伊賀上野が元気になればいいなあ!

上野の城下町、どうなっていくんだろう、、、見守る元気はないけれど、静かに生きていこうと思う(笑)。

「上野天神秋祭 特集」

2006-10-10 10:24:56 | おまつり大好き!

体育日和の連休も終りましたが、皆さんお変わりございませんか?
さてこの上野西部地区の上野天神秋祭のだんじり町では今晩あたりから祭囃子のお稽古が始まることと思います。
小学生はは鉦(かね)の練習をします。経験を積んでくると太鼓、成年になると笛、というように段階を踏んでいきます。夜7時ごろからまちなかのあちこちで囃子のの音が聞こえてくることでしょう。本番までの2週間、みんな頑張ってお稽古して下さいね。

国指定重要無形民俗文化財に指定されているのは皆さんもご存知ですね。

でも意外とだんじり町の人は鬼行列のことは知らないし、鬼町の人はだんじりのことはわからない。
同じ行列に携わっていながらお互いに知ろうともしてこなかったのか、だんじりの前を鬼行列が行くので、だんじりに関わる人々は絶対に鬼行列を見る事はできないわけで…
でもささやかにこのブログを読んでいただいて、お互いのことが少しでも解り合えればいいのかな、なんて思っています。
そして祭り町に関係がない、という町の方には行列の裏側を知っていただくのもいのかな、と考えております。しばらく連載になると思いますので、よろしくお付き合い下さい。

『祭の風景』その1

鬼行列は、上野天神秋祭に17世紀後半から加わりました。当時の相生町・紺屋町・三之西町の三鬼に約100年後徳居町が加わり、現在は四鬼で行われています。この行列は藩主が眼を患ったため、平癒を願い「役の行者(えんのぎょうじゃ)」が赤鬼・青鬼を従え大峯山(おおみねさん)に参詣した時の旅を表したのでは?と言われています。
徳居町の鬼行列は、鎮西八郎為朝(ちんぜいはちろうためとも)(源為朝・みなもとのためとも)が保元の乱の後、伊豆大島へ流され、その後近くの鬼ヶ城で鬼征伐をしたという伝説が残っていますが、鬼を従えて意気揚々と、大島へ凱旋する姿を表現した行列と言われています。
鬼行列の目的は、いずれもこの2人の主役によって鬼(悪疫・あくえき)を屈服させ、退散させることにあります。

藤堂のお殿様の持ち物だったのを1600年頃、城下のお寺が24面を拝受。その面を紺屋町12面、相生町6面、三之西町6面と譲り受け、町の宝として保存しています。
当時、能楽は武士のたしなみの一つ。どこのお殿様も能を舞う為の能面を数多く持っていたようです。全国には城主様から拝受された面を保存しているお寺が沢山ありますが、それを町で保存し使っているのは、ここ上野だけです。

鬼行列の一番前を行くのが「御幣」です。


大御幣(高さ6.3m、重さ米2俵分)に使われる和紙も一部新調。5本の柱と御幣は別々に保管されています。まだ柱と御幣は別々。


出番を待つばかりに準備された御幣(柱と御幣が一体化しました)とひょろつき鬼の大道具?も揃いました。

つづく