今日はアルゼンチンから来られたフェルナンド先生のお父さんと東京観光をしました。
はとバス乗って、浅草行って、秋葉原、そして増上寺と東京タワー。
最後はお寿司でした。
連れまわしてお疲れ様だったでしょう。
☆150万人のスラム街?!
大自然を満喫したアフリカの旅も間もなく終わり。その雄大な景色や動物たちに歓喜の声を挙げている「旅人」には、どうしても訪れたい場所がありました。
それはアフリカ最大の都市ナイロビにあるスラム街「キベラ」です。ナイロビ自体危険なのに、強盗や殺人などが日常的に起きているキベラを訪れることは危険極まりなく不可能に近い。しかし日本にいては見えない現実を「見たい、知りたい」と思うのは不思議でないと思う。そこで20年以上キベラの中で「マゴソスクール」という学校を運営している日本の女性「早川千晶」さんに事前に連絡を取り会いに行きました。
待ち合わせのショッピングセンターで、キベラは2キロ㎡にナイロビの人口の1/3の約150万人が住み、5つの村のような組織に分かれ運営されているが、政府や警察などが全く関与してない。そして何よりも学校関係者でも襲われるほど危険との事前説明がありました。緊張が走りました。
高級住宅地と隣り合わせにあるスラム街、入り口で武装警官3名に前後を護衛されて町の中に進んでいきます。土埃が舞い上がるメインの通りには雑貨屋、クリーニング屋、床屋、食料品店、食堂、家具工場、加治屋などが並び沢山の人が行きかう。一歩脇道に入ると迷路。見渡す限りの錆びたトタン屋根、そして泥壁の家が所狭しと並ぶ。8畳一間の一つの小屋に8人から10人が暮らす。
舗装されていない道には排水溝などなく汚水がそのまま流れ、ぬかるんで悪臭を放つ。水道も無く、きれいな水は通常の2倍から10倍ぐらいの値段で小分けで買うしかない。トイレに至っては5~600人に一つあるかないか、したがって袋に入れて捨てに行くか放置するかだ。
ゴミもいたるところに投げ捨てられ衛生状態はとても悪い。(NewYorkTimesの記事によれば、キベラに住む少女の三分の二は16歳までに食べ物のために売春をさせられていたとも。)
そんな迷路を進んだ先に「マゴソスクール」が現れた。そこでマゴソスクールの創始者リリアンさんを紹介されました。
リリアンは18人兄弟姉妹の長女、病気で両親を亡くしてからこのスラムで弟妹の生活を支え、子どもたちでだけで逞しく生き抜いてきました。やがてリリアンは同じように早くに親を失い、より所をなくした子どもたちを自分のもとに引き取り、1999年自分が暮らす長屋の一室に浮浪者20人の寺子屋をはじめたことがマゴソスクールの始まりです。
そこに現地で観光ガイド等をしていたケニア在住22年の早川さんが共感して長屋を買ったのが最初の校舎となりました。その後どん底のような貧困がはびこる暮らしの中でも、キベラの仲間たちは力を合わせて、スラムの貧困児童、孤児、虐待を受けた子ども達、家や家族を失い路上の浮浪者になった子ども達などを救済するセンターの役割も担って、現在幼稚園から中学生まで600人が通う学校となっています。
いろいろなバックグランドを持った子どもたちですが、元気にハツラツと学校生活を送っているように見えました。さらに学校の生徒以外にもキベラの貧困児童へも毎日朝(1食2円)、昼(1食10円)の給食を支給しています。児童たちの中には支給されたお昼の給食を食べない子が6割ぐらいいるそうです。それは家にいるお母さんや妹弟たちに持って帰るからです。
今また新しいクラスを作りました。それは障害を持った子供達の教室です。今までは障がいを持った子供達は親が働きに出ている間部屋に閉じ込められたり、極端な場合は最悪な事態など・・・。スラムで初めての障がい児クラス、今までと違って先生一人に生徒は二人ぐらいしか面倒が見られません。従ってお金も掛かります。それでもマゴソは新しい道を切り開いています。
他にもたくさん伝えたいことがありますが、こんな困難に直面しながらも元気で明るい子ども達、そしてそれを支える早川さん達を目のあたりにして言葉を失ってしまいました。
今ではOBの大学生が休みを利用して手伝ってくれています。
インドのコルカタで行ったマザーテレサの施設、タンザニアで会った75歳で孤児院のボランティアをしている日本の75歳のおじさん。
世界一周が終わるまでには何かの答えを出そうと思いキベラを後にしました。
次は中東へ。