずれ間違いなく破たんする。
だが、本来は税体系全体の見直しと、歳出の見直しの中で消費税をどう位置付けるかの「税哲学」の確立がまず必要なはずだ。だが、本来は政府の政策を社会的弱者の立場からチェックすべきメディアが、肝心の牙を政府の優遇処置によって完全に抜かれてしまっており、その結果、飲食料品の扱いだけにメディアの関心が向かっている。メディアもまた国民を愚弄する側に入ってしまったと言える。戦中の、あの暗黒の時代を想起せざるを得ない。
いかなる政策も、メリットだけではない。必ずデメリットも伴う。たとえばリスクを伴う金融商品の販売については、メリットの強調だけでなくデメリット(リスク)の開示が義務付けられている。義務付けたのは、もちろん政府だ。
なのに政府は、国会に法案を提出するに際して、メリットしか言わない。デメリットに関しては、野党が国会審議の場で追及すればいいと考えているのか。
それはそれで一つの考え方ではあると思う。しかし、政府は法案の策定過程において与党内でさんざん議論し、メリット・デメリットを洗い出したうえで最終的に法案として策定して国会に提出する。重要法案についてはメディアが作成プロセスの一部を報道することもあるが、それは法案に疑問を持つ与党議員からのリーク情報に基づくことが多く、問題点の一部でしかない。
ちょっと本筋から離れるが、橋本内閣が消費税を3%から5%に増税したとき内税方式の価格表示を義務付けた。が、安倍内閣が8%に増税したとき、その縛りを外した。そのため零細商店は別にして、多くの大手小売業者(デパート、スーパー、コンビニ、チェーンレストラン、量販店など)は本体価格(税抜き価格)と税込み価格を両方表示することにした。で、おかしなことが生じているのだが、だれも指摘していない(私はブログでかなり前に指摘したのだが、主要メディアはなぜか無視している)。
買い物をする場合、ほとんどの消費者(99.999…%と言ってもいいだろう)は自分が支払う金は個々の商品の税込み価格の合計だと思っているが、実は違う。本体価格の合計に消費税率をかけているのだ。計算方法によって結果にどういう違いが出るか、簡単なケースで証明する。
本体価格が1個98円の商品を例にとる。その商品の価格は【本体98円(税込105円)】と表示されている(1円未満は切り捨てのため)。が、その商品を2個買うとレジが計算する消費者の支払価格は【105×2=210円】ではない。【98×2×1.08=211円(1円未満切り捨て)】である。私は別に小売店に嫌がらせをしたいわけではないが、たまたま1円玉がないときは「別々に支払う」ということがある。そうすると税込105円の商品を別々に支払うのだから、私は合計で210円支払えばいい。しかも買い物袋不要の場合、1円か2円分のサービスする店もあるから(ポイント付与)、別々に会計するとレジ袋不要のサービス・ポイントも2倍になる。ウソだと思ったらスーパーなどで試してみたらわかる(ただし、私がそうした「矛盾」を指摘した某スーパーは税込み価格を「約」と表示し、しかも1円未満切り上げで表示するようにした)。ただし某大手スーパーでは個々の商品の税込価格の合計を支払えばいい。法律で義務付けられた消費税計算方式には違反だが、差額はそのスーパーが負担して国庫に納めている。
細かいと言えば細かい話だが、この消費税計算方式は竹下内閣が消費税を導入した時に決められており、橋本内閣が5%に増税したときに内税方式にしたため、政府自ら法律を破ったことになる。そのことを野党もメディアも不問に付してきた。「恥も外聞も知らない」とはこのことか。
本筋に戻る。自民党税調と財務省・国税庁は「連立維持」を税体系の整合性より優先した結果、公明党の要求に屈して10%増税時には軽減税率の導入を決めた。公明党は、なぜ軽減税率にこだわったのか。
私は公明党が党の主要政策として軽減税率導入を位置付けた時、公明党本部に電話で聞いたことがある。そのとき本部事務局の職員は「最近、軽減税率導入はおかしいという声が多く寄せられるようになっています。そういう声はちゃんと政策意思決定部門にお伝えしますが、私の意見は言えませんのでご容赦ください」という。私は「あなた個人の意見を求めているのではなく、党の政策についての説明を聞いているのだ」と、重ねて問いかけたが、「申し訳ありませんが、私はお答えする立場にはありまんので…」の繰り返しで、「他にも電話がいっぱいかかっていますので、これで切らせていただきます」と、一方的に電話を切られた。公明党の本部事務局職員が答えられないのなら、私が代わりに公明党の軽減税率政策についての公式説明を明らかにしよう。以下に引用するのは15年12月20日付の公明新聞の記事である。この時点では消費税増税は17年4月に行われる予定だった。
買い物のたびに消費税の負担を重く感じ、財布のひもを固く締めてしまう―。そうした「痛税感」を少しでも和らげるため、軽減税率を導入します。特に低所得者ほど消費税の負担が重くなる「逆進性」の緩和が求められます。
こうしたことを踏まえ、軽減税率の対象は、生活に不可欠な食品全般(酒類・外食を除く)に加え、定期購読される新聞(週2回以上発行)になりました。これらは消費税率が10%に引き上げられた後も、8%のまま据え置かれます。
加工食品を含む幅広い食品が対象となったことで、「生きていくのに必要な食品は据え置かれる」という安心感が生まれます。また、国民に幅広い情報を伝える新聞も、活字文化や民主主義を担う重要な社会基盤であるという観点から、公明党が適用を求めていたものです。
消費税増税が決定したいま、公明党はどう考えているのか。公明新聞(今月12日付)は、こう主張して自画自賛した。
家計の負担を和らげるため、飲食料品などの税率を8%に据え置く軽減税率は、公明党の粘り強い主張で、消費税率が10%になるのと同時に実施される。
消費税の逆進性(低所得層には負担が重く、高所得層には有利に働くこと)は、政府や財務省・国税庁も否定はしない。が、飲食料品に軽減税率が導入されたら、逆進性がさらに増幅するではないかというのが私の主張であり、しばしばブログで書いてきた。最近公明党に電話をした時、「低所得層ほどエンゲル係数が高くならざるを得ない。高所得層がデパートで買うグラム3000円もするA5国産ブランド牛肉と、低所得層がスーパーで買うグラム100円程度のオージービーフの消費税率が同じ軽減恩恵を受けるということについての説明が聞きたい。高所得層は喜ぶだろうが、そういう方式で国民が納得するだろうか。私は8%増税時に行ったような低所得層への給付金の復活と、給付金制度の恒久化のほうが望ましいと思うが…」と主張した。このときは公明党職員も私の主張を認め、執行部に伝えると言ってくれたが、すでに時遅しだったのだろう。
日本の税制は戦前から直接税が中心だった。そして意外なことに戦前の累進課税制度のほうが、戦後導入されたシャウプ税制より富裕層には過酷だったようだ。戦後、日本の民主化に取り組んだアメリカは1949年、かなり社会主義的思想を持っていたシャウプ教授をはじめコロンビア大学の教授グループが中心の税制改革スタッフを日本に送り込み、派遣団は翌50年、日本政府に累進課税制度の見直しをはじめ所得税と間接税の体系を整備する勧告を行い、政府は翌51年税制改革を行った、とされている(吉田内閣)。
シャウプ税制は、戦前ほどではなかったが、やはり高所得層には過酷な累進課税を直接税(所得税)の体系としていた。戦前・戦時中は産業分野と軍事力分野で欧米列強に肩を並べるための財政強化が目的だったが、戦後の税体系は敗戦で荒廃した日本産業を民生分野を中心に復興させるための財政強化が目的とされた。
世界の奇跡とも言われた戦後の日本の高度経済成長がどういうプロセスを経て可能になったのかの検証は私が92年に上梓した『忠臣蔵と西部劇――日米経済摩擦を解決するカギ』(祥伝社刊)に譲るが、極端に要約すると、生産力の回復と消費購買力の増大がパーフェクトなまでにシナジー効果を生んだということに尽きる。その結果、国内では中流意識階層をが世界に例を見ないほど膨れ上がり、「3種の神器」「新3種の神器(3C)」に代表される購買ニーズの拡大によって日本の産業界は一気に回復・成長の波に乗った。
さらに世界を襲った石油ショックは、日本にとっては神風となり、ほとんど資源を持たない日本は産業界をあげて「軽薄短小」を合言葉に省エネ省力技術の開発に取り組み、「物まね」と世界中から揶揄(やゆ)されていた日本がたちまち技術力で世界をリードするまでになった。
その一方で、それまで高額所得層に対する厳しい累進課税の重圧に耐えてきた経済界の要請を受けて、自民党政府がシャウプ税制の緩和に乗り出し、累進課税の緩和によって生じた国税収入減を補うために導入した間接税が消費税(間接税先進国のヨーロッパ諸国は「付加価値税」)である。
この時期、日本の政府(自民党)は驚くべきでたらめ政策を行っていた。このことは経済学者もまったく指摘していないので、おそらく私が初めてだと思う。異論のある方はどしどしコメントを寄せていただきたい。まともな批判は、私は一切排除しない。時系列で検証しよう。
石油ショックが世界経済を直撃したのは1973年10月。日本も高度経済成長時代の終焉を迎えた。当時の田中内閣は高度経済成長政策の転換を余儀なくされ、11月には新幹線計画や高速道路網計画を延期(事実上の中止)、戦後世界経済の超優等生だった日本は「狂乱物価」によるハイパーインフレに突入した。不況下におけるインフレを意味する「スタグフレーション」という言葉がメディアで飛び交ったのもこの時代である。
結果的に日本産業界は総力を挙げて省エネ省力の技術開発に取り組み、危機を脱出することができた。皮肉なことに、日本は資源がなかったため石油ショックという危機を「神風」に変えることが出来たのだ。
しかし危機を脱出した日本産業界はさらに前途多難な時代を迎える。資源国であり、石油ショックの打撃をあまり受けなかったアメリカが、日本やドイツとのハイテク技術競争に敗れ、戦後初めてと言える景気後退期に入っていた。ドイツとの摩擦は自動車だけだったが、日本との摩擦は自動車、エレクトロニクス分野、鉄鋼などあらゆるハイテク分野にまたがっていた。
歴史的な出来事が、こうした状況を背景に生まれた。85年9月22日、アメリカが国際競争力の回復を求めて日独にドル安(つまり円高、マルク 高)に移行すべくニューヨークの名門ホテル、プラザホテルに日独英仏の蔵相・中央銀行総裁を集めて国際協調為替介入を要請し、やむをえず各国も同意して「プラザ合意」が結ばれた。はっきり言えば、英仏が呼ばれたのは彼らのメンツをアメリカが配慮しただけで、それ以上でもそれ以下でもなかった。アメリカが戦後、他国に頭を下げて頼んだゆいつのケースである。
その後、円高が怒涛のように進み出す。日銀総裁に澄田氏が就任したのが、こうした困難な時期に直面していた84年。プラザ会議は、その翌年だ。
日銀は当時、金融引き締め政策をとっていた。石油ショック後のスタグフレーション時代に急速に進んだインフレを退治するため金融引き締め策をとったのだが、その後、OPECがあまりにも極端な原油の生産調整は世界経済を麻痺させ、結局は自分たちの首を絞めることになることに気付き、原油価格も急落して日本経済も安定期に入っていたのだが、澄田総裁は引き締め策を継続したため、日本経済は超インフレからは脱却したものの経済活動は停滞したままだった。が、プラザ合意を受けて円高が急速に進み出したため、政府・大蔵省の強い圧力を受けた澄田総裁はプラザ会議の翌年の86年に金融政策を一気に転換、大胆な金融緩和策にかじを切り替えた。
一般には経済学者たちは、この金融緩和政策がバブル経済を招来し、澄田氏をその元凶として位置づけているが、実は違う。いまのミニバブルと共通した要素があり、そのことに経済学者たちは気付いていない。
87年11月に総理大臣に就任した竹下氏が、自民党にとって念願であり、歴代総理が何度も挑戦しては敗れてきた消費税導入だったが、88年にようやく消費税法を成立させ、翌89年4月から実施した。それも、所得税法「改悪」による税収減の穴埋めとして導入され、メディアは一斉に評価した。「高額所得者の税負担はあまりにも過酷で、働く意欲をそぐ」という竹下内閣の論法は、当時高給取りが多かったメディア関係者にとっては「たなぼた」的プレゼントでもあったからだ。
すでに述べたように消費税は逆進税制であり、高額所得者には恩恵だが、低所得者には大きな打撃となった。当時日本人の大半は中流階層意識に浸っており、テレビは一家に1台から一人1台の時代になっており、かつては「新3種の神器(3C)」として庶民の夢だったクルマも、だれにでも手が届くようになっていた。ゴルフブームは絶頂期を迎え、庶民の夢はクルマからそこそこのゴルフ場のメンバーになることに移っていった。
しかも、金融機関にとっての社会的使命も時代とともに失われていく。金融機関の本来の使命は、国民から少しずつ預金を集め、産業界の設備投資資金や運転資金のニーズにこたえることにある。が、すでに日本の産業界は金融機関の支援を必要としないほどの体力をつけており、金融機関にとっての優良な融資先は急速に減少していた。
しかも日本の金融機関は伝統的に担保主義である。日本はしばしば資本主義ではなく「地本主義(土地本位主義)」と揶揄的に言われることがあるが、土地神話(土地は増やせないから土地の価値は下がらない)が長く根付いてきたことによる。金融機関が重視したのも担保価値として確実な(?)不動産であり、優良な融資先に困っていた金融機関が飛びついたのは土地の価値をさらに高めるだろうデベロッパーや、担保価値の高い不動産所有者だった。こうしてバブル景気は、まず不動産関連から始まった。
さらに、東京の地価急騰をもたらしたのは、日本政府の「東京をアジアの金融センターにする」という未来構想(本当にそういう構想を政府が持っていたのかは不明)であり、「都心のオフイスが不足している」という根も葉もないうわさを流した長谷川慶太郎なるエセ評論家に踊らされたデベロッパーや地上げ業者だった。当時、すでに都心のビルの空室率は危険水域というほどではないにしても、オフイスの需要は十分に満たしていた。そうした事情は金融機関は百も承知だったはずだが、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の心理が働いたせいか、あるいは土地価格が高騰していたためか、金融機関は不動産関連融資に「特攻隊」のように脇目も振らずに突っ込んでいった。
これが、バブル景気を招来した発端である。さらにバブルを推進したのが、消費税導入によって余裕資金が増大した高額所得層であった。高額所得層は土地という、金融機関にとっては美味しい担保を持っており、金融機関は彼らを対象にカードローンというニュー・ビジネスを始めた。バブル期のカードローンは、現在金融機関が盛んに行っていて危険視されているカードローンとは異なり、不動産を担保に融資限度額を設定、その範囲まで出し入れ自由という富裕層限定の融資事業である。「ローン」とは名ばかりで、実際には借り入れも返済も「あるとき払いの催促なし」という融資制度であった。
そのうえ金融機関は、富裕層に対してマネーゲームの「露払い」にまで変貌していく。当時住友銀行のドンだった磯田頭取などは営業担当の社員に対して「向う傷は問わない」とまで、失敗を恐れず積極的な融資先開拓を命じていたほどである。有名な保養地や観光地のマンションをはじめ、ゴルフ場会員権の売買斡旋まで金融機関の営業社員が血眼になってやっていたのだから、目を覆いたくなるような状況だった。大規模デベロップ事業となると、銀行の支店長が富裕層顧客を接待、現地案内役まで買って出ていたほどである。普段「床の間を背にする」言われていた金融機関の支店長がこのありさまだから、資産バブルの対象が不動産関連から株、ゴルフ会員権、絵画へと限りなく広がっていったのは、当然と言えば当然だったかもしれない。
このように、当時のバブルはたまたまさまざまな要因が複合して生じた経済現象だった。確かに澄田日銀総裁の金融政策の誤りという要因は小さくはないが、「たられば」の話を前提に考えると、日銀の金融緩和政策だけがバブル経済を招いたと考えるのは短絡的すぎる。
「もし石油ショックがなかったら」
「もしプラザ合意が成立していなかったら」
「もし竹下内閣が消費税を導入していなかったら」
「もし金融機関がシェア競争に奔走せず、金融機関本来の社会的使命から逸脱した融資に狂奔していなかったら」
「もし東京をアジアの金融センターにするという政府の未来構想の真偽をメディアが確認する取材を行っていたら」
「もし長谷川慶太郎などというエセ評論家をメディアが無視していたら」
「もし都心のオフイスが不足しているというなどというデマをメディアが暴いていたら」
「もしゴルフブームは一過性で終わるかも、という疑問をメディアが抱いていたら」……
その「たられば」の一つでも欠けていたら、バブル景気は生まれなかったかもしれない。
私が「検証」という論理的作業を、様々な主張をするとき最重要視するのは、「人間は歴史を忘れることができる才能を有している唯一の動物だ」という認識に立っているからである。
人間以外の動物は、自分が痛い目にあった経験を絶対忘れないという。だから、危険な目にあった場所には二度と近づかないと言われている。だが、人間という特異な動物は、チャレンジ精神が旺盛なのかどうかは知らないが、同じ過ちを二度三度と繰り返す勇気と度胸を持っているようだ。だから格言にもあるではないか。「歴史は二度繰り返す」と。あるいは「のど元過ぎれば熱さ忘れる」とも。
安倍内閣の税制改革の検証作業を、まだまだ続ける必要がある。連立の片棒を担いでいる公明党の問題は軽減税率問題だけではない。年収800万円以上の給与所得者の給与所得控除を引き下げようとしていた財務省と自民党税調に逆らって、年収850万円以上にさせた。私がネットで日本人の世代別平均年収を調べたところ、20代が346万円、30代455万円、40代541万円、50代661万円である。公明党は「中間所得層の年収を考慮して引下げ基準を年収850万円に上方修正させたようだが、公明党の感覚はあまりにも世の中の実態とかけ離れすぎていると言わざるを得ない。「年収800万円以上はまだ高給取りを優遇しすぎている。年収500万円まで控除基準を引き下げるべきだ」と主張するならわかる。いまの公明党は、自民党以上に富裕層に支持基盤を持っているのだろうか。
公明新聞は昨年12月15日付で、公明党の所得税改正についての方針を明らかにした。すでにメディアで明らかにされているが、自民税調と財務省は現在の給与所得控除の上限を年収1000万円以上の給与所得者にしていたのを年収800万円まで引き下げる予定だった。まだ最終案が固まっていなかった昨年12月1日のブログ『近頃、ちょっと腹が立つ話』でも触れたが、そもそも政府や税務当局(大蔵省→財務省)の姑息なやり方に、私は腹を据えかねている。
すでに書いたが、竹下内閣が消費税を導入したとき、政府は「日本の所得税法は高額所得者に過酷すぎる。欧米先進国並みに税率を引き下げたい」と税制改革の必要性を主張していた。
確かにシャウプ税制は高額所得者にとって過酷な累進税制だった。が、安倍内閣が所得税制を始めて改正したとき、安倍総理は驚くべき事実を明らかにした。私は天地がひっくり返るほどびっくりした。
「日本の高額給与所得者の給与所得控除額は、欧米先進国に比べて高すぎるから、段階的に控除額を引き下げる」と所得税法改正の必要性を打ち出したのだ。
おいおい、ちょっと待ってくれよ。確か、竹下内閣の消費税導入、橋本内閣の消費税増額時の説明は、「日本の所得税制は、高額所得者は欧米先進国に比べて過酷すぎる。これでは高額所得者の働く意欲をそぐ」ということだったはずだ。いまさら、「日本の所得税法は高額所得者に甘すぎた」はないだろう。
あの時は白く見えたけど、よく見るとクロだった、で済む話ではない。日本の政治に対する信頼感を、根底から覆す話だ。竹下も橋本もいまはこの世にいないが、当時国会議員だった自民党議員は全員頭を丸めて辞職してもらいたい。
さらに問題なのは、メディアや野党が自民党政府のこの詐欺性を厳しく追及しなかったことだ。若い記者の責任までは問えないが、少なくとも竹下内閣時、橋本内閣時に政治記者だった連中も、頭を丸めて自己都合退職してもらいたい。「都合の悪いことはさっさと忘れること」「のど元過ぎれば熱さ忘れろ」…これって、日本人の美徳だったっけ?
そういえば、重度の認知症の政治家やジャーナリストがうようよいますな。いまの日本には…。
とにかく、欧米先進国と比較して云々と、政策を変えたり法律を変えたりするときは、政治家が都合の悪いことは伏せて、変えるために都合がいいことだけを「変えなければならない理由」として並べ立てるのは仕方ないとしても、メディアが政治家の主張をうのみにしていたら、ジャーナリズムと言えるのか。
実は安倍総理が給与所得控除について、事実上、過去の竹下内閣や橋本内閣の欧米との対比がウソで固められてきたことを知った私は、主要メディアに「各国の税制を調べて、日本国民が政治家のウソを見抜けるよう報道してほしい」と要請したが、どのメディアもやってくれない。高収入を得ている自分たちにとって都合が悪いからなのかな?
とりわけ個人の所得税にせよ法人税にせよ、いろいろな名目の控除した後の表面上の税率だけを比較するのは詐欺と同じだということだけは、はっきりしておきたい。個人の課税対象になる所得は、年収から社会保険控除、生命保険や火災・地震保険の一定額、配偶者控除、扶養家族控除、寄付金控除、基礎控除、給与所得控除などが引かれた額である。法人税の場合も、収益から貸倒引当金など多くの名目の引当金が控除された額にかかる税率だ。至れり尽くせりの日本の控除型税制と、基本的に自己責任の考え方に基づいて設計されている欧米の税制を、表面上の税率だけを都合よく比較解釈して制度設計に結び付けるようなやり方を、二度と政府に許してはならない。
そうした前提で公明党の税制についての考え方を検証する。自民税調と財務省に丸呑みさせた最大のポイントは給与所得控除を一定額で打ち切る線引きだが、自民税調と財務省が決めていた下限800万円を850万円に引き上げさせたことだ。その理由について斉藤党税調会長は公明新聞の昨年12月15日付でこう述べている。
働き方の違いによる課税の不公平を解消するため、誰でも受けられる基礎控除を拡大し、会社員向けの給与所得控除を縮小しました。自営業やフリーランスで働く人などは減税となります。一方、所得税の控除見直しで増税となる会社員の給与水準は、当初、年間給与収入が800万円超の世帯と示されていましたが、公明党が中間層に配慮するよう強く求めた結果、850円超に見直されました。ただし、850万円超でも22歳以下の子供や介護が必要な家族がいる約200万人の会社員は増税になりません。これも公明党が勝ち取った大きな成果です。
斉藤氏が、そう胸を張るのは勝手だが、私は「中間層に配慮」した公明党の感覚を疑う。すでに明らかにしたが、日本の平均年収は20代が346万円、30代455万円、40代541万円、50代でも661万円である。60代は公表されていないが、65歳の定年以降は無収入になるから(年金支給は70歳以降)、50代より平均年収が多いとは考えにくい。公明党が勝手に決めた「中間層」は何を基準にどういう物差しで測ったのか。
あっ、ひょっとしたら公明党本部に勤務する職員の平均給与が850万円ほどだからか。だとしたら公明党本部の職員募集には求職者が殺到するだろうな。ただ、少なくとも創価学会信者のふりをする必要はあるだろうが…。
内閣府は1958年以降、毎年「国民生活に関する世論調査」を行っている。最初の調査で回答者の7割以上が「中流意識」を持っていることがわかった。その後、60年代半ばまでに「中流意識階層」は8割を超え、70年以降は9割に達した。79年の『国民生活白書』は国民の中流意識が定着したと評価、メディアも大々的に取り上げ大きな話題になったことがある。この時代、日本は貧富の格差が少ない国と見られており、ネット検索では見つけることが出来なかったが私の記憶によると、先進国で新入社員と社長の年収の差を調べたメディアがあり、日本が一番格差の少ない国だったことを覚えている。実際、アメリカの経済学者が「日本は世界で最も成功した社会主義国だ」と指摘したほどだった。
が、先ほど明らかにした世代別平均年収を基準にすると「中間層」の年収が850万円に届くとは到底思えない。やはり公明党の「中間層」認識が世間の常識とはかなりずれていると思わざるを得ない。
政治が社会の変化に追い付かず、様々な行政分野で制度疲労を生じていることは認める。そうした制度疲労の一つに税制も含まれることも、私は認める。だが、社会の変化のスピードは速く、対症療法的手直しでは根本的解決はできない。給与所得控除の見直しにとどまらず、現在の控除方式税制の抜本的改正が必要ではないかと考えている。選挙のための税制改革だけはやってほしくない。後世に誇れるような税制改革に、政府は野党とともに取り組んでほしいと願っている。
朝日新聞の報道(18日)によれば、政府税調は相続税と贈与税の見直す検討を始めたという。贈与税より相続税のほうが税負担が軽い現状を改め、子育てなどで出費が増える若い世代への生前贈与を促すことが目的だという。
はっきり言って、取り組むのが遅い。「遅すぎた」とまで書くと「遅きに失した」と取られかねないので、とにかく早急に進めるべきだ。少なくとも私は安倍第二次政権が発足した直後のブログ『今年最後のブログ……新政権への期待と課題』(12年12月30日投稿)でこう提案している。
(金融緩和によるデフレ克服策ではなく、景気回復のために市場に金が出回るようにするには)まず税制改革を徹底的に進めることだ。まず贈与税と相続税の関係を見直し、現行のシステムを完全に逆転することを基本方針にすべきだ。つまり相続税を大幅にアップし、逆に贈与税を大幅に軽減することだ。そうすれば金を使わない高齢の富裕層が貯め込んでいる金が子供や孫に贈与され、市場に出回ることになる。当然内需が拡大し、需要が増えればメーカーは増産体制に入り、若者層の就職難も一気に解消する。そうすればさらに需要が拡大し、メーカーはさらに増産体制に入り、若者層だけでなく定年制を65歳まで拡大し、年金受給までの空白の5年間を解消できる。ただし、このような税制改革を実現するには二つの条件がある。一つは相続税増税・贈与税減税を消費税増税の2段階に合わせて、やはり2段階に分け消費税増税と同時に行う必要がある。その理由は当然考えられることだが、消費税増税前の需要の急拡大と、増税後の需要の急激な冷え込みを防ぐためである。(中略)
また所得税制度も改革の必要がある。(消費税増税に際しては)食料品などの生活必需品を非課税あるいは軽減税率にするのではなく、「聖域なき」一律課税にして、低所得層には生活保護対策として所得に応じて所得税を軽減すべきであろう。少なくとも4人家族の標準世帯(※年収500万円以下)の場合は所得税は非課税にする必要がある。その一方年収1000万円超の層は累進的に課税を重くし、年収2000万円以上の高額所得層の所得税率は50%に引き上げる必要がある(現行の最高税率は40%)。
なぜ生活必需品を非課税あるいは軽減税率にすべきではないかというと、国産ブランド牛のひれ肉とオージービーフの切り落としが同じ生活必需品として非課税あるいは軽減税率の対象になることに国民が納得できるかという問題があるからだ。読売新聞のバカな論説委員は「新聞は文化的存在だから非課税あるいは軽減税率の適用」を社説で2回にわたって主張したが、アメリカでは「タイム」と並ぶ2台週刊誌の「ニューズウィーク」が紙の刊行をやめた。(※当時はまだ新聞のデジタル配信はあまり進んでいなかったが、全国紙大手が)全国の有力地方紙を買収し、地方の情報もデジタル端末で読めるようにすれば一気に電子版は普及するだろう。自分たちだけがぬくぬくと高給を取りながら終身雇用・企業年金制度を維持するために新聞だけを特別扱いせよなどとよくも恥ずかしげもなく言えたものだ。
実は安倍内閣はひそかに私の提案やアイディアをいいとこどりしている。朝日新聞が報道した相続税と贈与税の関係見直しも、7年近く前に私が提案したことを今頃になっていいとこどりしようとしている。高額給与所得層に対する課税強化もこのブログですでに提案しているし、「働き方改革」で導入されることになった「同一労働同一賃金制」も、実は私のブログからのパクリである。もう引用はしないが、「高度プロフェッショナル制度」の原型である「成果主義賃金制」に関しても、私は14年5月21日から3回にわたって連載したブログ『「残業代ゼロ」政策(成果主義賃金)は米欧型「同一労働同一賃金」の雇用形態に結び付けることが出来るか』で、日本の伝統的雇用形態である「終身雇用年功序列」からの脱皮を促したものがパクられた。
それで日本が良くなるのなら、いくらパクられても私は一向構わないが、パクリが中途半端だから、かえって事態を悪化させることになる。高度プロフェッショナルにせよ成果主義にせよ、賃金に見合う成果をあげれば「働き方は働き手の原則自由」にしなければ、かえって過重労働を惹起する。同一労働同一賃金とはそういうことを意味する言葉だ。働き場所や長時間労働を義務付けて、時間外賃金(残業代)だけゼロというのはないぜ。
高プロ導入に伴う長時間労働のリスクを回避するためには、仕事の内容によっては難しいケースもあるが、基本的に高プロ対象者の働き方は働き手の自由を保証することが重要だ。また、長時間残業を防止するには、現在の割増賃金基準を一気に倍にする必要がある。つまり現行25%は50%に、50%は100%に――そうすれば経営側は高額な残業代を払うより、高齢者の通常雇用のほうを選択する。サービス残業に対しては、ブラック企業に対する罰則を強化し、脱税行為(サービス残業による未払い賃金は所得隠しに相当する)として刑事罰と重加算税を科すことにする。安倍総理は周辺に「自分はリベラルなんだよ」と言っているくらいだから、経済界に賃上げを要請するだけでなく、ブラック企業から労働者を守るためにも、そのくらい厳しい残業規制をやってもらいたいものだが、ないものねだりか。
今回のブログは、実は昨年末に書きあげていた原稿に加筆した。今日まで「冷凍保存」させていたが、来年10月1日の消費税導入が確定したために「解凍」することにしたというわけだ。
ただ、新聞が軽減税率の対象になったため、今回の消費税増税の問題を追及できず、民放テレビも新聞との資本関係があって批判も及び腰なので、いくつか重要な問題点だけ指摘しておく。
まず民放テレビがひっちゃきになって取り上げているイートインの問題だ。実は軽減税率導入先進国のヨーロッパではマクドナルドが困っている。とくに付加価値税(日本の消費税に相当)が20%と高く、持ち帰り食料品は税率ゼロのイギリスでは、課税の公平性を保つため持ち帰り用は作り置きした冷たい商品を提供するようにしているらしい。
日本の場合はたかだか2%の差だから、店員から聞かれれば正直に「ここで食べます」と答える客が多いとは思うが、コンビニやスーパーのイートインはどうするか。弁当だけなら客に聞くことが出来るだろうが、いろいろな買い物に弁当などが混じっている場合、いちいち個々の買い物について聞くことが出来るだろうか。私は実際にいくつかの店で聞いたが、どの店も「そこまでは対応できません」という答えが返ってきた。もっと問題なのはデパートで、イートイン用ではないが、食料品売り場ではない待ち合わせなどのための休憩所で食べたらどうなる? このスペースはイートイン用に設けられてはいないが、事実上イートインと同様になる。私は財務省にざる法になることが見え見えのバカげた(外食)扱いはやめろと言っておいたが…。
ヨーロッパで付加価値税が導入された当時は、おそらく外食はぜいたくな食事法だったのだろう。だから軽減税率の対象から外したのだと思うが、いまの日本では必ずしも贅沢な食事法とは言えない。サラリーマンが会社近くの安い定食屋やファミレスで食事するのが贅沢といえるだろうか。
だから、外食については飲食に伴うサービスが行われているか否かを基準にすればいいのではないかと私は考えている。つまりセルフサービスの外食はコンビニやスーパーに限らず軽減税率の対象にすべきだと思う。誰だって時間に余裕があれば、自宅に持って帰ってゆっくり食事をしたい。そんな余裕がないから、やむを得ずイートインや安い定食屋で食事をすることになる。そういう人たちの食事法は、ぜいたくだと本気で財務省は考えているのか。アホとちゃうか。
セルフサービスの外食をすべて軽減税率対象にすれば、多くの価格競争をしているレストランが一斉にセルフサービスに切り替えることも考えられる。とくに朝定食やランチメニューを採用している店は、朝食やランチに限ってセルフサービスに業態を転換する可能性が高い。人材の有効活用にもつながるし、飲食業界に多いブラック企業の淘汰も期待できる。税制の運用方法次第で、日本が抱えている様々な問題を解決できる可能性だってある。どうして官僚は複眼的な思考をしないのか…。
また酒類はなぜ軽減対象から外されたか。嗜好品だからというなら、コーヒーやお菓子もアイスクリームやキャンディも嗜好品だ。タバコは食料品ではないが、おなかの中に入らないという意味ではチューインガムも同じだよ。チューインガムはなぜ軽減対象になるの?
さらに国民が納得するかという問題では、すでに書いたが国産ブランド牛のひれ肉とオージービーフの切り落としが同じ軽減対象になることだ。「食料品を軽減税率にすることによって低所得層の痛税感を緩和するため」という説が有力だが、消費税という、政府も認めている逆進性をさらに増幅することになるではないか。民放テレビはイートイン問題には熱心だが、こうした本質的な矛盾にはソッポを向いている。それとも頭が悪いから気が付かなかったのか。
さらに最大の問題は新聞が軽減対象になっていることだ。そのこと自体を、おそらく国民の90%以上がご存じないと思う。少なくとも昨日までに私が訪ねた友人たち20人ほどの全員が知らなかった。
また、数少ない「知っている」人も、これから書くことは多分誰も知らないと思う。実は軽減にはこういう限定条件が付いている。
「週2回以上発行されている定期刊行物の定期購読」
この限定の意味がパッと分かる人は、まず皆無だと思う。
私は最初、自民党か公明党の機関紙が日刊ではないのからなのかと思った。で、ネットで検索してみたが、両方とも日刊だった。では、なぜ?
読売新聞は「文化的存在」だからという。公明党は「活字文化や民主主義を担う重要な社会的基盤」だからという。新聞だけがそういう存在と言えるのか。週刊誌や月刊誌は除外されるが、日刊のスポーツ紙や夕刊紙は軽減対象だ。読売新聞や公明党は週刊誌や月刊誌、あるいは単行本のほうがスポーツ紙や夕刊紙より社会的存在価値が引くと考えているのだろうか。
実は、この限定条件に「なぜ?」という秘密が隠されている。
「定期購読」という条件だ。スポーツ紙や夕刊紙を定期購読する人はほとんどいない。駅の売店かコンビニで買うケースが圧倒的だ。そういう意味では、自宅や会社で定期購読するのではなく、駅の売店やコンビニで買う読売新聞も軽減対象外になる。
若い人たちの活字離れとも無関係ではないが、定期購読している高齢者も、その大半が習慣的に新聞をとっているだけという人たちが多いのだ。消費税増税は、新聞購読をやめるきっかけになる可能性がかなりある。実際、たばこも値上げのたびに、それをきっかけに禁煙者の仲間に入る人が多いという。
はっきり言おう。政府はスムースに消費税増税を実現したい。そのために世論形成で障害になりかねない新聞を沈黙させることは、野党を黙らせるより効果がある。そして新聞は沈黙することにした。新聞と資本関係にある民放メディアも国民の関心をイートインに絞り込むことで政府に協力することにした。これが今回の消費税増税劇の舞台裏の真相である。
私の友人たちは大半が高齢者である。私自身が高齢者なのだから仕方がない。
彼らに「なぜ定期購読の新聞だけが軽減対象になったのか」を説明すると、みんな怒った。消費税が増税された時点で、定期購読を打辞めると意思表示した人たちが大半を占めた。
ひょっとしたら、「定期購読」の新聞を軽減対象にしたことで、新聞社はかえって自分の首を絞めることになるかもしれない。