
夏の野に鮮やかなオニユリの花が咲くと遠い日の、昔の幼い日々がよみがえってくるのです。
私は小学校1年生から5年生まで尾瀬近くの山狭の小さな集落に住んでいました。80年ほど昔のことですけど・・・ これは私の住む家から200メートルほど離れた急峻の山の岩肌です。春になると轟音を立てて雪崩が落ち、前にある川を塞き止めるのです。子供たちは争って川を突っきってきた雪崩に巻き込まれたイワナやカジカを拾いました。これは私たち子供にとっては春の到来を告げる大きな喜びの行事でした。

私は、その頃ひとりで集落の鎮守様の岩屋に登ってこの雪崩あとや集落の家々を眺めるのが好きでした。

夏になると集落のあちこちの蔵の屋根のぐしには鮮やかなオニユリの花が咲いていました。真っ赤なオニユリの花は泥棒や災害をもたらす邪悪な鬼から蔵を守っていたのかもしれません。珍しい集落の眺めでした。
そして蔵の軒先には日本ミツバチの巣が入った樽が下げられていてたくさんのミツバチが群れて出入りしていました。ミツバチの分蜂の時などは女王蜂を中心に蜂が逆円錐形にかたまって大きな乳房のように軒下などに下がります。それを大人の人は大きな網にすくい取っていました。新しいミツバチの集団が出来るんですね。日本蜜蜂っておとなしいんでしょうか。素手で蜂の塊をすくって網に入れていたように思います。
その頃の私の家族です。

長男の私の仕事は幼い弟と妹の子守をすること。小川の流れからバケツで水をくんで風呂を満たし、風呂釜で木を焚いて湧かすこと。石油ランプのホヤを小さな手で磨くこと。(電灯はありません)。通い帳を持って母に言われたものを集落でただ一軒の店から買って来ること。4年生の頃は4キロメートルも離れた隣の集落にある郵便局までの山道を風呂敷をしょってあるっていって用を足すこと。などなど酷使されていました。
母は将来困らないように厳しくしつけたんでしょうけど、その頃の私は一人で自由に遊べる友人がうらやましくてなりませんでした。
でも、山狭のこの集落は私の一番大事なふる里です。