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近頃、こんなにくっきりと飯豊山から大日岳への飯豊連峰が見えるのは珍しいです。
昔は初夏の飯豊連峰に代掻き馬の姿が現れると会津平の田植えが始まりました。
飯豊山は豊穣を祈る女人禁制の信仰の山でした。集落の若者たちは数え年13歳から15歳になると近くの流れで水垢離(みずごり)をとって鎮守の社にお籠もりしたのち先達に連れられて「ろっこんしょうじょう、おやまはせいてん(六根清浄御山は晴天)」と唱えながら登拝して初めて一人前の集落の成員として認められたと言われています。
この信仰の山の女人禁制の掟を初めて破ったのは北会津村の猪俣竹緒(たけお)さんという方だったそうです。大正4年(1915) 会女を卒業したばかりの18歳の才女だった彼女は家人に「佐渡見物に行く」と嘘をいって登山口の一ノ戸までゆき飯豊山に登山しようとしたが村人にとめられやむなく同所に宿泊しました。でも村人の隙をついて無事登山し終えて帰宅したら父が激怒し勘当を言い渡そうとしたけれども叔母の取りなしで謹慎ですんだといわれています。竹緒さんは昭和43年(1968)お亡くなりになりました。
竹緒さんが飯豊山に登ったことを知った一ノ戸の人たちはあの女は飯豊山の神罰を受けて死ぬだろう、あれは自殺するための登山だと話しあったそうです。今から考えると嘘みたいな話しです。竹緒さんって凄い方ですね。古来伝わる厳しい女人禁制の掟を18歳の娘が一人で取り払ったのですから
(井関敬嗣先生 会津坂下町の伝説と史話から)
息子たちが中学生だったとき、3人で2泊3日で飯豊本山から大日岳まで縦走しました。御西岳の雪渓や美しい高山植物に感動した時のことを思いながら美しい飯豊連峰の春を眺めました。