定年だ!!世界一周

サラリーマン36年、
いよいよ念願だった世界一周に出発2015年4月1日
2016年1月22日219日間27か国達成

佑介世界一周第2弾出発

2016-03-08 19:59:40 | その他日常


なんと南米のイースター島で一緒だった佑介が、今夜アイスランドに向けて出発。

その前に我が家に寄ってくれました!

アイスランドの次はスペインのサンチャゴの道など6月までだそうです。

若いっていいですね。

安全第一で元気に行ってらっしゃい^_^


アフリカ最高峰キリマンジャロ!待ってろよ

2016-03-08 14:35:27 | 旅行記前半、アジア、アフリカ、中東

☆75歳日本人ボランティアに会う

アフリカ56日間のトラックの旅も終わり今朝からまたひとり旅。トラックの時は、朝から英語で挨拶して、話しかけられたら英語で答えて、ときどき分からなくて、大変だななんて思っていましたが、いざひとりなると寂しいものです(泣)
 朝一番でサマーたちがひと足先に出発しましたが、別れた後じ~~んときました。

 

10時にホテルを出発。危険と言われるナイロビからキリマンジャロの麓の町モシ(タンザニア)に中型バスで向かいました。運賃は35米ドルと少し高いですが、ホテルでピックアップしてくれます。リバートラベルです。

 

 

バスの中で今から行くモシと言う町で孤児院のお手伝いのボランティアをされている桑波多さん75歳にお会いしました。2時間ぐらいお話を聞きました。


なんでも孤児院にはお金がなく、養鶏を手伝っているが餌代がかかってピンチ。タンザニアでは炭を焼いた後に出るクズ炭を捨てている。これを日本の昔の豆炭にして再利用しようと挑戦。しかし日本の会社が豆炭にする技術を教えてくれなくて困っている。このボランティアは71歳から始められたそうです。(驚き!)ビザの関係でときどき国外に出なければならない。先日もタンザニアの首都ダラエルサラームでタクシー強盗に遭って身包み剥がされたなど、恐ろしい話を聞きました。それでも続けるのは、頭が下がりました。

 

明日その方の定住先のロッジに泊まってお話を聞くことにしました。頑張る日本人、尊敬です。

 

☆網走の頭もスリには敵わない

 

ナイロビをバスで出発して8時間、キリマンジャロの登山口の町、モシに到着。ここでは個人登山が認められてないのでガイドやポーターを同行することが必須。登山前にツアー会社を探して決めなくてはならない。バスを降りると早速沢山の客引きがどっと押し寄せ、袖を引っ張ってきますがここは完全無視。

 

まずは一泊10米ドルの安宿に部屋を取り、昼飯がてらツアー会社を2社ほど回って情報収集と値段のリサーチ。その中で日本人が多く使うキリクライマーズ社で最終交渉。ルートは一番簡単な5泊6日間のマチャメルートを選択、そして値段交渉。一時間ほど粘って950ドルに。この中には国に納める入山料(一日70米ドル×6日)420ドルが含まれる。残りで人件費、装備レンタル、食費、チップなど。特にチップは後で揉めるのでしっかりと契約書に金額を書いてもらう。

 

長旅の疲れもあったので出発は3日後。街をぶらぶらしながら地元の床屋へ。黒人は1ミリも無いくらい剃り上げに近い状態にバリカンで刈ります。私も一応長めと言いましたが、だんだん床屋の親父、気合いが入ってこんな状態です。あっという間に五輪刈り。なんだか網走帰りみたい。別に懺悔をした訳ではありません。まもなく本当の懺悔が来るとは思ってもみなかった。

 

 

その後有名なキリマンジャロコーヒーを飲みに行く途中、しつこい二人の客引きに絡まれ、やっと振り払ってお店に入った瞬間。あっ。斜め掛けのバックのチャックが空いている?やられましたiPhone。盗難証明書を警察に頼むと、なんと賄賂70米ドルを要求されやむなく払う。追い打ち。悔しい。

 

今朝は朝からサンダルの紐が切れたりして、何かを暗示していた。お恥ずかしい話ですが、初心者の旅行者みたい。パスポートも財布も無事です。iPhoneはなくてもIPADがあります。いままでこのIPAD重いからいらないと邪険にしていました。IPADもやっとお役に立てましたと胸を張っているように見えました。

神様が気を引き締めろと言っているのでしょう。慢心しないで7月末まで旅します。


さらに今日行く予定だった孤児院の桑波多さんの定宿も戻ってみれば泥棒に入られてそれどころでは無いと手紙が置いてあったのです。(6日後お宿までお邪魔して2日間たっぷり聞かせていただきました)


☆行くぞキリマンジャロ!待ってろよ!

 

 

気を取り直して7月4日登頂開始。ツアーのお客は私一人。

 

一日目:チーフガイドと足りない装備をレンタル。使ったあと洗ってないようで猛烈に汗臭い。途中でポーターのお兄ちゃん達を車で集めながら出発ゲートへ。

 

どうもこのチーフ初めてのようで手続きに戸惑う。1,790mからゆっくりとした坂道を4時間歩き、今夜のキャンプ地マチャメ3,010mに到着。しかし先に来ているはずのポーター2名とコックが大幅に遅れて到着、夕食は20時に。先が思いやられる。

 

 

二日目:8時30分出発、13時30分にはキャンプ地シラー3,845mに到着。もう富士山を超えている。今日もポーターが後から来る。こんなツアーはないらしい。ガイドがしきりに謝る。謝られてもこちらも困る。

 

三日目:一気に1,000m近く登りラバータワー4,640mに。今度は700m降りてキャンプ地バランコ3,960mへ。高度順応にはいいが疲れる。途中で偶然アフリカで一緒だったチェに出会う。元気が出た。4,000mを超えると草木も見当たらない。風も強くなり夜には激しい雨。

 

四日目:道は岩壁になり這うようにして登る。バラフキャンプ4,640mここがベースキャンプに。仮眠、夕食、仮眠(ほとんど寝れなかったが)

 

五日目:夜中の11時30分猛烈な寒さの中頂上アタック開始。持ってきた防寒具を目いっぱい着込む。5,000mを超えると空気は極端に薄くなり、高山病の危険性も高まる。五歩歩いては休む、また五歩と。やめようと何度も思う。体がやたら重くなる。

 

出発から約7時間、午前6時24分遂に登頂5,890m。アフリカ大陸で一番高いところに今立っている。感激。日の出も。そこでアフリカを共にした仲間の二人にも遭遇。神様の祝福か。

 

ガイドがすぐに降りようという。確かに写真撮るために出した指が5分で凍傷になりそうになる。8時45分ベースキャンプに。2時間仮眠して一気に3,080mまで下山。

 

ところが途中から激しく胃が痛む。こんなの初めて。歩けない。ガイドが救急隊に連絡すると言い出すが断る。脂汗出しながら二倍の時間かけて到着。白湯だけ飲んで寝るも夜中に痛みのためのた打ち回る。

 

 

六日目:まだ激痛がするも1,630mのムウェカゲートに到着。ガイドたちに登頂成功の感謝を込めてチップを50ドル追加。緊張が続き疲れも出ない。エベレストと違い頂上に立った満足感は何と言っても大きい。次の日久しぶりにシャワーを浴びビールで乾杯。アフリカ万歳万歳万々歳!さあ次へ・・・・・

 

このハットの寄せ書きはサマー、デイビッドなどトラックの若者達が登頂成功を願って寄せ書きしてくれたのもです。お陰で登頂成功!