さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

しみじみと心に残る句のありて

2012-08-12 | 日記
 お盆が近いです。今日はしばらくぶりに成田さんのお墓にお参りしてきました。
 懐かしくていつも心を和ましてくださる思い出の成田さん、そして心ひそかに尊敬している大先輩の成田さんです。



湯のたぎる音して風邪寝人を恋う 青芦


 この句は成田さんの絶句としてお墓の句碑に刻まれています。私は成田さんのお墓にお参りするたびにこの句に心をうたれ成田さんの人柄を懐かしく思うのです。

 昔の茶の間には長火鉢があって木炭の埋もれ火にいつも南部鉄瓶の湯のたぎる音が静かに聞こえていました。南部鉄瓶で湧かした井戸の水は柔らかくて、まろやかなおいしいお茶を楽しむことが出来るのです。

 成田さんは大正3年(1914年)会津坂下町にお生まれになりました。成人して横須賀海兵団の若い海軍少尉として国のためにつくされやがて終戦をお迎えになり、その後長く県事務所におつとめになられました。

そして田島の県事務所の所長を最後に定年退職なされて私の家のすぐ近くに家を新築なさいました。とてもなごやかで暖かい人柄でみんなに親しまれて私たち夫婦もなにかとお世話になりました。

 でも、新居にお住まいになってまもなくガンを患われわずか62歳の若さでお亡くなりになったのです。

 この句はお亡くなりになる前の最後の句、絶句だったんですね。

 私は成田さんが俳句をたしなまれていらっしゃることなぞ少しも知りませんでした。
 また深い教養と優れた感性をお持ちの方のみが楽しむことの出来る俳句なぞは私などとは別の世界だと思って全く興味がありませんでした。

 でも、あるとき成田さんお墓でこの句を見つけ私は深く感動してしまいました。
 暖かく優しい成田さんの人柄、そしてまもない死を前にした成田さんの心の深さに胸を打たれたのです。

 当時は今と違ってガンは不治の病として本人には決して告知されませんでした。
 だから成田さんはご自分の病を風邪と信じていらっしゃったんだと思います。てもだんだん悪くなっていく長い闘病生活にはいろんな思いがあったと思います。
 お休みになっていらっしゃるお座敷の隣の茶の間での湯のたぎる音を聞きながら友と語らった思い出のかずかずを懐かしまれたと思うんです。

 俳句のことなど少しも分からない私にもこの成田さんの句に深く心を動かされました。

 また、お墓の句碑にはこんな句が刻まれていました。

 大阿賀を越ゆれば他郷揚げ雲雀

 成田さんは長い間県事務所におつとめになりました。暖かく誠実な人柄の成田さんは事務所の人たちにも土地の人たちにも親しまれ厚い信用を得ていらっしゃったと聞いています。

 県事務所のおつとめには何年かの間には転勤があります。この句は4月の転勤で新しい事務所にご栄転なさる時の句だと思うんです。

 転任の道すがら、阿賀の川の大き流れにかかる橋を渡ると新しい任地なんですね。今まで親しんできた旧任地の山や川やたくさんの人たちとの別れと、新しい任地に入る成田さんの希望と決意がしみじみと伝わって来て心うたれるのです。おりからの揚げひばりの明るい声が聞こえていました。

 私は俳句の季語とか写生とか、ひとつの言葉に含まれる深い意味とか・・教養のない私にはさっぱり分かりません。だから正直俳句には興味がありません。でも私はこの二つの句に深く心を動かされ共感し感動するのです。

 幸い昨日成田さんのご家族がお墓参りにおいでになっているのにお会いしました。そして残されている成田さんの俳句を頂くことをお願いして快諾を得ました。私の残された人生へののすばらしい贈り物だと楽しみにしておあります。

 まもなくお盆です。