江成常夫『鬼哭の島』
写真家・江成常夫さんの写真集『鬼哭の島』。
舞台は太平洋戦争の激戦地となった洋上の島々。
「鬼哭(きこく)」・・・浮かばれない亡魂が恨めしさに泣く・・・とあるように、
戦争によって奪われた命、筆舌尽くし難い惨状が繰り広げられた、
それら『鬼哭の島』を辿る鎮魂の旅の記録が、
当時を知る方々の証言と共に、写真と言葉で綴られていました。
写真に収められている対象は、
戦後、優に六十数年以上経過している現在の実像。
しかし、当時の戦争の様子が、
つい最近の出来事のように時間を超越して心に迫って来ます。
そしてそれは、当時の凄惨な出来事を
凄惨な映像を通して訴えかけるのではなく、
ひっそりと佇む墓標や供花、当時激戦地だった美しい自然風景、
兵器の残骸や壕の跡、遺骨、兵士や民間人の所持品に至るまでの、
言わば「静物」によって訴えかけてくるものでした。
物言わぬ静物の写真が、強烈に心の内に迫り、精神的負荷を与えるのです。
ページをめくり、写真と言葉に向かい合う事によって、
当時の極限とも言える幾多の人間模様が、
掻き立てられた自身の想像の中に次々と湧き上がり、
立場を自分に置き換えつつ心の中で様々な感情のもとに渦巻くのです。
目を背けたくなるような事実でありながら、
しかし、何度も何度も真摯に向き合いたい・・・。
写真集からはそう思わせる不思議な力の存在が感じられ、
自身を律し戒め、痛烈に心揺さぶられる思いがしました。
◆
「見えるものは誰にでも撮れる。」
「技巧は本質を曖昧にする。」
「見えないものを、的確な被写体を通して、
心の内を託す・・・それが表現としての写真だと思う。」
江成さんの言葉を代弁する写真たち。
戦争の傷跡、時を超えて語り続ける現在の実像を通して、
写真家の精神性をも代弁しているように感じられました。
人間として、写真家としての精神性が捉えたそれらの「魂」が、
この写真集の中には明らかに存在していて、
その存在が時間を超越して精神的負荷を与える
「根源」ではないかと考えるのです。
その根源が心そのものに精通するものであるからこそ、
これほどまでに自身を律し戒め、心揺さぶるのではないか・・・。
そして、目を背けたくなるような事実でありながら、
何度も何度も真摯に向かい合いたいと思わせるのではないか・・・。
そう思わずにはいられませんでした。
精神性によって構築された力の凄みを改めて痛感した次第です。
◆
この写真集には、江成さんの「精神の力量」そのものが
示されているように感じられます。
だからこそ、見る者へ問い、戦争の惨さや人間の尊厳というものを
雄弁に語りかけてくるのだと思うのです。
そして、当時を知る方々の証言、その存在が、
この精神の力量を強く支えているようにも思うのです。
戦争に関わる写真集であると同時に、
それ以上に、人間としての在り方を問うこの写真集は、
消える事のない過去を如何に受け止めるかによって見えてくる、
新たな展望を開く写真集でもあるように感じられました。
心の内面がどうとか、それはあまり考えないけど、現在の戦争の遺産、遺品がどうなって、どう写されてるのか気になる^^
イイ物教えてくれてありがと^^
こんにちは(^^)/。コメントありがとうございます。
お世話になっている方から江成常夫さんの番組を録画した
ブルーレイを頂いたのがきっかけで、この写真集の購入に至りました。
ちょうどこのタイミングで酒田市美術館にて展覧会が開かれるそうですよ。
(明日3月18日から4月22日まで)
昨年、東京都写真美術館で開催された
江成常夫写真展「昭和史のかたち」の巡回展だそうです。
↓↓↓参照
http://www.city.sakata.lg.jp/culture/art/991c4bijutsukan_enari.html
僕も都合付けて行く予定です!