Instagramでご紹介していたのですが(しています・・・)、投稿順にオーバフロー状態になっていることに気付き、ブログでカテゴリー分類する作業を進めて来ました。 映画好きの勝手な投稿にお付き合いいただいている方々ありがとうございます。 来年(2024年)からは鑑賞の都度ご紹介していきますので・・・ヨ・ロ・シ・ク( `・∀・´)ノヨロシクでございます(^_-)-☆
映画はヤッパリ映画館で💺🎥💺 観逃がした映画はお気に入りの映画館で💺🎥💺 それでも観逃した映画はどうしよう???🎦
映画鑑賞🎦 2023年10月 1本目 Total-40本 シネリーブル梅田にて・・・『白鍵と黒鍵の間に』
「南 博」というピアニストは実在の人物なんですね(その道では有名なジャズピアニストで本も書かれるみたいです)
INTRODUCTIONでは、池松壮亮の一人二役と書かれていましたが・・・ 私には「南」と「博」が同一人物に思えたのですが??? 銀座のキャバレーでピアノを弾いていた博は、謎の男にリクエストされて、「ゴッドファーザー 愛のテーマ」を演奏するが・・・
それは銀座界隈を牛耳る会長だけがリクエストし、演奏を許されているのも会長お気に入りの敏腕ピアニストだけだったのです。
「博」と「南」が時間を交錯するようにピアノを弾いていました🎹🎹 現実なのか幻想なのか、不思議の世界に迷い込んだような映画でした。
昭和63年の年の瀬の夜の街・銀座が舞台になっていたので、昭和の人間には楽しめる映画でした。
池松は本作でピアニスト役を演じることになり、ピアノ演奏を半年かけて猛特訓したということです。 劇中、弾いてはいけない“あの曲”として大きな意味を持つ「ゴッドファーザー 愛のテーマ」の演奏は全て本人によるものだったそうで、役者魂には脱帽です。
『ラストサムライ』で子役として出演していたのは、幼い僕ちゃんでしたけど・・・調べてみたら2003年の作品なんですね。 その後の活躍は知る人ぞ知るってところです🚩
映画鑑賞🎦 2023年10月 2本目 Total-41本 シネリーブル梅田にて・・『旅するローマ教皇』
ローマ教皇フランシスコに迫ったドキュメンタリーでした。 2013年のイタリア・ランペドゥーサ島から2022年のマルタ共和国まで、37回の旅で53カ国を訪れたというローマ教皇に密着。 難民問題と紛争に苦しむ中東やアフリカ、そしてアメリカでは平和について語り、イスラム教を国教とするアラブ首長国連邦や、被爆国である日本も訪問、さらにカトリック教会で起きた性的虐待について謝罪する姿も記録したものでした。
「戦争は狂気です 貪欲と非寛容 そして権力欲は戦争を決断させる動機になります」と語っていたのが印象的でした。
2022年2月24日に開始されたロシアによるウクライナへの侵攻・・・ラジオを聴いていて、このニュースが耳に入った時に感じた不安を思い出します。 感じた通り、未だに犠牲者が増え続けています。 悲しくて、恐ろしいことです。
パソコンの個人指導の日でしたが、利用者さんが発熱のためにキャンセルになり、そのお蔭で?映画鑑賞の梯子でした🎥🎥
映画鑑賞🎦 2023年10月 3本目 Total-42本 塚口サンサン劇場にて・・・『エリザベート 1878』
原題:Corsage(フランス語でコルセット) オーストリア・ルクセンブルク・ドイツ・フランス合作
精神的にも身体的にもコルセットで締め付けられていたのですね。1877年のクリスマスイブに40歳の誕生日を迎えたエリザベートは、世間のイメージを維持するために奮闘を続けていました。 厳格で形式的な公務に窮屈さを感じて(ウンザリもしていた?)日々を過ごしていました。 コルセットをきつく締め、ウエストのサイズや体重を気にしながら・・・これも仕事の一部だったのです。 あの状況では・・・ 幼い頃は自由奔放に育っていたようなので、結婚後の生活は相当な負担だったようです。 でも、チョッピリ勝手な振る舞いも感じましたけどね。
この映画では1878年、40歳で海に身を投げる姿で終わっていますが、(ちゃんと影武者を用意して・・・)実際は1898年、スイスで無政府主義者によって暗殺されています。(享年60) 邦題が「エリザベート1878」なのは、1878年1年のエリザベートを取り上げているからでしょうね。 考えるもんだなぁ~、感心します。
映画鑑賞🎦 2023年10月 4本目 Total-43本 大阪ステーションシネマにて・・・『春画先生』
『きのう何食べた?』での内野聖陽を見て、コミカルな役も面白いかな?とこの映画を選びました。 喜多川歌麿、葛飾北斎、歌川国芳など多くの浮世絵師が春画に筆をとっていたようです。 そんな作品が数点画面に・・・ なるほど、【R15指定】の筈です。 修正なしの絵が出て来るのですから・・・さすが、名立たる絵師の描いたものは美しいものでした。 江戸時代にはおおらかな気持ちで春画を鑑賞していたのが、西洋文化が入り始めた明治頃から春画の捉え方が違って来たと「春画先生」が熱弁?していました。 だからこそ現在とその時代とは見る目が違うのかもしれません。 背景などにも作者の意図があった筈ですから・・・