☆73日間に及んだアフリカから中東へ
73日間に及んだアフリカを後にしてケニアからドーハを経由して中東ヨルダンへ。乗り換えのドーハではウガンダで出会った日本の旅行会社の方に教えてもらった、海鮮五目ラーメンを食べて、英気を養いました。ドーハはさすがに巨大ハブ空港、寿司屋もあって、24時間寝ない空港です。
アンマンの空港からクーポンタクシーで砂漠の中をひた走り三時間。クーポンなのにチィップを要求され揉める。ああ始まったこんな交渉。映画インディージョンーズの最後の聖戦の舞台にもなったペトラ遺跡へ。遺跡の門の真ん前の豪華ホテルに宿泊。明日までラマダン、食事を取るのは外国人のみ、レストランも人がまばら。貴重な体験です。
☆夜中の非常ベルが鳴り響く
夜中に突然ホテルの非常ベルが響く。火事も心配だけどテロかかと一瞬頭をよぎる。警報のアナウンスはテープで繰り返されるのみ。「非常事態発生」と繰り返す。主にアラビア語、英語で少し。廊下に出ると隣の部屋のおばさんが誤報だとフロントで聞いたという。安心して寝る。一時間後また鳴る。朝までに5回ぐらい繰り返される。その度にフロントに聞きに行く。正式なコメントが流れることはない。最後は遂にフロントに怒鳴り込む。こんなに高級なホテルなのに。テロだったらきっとホテルの従業員はお客を置いて逃げるんだろうな・・・・・。
☆あの映画のペトロ遺跡
あまりに早く着いたので一時間ほどお昼寝して1時に出発。途中から少し険しい裏道のワディムズリムに行きたいと思う。しかしどうしてもガイドが一緒でないとダメと言う。止む無くしつこく付き回るガイドを付けるも、何の説明もしないで1時間ほど歩く。ああ始まった、アジアの観光地のような騙し合い。本当に鬱陶しい限り。らくだの勧誘も然り。
ペトラは19世紀に発見されるまで、769年の大地震で都市としての機能を失い、時間とともに、砂に埋もれ、岩は風化し、また洪水によって破壊され、すっかりその姿を隠してしまっていたらしい。お陰で沢山の遺跡が誰にも邪魔されずにひっそりと残っていた。
遺跡のゲートから気温40度を超える砂漠地帯を30分近く歩くとまずは聖霊が宿ると伝えられる墓ジン・ブロックスに出会う。さらにシークという1200m続く断崖絶壁の谷を抜けると、突如現れるバラ色に輝く宝物殿、エル・ハズネ、そして巨大な神殿エド・ディルなど数えきれない遺跡群が見えてきました。広大な敷地に点在する数々の宮殿や墳墓。暑い中2日間岩山を登ったり。昔行ったエジプトの王家の墓以来の暑さだ。
途中あまり人が行かない山道を日本人が歩いてくる。久しぶりなので捕まえて(?)話をする。夫婦で世界一周中。最終はオーストラリアのワーホリに行く計画。若いっていいな。
さらに日没後1500本ものろうそくで埋め尽くされた幻想的な「ペトラ・バイ・ナイト」までも堪能しました。日中も光線の関係で微妙に変化するバラ色の岩肌に、古代人たちは何を考えたのでしょう。
☆本当にプカプカ死海
続く