12月2日(月)
師走に入りましたが、朝から晴れたり曇ったり、そして雨が降ったりと変わりやすい変なお天気でした。
月曜日ですのでストレッチ教室に行って、心地良い汗をかいてきました。
今日は、中山道六十九次散歩の備忘録です。
集合場所
集合時間まで30分ほどありましたので、陽の当たるところで時間待ちです。
皆さん集まって来ているようです。
最近は、服装を見たり雰囲気で同行の方が分かるようになりました。
戸田橋
荒川の堤防を上ると17号線に出ますので、そのまま戸田橋を渡って埼玉県に入って行きます。
この17号線が中山道だと思っている人が多いそうです。
歩いていると街道筋の方が「どこへ行くんですか?」私たちが「中山道を歩いています」と答えると、「違う違う!中山道はアッチあっち!」と大通りを指さします。
車がビュンビュンと行き交う17号線です。「ありがとうございます。」といって、私たちは歩いて行きます。
戸田の渡し跡
江戸時代は、荒川には江戸防御のために橋が架けられておらず、人々は船によって行き来しておりましたので、ここの「戸田の渡し」は大いに賑わったそうです。
こんな渡しも、明治8年に木製の橋が架けられて「戸田の渡し」は廃止されたといいます。
浮世絵(旅行社資料より)
舟には人馬が一緒に乗っております。
なんと長閑なことでしょう。
荒川は普段は100mくらいですが、大水になると1kくらいに広がったそうです。
武家・出家・山伏は無料だそうで、通常は3文、増水した時は16文になったといいます。
一番稼げたのは、大名行列だったそうです。
なんと云っても大人数です。
水神社
荒川の氾濫を鎮めるための神社といっても過言ではないそうで、「水神宮」「船玉大明神」と刻まれた大きな石碑が鎮座しております。
一昔前までは、その年に初めて採れたキュウリをこの神社にお供えして、その後に荒川に流してからでないと、川で泳ぐことができなかったそうです。
地蔵堂
地蔵堂の創建は不明だそうですが、この堂を有名にしているのは、入り口に鎮座されている、「庚申塔」で、「見猿・聞猿・話さ猿」が彫られており、日光東照宮のものばかりもてはやされておりますが、こちらの方がずっと古いものです。と講師の先生が力説しておりました。
しかし、地味ですので云われても探すのが大変・・・そんな庚申塔でした。
戸田市マンホール
戸田市のマンホールです。
こうして街道歩きしているとマンホールを見つけるのも楽しみになりますが、最近分かったことは、こういうカラーのマンホールが出て来ると、その町の中心地だということが分かります。
中山道の碑
国道17号と旧中山道との分岐点の建っております。
ここを右に入ると旧中山道です。
bbb
蕨宿
蕨宿野入り靴です。
日本橋から数えて2番目の宿場で、南北1.1キロ続く町内を用水路の堀めぐらして防犯防火に備えていたといいます。
板橋宿とは9キロと近い距離ですが、荒川の増水などによる川留めを考慮したとのことです。
本陣も2軒置かれ、川留めなどに備えておりましたが、享保10年に大火災を起こしましたが、宿は復興を遂げ今にその姿を残しております。
蕨市立歴史民俗資料館分館
明治時代に織物商をしていた家を資料館の分館として公開しております。
当時の建物が残り、日本庭園がありますが、かなり荒れておりました。
蕨市立歴史民俗資料館
平成2年に創立された新しい建物で、中山道蕨宿の織物産業などが展示されておりましたが、道具類は、博物館などに展示されると、その輝きは失われてしまうような気がいたします。
本陣跡
蕨市立歴史民俗資料館の横に本陣跡が整備されており、私はこちらの方が興味をそそられました。
写真を撮るくらいで見るべきものはありません。
誰それが泊まったという名前が記されたものが、ガラス越に展示されておりました。
長泉寺
長泉寺は街道から少し外れますが、檀家を持たない祈願寺だったといいます。
円実という沙弥が創建したと伝えられるところから、通称「おしゃみ」という名称で知られております。
この寺の鐘が、江戸時代から名鐘の一つに数えられており、当蕨宿の人たちは、「おしゃみの鐘」と呼んでいるそうです。
「沙弥」とは、妻帯して世俗の生活をしている僧のことだそうです。
蕨宿
昼下がりの時間、人が少なかった街道です。
和良備神社
明治44年に、蕨市内にあった、天神社・稲荷神社・榛名神社など18の鎮守社を合祀した神社です。
和良備・・・万葉文字を当てております。
成人式発祥の地
成人式はここから始まり、全国に広まったそうです。
この像を見ていた時、後ろの方にいたご婦人が、「なんで女なんだ」とポツリと一言・・・
蕨城址
蕨城址は、和良備神社と隣接しており、南北朝時代に足利氏一門の渋川氏によって築かれたそうですが、ここに城があった・・・あまり解らない程ただの公園になっておりました。
三学院
正式名称は、「金亀山極楽寺」で、真言宗のお寺さんです。
江戸時代には、関東七ヶ寺のひとつで、真言宗僧侶の修行道場であったそうです。
馬頭観音
梵字書かれた馬頭観音として有名だそうです。
子育地蔵
元禄年間に建立されたお地蔵さまで、高さ2.4mあり蕨市内最大のお地蔵さまだそうです。
昔は、中山道に面したところに立っていたそうですが、三学院の境内に移された。
また、脇に並んでいる六地蔵は、蕨市最古、最大のものだそうです。
以前は、三学院山門前に立っていましたが、最近になってここに移されました。
萬壽屋
三学院大門前にあるお煎餅屋さんで、創業が天保年間といいますから、150年以上ここでお煎餅を焼いております。
蕨市マンホール
やはりこのあたりが市の中心ですので、マンホールがカラーになっております。
はね橋
徳丸家のはね橋です。
蕨宿は周りを防犯と防火を兼ねて堀を巡らしておりますが、その出入り口に60㎝ほどの橋が架かっております。
夜になると、防犯と飯盛り女、女郎、そして機織り女工などが逃げられないように橋を跳ね上げて、堀を越えられないようにしていたそうです。
こうしたはね橋が10ヶ所あったそうですが、今は、この橋が残っているだけだといいます。
ただし、今は、暗渠になっておりますが、これは、徳丸家のご厚意で、観光の方々に知ってもらうために新しく作ったそうです。
北町交番
旧中山道と17号線が交わるところで、ここが宿の木戸があったところになります。
このように、蕨宿は国道と旧道に挟まれております。
境橋
辻村と蕨宿の境の川にかかっている橋のことで、今では云われなければ知らずに通り越してしまいます。
中山道蕨宿一番地と誇らしそうに導が建っておりました。
辻の一里塚
日本橋より5番目の一里塚です。
碑は立っておりましたが、正確な場所は解らないそうです。
焼米坂
ちょっとした坂ですが、ここで旅人に「焼き米」を売る店があったといわれております。
江戸時代には、小さな茶店があったそうです。
今は碑があるのみです。
日蓮上人駒つなぎの碑
神社入り口に、日蓮上人が佐渡に流された時に、この欅に馬を繋いだと伝えられております。
調神社(つきじんじゃ)
調宮(つきのみや)の名で知られており、調はみつぎ(年貢)を意味し、ここに調の品々を集めて東山道から京の朝廷に送られたといわれております。
鳥居の無い神社としても有名で、中世のころ伊勢神宮のみつぎを納める蔵が有ったので、鳥居があると入れる事ができなかったのが理由だそうです。
この神社では、狛犬の代わりに可愛い兎が建っております。
ここからは、見るところはありませんので、浦和を目指して黙々歩くのみでした。
浦和宿
午後4時頃浦和宿に到着です。
次回は、浦和駅集合です。
今回歩いた距離は13キロ、歩数は23.100歩でした。