30年前、私はまだミシン屋じゃなく与作(林業)をしておりました。
毎月17日は山の神様の日で、山の木を切るのはもちろん山に入るのも禁止なので仕事は休みです。
小正月の15日も休みですので、毎年1月は15日・16日・17日は3連休。
正月休みは7日までで、小正月は3連休。
それはそれは楽しみでしたが・・・
仕事は休みでも雪下ろしや雪かきに休みは無いですから(;^_^A
身体は休まりませんでしたけどね。
30年前は結婚もしていなかったし、パソコンも持っていなかったけど、県の青年団の事務局長をやっていて携帯電話は持っていたっけな。
青年団の仲間内でも持っている人は殆どいなかったかな?
いなかったし、実家は山の中なので携帯電話はかなり繋がりにくかったかも?
山の神様の日で休みですから、前の晩はいっぱい飲んで、朝方まで録画したビデオを観たりしていましたから、17日の朝に起きたのは10時か11時近かったかも?
起きたらテレビが点いていて倒れた高速道路と今にも落ちそうな帝産バスの映像が・・・
二日酔いの頭で「これは何?何が起きたの?」
状況を理解するのにしばらく時間が掛かりましたっけ。
関西の青年団の知人もいっぱいいましたけど、メールとか携帯番号の交換とかもしていませんでしたから、テレビから流れてくる情報に頼るしかなかったっけな。
全国の青年団の本部である東京の日本青年団協議会も、やっぱり電話くらいしか情報収集能力は無かったでしょうから、即座に何か対応をしたって事も無かったかも?
関西の青年団の仲間のために何かしたっけかな?
日青協から募金の要請はあったような気がしますが、この震災のために何かしたかは?
記憶がないな~(;^_^A
ただ、個人的に親しかった青年団の知人が被災したって事は無かったように思います。
あれからもう30年も経つのですな・・・
あの時はテレビや新聞にしか情報を頼れませんでしたが、今はパソコンやスマホでいろいろと検索出来て・・・
まぁ、正しいかどうかはあれですけど(;^_^A
随分と、この30年で世の中変わったな~
お前は生まれていないから!
朝早かったからまだ寝てたけど、揺れで目が覚めました。
部屋の蛍光灯が揺れてるのを見て、落ちて来るんじゃないかと布団に潜ってた事を思い出します。
私もその頃はミシン屋ではありませんでした。世の中も変わったけど、自分も色んな事があったな〜。
時の経つのって早い
まるで昨日の事のように記憶してる
明け方の地震だもの寝たまま亡くなった人も多かったろうなって思う
私も30年前はギャルだった(ウソ)
その時は大したことないかと思ったけど、職場に行ったら誰かがTVつけていて、段々被害の状況が分かってきて、仕事そっちのけでみんなでテレビ見てたことを覚えています。
高速道路?の高架橋が崩れ落ちている光景に、地震ってほんとに怖いんだと思いました。
うちのにいさんの保育園に、避難してきた赤ちゃんがいたことを思い出しました。
あの子は元気でいるかな・・・
関西で 大阪の実家住まいでしたが、
自分の部屋の📺14インチテレビが台の上から落ちて、誰かが揺らして落としたのかと寝ぼけて錯覚しました。家の壁が縦に亀裂が入り、お風呂のタイルも一部はがれ、食器棚の扉が全部開いて、食器は半分くらい木っ端微塵になりました。神戸の震源地には友人がたくさんいて、家が半壊や全壊の人もいました。会社の社員さんにも出社出来ない同僚に、食料を届けに行く部隊が週がわりに向かってました。電車が止まってますから、長い距離を歩いて建物が倒れている中、戦後のような光景(戦争体験者ではないですが💦) 大変な年でした。。。30年経ったなんてほんとびっくりです。
最後のキャロちゃん突っ込み最高です🙆
ホンマ 世の中変わりました
震災の翌日、夫が大阪へ出張の日で、飛行機飛ぶの?って思ったら飛びましたね~
帰って来るまで心配でしたが、1月の寒さの中の被災を一番に心配し、東北ならどうなるのか?って思ったものでした。
10年後に神戸に旅行へ行って、「復興」の凄さに驚いたものです。
キャロちゃん、膀胱炎はもう完全に治ったのかな?
元気そうで良かった~(*^-^*)
>もう30年も経つんですね。... への返信
10年一昔が3回ですからな~(笑)
色々と変わりますね。
>あれから30年経つんだね... への返信
30年前はギャルだった・・・
なんか本当っぽいですよ(笑)
>30年か~... への返信
私は揺れたのは憶えていません。
酒飲んで爆睡していたからな~(;^_^A