
古い資料を整理していたら、色あせた一枚のコーピイを発見しました。
昭和53年1月18日付新聞(南日本新聞?)の記事です。
親父が町助役時代のインタビューされた時のものです。
親父が住む鹿児島県姶良郡(現霧島市)福山町福沢新原の歴史について語るとある。
集落の資料は全く無く、言い伝えも途切れ途切れですが、安永年間に鹿児島市近郊の谷山地区又は川辺地区から移住してきた。
定かでないが当時は十数戸当時の藩の政策で過密の南薩地区から未開地の開拓を奨励したので移住した模様です。
現在地区100戸余の全てが浄土真宗です。これは当時の宗教弾圧から逃れ最果ての地に信仰生活を求めたのではないだろうか?
現在(昭和53年当時)バス路線から約6キロ、小さな谷間のある起伏を超えた台地が新原地区です。
集団移住して、開拓生活をしてきたのでまとまりがよくトラブルも皆無、町内一が自慢。
農作業も部落総出で開拓作業してきた歴史がある。
まとまりの良さを象徴するのが、納骨堂の建設です。
100戸余りが個別の墓を廃止して納骨堂建設が出来たのもまとまりの良さであると共に、全員が浄土真宗門徒であることでしょう。
我が家(中村)の家系は7代までしか判明しません。ほとんどの家も同じ状況です。
この地は、4月の早馬神社で花見や棒踊り 夏の盆踊り 秋の綱引き大会など部落総出の集いがあります。
これらは開拓民一族の団結ぶりを象徴するものです。
親父のインタビュー記事から一部抜粋しました。
現在では(令和2)我が故郷は、老齢化が進み戸数も半減しています。
団結力を誇った新原地区も後退してきたので、昭和53年前後に戻すことは残念ながら困難なことだと思います。
良くそんな昔の新聞記事がありましたね。
歴史に残るお話です。
毎々ありがとうございます。
親父に生前コーピをもらったものです。
整理中でてきました。
先祖の苦労が偲ばれます。
これからもよろしくお願いします。