今日は午前中の晴れ間は何処へやら、雨が降ったり止んだりと落ち着きの無い一日になってしまいました。完全オフの今日は、久しぶりに本棚の前で楽しみました。
今日は、米沢藩上杉家の騒動から建て直しまでを書いた「漆の実のみのる国 藤沢周平著」を紹介したいと思います。

主人公上杉治憲は、高鍋藩から養子として上杉家に入った人で、幼名は直丸といい後の上杉鷹山その人です。この頃の上杉家は貧窮に苦しみ雨が降るたびに雨漏りのため大騒ぎになったそうです。
それ程貧窮していた上杉家はご存知のとおり、謙信以来の名家で関が原の合戦前は、120万石の禄高があり豊臣家五大老でもありまました。それが、関が原の合戦の後30万石に減封され、更に60年後に藩主の急死により15万石に減らされてしまいましたが、家臣の数は120万石の時のままであったと伝えられております。苦しいはずです。
一汁一菜を用い、木綿着を着て平然としている治憲(後の上杉鷹山)にとって、「政治とは民を富まし、しあわせな日々の暮らしを与えることである。民の膏血(こうけつ)をしぼり取って、安楽と贅をあがない、権威を重々しく飾りたてるためにあるのではない。~本書より
今、日本は最大の国難とも云うべき大震災に見舞われ、政治の舵取りに大勢の被災された方々の将来が託されております。こんな時、トップは何をなすべきかを著者藤沢周平が本書をとうして語っているようでもあります。
読んでみたい一冊ではないでしょうか?
今日は、米沢藩上杉家の騒動から建て直しまでを書いた「漆の実のみのる国 藤沢周平著」を紹介したいと思います。

主人公上杉治憲は、高鍋藩から養子として上杉家に入った人で、幼名は直丸といい後の上杉鷹山その人です。この頃の上杉家は貧窮に苦しみ雨が降るたびに雨漏りのため大騒ぎになったそうです。
それ程貧窮していた上杉家はご存知のとおり、謙信以来の名家で関が原の合戦前は、120万石の禄高があり豊臣家五大老でもありまました。それが、関が原の合戦の後30万石に減封され、更に60年後に藩主の急死により15万石に減らされてしまいましたが、家臣の数は120万石の時のままであったと伝えられております。苦しいはずです。
一汁一菜を用い、木綿着を着て平然としている治憲(後の上杉鷹山)にとって、「政治とは民を富まし、しあわせな日々の暮らしを与えることである。民の膏血(こうけつ)をしぼり取って、安楽と贅をあがない、権威を重々しく飾りたてるためにあるのではない。~本書より
今、日本は最大の国難とも云うべき大震災に見舞われ、政治の舵取りに大勢の被災された方々の将来が託されております。こんな時、トップは何をなすべきかを著者藤沢周平が本書をとうして語っているようでもあります。
読んでみたい一冊ではないでしょうか?