伊賀上野が元気になればいいなあ!

上野の城下町、どうなっていくんだろう、、、見守る元気はないけれど、静かに生きていこうと思う(笑)。

『祭の風景』その3

2006-10-12 08:47:56 | おまつり大好き!
鬼行列のしんがりの方に『ひょろつき鬼』が来ますね。酔っ払っているようなおどけた足取りで行列の最後をしめくくりますが、実はあれは立派な「演技」です。熟練の技を必要とします。
なぜなら、背に背負っている荷物が重すぎてひょろつく鬼、疲労困憊してこれ以上前に進めないとひょろつく鬼など、いろいろです。だから決してお酒を飲んでひょろついているわけでなく、鬼役の人はいかにも「重そうに」「本当に疲れているように」演技しているのです。
この演技も代々親から子へ、子から孫へと引き継がれていきます。同じ「ひょろつく」のでも『重い』のと『疲れた』のでは「ひょろつき方」が違うのです。そこら辺の「演技」をとくとご覧あれ。
この「ひょろつき鬼」のもうひとつの役目に後に続くだんじりのために道をひらいていく役割もあります。皆が鬼を怖がって「道を空けてくれたら」しめたものです。
「ひょろつき鬼」の写真は動きが激しくて私には撮れませんのであしからず。

鬼行列の順番に一部ご紹介。

例えば「真蛇:悪鬼(しんじゃ:あっき)」という標記があったとします。
ここで少し説明しますと、『真蛇』というのは(お殿様から拝受した時の)能面の名前、『悪鬼』というのは行列の際の鬼の名前、というふうに解釈して下さい。

せっかくですから「悪鬼」を紹介します。

この面は今は新調されましたが、昔から使っていた面は「藩主(三代藤堂高久か?)より賜った」ということです。額が少し狭く、口内の舌が見えるので「蛇」と判定されました。

上野天神秋祭に使用される鬼面はいろいろな製作年代の面(おもて)があります。
製作年代を大きく分けますと、紺屋町の「小面:八天(こおもて:はってん)」は桃山時代のもの。
相生町の「猩々:八天(しょうじょう:はってん)」、三之西町の「小飛出・小面・泥眼(ことびて・こおもて・でいがん):八天」と「賢徳(けんとく):小鬼」、紺屋町の「阿古父尉:役の行者(あこぶじょう:えんのぎょうじゃ)」などは江戸時代初期のもの。
相生・紺屋・三之西町に分けて持っている「行道面:四天(ぎょうどうめん:してん)」も江戸時代初期。その天冠(てんかん:頭の上にかぶっているもの)の金具の形式は、17世紀のものと判別されています。
この金具のことを調査してくださったのは、9月2日に「講演」してくださった『久保智康先生(9月15日のブログにご紹介)』
これら3つの鬼町を三鬼(さんき)といいますが、この三鬼の鬼面のほとんどは三重県指定有形文化財となっています。

阿古父尉:役の行者


三之西町:鬼面展準備終了


さあ、今から鬼行列だ!わらじを履いて、いざ行かん。
24日「足揃えの儀」


つづく、明日は「徳居町」の予定